【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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   ノラ (下)

 ――鳥の鳴き声がして、目が覚める。

 僅かに身動ぎするとぼろソファが酷い音で軋み、その不快さを以て俺・影宮(かげみや)エイトを微睡(まどろみ)から弾き出した。

 まあ、元々二度寝をするつもりもない。上体を起こし室内の様子を確認する。

 

「(……『ノラ』の奴はまだ居るみたいだな)」

 

 食べ散らかされた床の皿と倒れたコップの奥……ベッドの下、そこから飛び出た尻尾が揺れていた。と思ったら尻尾がスッとベッド下に引っ込む。警戒心も変わりないらしい。

 

「(警戒、か)」

 

 その様子は、ノラがどうやって生きてきたのかを想像させるには充分だった。

 出会う人間全てを警戒しなければ生き延びれなかった獣。そんな彼女が唯一縋れる存在こそ――。

 

『――オ、カァ、サン』

 

 昨日見た、その涙を思い出す。

 

 そんなノラの言葉の影響か……俺も久しぶりに母親の夢を見た。

 瘴気災害で父諸共行方不明となった、恐らく死んだのだろう母。

 八重桐家に預けられる前まで、約6年間しか一緒に居られなかった母。

 正直大した思い出は無い。写真なども残っていないので、今となっては顔も朧気だ。

 そして良い親でも無かったのだろうと思う。子供になんの自由も無い影宮家・八重桐家間のしきたりに素直に従い――あるいはそれに囚われた父を制止し切れず――俺を八重桐家に預けたのだから。

 

 だが、それでも。

 俺にとって母を失った痛みは決して浅いものではない。二度と会えないと理解して泣いた夜も何度あったか分からない。

 テンカ姉が隣で励ましてくれた俺でさえこれならば……人語を覚えられない程の孤独の中で育った子供にとって、母とは、その喪失とはどれ程なのか。

 

「――糞」

 

 堪えきれずに罵声が漏れる。

 ノラの母親は貧困や暴力で死んだのか……それとも異形に育つ我が子を不気味に思って捨てたのか。どちらにせよ酷い話だ。俺などが不幸ぶれない程に。

 それがどうしようもなく、苛立たしい。

 

 とは言え、感傷に浸っている暇はない。今日も『組合』で仕事がある上、朝やらなければいけないことも増えているのだ。

 

 ぬるま湯以上の温度が出ないシャワーを浴び、脱いだ制服をそのまま着る。逃亡に計画性が無かった――着の身着のままに東凶湾スラムに流れ着いたが故に、制服の代えなど無い。当然スラム内で他の服はいくつか手に入れているが、学園の制服は最新技術の粋を詰め込んだ「鎧」であり、今のスラム内の状況を考えるとこれ以外を着て外出するのは愚かだろう。

 そして備蓄の携帯口糧(レーション)をひとつ口に入れる……。

 

「(……携帯口糧(レーション)以外も貰って来るべきか)」

 

 『組合』の報酬の殆どは現物支給。そして更にその内訳の殆どが食料に充てられる。当然と言えば当然……食料が無ければ人は生きられない。

 東凶湾スラムでの主な食料は海で獲れる魚と、外からの商人が持って来るいわば輸入品。輸入品は常温でも保存が利くものが多く、その中には対魔塵戦争の影響で大量に生産されている携帯口糧(レーション)も当然含まれる。保存が利き、栄養価が高く、安全な旧都外では常食に用いられない……そんな携帯口糧(レーション)を卸す場所として東凶湾スラムはこれ以上ない街だ。

 だが。携帯口糧(レーション)はその味の悪さ故か、この街ですら人気が無い。現に組合の倉庫内に所狭しと積み上げられていた。なので格安、もとい割増で貰って来たのだ……組合員たちに若干引かれながら。

 

「(俺は食に大した拘りが無いが……少なくとも子供(ガキ)が食うものじゃないだろう)」

 

 薄味の粘土じみた携帯口糧(レーション)を飲み込みながら改めて思う。競争率は高いが缶詰や魚を貰って来るべきだろう……外套用に軍用布が欲しかったのだが、しばらくはお預けかもな。

