【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
《港街 (みなとまち)》
東凶湾スラムにおける陸地エリア、旧都絞東区・旧東凶港部分にある街の総称。東凶湾スラムにおける殆どの住人が此方に住んでいる。
治安は発展途上国レベルかそれ以下。『組合』が大部分の治安維持を担当しているが、法律なども整備されておらず完全な犯罪撲滅は難しいようだ。
街の周囲には異能によって作られたバリケードが設置されており、魔塵の襲撃を防ぐため見張り役が交代で常駐している。この見張り役は『組合』の異能者が主に担当し、街に流れて来た逃亡異能者たちの主な稼ぎ口となっている。
1時間ほど前。
「
組合に加入することを決めた俺・
東凶湾スラムを三分する三つの勢力とは――
一、『
二、『
三、『
「パワーバランスを数字で例えるなら、『組合』と『六道會』が4ずつ、『夜明けの団』が2って所だろう。『六道會』は最近勢力を伸ばしてきてるけど異能者の数が少ないから、まだ『組合』とは互角だと思う。『夜明けの団』は僕らと同じ異能者の若者集団だけど、支持者の母数が多くないし街への影響力は大きくない」
『組合』の強みは「数」と「質」の両立。組合は所属する全員が異能者であり、その数も『夜明けの団』より遥かに多い。構成員の数では『六道會』に負けるが、異能者の数、つまり1人あたりの戦力の質では彼等に大きく勝っている。これが『組合』が東凶湾スラム内で高い地位を保てる理由だ。
だが、『組合』リーダー銅山イサオは真剣な目で語る。
「でもね、
その目にあるのは警戒、拒絶、敵意……そして隠しきれない、恐怖。その目が見据える先に居るのは――。
「それは、夜明けの団リーダーの『灰かぶり』って女だ。アレは爆弾みたいなものだと思って良い。何を
銅山さんのあの目を、あの
テンカ姉が星五級魔塵のことを語るときの顔。
いつか倒さねばならない、しかし余りに強大な敵を睨むときの顔。犠牲を払うことも厭わない、覚悟を決めた組織の長の顔。
それはつまり、『灰かぶり』がそれほど危険な相手であるということ。
そのことは俺も分かっていた。実感は無くとも知識だけは持っていたから。
『灰かぶり』。
その名に科せられた罪状は内乱罪……要するに死刑確実の国家転覆罪。
3年前国を震撼させた大事件――『
「(――そんな危険人物がなんでここに居る!?)」
俺の前に立つ、灰色のヴェールを長髪のように靡かせるドレスの女が名乗った名は――『灰かぶり』。星五級賞金首、夜明けの団のリーダー、国戒議事堂と814人の命を灰にした女。
その名が偽りでないと分かる。直接肌に刻まれるように理解させられる。
顔の上半分を隠す、長髪のように長い灰色のヴェールに。
不気味な程優雅で妖艶な、ドレスの隙間で艶めく肢体に。
そして何より、ヴェールの奥から覗く硝子玉じみた碧眼と、彼女が纏う
「(なんだコイツの瘴気は……!? 色が、無い!?)」
異能者は戦闘時、全身から瘴気を発する。俺はそれをオーラとも呼んでいる。
その
だから、目の前の光景は異常だった。
灰かぶりが発する
異常。異様。異貌。
じり、と緊張で喉が張り付く。
頬を滝のような汗が流れ落ち、危機に反応してか右眼が痛む。
そんな俺の反応を前に、名の通りのヴェールを被った灰かぶりは。
「ふふ、そんなに警戒してくれて嬉しいよ」
余りにも余裕の、微笑。死地に立たされた俺に対し、相手は平常そのものの仕草で笑っている。
彼我の戦力差は明白だった。そもそも俺は星三級、星五級とまともに戦って勝てるワケがない。
だから俺が使うべき武器は、警戒露わに突き付けた刀ではなく、言葉。
「――何が目的だ」
正面から睨み付け掠れた声で問えば、ドレスの女は頬に細い人差し指を這わせ、困ったような声を上げた。
「うーん、そう訊かれてもな。誰しも常に思慮深く行動するわけではないでしょう? 明確に欲しいものがある日もあれば、気ままにウィンドウショッピングを楽しみたい日もある。私も今日はそんな気分でね……あまり深く考えずに来たのだけど、そうだな。強いて言うなら――」
言葉が切れた――否、そんなこと知覚出来なかった。
だって、
「――驚かせてみたかった、とか?」
急に、
背後から、
囁き声が、
「(一瞬で背後に)――ッ!!?」
反射的に振り返り、咄嗟に握っていた刀を振り回す。
振るいし刃、銘を『
体に染みついた重さが、動作が、驚愕の中でも正確にその細い首を斬る――!!
