幻魔の支配する京の街。
その洛中における東の外れ、鴨川のほとり三条木屋町に建つ料亭、四国屋丹虎。
その名の示す通り、かつては四国の諸大名家に仕える高官たちが京都在任の際に居住し、時には京都所司代に仕える幕府の役人を接待するのに使われた高級料亭である。
だがこの動乱の世においてその在り方を様変わりさせ、今や幻魔の力を以て攘夷を為さんとする過激派組織土佐勤王党、その首魁である武市瑞山の居城にして幻魔勢力が京の街を支配するための前哨基地と化していた。
そのため三条木屋町一帯には常に防衛のため数百体もの知能を持たない下級造魔が徘徊し、四国屋丹虎の周辺や内部には数十人からなる幻魔浪士が歩哨として警戒に当たっていた。
そんな厳重な警戒態勢の下にある四国屋丹虎の一室。
奇岩が飾られ幻魔界の植物が植えられた中庭に面した部屋であり、床の間の壁には幻魔志士達が崇敬する織田信長と豊臣秀吉の姿が描かれた掛け軸が飾られている。
そんな丹虎の中でも最も上等な客間に、二人の男と一人の異形の女が座っていた。
「え、龍馬はこないの?」
女が残念そうに口を開く。
白金のように輝く髪に、雪のように白い肌と白みを帯びた瞳。
まるで攘夷志士たちが憎悪する異国人のような容姿をした女だったが、側頭部から突き出した二本の白い角そして額に紅く光る第三の目が、女の人種どころか種族自体が人間とは違うことを示していた。
「せっかく新しい小袖を作ったから、龍馬にも見てもらいたかったのに」
着物の裾を掴み両手を広げ、服を強調するよう胸を張りながら女は言う。
「ねえ、なんで龍馬はこないの? 龍馬は何処にいるの?」
「落ち着いてください、コーディリア殿」
不満げにブウ垂れるコーディリアを、男のうちの一人が窘める。
その両目は妖しく深紅に輝き、既に幻魔へと改造されていることは明らかだったが、その声自体は冷静で穏やかなものだった。
「まず、龍馬は神戸にいます。コーディリア殿も知る、海軍操練所に行くとのことでした。此処に来ない理由は、誘ったが断わられたからです。他にもっとやりたいことがあるから、後で連絡だけしてくれと――まあ、あいつが自由気ままなのはいつもの事です」
「何時もソレで済ますのは良くないぞ、武市君」
もう一人の男が、厳しい声で言う。
「今回の会合は、我らにとって最も重要なモノ。確かに彼がいなくとも問題は無いが、礼儀としてきちんと参加するべきだ」
「まあまあ吉田君、そう言わず。アレはそういった礼儀作法に従うことを最も苦手とする男、私に免じて大目に見てやってください」
武市と呼ばれた男――現在、事実上京の街を支配する土佐勤王党の党首武市瑞山は、もう一人の男に頭を下げて頼み込む。
「……頭を上げてください、武市君。貴方ほどの男に頭を下げられては、こちらの方が居心地悪い。――気にしていませんよ、本当に。実のところ、彼が来るとは最初から思っていなかった」
吉田と呼ばれた男――かつての幻魔王吉田松陰の門弟にして、全ての幻魔志士を支援する長州を支配する三傑の一人、吉田稔麿はそう言って武市に頭を上げるよう促す。
促された武市はかたじけないと言って頭を上げるが、そんな二人の男達のやり取りになど興味は無いといった風にコーディリアは立ち上がる。
「じゃあ、私は神戸に行って龍馬に小袖を見せてくるから。後のことはよろしくね」
そう言い残すとコーディリアは二人の返答も聞かず、スタスタと部屋から出て行ってしまう。
その姿を何も言わず見送った二人は、何とも言えない顔で互いに笑みを交わす。
「……坂本君も自由だが、あの方はそれ以上だな。幻魔の姫君として、思うがままに育てられたが故だろうが」
「そういうところも、龍馬と気が合うのでしょう。アイツは昔から、人に好かれた」
そう言ってしばし笑いあった二人だったが、やがて顔を引き締めた。
「では、そろそろ本題に入りましょうか――オズワルド君」
武市の言葉に襖が開き、奥から能面のような顔の付いたアンモナイトがフワフワと宙に浮きながら入ってきた。
「は、ははははハイ、武市様。お、およ、呼び下さ、さり有難うございます。お、オズワルド、です」
背負った貝殻の隙間から伸びる触手をこすりながら、オズワルドと呼ばれた高等幻魔は言葉を続ける。
「およ、お喜びください、お二方。わわ、我らが長年探し求めたものが、遂に見つかり、い、一年。研究を続け、わ、私の真理への探究はつ、遂に辿り着きました!」
オズワルドが合図を送ると男が二人、巨大な植木鉢を抱えて入ってくる。
二人の瞳はどちらも紅く輝いており、武市や吉田と同じく既に幻魔へと改造されていた。
「げ、げげ、幻魔樹、です!!」
植木鉢には、人の背丈よりもやや高く成長した桜の木が植えられていた。
広く生え茂った枝には季節でもないのに桜の花が華やかに生い茂り、更には通常の桜ではないことを示すかのように妖しく仄かに輝いている。
だが何より異様なのは、幹の部分。
何とそこには樹木と一体化するかの如く、臨月を迎えた妊婦が捻じり込まれていた。
更にはそのような状況になってなお意識があるのか、木と一体化させられた女は微かに苦悶の声をあげ呻いている。
