鬼武者 ~ 幕末伝 ~   作:ダイアジン粒剤5

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第四話 桜田門外の変

 安政7年(一八六〇年)、雪降りしきる江戸の地。

 江戸城桜田門前。

 徳川幕府最高権力者、大老井伊直弼の行列。

 

 大名用の豪奢な籠に揺られバランスを取るための紐を掴みながら、直弼はホッと一息胸を撫で下ろしていた。

 

 (あのメリケンからの使者が来てからゆえ、もう六年になるか……。 ようやく、懸案の一つが片付いたわ)

 

 事の始まりは六年前。

 いや、メリケンが開国を要求してきたのが原因と考えると七年か。

 

 在野の狂人が、二百年以上昔に神君徳川家康公が封印した化け物どもを世に解き放ったのだ。

 

 それだけでも世を乱す由々しき事態であるのに、あろう事かこの狂人はその化け物どもを使い条約を結ぶべく来訪していたメリケンの艦隊を襲撃したのだ。

 ともすれば世界に名を轟かす列国の一角との開戦に発展しかねない非常事態。

 破滅的な開戦を回避すべく東奔西走していた幕閣の元に化け物――幻魔の力を借りての攘夷決行を求める嘆願書が事件の首謀者から送りつけられてきた時には、あまりのことに当時の将軍が卒倒してしまう始末だった。

 幸運にもメリケンは自国艦隊を襲った幻魔と日本政府たる幕府を直接結びつけることはしなかったらしく開戦は避けられたが、それでも早急に首謀者たる吉田松陰を処刑し解き放たれた幻魔達を再封印する必要があった。

 

 (とはいえ、それを行える戦力が無かった)

 

 二百年を太平は尊いものであったが同時に侍達から力を奪い、どうしようも無いほど弱体化させてしまった。

 恐るべき怪物である幻魔を従える相手に戦える人材など、幕府には一人もいなかった。

 

 (神君家康公がこのような事態のために抱え込んでいた柳生の者達も、それは同じだった)

 

 鬼の血を引き武芸に優れ、幻魔王すら打倒したと伝わる柳生の一族。

 だが二百年の歳月は鬼の血を薄くし、泰平の世は武芸の腕を錆び付かせた。

 幕府の特使が柳生の里に辿り着いた時そこには牧歌的な生活を営む人々がいただけであり、とてもではないが恐るべき幻魔達と戦えるような武士はいなかった。

 

 「だが幸運にも、あの化け物がいた」

 

 ――――柳生の里の者達は、幕府の使者にある存在を引き合わせた。

 

 百年以上昔に生まれた、先祖返りにより鬼の血と異形を異常なまでに発現した娘。

 

 ――――青い肌に白い髪。そして柳生の者に稀に現れるという深紅の鬼ノ目を両眼に備えた鬼子。

 

 既に泰平に慣れていた里の者達は異形の力を持つ娘を持て余し、かつて鬼の一族が住んだとされる洞窟に娘を預けた。

 娘はかつて鬼の一族と親好があったという天狗と妖に育てられ、濃い鬼の血に依るものか十七・八ほどの姿のままで百年を超える歳月を生き、里の者達からまるで現人神のように崇拝され今に到っていた。

 

 ――――そして娘は幻魔討伐を望む幕府の要請を快諾し、五年の歳月の後ついに首謀者の男を斬ることを成し遂げたのだった。

 

 (とはいえ、まだ高等幻魔なる者達が残っているのだったか。 だが、人の協力者がいなければ大きな災いも起こせまい)

 

 幻魔の封印を解き放ち、その力を以て西欧列強に対抗しようとした吉田松陰。

 その松陰から幻魔たちを紹介され、その力を以て外様の分際で幕政を牛耳ろうとした薩摩の島津斉彬。

 その他、松陰から幻魔を紹介されその魅力の虜となった全国各地の大名・公家・僧侶に名士と呼ばれる者達。

 皆、少女の力と直弼の権力によって殺し尽くした。

 

 「……神君家康公の遺命に背く幻魔の力など、必要ない。 日ノ本に住まう者全てが幕府の命に従い、徳川将軍家の名の下に一致団結すれば国難など乗り越えられるのだ。 外様の大名や、市井の浪人共などが幕政に口を挟むなど身の程知らずにも程がある。 皆、唯々諾々と儂らに従っておれば良いのだ」

 

 ――――直弼がそう呟いたのとほぼ同時。籠の外から、悲鳴が聞こえてきた。

 

 「!? なんだ!?」

 

 叫び駕籠の窓を開いた直弼の目に映ったのは、地獄絵図であった。

 

 目が無く鼻も無い。

 服装こそ人のようだが陣笠の下にある顔が巨大な牙の並んだ口のみの異形の浪人達が、刀を振るい直弼の護衛である彦根侍達を殺戮している。 

 彦根一の剣客と名高い河内が得意の二刀流を振るい奮戦しているが、白い雪景色には殺された彦根侍達の血が池のごとく広がっており、明らかに形勢不利であった。。

 

 「幻魔……!?」

 

