【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
心が、求めている。
乾いた喉が水を欲するように。飢えた腹が食事を請うように。
欠けてしまったものを、知ってしまったあの安らぎを、ずっと求めている。
「……どうした?
その声に、私は俯いていた顔を上げた。
目の前には黒髪黒目の、影のある少年。親しい間柄である彼、
「あ……エイト、くん?」
「おう」
彼はいつものように、言葉少なに私の隣に座ってくれた。
……なんだろう。その横顔を見て、言いようのない違和感が心の中で燻る。
エイトくんが自分を心配して隣に来てくれたのが嬉しいハズなのに……心の中にあるモヤモヤとした暗雲が晴れないような感覚が私を困惑させた。
と、エイトくんが顔を此方に向けずぶっきらぼうに問う。
「なんで泣いてたんだ、おまえ」
「え――?」
思わず頬を触れば、そこには幾筋かの熱い雫が流れていた。
私、泣いてた……?
「……なんでだろう。理由なんて無いハズ、なのに」
なぜ泣いていたのか自分でも分からない。どれだけ考えても理由に思い至らないのだ。
だって。
「……おい?」
エイトくんの声に思考が中断される。見れば、彼の右手を私の左手が握っていた。
我知らずの行動に、しかし私は……。
「……お願い。今だけ、こうさせて」
安心する。そうだ。私は
「夢を見た、気がするの。エイトくんが居なくなっちゃう夢」
「はぁ? おまえさ、俺がそう簡単に死ぬと思うか? そりゃまあ、俺は確かに雑魚だが……生き汚さに関しては自信あるぞ。なにせヤバくなったら一番最初に逃げるタイプだからな、俺」
「……そう、だよね」
エイトくんはここに居る。だから泣く理由なんてない。
ああ、安らぐ。夏の暑い日、目が眩む程の陽の光に焼かれた後に日陰に入ったときのような心地よさ。
安堵する私の隣で、影のような少年は穏やかに笑う。
「ま、大丈夫そうなら良かったよ。じゃ、帰ろうぜ」
そう言って、彼は椅子から立ち上がった。ガタン、と教科書を詰め込んだ机が揺れる。
「あれ――」
此処は教室だった。私の通った
夕日の差し込む教室の中、学生鞄を肩に掛けたエイトくんが動かない私を怪訝そうに見やる。
「? どうした? 帰らないのか?」
「う、ううん……そう、だよね。帰ろう」
私も学生鞄を掴み立ち上がった。
そのまま教室を出て、エイトくんと並んで歩き出す。
「そういや今日はあの2人と一緒じゃないのな」
「2人?」
「
「う、うん……何でだろう。先に帰っちゃったのかな」
「そうか。あいつらともちょっと話したかったんだが、仕方ないか」
誰も居ない学校を、2人歩く。
階段を下り、下駄箱で靴を履き替えて……その最中も雑談は止まらない。
「お、噂をすれば。前歩いてるの双咲とナナ子じゃね?」
「ほんとだ。金のツインテールと真っ白な中学生って、後ろからでも見間違えようがないよね」
「確かに。てかあいつら何気に仲良いよな。出会い最悪だったのに」
「アリサちゃん結構お姉ちゃん属性だから、危なっかしいナナちゃんのことほっとけないんじゃないかな」
「成程……なんか面白そうだしこのままゆっくりついてくか」
「う、それはちょっと性格悪いんじゃないエイトくん……」
「でもおまえも気になるだろ? あいつらが2人きりの時に何話してるかとかさ」
そんな調子で、少し前を歩く2人について行く形で私たちは学校の外に出た。
「それはそうだけど……ていうか、どっちかっていうとエイトくんが2人と何話すのか気になるなぁ。アリサちゃんと仲良くなった過程も私よく分かってないし」
「そうか? まあ確かに、最初は結構棘あった気はするな。でもま、あいつがどれだけ凄んでもナナ子より怖くはならないからな……。そういう意味では相性良いかもしれん。双咲、多分仲良くなるまでが一番キツいタイプだし」
「ちょっと分かるかな。ツンデレって感じだよね」
「その言い方、本人絶対嫌がるけどな……」
なんでもない話を、なんでもない帰り道で。
