【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
斬撃が体を袈裟に斬り、大量に噴き出した己の血で視界が染まった。
痛みではなく衝撃で肉体が動かせなくなる。『ミアズマ』による鎮痛効果は、痛みは消せてもダメージそのものを打ち消すことは出来ない。傷は深く、意識がブラックアウトしていく……出血性ショックか、と頭のどこかが他人事のように呟く。
周囲を覆っていた己の瘴気が霧散する。体が力を失い、地に倒れ込んでいく……スローモーションでそれを感じながら、
「(――嗚呼、糞)」
霞む視界で、走馬灯を見ていた。
何度も何度も封印し、しかし悪夢のように時折魘される、人生最悪にして己の原点でもある日の記憶が脳内に溢れ出す――。
――12のとき、俺は母親に殺されかけた。
まァマトモな母じゃなかった。己を捨てた極道の男に対する当てつけとして、その種で産まれたガキに『アクジ』と名付けるような女だ。世間一般でいう「愛」なんてもんは与えられた覚えがない。いつだってボロアパートには父ではない男が入れ代わり立ち代わりで入り浸り、怒号と暴力が日常だった。
そんな日常が変わったのは12のとき。
明確なきっかけは無かったと記憶してるが……いや、俺が原因で男に逃げられたんだっけか? まァ、新しい男との関係や苦しい生活の中では、子供など邪魔だったんだろう。あるいは遂に限界が来たのか。
夜半。目が覚めると、目の前には包丁を振りかぶった母が居た。
そこからはもう滅茶苦茶、正直必死で何が何だかは覚えてねェ。突き出された包丁を何とか退けようと必死になっていたら、もののはずみで刃は母自身に突き立った。
あァ、そうだ。そこからはよく覚えてる。倒れる母、広がる血、断末魔は怨嗟の恨み言だったな。未体験の出来事に呆然としてたら、気付いた時には母は動かなくなっていた。
要するに、返り討ちというやつだ。
12のとき、俺は母親に殺されかけ。
12のとき、俺は母親を刺し殺した。
その後、返り血で濡れた俺を支配したのは怒りだった。
俺を殺そうとした母への怒り。
俺と母を捨てた実父への怒り。
俺に母を殺させた全てへの……即ち、世界への怒り。
堪えきれぬ怒りは破壊衝動に代わり、矛先はこの手で壊せる現実的な存在へ。
――父を殺す。
母を刺し殺した包丁を握ったまま、衝動のままに俺は親父の家へ走った。
母がいつも愚痴っていたから、親父の家は知っていた。近隣で最も大きな武家屋敷……その門前で待ち伏せして出てきた所を襲い掛かり、2人程側近を刺した辺りであっけなく取り押さえられて失敗した。
大人何人かがかりで地面に押さえつけられた俺。その尋常ならざる姿を見て、父が――『六道會』の組長が声をかけて来る。
「……ガキ。おまえ親は」
「あんただよクソジジイ……! 母さんは死んだ、俺がころした。あんたも死ねよ『お父さん』! かあさんといっしょにしね、死ね、しね! おまえなんてッ、おまえなんてうまれてこなけりゃよかったんだァ!!」
「こいつッ、ガキの癖になんて力だ……!」
とにかく藻掻いた。破壊衝動が体の中で暴れ回っていて、大人しくなんてしていられなかった。目の前の男の血が、悪人の血が俺にも流れているせいなのだと頭の片隅で思った。
そんな俺を前に、父は何かを思い出したかのようだった。
「……前、俺の子を身籠ったとかで金の無心に来た女が居たなァ。裏で別の組の三下とデキてた
続いた名前は母のもの。俺が反応すると、彼は確信を得たと顎髭をさすりながら頷いた。
「親父……」
「俺の子だ。放してやれ」
押さえ付けていた手が放れ、俺は立ち上がった。当然包丁は奪われていたから、俺は何もせず直立していた……父が近付いてきた所に飛びついて、その喉笛を食い千切ってやろうと思いながら。
そんな俺の内心を知る由も無く、父は俺に問うてくる。
「名前は」
「■■アクジ――わかりやすいだろ。俺は、あんたの悪事から生まれたんだ」
「なッ、このジャリ親父に向かって……!!」
「いい。手ェ出すな。二度は言わねェぞ」
激昂した部下を制し、父は一歩近付いて来る。
あと一歩、それで飛びついて喉まで届く……そう構えていた俺の前で、しかし彼は予想外の行動に出た。