 だが今は缶詰も魚も無い。ウチにあるのは粘土に似た固形の食べ物だけ。

 

「……置いておくぞ」

 

 机の上にいくつか携帯口糧(レーション)を置き、水入りのペットボトルも隣に並べる。これでノラが怪我等で外に出ることができなくても飢えることは無いだろう。言葉は通じないだろうが一応ベットの下に向けて伝え、隻腕を隠す為のボロ布の外套を纏う。

 外出の準備は整った。

 

「――」

 

 何も言わず、扉を開ける。何かを言った所で理解できないだろうし、ヘンに刺激する必要も無いだろう。

 鍵は……迷ったがかけないことにした。ノラが鍵の仕組みを知らない可能性もあるし、別に盗まれて困る物など無い。むしろ彼女が番犬になる可能性もある……どちらにせよ泥棒に入って欲しくは無いが。帰宅して最初にすることが喉笛を食い千切られた死体の処理とか嫌だからな。

 

 心配事は多々あるが、無断で休む訳にもいかない。

 俺はボロ布の外套をフードのようにして顔を隠しながら家を出た。

 

 

 東凶湾スラム「港街」、その一角にある瘴気災害を生き残ったぼろアパート。

 そこから街に出れば、人々が作る喧騒が俺を出迎える。

 

 また、東凶湾スラムでの一日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 『組合』の拠点、色とりどりのコンテナが乗った大型貨物船『いさな』。

 明らかに警備の異能者が増えたその船に「出勤」した俺は、組合リーダー・銅山(どうやま)イサオの部屋である船長室に向かっていた。

 

 さて。『いさな』は船街最大のコンテナ船で沢山の組合員が常駐しているため、真っ直ぐ目的地を目指しても何人かとはすれ違う。

 例えば、船内に入るまでの甲板の上で。

 白いセーラー服を着た黒髪の女子が元気に手を上げて挨拶してきた。

 

「ヒナタ先輩、おはよっス!」

「……おはようっす。だが新入りに『先輩』は止めてくれ先輩」

「いいじゃないスか()()だし年上なんだし~」

 

 ノリの軽い絡みを受け流しつつ船内へ。

 今度は廊下、金髪に学ランの背の低い男子とすれ違いざまに。

 

「おう四方山、ボスが呼んでたぞー」

「了解です」

 

 軽く会釈しすれ違う。

 ここでは俺は影宮エイトではなく、組合の新人『四方山(よもやま)ヒナタ』だ。

 

 一応、それなりに人付き合いは頑張っている。『組合』は明確な規則で縛られた組織ではない以上、そうしなければならないからだ。

 そうだな……学園が「軍隊」や「大企業」だとすれば組合は「サークル」や「バイト」と言った所だろうか。仕事の比重や責任は軽く、その分周囲との信頼関係が重要になってくる。

 あまり愛想に自信は無いが、礼儀を弁えるくらいは俺にもできる。挨拶と礼、そして受けた恩を忘れない……そうしておけば自然と縁は繋がるものだ。

 だがまあ、何にでも例外はあるもので。

 

「ひぃ……!」

 

 船長室から出て来た小柄な女子が俺と鉢合わせ、この世の終わりみたいな顔色で悲鳴を上げた。

 彼女は青い顔のままぱたぱたと廊下を走り去っていった……その怯えように、俺は思わず自分の顔を触ってしまう。

 

「(……俺、そんな怖い顔してたか?)」

 

 前述の通り俺は人付き合いを頑張ってはいるが、主に年下組――中等部くらいの連中には怖がられているフシがある。まあ、ただでさえ隻腕に眼帯とお世辞にも良い人相はしてないし、それを帳消しに出来る愛想もないしな。

 子供が重傷者を怖がるのは当然だ、と自分を慰め、俺はそのまま船長室の扉を叩いた。

 

『どうぞ~』

「失礼します」

 

 船長室に入った俺を歓迎したのは、気の抜けたような男の声。

 

「おはようヒナタ君。相変わらず礼儀正しいね。毎回律儀にノックしてくれるのは君くらいだよ」

「……冗談ですよね」

「だったらよかったんだけどねえ」

 