たったそれだけのことが、何故だかとても遠い世界のものだったかのような感覚。
そんな帰り道の最中、エイトくんが少し真面目な口調になって訊いてきた。
「九瀬さぁ、おまえ進路決めたか?」
「進路……うん。とは言っても出来るだけ良い大学に行こう、ってくらいだけど」
「まあそれが一番丸いだろ。俺もそうだったしな。双咲はどうすんだろ……ヴァイオリンやるために音大行くか家継ぐために経済学部行くかで悩んでたっぽいけど」
「そうなんだ。どっちもアリサちゃんらしいね」
「あーあ。もうちょい遊んでいたかったなぁ。中学生のナナ子が羨ましいぜ」
「えー、まだ早いよエイトくん。まだ卒業まで沢山時間はあるし、大学でもきっと遊べるよ」
そう言って隣のエイトくんを見る……彼はそこに居なかった。
振り向けば、少し後ろに立ち止まったエイトくんが。
彼は少しだけ寂しそうに眉を下げて、そして言う。
「……いや。俺はここまでなんだ」
「エ、エイトくん? どうしたの……?」
その姿に異常なほどの不安を覚えた私は、彼の方へ一歩近づいて。
それを制するように、影宮エイトは悲壮に微笑む。
「悪いな九瀬。俺は、おまえたちと一緒に行けない」
思わず手を伸ばす……けれど私と、私たちとエイトくんとの距離は一向に縮まらず、寧ろどんどん離れていく。
今掴めなければ、二度と会えない。そんな直感が胸を覆い、私は必死に手を伸ばす。
「待って!」
「今までありがとな」
それでも、距離は離れていくばかり。遂には見えなくなってしまう。もう声も聴こえない方向に向けて、私はずっと手を伸ばし続ける。
「ダメ! 待って、待ってよエイトくん――!」
どれだけ叫んでも、走っても、影宮エイトは振り向かず。
そのまま私は、眩い光で満ちた世界へ押し流されていく――。
「――エイト、くん」
伸ばした手の先には、見慣れた天井があった。
荒い息を吐きながら私は目を覚ます。病衣の下は汗でびっしょりで気持ち悪い。
「夢……?」
掠れた声で呟く。
夢。夢だ。今見ていたものは、夢。
だって私は今、普通科高校じゃなくて災玉国防学園に通っていて。当然昔の高校にはアリサちゃんもナナちゃんも居なくて。
そして……
そう気付いた途端、私の胸を抗いがたい喪失感が襲った。
「……そん、な」
ぽろり。涙が零れる。
触れ合った手と手も。交わした視線と言葉も。
あの、夏の木陰のような安らぎも。
全てが幻。虚構の夢。二度と増えることの無い彼との記憶の、無意味で無価値なリサイクル。
『勝手な奴でゴメンな、九瀬』
私が聞いた最後の言葉。寂しそうな笑顔。遠くなっていく背中。伸ばした手では捕まえられなかったその姿が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
数週間経った今でも、気付けばあの日の事ばかり考えている。
体の傷は癒えたのに……心に刻まれた
「……ごめん、なさい」
涙と共に零れた謝罪は、一体誰に向けたものなのか。
分からないまま、私はあの日の事を思い出していた――。
◆
あの日、瘴気に覆われた空の下で。
瓦礫から抜け出した
「アリサちゃん! エイトくんが……っ!」
それは、
取り残されたヒカリは、未だ視界に残る残影に――片腕を失った影宮エイトが最後に見せた表情に嫌な予感が止まらず、彼が去った方向を見ながら叫ぶ。
「あんな怪我で戦うなんて絶対に無茶だよ! エイトくんが死んじゃう! 早く助けに――」
「……いや。エイトの言う通り、アタシたちは離脱するべきよ」
「アリサちゃん!?」
だが。
暗夜が如き街の中、瓦礫の山の上で、双咲アリサは冷静だった。
「アタシたちが絶対に避けなければならないこと——最悪の事態は『全滅』よ。エイトが『一人で請け負える』と判断してヤツを足止めしているなら、アタシはそれを無駄にしない為にも撤退すべき。それでエイトが
「だからエイトくんを見捨てるの!?」
「そうよ! それ以外に選択肢なんてないでしょう!?」
取り乱したヒカリの言葉を、それ以上の感情が込められたアリサの声が遮った。