びた、と。
「な」
灰かぶりは防御すらしていない。ただ棒立ちで斬撃を受けたようにしか見えない。
なのに。
ぎし、とヴェールに止められた刀越しに腕に伝わる感覚は、山。
――微動だに、しない。
一瞬で押し斬るのを諦め、後ろに飛びのき間合いを取る。頼むから近付いてくれるなと構えた刀の切っ先で警告する。
そんな俺を見て滑稽と思ったか、灰かぶりはくすくすと笑った。
「ふふ、とっても良い反応をありがとう」
蝶が群れ踊る様を連想する楚々とした笑い。
だが、蝶と毒蛾が似ているように、淑女ぜんとした可愛らしい微笑は戦場に置いては相手への侮辱でしかない。
しかしその態度に腹を立てる余裕など、俺にはまるで残っていなかった。
「(なんだ!? 瞬間移動!? それと攻撃を無効化する異能!? なんでヴェールで防がれた!? 特殊な魔鋼装備なのか!? これが星五級賞金首――クソ、落ち着け、見極めろ!)」
目を放してなどいない。瞬きだってしていない。なのに
手加減などしていない。異能に問題は無かった。なのに
今の一連で、俺の戦意は粉々に砕け散っていた。当たり前だ。
相手の異能が『攻撃無効化』なら搦手が使えない俺では絶対に勝てない。
だが逃げようにも、『瞬間移動』を使える相手からは絶対に逃げきれない。
獅子と蟻。異能のレベルが違い過ぎる。
……ずきり。
右眼の痛みすら押しのける絶望感に、俺は逆に冷静になった。
ふ、と全身の力を抜く。
「(一旦交戦は選択肢から外す。やりあっても無駄、ならもう運に頼るしかないな)」
――獅子が取るに足らない蟻を見逃してくれる運に。
冷静になれたのは、テンカ姉やナナ子を知っていたことも大きかった。俺があの2人に戦闘で勝てるワケがない。だから、賭けるなら武力とは別の所だ。
力を抜いた俺を見て、灰かぶりの表情が変わったようだった。ヴェールのせいでよく分からないが、少なくとも嘲るような笑い声は途切れた。
だが、ドレスの美女は変わらず夜会にいるような仕草で。
つい、と。
伸ばされた手は、格好も相まってダンスの誘いのようだった。
「ねえ影宮エイトくん、『
甘い声でなお悍ましく。
本名がバレているなど気にも出来ない
……落ち着いている。落ち着ける。大丈夫だ……何を考えているか分からない怪物の相手など、ナナ子でさんざん慣れているのだ。
さて、問題は誘いを受けるか否か。
単純に考えれば、絶対的優位な側の誘いを断るのは愚策に思える。だが強者――例えばテンカ姉なら、己に素直に恭順した敵を「不甲斐ない」と斬り捨てるだろう。
強者の逆鱗がどこにあるかなど
迷った末に俺が選んだ答えは、せめて偽らないことだった。
「……有難いお誘いだが、もう『組合』に入っちまったんでな。不義理は出来ない性分でね」
「そうか、残念……うん、本当に残念だよ」
意外にも、と言うべきか。そう溢す灰かぶりの声音には確かに落胆の影があった。
人並みの感情がこの異質な怪物にもあると知ったことの安堵、肩を落とす女の仕草へ抱かされる庇護欲――怪物が見せた人間味に、張り詰めた緊張感がほんの僅かに弛緩する。
だがこの一瞬の警戒の弛みを、俺は彼女の次の言葉で一生後悔することになる。
だって。灰かぶりという女は何気なく、カレンダーを見ながら明日の予定を決めるみたいにこう溢したのだ。
「――『組合』、壊してしまおうかなぁ」
ぞあ――! と。
何気なく放たれたその呟き。ヴェールの隙間から僅かに漏れたその邪悪を浴びて、全身を氷点下の悪寒が走り抜ける。
弛んだ俺の警戒心の隙間に指を入れられ、心臓を思い切りかき回された気分だった。
邪悪。なんて邪悪。
心臓の早鐘が頭に響く。なぜ見誤ったと己を
こんな悪意、ヴェール如きで隠せるものではないだろうに、なぜ警戒を弛めたのだ、と――。
臓腑を蹂躙した悪寒の残響に苦しめられながらも、俺はなんとか言葉を絞り出す。
