――――幻魔。
遥かなる太古の時代、幻魔界と呼ばれる異空間より日ノ本の国に現れた異形なる悪しき者たち。
「鬼の一族」と呼ばれる人とは異なる日ノ本の先住種族を長い戦いの末に滅ぼし、遂には人の世をも支配せんとした日ノ本の国に生きる全ての者にとっての大敵。
しかし彼らは今より二百年の昔、戦国の世に滅んだ。
鬼の一族と人との混血の末に産まれた戦士、鬼武者の手によって。
全ての幻魔を生み出した創造神とも讃えられた幻魔王フォーティンブラスは完全消滅し、十万分ノ一の確率でしか生まれない幹部たる高等幻魔は全てが討たれ、僅かなりとも知性を持つ中等幻魔すら絶滅寸前まで追い込まれた。
戦国の世を終わらせた徳川幕府の手によって幻魔界に到る道は全て閉ざされ、日ノ本の国は長きに渡る幻魔の脅威から解放された――――はずだった。
幻魔界への道が閉ざされてより二百年の後。
世界の隅々を植民地へと変えた欧州列強の脅威が刻一刻と差し迫る動乱前夜、封じられた幻魔界への道をこじ開ける者が現れた。
その者の名は、吉田松陰。
迫りくる国外の大敵の存在に憂国の心を募らせる、英明なる青年であった。
彼は救国の術を探る諸国行脚の旅の中で戦国の覇王・織田信長が天下統一のために使役し、豊国大明神・豊臣秀吉が大陸制覇のために契約を結んだ幻魔の存在を知り、歓喜した。
この二人の英傑が重視した異形の存在こそ、救国の鍵になると確信したがゆえに。
数年の探索の末、彼は持ち前の頭脳と他の追随を許さぬ行動力により閉ざされたはずの幻魔界への道を発見。
人の身のまま幻魔界へと降り立った彼は、この二百年の間に生まれていた三体の高等幻魔と盟約を結び幻魔の血を受け入れ、幻魔を統べる幻魔王と成った。
幻魔王と成った松陰は手始めに幕府が手も足も出なかったペリー率いる黒船艦隊を襲撃し、撃退。
黒船一隻を拿捕する戦果を挙げ、それを基に幕府に対し、幻魔の力を以ての攘夷実行を提言した。
しかし幕府は、神祖たる東照大権現・徳川家康の遺言を忘れていなかった。
――――「たとえ何があろうと、幻魔の力を頼ってはならぬ」と。
幕府は鬼の血を引く者達が住まう「柳生の里」に、幻魔王吉田松陰とその配下の幻魔一党の討伐を指令。
里はかつての幻魔王を討った伝説の鬼武者・柳生十兵衛の名を継ぐ者を討伐に派遣し、十兵衛は松陰を追った。
対する松陰は自らの提言を黙殺しあまつさえ刺客を差し向けて来た幕府に見切りをつけ、潜伏。
再び全国行脚の旅を行い幻魔の力を広め同志を募り、大願成就のために暗躍を続けた。
――――暗躍を続ける松陰と、それを追う十兵衛。
二人の全国を股に掛けた捕物帳は五年に及び、遂に安政6年(1859年) 松陰の生まれ故郷である長州は萩城下の松本村。
あまり大きいとは言えない一軒家。
松陰の潜伏先にして彼が手ずから教鞭をとり弟子たちを指導した松下村塾の前にて、一人の異形の少女が五人の抜刀した浪士達に囲まれていた。
浪士達は姿形こそ人のままだがその瞳は妖気により赤く輝いており、幻魔の血を受け入れていることは明らかであった。
「松陰先生のお命を狙い、遂に此処まで来たか……十兵衛」
人とは思えぬ青い肌に、短く刈り揃えられた白髪。そして幻魔浪士達とはまた違った様で赤く輝く瞳を持った少女は彼らの問いに答えず、ただ黙って腰の刀を抜いた。
「先生は御一人で相手をすると仰られたが、それでは我らの気がすまぬ。 今まで貴様に切られた同志たちの恨み、ここで晴らさせてもらう」
少女は中段の構えをとり後の先を取るべく心を沈め、相手の出方を待つ。
「先生の崇高な理想を解そうともせぬ、幕府に飼われた雌犬が……! その薄汚い命を以て、我らの救国の志の礎となるがいい!」
明鏡止水。心は不動、しかして自由でなければならない。
百年を超える修行で得た剣の極意は、五年間の実戦の日々の中で更に磨かれ研ぎ澄まされた。
この先で待つ幻魔王を相手にしても、決して後れを取ることは無いだろう。
「死ねェ! 十兵衛ェッ!!」
叫び、跳躍してくる幻魔浪士。
幻魔の血を受け入れたことにより得た人を超越した身体能力と、武士として幼少期より十数年間鍛え続けて来た剣術の合わせ技。
並の人間ならば反応することも出来ずに両断されるだろう、会心の斬撃。
――――しかしその程度、少女には通用しない。
最短にして最善。
大振りに切りかかって来た幻魔浪士に対し小振りに刀を振るい踏み込み、危なげなく後の先を取りすり抜け様に体を胴から両断する。
「ご、ぼぉっ……?!」
