鬼武者 ~ 幕末伝 ~   作:ダイアジン粒剤5

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第十六話 西郷吉之助

 外面の物々しさと比べ、京都薩摩藩邸の内部は穏やかなものだった。

 隅々まで埃ひとつ無く掃き清められ、障子には品よく美しい松や梅などの絵が描かれている。

 藩邸という外からの客を招くことも多い邸宅である事を思えば当然の作りであったが、それでも案内人に導かれ西郷、大久保の待つ部屋へと進む三人の顔から緊張の色が消えることは無い。

 

 ――なぜなら隠そうにも隠し切れない、合戦前の様な物々しさが屋敷全体から漂っているからだ。

 

 それだけではない。

 案内人として三人を導く男もまた、問題だった。

 

 ――男は、中村半次郎と名乗った。

 

 中村半次郎、それは京の街では知らぬ者の無い人斬りの名。

 西郷の腹心とも懐刀とも呼ばれる男だけに、薩摩藩邸内に居ること自体はおかしくないが、ソレを案内人に付けるということ自体が意味を持つ。

 

 ――最悪、一戦交えることも辞さない。

 

 そういった西郷の意思を、三人はヒシヒシと感じていた。

 

 「……此処でごわす」

 

 そんな三人の様子を知ってか知らずか、半次郎は感情を交えない平坦な声で立ち止まる。

 そして襖を開け、三人を奥の部屋へと通す。

 

 導かれるままに三人が進むと、そこに西郷と大久保が座っていた。

 まず目を引くのは、西郷だ。

 デカい。

 縦にも横にも、まるで力士か相撲取りかというほどの巨漢。

 だが何よりも目を引くのは、その瞳だ。

 大きく見開かれ、黒目が常人よりも大きく、まるで其処から光を放っているかのような印象を受ける。

 

 (……大人物って奴だね。こんなのを見たのは、戦国の世以来だよ。近藤も英傑だと感じたけど、こっちは格が違う)

 

 一方の大久保は、一見すると西郷に比べ大人しい印象を受ける。

 中肉中背で髭は綺麗に反り、全体的に小綺麗に纏まっている。

 だが、目だけは違う。

 切れ長の目の奥に光る瞳はガラス玉のようで、こちらの姿を映すばかりで内面を一切悟らせない。

 それでいて西郷とはまた違った鋭い光を放っており、まるでこちらの心の内を切り裂き抉り出そうとしているかのようだった。

 

 (こっちも、やばいね。江戸の始まりの頃は幕府にもこんな感じの目をした役人がチラホラいたけど、ここ二百年はとんと見ない。 幻魔に支配された今の京の街で、新選組以上の力を持ってるってのも納得だよ。どっちも間違いなく、歴史に名が残る類の英雄の資質を持ってる)

 

 永き年月ヒトの世を観てきた鴉天狗として、阿倫は西郷と大久保の二人に最大限の評価を下す。

 

 「どうぞ、お座りください」

 

 一方そんな評価を下されているとは露知らぬ大久保は、事前に用意していたのだろう畳の上に敷かれた三枚の座布団に座るよう、三人に促す。

 

 「――忝い」

 

 近藤の返答に続き、促されるまま座布団に座る三人。

 上等な素材を使っているのだろう、フカフカしていて実に座り心地が良かった。

 

 「本日は、此方の突然の招きに応じて参上してくださり、誠に感謝しもす。西郷、吉之助でごわす」

 

 「……大久保です」

 

 深々と頭を下げ、挨拶と自己紹介をする西郷と大久保。

 それを見た近藤たちもまた、あわてて頭を下げる。

 

 「いえ、此度はお招きくださり、まことに有難うございます。新選組局長、近藤勇です」

 

 「新選組で世話になってる居候、阿厘です! よろしく!」

 

 「じゅうべ……いや、沖田、総司です」

 

 互いの挨拶が終わるのとほぼ同時に、ピシャリと音がして背後の襖が閉められる。

 案内人の中村半次郎が、襖を閉めたのだ。

 半次郎はそのまま閉じた襖の正面に座り、近藤たちの背後に控えた。

 

 (座ったってことは人斬り半次郎が会談中、ずっと後ろに居るのか……。嫌だなぁ)

 

 案内人という役目故か帯刀こそしていなかったが、高名な殺し屋が背後にいるというのは落ち着かない。

 出来れば部屋から退出して欲しかったが、そんな事を頼める空気ではない。

 何しろ西郷や大久保すら帯刀していないのに、こちらは帯刀したまま此処まで通された。

 藩邸内に入る時に固辞し預けようとしたのだが、帯刀したままの方が安心だろうからと断られてしまった。

 この状況下で半次郎の退出を求めるのは、あまりにも礼を失している。

 受け入れるしかなかった。

 

