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十月の業務も滞りなく終わった。
今年の秋は日中が暑く、夜中が寒いという一日の気温差の激しい季節となったが、担当のトウカイテイオーは体調も崩すこともなく、予定通り秋の天皇賞に出走することができた。
一着こそ惜しくも逃したものの、三/四バ身で二着という充分な結果だった。当の本人はその結果を真摯に受け止めつつ、燻ぶっている悔しさを次走のジャパンカップへと繋げようとしている。改めて、彼女はレースが好きなのだな、という何とも当たり障りのない感想を抱いた。
トレーニングは二四〇〇の距離を想定したもの、その中でも彼女の武器であるコーナリングをより重点的に伸ばすためのものを組んだ。来月の頭から調整を始めるつもりだが、はっきり言って時間的には少し厳しいかもしれない。結果が現れるかどうかは、彼女の素質を信じるしかないだろう。
後は、スケジュール的にもう少し休みを入れてあげても――
「トリックオアトリート!」
――などと、トレーナーが来月の予定を改めて確認している時だった。
ふと顔を上げると、そこには赤い頭巾を被ったトウカイテイオーの姿があって。
「ああ、今年は来ないのかと思った」
「そんなワケないでしょ? 今年もたくさんお菓子もらってあげるからね!」
ふふん、なんてわざとらしく胸を張りながら、トウカイテイオーがそう答える。
「それで、今年は……赤ずきんの衣装か? 似合ってるぞ」
「ありがとっ!」
満面の笑みを浮かべながら、トウカイテイオーはその場でくるりと回って見せた。
赤い衣装と彼女の明るい性格は、言葉にした通りとてもよく似合ってると思う――と、そこまで考えたところで、自分は相当彼女に傾倒しているな、とトレーナーは自覚した。孫の出来た祖父の気持ち、というよりは、なんらかの神秘的なものに対する恍惚、の方が近いかもしれない。
今日の勝利の女神は、なんてとある曲の歌詞を、ふと思い出したところで。
「ボクの仮装を褒めてくれるのも嬉しいけど、それよりも大事なことあるんじゃない?」
「そうだったな」
トウカイテイオーに声をかけられて、トレーナーが机の引き出しに手を伸ばす。
「ほらほら~、早くお菓子くれないとイタズラしちゃうよ?」
「ちなみに、イタズラっていうのは?」
「トレーナーの顔にラクガキ!」
おそらく近場のディスカウントショップで購入したのだろう、トウカイテイオーの右手にフェイスペイント用のペンが握られていることに、トレーナーは今更になって気が付いた。
「それは困るな。今日はまだ人と会う予定がある」
「でしょでしょ? なら、観念してテイオー様にお菓子を捧げたまえ~」
「ああ、降参しよう」
かくして、トウカイテイオーの目の前に差し出されたのは。
「……ナニコレ」
小さなバスケットいっぱいに積み上げられた、小菓子の山であった。
「見ての通りだろ?」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
続けようとしたトウカイテイオーの言葉を遮るように、山の頂上からころころと飴やチョコレートが転がっていく。それらを一つずつ積み直しながら、トウカイテイオーは呆れたような溜息を吐いた。
「まさか、こんなにくれるなんて思ってなかったから」
「そうか?」
「だって去年はクッキーだけだったでしょ? てっきり、今年もそういうのかと」
「あれは手作りだったから。そこまで量は用意できなかった」
「え、あれ手作りだったの!?」
「ああ」
「もー、そういうことはちゃんと言ってよ! 普通に市販のヤツかと思って食べちゃったじゃん! 前から思ってたけどさ、トレーナーってそういうところあるよ!」
「悪いな」
普段はそれなり、というか他のトレーナーに比べて相当きちんとしている人間だというのが、トウカイテイオーの認識だった。それが照れ隠しだということは何となく分かるが、それにしたって。
「でも、美味かっただろ」
「……うん、おいしかった」
「ならよかった」
「もう! だから、そういうトコだよ!」
満足そうな笑みを浮かべる彼とは反対に、トウカイテイオーは頬を膨らませた。
「それで、こいつはいらないのか?」
「いるっ!」
「ならイタズラは無しだな」
「ちえっ」
わざとらしく口を尖らせながら、トウカイテイオーがバスケットへと手をくぐらせる。
「なんだ、そんなに俺の顔にラクガキしたかったのか」
「うん。だって自分のモノには名前を書かないといけないでしょ?」
「……誰から聞いたんだ、そんなこと」
「え? マックイーンだけど?」
「あの子は、なんというか……たまに変なことを言う時があるな」
「確かに。どっかの映画のセリフだったりするのかな」
「……かも、しれないな」
微妙に話がすれ違っている気もするが、トレーナーがそれに言及することは決してなかった。