びく、と体を跳ねさせたヒカリは気付く。
「……冷静に考えて。ヒカリ、アンタの『
九瀬ヒカリの異能〈
その『
しかしエイトを助けるためにナナを放置するとなると今度は彼女の身が危険に晒されるし、背負ったりして連れていくのも結局リスクを高める行為になる。
それに……『
「分かって、ヒカリ。アタシたちがすべきなのは感情に呑まれた吶喊じゃなくて『信じる事』……エイトが上手く時間を稼いで戻ってくるのを信じる事のハズ。それは優秀な司令塔であるアンタが一番分かってるんじゃないの?」
だが。
「……分かって、るよ……。でも、でも……っ」
ざり、と瓦礫に爪を立てる。悔しさが爪を割って血が滲んだ。
影宮エイトが今にも死に瀕しているかもしれない。今この瞬間が、彼を助けに行って間に合うラストタイムかもしれない。そう考えてしまう頭が、この場から離れるのを……影宮エイトを見捨てるのを拒んでいる。今にも全てを振り払って助けに行きたいと思ってしまう。
俯いて肩を震わせるヒカリに、アリサは何かを言いかけ、しかしぐっとその言葉を呑み込んで冷静に語る。
「……言い方を変えるわ。ヒカリ、アンタは自分のエゴの為にアタシたちを、双咲アリサと漆門寺ナナを殺すつもり?」
それは、冷たく突き放すようで猛る炎を芯に持つ言葉。
「ここは戦場。少しの判断ミスが自分どころか仲間の命も奪う事になる。そんな場所でこれ以上駄々を捏ねるなら……ぶん殴って気絶させてでも連れていく。それが仲間2人を生かすための、アタシの選択」
そこまで言われて、九瀬ヒカリは漸く気付いた。
双咲アリサは暗に言っているのだ。自分に『責任』を被せろと。もし影宮エイトが帰らなかったら己を責めればいいのだと。だってヒカリでは、単純な腕力では決してアリサに勝てないのだから。
そこまで言う理由も、彼女の目を見ればすぐに分かった……九瀬ヒカリが影宮エイトの生存を願うように。双咲アリサも、九瀬ヒカリと漆門寺ナナの生存を願っているのだ。だから『エイトを助けに行きたい』という激情を血が出るほどに拳を握りしめて抑え、現実的な行動を選んでいる。
本来それをするべきなのは、パーティーの指示役であるヒカリのハズなのに……。
「……ごめん」
ヒカリは己の過ちを認め、静かに頭を下げた。それを見たアリサは倒れたナナを担ぎながら言う。
「いいのよ。それに……
その言葉が自分に言い聞かせるものに聞こえたのは、きっと間違いでは無かったけど……ヒカリも、そうであれと願って立ち上がった。旧都から、〈無影のスルト〉から逃げるために。
「(エイトくん、無事でいて……!)」
そして彼女は、「せめて」を抱いて我武者羅に走った。ナナを背負っているとはいえ、身体強化されたアリサに並ぶほどに。
何故ならヒカリは、影宮エイトの救出を諦めた訳では無いから。
それは、災玉国防学園の敷地内。
ボロボロの生徒たちが倒れる、緊急的な救護エリアと化したグラウンド場……そこにナナを寝かせたヒカリとアリサは、少し離れた渡り廊下でひとりの生徒に頭を下げる。
「お願いします。エイトくんを助けて下さい」
頼む相手は……『学園最強』、星五級異能者の
ヒカリが走った理由――それは学園内に居る余力のある異能者に、『影宮エイトの救助』を依頼する為。自分たちに助けられないなら、せめて強力な助け舟を……その思いで見つけ出した『助け舟』が無傷の空母戦艦なのは出来過ぎだったが。
頭を下げるヒカリに対し……細身で尾のようなポニーテールを揺らす少年は、猫のような人懐っこい顔で笑い、
「分かった。場所は分かる?」
と即答した。
「え……本当に、本当にいいんですかっ!?」
「うん。その為にここに立ってたんだし……おっけ、渋夜ね。
そう言った瞬間、その体は風圧だけを残して消えていた。ありがとうございます、とさえ言えなかったヒカリは、彼が向かったであろう旧都の方向を見ながら祈る。
「(お願いエイトくん。どうか、どうか無事でいて……!)」
アリサも同じ思いだっただろう。
その藁にも縋る祈りは、九々等ヤイチが帰還するまで続いた……。
