起立、礼、謎解き! 五時間目「カレーなる密室殺人」   作:タカノコの木

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第1話

起立、礼、謎解き!

カレーなる密室殺人

第一章 起立

「なるほどね〜。そういうことだったの」

「その子の推理によればね」

 ここはマンションの一室。そして、僕は堺町友介。

 僕は、I県の某都市にある時任中学校で教師をしている。受験と卒業を控える三年四組を受け持ち、そして三年生の数学担当も務めている。もちろん、マンションにいるのは仕事をサボっているからではなく、久しぶりの休日を消耗しているのだ。

 そして、今「なるほどね〜」と呟きながら、キッチンで料理を作っているのは僕の同棲中の恋人・桜崎凛だ。彼女も中学教師の僕のように忙しい仕事に就いている。それは刑事だ。I県警の捜査一課、まさに花形の刑事なのだ。

 ちなみにここはマンション。実は数日前まではアパートを借りて暮らしていたのだが、引っ越しをしたのだ。元々狭かったのと、家具や台所などをもっと新しくしたいという意見から、いっそのこと引っ越しをしてしまえ、ということになったのだった。そして、まさに思い立ったが吉日とばかりに、その日のうちに凛は、それなりに良い物件を見つけて契約してきたのだ。数日後に引っ越しも完了し、今に至る。

 今日は凛も休日だった。だから、こうして二人で昼飯を食べるところなのだ。ちょうど、凛が料理を運んできた。

 香ばしいスパイスの匂いはツンと鼻に刺さり食欲をそそる。ゴロッと良い塩梅にカットされた肉、じゃがいも、にんじん、玉ねぎを引き連れてやってきたそれは、無論、カレーライスだ。

「はい、お待ちどう!」

「いただきます」

 僕は早速一口食べる。うん、うまい!

「オカワリもあるよ」

 そう言って、凛も自分の分を食べ始めた。

「それにしても、その子もすごいわね〜、推理力」

 凛は半分ほど食い終え、僕は早々とオカワリしてまさに二杯目に突入した時、凛が話し出した。

「その六人の子たち、大倉さんたちにも紹介してみようかしら。あ、大倉さんって先輩のことね」

「ダメだろ。そんなことしたら、バレちゃうでしょ。そうしたら、僕の教師生命も、凛の刑事生命も危ないでしょ」

「あ、そうだね」

 凛は一口カレーを食べた。

「ともかく、その恵美って子の推理は、またみんなに報告しておくわね。もちろん、私の推理ってことで」

「ハハハ…、いつまでバレずに済むのかな……」

 スパイスの効いたうまいカレーを口一杯に頬張って、僕は苦笑いした。

 

 

 ここまでで、刑事&教師カップルの会話の中に、〝推理〟や〝六人〟など、不自然な言葉が混じっている。それはそうだ、僕と凛は今、まさに〝非〟合法的な話をしているのだ。

 それは、僕が担任を務めるクラスの生徒に、凛が担当する難事件を推理してもらうという話だ。

 色々と誤解を受けないように、きちんと説明しよう。

 僕は新学期早々、教務主任の峰形先生からある話を聞いた。それが全ての始まりだったのだ。

 峰形先生の話によると、どうやら僕の受け持つ三年四組には、推理力が高い生徒が六人いるというのだ。そして、峰形先生自身も、かつてそれを身に持って知ったらしい。

 その話がどうしても気になった僕は、峰形先生に勧められて、僕が容疑者として関わることになったある事件について、六人のうちの一人に推理させてみたのだった。その結果、その生徒は、事件の犯人のみならず、警察をも翻弄した〝ダイイングメッセージ〟の謎までも解き明かしてしまった。

 その話を、凛にしたのだった。凛はその生徒たち六人に目をつけて、あんな無茶苦茶な計画を持ち出してきたのだった。あれこれあって、結局乗り切られてしまった僕は、凛の担当する難しい事件を、その生徒たちに伝えて推理してもらった。そして、その生徒も見事事件を解決してみせた。

 凛の持論では、この計画を遂行することで、きっと六人の生徒たちは推理ができて嬉しい、僕は峰形先生の話の真偽を確かめられるから嬉しい、凛は事件解決できるから嬉しい、つまり最高の一石三鳥だ!ということらしい。

 ということで、なんだかんだあって、この計画はすでに行動に移され、もうすでに二つの事件が解決したのだった。つまり、もう後戻りはできないのだ。まあ、僕も若干乗り気ではあるのだが…。

 ともかく、そういった僕と凛、そして僕が置かれている状況を念頭に、話を聞いてほしい。

 

 ちなみにさっきから会話に出ている恵美というのは、その推理力がある生徒たちの一人・水無恵美。つい先日に、ある売れない小説家が殺された事件を解決してもらったばかりなのである。

 

「ごちそうさまー」

「はい、お粗末さま」

 僕は手を合わせた後で、お皿をキッチンに持っていった。ついつい三杯食ってしまった。

「お皿とかは俺が洗っとくよー」

 とまだカレーを食べている凛に声をかける。

「ありがとう」

 凛は笑顔でお礼してくれた。この笑顔がたまらんのだ。

 お玉や食器を洗いながら凛がカレーを食べ終わるのを待った。そして、凛が食べ終わると、凛のお皿も洗って、それも終わると、凛の目の前の席に座った。

「まだカレー余ってたんだね」

 さっき鍋の中を見た僕は凛に聞いた。今日のカレーはいつもより大きな鍋で作られていた。それに、その鍋の中にはまだ半分以上カレーが残っていたのだ。

「やっぱり多いよね。でもこれぐらいがちょうどいいわね」

 凛は不思議な答えを返してきた。

「やっぱり、ってどういうこと?」

「ちょっと事件の再現をしてみたのよ」

「事件?」

 唐突な事件という言葉に僕は心構えした。

「えぇ。また、難しそうな事件なのよね…」

 凛は自分の鞄を掴み取り、中から紙の束を取り出してテーブルの上に置いた。捜査資料だ。

「実はね、現場となったプレハブ小屋の中に、カレーが残っていたのよ。あ、もちろん鍋に入った状態でね。

 ちょっと、写真も載ってるから見てみてよ」

「あぁ」

 凛のいったページを見てみる。現場となったプレハブ小屋の写真があった。ベージュの壁で長方体に近いシンプルな見た目だった。

「普通だね」

「いや、特別らしいのよ」

 凛はスマホで何かを調べ始めた。

「『ラウスホールディングス』って知ってる?」

「あぁ。聞いたことあるよ」

『ラウスホールディングス』とは食品業界において、ここ数年で存在感を示し始めたベンチャー企業だ。食品に関するあれこれを扱っている、と雑誌で特集を見たことがある。

 海外の発展途上の国とのフェアトレードや一部製造過程での障害者雇用など、社会的問題に対策するための取り組み。世界各地の民族料理の冷凍食品やビーガンのための完全菜食食品など、幅広い人を対象とした食品開発。外国の人も気楽に入れるレストランやいろんな商品を扱う自動販売機製造など、流通面での工夫。

 などなど、並べればキリがないが、食品においてのあれこれを担い、最近は徐々に有名になってきていた。もちろん、有名食品会社を肩を並べるにはまだ程遠いが。

「それがどうかしたの。今日のカレーのルーも『ラウス』のカレールーだったでしょ」

「そうなんだけどね。あ、これこれ」

 凛はスマホで何かを見つけて、画面を僕に見せた。

 あの現場となったプレハブ小屋とその説明が載っている。『ラウス』の公式ホームページらしい。

【屋台用 キッチンプレハブ!】

「キッチンプレハブ?」

「えぇ」

 凛が画面をスクロールすると、いろんな写真が現れた。

 キッチンプレハブ自体は普通のものと同じくらいの大きさだった。しかし、普通のプレハブと違うのは、まるで一軒家のキッチンルームみたいに、一通りの料理をするための設備は揃っていたことだった。

 プレハブの外側のタンクから水道が通ったシンク、グリルのついたコンロ、食器置き場や調味料棚に、冷蔵庫まであった。コンロの上にはちゃんと排気ダストもついていて、その奥には排気口も見えた。

 長方形の長さが短い方の壁の方にそれらが並んでいて、その隣の壁にはドアと窓がついていた。

 まさに、〝キッチン〟プレハブと呼ぶにふさわしい造りになっていた。

「すごいね、このプレハブ」

 僕は凛からスマホを借りて、キッチンプレハブの説明などを見ながらつぶやいた。

「屋台や出店を出す時とか、あるいはご飯をいっぱい食べなきゃいけない工事作業員の人たちのためとかに、ちょうど良さそうよね」

「そうだね」

 キッチンプレハブはまさに、料理をするために作られたプレハブということだ。普通のプレハブ小屋と同じでトラックで運搬可能なのに、中にはキッチンがついている。このプレハブを作って貸し出すことで、流通面の活性化につながるということらしい。

「そのキッチンプレハブが、今回の事件の現場だったってわけね」

「そう、殺人事件の」

「このプレハブの中で殺されてたの?」

「えぇ」

 殺されてた、なんて言葉をあっさり言えるようになってしまった時点で、僕は重症なのだろうか。

 そんな感情を押し殺して、話を続ける。

「それで、被害者は?」

「被害者は、まさにその、ラウスホールディングスの社長、羅臼宗介だったのよ」

「まじか」

 ラウスホールディングスの社長、羅臼宗介といえば雑誌の特集でも大きく顔写真が載っているほど、ラウスの顔と言ってもいい人だった。

「まだ動機はわからないんだけど、会社のお金が裏で動いていたらしい、っていう噂は、警察の横繋がりで聞いていたわ。だから、もしかしたらそのことかもしれないわね」

「ふぅーん。あんなに美味しい冷食とか作るのにね」

「そうね。

 それで発見時の状況なんだけど、このプレハブの中で羅臼さんが倒れていたのが見つけられたの。刺殺で、凶器はキッチンに準備されていた包丁だった」

「うんうん」

 僕は捜査資料を読みながら話を聞く。

「それで、事件の時、現場のキッチンプレハブでは、カレーが作られていたのよ」

「カレーが?」

「えぇ。

 そもそも、その時、キッチンプレハブがあったのは、ラウスホールディングスが経営してるレストランの広場なの。キッチンプレハブの完成発表のために、関係各所の人たちを集めて、公開するつもりだったんだって。