地面に膝を突き、俺の頭にぽんと手を置いたのだ。
予想を外され動きの止まった俺に、『六道會』の組長は言う。
「なら、今日からおまえァ『六道アクジ』だ。今まですまんかったなァ、アクジ」
がし、と少し乱暴な仕草で抱きしめられる。
気付けば俺は作戦も忘れ、その大きな体を抱きしめ返していた。知らず涙が零れ、強張っていた体から力が抜ける。
それが、俺が生まれて初めて知った「愛」だった。
だから誓ったのだ。この先の人生は、拾ってもらった親父の為に使おうと。
そうして俺は親父に拾われ、指定暴力団『六道會』の一員となった。
驚いたのは……俺が何の罪にも問われなかったということ。
それどころか母が死んだことすら、警察も周囲の誰も気づいてもいない様子だった。
今なら分かる、親父の部下が死体を「処理」してくれたのだと。だが当時の俺にとって、それは凄まじい衝撃だった。それこそ人生が変わる程の。
俺の人生の大半に深く関係していた母。そんな母親が死んでも、世界は変わらず廻っていて。
それに慄いていた時に聞いた親父の言葉で、俺は全てを理解した。
「いいかアクジ。筋を通せ。筋を通さん奴ァ人じゃァねェ」
自分で産んだ子供を殺そうとした母。
ふらふらと男を乗り換え続けた母。
筋の通っていなかった、母。
筋が通っていない人間は、死んでも誰も気にしない。
モノが壊れたときと同じだ。違う、最初から彼女等は
筋を通さないモノたちは、人として死ぬことすらできない。
その時俺が覚えた恐怖は、母に殺されかけたときより尚冷たく背筋を貫いた。
だって俺には母の血が流れていて、そして母の血を流している。
今の俺は筋が通っていない。このまま死ねば、母と同じになってしまう。
路傍の
――それだけは、厭だ。
筋を通す。人生を懸けて、親父に受けた恩義に報いる。
諸行無常の世界の中で、法を守らぬ組織の中で、それでも仁義を一本差して人間で在り続ける。
全ては「人として死ぬ」、只その為に――。
――ざり、と地を踏み締める。
死力を尽くして崩れ落ちかけた体を支え、男は死の淵から現世へ帰還する。
「――ま、だ。死ね、ねェ」
「な、(なんで生きてる……!?)」
袈裟に斬られた傷は深く、『ミアズマ』の効果が切れたのか相応の痛みは脳を焼く。それでも、彼がまだ立てているのは。
『
纏った瘴気を固体化させ、疑似的な魔鋼の鎧にする防御技。異能で液状化させられない「相性の悪い攻撃」に対応する為の技。それが紙一重で斬撃の威力を弱めていた。
『
だが。その常軌を逸した切れ味によって空気を斬ることで放たれる「飛ぶ斬撃」……これ自体の威力は刀身そのものによる斬撃よりも数段劣る。〈無影のスルト〉を斬れなかったように。
故に、斬撃は「固体化した瘴気」の鎧に威力を殺され……六道アクジに深い傷を刻んだものの、斬撃がその背まで貫通することは無かった。
即ち。
その背に刻まれた曼荼羅の刺青――斬り捨てたハズの「輪廻」は未だ健在。
ぎろり、三色の目が禍々しい光を取り戻し、その足が一歩前に出る。
「これからだ、これからなんだよォ! 俺が筋を通すのは、受けた大恩を返すのは……! 人様の邪魔すンじゃねェ、筋も通せねェ
最後の力、最後の瘴気を振り絞り、六道アクジは突進した。
「くそ、〈
必殺の一撃を受けて尚動くその姿に驚愕しながらも、しかし影宮エイトは反応。咄嗟に反撃の為武器を生成しようとし。
ぶしゅう、と。作りかけの武器が、瘴気の
「(しまった、瘴気がもう――!)」
対して六道アクジは、大ダメージによる一瞬の気絶によって瘴気を消費し切る前に
そして、彼が使う技は当然。
「融け堕ちろ――『
意趣返しのように一撃必殺、致死の掌が影宮エイトに迫る。
咄嗟に反撃しようと構えてしまった、しかし手に武器の無い彼に、攻撃を回避する術は無い――。
――その男を一目見た時から、生存本能は頭が痛くなるほど全力で警鐘を鳴らしていた。
油断すれば死ぬ。油断しなくても相手の気分と運次第で自分は死ぬ。
先の敵、『ミアズマ』を過剰摂取した男と比べても遥かに凄まじい脅威……それが三色の目を持つ人間への、カイコの抱いた率直な評価。その目に見られていると言うだけで、全身が死の恐怖で苛まれ泣きそうだった。
