起立、礼、謎解き! 四時間目「ある作家の死」   作:タカノコの木

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第1話

起立、礼、謎解き!

ある作家の死

第一章 起立

 秋といったら?

 日本でこの問いをすれば、いくつもの答えがありえるだろう。芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋……。

 けど僕は、芸術のセンスなんて皆無だし、読書だって何年前にお別れしたことか。スポーツも絶望的な音痴っぷりである。とにかく、そんな僕にとって一番の秋は食欲の秋、秋には食欲だけが旺盛になる。

 そんなことばかり考える、まるでラグビー選手のようなゴツい体格をしている僕の名前は堺町友介。九月の中旬……秋真っ盛りの今の時期が誕生日の、時任中学校職員だ。

 僕は今、時任中学校の職員室でぼーっとしながら、秋について考えていた。僕は、ここの数学教員であり、三年四組を受け持つ担任教諭でもある。

 そして、その僕の机の上には一冊の文庫本が置いてある。

「これ、おすすめだぞ」

 と言いながら、国語担当かつ教務主任の峰形先生が毎週一冊置いていく、『峰形セレクション・今週の一冊』だ。どうやら、僕は峰形先生のお気に入りらしい。

 今回は青柳碧人という作家が書いた『国語、数学、理科、誘拐』という本。

 本の話の内容は、とある塾の先生たちが一人の生徒の誘拐事件の謎に立ち向かうというもの。ゴリゴリのシリアス系かと思ったら、峰形先生曰く、バリバリのユーモア系だという。ネットであらすじを見つけて読んだが、〝身代金五千円、しかも一円玉で〟とか書いてあって、読む前から面白い。

「勉強というものがもっと楽しくなるぞ。これは教える側も読むべき作品だな」

 と峰形先生は言っていた。

 のだが、僕はどうも読書は好きになれない。本を読もうとすると、目の前が暗くなって、文庫みたいな小さな文字だとめまいまで怒って、それ以上は読み進めることはできない。どこぞの〝のび○くん〟みたいな症状が現れる。

 だから今回もいつも通り、読む気が出るのを待ち望んで、ただただ本を眺めて過ごすのだった。

 でも今日はただぼーっとしている訳ではなかった。頭の中でずっと考えていることがあった。

 それは、僕の恋人・桜崎凛との今朝の会話のことである。

 

「東滝三太夫?」

 僕は、振り向きざまにそう尋ねた。

「そう。聞いたことある?」

「うーん、僕はないな。もともと読書だってあまりしないし」

 僕は今、朝食の食器を洗っている。今日は僕の当番だからだ。そして凛は、テーブルでコーヒーを淹れてくれている、紙の束を片手にしながら。

 紙の束というのはある事件の詳細が記された捜査資料である。

 なぜ、仲睦まじいカップルの日常の中に、捜査資料という物騒なものが存在しているのか。それをわかってもらうには、僕と凛の職業・関係を説明しなければならない。

 

 僕は時任中学に勤める教師、そして、凛は県警の捜査一課に務める刑事。捜査一課といえば、殺人など凶行事件を扱うところだ。そして、中学校教師と殺人課刑事の多忙カップルの僕たちは、とある事件で知り合い、結婚を前提に同棲中(両家承認)なのだ。

 そして、この凛という女性は、大人しく小柄な小動物系に見えて、その正体は大胆かつさっぱりした性格の女性。僕はそのギャップにもハートを射抜かれてしまったのだ。

 さらに、この凛はとんでもない計画をおっ始めたのだ。その始まりは、前に起こったある事件。ピークの過ぎた女性モデルが殺された事件で、現場には意味不明なダイイングメッセージが残っていたというものだった。

 警察の手をも手こずらせたその事件を、凛は、僕が担任をつとめる三年四組の生徒たちに解かせるという計画を思いついたのだ。

 その計画について説明するには、さらにもう一つ説明しなくてはいけないことがある。三年四組の一部の生徒は、探偵のような推理力を持っているという馬鹿げた説明を。

 それを知ったのは五月、新しい学年になって少し時間が経った頃。峰形先生が僕を呼び出して話してくれた内容によると、三年四組にいる六人の生徒には、なぜか探偵のような推理力があるという。そして峰形先生も、実際にその推理を聞いて驚いたことがあるらしい。

 普通に考えたら馬鹿らしい話なのだが、僕自身もその話が本当であることを実感することになる。

 その話を聞いた数日後、僕は推理力があるという生徒の一人・森田真に、僕がかつて遭遇した事件のことを話して聞かせた。その事件もまた現場に謎の文字が残っていた難事件だった。真はその事件を、容易く解いてみせた。

 そんな具合で他にも、広末美琴と左門悠悟にも推理をしてもらった。そして、二人も見事に完璧であろう推理をしてみせた。

 そしてそのうち、美琴に推理してもらった事件というのが、女性モデル殺人事件だったのだ。

 つまり凛は、刑事という仕事と、生徒たちの推理力が本当に高いのか確かめたい僕を利用して、担当の事件を生徒たちに解かせたのだ。

 どうやらその殺人事件でその生徒の推理が的中したらしく、凛の仕事場での立場はちょっと良くなったらしい。それで味をしめて「これからも計画通りに行こう」と言われた。

 要するに、『三年四組にいる推理力の高い生徒→僕はその真偽を確かめたい→凛の仕事での難事件→その事件を生徒たちに解いてもらえば(凛曰く)凛も僕も生徒たちも一石三鳥!』なのだ。

 かなりやばいことをしているのはわかっているのだが、そこを押し切れないのが、惚れた側の難点というところ。

 とりあえず、説明ごとはここまでにして今の話に戻ろう。

 

 僕は食器洗いを終えて、テーブルの凛の目の前に座った。凛の淹れてくれたコーヒーを飲む。うん、うまい!

 凛は、捜査資料を見ながら話し続ける。

「東滝三太夫ってのは五十三歳の推理小説家。高校を卒業した後、どこかの先生のもとに師事して十年くらい書生として経験を積んだ後に、三十三の時にデビュー。デビューして二年後には『このミス』大賞も受賞……」

「『このミス』!?」

 僕は驚いた。『このミス』といえば『このミステリーがすごい!』のこと。それは宝島社が出版している雑誌シリーズの一つで、そのミステリー大賞には素晴らしい作品がいくつも飾られてきた。ミステリー界、いや雑誌界、いやいや読書界、いやいやいや一般常識としても有名な賞である。読書にあまり興味のない僕ですら知っているほどだ。

 そして、その有名な賞を受賞した作家が殺されたとあっちゃ、とんでもない大事件になるのではないか……。

「あ、『このミス』って『このミステリーがすごいらしいよ!』大賞のことね」

 なんだよ、それ! 期待(?)して損した!

「それどこの賞?」

「えっと、極小のローカル出版会社、宝探し社の企画ね」

「どこだよ!」

 宝探し社に失礼なツッコミをした僕だが、その東滝三太夫という小説家があまり売れてはいないことはわかった。有名な賞の真似をしたような微妙な賞をとる作家だし。

「それで、その東野さん……」

「違う、東滝」

「あ、そうか、その東川……」

「違う、東滝だって」

 圭吾でも篤哉でもない!、と凛にキレられて、僕も流石におふざけをやめた。

「それで、その東滝三太夫さんの作品ってどんなのがあるの?」

「捜査資料として被害者の書いた本を何冊か借りてきたのよ」

 凛は鞄の中から本を数冊取り出した。

『野良犬シャーロックの推理』『謎解きは昼メシの前に』『金田ー少女の事件簿』『マスタード・宿屋』……

「どこかで聞いたことあるような題名ばかりだな。『三毛猫ホームズ』に『金田一少年』に……」

「そういう作風の作家だったんじゃない?」

 凛も苦笑いしながらこたえる。

「ネットで調べてみても、話の内容が他の作品とかぶってるものが多いのよね。女刑事と野良犬のコンビの話とか、有名探偵のひ孫が活躍する話とか、男主人と女性秘書のコンビとか……」

「なんだい、そりゃ」

 推理作家としてプライドが傷つかないのか?

「ただ、デビュー作は完全なオリジナルだったらしいわよ」

 凛はそう言ってもう一冊取り出した。

『連なる黒闇』

「法曹界に巣食うタチの悪い悪に、正義の弁護士が仲間と共に立ち向かう、っていう長編小説なの。これがデビュー作らしいわよ」

「社会派ミステリってところなのかな」

「まあそんな感じ。ともかく、初期はそういうオリジナルなミステリーを書いてたんだけど、少しずつ本も出されるようになったら、他の作品と似ている作品を多く出すようになったの。トリックは完全に違うものだから著作権侵害にはならなかったらしいけど。

 でも……」

「でも?」

「初期と比べて、ミステリーの質というか雰囲気というか、何かが色々と変わっているらしくて、それで段々と無名になっていったらしいわ」

 なるほど。まあ、とりあえず、その東滝三太夫という作家があまり売れていそうにもないことを念頭に話を進めることにした。

「それでね、事件のことなんだけど……。

 被害者・東滝三太夫あらため、本名・東三郎は自宅の書斎で遺体で発見された。ちなみに、自宅といっても師匠だった推理作家が亡くなった時に受け継いだもので、その師匠に肉親がいなかったから丸ごと一人で受け継いだんだって。

 師匠の方は有名ではないんだけど、一部の人にはすごい人気でそれなりに稼いでいたみたい。だからその自宅ってのも結構大きいのよ。後で外観と一緒に現場の写真も見せるね。

 被害者の死因は毒物。シアン化合物系の毒らしいけど、多分シアン化カリウム、つまり青酸カリね。被害者の机の上にケーキの食べかけがあって、そのケーキの中から毒物が発見された。被害者の口元に残っていたクリームからも毒物が検出されてるから、ケーキに毒が入っていたのは確かなようね」

「ふーん」

 凛はそこでコーヒーを飲んで一息ついた。僕もコーヒーを飲む。このコーヒーには毒ではなく凛の愛が詰まっている……と言いたいところだけど、実際にはインスタントコーヒーの粉が詰まっている。

「事件があった日は被害者のデビュー二十周年記念日で、奥さんはもちろん、被害者に弟子入りしてる書生や担当編集者も集まって記念パーティーをしてたらしい。九時に始まって、しばらくはお菓子をつまみながら雑談してたみたいだけど、一時間くらい経った十時ごろに、東さんは書き上げたい小説があるからとパーティーを抜けて書斎に籠った。

 その後、パーティーの主役を失った記念パーティーの参加者たちは一度切り上げて皆好き好きに行動を開始。でも大体の人は被害者宅からは出ていなかったらしいの。被害者宅は東さんのコレクションルームとかもあるほど大きかっららしいから、外出しないでも楽しめたのね。

 ま、その後も聞き込みで色々情報は集まったのよ……」

「それで?」

 僕が尋ねると、凛は面倒くさそうに捜査資料を押し付けてきた。

「長くなるからメンドくさい。後はこれに書いてあるから読んどいて。あ、そうだそうだ」

 凛はそういって自分の鞄を漁り始めた。

 そして録音機を見つけると僕に放り投げてきた。僕がそれをキャッチすると、凛はニコッと笑って、

「よろしく」

 とだけいった。なぜ録音機なのか、というと、凛曰く『名探偵は現場で容疑者たちの発言からヒントを得るもの、だから録音機はマスト!』だからだ。

 凛は録音機を僕に投げた後、「じゃ、今日出勤だから」といってそのまま荷物を掴んで立ち上がった。

「あ、あぁ。気をつけてね」

「うん、ありがと」

 凛は放り投げてあったジャケットを羽織って簡単に身支度を整えると、部屋のドアに手をかけた。

 そして去り際に、

「事件のこと、よろしくね」

 といって部屋を出ていった。

「よろしく、って……」

 僕は苦笑いしながらも、正直凛の計画に乗り気な自分もいるので、捜査資料を読み込んでみることにした。生徒にわかりやすく説明する必要もあるし。

「うーん。なるほどね……」

 しばらく読んでいて、気になるページを見つけた。

「な、なんだこれ……」

 これまで僕が見聞きしてきた事件も、ダイイングメッセージというものが最大の謎として壁になってきた。

 そして、今回もそうなのか?