高速で帰還した彼が1人だったのを見た時から、嫌な予感はしていた。その申し訳なさそうな表情もその感覚を助長させた。
だが、もしかしたら……その諦め悪く希望を求める思考も、次の言葉で粉砕される。
「ゴメンね。オレが見つけたときには、彼はもう……」
九々等ヤイチはその手に持っていた『モノ』を見せる。
それは、薬指と小指しか付いていない右手の『破片』と、制服から剥ぎ取ったらしい星等級を示す血濡れた校章。
「回収できたのはこの二つだけだ。他は、その……少なくとも持って帰れる状態じゃなかった」
「……!」
それを聞き……余りのショックにヒカリは失神してしまった。顔を青くして倒れる彼女を、アリサが支える。
ヒカリを近くのベンチに寝かせたアリサは、ヤイチに問いただす。
「一体、何が」
問われ、九々等ヤイチは思い出す。あの気分が悪くなる光景を。
「魔塵の群れがね……死体を取り囲んで攻撃し続けてたんだ。もう死んでる彼を、原型が無くなってもずっと」
依頼を受け渋夜に向かったヤイチは、高いビルの上から『索敵能力:81倍』で周囲を観察……するとかつてスクランブル交差点と呼ばれた場所に、沢山の魔塵が群がっていることに気が付いた。そこに向かった彼が見たのは……ぐちゃぐちゃの肉片になった生徒らしきナニカと、それを嬲り続ける魔塵の群れ。
一瞬でその場の魔塵を全滅させた彼は改めてソレを目にし……込み上げる吐き気をかなり努力して抑えた。
それは最早死体とすら呼べなかった。言葉にするなら『人であったらしき血溜まり』だろうか。原型が残らない程損壊したその姿から、死んでからも何度も殴られ刺されたのだろうとある程度推測は出来る……だが何故、どうして怨念すら感じる仕打ちを、魔塵たちが彼に?
ヤイチはそんな『彼』に数秒の黙祷を捧げ、制服の残骸から校章のプレートを千切り取る。鉄製のそれは破壊されていなかった……裏面の名前は『影宮エイト』。依頼されていた救援対象だ。
間に合わなかった、と歯噛みしながら、ヤイチは暫く周囲を捜索した。死体には右腕が無いことが辛うじて分かったからだ。『コレ』を持って帰ることは遺族の心情的にも技術的にも難しいので、せめて埋葬出来る死体を探そうと思い……そして影宮エイトのものらしき右腕の『破片』を発見した。
流石にその全てを伝えるのは躊躇われたため簡潔に言葉を濁したヤイチに、アリサは問う。
「……その近くに、巨大な人型の魔塵は居なかった? 黒い剣を持った……」
「いや、見てないな」
「そう……」
アリサはそれを聞き、少し考え込むような素振りを見せて……そしてぎゅうと己の服を握りしめながら言う。
「ありがとう、エイトのこと。これ以上は引き留められないわ」
「……ああ。悪い、助かる。……間に合わなくて、本当にゴメンな」
九々等ヤイチはその表情を見て……必死に涙やそれ以上の何かを堪えているアリサを、その上でヤイチの助けが必要だろう人間の事を慮る彼女を見て、最後に改めて謝ると去って行った。他の救援依頼を受けるために。
「……」
1人取り残されたアリサの脳内を、かつての記憶が駆け巡る。
『あんまり期待しないでくれよ。俺は自分が死にそうになったら真っ先に逃げるタイプだから』
そう嘯いた男は……しかし言葉に反して逃げなかったのだろう。自分たちを逃がすため、命を懸けて〈無影のスルト〉に抗ったのだろう。
「……ホント、バカなんだから……っ」
ぽとり。
頬から落ちたその涙は、しかし奇跡など起こしてはくれなかった。
◆
「……あ」
私、
「エイトくん……」
あれから数週間が経ち。
作戦の後処理が終わった今、影宮エイトの死亡は完全に確定した。彼はこの作戦で出た21人の死者の内の1人になったということだ。
集会で黙祷もした。簡易墓地にも行った。彼は死んだ、と理屈では理解した。
でも……死体を直接は見ていないからだろうか。心のどこかで、彼はまだどこかに居る気がするのだ。こうして泣いていると、またどこからともなく現れて、不器用な優しさで慰めてくれるんじゃないか……そう思ってしまう自分が居て。