 それで、実際にカレーを作って、キッチンとしてちゃんと機能することを見せしめる予定だったらしいよ」

 まさか死体を見せしめることになるとは思わなかっただろうね、と恐ろしい言葉をあっさり付け足す凛。

「とにかく、カレーが作られていたのは、その時その場にいた人だったら全員知ってたらしいわ。

 さらに、そのカレーが作られていた鍋ってのが、今日私が作ってたカレーのものと一緒の鍋だったのよ。

 一人に紙皿一杯分だけのカレーを提供するつもりだったらしいから、やっぱりあれくらいの大鍋で作らないと足りないわね」

「どうして、分かりきったことなのに、わざわざカレーを作ったの?」

「捜査していて食べたくなっただけよ」

「あ、そう」

 そんなことでカレーを作ることにしたのか…。あの量だと明日の夜までは確実にカレーだな。

 凛のカレーを作るに至った動機に呆れながら、資料を読み続ける僕。

「でもさー、どうして、今回の事件を持ち出してきたの?」

「どうして?」

「だってさ、いつもの事件に比べたら、簡単そうな事件じゃないか。どうやら、いつもみたいな変なダイイングメッセージもなさそうだし」

 ペラペラ資料をめくりながら僕は凛に尋ねる。

「うーん、そうだとよかったんだけどね…」

 凛は難しそうな顔で唸りながら、言った。

「そのプレハブ、密室だったのよ…」

 

 

 その日も、僕は三年四組の一日を何事もなく終えて、平和な日常にホッとしながら、誰もが帰って静まり返った教室を眺めていた。

 今は十月。三年四組としての学校生活も、残り五ヶ月か…。

 初めは、いきなりの卒業生の担任という役職に戸惑ったものの、周りの先生のサポートのおかげでここまで来れた。

 ちょっと、寂しいような…、嬉しいような…。

 僕は教師用デスクの上に置かれた、今後の予定を記した紙に目を落とした。十二月の欄に、『修学旅行』とある。

 ここ時任中学校では三年生が行く修学旅行が十二月頃にあるのだ。その理由は、年度初めに行ってしまうとクラスに馴染めないままになってしまう生徒がいるから、ということらしい。クラスに馴染んでから中学校最後の思い出として友人と大いに楽しんでほしい、というわけだ。

 実質、この修学旅行が終わると、後に残るのは受験勉強。これが、三年四組のみんなと作る、最後の思い出なのだ…。

 僕はそう感慨深い思いに浸りかかっていたが、あることを思い出して、教室を出た。

 

 あることとはもちろん、凛の話のことである。

 凛の話した事件の状況は、やはりいつも通り意味不明なことばかりだった。容疑者のことや現場の状況、その上、聞き込み中凛が録り続けていた録音のデータだって渡されているのに。

 そして、今回も、事件の解決を、僕が受け持つ三年四組のある生徒に委ねることとあいなったわけだ。

 僕は今、家庭科室に向かっている。職員室でお茶を飲みながら生徒たちの裁縫作品を添削していた家庭科の先生に確認したが、今日の放課後はとある生徒が家庭科室を丸々借りているらしい。

 家庭科室は調理実習ができるように、台所の施設一式が揃っている部屋である。そして、その家庭科室を丸ごと貸し切って、おそらく調理実習をやっているであろう女子生徒が、これから僕が会いに行く生徒なのだ。

 

 家庭科室についた。ドアに手をかけると、中から〝カッカッカッカッ〟

や〝トントントントン〟など、定食屋の厨房のような音が途切れることなく聞こえてくる。

 この量の音の作業を、本当に一人でこなしているのか…?

 僕は恐る恐るドアを開けた。

 ドアの中では、一人の女子生徒がシンクやコンロの周りを歩き回って、何かを調理していた。フライパンやフライ返しや菜箸や…、あれやこれやの調理器を、舌を巻くほど器用に使いこなしている。

 髪を後ろで束ねて、無地のエプロンで身を包んだその女子生徒。言い方は悪いが少し可愛いとはかけ離れている。しかし、可愛いというよりも暖かいという言葉がよく似合う、人を安心させる雰囲気を醸し出している。

 男勝りの気性を持ちながら、調理や裁縫などなど家庭的なあれこれをそつなくこなす、その女子生徒。

 その名は、新谷知佳。三年四組が誇る、みんなのお母さん的存在の女子である。

 彼女の家は近所でも一番有名な定食屋を営んでいる。その店の料理は、時任中に通うものは人生で一度、いや二度は食べたことがあるはず、と言えるほど、庶民的で美味で人気なものだ。

 そして知佳はそのお店を手伝って、土日にはお店にも出ている。話によると、厨房を手伝うこともあるという。なんなら、メニューもいくつか彼女が考えているらしい。

 だから、そんな知佳の料理の腕前はクラスの中でも抜群のもの。料理だけじゃなく、裁縫や洗濯などの経験も豊富である。とにかく、家庭的な生徒なのだ。

 カレーが作られていた密室の謎。料理好きな彼女にはうってつけの事件だと思って、今回は彼女に事件のお伺いを立てることにしたのだ。

「おい、知佳」

「あ、先生じゃないですか」

 僕が声をかけると、知佳は大きなフライパンを振いながら答えた。その手慣れた手つきは、プロの料理人レベルだ。

「どうしたんですか?」

「ちょっと話があってな」

「ん? なんですか?」

「だから、話があって!」

「ちょっと聞こえないですぅ」

 僕の声は虚しくも、金属調理器が触れ合う音でかき消されていく。

「ちょ、ちょっ……、一度、料理やめてー」

 僕が腹の底からそう叫んで、ようやく彼女の料理が一旦止まった。

 

「すみません、ちょっと白熱しちゃったもんで。あの料理はああやって強い火力で、ささっと炒めちゃうのがいいんですよ」

 知佳はそう言ってエプロンを一旦外してテーブルに置くと、椅子に腰掛けた。

 知佳は時任中学校の家庭部の絶対的エースである。そんな彼女は、こうして、ほぼ毎日のように調理室で料理の研究をしているのだ。

「ちなみに、何を作っているんだ?」

「今日は、うちの食堂の新メニュー候補です」

「あっそう…」

 知佳は僕の話を聞きながらも、頭の中はレシピでいっぱいなようで、手元のメモ帳に懸命に書き込みをしている。

「お…美味しそうだな…」

 僕も何も言えなくなり、じっとしていると、

「何か話があったんじゃないんですか、先生」

 知佳がこっちをちらっと見て声をかけてくれた。

「ちゃんと聞いてるんで、話してもらって大丈夫ですよ」

「あぁ、そう…」

 まるで、仕事に悩んだ新人社会人が、居酒屋の肝っ玉女将さんに相談してもらっているみたいだな、と情けなく思いながら、話を切り出すことにした。

「あのさ、知佳さ…」

「はい、なんです?」

「推理って興味ある?」

「えぇ、どうしたんですか、いきなり」

 僕がサラッと話を切り出すと、知佳は意外にも驚きの反応を見せた。

「推理だなんて…」

 僕は変なことを言ってしまったと思って、慌てて

「いや、なんでもないんだ。気にしないで、料理を続けて…」

 と弁解しようとしたが、

「好きに決まってるじゃないですか」

 との知佳の言葉に、僕は驚いた。

「あ、あぁ、そっちね」

 推理なんて興味ないと一瞬思わせてからの、『推理が好き』発言。知佳の料理と一緒で、これは〝うまい〟……なんて知佳の喋りに舌を巻いてると、

「急にどうしたんですか?、推理なんて」

 知佳が不思議そうに聞いてきた。

「ちょっと、聞いてみたくて…」

「あ。峰形先生でしょう。私たちのこと聞いたんですね」

「まあ……そういうことです」

「ってことは、私の推理を聞きたいってこと…?」

「はい、その通りです」

 いつの間にか僕の方も丁寧語になってしまうほど、生徒と話しているように感じさせない知佳の落ち着き様に、ただただ舌を巻きながら(さっきから舌を巻きすぎている気がする)話を進める。

「推理ってどういうことですか」

「いや、なんて言えばいいんだろうな……、その、ちょっと推理してほしい事件があって…」

「推理?」

「あぁ…、その…」

「いいですよ」

 知佳はそうあっさり答えると、スッと立ち上がった。

「いいの?」

「もちろん、私も最近、推理する機会が少なかったんで、ちょっと鈍ってるかもしれなくて心配してたので、ちょうどよかったです」

「推理力が鈍るの気にするのね…はは…」

 そう話している間、知佳はまたエプロンをつけている。

「何してるの?」

「あぁ、私って、こうして料理してる時が一番推理しやすいんですよ。だから、私はこれから料理してますけど、話してくれて構いませんよ」

「聴こえるのか?」

「えぇ。ざわざわしてる中でも、大事なことは聞こえてくるんですよ」

 カクテルバー効果っていうんでしたっけ、と知佳はニコッと笑った。

「そうか、なら話し始めるとするかな…」

 知佳の意味のわからないこだわりにタジタジしながらも、僕は凛から聞いた事件のことを話し出す。

 

 使う調理道具を洗い始めた知佳の横で、密室の中でカレーが作られていた殺人事件の謎を……

 

第二章 礼

 十月某日。私、桜崎凛は死体発見の連絡を受けて、車で現場まで移動していた。

 一緒の車に乗って現場まで同行しているのは、いつもの相棒・大倉さん…ではなく、一日限定の相棒・原田くんである。

 大倉警部とは、私の上司、大倉亮介警部のこと。原田くんとは、私の同期で、私と同じで大倉さんを上司にもつ原田俊くんのこと。

 今日は、大倉さんが風邪をひいてしまったために休養していて、それで原田くんと今日限りのバディを組むことになったのだ。ベテランの大倉さんとは違って、原田くんは私と同じ新人、だから新人同士のバディという訳で少し心配も残るが……。

「ちょっとキンチョーすっけど、頑張りましょ」

「う、うん…」

 助手席に座る原田くんの、一緒にいて楽しいけどちょっと軽々しい応援の言葉に苦笑いした。

 

 私たちの乗った車がついたのは、県内の都市に位置するレストランだ。

 敷地が広く、店内と屋外の両方で食事ができるようになっている。そして、敷地内には簡易遊具もあり、子供が遊べるようになっていて、それに合わせてメニューの中にはサンドウィッチなど持ち運びしやすいテイクアウトメニューもある。

