【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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<11> Perfect Baby (上)

 朝の匂いで満ちた部屋の中、ふと体が揺れた気がして目が覚める。

 眠気眼を擦りながら、ぴこぴこと耳を動かして周囲を確認。窓越しに届く街の喧騒、更に遠くからは波の音。それでも一番耳に残るのは、頭の上から聴こえる静かな寝息と、体越しに響く鼓動の律動(リズム)

 何度か重い瞼を擦り、しかしまだ目は開ききらない……ここ数日はずっとこのざまだ。それも身を預けたこの(ベッド)があたたかく、触れていると酷く安心してしまうせいである。ねざめのじゃまとはなんてわるいやつだ、なんて夢見心地で、頭を「わるいやつ」の胸板にぐりぐりと押し付けたりしていると、だんだん目が覚めて来た。

 

 ようやく重い瞼が開く……最初に視界に飛び込んでくるのは、今や見慣れた彼の顔。

 それは、黒い髪の青年。朝の匂いで満ちた室内に在って尚、彼は夜の化身のように静かに寝息を立てている。

 

 ――影宮(かげみや)エイト。

 

 それは、自分に名前をくれたひと。自分を守ってくれたひと。

 そして、名前を呼びたくなるひと。守ってあげたくなってしまうひと。

 その閉じた瞼にかかる黒髪も、寝苦しくならない熱すぎない体温も、名前を呼んでくれる低めの声も、その全てが自分は大好きだった。右眼を潰した痛々しい傷痕だって減点対象になんかならない、寧ろ治りますようにって傷を舐めてあげたくなる……以前やったら怒られたのでやらないが。それでも、彼が眠っている今ならあるいは……いや、やっぱりやめておこうかな。バレて怒られたくないし。

 

 そんな風にその胸と腹の上で何をするでもなくごろごろしていると、だんだんお腹が空いてきた。

 でもまだエイト寝てるし……早く起きないかな……と胸板をてしてし叩いたり腕をかぷかぷ噛んだりしたが、彼は中々目を覚ましてくれない。以前はこれで良かったのに、最近はエイトの方も寝起きが悪くなっている気がした。

 お腹が空いた、もう限界。と言う訳で。

 

「――メシ!」

 

 我慢できなくなってそう叫ぶ。

 するとエイトは思いっきりしかめっ面をした後、ゆっくりとその目を開けた。ぱちぱちと何度かの瞬きの後に黒い瞳の焦点が合い、こちらの姿を確認する。その口が自分の名前を、呼ぶ。

 

「……カイコ」

「エイト、メシのじかんー!」

「分かった。分かったからこの距離で叫ぶな。起きるから下りろ」

 

 ぴょん、と素直にエイトの体から床に下りる。彼も寝ていたソファから上体を起こした……と、彼は思い出したように反応する。

 

「……てかおまえ、また『メシ』って」

「! ゴハン!」

「……よし」

 

 「よし」が貰えたので椅子に乗る。エイトは机の横を通り過ぎながら、その上のラジオのスイッチを足を止めずに入れた。

 

『――の天気は晴れ時々曇り。ところにより雨が降るでしょう。本日は風が強いので、旧都近辺にお住いの方は流れて来る瘴気にお気を付け下さい』

 

 ラジオがいつも通り言葉を吐き出しだす。知らない人の声……言葉の意味は理解できるが、なんとなく頭に入って来ない。耳障りは悪くないのだけれど、自分はエイトの声の方がずっとずっと好きだ。エイトの声で喋ってくれればちゃんと聴くのに。

 天気予報が右から左にするりと流れ始めたとき、エイトは台所に立っていた。隻腕で器用に卵を割り、フライパンで目玉焼きを作っている。その背中を何となく目で追う……前に手伝おうとしたら「火元に近寄るな」「刃物を持つな」と割と厳しめに追い返されたので、同じ轍を踏まないようにすると必然目で追うくらいしかやる事がない。

 じゅうじゅうという音と共に、食欲を刺激する良い匂いが鼻を掠める。エイトの動きに合わせて、彼の長めの襟足が白いシャツを背景に踊っている。胡椒の瓶を取るときにちらりと横顔が見える……待つことしかできないけど、うん、この時間はなんか好きだ。