 あはは、と力なく笑って頭を掻くのは『組合』のリーダー・銅山イサオ。

 熊を思わせる体格の良さと、それに似合わない温厚な性格が特徴の青年である。さらに言えば……異能を持たず身体強化にだけ目覚めた不完全異能者。一見すればあらゆる意味で『組合』のリーダーが似合わない男に思える。

 だがそれは間違いである。彼の求心力と政治力は本物だ……甘いともとれる優しさによって味方から慕われ、適材適所で仕事を割り振るマネジメント能力がそれらの好意を尊敬に変える。彼ほど『組合』のリーダーに――現体制から弾き出された若き異能者のまとめ役に適した人物はいないだろう。

 要するに、ノックが無いのは彼は舐められているという訳ではなく親しまれているということだ。

 

 そんな親しみやすい銅山さんではあるが、俺はわざわざ世間話をしに来たのではない。

 俺は前置きも早々に本題に入る。

 

「それで『ミアズマ』、どうでした」

 

 それは、昨日組合に提出した麻薬『ミアズマ』について。扱いの難しい、本来なら新人の下っ端に伝えるべきではない重要な情報だが、銅山さんならあるいは……。

 

「うん。成分の分析結果と証言とを合わせて考えると、『異能の力を与える薬』として完成したのは確実だろうね。それで『ミアズマ』の入手元だけど……うん、訊くのは止めておく。危険を冒してまで組合に貢献してくれてありがとう、ヒナタ君」

「……はい」

 

 何となく、銅山さんは俺の取った手段を察している気がした。そしてそれを余り快くは思っていないことも。

 ずきり、思い出したかのように右眼が痛む。

 ……確かに取った手段は強引だった。『六道會』のヤクザを10人も殺したのだ。『ミアズマ』や銃を持つ彼等を惨殺できるのは異能者――『組合』か『夜明けの団』のメンバーくらいなので、それを合図に『六道會』と『組合』の対立が大きく悪化する可能性もあった。浅慮、悪手と詰られても仕方が無い。

 逆に言えば、それ程までに俺の立たされた立場は切迫していた。多少強引な手段を用いても己の価値を『組合』に示し、『六道會』を正体不明の襲撃者の影で威嚇しなければならなかったのだ。

 

 『組合』の立場すらチップにした賭け。

 保身の為に独断でそんなことをしておきながら、俺はあくまで『組合』の真面目な新人という仮面を被り続けている。

 

「……それで、俺の仕事は」

 

 そんな俺の内心を見透かしているのかいないのか、銅山さんはテーブルの上に散乱した紙の資料を捲りながら答える。

 

「うん。ヒナタ君は今まで通り『六道會』との接触を避けてもらう為、『いさな』船内での仕事をして欲しい。要するに倉庫番と雑用だね。退屈な仕事だと思うけど……あ、9時からの漁船の護衛も行けるかもなあ。君、船酔いとかするタイプ?」

「いいえ。というか銅山さんも身体強化あるなら知ってるでしょう。異能者がそういうのに耐性があるの」

「まあそうだけど、その手の耐性は個人差あるしさ。でもOKか、よしよし、漁船護衛もできる人材が限られてるからありがたいよ」

 

 銅山さんによって、俺の今日の仕事は漁船の護衛――東凶湾で漁をする漁船を飛行タイプの魔塵から守る任務に決まった。この臨機応変にシフトを組み直せる能力も、彼が『組合』運営に欠かせない理由のひとつだ。

 新たな任務を拝命し船長室を後にしようとした俺の背中に、銅山さんの言葉が飛んで来る。

 

「ヒナタ君。『六道會』は危険だ。何かあればすぐ『組合』を頼ってくれて良いんだよ……『いさな』の部屋も空けてるし」

 

 ……それは、甘いともとれる優しさからの提案。

 けれど。

 

「……ありがとうございます。でもすみません、今の部屋が気に入っているので」

 

 失礼します、と言って、俺は船長室の扉を閉めた。

 

 ずきり、責めるように右眼が痛む。

 最後の提案……『いさな』船内の安全な部屋に泊まるのを断ったのは、遠慮からでも、家にノラを匿っているからでもない。俺が臨機応変に動きにくくなるからだ。

 

