禪院甚爾に「私で童貞捨てたくせに」って言いたい欲求がある 作:らっきー(16代目)
家での生活に不自由を覚えたことは無い。ただ、ずっと退屈だった。
『無下限術式』と『六眼』というどちらかだけでも充分と言える才能を併せ持って産まれてきた自分を、五条の家の誰も彼もが持て囃した。
天才。神童。家のリソースは俺を高めることを最優先に注ぎ込まれ、次期当主である自分が何をしようと咎める者はいない。それは、権力への畏れというよりは、暴力への恐れからだったのかもしれないが。
六眼の恩恵は、物凄く単純化して言ってしまえば、誰よりも上手く呪力を扱えるということだ。単純な呪力操作だけで大人の呪術師より膂力は上回れたし、扱いが難しいと言われた無下限術式も、何が難しいのか分からないぐらいには使いこなせた。
端的に言ってしまえば、家の中で最強なのは自分であるという自負があった。並び立てる人間なんて誰一人居ない。体捌きといったような呪術の関係ない技術であっても、呪力の流れが見える眼を持っている自分にとっては一度見てしまえば再現は容易かったし、より洗練させることも難しくなかった。
全てが、退屈だった。
周りに居るヒトは、人形のようなものだ。教わることなんて無くなってからは尚更に。
ただこちらの機嫌を損ねないようにして、悟様、悟様と媚びへつらってくる使用人達。お前は家の誇りだとか他の御三家にデカい面はもうさせないとか、自分自身は特別なものなんて何一つ持っていないただの呪術師のくせに言い出す両親や親戚筋。
そういう生き物なのだろうと割り切ってしまえば、別に悪感情を持つほどでもないが。だからといってそんなヒト達に囲まれて常に過ごしたいかと問われれば否だ。
そんな退屈な日々のある夜。いつもと違うものが見えた。自分によく似た、白い影。
いわゆる社会一般で言われる幽霊というのは、まあつまり呪霊ではあるのだけど、もし自分がそれを知らなければ幽霊を見たと騒いでいたかもしれない。……いや、自分の眼なら呪霊をしかと認識出来るはずなのだから、或いは本当の意味で幽霊なのかもしれない。
正体を知ってから思えば馬鹿な考えなのだが、その時は本当にその幽霊を捕まえてやろうぐらいに思っていた。
その影は昼間には影も形も無くて、夜にようやく見つけたと思ってもすぐに撒かれて見失ってしまう。自分の思い通りにいかない事があるのが納得いかなくて、ムキになっていたのだと思う。
その夜も、さっぱり気配も掴めなくて。もう半分諦めて寝ようかと最後に庭の辺りを探してみようと思って──
(居た)
その幽霊だと思っていたものは、こうして目の前にしていても存在が薄く見える。ただ、幽霊だと言うには存在感があったし、呪霊だと言うには綺麗過ぎた。
(俺に、似てる)
自分と同じだが、それより長い白い髪。月明かりだけでははっきりと言えないが、どことなく似たような顔立ち。今は閉じられているが、瞳も自分と同じなのだろうか?
「……そんな所に居ないで、こっちに来なよ。今日の月は綺麗だよ」
(バレてる……!?)
足音はたてなかったはずだし、物音にも細心の注意を払った。一体どこでヘマをしてしまったのか。
「やあ悟。ちゃんと話すのは初めてだね。……私が誰かは、分かる?」
凄く、透き通った声だと思った。その声だけでも、悪いものじゃないと理解してしまうぐらいには。
「……幽霊かなにかだと思ってた」
それは正直な回答だったのだけど、その暫定幽霊には随分と可笑しな答えであったらしく、ケラケラと笑い出していた。その姿には先程の超然とした様子は無く、変な緊張が無くなったのはそのおかげであったのだと思う。
「いやーごめんごめん。まああながち間違いでもないんだけどね。私は五条空。君の姉だよ。ちゃんと血も繋がってる、ね」
「姉? そんなん聞いたことないんだけど」
「そりゃそうだ。なにせ私は『出来損ない』だからね」
そこには自虐している様子なんて全く見えなくて。ただそれはそういうものだからと、当然の事実を述べるように実にあっさりとしていた。
言葉の意味を考えていたのを察したのか幽霊、改め姉と名乗る人物は話を続けてくれた。
「その眼で見たら分かると思うけど、私は呪力が無いんだよ。当然、術式もね。多分、一般人とも違って見えるんじゃないかな」
幽霊だと思っていた理由はそれではっきりとした。呪力を見るこの眼は、逆を言えば呪力の無い物が見にくい。建物だとか自然だとか、そういった物に紛れてしまっていたからそう思い込んでいたらしい。
幽霊の謎はこれで解決した。しかし。
「姉だって言ったよな。それなのに俺、あんたの事見た事ない」
新たな謎はそれだ。姉弟というなら、家族というならもっと一緒に過ごすものではないのか。そうしてくれていれば他の家族より歳も近いであろう分退屈もしなくて済んだかもしれないのに。
