魔族転生   作:ゆうたんたん

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善悪3:日記8

 月は岩のように厚い雲に隠され、部屋の中は暗かった。その闇にも次第に慣れて、向き合ったソリテールの顔が徐々に浮かび上がるようにして見えるようになった。やっぱり可愛い。可愛いから好きだというわけではないのだけれど、なんだろう、ソリテールの顔を見ていると好きだという気持ちが溢れてくる。

 二人向き合って、同じベッドで横になっていた。

 

 ソリテールが、何を考えて一緒に寝ようだなんて言い出したのかわからない。俺の事を危険に思って殺しに来たのか。あるいは、ある特別な感情に突き動かされて会いに来てくれたのか。ただの気まぐれという可能性が一番高いとは思うけれど。

 

 

 今まで、ソリテールは俺が抱きしめても抵抗しなかった。

 

 今回もそうだ。

 体の下に腕を差し込み、ぐっと引き寄せて、強く抱く。普段以上に彼女の身体を感じ、服の布地が手の甲を擦って擽ったい。腰に回したつもりの手が思ったより下に行って、柔らかい肉の感じがする。失敗したという思いと、燃えるような情欲とを味わった。

 

 もう片方の手で肩に触れ、ゆっくりと動かす。肩から腕へ。さらに下へ、手に触れる。細い指先を掴んで、それから改めて腰に手を置いた。腰もまた不安に感じるほど細くて、柔らかい。小指が骨に触れて、そこだけが硬かった。

 

 ソリテールの全てが自分のものになったような気がした。

 アウラを抱きしめた時とは全く別の、ぐつぐつと煮えたぎるような愛情が全身を焼いた。部屋の中が甘い蜜で満たされて、それらは鼻や耳から這入ってきて、脳を侵す。ただ幸福感だけを与えられて、けれど俺はそれ以上の快楽がある事を知っていた。どろどろとして熱い、溶けた鉄のような欲望。

 そんな浅ましい考えを打ち消すのもまた、愛情だった。今こうしているだけで、それ以上は無くていい。もしもソリテールの目的が俺を殺すことならば、それ以上に嬉しいことは無いと思えた。

 こんな幸せな気持ちで死ねるのなら、魔族転生してしまった事にも価値がある。

 

 

 

 ふと、それが急に冷めた。

 

 ソリテールは俺の事を本当はどう思っているのだろうと考えてしまったのだ。正確に言えば、どうでもいいと思っていたはずのそれが、何のきっかけもなしに、急に譲れない疑問に変わった。

 本気で殺されても良いと思っていたのに、ほんの刹那でダメになった。

 

 深い愛情を持てば持つほど、それは利己的なものではなくて、献身的なものに変わっていくとばかり思っていた。あるいは、恋をした相手が魔族という例外的な存在だからかもしれない。同じだけの愛情を、俺にも向けて欲しい。

 

 愛されたい愛されたい愛されたい愛されたい。

 孤独は嫌だ。

 誰にも理解されないのはつらい。

 誰かに俺を認めて欲しい。

 孤独は嫌だ。冷たくて怖くて、暗い感じがして。

 

 ただ、愛されたかった。

 

 フランメは、師匠として俺に愛情を向けてくれたのだろうか。

 フリーレンは、友人として俺に愛情を向けているのだろうか。

 ヒンメルは、ほんの一時の友人としてでも、俺を見てくれたのだろうか。

 

 アウラはどうか。

 ソリテールは……

 

 

 

「さっき、リンゴを投げられるって話をしていたわね? これは、何かの引用でしょう?」

 

 急に、ソリテールが言って、意識が現実に帰ってきた。ソリテールが目の前に突然現れたような気がして、いろんな意味で心臓がはねる。

 

 ソリテールは、俺の頬に手を添えて、目の下の皮膚が柔らかい所を親指で撫でた。彼女の意図した通りなのかはわからないが、気持ちが落ち着いた。

 

 

「うん…………それを聞きに来たの?」

「……ええ」

「……『変身』だよ」

 

 前世においてそれほど好きではなかった小説。

 今世においては、これほど卑近な小説はない。

 

 ソリテールに、いつも物語を教えるように、『変身』について話す。

 

 主人公グレゴール・ザムザは、ある朝、自分が毒虫になっていることに気が付く。それから徐々に、食べ物の好みなんかも、腐りかけのものに変わっていき。

 

「最後は……父親にリンゴを投げつけられるんだ」

 

 最後と言うと語弊があるけれど、軽く話す分にはそう言った方が都合がよかった。

 

「それがさっき言ってたことね? どういう意味で言ったの?」

 

「あくまで俺の解釈だけれどね。グレゴールが変身した毒虫は、社会的に不要な存在を表していると解釈できる。それと、今日話したことだけれど、善悪の知識の木の果実は、リンゴだとされがちなんだ。それをこれにも当てはめたら、二通りの解釈が出来て、俺はその二通りを同時に受け入れてる。善悪を理解したからこそ、弱者や理解できない異物(怪物)を攻撃するという考え。あるいはその逆で、人間が軽い気持ちでやる、弱者を攻撃するということは、人間性を投げ捨てているようなものだという考え。どちらも、人間を上手く描いている気がする。