 

 僕がみているページには、ダイイングメッセージと言っていいのかわからない写真があった。

 一枚の原稿用紙いっぱいに書かれた『さらば』の文字。太く、特徴的というか歪な形をしたその文字が、一体何を示さんとしているのか。

 なるほど、今回の事件も一筋縄ではいかなそうだ……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 僕はその日の学校も無事平穏に終えると、教室の後片付け・見回りをしてから、図書室に向かった。

 ここ、時任中学校の図書室は市内の学校でも屈指の蔵書数を誇る。新書や図鑑系はもちろん、文庫本も多いし、漫画も藤子・F・不二雄先生や手塚治虫先生の作品だったらかなり揃っている。また、それだけ蔵書数もあるだけに蔵書検索機も二台あるし、それに読みたい本があったら申請すればかなりの確率で反映される。勉強スペースだってきちんと整えられている。

 だから時任中学校の図書室は生徒に大人気で放課後も勉強するために通う生徒が多い。僕も、読書はあまり好きではないのだが、漫画を読み読みデスクワークをするのにピッタリだから意外とこの図書室には通っている。その度に、司書の女性の先生にちゃんと仕事しろとどやされるのだが。

 でも、今日その図書室へ行くのはデスクワークをするわけではない。図書室にいると思われるある生徒に話があったのだ。

 話とはもちろん、あの凛が持ち帰ってきた事件のこと。

 そして、その生徒というのは……。

 僕は図書室の扉を開けた。司書の先生は図書室の裏の部屋にいるようで、カウンターには誰もいなかった。

 もっと奥に進んで本棚や勉強スペースがある方へ進むと、珍しく誰もいなかった。当たり前のように毎日いる一人の生徒をのぞいて……。

「恵美」

 僕はその生徒に声をかけた。

「あ、堺町先生」

 分厚い本を読んでいたその女子生徒がこちらを振り向く。

 森田真のとはまた違う丸っこい眼鏡を、本から目を離した際にクイっとあげて直す。その仕草がもはや美しい。

 肩ほどまで伸びた髪はふわりとパーマがかっていて、おっとりした印象の姿によく似合っている。きちんとした制服姿がよく似合う大人っぽいその印象は、まるで一昔前のお洒落なカフェーの店員のようでタイムスリップしてきたみたいだ。

 全体的にほんわかとした空気を纏っているその女子生徒こそ、三年四組にいる推理力が高いという生徒の一人、水無恵美だ。

「どうしたんですか?」

「いや、ちょっと話があってな。席、前いいか?」

「もちろん」

 僕は恵美の承諾を得て、恵美の前の席に座った。

「何を読んでるんだ?」

 僕は本の表紙を覗き込んだ。『星新一 ほしのはじまり』と書いてある。

「星新一先生の短編集です。星新一先生はショート・ショートという小説の新しいジャンルを創り上げた、すごい人なんですよ」

 そう語る恵美はとてもいい笑顔をしている。

「ちょっとブラック要素が入ったユーモアの短編。たまりません」

「そうか」

 聞いたところで読む気は起きないのだが。

 恵美は生粋の本の虫ガールである。そして、それに比例するようにその学力も高い。毎回のテストであの森田真と刃を交えるほどだ。若干体力の面では成績が芳しくないのだが。

 友人関係も意外に広い。教え方がうまいと評判で、あの広末美琴とも仲が良い。そもそも、推理力が高いという六人衆は昔からの幼馴染で仲がいいらしいから、仲がいいのは当然なのかもしれない。

 ちなみに、生徒たちの恋愛関係に詳しい先生曰く、この恵美は、実はあの左門悠吾と両片想いらしい。両片思いというのは、お互いがお互いのことを好きなのにそれに気づかないもどかしい状況を言う言葉。

(落ち着きがあって大人びた恵美に、落ち着きに欠ける元気ハツラツな左門。ピッタリといえばピッタリなのかな)

 そう思いながら、また本を読み始めた恵美を見ていると、

「お話があったんですよね」

 と読みながら聞いてきた。

「あ、そうだった」

 その後すぐに「推理が得意なのか?」と尋ねられないのは、毎度ながら一緒だった。いきなりこんなことを言われて戸惑わないわけがないはずだ。けれども、もう三人と話していると慣れたもので、前ほどは躊躇せずに済んだ。

 だから、恵美が不思議そうに僕の顔を見ているなか、すんなり口にすることができた。

「恵美って、推理することは得意なのか」

 恵美の眼鏡だけがピクっと動いた。僕は恵美の答えを待つ。

 しかし、恵美はその後ただ本を読んでいるだけだった。

「え」

 十秒…三十秒…一分…と無言の時間が続く。

 え何これ、もしかして無視されてる? いや恵美に限ってそれはない。もしかして恵美についてはあの話は嘘で、いきなりそんなこと言ってきた僕のことをおかしく思ってる? これでも、正常なんだけど……

「はい。人並み以上にはできますよ」

「あ、あ、そう……」

 僕が色々と考えている中の不意打ちの答えだった。驚きよりも安心感が勝る。恵美はまた一旦本から目を離して、眼鏡を上げ直してこちらを見た。

「誰からの情報でしょうか。きっと峰形先生だと思いますけど当たってますか?」

「あ、あぁ」

 御名答。

「やっぱり。それで、事件を解いて欲しいんですか?」

「あ、あぁ」

 恵美は、ニコッと微笑むと、

「じゃ、お聞きします」

 といって、また本に目を落としてしまった。

 僕はポカンとしていたが、恵美の笑顔に急かされるように事件の内容を話し始めた。

 ほんわかとした恵美に、シンとした誰もいない図書室。この空間ではカフェオレが飲みたい。そう思う僕であった……。

 

第二章 礼

 九月某日、十三時過ぎ、某所にて。

 私・桜崎凛と大倉警部が殺人事件の報告を受けて、被害者の東邸に着いた時、すでにパトカーたちが多数停まっていて、屋敷中を警官たちが歩き回っていた。

「おっきい家ですねえ」

「あぁ。まるで旅館だなあ」

「この家は被害者の師匠のものらしいですけど、そんなにすごい師匠だったんですかね」

 私たちは被害者・東三郎の家を見て、呆気に取られていた。

 旅館の入り口のような大きい玄関。床にはカーペットがひかれていて、両側は大きめの棚で囲まれている。これが金持ちの道楽というものなのだろうか。

「とりあえず、中へ入るか」

「はい」

 私と大倉さんは門の前に立っていた警官に敬礼して中へ入った。

 まるで家ごとアンティークショップに売っているかのようなお洒落な内装で、目のやり場に困ってしまう。あちこちに、小物雑貨や高そうな置物が置いてあって、この内装だけでもかなりのお金がかかっていそうだ。

「すごいですね」

「ほんとだな。こりゃ、一日二日くらいこの家の中だけでも時間を潰せそうだ」

 私と大倉さんは家中を回ってみたい衝動に駆られたが、我慢して、遺体発見現場だという書斎に向かった。

 書斎とその周辺には刑事や鑑識が一番多かったのですぐにわかった。書斎の前の廊下にたどり着いた時、書斎だと思われる一室から担架が運び出された。被害者の遺体をお運びしているのだ。

「すまん、少し止まってくれ」

「はい」

 担架を運んでいた鑑識に少し止まるよう頼んで、私たちは黙って手を合わせた。

 五秒ほど黙祷して、大倉さんは「ありがとう」と言った。鑑識たちはご遺体を運んで行く。私たちはご遺体を見送ると、書斎に入った。

 割とこじんまりとした書斎で、ドアを開けて真っ直ぐ目の前に長く大きめの窓があった。そして、その窓の手前にはこれまた大きめの机があった。そして、それを囲むように、両端に本棚が壁一面に広がっていた。

 私と同期の若手刑事・原田俊くんが私たちを迎えた。

「ご苦労様」

「ご苦労様っす」

 原田くんはメモを見ながら話し始めた。

「早速ですけど、事件のことを。

 被害者の死因は毒殺。これについてはこの後、検死官さんから説明してもらいます。

 被害者の死亡推定時刻は十時から十二時までの間。第一発見者はこの家のお手伝いさんと書生一人。この二人には他の容疑者の人たちと一緒に別室に待機してもらってるので、聞き取りは頼みます。

 発見時の状況についてですが、発見時は十二時ちょうど。今日は、被害者のデビュー二十周年記念パーティーだったそうで、何人か人が集まっていたようなのですが、被害者は十時ごろ、執筆のためにこの書斎に籠り、それからは各自別行動。

 十二時ちょっと前になってお昼ご飯の用意ができたので被害者を呼びにきたお手伝いさんと書生一人が、被害者の遺体を発見したということらしいっすね」

「なるほどね」

 私は手帳にメモした。

「それじゃ、次、検死官の人から」

 原田くんと入れ替わりに私たちの前に進み出たのは、若い検死官だった。以前のモデル殺害事件の時には新人丸出しの緊張ぶりだったが、今日はすっかり慣れたように報告を始めた。

「今の検死の時点でわかることを説明します。

 被害者の死因は毒死。被害者の死亡時の身体の状況から見て、シアン化合物系の毒物だと思われます」

「身体の状況って何ですか?」

 私は思わず質問した。

「毒物の種類によって死体の状況って変わるんですか?」

 大倉さんもうんうんと頷きながら検死官の顔を見つめる。検死官は突然質問されたことに驚きながらもきちんと答えてくれた。

「シアン化合物を摂取すると、体中において、伝達系の電子が壊されてしまうんです。そのせいで、血液中に含まれる酸素が行き届かないまま身体中に残るため、肌の血色は逆に良くなるんです。だから、シアン化カリウムによって亡くなった人の爪先はうっすらとピンクがかっているとよく言われます」