とはいえ、年頃の女子ほど怖いものはないな、という気持ちはあるが。
「じゃあボク、他のところにお菓子もらいに行ってくるね!」
頭に沸いた杞憂を晴らすように、トウカイテイオーの声が響いてくる。
「楽しむのはいいが、ほどほどにな」
「はーい! トレーナーも、お仕事はほどほどにね!」
「ありがとう」
果たして言うことを聞いてくれるのだろうか、いやあの子なら十中八九やり過ぎるだろうな、なんてことを考えているうちに、いつの間にかトウカイテイオーの足音はずっと遠くへと消えていた。
彼女がこの場からいなくなっただけで、さっきまでの喧騒が嘘みたいに静かに思える。これを寂しいと思ってしまうのも、きっと自分が彼女に陶酔しているからかもしれない――と、そこまで考えたところで、今更だな、とトレーナーは一人で笑った。
「さて、と……」
そうして、トレーナーが改めて机の上の資料へと目を向ける。
またあの子に「そういうトコだってば!」なんて言われるだろうな、と思った。
でも、別にそのことに後悔はしていない。
「だって、テイオーのためだし、なあ」
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「お待ちなさい、テイオー」
知人のところもあらかた巡り終え、大量のお菓子を獲得した帰り道だった。
隣で歩くハロウィンの共犯者、メジロマックイーン――現在減量期間中。獲得したお菓子は期間後にちまちま消費する予定――に対し、これ見よがしにチョコレートを目の前で平らげてやろうとした、その時。
チョコレートを口に運ぼうとしたトウカイテイオーの腕を、彼女がぱしりと制した。
「何さマックイーン。おねだりされてもコレはあげないよ?」
「そこまで卑しくなった覚えはありませんわ。それよりも……」
すると彼女は、ぐい、と掴んだ腕ごと、トウカイテイオーが今まさに食べようとしていたチョコレートを、まじまじと見せつけるように顔の前に上げて。
「こちらのチョコレート、どちらで手に入れたものですか?」
「え? トレーナーからもらったヤツだけど」
「………………」
しばらく無言の間があったあと、メジロマックイーンがトウカイテイオーの腕から手を放す。
そのまま彼女は、芝居のかかったような動きで、額をぺちりと叩いてから。
「あの人もあの人で、加減を知りませんわね……」
「どういうことさ」
呆れたような言葉を投げられたトウカイテイオーが、不機嫌そうに口を尖らせる。
そうしてメジロマックイーンは、つままれた小さなチョコレートを指でさしながら。
「それ、一粒八〇〇円するブランドのチョコレートですわよ」
「……え」
「そのバスケットの中身、見せてくださいまし」
返答はない。トウカイテイオーはぽかんと口を開けたまま、固まっていた。
そんな彼女を後目に、メジロマックイーンがバスケットの中身を漁り始める。
「こちらのマカロンは四つで二〇〇〇円、こちらのカップケーキは一日三十個の限定品ですわね。ああ、確かこちらのクッキーは確か海外でしか手に入らないものだったはず。それと、こちらの別のチョコレートも一粒で……」
「ちょ、ちょっと待って! ストップ、マックイーン!」
立て続けに品物とその値段を羅列していきながら、だんだんと獲物を狙う獣のような目つきになっていくメジロマックイーンの気迫に、たまらずトウカイテイオーは声を上げた。
このままだと自分ごといかれかねない、と思っての制止ではあったが、それよりも。
「これ、そんなに高いヤツだったの……?」
「私の見立てでは、そのバスケット一つで少なくとも三万円はしますわね」
「うわっ」
驚きよりも僅差で引きの方が勝っている反応だった。
「そんな値段の張るヤツ、普通に渡してこないでよ……」
「あの人のやりそうなことですわ」
もはや呆れというより、諦めにも似た感情を込めたような声だった。
「さ、さすがのボクでもコレ貰いっぱなしは落ち着かないよ。お返しとかした方がいいかな?」
「あの人のことですから、『クリスマスに倍にして返す』なんて言い出しそうですわね」
「あー、ゼッタイ言いそう……」
そもそも何か返そうとしたところで、受け取ってくれるかどうかすら怪しい。その上で、『お返ししてくれようとしたから』という滅茶苦茶な理由をつけて、また何かトウカイテイオーに渡してくるところまでは、安易に予想がついた。
つくづくズルい人だなあ、なんてトウカイテイオーは思った。
「愛されてますわね、テイオー」
「……そうだね」
短く答えてから、トウカイテイオーがチョコレートを口へ放り込む。
味は上品すぎてよくわからない。たぶんイチゴ味なんだと思う。
ただ、それが果てしなく甘ったるいことだけは分かった。
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