 ちょっとだけ似ていると思ったんだ。俺たち魔族は、人間社会に不要な怪物だ。人間が簡単にリンゴを投げられるようになった時、今更自分たちを殺さないでほしいなんて言っても、そんな虫のいい話は聞いてくれないだろうからね…………まあ、この解釈は誤読に近いだろうけれど」

 

 すぐ目の前にあるソリテールの眼が、意外そうに動いた気がした。

 

「誤読なの?」

「誤読でいいんだよ。そもそも、『変身』は笑い話のつもりで書かれたっていう説もあるんだから。それが本当なら、グレゴールが毒虫になったというのを、重い命題になぞらえて解釈するのはまるっきり誤読という事になっちゃうかも。でも、たとえ作者の意図から逸脱していたとしても、俺が感じたものは本物だろう? 正しいと主張するつもりはないけれど、間違った読解をしても、それはそれで、何かをその作品から感じ取れたのなら、決して間違いじゃないんだよ」

 

 ソリテールは、しばらく黙っていた。どうにも耐えられなくて、頭を撫でた。ソリテールは目を瞑って、受け入れてくれたと思う。

 

「ドロールと話してから、いろいろと考え方が変わったわ」

 

 長い沈黙の果てに、ソリテールは小さな声で言った。

 

「これまでの私を滅茶苦茶にしてしまったみたい。人間の感情を知ろうとするなんてくだらない。共存は危険な思想だ。この気持ちは変わらないのに、人間の感情を本当の意味で理解してみたいと思ってしまった。研究するのとは違う……無理やりあなたが私の中に入ってくるみたいで……教えて、ドロール。私はどうしたらいいの?」

 

「え? えーっと……今言ったように、好きな解釈を続けていけばいいんじゃない?」

 

「そう……」

 

「う、うん……」

 

 なんか言い回しがえっちだなぁとか思ってたら、滅茶苦茶重要な話だった気がする。たぶん間違ったことは言ってないし大丈夫だ。

 

 それから、ソリテールの方から俺の背中に腕が回される。軽く力が込められて、抱きしめられた。

 不思議と先ほど感じたような渇望はなく、満たされていた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 何事もなく朝を迎える。結局、昨日はそのまま殺されても幸せだという気持ちになっていたけれど、そうはならなかったらしい。

 

 ソリテールはすでに起きていて……そもそも眠ったのかすらわからないが……本を読んでいた。

 

「なにを読んでいるの?」

「? あなたの本でしょう?」

「え? ああ」

 

 魔族向けに書いた、道徳を理解させるための本。もしかして、ソリテールは持ち歩いてくれてたのか。

 

 なんだか、自分の中で、いろんな感情が絡み合った気がした。

 

「ドロール。私は今日でここを出るわ」

「え? そうなの? うーん……」

「あなたはしばらく滞在していればいい。私は、準備を整えて、一人で最北端の都市に行くから」

「……」

「あと少しで何かが掴めそうな気がしているの」

 

 ソリテールに誘われた”デート”。俺が提案を受け入れた時のソリテールの反応からして、一緒に行く気はなくなったのだろうと気が付いてはいた。

 

 人間として生きる未来を考えている以上、俺はソリテールを止めるべきだ。

 でも、本当に利己的だけれど、それで何かが変わるのなら構わないと思った。

 

「マハトに迷惑がかかるって言ってたし、実行までまだ結構時間が有るだろ? それを……俺の書いたその本を、もうあと二回読んで、自分なりに解釈して、更にもう一回読んでみて」

「? わかったわ」

「それから、ソリテールの行く都市の人間を皆殺しにすればいい」

「……」

 

 どうせ止めても彼女は止まらないだろうという確信もある。

 それで何かが変わるのなら、何かを理解してくれるのなら。

 

「ただ、一つだけ……人間を殺すのは悪い事なんだ。俺もいっぱい殺してきているけれど、悪い事だとは理解しているつもりだ」

「人間の精神をしていながら、人を殺すなんて普通じゃないわ」

 

 ソリテールは煽るように言った。どうして今、俺を煽ったのかはわからない。それはどうでも良かった。

 

「都市の人間は…………数万人はいるだろ? 数万人、数万回、その都度それを思い出してくれ」

「……ええ、良い研究になりそうね」

「そう……あ、そういえば、これあげる」

「? リンゴ?」

 

 ソリテールに黄金のリンゴを渡す。案外喜んでくれたように見えた。

 

「ドロール」

「ん? 何?」

「次会うときに、君を殺さずに済む事を願っているわ」

 

 

 

 ■

 

 

 

 ソリテールを見送るためにヴァイゼの外へ出る。

 

 マハトは街を出るまで監視していたけれど、門の前で待っているので、外まで出れば二人きりになった。

 

「じゃあ、またね」

「ええ」

 