「なるほど」

 また一つ刑事知識が増えた私は嬉しくなった。

「じゃ、次、鑑識のトメさんから」

「おう」

 原田くんの呼びかけに、鑑識の大ベテラン、梅田豊太郎先輩が答える。

「まだ写真撮ってる途中だから、この部屋は遺体発見の時そのままに残ってるんだが……。この机の上を見てくれないか」

 私と大倉さんは、トメさんが指差す机の上を見た。

 綺麗に整えられた机。たくさんの鉛筆や筆、万年筆がペン立てに綺麗に仕舞われて机の奥に置かれている。万年筆一本、筆ペン一本は机の上に放り投げ出されたままになっていて、毒が入っていたというケーキの食べかけも皿に乗った状態で置きっぱなしになっていた。

 それだけだったら、なんの変哲もない〝毒入りケーキを食べて死んだ推理作家の机上の状態〟だったのだが、明らかにそれには余計なものが置いてあったのだ。

「何なんだよ、これ……」

「もう、こういうのはたくさんです……」

「このヤマの、メインディッシュだな」

 弱音を吐く私たちを励ますようにトメさんが苦笑いしながら言う。

 机の真ん中に一枚置いてある原稿用紙。見たところ、二十マスかける四十マスの一般的な原稿用紙だ。推理作家の机の上にあっても何ら不思議はないのだが。

 その原稿用紙一面に書かれた、太くていびつな『さらば』の文字だけが異様な雰囲気を醸し出していたのだ。

「『さらば』か」

「『さらば』ですね」

「『さらば』だな」

 私たち三人は、何かしらの意味は持っているであろう〝それ〟を見ながら、各々つぶやいた。

 実は、先日の事件でも、理解不能だが何かしらの意味は持っているであろうメッセージのようなものが現場に残されていた。『アイマイ』と読めてしまうそれだったのだが、実際にそれが事件解決の糸口となった。

 だから、今回の事件の〝これ〟も似た意味を持つのだろうが……

「わからない」

 私はポツンと呟いた。

「『さらば』ってのは『この世にさようなら』という意味だろうか」

「だとしたら、自分が死ぬことをわかっていたということになるな」

 大倉さんとトメさんがそう話し合っている。

「自殺っすかね」

 原田くんも話に入ってきた。

「自殺か……。確かにその線もありだな」

 大倉さんは納得したように唸る。そこへ、

「すみません」

 と検死官が声をかけてきた。

「どうした?」

 大倉さんが「好きに話していい」と検死官を促した。

「みなさん、自殺とお考えのようですけど、ちょっと僕はそう思えなくて」

「どうして?」

「さっきも言ったように、多分今回の毒は青酸カリだと思うんです。青酸カリってよく漫画とかアニメでは、ちょっとだけ舐めてもすぐに即死してしまう、みたいに描かれるんですけど、あれは実際にはちょっと違って。

 実際に口から摂取して死に至るためには、かなり量が必要なんです。成人男性では200g〜300gだと言われています」

「そんなにか!」

「はい。今回もおそらく、それだけの青酸カリがケーキのクリームとかスポンジとかにふんだんにかけられていたと思うんです。粉砂糖と混ぜられてたとすればその苦さも誤魔化せるでしょうし、量的にも全然不自然ではありません。

 僕が気になっているのは、青酸カリを飲んだ後のことです。青酸カリを飲んで死に至る時はとてもひどい苦痛を味わうと言われています。しかも一瞬ではなく、長い時間の苦痛を。

 青酸カリは推理小説内でもよく使われる定番の毒ですが、だからこそ推理小説家の被害者はおそらくそのことは知っていたと思うんです。もし被害者が自ら命を断つつもりだったとして……その時の被害者の心情はわかりませんが……苦痛を伴うとわかっている毒を使おうとするでしょうか」

「確かに」

 検視官ならではとも言える毒物の知識を交えた彼の推理に、私たちは納得した。

「僕だったら、青酸カリではなく、眠ったまま死に至れる睡眠薬や、飲むとすぐに死に至る即効性の毒薬なんかを使うと思います」

 僕だったらですけど、と検視官は照れて締めると「失礼します」と小さく会釈して部屋を出ていった。

「あいつの言うとおりだ。本当は俺も、このヤマが自殺案件だとはどうも思えねえんだ。もちろん、あいつがいったこともその理由だが」

 残った部屋でトメさんが話し出した。

「実はな、このガイシャ、書道の世界でもそれなりに有名だったんだぜ」

「トメさん、書道なんてやってたんですか」

「あぁ、老いぼれのちっとした趣味だよ」

 そこそこうまいって仲間内じゃ評判なんだぜ、と大倉さんの問いかけにトメさんが自慢げに答える。

「俺は書道教室にも行ってるんだが、そこでガイシャの名前を聞いたことがある。その字も拝見したことがあるが、確かに上手かった。もちろん世の評判を集めるほどのものではないがな。

 ともかく、そんな奴が、自ら命を絶つ直前に一世一代の字を書くときに、こんな下手くそな字を書くと思うか? 味方によれば達筆だけど、以前俺が見たガイシャの字はこんな字じゃなくて規則正しい楷書体だったぜ」

「なるほどね」

 検視官に続くトメさんの推理に、私も大倉さんも納得せざるを得なかった。

 どうやら、自殺と断定するには、まだ早いようだ……。

 

 次に、私と大倉さんは、この事件の容疑者たちが待たされているというロビーに向かった。容疑者というのは、被害者のデビュー二十周年記念パーティーに参加した人々のことだ。話によれば人数は五人。奥さんに担当編集者、書生が二人とお手伝いさんが一人。

 ロビーはこれまた広い造りだった。

「カーッ、こんな部屋で酒飲んでみてえよなー」

 キッチンはIHコンロ式の最新かつ便利なもので、ダイニングテーブルもシンプルながら高級だと想像できるものだった。そして、その上に並べられた料理も手の込んだものがほとんどでとても美味しそうだ。

「食べちゃダメかしら……」

 伸ばしかけた私の手を大倉さんが制した。

「我慢するぞ。それより、ほら。容疑者の皆さんだ」

 大倉さんが目を向けた方向には五人の男女が並んでいたのだが……

「背デカァッ!」

 私は思わず声をあげてしまい、焦って口元を手で隠した。並んだ男女の中に飛び抜けた背の高い男性がいたのだ。私の身長は150か160ぐらいだ。それと比べて彼は190はあるだろう。もしかしたら200以上あるかもしれない。

 彼は、私が驚いたことに気づくと気まずそうに苦笑いした。私も慌てて会釈した。

「今回の事件を担当することになった大倉です」

 気づけば、いつの間にか大倉さんが自己紹介してしまっていた。私も急いで警察手帳を取り出し、

「同じく桜崎です」

 と挨拶した。

「まずは皆さんの……」

「事件って、主人は殺されたんですか!?」

 皆さんのお名前をお聞きしたい、という大倉さんのお願いは、甲高い女性の声でかき消された。

 四十代くらいの少々化粧の濃い女性。顔を隠して俯いていたようで髪も少しだけ乱れているが、おそらく涙は出ていない。

「主人、ということは奥様ですね」

「はい……」

 大倉さんが聞くと、女性は今度は弱々しく返事をした。隣にいる、その女性と同じくらいの背丈の男性に肩を支えられている。

「お名前をお伺いしてもよろしいですか」

「東弓美です。旧姓は、松原です」

 私は手帳にメモを取る。大倉さんは続けて聞いた。

「それでは、皆さんのお名前をお願いします」

 初めに答えたのは弓美さんの肩を支えていた男性だった。人柄の良さそうな顔をしている。

「東滝先生のデビューから担当としてついていた、月刊宝探し社の香月克朗です」

 あまり聞かない雑誌ですね、と言いそうになったのを私は堪える。

 次は、あの背の高い男性だった。背の高さに似合わない童顔の持ち主である。

「僕は先生の書生としてここに住み込みさせていただいている、海原大和です」

 次は、その隣の中肉中背の男性。普通くらいの身長なのだが、海原さんの隣に立っていると、チビ……おっと失礼、若干低く見える。

「自分も大和に同じく、住み込みさせてもらっていた書生の坂口研二です。大和とは同級生でもあります」

 最後は、坂口さんの隣に立っていたおとなしそうな女性。エプロンをつけている。

「三池真紀です。お手伝いとして、私も住み込みさせてもらっていました」

 全員が名前を言い終わると、大倉さんは「ありがとうございました」と礼をいった。

「話をまとめると……奥様の弓美さん・書生の海原さんと坂口さん・お手伝いの三池さんの四人が、この東滝さんのお宅に住んでいたということですね。そして今日、記念パーティーのために編集者の香月さんがいらっしゃった、と」

 みんなが頷く。すると香月さんが、

「実は僕も二日前から泊まらせてもらっていたんですよ。

 元から先生は締め切りギリギリまで書く方だったので、よく泊まらせてもらっていました。月の三分の一くらいはこの家にいたくらいです」

 自分まだ独身なので、と香月さんが付け足した。

「部屋はたくさん余っているので。それに、香月さんは私たちの未熟な作品も読んでくれて助かってました」と研二さん。

「なるほど。じゃあ香月さんも今日はずっとこの家にいたということですね。

 それでは、今日の皆さんの行動についてお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか」

 容疑者の方たちがお互いの顔を見合わせる。

「じゃあ、僕が」

 と香月さんが代表して話し始めた。

「今日はご存知の通り、みんなで先生のデビュー二十周年記念パーティを開いていたんです。参加したのは今ここにいるメンバーです。他にも来てくれる予定だった人は数人いたのですが、全員来れなくなってしまったので。

 九時にパーティー開始だったので、九時までは各自が別々に行動していました。プレゼントを買いに外に出たり、それぞれの部屋にいたり。先生も書斎にこもって小説を書いていました。実は今月末に締切を迎える作品があるんですけど、先生はまだできていないと言ってらしたので。

 それで、先生以外のメンバーが八時半にこのリビングに集まりました。料理の準備のためです。奥様と真紀くんが料理を作って、僕たちが食器や卓上の準備をしました。

 九時の三分前くらいに先生が二階の書斎から降りてきて、パーティーが始まりました。各々がプレゼントを渡して、奥さんたちの手作りスイーツなど軽食をつまみはじめました。それから一時間くらい、先生が書いてきた作品の話とかしていたんですけど、一時間経った十時くらいに、先生が一旦書斎に戻ると言ったんです。お昼の十二時までは声をかけるな、とも。

 さっきも言った締切を迎える作品がいいところまで進んだそうで、それを書き終えてしまいたかったんだと思います。

 それをきっかけに十時くらいからはまた各々行動してました。この家を歩き回って見る人もいれば、ちょっと外出していた人もいたと思います。

 それで、十一時くらいから徐々にこのリビングにみんなが集まり始めて、十一時四十分くらいには全員集まりました。

 そこから昼食の準備をみんなでして、十二時になったんです。そして、坂口くんと真紀くんが二人で先生を呼びに行ったのですが、すぐに二人の悲鳴が聞こえてきて……」

「駆けつけたらあの状態だったというわけですね」

「はい、そうです」

 少々メモをとるのに手こずったが、簡単にまとめると、被害者を最後に見てから二時間後に死体を発見するまで、各自で行動していたということだ。

「お一人ずつお話を伺わなくてはいけないですね」

 私が大倉さんに耳打ちすると大倉さんも「そうだな」と頷いた。

「それでは、皆さんお一人ずつお話をお聞きしたいので……、奥様、この家のどこか一室をお借りできないでしょうか」

「それなら、すぐそこの応接室をお使いください。真紀ちゃん、ご案内を」

「ありがとうございます」

 真紀さんがやってきて「こちらです」と案内してくれた。応接室は玄関のそばにあった。

 