「ここ人気だよね、なんかの雑誌で見た」

「そうね」

 事件当時も店はオープンしていたようで、店の方からいい匂いがする。

〝グゥ〜〜〜〟

 と腹を鳴らしたのは、原田くんだった。

「今日、まだ昼飯食ってないんだよな…。あそこで食べてこようかな」

「だーめ」

 断るより先に足がレストランへ向かっていた原田くんを制止して、現場へ向かう。

「事件現場はレストランじゃなくて、広場の方らしいわね」

「うん……飯食いてえ」

 美味しいご飯への欲が隠しきれていない原田くんを引っ張って、現場の広場へ着いた。

 

「なんじゃこりゃ」

「何この、この四角い物体…」

 私たちは広場にある異様な物体に目を取られた。

 ベージュの壁をした長方体。かなり大きくて、人も三、四人なら楽々と入れそうだ。

「なんだろ、これ」

 原田くんの後について、私もその長方体を見回すと、そこにはドアと窓がついていた。

「うお、ドアついてる」

「これ、絵かしら…」

 私たちがそう話していると、そのドアが開いて、中から人が出てきた。

「あ、お疲れ様です」

 鑑識班の人だった。

「これって…」

「プレハブですよ」

 鑑識の人が言う。

「ヘェ〜」

 原田くんは早速プレハブを見回していた。

「ご遺体はこの中です」

 鑑識の人はそう私たちに告げて、また仕事に戻っていった。

「ありがとうございます」

 私はその人にそう言って、原田くんとプレハブの中に入っていった。

 

 外から見た通り、プレハブの中は長方形の作りになっていた。中には捜査員が二人いて作業していた。

 そして、その彼らの真ん中には、男性の遺体が横たわっていた。

 ガタイが良く髭を生やした姿は、あたかもどこかの店のコック長といった感じ。彼が、今回の被害者・羅臼宗介さんだ。

「あの会社の社長じゃないっすか」

「えぇ」

 羅臼さんは、今波に乗るベンチャー企業・ラウスホールディングスの社長である。雑誌に載るなど、世間でも少し名の知れた人だ。

「刺殺だね」

「刺殺ね」

 横たわる羅臼さんの腹部には包丁が深々と突き刺さっていた。そして、そこから流れる血が、羅臼さんを鮮血で染めている。

「お疲れ様です」

 そう声をかけたのは、プレハブの中で作業していた捜査員の一人。良く見たら、毎度毎度の事件現場で出会う、若い検視官の彼だった。初めに会った時より確実に堂々としている。

「お疲れ様」

「被害者の死因ですが…」

 原田くんが挨拶を返すと、検視官の彼が資料を見ながら話し出した。

「ご覧のとおり、刺殺です。

 凶器は、このキッチンプレハブに常備されていた包丁でした」

 検視官がそう言って、初めて周りを見渡して気づいた。

 このプレハブの中がキッチンのような作りになっていることに。

「このプレハブ、キッチンになってたのね」

「すげえー!」

 簡単ではあるけど、シンク、コンロ、調理台がちゃんと備わった台所。道具棚や冷蔵庫もしっかり付属している。これだけの設備があったら、普通の料理だったら簡単にできることだろう。

 私は道具棚を開けてみる。中には、食器やフライパン、菜箸などが入っていて、その横には包丁が数本しまわれている。

「なるほど、ここにあった包丁が使われたのね」

「そうです。

 その包丁で、被害者は腹部を刺されていました。傷は一つですが、かなり深い傷で、そこからの失血がひどく、失血多量が被害者の死因だと思われます。

 第一発見時刻は11時過ぎ。二人の社員が、社長を呼びにきたところ発見したそうです。すぐに警察が呼ばれて、死後硬直の具合から一時間くらい前、つまり10時前後が死亡推定時刻だと判明しました」

「オーケーオーケー、10時前後ね」

 後ろからそんなチャラい声が聞こえてきた。原田くんが〝一応は〟メモをとっている。普段大倉さんと一緒の時は、原田くんが先に現場にいて状況を簡単に教えてくれている。いつも、こんなふうにチャラい受け答えで情報を収集していたのだろうか…。

 そんな心配はいったん置いておいて、それより何より、私には気になることがあった。

「…ねえ、さっきからずっと気になってたんだけど…。

 なんなの、この、鼻の奥まで浸透して、私の食欲を強く刺激する、この芳醇なスパイスの香りは……」

 あれですよ、と検視官がコンロの方を指差した。

 コンロの上には、大きい深底の鍋がその腰を据えていた。そして、その中に見えるのは………

『カレーだ!!』

 私と原田くんの声が揃った。

「カレーです」

 検視官が冷静に答える。

「美味しそう……」

「そうね、美味しそう……じゃなくて」

 ついつい私も、原田くんの呟きにつられてしまうところだった。

「どうして、殺人の現場にカレーが作られてるの?」

「このキッチンプレハブのお披露目のためらしいです」

「お披露目?」

 検視官の答えに私ははてなを浮かべた。

「今日は、ラウスホールディングスが経営するこのレストランで、このキッチンプレハブのお披露目会が開かれる予定だったそうです。完成と貸出開始記念と言うことで、会社の社長から専務、社員、そして関係各社に至るまで、たくさんの人を招待して、会社の一大イベントと言っても過言ではないほどのお披露目会だったようです」

「それで、見本にこのプレハブを持ってきて、さらに実際に料理ができることの証明にカレーを作ったと言うわけか…」

 ふと原田くんが(さっきまでカレーカレーと騒いでた奴が)いきなり真面目なことをこぼしたので、私は驚いた。

「そのとおりです。さらに言うと、そのカレーを作る担当だったのが、羅臼社長本人だったそうです。

 おそらく、カレーを作るために一人になったところを狙われたものかと」

「なるほどね」

 私は、この現場にカレーが残る理由に納得しながらも、どうしても、食欲をそそられずにはいられなかった。

「レストランの方で会社の皆さんが食事をご用意してくださってますよ」

 原田くんと私のどちらの顔色をみて発言したかはわからないが(原田くんの方だと信じたい)、検視官が苦笑いしながら言った。

「やった!」

「やった!…じゃなくて、ありがたいですね」

 子供っぽく騒ぐ原田くんの横で、なんとかして高鳴る気持ちを抑える。

「今日現場にいた皆さんもレストランに残っているので、ついでに聞き取りまでしてしまってはいかがですか」

「そうね、そうするわ。

 そして〝ついでに〟、別に私はいいんだけど〝ついでに〟ね、食事もいただきましょうか」

 よし、これだけいえば私が腹を減らしているワケではないとわかってくれるだろう。

 もうすでに浮き足立っている原田くんの首根っこをひっ捕まえながら、私がプレハブを出ようと見回した時、ふと思った。

「あれ、今日はいつもみたいな〝アレ〟がないんですね」

「えぇ、今回は目立った〝アレ〟はないんですよ」

 私たちの間で語られる、まるで隠語のような言葉〝アレ〟。その正体は、死者が生者に託す伝言……そう、ダイイングメッセージである。

 これまで私が体験してきた事件の多くに、現場に不自然な文字のようなものが残っていた。言葉ではない謎の記号のようなものから、一応言葉として認識できるが何を意味するのかわからないものまで、多種多様だ。

 しかし、一見今回はそれがない。検視官も見ていないという。

「これは、意外に早く片づきそうですね」

 私が去り際に頬をほころばせて言うと、検視官は苦い顔で答えた。

「えぇ……。このプレハブが密室じゃなければね」

 

「ちょっとストップストップ!」

 原田くんの襟首をぐっと引っ張って引き戻した。

「クエッ」

 原田くんが変な声を発して、こっちへ戻ってきた。

「密室ってどう言うことですか」

 咳き込んでいる原田くんを無視して、私は検視官に尋ねた。

「密室だったんです、このプレハブ。

 見てください。遺体発見の時と全く同じまんまで残ってるんですけど、ここほら」

 検視官が窓を指す。

「窓の鍵もしっかり閉まっていて、さらに…」

 次に検視官は、調理台の上に並べられていた被害者の遺留品の中から、鍵を取った。

「プレハブのドアは完全に閉まってた上に、合鍵が作れないという特殊な鍵はこうして被害者の服のポケットの中に入ってたんです」

「窓とドアは完全に塞がれていたわけね…」

「あそこはダメなんすか?」

 正気に戻った原田くんが声を上げて、どこかを指差した。

 原田くんが指差したのは、通気口だった。

「確かに、あの通気口を使えば、密室を作れるんじゃないんですか?」

 私は、プレハブの中を動き回りながら説明を始めた。

「まず、部屋の内側からドアの鍵を閉める。その鍵は被害者のポケットに入れる。

 そうしたら、たこ糸かなんかを窓の鍵にひっかけて、糸のもう片方は排気口の隙間から外に出す」

 排気口だから排気用ファンがついていると言っても、隙間はあるだろう。実際に見てみたけど、糸一本くらいなら余裕で通すことができる。

「ここから糸を出したらあとは簡単。

 開けといた窓から出て、そして閉めて、外から糸を引っ張れば、窓の鍵が閉まる。

 これで密室は完成じゃないんですか? そんな、悩まなくても…」

「それが、今回はことが違うんです」

 検視官が何やらリモコンのようなものを取り出した。そして、そのうちの一つのボタンを押す。

〝カシャ〟

 何やら金属が触れ合う音が聞こえたと思ったら、

「あ! これ!」

 原田くんが排気口を見て声を上げた。

 何事かと私も見てみると、さっきまで見えていたはずの外の光が見えない。これじゃ、糸すらも通すことができない。

「何したんですか!?」

「排気口を閉めたんです」

 そう言って検視官が見せたのは、排気口開閉と書かれたリモコンだった。

「このキッチンプレハブのすごいところの一つがここなんですよ。

 こうして、排気口をリモコンで開け閉めすることができるんです。さらに、こうしてリモコンをいちいち操作しなくても…」

 検視官はリモコンの時間予約と書かれてるところを指した。

「この部分を設定すれば、何もしなくても、その時間にピッタリしまってくれるんですよ」

「それで、それが一体?」

「見てください、このリモコン、事件当時のままなんですけど」

 検視官はリモコンの蓋を開いて、中のデジタル画面に示された時間を見せた。そこには、8:00と刻まれている。

「8時……これは、排気口が閉まる時間ってこと?」

「えぇ、そうです。

 さっき排気口が空いていたのは、僕が開けたんです。ある程度の現場検証が済んだので、風通しを良くしようと思って。

 事件直後、排気口は閉まっていました」

「ってことは、その時間予約の機能がちゃんと働いたとしたら、あの排気口は8時に閉まってそのままだったってこと…?」

「そうなります」

「でも、そのリモコンがあれば自由に開け閉めできるんでしょ。なら、心配することないは…」

「それがダメなんです。

 このリモコンはまだスペアがないらしいので、無くしたら一大事ってことで、人が必ず二人以上ついているところに保管されていたんです。

 僕たちも、現場検証する時に、『風通し良くしたかったらどうぞ』って社員さんに手渡されて今ここにあるわけですから」

「それなら手で直接開ければ…」

「それもできません。

 元々、リモコンでしか開け閉めできないそうで、排気口のところに特別な装置がついているんです。見て見たらわかると思います」

「確かにぃ」

 外から声が聞こえた。原田くんだ。原田くんが、排気口を外から見ている様子。

 いつの間に、プレハブから出ていたんだ……⁉︎ 驚愕する私をよそに、外の原田くんは中継で、排気口の外の様子を伝える。

「閉まってる排気口の蓋のとこに、何か仕掛けみたいなのあるっすね。これ開くのには、ドライバーとか必要そう」

「そのとおりなんです。

 あれを手動で開閉するには、あの装置を分解して開く必要があるんです。社員さんに聞いたところ、アレを分解するには慣れた人でもかなりの手間がかかる、だから、そんなことしていたら目立ってしまうだろう、って」

「そう……」

 私は頭を抱えた。

「どゆこと?」

 またいつの間にやらプレハブの中にいた原田くんは、この事件の状況をいまいちわかっていない様子。私は、原田くんに語りかけながら、自分の中でも状況を整理した。

「いい?