 ……俺は今後の状況によっては、再び『六道會』の構成員を襲撃・殺害することも視野に入れている。その際異能者が常駐している『いさな』船内に泊まっていたのでは何かと不都合。俺はその保身と打算で銅山さんの優しさを無碍にしたのだ。

 

 否。それどころではない。優しさを無碍にした、なんて甘っちょろい言葉で己の罪を低く見せてはいけない。

 俺に『組合』への忠誠心など微塵も無く、自分の為に彼等を利用してしかいないのだから。

 

 俺にとっての()()はあくまで「『六道會』の機嫌を取る生贄として『組合』からも追われる立場となる」ことだ。そうなれば東凶湾スラムに俺の居場所はなくなり、学園にも戻れない俺はゲームオーバーとなる。

 それに対し、「『六道會』と『組合』の全面戦争」の方は望ましくは無いが最悪ではない。何故ならそうなった場合、少なくない被害を出しつつも最終的には『組合』が勝つと踏んでいるからだ。要するに俺は既に勝ち馬に乗れている状態。事が起こった後は『組合』もある程度の弱体化を強いられるだろうが、「少なくない被害」の中に俺が入っていなければ俺は別段それでもいい――誰が死んでも、構わない。

 要するに敵の数と味方の数の問題だ。『六道會』と『組合』に味方ナシで追われるのと、『六道會』という敵に『組合』の味方と共に戦うの、どちらの勝率が高いのかという話。

 

 勿論これは上手く事が運ばなかったとき用の想定ではある。

 ()()は『ミアズマ』の奪取と複数の構成員死亡事件によって『六道會』の気勢を削ぎ、敵対関係を回避するパターン。『六道會』が『組合』にビビッてくれれば――『ミアズマ』があっても一筋縄ではいかないと判断してくれれば――彼等も喧嘩を売ってくることは無くなり、俺が生贄にされる必要もなくなる。

 

「(……醜いな)」

 

 どこまでも、自分のこと。

 優しく仲間想いな『組合』の中で、俺の自己保身は一層汚れたものに思えた。

 あるいはそんな己から目を背けるために、死にかけの野良犬を拾ったのか。

 

 自己嫌悪のまま所定の場所で待っていると、同じ漁船護衛任務に同行してくれる組合の異能者が現れた。白いセーラー服に黒髪の、今日一番に挨拶した女子。

 

「ヒナタせんぱーい、今日はよろしくっス! 漁船護衛のやり方ばっちり教えるっスよ……あれ、なんか調子悪いスか?」

「……なんでもない。てか先輩呼びやめてくれ。後輩に仕事教わる先輩ってなんだよ」

 

 切り替えよう。今の俺は『四方山ヒナタ』、真面目な組合の新人だ。

 己の醜い内面に蓋をして、俺はボロ布の外套を纏い直した。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで夕方。

 『組合』での仕事を終え、ぼろアパートに帰って来た俺・影宮エイトであったが……。

 

「(……)」

 

 じー、と。

 ベットの下、影の中に浮いたふたつの目が、じっとこちらを見つめていた。

 

 ……ノラに見られている。否、凝視されている。

 未だ部屋から出て行っていないのも予想外ではあったが、更に予想外なことが起きるとは。

 

「(なんだ? もしかして魚が好きなのか?)」

 

 そう思い、貰って帰って来た魚、それが入った氷入りの袋を動かしてみるが……ベッドの影から覗く視線はぴくりとも動かなかった。

 

「(魚じゃない……見ているのは俺、か?)」

 

 魚の入った袋を机に置いて室内を横に歩く……と、視線が俺に付いて来た。

 俺が右に動けば視線もそれを追って右を向き。

 左に動けば視線も左に。

 間違いない、ノラが見ているのは俺だ。だが、何故。

 

「(観察されてる、のか? それとも何か望みがあんのか……)」

 

 獣の考えることは――あるいは言葉も知らない子供の考えることは俺には分からない。

 

「おい」

 

 どういうつもりだ、という疑問から思わず声をかけると、驚いたのかノラの顔がベットの下の奥に引っ込んだ。

 