 応接室は他の部屋と比べると小さめの部屋だったが、それにしても、もちろん並のものとは違って綺麗な作りだった。三人くらいは座れそうなソファが、木製の高そうなテーブルを間にして置かれている。

 そして、一方のソファ(多分お客さんが座る方)から見えるように、もう一方のソファの後ろにはガラス張りの二段棚があって、その上段には一組だけ賞状と小さなトロフィーがあった。

「これって……『このミス!』!?」

「え、マジで!?」

 私が驚くと、大倉さんも一緒になって驚いた。

「マジで、あの『このミステリがすごい!』なのか!?」

「違いますよ、よく見てみてください」

 真紀さんが冷静に言った。

「『このミステリがすごいらしいよ!』大賞です」

「なんだよそれ!」

 私たちがよく見ると、確かにそうだった。

「なんですか、『このミステリがすごいらしいよ!』って」

「宝探し社のミステリ大賞です」

「どこだよ、それ」

 大倉さんと私が声を合わせて宝探し社に失礼なツッコミをしたが、真紀さんは、

「香月さんが勤めていらっしゃるところですよ」

 とリビングの方を見ながらいった。

 私たちは思わず口を手で押さえて苦笑いした。

「まあ、私も聞いたことなかったので、仕方ないとは思いますけど」

 と彼女がフォローしてくれたのが嬉しい。

「東先生のお師匠様はもっと賞状やトロフィーを持っていたのですが、それらは全て物置に仕舞われています」

 こんなふうに一組だけ置いておくんだったら、他のトロフィーたちも並べた方が見栄えがいいのでは……? 被害者の変なプライドに苦笑いしながら私が応接間を見渡していると、その戸棚の上に、花束がいくつも並んでいるのを見つけた。

「この花束は?」

「あ、それは、今日の記念日のために私たちが用意した先生への花束です」

 私たちは花束を見た。

 色とりどりの花が集められた豪華な花束や、花の数が少なくて小さいけど小洒落た花束。いろんな花束が四つある中で、一つだけ変わったものがあった。

「これは、菊ですか?」

 いろんな色の菊が詰め合わされている小じんまりとした花束。綺麗な花束の数々の中で、明らかに異質なものだった。

「これは、一体、誰が」

「それは多分、香月さんからのものです」

 菊の花束を見た真紀さんが答えた。

「どうして菊なんかを」

「さあ、わかりません。ただ、香月さんも花に詳しいので、何か理由があるんじゃないんですかね」

「香月さんも花に詳しい、とはどういうことですか」

 大倉さんが尋ねる。

「東先生も花がお好きだったんですよ。お師匠様も花を嗜んでいたお方で、そのつながりで東先生も花を好むようになったんです。この家の中にも花を育てるための部屋や設備があるほどですよ。

 香月さんが先生の編集者になったのも、花という共通の趣味があっったからですし、こうして何か機会があるたびにみんなで花束をお送りしているのもそれが理由です」

 真紀さんが淡々と答える。私は手帳にメモをとりながら、

「このままお話お聞きしたらどうですか」

 と大倉さんに耳打ちした。

「そうだな」

 と大倉さんはつぶやくと、真紀さんにソファに座るよう促した。

「このまま、お話を伺ってもいいですか」

 真紀さんはリビングに戻るつもりでいたようで少し面食らったようだが、素直に座った。

「はい、構いません」

「それじゃあ、事件当時のことを。あなたは十時以降、何をしていましたか」

「私は……」

 真紀さんの顔が少し恥ずかしそうに歪んんだ。

「ここだけの話にしてくださいね」

 真紀さんは身を乗り出して小声で言う。私たちは頷いた。

「私、研二くんとお付き合いしているんです」

「ほお、坂口さんと」

「はい。でも、東先生は私のことを気に入っていくれていたようで、私と書生の研二くんが付き合っているなんて知れたら、東先生が何をなさるか想像もつかない。だから黙っているんです。

 私たちの関係を知っているのは、研二くんの同級生で同じ書生の大和くん、先生に話さない方がいいってアドバイスしてくれた香月さんだけです。奥様はまだ知りません」

「なるほど、十時以降、あなたは坂口さんと一緒にいたと言うことですね」

「はい。十時になって東先生が書斎に戻られた後、私はテーブルの上の軽食などを簡単に片付けて、ちょっと身支度を整えてから研二くんと一緒に家を出ました。十二時の三十分前くらいには戻らなくては行けなかったのでそんな遠出はできませんでしたけど、ほんの少しの間だけのデートをしていました。

 最近新しく出来たって評判のパンケーキカフェまで行っていました。ここから歩いても往復で二十分かからないくらいの距離だったので」

「それは証明することができますか」

「えぇもちろん。レシートだってありますし、店の入り口に防犯カメラがあったのも覚えてます」

「そうですか」

「その後は香月さんがさっき話していた通りです。

 私たちは十一時三十分のちょっと前にはこの家に戻って、私と奥様は料理の準備、研二くんたちはテーブルの準備や飾り付けをしていました。そして、十二時の五分前くらいに奥様に先生を呼ぶように言われたので、私と研二くんで書斎に向かって、それで……」

 真紀さんの顔が曇った。被害者の死体を見つけるところまで話して、光景がフラッシュバックしてしまったのだろう。

「ありがとうございました」

 大倉さんは優しく言った。

「それでは、質問を二、三したいのですがよろしいですか」

「はい」

「これもここだけの話にしますので、正直にお答えください。あなたは被害者のことをどう思っていましたか」

 真紀さんは少し考えるような顔になった。

「私は、普通の小説家さんだなと思ってました。私がこの家に勤めることになったのもただのお手伝い派遣センターの指示ですし、もともとそこまで東先生の小説にも興味はなかったので」

「なるほど」

「ただ、ちょっとセクハラらしい発言が多いなと思ってました。奥様がいらっしゃるのにお酒のお供を頼まれたこともありますし。研二くんと付き合っていることを言えないのもそれが理由です」

 大倉さんが興味深そうにしている中、私は懸命にメモをとる。

「それでは次の質問。どうして、あなたは一人ではなく、坂口さんも一緒になって被害者を呼びいったのでしょうか」

 真紀さんはまた一段と声を低くして、

「それは……、奥様にも常々言われていたからです。東先生と会う時はできる限り一人を避けろ、と。奥様に確認して見てください。

 自分でも、東先生が少なからず性的な目で私のことを見ていたのは気づいていたので。奥様もそれを心配して、そう言ったことを言ってくれていたんだと思います……」

 

「はい、そうです。確かに、真紀ちゃんには常日頃から、旦那に会う時は一人になるなと言っていました。だって、旦那に下心があるのは丸見えでしたから」

 真紀さんと入れ替わりに大倉さんが呼んだのは、奥さんの弓美さんだった。

 大倉さんが弓美さんに、真紀さんが言っていたことは本当かどうか尋ねると、弓美さんは即答したのだ。

「こちらは真紀ちゃんの身を預かっている身です。もし、真紀ちゃんと旦那の間に万が一のことがあったら、他に顔向けできませんからね」

「なるほど」

 よく考えた上での判断だったということだ。私は納得した。

「それでは、二、三個質問します」

「どうぞ」

 弓美さんは、さっきまで泣いていた(ふりをしていた)様子など微塵も感じられない、堂々とした態度だった。

 大倉さんもそれを感じているのか、ちょっと訝しげな顔をしつつ、

「被害者が書斎にこもった後の十時以降、何をしていましたか」

 と尋ねた。

「私はずっとこの家にいました。十時から三十分くらいはリビングの軽食を片付けていました。いつも真紀ちゃんには手伝ってもらっていたので、こういう時くらいは休んでもらおうと思って一人で片付けていましたよ。

 その後はガーデニングに夢中になっていました。観葉植物がたくさん置いてある部屋にこもってましたよ」

「旦那さんもお花が好きだったようですね」

「えぇ。それで私も花の世話の手伝いをしていたんです。まあ、旦那より私の方がやっていた気がしますけどね」

 まあ花は嫌いじゃないのでいいですけど、と弓美さんは棚の上の花束を見やりながら呟いた。

「それで、十二時までずっとそうしていたと言うことですか」

「えぇ。一度いじり始めると細かいところまで気になって、長くなってしまいました。一応、十一時二十分くらいには切り上げてリビングに戻って、お昼ご飯の準備をしていました。真紀ちゃんと研二くんも手伝ってもらいましたよ。

 そしてその後、香月さん、大和くんが順にリビングへ戻ってきてしばらくしてから、十二時の五分前になったのを見て、真紀ちゃんと研二くんに旦那を呼びに行くように頼みました。

 その後すぐです。旦那の死体を見つけた真紀ちゃんたちの悲鳴が聞こえたのは」

 弓美さんは淡々と語り終えると、ふぅと一息ついた。

「なるほど」

 大倉さんは続けて尋ねた。

「ここだけの話にしますので、正直にお答え願います。あなたは、被害者のことをどう思っていましたか」

「わかりきったことでしょ」

 弓美さんは即答だった。みんなが見ていないからなのか、さっきまで涙を流す(ふりをしていた)とは思えない顔つきだった。

「もう、あの人との間に恋愛感情なんてないですよ。なんなら、あの人は最近出かけることが多くなって、それを大和くんにつけてもらったらキャバクラに入って行ったそうです。お金を何万もつぎ込んで……。もう、呆れるばかりです。

 ただ……」

「ただ?」

 淡々と話していた弓美さんの言葉が一瞬詰まった。

「最近、女の影とはまた違う雰囲気を感じるんです」

「それは一体」

「さあ……。ただ、コソコソと何かをしていたようなのですが、それがなんなのかはわからずじまいでした」

 弓美さんの聴取が終わった。

 

 次は研二さんだった。

「それでは、まず十時以降のあなたの行動について……」

「真紀ちゃんから聞いてるでしょ、僕と彼女のこと。真紀ちゃんと同じで、僕もパンケーキ屋さんに行ってましたよ。それで十一時半少し前に戻って、リビングの飾り付けをしていました。

 そして、十二時に真紀ちゃんと一緒に先生の死体を見つけたんです」

 研二さんは怯える様子もなくスラスラと述べた。

 その様子が少し怖く見えて、

「死体を直接見てしまって、大丈夫でしたか」

 と私は尋ねた。

「気にしないでください。僕もちょっとした推理小説書いてるんですけど、僕が書いてるものが、サイコ連続殺人犯が出てくるシリアス系なので、死体の描写を書くことが多いんです。しかも、かなり過激なものを。

 だから、参考にするために元からネットとかでいろんな死体を見たりしていたので、なんというか、その、死体に対する免疫がついていたというか……」

 私と大倉さんはそう嬉々と語る研二さんを前に、ちょっと引いてしまった。もしかして、そっち系……?

