10月31日、渋谷 19:00。
東急百貨店 東急東横店を中心に、半径およそ400mの帳が降ろされた。
一般人のみを通さない帳。帳の外縁部まで逃げた人々は、口々に『五条悟を連れてこい』と叫んでいる。ハロウィンで賑わう渋谷に閉じ込められた一般人の数は、およそ100万人以上。想定される呪災の規模は、以前の百鬼夜行すら上回るのではないかと思われた。
未曽有の事変。
上層部は被害を最小限に抑えるべく、最高戦力である五条悟
「……随分と、面倒なことになっていますね」
七海班。
七海健人一級術師、猪野琢真二級術師(昇級査定中)、伏黒恵二級術師(昇級査定中)。
東京メトロ渋谷駅13番出口で待機。
「被害を最小限って……
「……そうつっかかんなよ。もう
日下部班。
日下部篤也一級術師、パンダ準二級術師(昇級査定保留中)。
JR渋谷駅新南口で待機。
「……理屈は分かるけど、俺たちにもなんかできる事無ぇの!? バックアップとか」
「だから、今からそれをしに行くんだよ。……明治神宮前駅に渋谷と同様の"帳"が降りた。私たちの仕事はそっちさ」
冥冥班。
冥冥一級術師、憂憂、虎杖悠仁(一級査定保留中)。
青山霊園前から、明治神宮前駅へ移動中。
「高度な結界術、五条悟の指名……交流会を襲撃した奴らと同一人物だろうな」
禪院班。
禪院直毘人特別一級術師、禪院真希四級術師(昇級査定中)、釘崎野薔薇三級術師(昇級査定中)。
渋谷マークシティ、レストランアベニュー入口で待機。
「ワイ、総勢一名参陣!!!!!!!……いや、どないなっとんねん。イジメか?」
禪院班(自称)。
禪院直哉特別一級術師。
文化村通り道玄坂2丁目東から帳内に侵入。
そして。
「――――――殺してやる」
20:31。"現代最強の術師"五条悟、現着。
渋谷事変は、こうして幕を開けた。
「気に入らんな」
「あ゛? 何がだよクソジジイ」
自慢の髭を撫でつけながら、俺はそう呟いた。
「ふーむ……同一犯……上層部の指示……陽動か? いや、地下に特級呪霊の気配が複数……」
「ダメだこりゃ、もう痴呆が来たか?」
「阿呆抜かせ。敵の思惑に乗っているのが気に入らんと言っとるのだ」
コメカミをトントンと叩いてアホ面を晒す姪に、そう叱咤する。
「あの
「おう」
「ならば陽動か? と思いきや、地下には特級呪霊がゴロゴロおる。戦力分布はここに偏っておるのだ」
「おう……それで? 話の長いジジイは嫌われるぞ」
「敵はな、あの
「――――――――!」
理由はそれだけでは無いがな。
コイツらには言えんが、上層部が浸食されている以上「五条悟単独による平定」という指示にも裏を感じざるを得ん。
「……いや、そうとは限んねえだろ。悟をココにおびき寄せて、また別の場所を襲うとか……」
「無論その通り。可能性はいくらでも考えつく。敵が戦力を隠していた可能性、予想もつかん術式や呪具を有していた可能性、他勢力との衝突の結果である可能性……考え出せばキリが無い」
「なら……」
「だがな、たった一つだけ確実な事がある」
「……何だよ」
「敵は極めて綿密かつ長期的な計画を立てて、用意周到に準備を整えた上で事を運んでいるということだ。そしてな、真希よ。そういう相手が一番嫌がる事は何か分かるか?」
「……………」
憮然とした顔で沈黙する真希を前に、ニィィと口角が釣り上がる。
「とんでも無い阿呆に、問答無用で殴られる事よ」
ククッ。時と場合さえ弁えれば、阿呆もまた戦術となる。
合理的な戦術、緻密なプラン……。そういうのを一切合切投げ捨てた、非合理による暴力。
相手の狙いも計画の詳細も分からん時は、いっそ開き直って馬鹿になるのも一計よ。
「はあ? ……ってお前、何を―――」
「あーーーー!! 手が滑ったーーー!!!!」
懐から取り出した数珠(低級呪具)を、全力で帳の向こうへ放り投げる。トプンという音と共に、俺の愛用の数珠は黒い帳の向こうへ消えていった。
「はあ!?」
「おおっと、俺の数珠(500万)がうっかり向こうに行ってしまった。これは仕方が無い。上層部には待機を命じられておったが、家宝(嘘)の数珠には変えられまいよ」
「滅茶苦茶言うわね、このジジイ……」
「ほれ、二人ともついてこい。うーむ、はよう数珠を探さんとなぁ、心配じゃなあ」
「ジジイ! お前、ちょっと待て――」
「ガハハ! 禪院家は統制された戦闘一族、先手を取って攻め続けるのが家訓よ。俺が今作った」
一般人のみを通さぬ帳をするりと抜けて、内部へ足を踏み入れる。
後ろの二人も、ぶつぶつ文句を言いながら付いてきているようだ。
「さあて、どうしてくれようか……俺としてはこのまま地下まで降りて、五条悟の横っ面に一撃入れてやっても……」
気配。
「――――――!」
「おっ、何だぁ? ジジイのくせに良い動きするじゃねえか」
ゴガァン!! という音と共に、はるか頭上から髭面の男が一人落下してきた。衝撃と共に地面が一瞬揺れ、男に踏みつぶされたアスファルトが粉々に砕け散る。
「……お前も爺だろ」
「おいおい茶髪の嬢ちゃん、男を見た目で判断すんなよ。俺はまだ61歳だ」
「十分ジジイだっつの」
頭上を見る。俺たちの遥か上空、ひと際目立つ高い建物。Sタワーだったか? もしあそこから落ちたとするならば、とんでもない身体強化だ。
「――――呪詛師か」
「YES! お前の顔は見たことあるな。禪院家の当主だろ? 不意打ちで殺れなかった事だし、俺は帰らせてもらうぜ」
そう言い捨てたかと思うと、クルリと背を向けて全力疾走しだすダルマ爺。
当然ながら、黙って逃がしてやる義理も無い。一瞬で距離を詰め、拳を振るう。
「まあ待て。折角会えたんだ、もう少し遊んでいけ」
「おおっと! 痛え痛え、年寄りにひでえことしやがる」
「さっきジジイじゃないと言っておったろうが」
肩で拳を受け、ヘラヘラと笑う呪詛師。ふむ。俺は本気で殴ったはずだが、まるで効いておらんな。そういう術式か?