「何が目的だ。どうして星五級のアンタが、一山いくらの星三級異能者ひとりをこうも買ってくれる?」
冷や汗混じりに問えば、やはり灰かぶりは正反対の楽しそうな声で。
「ふふ、本気にしないで。壊すというのは冗談だよ。でも強いて言うなら、君の反応が余りにも良いからかなぁ、やっぱり。だって今、組合の為に私の手を取る覚悟を決めてくれたよね?」
……図星。が、隠す理由もない。
「それがなんだ?」
「ふふ、良いね、凄くぞくぞくするよ」
声は喜悦に濡れていた。
――違和感。
確かに灰かぶりは異質で邪悪だ。だが、交戦を諦め観察に徹した俺が強く感じたのは違和感だった。
「(……国家転覆を目論むテロリストだぞ。だがコイツの言動からは〈爆炎のユダ〉のような強い大義が感じられない。それどころか――)」
『あまり深く考えずに来たのだけど、そうだな。強いて言うなら驚かせてみたかった、とか?』
『本気にしないで。壊すというのは冗談だよ』
『ふふ、良いね、凄くぞくぞくするよ』
思い付きで動き、簡単に前言を撤回し、どこまでも享楽的に振舞う……そんな灰かぶりからは余りにも信念らしきものが見えない。それどころか考えなし過ぎる、とさえ感じる。
そんな彼女と俺の中のテロリスト『灰かぶり』像が余りにも一致しなくて、俺は気付けば尋ねていた。
「……質問いいか」
「うん? 勿論だよ。お喋りしよう」
やはり、軽い。こんな寂しがりの女学生じみた女が、何故。
「アンタ、なんでテロリストやってる」
問いに、女が
嘲笑か喜悦か、陶酔か虚勢か。ヴェールで顔を隠したままで、踊るように女は語り出す。
「私はね、何かを思い通りに動かすのが好きなんだ。昔、クラスで演劇をしたことがあってね。皆が私の思うがままに動いてくれた。あれは楽しかったなぁ……。あの時に『動かすものは大きければ大きい程楽しい』と知ったの。
――だからね。今度はそれを国相手にやろうと思ったんだ」
一瞬、何を言っているのか分からずに。
理解してなお二の句を告げず絶句する。
違和感があった。大義の無い享楽主義者じみた女と国家転覆罪が繋がらなかった。
だが、今は違う。
コイツは――『灰かぶり』という犯罪者は。
1億人が暮らす国家でさえ、己が弄ぶ為の
「私にある主義はそれだけだよ。団の皆は強い私を旗印として利用してるって訳。でもそれってさ、ふふ、本当に相手を操ってるのはどっちの方なんだろうね?」
たっぷり三度迷って、それでも堪えられず言葉が漏れる。
「――イカレてる」
「ふふ、皆そう
その恍惚の声に、今の返答すら「操られた」ことを悟り……俺は改めて眼前の怪物の危険性を思い知った。
と、ふいに『灰かぶり』が顔を背けた。
「……もう少しお
瞬間、怪物の視界から外れて余裕が出たからか、俺はその気配に気付く。
――路地裏の両脇、建物の屋上。そこに複数の異能者の気配があった。
漏れる
「(『夜明けの団』の戦闘員か……!)」
最悪の状況を更に悪くする援軍。それは相手にとって鬼に金棒だったハズだが、しかし灰かぶりはくるりとこちらに背を向けた。
「じゃあ、またねエイトくん。次はもっと良い舞台で会おうね」
そのまま『灰かぶり』は、今しがた来たばかりの援軍を連れて去って行った。否、口ぶりからしてあれは援軍ではなく、奔放な
5秒、10秒……路地裏からその姿と気配が消えてからたっぷり20秒が経過し、俺はようやく全身に入れていた力を抜いた。そのまま汗と共に大きく息を吐き出す。
国すら玩ぶ怪物にとって、俺など脆い人形でしかなく。
飽きてぽいと放り出されたことに、俺は心の底から安堵した。
「――悪夢を見てた気分だ」
荒い息と共に喉から滑り落ちたのは、取り繕うこともできない本音。
それ程までにあの女は、今の時間は悪夢のようだった。
『私はね、何かを思い通りに動かすのが好きなんだ』