「あ、でも、真紀ちゃんは僕のそういうところを知った上で付き合ってくれていたので、関係は良好ですよ」

 そう研二さんはのろけて笑ったが、正直言うと私はあんなことをスラスラいう研二さんに心を開ける気がしない。

 大倉さんもそんなことを思っているのか、苦笑いしながら、

「それでは、質問を続けます」

「はい、どうぞ」

「ここだけの話にしますので、正直にお答えください。あなたは被害者のことをどう思っていましたか」

「先生のことですか。小説家としては尊敬していましたけど、人間としてはあまり尊敬できる性格じゃありませんでしたね」

 一応小説家としては尊敬していたのか、私は思った。

「だって、真紀ちゃんのこともいやらしい目で見てますし、大和に聞いたんすけど、キャバクラ通いだってしているらしいじゃないですか。奥さんに失礼です。

 でも、小説家としては、他の作品のテーマをさりげなくパクってるとことか、まあ、尊敬できるかなって」

 研二さんの言い方だと東さんのことを褒めているように見えて、少し毒を含んでいるように聞こえる。

「そうですか」

 大倉さんもそんな彼にタジタジしながら聴取を続ける。

「そういえば、あなたは被害者の机の上を見ましたか?」

「えぇ見ましたよ。あの馬鹿でかい『さらば』の文字も。あれなんなんです?」

「目下捜査中です。そして、そのことについてですが、あなたはあの原稿用紙が何のために机の上に出ていたかわかりますか?」

「もちろん」

 研二さんは即答した。

「あれ、先生がいつも小説が書き終わった時、小説の束を閉じるために一番上に持ってくる題名ですね。先生っていつも、まず小説を書いて、その最後に小説の顔とも言える題名を決める人だったので、題名を一番最後に書くんです。

 その題名の原稿用紙が机の上に出てたってことは、多分、小説一本書き終わってますね。机の引き出しの中に小説の束があると思いますよ」

「ヘ〜、なるほど」

「もういいですか? アリバイのことを調べてもらえば、僕と真紀ちゃんは犯人じゃないってわかると思うんで」

「そ、そうですね」

 大倉さんも、研二さんのあっさりした性格に苦笑いしたまま、研二さんの聴取が終わった。

 

「僕は、自分の部屋で次の小説のトリックを練っていました」

 私たちが次に呼んだのは大和さんだった。大倉さんが他の人たちと同じように、十時以降何をしていたかを聞いたらそう答えたのだ。

「それを証明してくれる人はいますか」

「いや、いないと思います。健二と同じ部屋なんですけど、その時研二は外に出ていて一人だったので。

 それで、十一時四十五分ごろにリビングに戻りました。戻った時にはもうみんなが戻っていたので、慌ててお昼の準備を手伝いましたよ」

 大和さんはその高い身長の体と裏腹に、童顔の顔をおどおどさせながら答えた。

 私はそんな大和さんの緊張をほぐしてあげようと、

「大和さんの書いていた推理小説ってどんなものだったんですか」

 と聞いた。

「僕が書いていたのは、研二とは違ってユーモア系のミステリーです。密室とかアリバイとかダイイングメッセージとか。それも、他の作品のテーマをちょっとだけ拝借して……公表するわけじゃないので大丈夫ですよね。それに、ちゃんとトリックとかは完全に自作なので」

 聞いてもらえて嬉しかったのか、大和さんは顔を輝かせて答えた。大倉さんは大和さんの緊張がほぐれた様子を見て安心して質問を始めた。

「ここだけの話にしますので、正直にお答えください。あなたは被害者のことをどう思っていましたか」

 大和さんの顔がまた一瞬こわばったが、その緊張もさっきほどではない様子で、話し始めてくれた。

「正直にいうと、書生をそろそろやめようと思っていたんです。やめて、地元に帰って、物書きは趣味にしつつちゃんと働こうかな、と。小説家としてすらあまり売れていない上に奥さんがいるのに女遊びをする先生に、どうしても不信感を覚えてしまって。

 僕と違って、研二は本気で物書きとして生きていくつもりらしいので、少しくらいはそんな先生の性格にも目を瞑るって言ってました。

 それに……」

 そこで大和さんの言葉が詰まった。

「それに?」

「いや、なんでもないです。ただ、ともかく後一ヶ月で書生を辞めるつもりだったということだけです、はい」

 何度か「それに……」の後のことを聞こうとしたが、大和さんはそれ以上は口をつぐんでしまった。

 

 最後に呼んだのは香月さんだった。

「十時以降、あなたは何をしていましたか」

 早速大倉さんが質問した。

「私は、泊まっていた部屋で編集の仕事をしていました。東先生のデビュー二十周年を記念して、雑誌の方でも記念ページを作ることになりまして。それで、担当の私がそのページを書くことになったんです。パソコンでそれを執筆してました」

「それを証明できる人は」

「いませんね。一人部屋ですし、いつもは他の社員と電話でやりとりしてるんですけど、今日は一人作業で済んでしまいましたから」

 香月さんは落ち着き払って答えた。

「なるほどね」

 香月さんみたいに落ち着いている人の方がかえって聞き取りしやすいのか、大倉さんも楽そうな顔をしている。

「それでは次の質問です。ここだけの話にしますので、正直にお答えください。被害者のこと、どう思っていましたか」

「先生のことですか。ただの小説家と編集者の関係ですよ。ちょっと気難しい方でしたがね。

 例えば、弟子にあたる研二くんたちは部屋に入れるのに、編集者の私のことはあまり部屋に入れなかったり。実際のところ私はここ二日間くらい、先生の部屋には入っていません。真紀くんたちの悲鳴が聞こえてきて、先生の死体を見つけるまでは」

「そうでしたか」

「まあ、編集者と小説家の間ではよくある関係ですよ。性格とか考え方がお互いに相いれないのは。私たちの場合は趣味の花のことでもそうでした。

 それでもうまくやっていたつもりですよ、それなりに」

 香月さんはあくまで落ち着いたままで話した。しかし、不意に

「ただ、気になるのが……大和くんです」

 と少し顔色を変えた。

「大和さんが?」

「えぇ。東先生の作風がガラリと変わったんですよ。デビュー作とか昔の作品は、法曹界とかをテーマにした社会派のものが多かったんですけど、最近は他の作品を真似したようなものが多くなったんです」

「それの何が大和さんと関係があるんですか」

「大和くんの作風ですよ。大和くんの考えるトリックは確かに面白いし奇想天外でいいんだけど、その文章力や構成力がまだ足りないんです。だから他の作品のテーマなどを借りていますし」

 確かに、それは大和さん自身も言っていた。

「先生の作品も、最近他の作品のテーマを借りたものが増えていたんです」

「それって、つまり……」

 私たちは香月さんの言わんとすることがなんとなくわかった。

「えぇ、先生と大和くんの作品がそっくりなんですよ。トリックもほぼ同じですし、登場人物像だってそっくり。もちろん文章力としては先生の方が上ですが。

 大和くんたちに聞いたところ、書生として自分の作品を先生に添削してもらっていたことが多いらしいので、多分その時に……」

「パクっていた可能性が高いと」

「はい、証拠はありませんが」

 私たちの間に、大和さんへの一抹の疑いを残して、香月さんの聴取は終わった。

 

「ありがとうございました」

 大倉さんがそう礼を言って、香月さんが立ち上がった時、私はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「すみません、お聞きしたいことがあって」

「なんですか」

 私は、棚の上にある菊の花束をとった。

「これって、どうして菊なんですか?」

「私もそれは気になっていました」

 私の質問に大倉さんも便乗する。

 香月さんは私から菊の花束を手に取ると、

「やっぱり、菊ってちょっとあまり良いイメージ湧かないですよね」

 と苦笑いで前置きしてから話し始めた。

「でも、意外と菊の花って明るいイメージの花言葉を持つものもあるんですよ。例えば、このピンクの菊だったら『甘い夢』だったり、この白い菊だったら『誠実・真実』だったり、赤い菊だったら『あなたを愛する』だったり」

 香月さんのいう通り、その花束の中にはピンクや白や赤の菊が含まれている。

「菊って結構、素敵な花なんですよ。食べられる菊なんてのもありますし」

 香月さんは菊の花束を私に返した。その間際、

「それに、九月ですから」

 と言ったのが聞こえた。九月……?

「そうでしたか。香月さんも花にお詳しいんでしたね」

「えぇ、編集社に入る前は花屋で働いていたんですよ」

「なるほど、それなら詳しいわけだ。他に、花に詳しい人はいらっしゃるんですか」

「僕と、先生と、奥さんくらいですかね。あと真紀くんが少し詳しかったような。研二くんと大和くんはどちらもさっぱりですね」

「そうでしたか」

 私は少し気になったが、大倉さんたちは気にも止めず、話を終わりに持っていったしまったので聞けなかった。

「おや、お怪我されているんですか」

 大倉さんが香月さんに問いかけた。私も見てみると、香月さんの膝のところにうっすらと血が滲んでいる。

「あ、これですか。恥ずかしながら昨日転んでしまって、それでカサブタができかけていたんですけど。多分、今朝あたり剥がれてしまったんでしょうかね」

「なるほど。お大事に」

 香月さんは部屋を出ていった。

 

「やれやれ」

「お疲れ様です」

 私たち以外誰もいなくなった応接室で、私たちは一息ついた。

「結局、何もわからなかったな」

「えぇ」

 私は手帳を大倉さんに見せながら、さっきの聴取を振り返っていた。しかし大したことは分からなかった。

「とりあえず原田くんに、真紀さんと研二さんのアリバイを調べてもらうように頼んでおきました。だから、そろそろ連絡が……」

 そう言ったところでちょうど私のスマホが鳴った。

「原田くんからですね。真紀さんたちのアリバイが確認できたみたいです。

 お店にあった防犯カメラに、確かに二人の姿が映っていたようです。ずっと楽しそうに話していたらしいので、二人のアリバイは確かですね」

「ということは、容疑者は三人に絞られたと言うわけか」

「えぇ。弓美さんと、大和さんと、香月さん、ですね」

 何一つ解決の糸口は見つからなかった。全く事件のことがわからない。

 まあ、きっとこんな事件でも、友介のクラスの生徒たちだったら解いてくれるんだろうな。私は、ポケットの中の録音機を叩いて、ほくそ笑んだ。

「よし、現場百回だ。もう一度、現場の書斎に行くぞ」

「はい」

 私は、部屋を出ていった大倉さんのあとを追った。

 