「……っ」
漏れそうになった弱音を必死に呑み込んで。
私は『保健室』のベッドの上で、ぼーっと天井を眺める。私、
それこそ最初は、普通に任務も受けていたのだ。
授業に出て、任務を受けて……憎たらしい程に何も変わらない『学園』の日常。
でもある日。全部が堪らなく悍ましくなった。
自分と同じように友を失くした人が、「仇を討つためにより沢山の魔塵を狩る」と言っていたからだろうか。
戦場でぼーっとしていたバカな私を、命を懸けて庇った誰かが居たからだろうか。
それとも、目の前で命を落としかけた誰かが、自分の傷など見えないかのように此方の心配をしていたからだろうか。
その時私は察したのだ。
嗚呼――此処は、
誰もが『正義』と呼ばれる炎を、己の身を薪として燃やしている。
自分の命をくべて猛る火で、刺し違えてでも魔塵を殺さんと唸っている。
眩しい。熱い。耐えられない。
『異能に選ばれたのだから』、『強者なのだから』。そんな理由で自分を犠牲にするべきなんて考えに、私は絶対に馴染めない。
けれど彼等は『正しい』のだ。その志は間違いなく立派なものなのだから。だから間違っているのはやっぱり私。
正しくない私を取り囲む、目が眩む程の『正しい』の洪水。
それに耐えられなくなったのは……『それでいい』と言ってくれる誰かが居なくなったから。
行き場のない疎外感、命懸けの任務のストレス……気付けば私は自傷に走り、『精神疾患』と判定されて保健室のベッドに押し込められた。家に帰されなかったのは、私の異能が強力だから学園側が手放すのを拒んだのだろう……そう考えてまた、ベッドの上で独り膝を抱える。
「……」
怖い。
私はこれからどうなるのだろう。
怖い。
一体いつ、『治療完了』と看做されて次の戦場へ送られるのだろう。
怖い。
ずっとここに居られるハズが無い。
怖い。
なら『次』は、私はどうなるの……?
気付けばまた眠っていた。ぐるぐる回る疑念と恐怖が夢を呼ぶ。
枕元に立った幻は、珍しく優しい声音で頭蓋の内側を慰撫するように。
『俺もそうだよ。てか「なんで一度きりの人生を大衆の平和に捧げなきゃなんねーんだ」って
ああ、優しい声がする。一度聞いたことのある彼の言葉だ。
『あんたの身に宿った資質は、確かにあんたの生き方を狂わせた。それはもう取り返せない過去だ。……だが、だからと言って心まで曲げる必要は無い』
埃の匂い。差し込む夕焼け。密やかな日陰の階段で、泣いている私に彼が問う。
『クソ人生の先輩として訊く。九瀬ヒカリ、あんたはこれからどうしたい』
あの時の私はなんと答えたんだっけ。今なら何を言うべきかな。
考えるうちに夢の中の私は何かを言ったらしく……夕暮れが作る影の中、彼は言う。
『基本放課後は此処に居るから何かあったら来い』
「――」
目が覚める。
瞼を射すのは病室に差し込む朱色の陽光、窓の外は茜に染まる夕景。「放課後だ」、と何の気なしに思って。
「エイト、くん?」
心臓が高く鳴っている。思えば限界だったのかもしれない。
……「会いに行きたい」。そう思った。
病衣のまま、ベッドから出て立ち上がる。衰えた体は、けれど水を求める放浪者のようにふらついた足取りで歩み始めた。
「エイト、くん」
がらり。個室の扉を開け、そのまま廊下を走りだす。すれ違った誰かが奇異の眼を向けて来たり、制止されたような気もしたが止まれなかった。
――中央棟5階、屋上前階段踊り場。
その一点を目指し、ひたすらに私は走る。縺れる足は何かに突き動かされるように、何度躓いても止まらない。
「エイト、くん……っ!」
言わなければ。『九瀬ヒカリ、あんたはこれからどうしたい』……その問いへの答えを。胸の内に蟠る願いを。
そして、私は遂に辿り着いた。
荒い息を吐いて、階段を昇る。弱った体力が限界に達し、埃臭い空気を吸い込んだ喉が咳き込んだ。それでも、頭を下げたままの姿勢でも手すりを掴んで昇り続ける。
「はっ、はっ、はっ……」
階段を踏みしめ、踊り場で曲がり……。
「……どうした?