それだけで国戒議事堂を爆破して800人殺す女だ。俺の反応を操っただけで満足してくれたのは奇跡と言える。
例えば、『灰かぶり』が俺を使って何かを――それこそテンカ姉などを操ろうと目論んでいたならば、俺は抵抗など出来ずその掌の上で踊らされるしかなかっただろう。尤も俺なんかでテンカ姉を操れるとは思わないが……例えばテンカ姉に一瞬嫌な顔をさせる為に俺の生首を送り付ける、みたいなことをあの女に考え付かれていたら……想像するだけでゾッとする。
なにせ、『灰かぶり』ならやりかねない。見知らぬ星三級異能者に嫌な顔をさせるためにわざわざ自分の足で出向く女だ。その奔放さの矛先が向いた相手がどうなるのかは、爆破された国戒議事堂が語っている――。
『――驚かせたかった、とか』
ぞくり。素早く振り向いても、やはり路地裏にあの女の姿はない。
だがあの至近からの囁き声が、首に這ったひやりとした指の感触が、嘲笑うように耳に肌に残り続けている。
嗚呼、本当に。
「なんて悪夢だ、全く――」
恐怖を振り払うように頭を振って、俺もまた暗い路地裏を後にした。
ぴちゃ、血だまりを踏んだ音が響く。
ずきり、無くした右眼がまた痛んだ。
ごろり、死相に歪んだ生首が転がる。
ずきり、右眼の痛みで周囲を見る余裕などない。
ごぼり、首吊り死体が血泡を吹く。
ずきり、右眼が痛い、痛い――。
2人の下手人が去った路地裏に残されたのは、斬首死体と首吊り死体。
だから、下手人たちは忘れてしまった。誰も思っていなかった。
こんなにも濃密な死臭のする真っ赤な空間に、殴打で気絶しただけの幸運な生者が、静かに覚醒を待っていることなど――。
【Tips】
《夜明けの団 (よあけのだん)》
東京湾スラムを拠点とする、革命・国家転覆を目論む異能者集団。目的の為なら手段を選ばず、特に爆破テロ等の手段で現政権に抵抗を見せている。掲げる思想は「異能者の解放」。
リーダーで星五級賞金首・通称『灰かぶり』はその本名こそ知られて居ないものの、国内最悪の異能テロリストのひとりとして名高い。
所属することで与えられる定期任務などは特に無いが、その代わり衣食の保証もない。更に所属中は一部賞金首イベントに参加できなくなるなど弊害もあるので気を付けよう。
――少し困ったことになった。
いや、星五級賞金首と至近距離で相対するより困ることなどないのだが、それとは別ベクトルの「困ったこと」が発生した。
あれから3日。
俺・影宮エイトは、東凶湾スラムで『組合』の一員として順調に仕事をこなしていたのだが……。
まずは今までの日々を振り返ろう。
1日目は街外周部哨戒任務。
ブロックN-3という場所で8時間程見張りをし、異常があった時の報告方法や仕事のやり方を覚えた。顔合わせの時間や事前説明などは仕事前にほんの少しあっただけで、学園との違いを思い知った。ただ最も詳しくなったのは、仕事中の暇の潰し方だ。その日は魔塵の襲撃が無い平和な1日だった。
2日目は物資の護衛。
組合の拠点であるコンテナ船『いさな』で搬入された物資の護衛を行った。といっても甲板に突っ立っているだけだが……『夜明けの団』や『六道會』は勿論、スラムの手癖の悪い連中から物資を守る仕事だ。泥棒の中には異能者も居る。そんな治安の悪い街の中では、「安全」は良い商品になるということだ。
そして3日目、今日。
再び街外周部哨戒、E-2で早朝から8時間の見張り……魔塵が1体俺の管轄に襲撃してきたが、バリケードを超えられない星二級魔塵だったので単独で殲滅。無事任務は完遂、無傷で今日の仕事を終える……そこまでは良かった。
任務完了の報告の為に『いさな』に戻った俺が甲板から船室に入る前に、大柄な黒服の男たちに立ち塞がれたのだ。
「隻眼に隻腕の学生……こいつだな」
「兄ちゃん、ちょっと
チンピラ達とは一線を画す迫力、ガタイ。一様で個性の無い黒いスーツ。