幻魔の血を受け入れた体は生命力・耐久力共に向上し、人ならば即死する胴からの両断という斬撃を受けてもその命を繋ぐ。
「ぎ、ざまぁっ……!」
とはいえ体を上半身と下半身に分断されてしまっては出来ることなど何もなく、加えて男が受けた幻魔化手術はそこまで高度なものでは無い。
流れ出る血に意識は薄れていき、ほどなく男は事切れた。
「おのれぇッ!!」
あえなく両断された仲間の死を見てもなお戦意が衰えぬのは彼らの意思の強さか、あるいは幻魔化による凶暴性・好戦性の強化によるものか。
四人は一斉に跳躍し、少女に向かい躍りかかる。
――――だが、その程度の数の利で優位に立てるほど少女は甘い相手では無い。
一斉の跳躍とはいえ、特に連携の訓練をしてきたわけでもない四人の動きにはバラつきがある。
少女は一本の矢の如く鋭く踏み込みますは先頭を走って来た男の首に刃を突き立て、そのまま横に薙いで首を刎ねた。
幻魔の血を受け入れているとはいえ、首を刎ねられれば即死は免れない。
切られた首から噴き出す鮮血を浴びるより早く少女は後ろに飛びのき、仲間の死に動揺することなく刀を振るってきた幻魔浪士の斬撃を避ける。
そして飛び退きざまに腕を突きだすとそこから光弾――鬼の力を殺傷性の弾丸にしたもの――を放ち、切りかかってきた男を迎撃する。
光弾の直撃した男は上半身が焼けてその場で崩れ落ち、そのまま事切れた。
――――だがそれでも、まだ幻魔浪士は二人残っている。
幻魔の血を注ぎ込まれ造魔となった者は、決して怯まない。
飛び退いた少女相手に、今度こそ二人同時に斬撃を浴びせる。
これ以上飛びのいて躱すことは不可能、どちらかの斬撃を刀で受ければもう片方の斬撃が少女の命を奪う。
勝利を確信した二人だったが、その程度で殺せるならば少女はこの五年間の戦いを生き残り此処に立つことなど出来なかっただろう。
――――二人は、少女が突如として消えたと感じた。
だが実際には少女は消えておらずただ地を這うかの如く体勢を落とし、そのまま受け身を取って後ろに転がっただけだった。
「おっ……!?」
そして、次に地面に転がることになったのは二人の幻魔浪士達だった。
少女は転がりざまに二人の足首を切っており、大地を踏ん張ることが出来なくなった二人は自らの放った斬撃の勢いのまま、地面に這いつくばることになったのだった。
「が……!」
そして二人が地面に転倒した痛みの呻きをあげるのとほぼ同時、受け身の体勢から即座に起き上がり跳躍した少女の斬撃が地面に転がった二人の幻魔浪士の頭に炸裂し、二人の頭を綺麗に切り分けた。
幻魔の血を受け入れても首を飛ばされれば死ぬように、頭を潰されても死は避けられない。
――――危なげなく、息も乱さず。少女は五人の幻魔浪士達を仕留めたのだった。
そして倒した幻魔浪士達の身体から光り輝く魂の様な物が飛び出し少女の胸元に集まり、それを確認した少女は緊張をほぐすよう息を吐いたのだった。
「流石で御座る、十兵衛殿ッ!!」
そんな緊張を解いた十兵衛の背後から突如として幼さを残した声をかけられたが、十兵衛は驚くこと無くむしろ朗らかな笑みさえ浮かべてその声に応えた。
「――みの吉」
蓑虫のような藁をまとった子供が、天の何処からか垂らされた糸に宙づりになって十兵衛に笑いかけていた。
――――彼の名はみの吉。
代々鬼の一族に協力し幻魔と戦ってきたミノ一族の少年にして、二〇〇年前の幻魔との決戦に立ち会った生き証人である。
「うん、ついにここまで来たんだ。 幻魔王吉田松陰。 奴との因縁をここで断ち切り、幻魔からこの世界を守ってみせる」
「十兵衛ならきっと出来るよ」
背からカラスのような黒い羽を生やした小さな少女が現れ、十兵衛に向かってそう断言する。
「私とみの吉が鍛えたんだもん。 幻魔王を名乗ってるらしいけど、幻魔と契約しただけのただの人間なんかに負けるわけがないよ」
彼女の名は、阿児。
みの吉と同じく二〇〇年前の幻魔との決戦において当時の鬼武者に協力した生き証人にして、彼と共に十兵衛を百年に渡って養育した母親のような存在であった。
――――そしてそんなそしてそんな母親の檄に、十兵衛は微笑を返す。
もはや言葉は不要。
母から向けられる信頼と応援、そして少しばかりの心配には結果で応えるだけだ。
自身の勝利を微塵も疑っていない、父親と言うには幼すぎる少年に対しても送るものは変わらない。
斬り殺した五体の幻魔浪士の死骸を後に、異形の少女は確固とした足取りで幻魔王のまつ松下村塾へと足を踏み入れるのであった。
次回投稿予定は明日、11月4日、土曜日です。