「おお、怖い怖い。俺の術式を解析してんな?」
「無論。今なら楽に殺してやるが、どうする」
「まさか! 俺たち呪詛師はずっと虐げられてきた。俺は楽しく弱者を蹂躙してたのに、老後の楽しみを奪われたんだ」
余裕の態度。戦力差は明らかなはずだが、何かあるのか?
「つまらん趣味だな。ゲートボールでもしてろ」
「まあそう言うな。そんな可哀想な俺たちはどうすればいい? どうすればあの楽しみを取り戻せる? ……答えは簡単、仲間を集めるのさぁ!」
「――――っ、下がれ、二人共!」
「助けてぇ~~~~っ、改造人間くーーーーーーん!!」
呪詛師が気持ちの悪い女声でそう叫んだ瞬間。
道路に面していた全ての建物のドアと窓から、異形の怪物がガラスをブチ破って現れた。
「「「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁあああああああ!!!!!」」」
「っ、野薔薇!」
「大っ、丈夫です!!」
背後の二人が、襲い掛かって来た異形を釘と鉈でそれぞれ斬り伏せる。
改造人間。継ぎはぎの呪霊が作るという、魂を弄られた人間の成れの果てか。
強さは2~3級程度、しかしこの数と、何より大元の呪霊がいる可能性は――――――!
「じゃ、あっばよ~~~ん!!」
「ちぃいっ!」
背後を警戒したその時間が差を分けた。
俺が眼を離した隙に、呪詛師は改造人間の群れの向こうへ消えていく。
「――――ジジイ!」
「ふむ」
周囲を見渡す。改造人間どもの数は、ざっと数えて100は優に超えるな。あちこちで非術師の悲鳴が聞こえる。活性化された内の一部が他所へ流れ始めたか。
あの呪詛師が改造人間指揮権を持っていたのか? それとも兵隊の一部を譲り受けていた? 何にせよ、状況はそう悪くない。ここで改造人間の手札を切らせたと考えろ。
「まあ、悪くはないな」
口内で静かに呟く。
あの呪詛師を取り逃したのには腹が立つが、これで相手の手札が一枚割れた。そして、その大まかな狙いも。
「新田補助監督」
「は、ハイ!」
「帳を出て、他の班にも現状を伝えろ。改造人間どもが人間を襲い始めたとな」
これで良し。これで他の班にも"帳"内部へ突入する理由が出来た。
先に帳へ入っておいて正解じゃったな。遅かれ早かれ改造人間は非術師を襲い始めただろう。これ以上後手に回らずに済んだ。
「さて」
周囲の改造人間十数体をサッと捌いて、悲鳴の方へ向かいかけていた二人の眼の前に立つ。
「何にせよ、まずはこの
20:21。
禪院班、渋谷内の改造人間と戦闘突入。
20:38。渋谷駅、副都心線ホーム。
「……悪いけど、僕いま気が立ってるんだよね」
閉じ込められた非術師たちの不安げなざわめきを背後に、五条悟は駅の線路へと降り立った。
「楽に
現代最強の術師、五条悟。
彼がこの場に臨むモチベーションは、常日頃の軽薄な物とは大きく異なっていた。
禪院直哉により捕縛された九相図達は、やはり末端らしく大した情報を持っていなかった。
―――――ただ一つ、主犯格である呪詛師の人相を除いて。
「ケヒッ、どうした? 非術師を巻き込んだ事に義憤を感じたか?」
「別に? そうでもしないと勝負にすら出られない、可哀想な雑魚を哀れむだけさ」
親友、夏油傑。かつて五条悟が自ら殺した、たった一人の親友。彼の死は、六眼の観測により確定している。では、今なお暗躍している"夏油傑"は何者なのか。偽物。変身系の術式。何でも構わない。ただ一つ言えることがある。友の死を侮辱された五条悟は、今までにないほどブチ切れているという事だ。
「で、オマエらが僕の相手? ご丁寧に火、水、草で揃えてくれちゃって。ポケモンでもやる?」
そっちの火山頭と頭お花畑野郎は前にも会ったな、と殺気立った顔で呟く。
同時に、パキキ……という音と共に、頭上の吹き抜けや駅の出入り口を樹木が塞いでいく。
「別に、そんな事しなくても逃げないけど」