 夜の間に雪が降ったらしい。道は白く染まっていた。今は雲もなく、寒い地域らしい掠れた青空が広がっている。

 ふと、ダイヤモンドダストを餞に出そうと思ったが、どうにも師匠の墓前で使った印象が強くてやめておいた。使えば、もうソリテールとは会えなくなるような気がしたのだ。

 

 代わりに、ソリテールの顔に触れた。一歩前へ出てソリテールに近づく。

 このままキスが出来ると思った。

 すれば、二度と会えなくなる気がして怖かった。

 

 

 

 またマハトに見張られながら、グリュック邸へ戻った。

 

 

 

 

 俺も、この都市にそれほど長居しようとは思わないが、せっかくの機会なので本を広めてもらうことにする。

 

 

 ひと月ほどかけて、やっと完成した。

 魔族について書いた本だ。強力な魔族と、その魔法について記した。大抵の魔族は、人類に知られても問題ないと言うだろうし許してくれるだろう。

 

 これをグリュックに頼んで、写本にして、なるべく多くの都市に広めてもらう。

 グリュックは俺の願いを聞き届けてくれた。

 

「こんなものを広めて、君は大丈夫なのか?」

「まあ、大抵の魔族は人間に知られても気にしないよ。そもそも作者は無名にしてもらってるし。俺は人類に友人がいてね。そいつのためだよ」

 

 

 本を人間に配る準備が終われば、もうヴァイゼに用はない。

 

 

 ヴァイゼを離れるとき、やはり外までマハトに見張られた。

 

 

「グリュック様に言っていた、人類の友人というのは誰だ?」

「言うわけないだろ。というか聞いてたのか。聞かれないようにしてたつもりなんだけれどなぁ……」

 

 俺が即座に返すと、マハトは小さく笑って、それ以上何も言うことなく俺を見送った。

 

 

 俺はフリーレンの事をアウラにもソリテールにも話していない。フリーレンに二人の事を話していないからだ。

 彼女たちが殺し合いになるのを避けられるのが一番良いけれど、それが出来なかったとき、互いに全く知らない方が全員助かる可能性が高いと判断した。

 

 フリーレンは俺の知り合いの魔族にも容赦しないだろうし、アウラたちもそうだ。詳細を話す方が、逆に殺し合いを苛烈にする気がした。わざわざ探して殺そうとする可能性だってある。

 

 互いの情報を知らなければだいたい戦力は一緒だろうし、上手くいけばそれぞれ撤退を選択して誰も死なずに済む……かもしれない。

 

 言わない方が、良いと思っていたんだ。

 

 結局、皆を裏切り続けているのは間違いない。でも、じゃあどうすればいいのかもわからない。三人の事を大切に思っているのは誓って本当だからだ。

 

 

 

 ヴァイゼを出て森を歩く。久々に一人だ。

 

 本当はもう何も考えたくない。考えようとしても、ごちゃごちゃしていて気分が悪くなる。

 ただ普通にソリテールやアウラと生きられたのなら、どれだけ幸せだろうか。フリーレンという友人と、たまに笑いあえたら、きっと楽しい。

 

 

 もう疲れたけれど、頑張らないといけない。

 人間として生きて、そのうえでソリテール達と愛し合うには、どれだけ線が細くても共存を目指すほかないのだから。

 

 でも、何を頑張ればいいんだろう。どうやったら、あの子たちと分かり合えるんだろう。

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 〇月×日 ヴァイゼから出て四十年。

 

 

 ちょっと寄り道したり、昔作った気候区分図を修正したりして、気が付けばアウラに会おうとして四十年たっていた。

 

 アウラは余程うまく潜伏しているみたいで、頑張って探したのだけれど全然見つからない。それはそれで安心出来ていいんだけれどさ。

 

 魔王が倒されてもう四十年もたつのに、いまだに魔族は勇者ヒンメルを恐れている。

 アウラも、ヒンメル一行に敗れたらしいから、ヒンメルを恐れて隠れているのだろう。

 

 

 とはいえ、全く手掛かりがないわけでもない。僅かな情報を魔族から聞き出したりしながら、少しずつ目星をつけていく。




 解説というか、筆者の解釈を載せます。


 ソリテールが主人公を殺さなかった理由について。

 もちろん愛情だとか全くの打算だとか、好きに解釈してもらいたいのですが。

 完全に原作通りのソリテールでも、友人を殺すかと言われるとそうでもないように思います。
 筆者は、魔族同士の会話はほぼ本心だと解釈していて、ソリテールはマハトに嘘をついたりもしましたが、結局本当の事を語りました。圧を掛けられたっぽいのもあるけど。

 その会話から、
・ソリテールは、共存を危険な思想だと思っている。
・魔王の共存思想のせいで友人がみんな死んでしまった。
・友人の面影があったら殺せない(マハトに友人の面影を感じたことは嘘だけれど、もしも本当に面影を感じていたら、やはり殺せなかったのではないか)。


 といった事を受け取りました。

 さすがにドロールを友人とは思っていそうですし、その危険思想を窘めることはあっても、即座に殺す決断はしないのではないかと。この小説のソリテールは多少ドロールの影響を受けているのも加えれば、簡単に殺せないよね。たぶん。
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