間違いない――ヤクザだ。恐らくは六道會……本物を見るのは初めてだが、異能者と非異能者の差があっても気圧される威圧感があった。
「……何か用ですか」
努めて冷静に問うと、何か地雷を踏んだのかヤクザの1人が殺気立った。
「ああ!? てめえ、この期に及んでよくもそんなトボケ顔が出来たもんだな!」
「落ち着け。なぁ兄ちゃん、ウチの若いもんがよぉ、あんたに殺されちまったって話を聞いたんだが、そりゃ本当かい」
一見落ち着いているように見える別のヤクザの言葉を聞き――右眼がずきりと痛む。
ウチの若いもん、チンピラ、3日前の事件……まさか、あいつら。だが何故。いや、そう言えば。
「――」
連想。驚愕。疑問。
俺の顔色が変わったのを、ヤクザたちは見逃さなかった。
「決まりだな。連れて行け」
「そういうこった……抵抗すんなら覚悟しろよガキ」
しまった、と思うももう遅い。
こちらにごつごつした太い腕を伸ばして来るヤクザたち。
ずきり、失った右眼が痛む。
敵を殺せと痛みが囁く。
「〈
迫り来る腕を斬るために、闇から武器を取り出そうとした瞬間。
「ちょーっと待ったぁ!」
そう言って、俺とヤクザたちの間に、大柄な男が割り込んで来た。
熊のような茶髪の彼は大声で言う。
「彼は『
「銅山イサオ……!」
ヤクザたちが憎々し気にその名を溢すのを、俺は庇われた背中越しに聞いた。
銅山イサオ。組合のリーダー、体格の良い不完全異能者。
だが、ヤクザたちが退く様子は無い。むしろ一層の殺意を露わにスーツの中に手を入れる。拳銃でも取り出すつもりだろうか、そんな彼等を前に、身を守る異能を持たないハズの銅山イサオは強気に笑う。
「おっと、僕らとやりあう気か? 確かに僕は今膝がガックガクだけれども――」
彼はぐるりと回りを見渡す。ここは組合拠点である巨大コンテナ船『いさな』。
「――ここは組合本部だぜ。彼らまで相手にする気かい?」
周囲を取り囲むコンテナの上に立つ、人、人、人。
ある者は雷電を身に纏い、ある者は鮫を象った水を侍らせ、ある者は鉄塊の如き巨大な武器を構えている。
こちらを見下ろす複数の異能者たち、彼等の放つ濃密な
「……一旦退くぞ。若頭に報告だ」
不利を悟って素直に退く判断はチンピラにはない場慣れゆえか。
退却を選んだ黒スーツのヤクザたち、そのうちの1人がこちらを振り向く。
「せいぜい今は粋がっとれや。すぐ後悔することになるぞ……!」
その鬼の形相を向けられたのは、俺ではなく銅山イサオ。
『組合』と『六道會』の確執を感じる捨て台詞に、銅山さんは苦笑しながらぽつり呟く。
「負け惜しみを……しかし組合本部――『いさな』の甲板にまで出張って来るとは。最近妙に強気だな……」
「大丈夫でしたかボス! 新入りも!」
「僕らは大丈夫だよ! 皆もありがとう、守ってくれて! でも『ボス』は勘弁してね!」
ヤクザたちが別の船へ去ったことを確認したコンテナの上や屋根の上に立つ異能者たち、フォローに入ってくれた組合のメンバーたちに手を上げて礼を言う銅山さん。彼等が俺を庇ってくれたのは仲間への当然の善意に見えた。
全く、組合の仲間意識の高さには頭が上がらない。それもリーダーである銅山イサオの人徳が為せる技だろう。不完全異能者だろうがなんだろうが、『組合』の要は間違いなくこの人だ。
そんな銅山さんが此方を振り向く。
「えーと……ヒナタ君。何があったか訊いてもいいかい……?」
「勿論です。寧ろ説明させて下さい」
人の良さが溢れた遠慮がちな問いに乗る形で、俺は3日前のことを説明した。
チンピラに路地裏に連れ込まれたこと。義理を優先し誘いを断ると殴りかかられたこと。ただ、『灰かぶり』と出会ったことは伏せることにした。恐らく彼女は今回の件には無関係、今は話すと無用の混乱を招くだろうと判断した。チンピラも2人だった事にし、首吊りで殺された3人目は今は居なかったことにする。