 「先に送った手紙の通り、新選組にはオイたち薩摩と同盟を結んで欲しいのでごわすが――まずは何故、そのような提案をしたのかを話させてたもんせ」

 

 阿倫の内なる葛藤を知ってか知らずか、西郷は頭を上げ話を切り出す。

 

 「まず第一に――長州ばらは、近日中にも日ノ本全土を巻き込んだ大攘夷戦争をば始めようとしておりもす。全ての西欧列国を対象にした、大戦争を行うつもりなのでごわす。我々薩摩はソレをば阻止するため、今すぐにでも武力を持って尊王攘夷派の志士たちを京の街から追い出すつもりでございもす。新選組には、その手伝いをしてもらいたか」

 

 感情を殺した、平坦な声で告げる西郷。

 それもあって三人は、西郷の話した恐るべき内容を脳内で咀嚼することが出来なかった。

 あまりの内容に、頭が真っ白になり脳が理解を拒んだのだ。

 

 「な、なにを……!」

 

 「攘夷派の準備は、既に始まっておりもす。長州本国では数千もの幻魔からなる大軍勢が組織され、付近を通る外国船への攻撃準備を整えておりもす。更には先日、おおよそ百名もの幻魔志士が大和国と但馬国に、蜂起を促すべく向かいもした。それぞれの地で決起し兵を集め、その武力を持って大阪にいる将軍含めた幕府中枢を脅し、幻魔の力をもっての攘夷決行を決断させるつもりでごわす。そして仮に決断できぬなら、そんな弱腰な幕府は最早いらぬと、全員に天誅を下すつもりでごわす」

 

 メキッ、という音が部屋全体に響いた。

 近藤が畳に拳を叩き込み、その拳骨をメリ込ませたのだ。

 その目は真っ赤に充血し、額には無数の青筋が立ち全身がプルプルと震えている。

 憤怒が、全身から燃え上がっていた。

 

 「しょっ、将軍様を、弑逆するつもり、と……?」

 

 「今のままでは、そうなるでしょうな。どんなに脅されたとしても、幕府に攘夷を決行する意思など無いでしょう」

 

 それまで黙っていた大久保が、口を開く。

 その声は重く、冷徹で。

 しかしそれ故に、確かな説得力を持っていた。

 

 「オイたちは、日ノ本全土を巻き込む大戦争を止めたか。長州の暴走は、もう止められもはん。じゃっどん京の街から攘夷派を追い出し天子様から遠ざければ、その暴走は長州の私事になる。天子様がおわし朝廷のある、この京の街を支配しとるから攘夷派の行動は日ノ本の国を代表する行動になる。攘夷派を京の街から追い出すことさえできれば、攘夷派の行動が日ノ本全土に飛び火することはありもはん。西欧列国との戦火は長州だけで留まり、日ノ本全土に戦火が拡大することは避けられもす」

 

 そこで西郷は言葉を切り、再び深々と頭を下げる。

 

 「近藤どん。こん国を救うため、どうかオイたちと共に戦ってたもんせ」

 

 西郷に合わせ大久保と、背後に座す半次郎まで頭を下げた。

 

 ――どこまでも低姿勢の、請願。

 

 しかし其処には、有無を言わせぬ圧がある。

 その圧に負けた訳ではないが、近藤は西郷の話に乗るつもりになっていた。

 元々同盟自体は結ぶつもりであったし、先程の話を聞いた以上、幻魔共の暴走を許すわけにもいかない。

 近藤が頷き、応じようとした時――。

 

 「――ちょうっと待ってくれるかい、近藤さん。応じる前に、西郷さんに聞いておきたいことがあるんだ」

 

 阿倫が、それを遮った。

 

 「――阿倫殿」

 

 「ああ、勘違いしないでね。私は別に同盟に反対な訳でも、共に幻魔と戦うことに反対な訳でもないんだ。ただ、ちょうっと気になることがあるから、一つ二つ質問をしたいだけなんだよ」

 

 「……質問とは、なんでしょうか。我々の話が信頼出来ぬゆえ、裏付けを取るためにも情報源を明かせと?」

 

 冷淡な、大久保の言葉。

 形こそ質問だが、その裏には明確な拒否の意思が現れている。

 だがそんな大久保に、阿倫は手を振って答える。

 

 「ああ、違う違う。これでも長く生きて人を見る目には自身があるんだ、あんた達の話に嘘が無い事は分かるよ。情報源を明かせとも言わない、そんな事出来るわけないってことぐらいは心得てるよ。――私が聞きたいのは、あんた達の動機だ。あんた達は何故、攘夷派の決起を止めようとする?」

 

 阿倫は顔を引き締め、言葉を続ける。

 