 現場の中は、まだ事件当時のままで、捜査員たちが二、三人出入りしていた。

 捜査員に挨拶しながら私たちは部屋に入る。部屋の中では、トメさんが若い捜査員と話していた。

「お邪魔します」

「おう、ちょうどよかった」

「何かあったんですか」

「あぁ、ちょっと来てくれ」

 トメさんが机のそばで手手招きする。

 若い捜査員が机のそばに脚立を立てる。トメさんはそれに乗って、机の目の前の大きな窓の上の隙間の部分(長押というらしい)の一番端を指差す。

「ここだけな、誰かが漁ったみたいなんだ」

「漁った?」

「この長押の部分はホコリでいっぱいなんだが、ここらへんだけホコリが落ちてる。

 こいつが、気づいてくれたんだ」

 トメさんが若い捜査員の頭をポンポンと叩くと、捜査員は嬉しそうに頭を掻いた。こういう時に自分だけの手柄にしないのが、トメさんが慕われる理由なのだ。

「誰かが漁ったからホコリが落ちた、ってことですか」

「そういうことだな」

「誰が漁ったかはわかりますか」

「無理だな。隙間が小さいし、何より汚い。指紋やDNAなんて消えちまってるだろうよ」

「そうですか」

 大倉さんが肩を落とし、トメさんは脚立から降りる。

 私は一連の新事実をメモすると、机の上に目を落とした。

 まだ事件当時のままで残っている。もちろん、あの原稿用紙も。

「一体、なんの意味があるのかしらね……」

 考え込みながら、ふと椅子に手を乗せた時、

〝ガタッ〟

「え、ちょっ」

 椅子が滑って、危うく盛大にすっ転んでしまうところだった。床に倒れてしまった私は椅子を見回す。

「何よこれ、壊れてるじゃない」

 私が文句を言いながら椅子の足の方を見ると、車つきの椅子だったのだが、その車を止めるためのブレーキバーが折れていたのだ。これではこの椅子を止めることはできない。ずっと滑りっぱなしのままということだ。

「危ないじゃない!」

 私は自分のバランス感覚のなさを棚に上げて椅子に八つ当たりをしてから、体を起こした。

 ちょうど目の前に机があった。すると、目についたものがあった。それは、机の上のペン立てに、クリップで止められていた。

「これは……栞?」

 台紙で作られた紙を挿めるような作りになっている型紙に、栞が数枚挿まれているのだ。十二個あるスペースのうち、四つ栞が挿まっている。

「綺麗……」

 私は思わずその栞を見てつぶやいた。

 その栞の表面は推し花で装飾されていたのだ。上のリボンや台紙の色などとの相性がとてもいい。

「この花は桜かしら。こっちは、梅ね」

 私は四つの栞の押し花を見ていく。梅、桜、藤、萩。

 右から、二番目に梅、三番目に桜、四番目に藤、七番目に萩、の押し花の栞が挿まっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 綺麗だな、と名残惜しく思いつつその栞と台紙を机の上に戻すと、ちょうど部屋に捜査員たちが入ってきた。

「写真など撮り終えたので、部屋の中のものを遺留品として運び出してもよろしいでしょうか」

「おう、良いぞ」

 捜査員たちの問いにトメさんが答える。トメさんと大倉さんは相変わらず、漁られた形跡がある長押のところを気にしていた。

 私が遺留品を運ぼうとしている捜査員たちを手伝っていると、弓美さんがやってきた。

「みなさん、簡単にお茶とお菓子を用意したので、ぜひ一息ついてください」

 そう声をかけてくる。

「ありがとうございます、でもお気になさらずに」

 その声を聞き取った大倉さんが部屋の奥の方から答える。

「そうですか」

 と弓美さんが戻ろうとした時、

「あら」

 と私の手元を見ていった。

「え」

 私が手元を見ると、持っていた机の上の遺留品の中に、あの台紙に挿まれた栞があった。

「その栞、主人のものね」

「そうだったんですか」

「えぇ。あの人、花が好きだったでしょ。それで、自分でその栞を手作りして使っていたんですの。四つしか残っていないってことは、多分他の八つは本に挿みっぱなしなんだわ」

「へぇ〜」

 私がチラッと部屋の中の本棚を見てみると、何冊か、本から栞のリボンが飛び出しているものがある。

 弓美さんの方に目を戻すと、弓美さんは不思議そうに栞を見つめていた。

「どうかしましたか」

「いや、ずれてるな、って思って……」

「ずれてる?」

 何か気になったような顔で栞を見つめる弓美さんの表情が気になって、私は聞いてみた。

「いや、そんなに気になさらないで」

「教えてください」

「大したことじゃないの」

「ぜひ教えてください」

「……ずれてるのよ。栞をしまう場所が」

 私がしつこく尋ねると、弓美さんはそう答えた。

「栞が、定位置からずれてしまわれてるのよ。左に一つにずれてるのもあれば、右にずれてるのもある、二つもズレてるのもあるし……。昨日見た時は、ズレていなかったのに。

 とにかく、私は事件には関わりないから」

 弓美さんは、今ひとつピンとこない答えをしたままで、去って行ってしまった。

「なんなのよ、一体……」

 私は弓美さんの、ことなかれな対応にちょっとイラッとしながらも、遺留品の片付けを続けた。

 ふと、弓美さんが廊下を曲がる所を見る。

「あら、弓美さんも……」

 弓美さんの手のひらにに大きめの絆創膏がしてあった。うっすらと血が滲んでいる気がする。何かで切ってしまったんだろうか。

 

 遺留品の片付けが終わった頃には、大倉さんとトメさんの話も終わっていた。結局、長押の部分を漁った犯人も漁った理由もわからなかったようだ。

「事件に関係あるのかもわからなかった」

 大倉さんはそうため息をついた。

 若い捜査員は、トメさんが脚立から降りるのを確認すると、それをたたんで部屋の外に持ち出そうとした。

 てっきり私は、脚立はこの家から借りたもので、どこかに戻すだけかと思っていたら、捜査員はその脚立をそのまま持ち帰ろうとした。

「ちょっと待って」

 私は思わず止めた。

「この脚立、返さなくていいんですか」

「この脚立、僕達のですよ」

 捜査員は笑って答えた。僕達の、と言うことはこれは鑑識のものだと言うことだ。

「この家の脚立じゃないの?」

「えぇ。この家には脚立がないらしいんですよ」

「え!」

 こんな大きな家だ。脚立の一つくらいあってもいいと思うんだが。

「僕も驚きましたよ。だけど、ないらしいです。

 なんか、奥さんの弓美さんが高所恐怖症らしくて、脚立くらいの高さでもダメなんだそうで。そういうわけで弓美さんは高い所の作業はできないし、高いところでの作業が必要な時も、ほら大和さんってめちゃくちゃ背が高いじゃないですか。高い作業は大体、大和さんが脚立なしでも軽々こなしちゃうから、それでこの家には脚立がないらしいです」

「へえ〜、なるほど」

 脚立がない理由がわかった。捜査員はそのまま脚立を持っていく。まあ、脚立がない理由なんで、この事件には関係ないだろうけど。

「仕方ない。とりあえず今日は撤収するか」

 大倉さんがそう声を上げる。

「そうですね」

 私は答えながら思った。

 私たちでは到底解けそうもないこの事件を、友介がいう六人組はどう解き明かしてくれるのだろうか……。

 

 

 僕は、凛から預かった録音機を切った。時任中の図書室に再び沈黙が戻る。

 凛と同じく、僕も何もわからなかったのはいうまでもない。

 意味不明な『さらば』の文字、机の上に残った四枚の栞、脚立のない家、香月さんと弓美さんの怪我……。何一つ、共通点も繋がりもわからない。

 恵美はどうだろうかと気になって恵美の方を見ると、さっきからずっと本を読んでいる。

 僕が身振り手振りつけながら懸命に話している中で、ずっと読んでいたのか? てかそもそも聞いていたのか?

 恵美の読書への集中力に呆れながら、ため息をついた。

 さっきから読んでいた星新一の『ほしのはじまり』はどこまで読んだのだろうか。ずっと読み続けているようだから、相当進んでいるだろう。

 やっぱり、恵美の持っている本はもう半分くらいまで進んでいる。僕は、呆れながら恵美の持っている本の背表紙を見た。

 ほら見ろ、さっきからずっと読んでるよ、この『ぼくらの七日間戦争』……

 

 って、えぇぇぇ!! 読んでる本変わってるーーーっ!?

 

第三章 謎解き

「お、おい、恵美」

 僕は、黙って読書したままの恵美に問いかけた。

「ん、なんですか」

「なんですかって、何してんだ」

「何してるって、読書ですよ」

「違う違う、だって読んでる本変わってるよね」

「えぇ変えました。さっきの本は読み終わったので」

 まさか、この十五分くらいであの分厚さの本を読み終えた上に、新しい本をもう半分近く読んでいるの?!

「いつ本変えたの?」

「さっき、先生が熱弁してる時ですよ」

 ってことは僕、目の前の生徒が本を読み終えて新しい本に変えたのにすら気づかないほど熱弁してたの? 恥っず!!

 衝撃に僕が口をパクパクさせている時でも、恵美は本を読み続けている。僕はそんな恵美に恐る恐る尋ねた。

「僕の話は、聞いてくれてたの?」

「もちろん」

 恵美は一度本から目を離し眼鏡をかけ直すと、本を閉じた。

「ちなみに、それはどう言う本なんだ?」

「え、先生!、『ぼくらの七日間戦争』って知らないんですか」

「聞いたことはあるかな……」

 宮沢りえ主演の映画で、と言おうとしたが古すぎると思って言うのはやめた。

「主人公たちが、大人の横暴や悪い奴らと戦いながら成長していく、宗田理さんの名作シリーズですよ。生徒たちが作品の流れと一緒に年をとっていく設定も、主人公たちに協力するキャラたちも、みんな魅力的なんですよね」

 面白そうだな……読むとは言わないけど。

「もう何冊も出てるんです。一応全巻読んでるんですけど、久しぶりに原点の第一作目を読んでたんですよ」

「へー」

 恵美らしい読書の動機だけど……、

「それで、僕の話は聞いてたの?」

「だから聞いてたって言ってるじゃないですか」

 恵美は手元の栞を挟んで本を閉じた。

「わかりましたよ。先に、事件のこと、話しちゃいましょうか」

 また眼鏡をクイッと上げる恵美。図書室が、教室に変わる……。

 

「まず、この事件の犯人を名指ししてしまいましょうか」

「あ、初めに犯人言っちゃうの」

 初めてのパターンだ。これまでは、証拠などをあげていって、じわじわと犯人に近づいていくパターンだったけど、初めに犯人の名をあげてしまうパターンもアリかもしれない。

「わかった、犯人教えてくれ」

「犯人は、一人だけ古かった人……」

 

 ん? 一人だけ古かった?