 被害者はこのプレハブ密室の中で殺されていた。

 もし排気口が開いていたなら、糸を使ったさっきの方法で密室を作るのは簡単。

 けれど、被害者の死亡推定時刻の十時頃には、すでに排気口は閉まっていた。八時にセットされていた装置が作動して、それからはずっと閉まりっぱなしだったの。

 リモコンは使えないし、手動で開け閉めするのも無理。

 だとしたら、事件当時のこのプレハブは、ドアも窓も、そして排気口も閉まっていた、完全な密室だったのよ……」

「なるほど……、やばいじゃん、それ」

 ようやく理解が追いついた原田くんがそう呟く。

「そうやばいの。今回も、厄介な事件になりそうね」

 ダイイングメッセージの次は、密室殺人か……。私の口からも、ため息が漏れるのだった。

 

 現場の状況とこの事件の厄介さがわかったところで、私と原田くんはレストランの方に移動した。目的はもちろん食事……じゃないじゃない、容疑者への聞き取りだ。そう、これは聞き取り、食事は〝ついで〟。

 

 レストランの中には社員の人たちが各々座ったりして待っていた。聞いたところによると、この会社はまだ発展途上ゆえに、社員数が百人にも満たないそう。

 そして、今日来ていた社員数は六十人弱くらい。ほとんどの社員が二人以上で行動していたらしいのでアリバイがあり、一人で行動していたためにアリバイがないのは、四人だけだという。

「ファフフォフォフェ〜(なるほどね〜)」

 私は、社員の人たちが用意してくれた〝ついで〟の食事を頬張りながら答えた。さすが、食品を扱う会社だけある、即興で用意してくれたらしいのだが、それなりのクオリティだ。

「これ、ムグムグ、なんて言うんですか、ムグムグ」

 私の隣で同じように食事をいただいている原田くんが、口を動かしながら尋ねた。

「ビーフストロガノフです」

 カレー用の牛肉が残っていたので、とエプロン姿の女性社員さんは言った。

「美味しいー! この牛肉のほろほろ感、食欲をそそる美しい見栄えに、スパイスの効いた味付け……」

 現場のカレーの匂いで、完全にカレーの口になっていた私を満足させる十分な一皿だった。

 

『ごちそうさまでした』

 私と原田くんが声をそろえて言う。満足げに腹をさすっている原田くんは三杯もオカワリしていた。(私は一杯だけ……)

「それでは、早速ですが事件のことに…」

 頭を切り替えて捜査開始。

「先ほどお聞きしたんですが、今日ここにいらっしゃる 社員さんたちのほとんどは二人以上で行動していたそうですね」

 私は、さっきからそばにいて食事を提供してくれた女性社員に聞いた。

「はい、そのとおりです」

「それで、それ以外で、一人で行動していた方達は…」

「この奥にある個室の方に集まってます。

 何を隠そう、実は私も一人で行動していたうちの一人なんで」

「そうだったんですね」

 少々恰幅が良く、人当たりの良さそうな雰囲気を醸し出す彼女は、奈部川篤美と名乗った。

「直前まで男が生まれると思われてたのに、生まれてびっくり、女だったみたいで、危篤の〝篤〟なんていう騒々しい文字が使われたんですって」

 ホンット迷惑、と彼女は豪快に笑った。

「今日は、私の他にもバイトの子が何人か厨房に入っていてくれたんですけど、私厨房のリーダーなので、ほとんど一人行動だったんですよ」

「なるほど」

「それじゃあ、他のみんなが集まってる方に行きましょうか。案内します」

「あ、ありがとうございます」

 第一印象と同じく、優しく付き合いやすい奈部川さんに安心感を抱きながら、私と原田くんは個室の方へ向かった。

 

「こちらです」

 外のラフな見た目からは想像できない、まるで三つ星旅館のような綺麗な個室が並んでいるのに驚きながらも、私たちは奈部川さんの案内で進んでいく。

「ここです」

 一番端の部屋に着いた。靴を脱いで上がると、そこには三人の男女が座っている。

 奈部川さんも靴を脱ぐと、そっちの方へ行って座った。

 三人の視線が一気に私たちに集まる。私が物怖じしてしまって、言葉を失っていると、その横で、

「警察の原田です」

 と原田くんが先に挨拶してくれた。我に帰った私も急いで、

「同じく桜崎です」

 と挨拶した。

 原田くんに対して初めて感謝の念を抱いたのも束の間、あとはよろしくとばかりにコソコソ後退りする原田くん。私は、皆さんにバレないように、原田くんのベルトを掴み、しっかり身柄を拘束した上で話を始めた。

「早速ですが、皆さんの名前をお聞きしてもいいでしょうか」

 今日は私が話を進める代わりに、隣で原田くんが手帳にメモを取ってくれている。それを横目で見ながら、皆さんが答えるのを待った。

 初めに答えたのは、中でも一番威厳のありそうな男性。

「私は、斉木賀秀郎です。羅臼社長の元で副社長を務めていました。

 今日は、お客様がたへの応対のために、会場を走り回っていましたので、一緒に行動して私のアリバイを証言してくれる人はいません」

 斉木賀さんはあくまでも落ち着き払っている。大人の余裕という感じだ。

 次に答えたのは、スマホを夢中になっていじっている男性。

「僕は楢崎貴船。この会社の研究者です。一応、あのプレハブの開発責任者です」

 見てわかる、明らかな、ヲタクである。

「僕は、ずっとこの『取り置き少女』のトリちゃんと戦闘してたので、アリバイの証人はトリちゃんだけです」

 ニヤリとした顔でそう早口に話す楢崎さん。

「いない、ってことですね」

 私は苦笑いした。そして、その『取り置き少女』というのが気になったので、原田くんに聞いてみた。

「『取り置き少女』って何」

「最近流行りの乙女ゲーム。ほら、これ」

 原田くんは自分のスマホを開いてこちらに見せてきた。

 筆で書かれたような筆記体の『取り置き少女』、そのシャレオツなタイトルの下には、いろんな姿の可愛い少女たちが並んでいる。

「キャラを自分の好きなようにオシャレとか武装させて、その子をネット対戦で世界のユーザーと戦わせるんだ。それで、勝てば勝つほどポイントが貯まって、キャラやコーディネートを増やすことができる。

 今、ネットでめっちゃ有名なゲームだよ。まあ、一部の人からだけど。

 ちなみに、トリちゃんってのは、このゲームでも結構マイナーなキャラなんだけど、その翼を操る技がめっちゃ攻撃力強くて、それに、戦いの後に笑顔で翼の手入れをしている時の姿がもうたまらない可愛さなんだよね」

「詳しいわね。やってるの?」

「いや、そんなこと……」

 慌ててスマホを隠す原田くん。けれど、確かにインストールされているそのアプリを見たから、もう遅い。もはや今更隠そうとする原田くんが間抜けに覚えてくる。

 ……んなことしてる場合じゃない。慌てて聞き込みに戻る。

 次に答えてくれたのは、ツンとした雰囲気を醸し出している女性。

「上連佳奈です。羅臼社長の秘書をしていました。

 今日は、羅臼社長が一人で料理をしていたので、私の仕事はなかったので、ずっと一人でここあたりをぶらぶらしてました。まあ、証人はいないでしょうね」

 自分の雇い人が殺されたというのに、飄々としている上連さんに、私はちょっと仲良くなれないと思った。

「『上』に『連なる』って書いて、『かみつれ』で読むんですね。変わってますね」

 手帳にメモを取っていた原田くんがつぶやいた。

「よく言われます」

 その呟きにもあっさりを答える上連さん。

 私はさっさと次の人の聞き込みに移ることにして、最後に残った人の顔を見たが、

「私はさっき言ったでしょ」

 と豪快な笑い声が聞こえた。

 最後に残っていたのは、奈部川さんだった。

「もう一度言っとく?