『……カイコ、下がってろ。絶対俺の前に出るなよ。死ぬぞ』
その命令も理解できた。心底から同意し従った。
ひとつ間違えれば自分は死ぬと、獣の本能で理解していた。
それでも。
「――エイトッ!!」
影宮エイトの危機を感じた彼女は、その瞬間反射で地を蹴っていた。
一歩、踏み出した瞬間に後悔する。自分は何をしているのか。馬鹿な真似はよせ、今なら間に合う、止まれと本能が脳内で叫ぶ。
二歩、それでも体は前へ。全霊で地を踏んだのだ、もう止まれない。恐怖が全身を冷たく突き刺す。鎖に縛られたように全身が重くなる。
三歩、けれどその重さに抗って、渾身の力を込めて空中に飛び出した。それでトップスピードに乗って、体は目的地へと辿り着く。
そして、カイコは。
影宮エイトの前に躍り出て、その身を彼の盾とした。
「「!!??」」
恐怖はあった。後悔もあった。けれどその鎖を鋼の理性で断ち切って、彼女は全霊で飛翔した。
異形化により狼の特徴を持つ彼女にとって、死への忌避は常人の数倍。それでも、眼前に迫る「死」を前に彼女は。
よかった、まにあった――只そう安堵して、ふっと静かに微笑んだ。
だって自分は、守ってもらうために彼の元に走ったのではない。恐るべき強者と見えることになってしまっても、ここまで走って来たことに後悔は無かった。
ただ、逢いたかったから。
「な」
そして、もう誰もそれを止めることなど出来ず。
カイコの体に、六道アクジの掌が触れた。
肌に触れ、肉を押し、見間違いようが無いくらい確かに両者は接触した。
そして刹那の間も置かず、その掌に与えられた「液状化」の力が炸裂する。
「カイコ――!!」
影宮エイトが一秒後の光景を悟って悲壮に叫び。
カイコはぎゅっと目を閉じて
そして、六道アクジは。
「(――なんだよ、おい)」
そいつの存在を知った時から、ずっと薄汚い獣だと思っていた。
仁義や任侠なんかとは最も遠い存在、与えられた通り名の通り、筋を通せない
だが、その姿はなんだ。
己の命すら厭わず恩人を庇う、その姿は正しく――!
「……
『
仁義、任侠――「筋を通す」こと。それが諸行無常の
必殺の一撃は「人間」を前に、ただの掌打に格落ちし。
押し出されたカイコの体を、影宮エイトが受け止める。
何が起こったのか、何故異能が発動しなかったのか。六道アクジの他にそれを知る者はいない。
だから、最初に動けたのはカイコだった。彼女は何も分からずとも、その本能で絶好の隙を見逃さず異能を発動する。
『模倣』――『
異能〈
次に影宮エイトが動いた。慣れ親しんだ武器を前に、体が反射で
初めての共闘……それでも不思議と迷いは無かった。
それが自然であるかのように、2人は同じ刀を握り、呼吸を合わせて振り下ろす!
「「ら、あああああああ!!」」
手と同様に、声、重なる。
一心同体のコンビネーションで振り下ろされる刃を見て、六道アクジは……動かなかった。否、もう彼の体に動く力など残っていない。先の突進は、本当に最後の力、最後の瘴気を振り絞ってのものだったのだ。
どんな切れ者も、悪のカリスマだろうと――自分に嘘は、つけない。
「はッ、畜生が――」
モノに負けるのは許せなくとも、
そんなことを思ってしまった自分を、彼は小さく自嘲して。
黒、一閃。
かくて刃は振り下ろされた。
斬――六道アクジの体に、深々と二本目の刀傷が刻まれて。
どさり、と。
その背は遂に血に沈んだ。
1秒、2秒……たっぷり10秒待っても、彼が立ちあがる事は無く。
それでやっと、影宮エイトとカイコの2人は、自分たちが勝利したことを理解した。
六道アクジ。彼が背負ったその「輪廻」は、終ぞ斬られることは無く。
されどふたりの人間の奮闘により、血に沈むことで退けられたのだ。
それは、諸行無常の世でそれでも不変を求めた者と。
只、彼女の
決着――輪廻超克。
勝者、影宮エイト。
荒く息を吐き、疲労感に膝を突きそうになりながら、俺、影宮エイトは彼を見下ろす。
六道アクジ。『六道會』若頭にして星五級異能者。恐らく数多の幸運と、そしてカイコに助けられながら、やっとの思いで下した強敵。地面に大の字で倒れた彼はぴくりともせず、気絶してるのかどうかも分からない。ただ、この傷と出血なら戦闘不能は確実だろう。