 「先代斉彬公の時分、あんた達薩摩は今の長州と同じく幻魔の力を使っての攘夷決行を企図していたはずだ。――もちろん今の久光公が実権を握るようになって、その方針は改められたとは聞いてる。昨年この京の街で起きた寺田屋事件では、薩摩内に残っていた幻魔浪士たちが全員粛清されたとも。だから今の薩摩が、長州の暴走を止めようとしてもおかしくない」

 

 そこで一旦言葉を切り、阿倫は鋭い視線を西郷に向ける。

 

 「でも西郷さん、あんたがソレをしようとするのはおかしい。あんたは斉彬の腹心で、懐刀だったはずだ。それどころか、私の記憶では幻魔側との折半まで任されていた。そんなあんたが何故、斉彬の遺志を潰すような真似をしようとするんだい? 権力者が変わったからって、それにおもねる様な人間じゃないだろ、あんた」

 

 阿倫の鋭い視線と言葉を、西郷は真正面から受け止め見つめ返す。

 その明るく輝く大きな両眼は、阿倫の目から放たれる鋭い光すら飲み込んでしまいそうだった。

 

 「……まず、過ちを正しもそう。斉彬公は、幻魔の力に頼っての攘夷決行など考えておりもはんかった」

 

 平坦な声で告げる、西郷。

 しかしその言葉の奥、常人では気付けぬほど深い心の奥底に、マグマがあった。

 岩すら溶かす、煮え滾る怒りの炎が。

 

 「幻魔の力に、価値は感じておりもした。徳川めが国を閉ざして二百数十年、こん国が眠っとる間に、西欧各国は恐ろしく強かなった。最早、追いつけぬのでは思える程に。じゃっどん、幻魔の力は日ノ本にしか無か。西欧列国には無か幻魔の力を使えば、埋め難か力の差を、少しでも埋められるのではと斉彬公は考えておられもした。――全ては、こん国を西欧列国から守るために」

 

 そこまで話すと西郷は目を閉じ、大きく天を仰いだ。

 感情を抑えるためかしばらくそのままだったが、やがて大きく息を吐くと話の続きを話し始めた。

 

 「……先日我ら薩摩は、西欧列国の一つである英国と戦ばしもした」

 

 「生麦にて、久光公の大名行列に騎乗し突っ込んできた英国人を斬ったのが原因です。我ら薩摩には、一切の咎はありもはん」

 

 西郷の言葉を、大久保が補足する。

 大名行列とは、いわば国家元首とその護衛にあたる親衛隊による行軍。

 そんなモノに騎乗し突っ込んだ以上、その英国人が斬られるのは当然。大久保の言う通り、薩摩に咎は無いだろう。

 

 「実際に干戈ば交えて、我らは実感しもした。――幻魔の力では、国ば守れんと。西欧列国には、勝てんと。長州の為そうとしとることは、亡国の道じゃと。こん日ノ本の国を守ることこそ、斉彬様の御遺志。オイは、斉彬様の御遺志に殉ずるど」

 

 確固たる意志の元、言い切る西郷。

 その言葉に、阿倫は頷く。

 

 「……分かったよ。矛盾は無い、と。じゃあ最後に、もう一つだけ質問だ。――この子の事を、どう思う? 斉彬公を殺したのがこの子だって、知ってるよね。なんで、今回の会談に私たちを指名して呼んだんだい?」

 

 ――目尻が裂けるほどに西郷の目が見開かれ、そこから心の奥のマグマが噴き出した。

 

 額から頭にかけて無数の青筋が立ち、全身が真っ赤に紅潮する。

 

 ――部屋が、揺れている。

 

 そんな錯覚を覚えるほどの激情が、西郷の全身から放たれている。

 その威圧感には数多の死線を潜ってきた十兵衛すら戦慄し、百戦錬磨の近藤や半次郎も身を固くし、冷徹な大久保すら冷や汗を流している。

 

 「……許せもはん。斉彬公は、オイにとって終生の恩人にして人生の師。それを弑逆したその娘を、オイは決して許しもはん」

 

 血を吐くように絞り出される、怒りと悲しみに満ちた西郷の言葉。

 しかしその言葉を吐き出すと同時に西郷は息を吐き、それと同時に額に浮かぶ無数の青筋が薄まり始める。

 やがて額の青筋が消え体の紅潮も治まり、部屋が揺れる錯覚も無くなった。

 

 「しかし、こん怒りは私事じゃ。私事で、国を守るという公事を蔑ろにする訳にはいきもはん。――お二人を呼んだのは、オイの心を納得させ全力で公事にあたるためでごわす。お二人を見て沸き上がった心を静めることで、オイの心は決まりもした。これで、全力で事に当たれもす」

 

 そこまで言うと西郷は畳に手を付き、深々とお辞儀をした。

 

 「この度は、オイたちの招きに応じてくださり真に有難う御座いもす。共に、こん国をば守りましょう」

 

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