 私は奈部川篤美。今日は厨房のリーダーだったから、ずっと一人行動で証人はいないわよ」

「ありがとうございます」

 一応、これで四人の名前と証人がいない理由は知ることができた。

「この後は、一人ずつ、お話を伺うことになりますので、ご協力お願いします」

「承知しました」とお堅い答えの斉木賀さん。

 目がスマホに釘付けで、無言で答える楢崎さん。

「早くしてくださいね」と若干面倒臭そうに答える上連さん。

「大変だねぇ」と周りを見て同情の視線を送ってくれる奈部川さん。

 癖の強い反応を示す四人に、個人への事情聴取がなおさら憂鬱になる私だった……。

 

 その後、個室をもう一室借りて、そこで事情聴取をすることにした。

 もちろん、質問をするのは私で、原田くんはメモを取る役割だ。

 

 初めに呼んだのは斉木賀さんだった。副社長としてふさわしい貫禄を持つ彼は、刑事を目の前にしても堂々としている。

「改めて、刑事の桜崎と原田です」

「斉木賀秀郎です。よろしく」

 そういって、斉木賀さんは名刺を差し出す。『ラウスホールディングス 副社長』と確かに刻まれていた。

「羅臼さんのことは、ただの上司・この会社の社長としか想っていませんでしたよ」

 何も話すことはありません、とでもいうように、聞いてもいないのに話し出す斉木賀さん。私はなんとか頑張って話を進めた。

「なるほどです。

 あと、申し訳ないのですが、さっきのアリバイの件についてもう一度お聞かせ願いますか。もう少し詳しく」

「私は、今日はいらっしゃった関係各所のお客さまの応対に追われていました。朝八時ごろに一旦本社の方によって、本社の方に残って留守番してくれる社員たちに差し入れしました。

 そして、本社で改めて今日いらっしゃるお客様のことを確認してから、こちらにやってきました。もう、こちらについてからはずっとあっちこっちを行ったり来たりです。十時までいろんな人に挨拶していました。休憩の時間なんてほとんどありません。あるとしたら、移動する五分くらいの短い時間だけです」

「なるほど」

 差し入れするなんて優しいところもあるんだな、と感心しながら、相当疲れが溜まっている様子の斉木賀さんに同情もした。

「普段から社長はあまりこういった仕事はほとんど受けなくて、ほぼ全て私に振っていたのです。

 本当に、あの料理と変わったもの好きの社長ったら…」

「変わったもの好き?」

 話の終わりに斉木賀さんが付け足した言葉が気になった。

「カレーを自分で作るほど料理好きなのはなんとなく想像つきますが、変わったもの好きとは一体どういうことですか?」

「社長は一風変わったものや珍しいものが大好きだったんです。社長室を見ていただければわかりますが、もういろんな置物やら不思議な機械やらでいっぱいなんです。

 元々、旅行が好きな方で……まあそのおかげでラウスの名物とも言える民族料理商品の開発に繋がったんですけど……物を集めるのも好きで、いろんなものを買ってきたいたんです。

 それに面白いものも好きな方でしたから、きっと今日のカレーにも、いろんな隠し味を入れようとしていたと思いますよ。

 最近は、国内の面白いものにも目をつけるようになって。例えば、テレビなんかで紹介された化学的なものとかね」

「なるほど…」

 以外にも面白い話を引き出せた。次は、捜査において一番欠かせないとも言える、動機だ。

「もう少し羅臼宗介さんについてお聞きしたいのですが、何か、殺人の動機になるようなこととかはありましたか?」

「うーむ、何かありましたかね…」

 悩む斉木賀さん。何もないようだったら必要書類を書いてもらって終わりにしようと思ったら、

「たくさんありますね」

 と斉木賀さんがいった。

「特に、ちょうど僕以外に容疑者になっていたあの三人です」

「それは?」

「まず、上連くん。彼女は羅臼社長が突然秘書に任命すると言い出して連れてきた人材なのですが、どうして羅臼社長がそんなことを言い出したかわからないんです。まあ、彼女は仕事が社長以上に完璧にできるので、文句はないんですけど。

 ただ、やはり社長との関係は気になります。よく、彼女が社長に言い寄られて嫌そうにしているのを見たという社員がたくさんいるので。

 そして、楢崎くん。彼は見ての通りのヲタクでね、そこを見込んで、今回のキッチンプレハブ開発チームに入ってもらったんです。彼はそれなりに良い大学の理工学科を卒業しているらしくて、思っていた以上の働きをしてくれました。

 ただ、見た目から性格まで何から何まで社長と正反対だから、社長は開発チームの中でも、彼だけを毛嫌いして酷い扱いをしていたんです。大したことでは気にもとめない彼も、あのゲームをいじられた時は相当怒っていましたよ。

 最後に、奈部川くん。社長は、彼女のあのふくよかな体を相当いじってました。

 まあ、彼女自身は全然気にしていなかったようです。逆に、社長の高血圧のことをいじるほどでしたから。奈部川くんに関しては動機はないかもしれないですね」

「そうですか…」

「そろそろいいですか? 今もまだ、何人かのお客様にご挨拶が残っていますので」

「は、はぁ……」

 急に喋り出したかと思ったら、自分の他の容疑者たちのことをベラベラ話し出した斉木賀さんの変貌ぶりにタジタジしつつ、斉木賀さんの事情聴取は終わった。

 

「私はどこから来たのか、って?」

「えぇ、まあ…」

 次に呼んだ上連さんに、私はさっそく上連さんが一体どこからやってきて被害者の秘書となったのか尋ねた。

「どうせ、副社長にでも入れ知恵されたんでしょ」

「入れ知恵って…」

 イライラ口調の上連さん、私はなんとかそれを宥めながら話を聞いた。

「まあ、確かに公に入社したわけじゃないんですけどね」

「一体どうやって」

「社長が直接スカウトしてきたんです。元々別の秘書派遣会社に勤めていた時の功績を買ったって言って。本当はその時はもう会社も辞めていたんですけど、どうしてもって言われたから入社を決めたんです」

「そうだったんですね…」

「副社長は、秘書というもしかしたら自分より立場が上かもしれない役職を勝手に決められた上に、私みたいな女がそれを勤めているから恨んでるんですよ。だから、ああやってずっとネチネチいうんです」

「でも、社長に言い寄られて嫌がっていたって…」

「それだってきっと、副社長がわざと流した噂です。副社長だって、なんだかんだ言って社長を恨んでましたし。

 社長はずっと副社長と対立してきたんです。創立したときは一緒にやってたのに、しばらくしたらあっという間に社長一人のものになっちゃって。

 まあ、それだけ副社長に才能はなかったってことなんでしょうけどね」

「な、なるほど……」

 饒舌になった上連さんに苦笑いする私の横で、「おお怖え」と呟きながら原田くんはメモを取っている。その尻を叩いてから、私は話を続ける。

「アリバイについて教えてくれると嬉しいです」

「言ったでしょ。今日は特に仕事がなかったから、一人でぶらぶらしてたって。別に休んでもよかったんだけど、会社の大事な行事に、社長の秘書が行かないなんて流石にやばいでしょ」

「確かに……」

「とにかく、私が言うことはそれだけ。何か質問があるなら、さっさと終わらせちゃってくれる?」

「そうですね……」

 私は急いで、手帳にメモしておいた聞き込みの質問の内容を尋ねた。

「上連さんは、被害者のことをどう思っていましたか?」

「どうって、普通よ普通」

 上連さんは警戒する素振りも見せずに答え出した。

「ただの社長としか思ってないわよ。料理好きで変わったもの好きだなとは思ってたけど。あと青色も好きだったのかしらね」

「青色?」

「社長、青色のウィンブレ買ってたみたいだし」

 ウィンブレとはウィンドブレーカーの略。スキー場などでよく見る、寒さを凌ぐための上着のことだ。

「今度の会社のスキー旅行で着てくつもりだったんじゃない。

 社長に関することは、それだけよ、それだけ」

「なるほど……恨みとかはなかったと…」

 恨みという単語を出した瞬間、私には一瞬上連さんの顔色が曇ったように見えた。

「恨みは……あるに決まってるじゃない」

「え」

 思わぬ言葉に私も原田くんも驚く。

 上連さんは一息つくと、また話し出した。

「どうせ私のこと調べればすぐ出てくることだし、今話しちゃうわ。

 私ね、お母さんを亡くしているの。それも、あの社長のせいでね」

「羅臼さんのせいで?」

「そう。私のお母さんはキャバ嬢だったの。元々、お母さんのうちは貧乏でそういう仕事でしか稼げなかったのよ。

 そして、お母さんが働いてた店にお客としてきたのが、あの社長、羅臼宗介だったってわけ。あんな男のどこに惚れたか知らないけど、お母さんと社長は恋仲になった」

 そこまで上連さんが話したところで、私の頭には恐ろしい思いつきが浮かんだ。

「もしかして、上連さんは……その、羅臼さんの……」

「あぁ〜、それはないから大丈夫」

 私の心配をよそに、上連さんは笑って交わした。

「私が社長の娘なんじゃないかってことでしょ。それはないよ。血液型からしても違うし、ちゃんと別に父親だっているしね。

 お母さんと社長が恋仲になってたのは私を産む前。結構続いたらしいわ。

 けれど、ラウスホールディングスを立ち上げてから、社長はキャバ嬢だったお母さんを見切った。そりゃそうだよ、これから会社を始めるってのにキャバ嬢と繋がりがあるって知られたら体裁悪いもんね。

 そのあとお母さんはかなりショックを受けた。そこに手を差し伸べたのが、私のお父さんにあたる男だったってわけ」

 上連さんはそこまで貼り付けたような笑顔で話すと、最後に、

「まあ、それでもお母さんは自殺したんだけど」

 と無表情で言った。

「信じてた男に裏切られたのが相当ショックだったんだねー」

 ため息をつきながら話す上連さんの一方で、私は無言でずっと聞いていた。原田くんに至っては鼻を啜っている。

「そうでしたか……」

「さっきの、どうして社長が私を雇ったかって答えだけど、その答えもわかるかもね。

 本人からしたら罪滅ぼしのつもりだったのかも」

 もういいでしょ、と呟いて立ち上がる上連さん。

 ただ部屋を出る去り際に、

「私は許せないけど」

 と一言だけ残していった。

 

 上連さんのお母さんの話を「女性の生き様、カッコよかったね」といいながら涙ぐむ原田くんを宥めて、次に私たちが呼んだのは楢崎さんだった。

 スマホを手に持って離さない楢崎さん。基本スマホを見ながら、チラチラとこちらを見てくる。

「……お話し、お聞きしていいですか」

「……いいよ」

 おどおど答える楢崎さん。どうしようかと悩んでいると後ろから肩を叩かれた。

「ここは俺に任せて」

 原田くんが前に躍り出る。

 確かに共通のゲームを知るものとして原田くんの方が適任かもしれない。私はそう思い、後ろに下がって内容の書き取りを担当することにした。

 何か話すと思ったら、突然意気揚々とスマホを取り出す原田くん。自らもあの『取り置き少女』を開くと、楢崎さんへ体を寄せていった。

 突然近づく刑事に嫌悪をはっきり示す楢崎さん。しかし、その目は原田くんのスマホの画面を見ると輝きに変わった。

「刑事さん、その装備持ってるの⁉︎」

「まあ、それなりにやり込んでますから」

「すごい、超レアじゃないですか」

「いやいや楢崎さんこそ、そのステージ攻略しちゃうなんて…。何か秘密があるんですか」

「この石あるじゃないですか、みんなだいたい一回割って何もなかったらもう気にしないけど、もう一回割ると薬が……」

「あ本当だ、こりゃ気づかなかった。すごいね楢崎さん、いや貴船さん」

「貴船でいいよ」

「じゃ俺も、俊でいいよ」

 裸の付き合いならぬスマホの付き合いですっかり意気投合した様子の二人。私はそれを一歩引いて見ていた。

 しかし、原田くんも馬鹿ではないようで、ゲームの話をしながらうまく事件のことを聞き込んでくれている様子。私はかろうじて聞こえてくる内容を書き取ることにした。

「楢崎さん、社長のことどう思ってた?」

「あのわからずや。このトリちゃんの魅力を全然わかんないんだよ」

「それはそれは」

「それにこの前、トリちゃんのことなんて言ったと思う?」

「なんて言ったの」

「焼き鳥の成り損ない、だって。あの可憐で麗しいトリちゃんのことを」

「ひどい、それはひどい。俺だったら逮捕して無期懲役にしてやる」

(被害者のこの発言には原田くんも怒っている様子だ)