「……」

 

 だがしばらく待っていると、再びベットの下からノラの顔が覗き、再び俺への凝視を再開する。

 

「(……腹でも減ってんのか?)」

 

 無言の訴えか、と思い、貰って来た魚を適当に塩焼きにして与えてみることにした。

 焼き魚を皿に乗せベッドの前の床に置く――俺が近付くとノラは奥に引っ込んだ――するとしばらくして出て来たノラは焼き魚をベッド下に攫って食べたようだったが、食事が終わると再びその顔を覗かせた。

 やはり、見られている。じっと、じーっと見られている。

 

「(……駄目だ、分からん)」

 

 考えた所で分かるはずもなく、直接尋ねることも出来ず。

 俺は早々に悩むことを止め、普通に生活することにした。実害がないなら放置で良い。本当に不満があるなら出ていくだろう。

 

 上着を脱いでソファに座り携帯口糧(レーション)を食う……視線を感じる。

 今日覚えた仕事の内容をメモに取る……まだ見られている。

 就寝前、照明――ひとつで部屋中を照らす白熱電球――を消すときに振り向くと、ベッドの下の双眸と目が合う。

 

「……おやすみ」

 

 最後こそ挨拶に驚いて引っ込んだが。

 結局その日は寝るまでずっと、ベッドの下からノラに睨まれ続けたのだった。

 

 

 

 次の日。

 早上がりで任務を終え、昼過ぎに帰宅すると、ノラがベット下から出て来ていた。

 

「――」

 

 予想外の姿に言葉が詰まる。そんな俺の視線の先、薄っぺらいベッドの上で伸びをしていたノラは、今や定位置となったベッド下に逃げ込んだ。

 しかしすぐにベッド下から顔が覗き、昨日と同じようにこちらを観察しだす。目が合っても構わず、じっと。

 僅かな膠着の後、俺はいつも通りに外套を脱ぎ、床の皿を回収して流し台へ入れてからぼろソファへ腰掛けた。

 緊急時用に預けられたトランシーバー、電話線など無い東凶湾スラムでの数少ない通信手段であるソレを手の中で転がしていると、ふと気配に気付く。

 

「(なんだ?)」

 

 振り向けば、四足のノラが壁際に。

 再び全身を見せた彼女は、しかし俺と目が合うや否や先の焼き増しのようにベッドの下へと身を隠す。

 ノラがベット下から出て来るのを見たのは初めてだ。それがこんな二度連続で続くとは。

 

「(……流石にベッドの下に籠るのは飽きたのか? それともやっぱ飯、か?)」

 

 一応置いておいた携帯口糧(レーション)は平らげていたが、足りなかったか。

 とりあえず、と貰って来たフルーツの缶詰の中身を出し乾パンと共に皿に並べ、いつもの位置に置く……と皿を持って振り向けば、ノラが上半身をベッド下から出していた――やはり目が合った途端に引っ込んだが。

 

「……」

 

 ノラの目の前に皿を置く。ソファまで戻ればがつがつと食事の音が聴こえ、すぐに止んだ。

 しーん、と室内に訪れる静寂。

 食べ終わったか……と振り向くと、またノラがベット下から出てこようと半身を乗り出したところだたった。

 しかし俺が振り向いたせいか、さっと素早くベットの下に隠れる。

 

「(まるで『だるまさんがころんだ』だな……)」

 

 そんなやり取りを何度か繰り返したのち、変化は起こる。

 俺に見られたところで実害がないと学習したのか、それとも俺には分からない心境の変化か……ノラが逃げなくなったのだ。

 俺が振り向いたり目が合っても、警戒露わに動きを止めるがしかしベットの下に逃げ込まず、その場に踏み留まる。

 だがまあ、だからといって別に困ることは無い。ので放っておいたのだが……それから数時間後には、ノラは部屋の隅やキッチン台の上など好きな所で丸くなりだした。

 

「(……どっちかというと犬じゃないのか? おまえ)」

 