常人であれば目を背け、とても直視は出来ぬ女の哀れで痛ましい姿。
だが武市と吉田は、そんな女の姿に対し表情一つ変えない。
もともと妊婦をそう使うものだと知っていたのもあるが、それ以上に幻魔と化したことにより、彼らには他者への慈悲や憐憫といった感情が無くなってしまったのだ。
「ふむ、素晴らしい。……だが、肝心の効用のほうは?」
「ご、ごご、ご安心ください、吉田様」
再びオズワルドが合図を送ると、幻魔樹の植えられた植木鉢を運んできた幻魔志士二人が、中庭に面した襖を開く。
――開かれた中庭には、二十人ほどの男が座っていた。
その瞳は皆強い意志を宿しギラついてはいるものの、今だ紅く輝いてはおらず幻魔へと改造されていないのは明らかであった。
彼らは中庭に並んで正座しており、その眼前には酒が並々と注がれた朱色の盃が全員分置かれている。
「ご、ご覧ください! 豊国蟲の、力を!!」
オズワルドの言葉と共に、枝に咲いていた桜の花弁たちが舞い上がる。
――否。ソレは、花弁などではなかった。
桜の花弁に見えていたソレは、蟲だった。
桜の花弁の様な羽を持つ、蠅を思わせるような姿をした異形の蟲。
その蟲たちは吸い込まれるように、男たちの眼前に置かれた盃へと飛び込んでいく。
やがて全ての蟲たちが盃の中へと飛び込み終わり、男たちの前には蟲入りの盃が残る。
一見すると桜の花弁が浮いた風流な酒、しかして実態は蠅の様な異形の虫が浮かぶ悍ましき酒。
――その酒を、男たちは一瞬の逡巡すら見せず一息に飲み干す。
一瞬の沈黙。
だが直ぐに男たちは胸を押さえてその場に蹲り、苦悶の声をあげだした。
目はカッと見開かれ瞳孔は拡大し、全身の血管が異常なまでに浮き上がりドス黒く変色し、体全体が真っ赤に紅潮する。
明らかに異常な有様。
だがしばらくすると男たちの体の変調は治まっていき、やがて特に長身で逞しい体つきをした一人の男が立ち上がった。
――その両眼は、武市や吉田と同じく真っ赤に光り輝いていた。
「気分はどうだい、那須信吾君」
吉田の言葉に、那須と呼ばれた男は一瞥を送ると庭に置かれた奇岩へと歩いていく。
並みの人間ほどの大きさがあり、重さにして数トンは軽く超えるだろう程の奇岩。
その奇岩を、那須は両手で抱えると軽々と持ち上げた。
明らかに人の領域を超えた膂力。
だが、それだけでは終わらない。
那須が両腕に力を込めて締め上げると、奇岩にヒビが入る。
そして更に那須が力を籠めると、奇岩は大きな音を立てて粉々に砕け散ってしまった。
「――最高です、吉田さん」
パンッと音を立て、武市が懐に忍ばせていた扇子を開く。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「素晴らしいぞ、信吾! 我らと同じ、幻魔に至ったのだな。――そしてオズワルド君も、よくやった! この一瞬で、新たに多くの同志が幻魔志士へと至った。この樹を量産できれば、さらに多くの同志を幻魔にすることが出来る。その力があれば、夷狄など容易く打ち払うことが出来るだろう!!」
「は、は、はい。今まで、人間を幻魔に改造するには、多くの手間と時間が必要でした。か、下級造魔としてなら、比較的短時間で改造できるのですが、ち、知能が酷く下がってしまいます。し、しかしこの豊国蟲ならば! 下級造魔を作るよりも、は、遥かに速い時間で! 一瞬で! に、人間を幻魔に帰ることが出来るのです! こ、これは革命です。い、古の記録を探し、書物を漁り、か、かつて幻魔母樹が生えていたという、この京の街の地下を掘り返して、痕跡を探した! そ、そして遂に樹の根の残骸を見つけ出し、解析して再現を――」
「……それで、この幻魔樹はどれ程の数を量産出来ているのかな?」
興奮して喋り続けとうとするオズワルドを、吉田が質問で制する。
「あ、は、は、はい! え、え~、そ、その、素材となる臨月を迎えた妊婦の確保に、て、手間取っておりまして、ま、まだ、それほどの数は……。し、しかし! 既に製造法は確立しておりますので、素材さえ、あ、集められれば、すぐにでも数を揃えられます! す、既に完成品の一部を長州に送っており、せ、製造法も伝えておりますので、現地にてすぐにでも、量産が始められるかと……」
「――結構。ならば、いよいよあの計画を始める時が来たようだね、武市君」
吉田に言葉に武市は開いていた扇子を音を立てて閉じ、真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。
「……いよいよ、始めるのですな。我々の攘夷を」
「ええ、我々の真摯な言葉に耳を傾けず、幻魔の力を拒み続け攘夷決行を渋る幕府には、ほとほと愛想が尽き申した。――狂の一文字、行動あるのみ。それこそ我が師、吉田松陰が私たちに教えてくれた理念です。それに従い、我々が先駆けとなり攘夷戦争を始める。そして幻魔の力を以て、夷狄どもを打ち払う。一度戦争が始まってしまえば、もう幕府も優柔不断な事など言っていられない。我々の言葉に従い幻魔の力を受け入れ、攘夷戦争を戦わざるを得なくなる。……故に始めましょう、救国のための闘争を。我々の攘夷戦争を」