「そうそうひどいでしょ。もう僕も流石に限界で、チームを抜けるって言ったの。社長はどこへでも行けって言ったけど、副社長の斉木賀さんが僕が必要だから残ってくれって言ってくれて。それで残ることにしたんだけど。

 今回殺されたのだって、トリちゃんを侮辱した報いだ、きっと」

 楢崎さんは相当に、トリちゃん侮辱事件のことを根に持っているようだ。

「まあまあ落ち着いてよ。それでさ、貴船っち〜」

 となんとか楢崎さんの怒りを鎮める原田くん。ってか今〝貴船っち〟って言った?

「あのキッチンプレハブ作ったのって、貴船っちなんでしょ。大変だったんじゃない?」

「まあそりゃね。あのプレハブの計画を見た時は大変だったよ。きっと、あの馬鹿社長が、僕たち研究チームのことを都合のいい猫型ロボットだとでも思ってたんだろ。

 それでもそういうのは得意だから、結構楽しかったよ。

 実はね、あのタイマー式排気口の装置作ったのって、ほとんど僕なんだ」

「マジで」

 原田くんが声を上げるのと同じに、私も驚いた。

「初めは、こんな装置があったらいいよねぐらいにしか計画してなかったんだけど、仕事が終わって暇になったからささっと作っちゃったんだ」

「すごいな…」

 原田くんは言葉をなくし、私も呆気に取られている。〝ささっと作っちゃった〟なんて言っているけど、あの装置がそんな簡単に作れるわけがないということぐらい機械音痴の私でもわかる。

「だから実はね…僕はあの機械を、他より簡単に操作できるんだよね」

「操作⁉︎」

 思わぬところで重要発言が飛び出してきた。他より簡単に操作できる、って…楢崎さん、もしかして……

「操作ってどういうことができるの?」

「みんなはリモコンでしか操作できないけど、僕だったら十秒くらいで装置もひらけるし、装置の中を見ればすぐに配線を動かして開閉を操ることもできるし……」

 つまり、楢崎さんはリモコンなしであの装置を操れる……

 私たちがその事実に驚いて無言でいると、楢崎さんは話し過ぎてしまったことに気づいたのか、

「あ、でも、僕はやってないからね、ただできるってだけだからね、何も知らないからね」

 早口で捲し立てる楢崎さん。

「ほんっとうに僕は何も知らないから、殺しなんかしてないから」

「あ、ちょっ」

 逃げるように立ち上がると、さっさと部屋を出て行ってしまった楢崎さん。私はしばらくポカンとしていたが、

「……彼ならあの密室を作れるのよね…」

 私は、思わず得られた大きな収穫に、まだ興奮を隠せていなかった。もしかしたら、楢崎さんが……

「ねえ、どう思う?」

 私はさっきまで彼とゲーム談義に勤しんでいた原田くんに尋ねた。

「……どう思う?」

 しかし反応がない。

 原田くんをみるとスマホに夢中で、時折「やった、貴船っちとフレンドになれた」と呟いている。

「………」

 原田くんのおでこに私のデコピンが飛んだのはいうまでもない。

 

「ほんっと、お疲れ様だねえ」

 部屋に入ってきて早々、奈部川さんがそう声をかけてくれた。まるで実家に帰ったような安心感のある声だ。

「副社長も佳奈ちゃんも貴船くんも、結構厄介だったでしょ」

「えぇ、疲れました…」

「お疲れ様」

 奈部川さんはそう言って私たちの目の前の椅子に腰掛けた。

「もうなんでも聞いて」

「ありがとうございます」

 私は無尽蔵の暖かさを彼女に感じながら、聞き取りを始めた。

「何回も申し訳ないんですけど、もう一度奈部川さんのアリバイについてお聞かせください。もう少し詳しく」

「私は今日は、レストラン厨房のリーダーだったの。他の店の子やバイトの子たちは二人一組で行動してもらってたの。そこに、リーダーの私が指示を出したり、バイトの子にはいろいろ教えてあげたりしてたってわけ。

 だからそのせいで、私は一人行動だったから、アリバイはなかったってわけよ」

「なるほどです。続いて、奈部川さんは被害者羅臼さんのことをどう思ってましたか」

「何って、ただの口うるさい親父よ。私の体のことイジって色々言ってたけど、なんだかんだ言ってあの人だって色々爆弾抱えてたからねぇ、高血圧とか糖尿病とか。味の濃いものが好きだったのよ。あと、カロリーが高いものとかもね」

「なるほど」

 こうして聞いていると、被害者の性格が分からなくなってくる。

 料理や変わったものと同じくらいに女が好き。楢崎さんのような性格の人を嫌い、自分も疾患を抱えているのに人の体を貶す。まるで、一昔前の嫌われる親父像を全て詰め合わせたような人だ。

「…他に事件のことで何か思いついたこととかありますか」

「思いついたことねぇ………あ、そういえば」

 少し考えた末に奈部川さんは何か思いついたようだ。

「厨房の小皿が減ってたのよ。それをお店の子たちに聞いたら、社長が持っていった、って言ってたの。

 社長、また隠し味仕掛けようとしてたのね」

「隠し味、ですか」

「そう、隠し味。社長そういうの大好きだったのよ。

 社長、いろんなところ旅行するの好きだったって聞いたでしょ。その場所の郷土料理とか色々調べて、自分で色々研究したんでしょうね、社長なりのその成果の表れが隠し味だったのよ。

 実はこれまでも会社の中で色々料理作ってたの。肉じゃがとかハンバーグとか。その度に、オリジナルの隠し味を入れて、隠し味当てクイズとか始めちゃって。

 きっとプレハブの中探せばあるわよ、小皿に乗せられた今回の隠し味たち。冷蔵庫の中にでも入ってるんじゃないかしら」

「なるほどです」

 隠し味の小皿……新しいヒントになりそうな予感を私は感じていた。

 

 四人の聞き取りを終えて、私と原田くんは部屋に残された。

「お疲れ様」

「こちらこそ」

 どちらかともなく労いの言葉を掛け合う。原田くんの手帳にはちゃんとさっきの四人の話がメモに取られていた(字が綺麗かはともかく)

「何か気になるのあった?」

 同期ということもあり、ラフな口調で話し始める原田くん。

「やっぱり、隠し味かしら」

「俺も気になった。よく、カレーにりんごとかは聞くけど、被害者は何用意してたんだろうね」

「…もう一度、現場行ってみようか」

 

 四人の容疑者の見張りを他のみんなに任せた私たちは、再びあの現場に戻ってきた。まだ調査を続けていた鑑識班の人たちに一礼して、現場に足を踏み入れた。

 置かれたままにされているカレーの入った鍋が、初めてきた時と変わらず私たちの鼻をくすぐる。

「お疲れ様です」「お疲れ様です」

 労いの言葉が飛び交う中、私たちは鑑識のリーダー・トメさんこと梅田豊太郎先輩を見つけた。彼は、私の上司の大倉さんでさえ敬語を使うほどのベテランなのだ。

「トメさん、お疲れ様です」

「おぉお疲れ。聞いたぞ、大倉のやつ風邪こじらせたんだってな」

「えぇ。なので、今日は私と原田くんがこの事件を担当してます」

「お願いします、トメさん」

 ひょこっと私の後ろから顔を出す原田くん。トメさんは私たちを見て、

「滅多に見ねえコンビだな。面白え」

 と楽しそうにしていたが、すぐに刑事の顔に戻った。

「そうだ。ホトケの遺留品、まだ確認してないだろ」

「そういえば、そうでした」

「外の机に並べてあっから、見ておきな」

「はい」

 トメさんに言われて、私と原田くんはプレハブの外に出て、机に並べられた遺留品を見た。

 料理を始める前に取り出しておいたであろう財布やスマホ。財布の中には、万札が数枚と小銭が少し、レシートが数枚入っていたようだ。後は、会社の社員証に、男物の香水に……