「ケヒッ、今に分かるとも! ――――逃げるなよ?」
火山頭の呪霊がそう嗤った瞬間、左右のホームドアが一気に開く。閉じ込められ、密集した非術師たちが、キョトンとした顔のまま線路へ落ちていく。
「
そう言って嗤う。
人が死ぬのが楽しい。人を殺すのが楽しくて仕方ない。そういう笑顔だった。誰かの幸福を吸い上げ、その分の幸せで笑っているような、怪物の笑みだった。
五条悟の周りを、大量の
呪胎九相図の兄は、この作戦の参加を拒否した。問題はない。呪胎を脱した陀艮であれば、十二分に穴埋めが出来る。そう、漏瑚は確信していた。
「ヒャァアッ!」
火。水。木。それぞれの呪霊が、軌道上にある一般人を挽き潰しながら殺到する。
非術師は疎か、一般の呪術師ですら粉微塵に粉砕されるような一撃。
そして、無下限術式を破る手段も呪霊側は持ち合わせている。
「―――――領域展延」
異音と共に、五条悟の周囲に展開されていた術式が削られていく。領域展延。自らの領域を水のように身に纏う事で相手の術式を中和する、領域展開の発展形。
無下限が削られていくことを察知した五条は、床を強く蹴ってその場を離脱する。
「ケヒッケヒッ! 逃げるなと、言ったはずだが?」
「それ。誰に習った?」
「なに?」
「……いや、もういい。聞いても分かる訳ないし」
呪霊の作戦に、特に目立った瑕疵はない。
大量の肉壁で動きを縛ったこと。展延を使い、つかず離れずのヒット&アウェイに徹した事。最強相手に曲がりなりにも渡り合えているのは、呪詛師が彼らに用意した作戦によるものである。
誤算があったとすれば、一つ。
「――――術式反転」
「は?」
五条悟に、夏油傑の情報が渡っていた事。
彼の、たった一人の親友。自ら殺した、彼の価値観を大きく変えた友。
彼の善悪の天秤は、今。
「"赫"」
「ア゛? おまエ゛、じゅじゅつしカ?」
「……お前」
駅の地下へと降りた虎杖がまず感じたのは、むせ返るような血の匂いだった。
発生源は明白。
大丈夫だよ冥さん。俺はもう、負けないから。
二手に分かれる前に口にした言葉を、虎杖は思い浮かべる。
呪霊が人を殺す事に理由はない。ただ生きているだけで人を殺し、悦びのままにいたぶる。そこに意味はない。自分がそれに憤りを覚える事すらも、今は。
怒りを呪力に変え、静かに敵を見据える。
「ツギハギ顔の呪霊が来てるだろ。どこにいる」
「ツギ……ハギ……?」
「顔に縫い目のある奴のことだ」
「!! 馬鹿にスルな! それ位知ッテる! 俺は……賢い……!」
飛蝗は複眼をギョロギョロと動かしながら、どこか得意げに言葉を続けた。
「
「マヒト……」
予期せず手に入れた怨敵の名前を、噛み締めるように呟く。噛んで含めて、それで沸き立つ怒りをようやく抑え込んだ。この呪霊が帳を降ろしたのか? そう疑問に感じながら辺りを見渡す虎杖の眼に、呪霊の背後に突き立つ釘のような物が眼に入る。
「(コイツ、帳を”守る”って言った。となるとアレ、かなり怪しいな。ブッ壊す)」
虎杖が算段を固める間、呪霊は気にも留めない様子で講釈を垂れる。
「真人のじゅじゅちゅはヨくない……知ってるカ? 形を変えラレタ人間は、
「――――――――!!」
一撃。
鬼神のごとき膂力を持つ虎杖の上段蹴りが、呪霊の顔面に炸裂した。
音を立てて壁にめり込む呪霊の無防備な腹に、距離を詰めた虎杖の拳が突きささる。
「オマエらは」
宿儺も、真人も。
「人間舐めるのも、大概にしろよ」
「グゥ……さてはオッオマエ、賢くないナ……!?」
両者の間に、ビリビリとした緊迫感が張り詰める。
呪霊が翅を伸ばし、戦闘態勢に入る。虎杖が静かに型を構え、呪力を立ち昇らせる。
まさに一触即発。二人の間で張り詰められた闘気が、今まさに弾けようとして――――。
「――――やっ、
重力。
呪霊の背後から現れた袈裟姿の男によって、二人諸共押し潰された。
20:46。明治神宮前駅 B1F。
虎杖悠仁、呪霊および呪詛師と遭遇。意識不明。