説明を終えると、銅山さんは顎髭を撫で内容を咀嚼してから口を開いた。
「――成程。相手が先に殴りかかって来たのか……君が殺すしかなかったならそれ程切迫した状況だったんだろう」
ずきり、また右眼が痛む……そうだ、あれは仕方なかった。
「……はい。彼等は一見して3人とも非異能者に見えたので、制圧できると踏んでたんですが……何かの異能か、錠剤を吞んだ後急に異能者のように変貌したので、制圧は困難だと判断しました」
「――まさか、『ミアズマ』。完成していたのか……だから彼等はあんな強気に――?」
「?」
「……そうだな。君ももう当事者だ。その辺も説明しておこう」
少し迷った後にそう言って、銅山イサオは語り出した――。
そして今、4日目の朝。
与えられた「港町」のアパートの一室……『組合』の治安維持の管轄である地域にあるため比較的安全な部屋の中で、俺は情報を反芻していた。
3日前トラブルになったチンピラたちは、実は『六道會』の末端構成員だったらしい。灰かぶりとの命懸けのやりとりですっかり忘れていたが、あの場には1人「生き残り」が居たのだ。そう、俺が最初に殴って気絶させた刈り上げの男が。
気絶して生き残った彼が俺の人相と構成員2人殺害という悪事(※1人は俺じゃない)を報告し、かくして俺は六道會に睨まれることとなった。隻腕隻眼の学生など判別が容易すぎるのも問題を深刻化させている……我ながら迂闊だった。
「(まあ俺が
狭いぼろアパートの自室……とは言っても東凶湾スラム内では比較的綺麗な部屋の中、継ぎ接ぎだらけのソファに寝転びながら考える。
昨日の一件から、東凶湾スラムでは緊張感が漂い出していた。
俺の持ち込んだトラブルは、かねてより小競り合いの絶えなかった『組合』と『六道會』の関係を明確に敵対させるには充分だったらしい。治安維持中の小競り合いにヤクザたちの港町への進出の気配……既にそれだけの事が起こっていると聴く。加入4日、俺は早くも銅山さんを始めとした組合に頭が上がらなくなってしまったのだ。
元々『組合』と『六道會』は治安維持の地域の奪い合いや薬物問題で仲が悪かった。それでも本格的な敵対関係では無かった……俺が事件を起こすまでは。
ただこれは言い訳にしか聞こえないので外では言えないが、100%俺が悪いのではない。ただ時期が致命的に悪かった。
「(本来『組合』と『六道會』の勢力は互角……直接的な武力では『組合』の方に分があった。だから『六道會』は船街の治安維持や薬物売買で金を稼ぎつつも、強硬策には出てこなかった。だが六道會は完成させた……構成員の大半を占める非異能者を強化する薬物、『ミアズマ』を)」
『ミアズマ』――それは服用者に異能の力を与える、黒い錠剤状の薬物。嘘か真か、非異能者でも飲めばたちまち星三級相当の「身体強化」を手に入れられるという。
麻薬ならぬ、魔薬。
それは元来なら成功率の低い粗悪品、ただ快楽を得るための薬物だったが……遂に非異能者強化のための薬として完成してしまった疑惑が上がった。
流通の元締めである『六道會』が活気づくのもそれなら納得できる。
「(使用者に異能の力を与える薬……簡単に兵隊を作るのにも、売って金を集めるのにも大活躍だ。薬の生産量にもよるが銅山さんが言ってたパワーバランスは既に崩壊寸前……甘めに見積もって『六道會』が5、『組合』が3で『夜明けの団』が2ってとこかな)」
要するに、俺はタイミング
『六道會』の勢力拡大で最も割りを食うのは俺達『組合』だ。
治安維持エリアの取り合いや倉庫業・護衛業のシェアを奪い合う関係性なのも勿論、『夜明けの団』は灰かぶりのワンマンチームな関係上他勢力の影響を受けづらい。よって目下『六道會』が勢力を伸ばして最も困るのが『組合』である。
『組合』は逃亡異能者の集まり。街から追い出されても行き場所など無い。