「当主と、その妻と、それから……まあ一々挙げるのも面倒だけど、ともかく、会うなって言われてたからね。今も、もし他に人が居たら私はとっくに逃げてるさ」
「何で」
「私が『出来損ない』だから。大事な大事な天才様に『出来損ない』が感染したら困るでしょ?」
「なんだそれ。くだらねえ。なんでそんなん真面目に守ってんだよ。そんなに弱いのか? お前」
「うーん……悟以外なら皆殺しに出来るぐらいには強いと思うよ? けどね」
なんでもない事のようにそんな物騒なことを言われたのにも驚いた。しかしそれ以上に。
「そんな面倒なことしても仕方ないでしょ? それでなにか解決するわけでもないしね」
そんなことを、どこかつまらなそうに言っていたのが。妙に印象的だった。きっとこの姉は。もう何かをしようとも思わないのだろうと、そう感じた。
「……姉さん。これからも会える?」
だから、こっちから会おうとしなければもう会えないんじゃないかと思って。
「うん? 夜は時々こうしてるから、声かけてくれれば……昼間は、ちょっと人の目があるからなあ……」
「人目が無ければいいんだな? じゃあ俺がどうにかする。俺が命令して、逆らえるやつなんて居ないんだ」
「うーん……私にそこまでして会う価値なんてないと思うけどな……」
「姉弟なんだろ? 会うのに理由なんて要る?」
そうやってゴリ押してやれば、また楽しそうにケラケラと笑うのだ。
「ふふ。素直な子だねえ。……嬉しいよ、そんな風に言ってもらえて。それなら、私は今日、さようならを言うつもりだったけど、やめておこうか。またね、悟」
それが幽霊……ではなく、五条空──姉さんと初めて話した日だった。
姉さんと過ごす時間は居心地が良かった。他のヒト達みたいに傅くだけじゃないし、礼儀作法だとかめんどくさい事も言ってこない。それに、自分の事を『出来損ない』なんて言っていたけれど、少なくとも身体能力に関しては俺よりよっぽど上だ。
「ふぅ。呪力操作が上手いのかな? どんどん強くなるね悟は。……少し休憩する?」
「まだまだ平気!」
術式の練習がしたいと言って場所を借りて、気が散るから消え失せろと使用人達を追い払って。ようやく姉さんと過ごせる時間が手に入った。他のヒトから何を言われてもどうでもよかったけど、姉さんには凄いねと褒めてもらいたくて。全力で挑んだのだけどいなされ続けている。
別に、他の家族達が嫌いなわけじゃない。時々鬱陶しいと思う時はあるし、弱いなというのが正直な感想ではあるけれど、それで嫌いになるかと言われれば別の話だ。
でも、一緒にいたいのは、褒めて欲しいのは、理解者になってくれると思えるのは姉さんなんだ。この冷たいぐらいに冷静なくせに優しくて、自分に自信が無くて、そのくせ能力は高いという矛盾しまくったこの人なんだ。
だから──ある日出会った、その男のことは最初から嫌いだった。
「甚爾君。紹介しますね。弟の悟で……なんで2人ともそんな嫌そうな顔してるんです?」
禪院甚爾というその男のことは、噂だけは聞いていた。禪院に産まれた『出来損ない』。姉さんと同じ人。
どうして嫌そうな顔をしているのかって、当たり前だ。その男が居ると、姉さんが俺の知ってる姉さんじゃなくなるから。
嫌だよ。俺の知らない顔をしないでよ。俺と一緒に居てよ──俺の姉さんを、とるなよ。
それがあまりにも子供じみたワガママだなんてことは分かってる。俺にだって姉さんの知らない人間関係があるし、その逆だって同じことだ。だからこれは、姉さんと同じ世界が見られるその男へのつまらない嫉妬でしかなくて。
そんな醜い自分自身にも、その男にそれを見透かされていたらしいことも。
腹が立った。
「悟はさ、私が居なくても大丈夫?」
唐突に言われたその言葉は、しかし予想外と言うほどでもない。なんだよ急に、とは言ったけれど。
知っている。あの禪院の所に行く回数が増えていることも、五条の家での立場がどんどん危うくなっていることも、その原因の一端が自分にあることも。
あの悟にまとわりつく『出来損ない』をどうしてくれようか、と自分には優しい両親が話しているのを盗み聞きしたことがある。身の程知らずにもあの『出来損ない』が悟様に近付こうとしているらしいと使用人が噂しているのを聞いたことがある。
そんな針のむしろの中で、それでも俺に会いに来てくれるのは……申し訳なさと嬉しさが半分半分……いや、4:6ぐらい。自分の立場を危うくするのも厭わないそれは、きっと姉さんからの愛情の証のようなものなのだろう。
だから、もうワガママは終わり。姉さんがこの家を出たいと思うのなら、背中を押してやるのが俺からの愛情だ。
ただ、それはそれはそれとして。
「友達……前来てたあの男、どんな関係なの?」
その質問に、困ったように、照れ臭そうに、恥ずかしそうに、嬉しそうに。実に複雑そうな顔を姉さんがしていたことは。
少しだけ、本当に少しだけ。面白くなかった。