 俺から見たノラの姿、異形の耳や毛皮のような長い髪は犬、それも狼を思わせる。だが今部屋の隅で伸びをするその姿は猫そのもの。

 相変わらず寝床はベッドの下の狭い空間らしいが……その心境や警戒心に何らかの変化が生じ始めているのは確かなようだった。

 

 

 

 更に次の日。

 『六道會』の動きが不穏ということで自宅待機を命じられた俺は、特にやることも無くソファに寝転がっていた。

 溜まっていた家事などは昨日消化してしまったし、料理ができる程食材も調味料も無い……兌瘴暗器(ダークメイカー)の調整でもするか、と脳内で武器設計図を広げる。

 

 〈兌瘴暗器(ダークメイカー)〉で作れる武器の設計図は常に頭の中にある。その設計図の一覧を見て戦術を考えたり、無駄な部分を手直ししたり、「強化」する際の形状や性能をイメージ・仮構築する作業は、いざという時の生存率を上げるためには欠かしてはならない準備だ。それなりの集中力が必要なため見張りや護衛の際はやらなかったのだが、自室なら邪魔は入らないだろう。

 

 だが、俺は失念していた。

 ベットの下に住む同居人が、日に日にその行動範囲を広げていることを。

 

 ――目が、合う。

 ノラが、四足でソファの前までにじり寄って来ていた。

 

 ばっちり目が合ったというのに、ノラはしかし豪胆にも逃げ出さず。

 寧ろその右手を床から放し、ゆっくりと迷いが窺える手つきで、俺の膝あたり目掛けて手を伸ばしてきた。

 

「?」

 

 膝に何か付いているのか、と確認しようと足を曲げる――瞬間、俺の身動ぎに驚いたノラが爆走で後ろに下がった。海老(えび)を思わせる俊敏な動きだった。

 しかし、やはりノラは安全地帯に――ベッドの下には逃げ込まず。

 暫く警戒露わに身を低くして動きを止めていたが、再び四足でそろりそろりと俺の方に近寄って来た。

 そしてまた、俺の足目指してゆっくりと手を伸ばす。

 

「(……なんだ? 攻撃、という感じじゃないな)」

 

 その鋭い爪で攻撃するつもりなら瞬発力を活かした速攻で来るハズだろう。手に力が入っている様子もない。ならば何がしたいのか……兎に角敵意が無いと判断した俺は静観することにした。

 5cm、4cm……1秒1cmのペースで距離が縮まり。ノラの指先が、俺の膝下の辺りにちょんと触れる――。

 びょん、と。

 逆に触れに来たノラの方が、先と同じように後方へ勢いよく飛び退いた。

 

「……?」

 

 何なんだ。本当に何なんだ、一体?

 

 理解できずに混乱していると、またノラがにじり寄って来た。

 再び先と同じ辺りに触る……今度は触れても逃げず、つんつんと何度か触る。

 そしてノラは己の指を見て、何か考えるような表情を浮かべると、ぺたりと手のひらを押し付けてきた。

 

「……おい?」

 

 びっくぅ! とノラが飛び上がり今度こそベットの下に逃走する。先と違いそこに逃げ込んだということは、相当驚かせてしまったらしい。

 意図を量りかね思わず声が出ただけなのだが……まあ良いか、と俺は弁明を諦めた。元より謝罪の意味も伝わらないだろうし、放置するよりほかないのだが。

 そうして異能の調整を再開した俺だったが。

 

 ……また来た。

 暫くすると再びノラがベットの下から俺のもとに四足で接近し、またこちらにゆっくりと手を伸ばしてくる。

 ちょん、と指先で俺の手をつつくその動作に敵意は感じない。ならば、そこに込められた意図とは一体何なのか――。

 

「(……まあ良いか。好きにやらせとこう)」

 

 実害がないなら構わないと思い、俺はノラを放置することにした。

 それが良かったのか悪かったのか……それは遠からず判明することとなる。

 

 

 

 更に更に次の日。

 任務から帰還した俺を出迎えたのは、すっかり図々しさを手に入れベッドの上で伸びをするノラの姿だった。俺と目が合っても堂々としたもので、ベッド下に逃げ込む気配など微塵も無い。

 

「(……俺は別に良いんだが。野生の獣ばりの警戒心はどこに行ったんだ?)」

 