最早全面戦争は秒読みと言えた。ただ『組合』にはそれを遠ざける明確な方法もある。
つまり――騒動の原因、俺・影宮エイトを差し出し『六道會』の機嫌を取るという方法。
「……最悪だ」
若い異能者の集まりである『組合』の結束は固い。だがそれは全員がリーダーを尊敬することによる絆だ。俺と銅山イサオを天秤にかけられれば、『組合』すら俺の敵に回ってしまうだろう。現時点ではまだその気配は無いが……非常に厄介なことになった。
「(さて、これからどうするか……)」
ここ数日で分かったが、『組合』は
その為に大切なのは当然、『組合』から追い出されない事。組織の補助なしで東凶湾スラムを生き延びるのは難易度が高い……『六道會』とはもう敵対してしまったし、『夜明けの団』は論外。俺は『組合』にしがみつくしかない。
「(だが現状、俺は大した人材じゃない。全面抗争と新入り1人の犠牲ならどっちを選ぶかなんて明白だ。どうにかして問題を収集させるか、それなりの価値を示さないとな……)」
しかし、どうやって……と悩んでいると、不意に部屋の外から微かに声が聴こえて来た。
「……そっちに行ったぞ!……」
「……捕まえろ!……」
男たちの怒鳴り声。窓越しの遠くのそれを、異能で強化された聴覚が辛うじて捉える。
ヤクザだ。
すわここが特定されたか……と思われたが、声や足音は近付いて来る様子は無い。
「(なんだ? 俺以外の誰かを追ってる……? 組合メンバーが襲われてんのか?)」
ソファから起き上がる。
もしそうなら援軍に行くべきか……少々マッチポンプくさいが、本当に組合メンバーが襲われていたなら助ければ多少なりとも恩を売れる。
それに。
「(ヤクザが『ミアズマ』を持っていれば……それを奪って薬物完成の真偽を確かめればかなりの貢献になるハズだ。それで首の皮一枚繋げられるか?)」
偶然にも巡って来た、起死回生の一手。
「(銅山さんの話では『六道會』の構成員は殆どが非異能者、噂になる程強力な異能者は若頭そのひとだけらしい。まさかその若頭が矢面に出てくることはないだろう……『ミアズマ』も星三級相当の身体強化だけで、一対一は勿論、例え囲まれても逃げるだけなら出来るハズだ。様子見するだけならリスクは低い)」
どこまでも打算で、俺はソファから立ち上がった。脱いでいた上着に左腕を通し、最低限の偽装としてぼろぼろの外套を纏う。
「――ヤクザを倒して『ミアズマ』を奪う。襲っているのが組合員なら守って恩を売る」
うん、行ける。というより今動かなければ事態収拾のための生贄にされるだけだ。
ゆっくりと扉を開け、こちらを見ているヤクザが周囲のどこにも居ないことを確認して、俺は汚れた街へと跳躍した。
屋根を伝って街を駆け、ヤクザたちを探しながら――ぽつり、燻っていた疑問を呟く。
「しかし非異能者に力を与える薬に『
そう言えば『ミアズマ』は誰の手でどうやって生産されているのだろうか……いや、そんなの異能者が異能で作っているに決まっているか。それがどんな異能なのか興味はあるが……それは後でゆっくり考えればいい。
非生産的な思考を打ち切って、俺は本格的に追跡を始めた。
【Tips】
《船街 (ふねまち)》
東凶湾スラムにおける海上エリア、東凶湾上に密集した船の上に立てられた街の総称。豪華客船を転用した居住区などもあり、船街に住居を持つことは東凶湾スラムにおける上流階級の証である。
港街と比べて『六道會』の影響力が強く、治安維持の担当範囲は船街限定だが『組合』よりも遥かに大きい。そのせいか港街に比べて治安は良いが、汚職などの黒い噂は絶えない。
海上ゆえに地上よりも魔塵の脅威が薄い船街は富裕層の割合が多く、スラム内でも権力の高いものしか暮らせない選ばれし者たちの楽園だ。だがそれは船街と港街の軋轢を生む原因にもなっている。