「ん? これは?」

 私の目を止めたのは、一枚の赤い布切れだった。

「これ、よく服買った時についてる、修復用の布じゃん」

 原田くんの言葉で私にもその正体がわかった。

「赤色だね。赤い服買ったってことかな」

「そのようね。上連さんは青いウィンブレを買ったようだって言ってたから、それと一緒に赤い服も買ったのかしら」

 その後も遺留品を確認した私たちは、プレハブの中に戻った。

 トメさんが改めて、

「現場に戻ってきて、何か調べたいことでもあったんか」

 と尋ねた。

「実は、被害者が事件前に、厨房の小皿を借りて隠し味を用意していたことがわかったんです。その隠し味が、現場に残っていなかったかなと思って」

「あぁ、あったぞ。ほれ、そこ」

 トメさんはキッチンプレハブの調理台を指差した。そこにはお盆に乗ったいくつもの小皿があり、その中には一つずつ食材が入れられている。

「冷蔵庫にしまってあったぜ」

 というトメさんの言葉を聞きながら、私と原田くんはその隠し味たちを見回した。

 りんごのすり身、チョコレート、ヨーグルト、プルーン、コーヒー……

「これ、もしかしてコチュジャン…?」

「こっちはバナナだぜ…」

「うちのかみさんはよく、ココナッツミルク入れるぜ、ほらこれこれ」

 三人で隠し味を覗き込んでコメントし合う。

 テレビ番組などで聞いたことのあるものから、聞いたこともない変わり種まで、十数種類の隠し味が用意されていた。

「これ…ほんとにカレーにあうの?」

「……ネット見てると結構合うらしいぜ」

 私の質問に、スマホで『カレー 隠し味』と検索していた原田くんが答える。トメさんもそれを覗き込んでいる。

「ヘェ〜っ、ココナッツミルクはカレーをマイルドにしてくれるのか」

「今度、コーヒー入れてみよっかな」

「バナナも捨てがたいな」

「いいですねぇ〜」

 カレーの隠し味に話が弾む二人。

 そんな中、私は一つ不自然さを感じていた。並べられた隠し味の中に、カレーの隠し味といえば定番のアレがなかったのだ。

「……ハチミツがない」

 つぶやいた私の言葉に二人も反応する。

「…そういや、ないな、ハチミツ」

「バー○ンドカレーも『りんごとハチミツ♪』って歌ってますもんね」

 三人で話している時、

「これ違いますか?」

 プレハブの中で作業していた鑑識が声を上げた。

「流し台に一つだけ、中身のない小皿が。ちょっとベタついているようなので、入っていたのはハチミツかと」

 そう言って空の小皿を持ってくる鑑識員。

「でかした、比呂」

 比呂と呼ばれた鑑識員から小皿を受け取るトメさん。

「比呂はよく、みんなが見逃すようなものを見つけてくれるんだ」

 後輩のことを自分のことのように喜ぶトメさん。それを微笑ましく思いながら、私たちは見つかった小皿に目を落とした。

「表面がてかってる。ドロッとしたものが、少し残ってるね」

「入っていたのは、ハチミツで間違いなさそうね」

「…もしかして」

 原田くんがカレーの方を見た。

「ハチミツだけ、もうすでにカレーに入ってる?」

「そのようね」

 たくさんの隠し味の中で、ハチミツの皿だけ空で、カレーはすでに出来上がっている。状況的に考えて、ハチミツはすでにカレーの中に入れられているようだ。

「だけど……」

「誰が、入れたんだ」

 私が抱いた謎を、トメさんが続けてくれた。

「犯人? 第一発見者? 会社の人?」

 原田くんが可能性のある人を挙げていって、最後に、

「被害者?」

 私たちは、被害者がハチミツをカレーに入れた、という可能性に納得していた。そして、それはつまり、被害者からの伝言……

「ダイイング、メッセージ」

 比呂くんが私たちの暗い空気を壊すような明るい声で言った。

 完全密室に、ダイイングメッセージ。私たちの事件には、二つの壁がそびえ立っているようだ。

 

〝ピーピーピー〟

 携帯の電子音が響いて、トメさんが自分のケータイを取り出す。

「検死からだ。なんかわかったらしい」

 と言って電話に出るトメさん。

 相槌を打ちながら、段々と複雑な顔に変わるトメさん。電話を終えると、ため息をついてこちらを向いた。

「ホトケの体に、不自然な火傷が見つかったそうだ」

「火傷⁉︎」

 私と原田くんは二人揃って声を上げた。

「あぁ。被害者はうつむいて倒れていたんだが、その背中に火傷痕があったそうだ。それも、大きいものじゃなくて、小さいものがいくつも」

「小さいものが…いくつも…?」

「あぁ。まるで、熱いものを押し付けられたみたいだとよ」

 トメさんが神妙な面持ちで言った。

「それって…拷問?」

 原田くんが、その場の全員が考えていた可能性を口にしてくれた。

「犯人は、被害者のことを拷問しながら殺した、ってこと?」

「でも、どうしてそんなにむごたらしいことを…」

「容疑者に、そこまで強い殺意を持ってそうな人はいたのか」

 原田くんの推測に比呂くんが慄いている中、トメさんが私に尋ねた。

「確か……。

 副社長の斎木賀さんは、二人で作り上げた会社なのに、いつの間にかワンマンな経営をしている被害者に対しての殺意がありそうです。

 秘書の上連さんは、彼女のお母さんが被害者に捨てられて自殺した過去があるので、そのことで殺意がありそうです。

 開発者グループの楢崎さんは、彼の好きなゲームのキャラが被害者にバカにされて相当な怒りを抱いていました。

 厨房のリーダーの奈部川さんは、その体型を被害者にいじられていたそうで、逆に被害者をいじり返していたそうです」

 私はトメさんに容疑者について説明した。

「なるほど。その奈部川って人はともかく、三人には殺意があってもおかしくないってことだな。それも、拷問して死に際まで追い詰めるほどの」

「そうなりますかね」

 私はまたため息をついた。

 

 次々と出てくる、まるで事件の解決を阻むような、謎の数々。完全密室にダイイングメッセージ、それに拷問をしたような痕…。

 これはあの子たちを頼る必要がありそうね…。友介が勤める

学校の、推理力が高い生徒たちの力を……。

 現場のみんなが頭を抱えている中で、私は心の中でそう考えていた。

 

 

「……ということだ」

 僕は凛から預かった録音機を机に置いた。傍には捜査資料のコピーも置いてある。

「密室に、ダイイングメッセージに、拷問みたいな痕……」

 僕は全くわからない。

 僕が事件のことを話している間、知佳はずっと料理を続けていたため、絶え間なく台所の音が鳴っていた。話しながらチラリと見たが、本当に推理できているのか気になるほど、知佳は黙々と料理していた。

「…なあ、知佳」

「……」

 知佳の料理はラストスパート、盛り付け作業に入っている。どんな美味しそうな料理が皿に盛られているのか、見ようとしたがちょうど知佳の背中に遮られて見えない。

「おーい、聞こえてるー?」

「……」

 知佳は、何やらさっき盛り付けていた鍋とは別の鍋を取り出して、その鍋の中身も皿に盛り付けている。

「……なんか美味しそうだな…」

「……」

「知佳……」

 僕が声をかけていると、

「完成」

 と知佳が声を上げた。

 知佳が皿を持ち上げて僕の目の前に置く。

 皿いっぱいに広がっているのは、まっさらな麺。揚げているのか、麺は黄金色で固まっているように見える。

「先生はさっき言いましたね」

 知佳は、さっき息をするように簡単に作っていた目玉焼きをその麺の上に乗せた。

「この事件には、完全密室とダイイングメッセージ。二つの謎がそびえ立っている、って」

「あ、あぁ」

 僕が知佳を見ると、知佳はニコッと笑って言った。

「でも、その壁が崩せれば、美味しいメインディッシュ……いや、真相が待ってるはずですよ」

 

「解けたのか」

 僕は期待を込めた視線で知佳を見つめた。…中学生が事件の謎を解けるということに何の疑問も抱かなくなったのはいかがなものか……。

「えぇ」

 知佳はエプロンを脱ぐと、僕の目の前の席に座った。

「まずは、ダイイングメッセージの謎です。先生、もう一度、どんなメッセージだったか教えてくれますか」

「いいけど……あれはメッセージというのか?」

「もちろん」

「それならいいけど。

 確か、カレーにハチミツが隠し味で入れられていたんだ。他にも隠し味が準備されていたのに、なくなっていたのはハチミツだけだったからな」

「そう、それですよ」

 知佳が顔を輝かせて言った。その手にはお箸が握られている。

「簡単な言葉遊びだったんですよ」

「言葉遊び?」

 知佳の言うことに全然理解できなかった。

「カレーにハチミツが入れられていた。言葉ですらないんだ。言葉遊びなんてできるわけがないだろ」

「言葉遊びなんですよ」

 知佳はニコニコしながら立ち上がると、調理室のホワイトボードの前に立った。

「もう一度、教えてください」

 という知佳に、

「カレーに、ハチミツが入れられていたんだ」

 と答えた。

 知佳はホワイトボードに、『カレー』と『ハチミツ』と書いた。

 そして、

「『カレー』に『ミツ』が入れられていたんです」

 と言って、『カ』『レ』『ミ』『ツ』に〝・〟をつけて強調した。

 そして、『カ』と『レ』の間に、『ミ』と『ツ』から矢印を伸ばした。

「もうわかりますよね」

 僕は知佳が書いたように読み上げた。

「カ、ミ、ツ、レ……上連!」

 カミツレ、上連。確かに、『カレー』の中に『ミツ(ハチミツ)』を入れて読むと、上連という言葉が浮かび上がる。

 まさしく、現場に用意されたカレーと隠し味をうまく利用した、言葉遊びだったのだ。

「その通りです」

 知佳はホワイトボードの文字を消すと、席に戻った。そして、僕の顔を見ると、はっきりと

「犯人は、上連佳奈さんです」

 といった。

「ダイイングメッセージの壁が崩れましたね」

 知佳は持っていた箸で、麺の上の目玉焼きの黄身を割った。

 とろりとしたちょうどいい半熟の黄身が、火山のマグマのように目玉焼きを伝って麺の上に広がった。とても美味しそう……。

 同じく火山のマグマのように口から溢れんとするよだれを抑えて、僕は話を続けた。

「確かに、ダイイングメッセージは上連さんを指しているようだけど、もう一つ重要な謎が残っているじゃないか。

 密室。この壁が崩れない限り、上連さんが犯人とは特定できない

 なんなら、自由に排気口を開け閉めして密室を作れる、楢崎さんの方が怪しいんじゃないか。もしかしたら、ダイイングメッセージだって楢崎さんを指してるかも…」

 僕の話を遮るように、知佳はふふふと含み笑いすると、

「その謎ももう解けているんです。ただ、ちょっと複雑ですよ」

 と言った。僕は大人しく、

「教えてくれ」

 と言った。

「もちろん。

 まず私が気になったのは、背中に残された無数の火傷痕です。先生の彼女さんは、拷問した痕ではないかと言ってましたけど、違います」

「拷問じゃないのか」

「えぇ。話を聞いていて、ずっと頭の中に浮かべていた推測が、この火傷のことを聞いて繋がったんです」

「推測? 一体、どんな推測なんだ?」

「先生、考えてみてください」

 質問ばかりする僕に、知佳がキッパリ言った。

「火で熱い思いをするばかりが、火傷の原因じゃないんですよ」

「火じゃない、火傷の原因……」

 僕は考えを巡らせて、一つ思いついたものがあった。

「…ドライアイス」

 知佳は頷いた。

「そうか、ドライアイスだったのか。ドライアイスなら、皮膚にあたったら火傷みたいな傷ができてしまうもんな。

 ってことは……」

「そう。被害者の体の周りには、ドライアイスが散りばめられていたんです」

 僕の言葉のあとを、知佳が続けた。

「ってことは……」

 さらに僕の頭には考えが浮かんでいた。ドライアイスといえば、ミステリーでは定番中の定番、あのトリック……

「被害者の体をドライアイスで冷やして、死亡推定時刻をずらしたのか!」

 知佳は頷くと立ち上がってホワイトボードへ向かった。

「先生だって、流石にミステリーの一冊や二冊は読んだことありますよね」

「ん、ま、まあ……コナンとか金田一とか……」

 確かに読書は苦手だけど、ひどい言われようだな。

「ミステリーの中で、いくつも死亡推定時刻をずらすトリックがありますよね。今回の死亡推定時刻は、死後硬直の具合から考えたようなので、死後硬直に関するトリックが重要なんです」