頭上から降ったその声に。
「エイトくんっ!?」
私は思わず顔を上げた私は、優しく笑う
――誰も居ない踊り場が、そこには在った。
しん、と静寂だけが漂う空間。積もった埃が、この場所に長らく誰も立ち入っていないことを示している。
「(……幻、聴)」
嗚呼、私は何を期待していたのだろう。
どうして彼が『此処』に居ると思ったのか。自分を待っていると勘違いしたのか。
そんなハズが無い。そんなことが起こるハズはない。
だって――影宮エイトは死んだのだから。もうこの世のどこにも居ないのだから。
そのことに思い至った時。私の中で何かが決壊した。
「うあ、あああぁぁああぁ……っ!」
目からは涙が。口からは声が。ぽろぽろと漏れ始め、そしてそれはすぐに洪水になって氾濫する。ダムが決壊したのと同じだ。感情の濁流が、堰を失って溢れ出す。
「会いたいよ、会いたいよエイトくん……っ!」
階段に、彼がいつも座っていた場所に縋り付いてただ叫ぶ。
「死んだなんて、もう会えないなんて全部嘘って言ってよ! 私に出来る事なら何でもするから、だから帰って来てよぉ……っ!」
嗚咽交じりの懇願には、しかし無慈悲な静寂しか返ってこない。死人が帰ってこないのと同じように。
どうした、なんで泣いてるんだと。
大丈夫かとこちらを覗き込むあの声は、どれだけ叫ぼうとも聴こえない。
「お願いだから、それ以上は望まないから……もう一度、私の隣に座っていてくれるだけでいいから……っ」
ボロボロと、全てが崩れて。
そしてその言葉は。ずっと考えないようにしていた懺悔は、遂に喉から滑り落ちた。
「
そう。私は、九瀬ヒカリは謝りたかった。
困っていると分かっていたのに、彼を頼り続けた事。
己の弱さを言い訳にして、彼の優しさに甘えていた事。
そして……あの時。助けに行けなかったあの日。
『旧都から離脱する』と決まった時……一瞬、ほんの一瞬だけとはいえ、「よかった」と思ってしまった事。危険地帯から離れられると思って――自分の命を、幾度となく私を救ってくれた彼の命より優先してしまった事を。
「まだ謝ってないのに、いなくならないでよぉ……っ!」
嗚呼、最低だ。結局私は私の事ばかり。
この罪を許されたい。
正しくない自分を赦して欲しい。
その身勝手さが影宮エイトを殺して尚……私の醜い心は治らない。
「ああ、ぁ、あぁああああぁあああ……っ!」
最低な私の慟哭だけが、かつて愛した寂しい空間に響き続ける。
無力だった。無価値だった。影宮エイトが救ったものは、生きる力も死ぬ資格も失ったガラクタ未満の
こんなに笑える話はないだろう。その阿呆は、己の愚かさが殺した人間を浅ましくも求め泣いているのだ。何にもならない涙だけを垂れ流し、その死の価値すら貶め続けているのだ。
「……ごめんなさい」
その全てを理解して尚……私は何も出来ず泣き続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
謝罪は懇願。
「どうか許して欲しい」と、未だに罪を重ねるように。
「貴方に助けて欲しい」と、溺れた手で藁を掴む如く。
浅ましく最低で、悍ましく下劣な、決して届くことの無い祈り。
「ほんとうに……ごめん、なさい……っ」
涙と共に零れた謝罪は、一体誰に向けたものなのか。
分からないことこそが罪なのだと気付いた時、私という自我は恥じ入るように崩壊した。
心が、求めている。
乾いた喉が水を欲するように。飢えた腹が食事を請うように。
欠けてしまったものを、知ってしまったあの安らぎを、ずっと求めている。
もう二度と得れないと知りながら。
それを得る資格など無いと理解しながら。
されど浅ましいこの心は、どうしようもなく求め続けているのだ。あの安らぎを――木陰で涼むような逢瀬を、二度と会えない彼のことを、ずっと。
影宮エイトは
-
実はひっそり生存
-
普通に死亡