「(とにかく、トドメを……)」
彼を生かして返せばまた狙われるかもしれない。次こそは勝てないだろう……生きる為には殺すしかない。万に一つの生存の可能性を、首を落とすことでゼロにする。
瘴気を使い果たした今異能は使えないが……念の為携帯していたナイフがある。これで首の頸動脈を突き、そのまま切断まで持っていく。
「……カイコ、ちょっと離れてろ。そんでしばらく目ぇ瞑ってろ」
「?」
カイコにやらせる訳にも見せる訳にもいかない。言われるがままに従ってくれた彼女に感謝して、俺は倒れた六道アクジの傍に立った。
目は空いていない……息は、ある。意識を失っているのか。
……やるしか、ない。俺がやるしかないんだ。生きる為には、カイコを守るにはこれしかない。
覚悟は決まった。
十分警戒しながらナイフを取り出し、その首元目掛けて振り下ろす――。
「――その
がきり、振り下ろしていたナイフが止まる。
気付けばナイフの切っ先を、オペラグローブを付けた手のひらが受け止めていた。どれだけ力を込めて押し込もうとも、切っ先はその柔らかい布に1ミリだって埋まりもしない。
諦めてナイフを引き、咄嗟に後ろに飛んでカイコを庇うように身構える。
先程ナイフを受け止めた、白魚のような指を持つ手は女性のもの。
顔の上半分を隠す長髪のような灰色のヴェールに、不気味な程優雅で妖艶な、ドレスの隙間で艶めく肢体。
ヴェールの奥から覗く硝子玉じみた碧眼と、彼女が纏う異質な瘴気。
そしてこの、美しいがどこか演技臭い女の声は……!
「『灰かぶり』……!!」
「ふふ、また会ったね影宮エイトクン」
異能テロリスト集団『夜明けの団』のリーダーにして星五級賞金首、正体不明の大犯罪者――賞金首名『灰かぶり』が、突如として俺の前に現れていた。
六道アクジを庇うように……というのは俺の錯覚か。ともかく倒れた彼の前に立った灰かぶりは、余裕を感じさせるゆっくりとした口調で告げる。
「突然で悪いんだけれど、彼を殺すのはやめて欲しいな」
予想通り……否、予想外だ。
「……知らなかったな。極道の若頭とテロリストのリーダーが仲良しだとは」
「ああいや、仲良くなるのはこれからなんだ。
……分かっている。これは交渉にみせかけた強制だ。なにせ首を横に振れば、その瞬間『灰かぶり』との殺し合いが始まってしまう。あっちはお尋ね者だ、邪魔な相手を殺すことになんの制約も躊躇もないだろう。
瘴気を使い切った俺に、星五級賞金首と戦う余力は残されていない。そもそも灰かぶりには、「邪魔者」を殺してから六道アクジを連れ去る選択肢もあったのだ。そんな彼女が見逃してくれると言っている以上、その気が変わる前に素直に口車に乗るしかない。
「……『君たち』ってのは、『組合全体』って解釈で良いのか?」
「勿論。そう約束させるよ。報酬はそれだけでいいのかな?」
……余りにもこちらに都合が良いが、今は信じるしかない。
なら……まぁ、言うだけ言ってみるか。俺が今「欲しいもの」。
「――オ」
「うん?」
「ラジオをくれ。報酬はそれが良い。なにせ、
カイコを指しながらそう言うと、灰かぶりが少しだけ驚いたような、ほんの僅かだがそんな気配を見せた気が下。
「ふふふ、良いね。これで交渉成立だ。約束のものは、後で『組合』に届けさせるよ」
そう微笑む灰かぶりから殺気は感じられない。その狂人としか言えない性格故に警戒を弛めることはできないが……案外本気でこちらのことを見逃すつもりのような、そんな気がした。
まあ「瞬間移動」持ちの前で今の俺なんかが警戒したって殆ど無駄だ。俺は諦めてふぅと長い溜息を吐き、自分が幸運なことを祈りつつ。
未だに言いつけ通り目を閉じていたカイコに「もういいぞ」と告げ、彼女の手を取って言う。
「帰るぞ、カイコ」
「……! かえるっ!」
「? なんか発音良くなったか? おまえ」
幸運なことに、特に背後から刺されたりすることもなく……俺とカイコは帰路につく。
お互い血塗れ、傷と疲労でボロボロ。
それでも……陽だまりの中、ふたり手を繋いで。
きっと、俺にとってもカイコにとっても。
取り戻したこの安寧が、死力を尽くして勝ち取った何よりの報酬だった。