 ――――直弼がそう叫んだのと駕籠が放り投げられたのは、ほぼ同時だった。

 

 怪物の襲撃という異常事態に、駕籠かき達の精神が耐えられなくなったのだ。

 彼らは直弼の乗っていた大名駕籠を放り投げると、蜘蛛の子を散らすように悲鳴を上げながら逃げ去ってしまった。

 

 「ぐぅ……!」

 

 放り出された駕籠から直弼が這々の体で這い出した時、遂に河内が巨大な斧を担いだ幻魔に斬り殺され、直弼を守る者は誰もいなくなってしまった。

 

 「や、やめろ、ッ……! はなせ……!」

 

 そして守る者のいなくなった直弼を駕籠の横から現れた幻魔が掴み、いまだ血を滴らせる斧を担いだ幻魔の元まで引き摺っていったのだった。

 

 「やめろ、やめろ、やめろ、やめてくれ……! 頼む、やめ……ッ!!」

 

 ――――悲鳴が響き、斧が振り下ろされ鮮血が吹き上がった。

 

 桜田門外の変。

 幕府の最高権力者。大名や公家すら処断し、幕府の力を恐怖によって高めようとした安政の大獄の推進者たる井伊直弼の白昼堂々の暗殺劇。

 二百年以上に渡って日ノ本を支配してきた幕府の権威を決定的に失墜させる大事件はここに終わり――――そして、幕末と呼ばれる日ノ本の未来を懸けた動乱の時代が始まったのだった。

 

 

 

 

 

 何処とも知れぬ地に立つ屋敷の一室。

 淡い灯で照らされた座敷に座る、1人の少女と2人の男。

 

 「大老井伊直弼の暗殺。 成功したみたいね?」

 

 プラチナブロンドの髪に雪のように白い肌、そしてに額に輝く第三の目を持つ白い服に身を包んだ少女――高等幻魔コーディリアは、傍らに座る年若い男にそう問いかけた。

 

 「ええ、先生を始め数多の憂国の同志たちを無残にも殺しただけでは飽き足らず、暴慢なる夷狄との間に屈辱的な条約まで結んだ国賊。 井伊直弼めには無事天誅を下すことが出来ました。 護国の御霊と成られた先生も、草葉の陰で喜んでおられることでしょう」

 

 男――松陰の一番弟子にして彼から幻魔王の地位を受け継いだ青年、久坂玄瑞は幻魔の血を受け入れた証である赤く光る眼を輝かせて肯く。

 そのまま涙を拭うかのような仕草をするが、その瞳からは一滴の涙も流れていない。

 幻魔と成った者に、悲しみの涙を流すなどという人間的な機能は残っていないのだ。

 

 「……そして、この義挙を始めに我等の真の攘夷が始まるのです」

 

 久坂より十ほど年上のもう一人の青年――武市瑞山は、久坂と同じく瞳を赤く輝かせながら重々しく頷いた。

 

 「独裁的な絶対権力者であった直弼の死により、幕府内の指揮系統は混乱するでしょう。 あの鬼武者も今まで程自由に行動することは出来なくなるはず。 ――この機に乗じ我等は上京し都を征し、朝廷を支配することで姫君たち幻魔の力を借りての攘夷決行を幕府に命ずるのです」

 

 武市瑞山――半平太の言葉に玄瑞は強く頷くと、涙をふく手を止め立ち上がった。

 

 「では瑞山くん、その役目は瑞山くんの率いる土佐勤皇党に任せます。 勤皇党が京を征すれば、松陰先生が全国各地で幻魔の力を教導した憂国の志士たちも集まってくるでしょう。 彼らにも幻魔の力を与えれば、幕府も容易には手が出せない一大勢力が出来上がります。 その力を以て朝廷を支配し、幕府に攘夷実行の勅命を下すよう働きかけてください。その間僕は長州に戻り、攘夷のための幻魔軍を創り上げます」

 

 「ああ、任せてください。 ……それで、軍の完成には何年かかりますか?」

 

 「――三年。 ええ、それで最強の幻魔軍を創り上げて見せます。 その力を以て夷狄を打ち払う成果を上げれば、最初は難色を示すだろう幕府や諸藩も率先して幻魔の力を受け入れるようになるでしょう。 松陰先生の理想が叶うのです」

 

 恍惚とした様子で語っていた玄瑞だったが、ふと正気に返るとコーディリアに目を向け問いかけた。

 

 「……姫君は、どうされます? 私と共に長州に参られるならば、賓客としてもてなしますが」

 

 「京に行くわ。 だって、そっちの方が華やかなんでしょう? 私は人界をもっと楽しみたいの」

 

 コーディリアの言葉に久坂と武市の二人は軽い苦笑を浮かべたが、特に詰ることはしなかった。

 そういう人物だ、と既に理解しているのだ

 

 「では姫君、私と共に京へと参りましょう。 多少の戦は起きるかもしれませぬが、幻魔の血を受け入れた我ら土佐勤皇党の志士たちは一騎当千の猛者ばかり。 姫君の玉体には傷一つ付けさせませぬよ」

 




次回投稿予定は11月6日、月曜日を予定しています。
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