 俺の心配をよそに、むしろ俺の座るソファに迷いなく接近してくるノラ。

 そして、すり、と。

 彼女は特に躊躇も見せず、俺の足に獣の耳が生えた頭を擦りつけた。

 

「おい?」

 

 声をかけると動きは止まる……が、どこかに逃げる素振りも無くすぐに再起動する。

 そこからの行動は、警戒心の高い獣の面影などどこかに消え去った、好奇心旺盛な子供そのものだった。

 俺の足をちょんちょんとつつき、腹をぺちぺちと叩き、顔をべたべたと触ってくる。

 流石に様子がおかしいと思い、

 

「一体なんだ? 飯か?」

 

 と問いかける俺の声にもまるで怯まず。

 食事を与えると手を離す暇もない程がっついてすぐに平らげるものの、それが終わってもノラは俺から離れなかった。先と同じように、むしろ遠慮は更に無くなった気がする程の気安さで膝の上に乗ったり背と背もたれの間に挟まったり。

 髪をぐいぐいと引っ張られだした辺りで、俺は全てを諦めた。

 

「(……もう好きにさせておこう)」

 

 その後、諦めた俺に対し、しかし寝付くまでノラからの接触は尽きず。

 あまつさえ彼女は、ソファで横になった俺の腹の上に丸まって寝てしまいやがった。

 

「好きにさせとくんじゃなかったな……」

 

 後悔先に立たず。

 俺は食事もトイレも封じられ、ノラが目覚めるまで上体を起こすことすら出来なくなってしまった。

 溜息をつきつつ電気を消し、近くにあった上着をノラにかけてやる。

 すぅすぅと腹の上で寝息を立てる、吹けば飛ぶような軽い命。押しのけることは簡単なハズなのに、俺はそれを選べなかった。

 

 ……らしくない、とは思う。

 食料も睡眠の質も犠牲にして子供を匿うなど非効率的だ。東凶湾スラムに馴染み切っていない、余裕も殆どないのに自分以外にかまけるなどリスクが高すぎる。

 

 そんなことは分かっている。分かった上で、俺がノラを住まわせている。

 そこに打算は無い、と断言できる。欲や思惑も絡んではいない。けれど優しさなどでは断じてない。

 あるのはただ、この臓腑(はら)を炙る怒りだけ。

 

「……間違ってるだろ。子供(ガキ)が飯食うのに命懸けなきゃいけない世界なんて」

 

 俺は只、「こんな世界は間違っている」という己の激情に身を任せているだけなのだ。

 大人たちが子供を兵士に使うのも。

 子供が親やきょうだいを失うのも。

 そんな子供を誰も救わないことも。

 あってはならない。こんな世界は間違っている。どうしようもなくても、仕方のないことだとしても……認めてはならない。絶対に、認めたくない。

 

 全く。我ながらなんて子供じみているのだろうか。

 俺に世界を変える力なんて無い。富も権力も持っていないし、この先それらを得られるだけの才も無い。それどころか保身の為に恩を裏切る自分の浅ましささえ変えられない。

 なのに、認められなかった。無様に足掻いてしまった。

 冷酷な世界に見捨てられてしまった、この無力な手でも掬い上げられる程軽い命を、無責任に救ってやりたくなってしまったのだ。

 

 なんて、偽善。

 俺がしているのは身勝手極まる独善だ。昔自分が誰かに救って欲しかったから、代償行為として自分でも救えるほど可哀想な相手に過去の自分を投影しただけだ。一から十まで自己満足の為の行動で、相手の都合など心底どうでも良かった。

 本当、浅はか過ぎて反吐が出る。

 なのに、それでも――。

 

「……スゥ、スゥ……」

 

 この温もりが、俺が守った命の熱なら。

 それはそれで悪くないな、なんて、馬鹿みたいな顔で言い張れてしまう気がした。

 

 

 (シン)と、夜は更けていく。

 ソファの上で横になった人間と、その腹の上で丸まった獣。

 2人の関係がどこへ向かうのか。お互いを温める互いの体温(ねつ)は、今はまだ何も語らなかった。

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