 

「香月さんです」

「えぇ、香月さんなの!」

 香月さんという単語は聞き取れたが、その前の〝一人だけ古かった人〟と言う意味がわからず、頭の中はごちゃごちゃだった。

「先生の話とその捜査資料、あとその録音の内容を聞けば、香月さんが犯人だと思います」

「なるほど……ってまだちっとも納得してねえや。

 それより〝一人だけ古かった〟ってどう言う意味なんだ」

「まあまあ」

 恵美はさっと立つと、図書室のカウンターの方からホワイトボードを引っ張ってきた。

「それはおいおい説明することにして、まずは、あの『さらば』の文字の原稿用紙の謎を解決してしまいましょう」

「わかったよ」

 僕は椅子に腰を下ろして、恵美の話を聞くことにした。

「この原稿用紙の謎を解くためのヒントは三つです」

「三つのヒント?」

「漁られた長押、脚立のない家、香月さんと弓美さんの怪我、です」

「うん……何もわかんない」

 一見、いや、何度考えても関連のなさそうな三つの物事だ。

 恵美は何もわからず間抜けな顔をしている僕を見て、ふふと笑うと話し出した。

「まずは、漁られた長押です。どうして長押は漁られたのでしょうか」

 恵美はいきなり質問してきた。

「え、どうしてって……どうしてだろう」

 僕は図書室の窓の長押の部分を見つめた。あんなに高いところにあって、隙間が狭くて、その上汚そうなところを、わざわざ漁る理由……

「もしかして、何かを取ろうとしたんじゃないか?」

 恵美が頷くのを見て、僕はその考えが当たっているのを察した。

「なるほど。長押の部分なんて滅多に見られるものではないからな。人に見られたくないものを隠そうとするなら、長押はピッタリだな。

 そして、犯人の香月さんも、長押に何かを隠していた。そして、それを取ろうとして漁ったってことか……。

 でも、いったい、何を隠していたんだ?」

「それは、私も分かりませんでした。まあ、多少は想像つきますが」

「それは何?」

「あの狭い長押の部分に隠せるものなんて決まっています。おそらく、USBかメモリーカードかと。

 私の想像ですが、香月さんと被害者は何か隠し事をしていたと思います。その記録とか証拠がそのUSBかメモリーカードに入っていたんでしょう。

 ほら、弓美さんが言っていたじゃないですか。被害者が何かコソコソしていた気がするって。多分そのことがこの事件の動機にもつながっていく気がします。

 まあ、それは今は関係ありませんね」

「あっそう」

 ともかく、恵美の言う通りなら、香月さんは長押の部分に何かを隠していて、それを取ろうとしたと言うことだ。

「さらに必要になるヒントが、被害者宅に脚立がないことです」

「脚立がないこと? 確かに、広い部屋に脚立の一つや二つあってもいいようなものだけど。

 でも、弓美さんが高所恐怖症だったんだから、脚立がなくたって仕方がないんじゃないのか」

「えぇその通りです。脚立がなくたって不自然ではありません。私が論点にしたいのは、脚立なしで長押を漁る方法です」

「脚立なしで、長押を漁る?」

 恵美は「ちょっと失礼」といって机を押し始めた。

 しかし、図書室の机は恵美には重すぎたようで、僕も机を押すのを手伝った。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 恵美はそのまま机を図書室の窓のところにつけた。そして、数歩下がるとデッサンを描く下準備のように机と窓を眺めると、うんと頷いた。

「多分、今の状態の机と窓の大きさは、ちょうど現場のものと同じくらいですね」

 僕は捜査資料にある現場の写真を、目の前の図書室の机と窓と比べた。捜査資料の写真の中で机の周りにいる操作員たちを物差しがわりに比べてみると、目の前の机と窓で現場の状況が再現されている。

「確かに」

「じゃあ、先生やってみてください」

 恵美は突拍子もなくそういった。その手には消毒液とティッシュも握られている。

「やってみろって、まさか……」

「えぇ。あの長押の部分を漁ってみてください。脚立なしで」

 消毒はできますよ、とばかりに手元の消毒液とティッシュを見せつけてくる恵美。

「マジであそこ触らないといけないのか? だって汚い……」

「もちろんです。犯人の香月さんがどのようにして長押を漁ったのか知るためです」

「いや、恵美が言葉で説明してくれてもいいん…」

「私はここで、私の推理に沿って答え合わせしてますから」

 早くお願いします、と言わんばかりに恵美は長押の部分を指差した。

「これは、実践してくださる方が納得してもらえると思うんです」

 そこまで言われてしまって仕方なく僕は長押に触る術を考え始めた。

「香月さんは先生より少し身長が低めだと思うので、それを忘れずに踏まえて考えてください」

 恵美にそう言われて僕は窓に写る自分の姿を見た。目の前の僕は、180㎝は軽く超えるごつい体をしている。

 おっと、危うく自分もそれなりのガタイの良さだったのを忘れて、ただ背伸びして楽々と長押に手を伸ばすところだった。

「わかったよ」

 僕は少しだけ膝を曲げて、自分よりも身長が低い香月さんの目線に似せてみた。

 さて、どうするべきか。僕は、机と窓を前に考え込む。

「椅子があるじゃないか」

 僕が思いついて椅子に手を伸ばすと、「ダメです」と恵美が言った。

「お忘れですか? 椅子はその時、車の部分が壊れていたんです。椅子に乗って長押に触ることは不可能です」

 僕はハッとして椅子から手を離した。

「確かに、壊れた椅子に全体重を預けるのは危険だな」

「別な方法を考えてください」

 僕はまた考え始めた。

 手を伸ばした時、長押と伸ばした手の距離はおよそ30㎝くらい。これくらいの距離だったら脚立さえあれば届くのだが……現場となった東邸には脚立がなかったのだ。

 僕が考えている様子を、恵美が黙って見つめている。

「残った手は……」

 その方法を思いついた時、僕は思わず、司書の先生が見ていないかを確かめてしまった。よし、いない、今なら大丈夫だ。

 なぜなら、僕が考えついた方法というのが、あまりにも行儀の悪く、見られたら確実に怒られてしまうようなものだったからだ。

「よいしょっと」

 僕は机に手をつくと、一思いに体を机の上に乗せた。机の上に正座している状態になったわけだ。

 僕はそのまま体を起こして、手を伸ばして、膝立ちの状態で手を長押に……

「それです!」

 恵美が声を上げた。

「わぁっ!」

 僕は思わずバランスを崩して倒れてしまうところだった。

「それが、私の推理です」

 バランスをなんとか持ち直して、膝立ちのままの僕に恵美は告げた。

「机の上で、まるでミーアキャットのように膝立ちして手を伸ばす。

 それが、長押に手が届かなかった香月さんが、身長との距離を詰めるためにとった手段だったのです」

「なるほど……」

 僕は変わらずそのままの姿でつぶやいた。だけど……

「でも、なんで香月さんだったと言い切れるんだ? この方法だったら、同じく身長の足りない、弓美さんだってできるだろう」

 僕がそう聞き返すと、恵美は少し呆れたように、

「お忘れですか? 東邸に脚立がない理由」

 と言った。僕は、そこで思い出した。

「そうだった。弓美さんは高所恐怖症だったんだ」

「そうです。脚立を受け付けないほどの高所恐怖症、そんな弓美さんが、なんの支えもない状態で今の先生みたいなことをできるわけがありません」

 僕は納得した。

 恐怖症は人によって程度の差がある。しかしそんな中でも、生まれつき恐怖症を持つ人はわずかなものでも恐怖を抱いてしまうと聞いたことがある。そんな人たちを真性患者と呼ぶらしい。

 おそらく、脚立の高さでもダメな弓美さんがまさにそれなのだろう。なら、脚立よりも高い机の上で、しかも膝立ちなんてできるわけがない。

「もう降りていい?」

「えぇ。ありがとうございました」

 僕は慎重に机の上から降りて、恵美の持っていた消毒液たちで手を綺麗にした。

「香月さんがやったことはわかった。

 だけど、それがなぜ、あの『さらば』の原稿用紙の謎を解くのに関係するんだ?」

 僕はそう質問した。

 恵美は、

「そこで必要になる三つ目のヒントが、香月さんの怪我です」

 と言った。香月さんの怪我?

「香月さんは膝に怪我をしていて、うっすらと血が滲んでいました。そんな状態でさっきのようなことをしたらどうなるか、想像できますよね」

 僕は膝に手を当てて、さっきの姿と重ね合わせてみた。そして気づいた。

「机に、血がついてしまう」

「そうです」

 そこまで行って、ようやく僕にも『さらば』の原稿用紙の真相が見えてきた気がした。

「もしかして、血がついたのが、題名が書いてあった原稿用紙だったのか」

 恵美が頷く。

「それで、慌ててその血を紛らわすために、上からその血の跡が消えるように『さらば』と書いた」

 恵美がまた頷く。

「血の上をなぞって書く必要があったから、あんなに太くていびつな文字になってしまった」

 恵美はまたまた頷いてから、また話し始めた。

「原稿用紙に血がついてしまったら、普通なら持ち去るだけでも十分です。

 けれどこの場合、被害者は死ぬ前に小説を書き終えていたようだし、被害者の習慣として一番最後に題名を書いていました。

 それは書生の二人も知ること。だから、もし題名の書かれた原稿用紙が見つからなかったら怪しまれてしまいます。

 小説ごと持ち去るのも不自然。だって、その時点でみんな、そろそろ新しい原稿が描き上がりそうだということを知っていたんですから、その小説がなくなってしまったらもっと不自然です。

 だからやむを得ず、文字を上書きして血の跡を消すしかなかったんです」

「なるほど……」

 僕は天井を仰いで、恵美の推理に感嘆した。だけど……

「でもちょっと待て。

 それだけじゃ、まだ香月さんが犯人だとはわからないじゃないか。だって大和さんがいるだろう。

 大和さんだったら背が高いんだから、机の上に乗らなくても容易く長押を漁ることができる。だとしたら、『さらば』の原稿用紙も別な意味があることになる」

 恵美は黙って聞いていた。

「それに、さっき言ってた〝一人だけ古かった人〟の意味だってわからないままだ」

 恵美は、さっき持ち出してきたホワイトボードの前に立つと、何か書き始めた。

「それが、香月さんを犯人と裏付ける一番の証拠なんです。何回も言っている通り、香月さんはただ一人だけ古かったんです」

「だから、何がだ?」

 恵美は僕の質問に答えず、ホワイトボードに何かを書き始めた。

「何書いてるんだ?」

 僕が覗き込むと恵美は、長方形を十二個に区切ったものを二つ書いていた。

「何これ」

 恵美はそれを書き終えると振り向いた。

「被害者の机の上にあったあるものを再現してみましょう」

「え、こんなのあったか?」

 僕は、恵美の言葉を聞いて、捜査資料や凛の録音機の内容を思い出した。そしてあるものを思い出した。

「栞だ」

 恵美は嬉しそうに頷いた。

「そうです。押し花で飾られた、花の栞です。

 先生は、現場の台紙に残っていた栞の花がなんだったか、覚えていますか」

 僕はまた凛の話を思い返す。

「確か……梅、桜、藤、萩だったな」

「それでは、その花たちがどうやってしまわれていたかも覚えていますか」

 どうやってしまわれていたか?