 確かに、検視官は『死後直後から判定した』と言っていたな、と僕が考えているうちに、知佳は再びホワイトボードに何やら書き始めた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 書き終わると、知佳は僕の方を向いて話し始めた。

「死後硬直っていうの、細胞の新陳代謝によって起こる現象なんです。それは、冷やすことで遅れて、温めることで早まります」

「冷やせば遅らせられて、温めれば早められる…。なるほど」

 僕はふと気になった質問をすることにした。

「……知佳、なんでこんなこと知ってるんだ?」

「魚ですよ。魚料理にハマった時があったんですけど、その時覚えたんです。魚を新鮮に保つってことは、死後硬直を遅らせるってことなんですよ。そのために魚を締めることが必要なんですけど、その時に色々調べて、死後硬直についても知ったってわけです」

「あ、そう…」

 魚料理から、人の死後硬直の話になるとは……。僕だったら食欲が2割引になりそう。

 知佳の話は続く。

「とにかく、上連さんはドライアイスを被害者の周りに散らばめたことで、被害者の死亡推定時刻を遅らせたんです。まさしく、こんな感じに」

 知佳はホワイトボードの図を指した。

「でも、死体の死亡推定時刻って、死後硬直だけで判断するんじゃないんです。直腸の温度とか、胃の消化の進み具合とか、死体に繁殖する細菌や虫の増殖具合とかね。

 だから多分、事件から時間が経ってる今頃は、事件当時の死亡推定時刻と総合的に判断した死亡推定時刻とで矛盾が生じてると思いますよ。検死とかも詳しくしてるでしょうし」

「なるほど…」

 そこまで聞けば僕にだって完全密室の謎はわかるというものだ。

「ってことは、こういうことだな。

 犯人の上連さんは八時より前に被害者を刺殺した。そして被害者の体にドライアイスを散りばめたあと、凛も思いついたタコ糸なんかを使ったトリックで密室を作り上げた。

 さらにそこへ、リモコンで『八時に排気口が閉まる』ように設定されていたという偶然が重なって、八時には排気口もしっかり閉まった。

 被害者の死亡推定時刻はドライアイスのおかげで遅れている。こうして、八時以降に死亡推定時刻が移動したことで、完全な密室ができた」

 知佳は嬉しそうに頷いてから、話を続けた。

「排気口のリモコンのことも、もしかしたら偶然じゃなくて必然だったかもしれません。上連さんは社長秘書ですから、社員に話を通してリモコンを操作することだって簡単でしょうし」

「確かに」

 知佳はこちらへ戻ってくると、手に持った箸を僕に渡した。

「これで、完全密室の壁も崩れました。

 これこそが、この事件の真相です」

 知佳は楽しそうな顔でそう言うと、皿を指して「どうぞ」と言った。

 僕はちょこっと頭を下げると、その箸を皿の上の麺にあてがうと、力を入れた。やはり揚げられた麺だったようで、バリバリと音を立てて崩れていく。……さも、警察を悩ませた完全密室という壁が崩れるように。

 さっき割ってあった黄身が麺に絡む。知佳が意図していのかはわからないが、黄身のおかげで麺が少しふやけて美味しそうだ。

 そして何より、麺を割った先にあったのは、とろっとろの餡。初めて僕の前に姿を現した餡は、今もほかほかとした湯気を放っている。出汁の匂い、ゴロゴロとした野菜、程よいトロトロ感……たまらん。

「味見です。ぜひ食べて感想を教えてください」

「いいの!」

 この機会を見逃してたまるものか!

「いただきます!」

 僕は大声でそう挨拶すると、知佳特製の『パリパリあんかけ揚げそば』を食べ始めた。

 見た目通りの味の完成度。出汁の効いた旨味溢れる餡と、パリパリの揚げそばの相性がハンパない。黄身の絡んだ部分の麺も、具材の野菜も。この世の幸福が全て、一口のとろみの中に閉じ込められている気さえした。

 味よし見た目よし。その上、初めはただの揚げた麺に魅せておいてから、目玉焼きを乗せ、それと一緒に割ることで中から餡が出現するという、抜群の演出。おそらく自分の家の店のために作ったのだろうが、レシピを考える才能がとてつもなく高すぎるだろう。

 僕は知佳の料理の才の凄さに呆気に取られていた。

 という具合で半分ほどまで食べ終わった僕だが、それでも忘れられず頭の片隅に残っているのが、事件のことである。

 

「そういえば、一つ気になってることがある」

「なんですか?」

「さっきの知佳の考えで、完全密室の謎は解けた。けれど、それだけなら誰でもできるじゃないか。ただ、上連さんにも犯行が可能というだけ」

「確かに……そうですね」

「へ」

 予測していなかった気の抜けた答えに、僕も気が抜ける。

「考えてなかったのか…?」

「確かに、そこを突かれると弱いんですよね…」

 知佳の顔に、初めて悩む表情が見えた。

 そうだよな。毎回思うことだが、相手は中学生だ。警察が解けない謎を、中学生が解明するなんておかしなことなんだ。これまでの生徒たちは解決していたが、知佳の反応が一番正しいのかもしれない。なんなら、ここまで解けただけでも満点……

「でも」

 僕が考えあぐねていると、知佳がハッと声を上げた。

「でも?」

「でも、上連さんが、被害者の体がドライアイスで冷やされていた時に現場にいたという推測ならできますよ」

 知佳の言葉に、僕は驚く。

「被害者が冷やされていたときに、現場にいた…?」

「はい。それなら、上連さんに疑いが向くと思うんですけど」

 確かに、死体にドライアイスが散りばめられている状況にいたという証拠があれば、少なくとも第一発見より先に現場にいたことが証明されて、上連さんへの疑いは濃くなると思うが……。

「一体、どういう考えだ?」

「青いウィンブレ」

 知佳が突拍子もないことを言った。

「確かそう言ってましたよね、上連さん」

「あぁ、社長が青いウィンブレを買ったんじゃないか、って」

 録音機には、上連さんの『社長、青色のウィンブレ買ってたみたいだし』という発言が残っている。

「上連さんはどうやって、被害者が青いウィンブレを買ってたと判断したんでしょう」

「どうやってって……見たんじゃないのか? 秘書として一緒にいる時間も多そうだし」

「実際に見たんだとしたら、『買ってたみたい』なんて投げやりな言い方する必要ないです」

「まあ、それも一理あるな…」

「この点に気づいた時、私思いついたことがあったんです」

 知佳が顔を明るくした。

「現場の遺留品に布の切れ端が残ってましたね」

「あったけど、赤色だ。青いウィンブレとはかけ離れてるよ」

 知佳は「違うんです」とニヤリとすると、

「赤い布の切れ端こそが、上連さんが被害者が青いウィンブレを買ったとした判断材料だったんです」

 と驚きのことを言った。

「いやいや、赤だったんだよ、青じゃない。流石に赤と青を見間違える人なんていない。まさか、上連さんが目の病気を患っていたとかいうんじゃないだろうな」

「そんなこと言いませんよ」

 知佳は呆れ顔で僕を一瞥してから、

「サーモグラフィック素材を使ったウィンブレだったんです」

 と言った。

「さ、サーモグラフィック?」

「聞いたことありません? 温度によって色が変わる布があること」

「温度によって?」

「えぇ。冬とか外に出たら白くなるのに、暖かい室内に入ったら黒っぽくなる、みたいな」

「それが、被害者が買ったウィンブレだったというのか」

 そう口にして僕は思った。被害者は変わったものが好きで、最近は化学的なものに興味を示していたという。温度によって色が変わるなんてまさしく化学的なアイデアを用いたウィンブレを、被害者が選んでいたとしてもおかしくはない。

「じゃあ、現場に残っていたのがそのウィンブレの切れ端だとしたら…」

「ドライアイスで被害者の体が冷やされているときに、一緒に冷えたはずです。温度が変わって、色も変わったんです。

 きっと、暖かいところでは赤色で冷やされると青色に変わる、温度変化がわかりやすいデザインだったんでしょう。

 上連さんは被害者の体の周りにドライアイスを撒いた時、温度によって青色に変わった後の切れ端を見たんだと思います。それで、被害者が青いウィンブレを買ったのだと勘違いしてしまったんです」

「理屈は通る…ということか」

 僕はもう何もいうことがなかった。

 

「こんなもんでどうですか。決定的かって言われると情報が少なすぎて難しいんですけど、上連さんへの疑いは強まるはずですよ」

「確かに。状況証拠としてはバッチリだ。物的証拠を見つけるのは警察の仕事だよ」

 僕はそういいながら、やはり知佳の推理力の高さに慄いていた。

 どうして、なぜ、僕が受け持つクラスの生徒たちは、こんなに推理力が高いのだろうか。天の気まぐれとしか言いようがない……。

 知佳は調理道具をいとも簡単に片付けたのち、

「ちょっと、レシピをパソコン室で書き出してきますね。誰にも譲れない私だけのレシピクラウドがあるんです」

 楽しそうにそう言って、部屋のドアに手をかけた。

「あ、そうだ。もう片付けは終わってるので、それ食べ終わったら流しに置いておいてください。あとで片付けておきますから」

 僕の皿を指差して言う。

「ん? あぁ、いや、いいよ。僕も皿洗いくらいはできる。そろそろ完全下校時刻だから、知佳は早く帰るといいよ」

 僕は寝ぼけているような口調でなんとか答えた。

「そうですか。じゃあ、お願いします」

 荷物を持って部屋を出ていく知佳。

「後で感想教えてくださいね〜」

 との声が徐々に遠ざかっていく。

 

 僕だけが一人のこった調理室。すぐに帰ってもよかったのだが……。

 もうしばらくはこの部屋で、後半分残ったこの料理を堪能していよう。僕はそう思った。

 だって、探偵に胃袋をつかまれるなんて、初めての体験だったのだから。

 

五時間目 終了

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