「確か……右から二番目に梅、三番目に桜、四番目に藤、七番目に萩、だったか?」

 恵美は頷くと、ホワイトボードの十二個の区切りの中に僕が言った通りに花の名前を書き入れた。

「こんな感じでしまわれていたと思います」

「そうだろうけど、それになんの意味があるんだ?」

 僕はもう一度聞いた。

「この栞の配置を見て、弓美さんが何て言ったか覚えていますか?」

 僕もそこまでは覚えていなくて、録音機を持ち出して弓美さんとの会話のところを流した。

 

『栞が、定位置からずれてしまわれてるのよ。左に一つにずれてるのもあれば、右にずれてるのもある、二つもズレてるのもあるし……。昨日見た時は、ズレていなかったのに』

 

「定位置?」

 僕は改めて聞いてみて、弓美さんの言葉が気になった。

「定位置があったってことは、誰かが栞をしまい直して、その時に間違ったってことなのか?」

 恵美は頷いた。

「おそらく、香月さんはさっきのように机の上に乗った時、血をつけてしまっただけでなく、栞を落としてバラバラにしてしまったんだと思います。そして、しまい直すときに、元のままとは違うしまい方をしてしまったんです」

 恵美は一息つくと、

「香月さんのしまい方は古かったんですよ」

 と意味ありげに微笑んで言った。

「古かった、ってどういうこと?」

「先生は、この四つの花に何か関係があると思いますか?」

「梅と桜と藤と萩にか?」

 僕は考え込んだ。

 暗号のようなものだろうか。梅と桜は木偏だけど、藤と萩は草かんむり……だけど多分違うな。

 花の見た目に関係があるのだろうか……だめだ、梅と萩の花がどんなものだったか思い出せない。

 色々考えてみたが全くわからなかった。

「降参だ」

 と僕が恵美に言うと、恵美はにっこり微笑むと言った。

「花暦だったんです」

「はなごよみ?」

 僕は恵美の言ったことがわからず、聞き返してしまった。

「花暦です。月ごとに綺麗な花を咲かせる十二種類の花を定めたものです。古くから残る、いわば花の開花時期を示すカレンダーみたいなものです」

 恵美は座っていた椅子のところから本を取り出してきた。花に関する本のようだ。

「花暦を採用し始めたのは中国が始まりで清の時代まで遡ります。『秘伝花鏡』と言う書物では、開花時期や天候に合わせた農作業の取り組み時期が指示されていたそうですよ。

 花暦は本来、季節を予知して農作業の指導をするための指標でしたが、今では単に、きれいに咲く花を楽しむための教科書のようなものになっています」

 本を見返すこともなくペラペラと話す恵美。そんなに説明されても半分くらいしか頭には入ってこない。

「さっき簡単に読んでみて私も初めて知りました。興味深いです」

 恵美は嬉しそうに言った。

 じゃあ、この本もさっき僕が話している間に読んでいたってこと……? もう、恵美の読書好きとあまりの速読ぶりには呆れてものも言えない。

「とにかく、花暦というものがこの事件に関わっているってことだな」

 僕は、止めなければ延々と続きそうな恵美の説明を一旦終わらせた。

「まあ、そういうことです」

 止められてちょっとイラッとした様子のまま、恵美は話を続けた。

「ともかくその花暦には、梅と桜と藤と萩が含まれていたんです」

「被害者は花暦の花の栞を揃えていたということだな。そしてそれを十二個、月の順番通りに並べていたんだ。そうだな?」

「えぇ」

「それを香月さんは落としてバラバラにしてしまって、その時に間違ったしまい方をした……。ん? ちょっと待て」

 僕はそう話していて、どうしても気になった。

「香月さんは花に詳しいはずじゃないか。そんな香月さんがしまい方を間違えるなんてあり得るのか? 香月さんは、花に詳しいのに、花暦は知らなかったのか?」

「いいえ」

 恵美は即答した。

「香月さんはちゃんと花暦を知っていました。そして、その通りにしまいなおしたんです」

「何を言ってるんだよ。しまい方を間違ってるじゃないか。花暦を知っていたのなら、間違わずにしまえるだろう」

「いいえ、香月さんは花暦の通りにしまったんです」

 恵美が何を言っているかわからない。僕が頭を抱えそうになるほど戸惑っているのをみながら、恵美は話を続けた。

「ただ、花暦が古かっただけなんです」

「花暦が……」

 古かった?

 恵美は説明し続けながら、ホワイトボードの十二個の区切りに花の名前を書込み始めた。

「実は花暦は、江戸時代のものと現代のもので違うんです。この二つでは、花の順番どころか花の種類まで大きく違うんです」

 しばらくして、恵美は二つの花暦を書き上げた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「江戸時代の花暦は、花札でも有名ですね」

「なるほど。それにしても、昔と今じゃだいぶ違うな。花の種類すら違うのか」

「えぇ、面白いですよね」

 僕はポカンとしたまま、恵美の書いた花暦を眺めた。

 そして、一つ気づいたことがあった。

「あれ、江戸のものと現代のもの、どちらにも含まれている花も何種類かあるじゃないか。

 えっと、これは……梅と桜と藤と萩!」

 僕が驚くと、恵美もうんうん頷いた。

「その通りです。今回、栞が残っていた四つの花は、江戸と現代の花暦、どちらにも含まれているんです」

 僕は、これまでの花に関する話と、残っていた栞とそれらが入っていた場所、それを全て思い出して、ようやく恵美の推理に近づいてきた。

「なるほど……。香月さんは古かったんだな」

 恵美は微笑んだ。

 

「現場に残っていた栞がしまわれていた場所は江戸の花暦の通りだ。右から順に一月から埋めていくとすると、二月のところに梅、三月のところに桜、四月のところに藤、七月のところに萩が入っていたからな。

 だけどそれが間違っていたということは、本当の栞は、現代の花暦に沿ってしまわれてたんだ。

 香月さんは、花暦を江戸のもので考えていたから、偶然使われずに残っていた梅と桜と藤と萩の栞を見て、江戸の花暦通りに並んでいたと勘違いしてその通りにしまってしまった。

 けれど本当は、同じ花も含まれる現代の花暦通りに並べられていたものだったから、

弓美さんにズレていたと気づかれてしまったんだな」

 思いついたことを話すと、だんだん僕の頭の中でも全てがつながってきた。

 明るい顔をした僕を嬉しそうにみながら恵美は説明を続ける。

「その通りです。まさに、香月さんは古かったんです。だって、あの事件現場でたった一人だけ、江戸時代の花暦を考えてしまっていたんですから」

 恵美の言った〝一人だけ古かった香月さん〟の意味がわかって、僕は感嘆のあまりため息が漏れた。恵美は説明を続ける。

「私がこのことに気づいた時、まず大和さんは消去法で犯人ではないとわかりました。大和さんは花には興味がないんですから、そんな彼が花暦なんて知っているわけがありません。

 研二さんは花に興味なし、真紀さんは花に少し詳しいらしいですけど、研二さんと真紀さんはアリバイがあるので犯人ではありません。

 弓美さんは花に詳しいそうですが、現場に残っていた栞を見て『ズレている』と言いました。ということは、現場に残った栞が、現代の花暦から江戸の花暦の並びに変わっているのに気づかなかったということ。おそらく被害者と同じで、花暦を現代のもので考えていたのでしょう。

 そして残ったのが香月さんだったんです。

 香月さんは被害者への記念プレゼントに菊の花束を選びました。事件があったのは、九月です」

 どういうことかわかりますよね、と言いたげに恵美は僕の顔を覗き込んだ。ここまで説明されれば、僕にもその理由はわかる。

「あぁ。江戸の花暦上では、九月の花は〝菊〟だからな」

 恵美はにっこり微笑んだ。

「その通りです。

 つまり、現場に残された栞は、香月さんが事件の日に現場の部屋に入ったことと、栞をしまい直したことを暗示しているのです。

 香月さんは事情聴取の時に、事件の日は現場に入っていないと言いました。つまり、それは嘘なんです」

「あぁ」

「ここからは完全に私の想像です。

 香月さんは毒を仕込んだケーキを被害者に運んで食べさせた。そして、もう一度部屋に入り、被害者が死亡しているのを確認した。

 そこで、長押に隠していた何かを取ろうとして机の上に乗った。その時に、栞を落としてしまい、机の上の原稿用紙には膝の怪我の血をつけてしまった。

 香月さんは血を誤魔化すために、その上から文字を書いて『さらば』の原稿用紙を作り、栞は江戸の花暦の通りに並べた。

 そして何食わぬ顔で、みんなの元に戻った。

 こんなところでしょうか」

「多分そうだろうな」

 僕は呆気に取られたままで、恵美の推理を聞いていた。

「証拠もあると思いますよ」

「証拠?」

 推理に最も重要なもの……犯人を特定するための極め付けの証拠。僕はついついそれを忘れていた。

「証拠って……?」

「『さらば』の原稿用紙です。もし私の推理通りなら残っているはずですよ。

 インクの下に、香月さんの血痕が」

 

「確かに、そうだな」

 推理を終えた恵美は、椅子のところに行って本を手にとった。その本を元あった場所に戻しながら恵美は言う。

「その知り合いの刑事さんに頼んでみてください。今の技術なら、インクの下に残った血痕も簡単に調べられると思いますよ」

「あぁ」

 僕は立ち尽くしたまま、ホワイトボードの花暦の表を眺めていた。

 本を全部戻し終えた恵美は、僕の顔を覗き込んできた。

「片付け、全部お願いしていいですか?」

 優しい微笑みでそう尋ねる恵美に、僕は頷くことしかできなかった。

「それでは、私はこれで」

 図書室を出ようとする恵美。その手には、さっき読んでいた『ぼくらの七日間戦争』をはじめとした厚い本が数冊抱えられている。

 恵美は図書委員だ。だから自分でさっさと貸し出し手続きを終えると、一瞬だけこちらを振り向いた。

「お先に失礼します」

 丁寧に頭を下げると、恵美は図書室を出て行った。

 

 しばらく花暦の表と睨めっこしていた僕だったが、ハッと気づくと、図書室に一人残されていた。

「え、恵美っ」

 図書室を出ようとすると、机にぶつかってしまった。そうだった、さっき机を動かしたんだった。

 そう思い出した時、

「ちょっと、堺町先生!」

 女性の金切り声が聞こえた。見ると、目をつり上げた司書の先生がカウンターに戻ってきていた。

「こんなに机動かして、何してるんですか!」

「いや、これはちょっと……」

 生徒に殺人事件の謎を解かせてその推理の実験をしていた……なんて言えるわけがない。

「は!や!く! 片付けてくださいね!」

 司書の先生にどやされて、僕は机を片付け始める。

「何これ! このホワイトボードもきれいにしてくださいね!」

 あちゃぁ、ホワイトボードもきれいにしないと。

「全く、境町先生は図書室をなんだと思っているのかしら。

 漫画を読みながら仕事するし、何度飲食禁止って言っても飴を舐め始めるし……」

 司書の先生の小言が始まってしまった。(9対1くらいの確率で僕に非があるのだが)

「ブツブツブツブツ」

 僕が机を戻し終えて、ホワイトボードの字を消し始めてもなお、司書の先生の小言は続く。

 

 あの探偵が愛する本たちが見守る中で、僕は、三十分近く司書の先生のお説教を受けたのだった……。

 

四時間目 終了

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