 そうやってのんびり待っていると、エイトがこちらを振り向いた。その手には皿がふたつ。

 コト、と机に朝食が並んだ。食パンと目玉焼きに、燻製肉とレタスがサンドされている。自分の目の前に置かれた方の目玉焼きは綺麗な満月だったが、エイトの方はちょっと黄身が崩れていた。

 と、隣に腰を下ろしたエイトがこちらを見ているのに気付く。その目が求めていることにはすぐに思い至った。

 ぱん、手と手を合わせて。

 

「いただき、ます!」

「はい、いただきます」

 

 ばくり、大きく一口。滑らかな卵の触感、濃い味の肉と瑞々しいレタスのハーモニー……エイトがくれる食べ物のおいしさには未だ慣れない、今日も今日とてほっぺたが落ちそうだ。それにパンというのが良い。パンは好きだ……箸もフォークも使わなくていいから。エイトが使えというから練習しているが、あれは正直めんどくさいのである。こんな風に、手掴みでかぶりつく方がずっと楽だ。

 隣でエイトも同じように、黙々とパンに噛み付いている。

 ラジオは知らない人の言葉ではなく、ゆったりとした音楽を流していた。音楽が終わる前に最後の一口を放り込む。もぐもぐしながらエイトを見れば、彼のパンはまだ三分の一ほど残っていた。

 と、エイトがこちらの視線に気付く。

 

「なんだ? ……ああ、これか。ほら」

 

 彼はその残っていたパンを差し出して来た。予想外のことに焦る。

 

「えと、ちがう!」

「? もっと食いたいんじゃないのか? これ以上のおかわりは無いぞ」

「……ひとくちもらう」

「おう、食え」

 

 誘惑に耐えきれず、差し出されたパンを一口齧った。別にねだる為に見ていた訳ではないのに……でもにまにましてしまうほど嬉しい自分が居て、ちょっと複雑。

 エイトが残ったパンを食べきり、こちらに視線を向けて来る。言わんとすることは分かっている。

 もう一度、手と手を合わせて。

 

「ごちそうさまでした!」

「はい、ごちそうさまでした」

 

 食器を片付け、並んで歯を磨き終え、ソファに座ったエイトの膝の上で丸くなる。丸くなりながら、考える。

 今日は散歩に連れて行ってくれるのだろうか。この前の釣りは暇だったけど楽しかった。絵本を読んでもらうのもいい。掃除は面倒くさいけど、終わったら褒めてもらえるので悪くない。たぶん自分はエイトと一緒ならなんでも良いのだ。そう、一緒なら……。

 わくわくと期待に胸を膨らませながら……あるいはほんの少しの不安を感じながら、訊いてみる。

 

「エイト、きょうはー?」

「ん、仕事」

 

 即答――それは不安を現実にする、余りにも無情な答えだった。

 不満の感情が胸の中でぼかんと爆発し、口からそのまま外に飛び出る。

 

「えー! やだ!」

「んなこと言ったってこればっかはな。『組合』もまだ大変なんだよ」

「やだー! やだやだやだ!」

「……ラジオがあるだろ。それにほら、美味いもん貰ってきてやるから」

 

 昨日もそうだったのにまた「仕事」! これを許してなるものか!

 

 エイトは分かっていない。ひとりで待つのがどれだけ寂しいか。

 エイトは冷たい。仕事のことになると、何度「やだ」って言ったって聞いてくれない。喚いても、拗ねても、まるで効果が無いのだ。こっちはエイトの言う通りに服を着ているし、箸やフォークも練習してる。それなのにエイトはこっちの「やだ」を聞き入れてくれない。まったく、なんて冷たいやつなのだろう。

 

 その後も出来うる限り思いっきり大暴れして抗議を続けたが、エイトにはまるで効果ナシ。

 エイトには「寂しい」という感覚が無いのだろうか……いや、そんなハズは無い。寄り添っているとき何となく分かるのだ。自分がそれで安心と幸福とを感じるのと同じように、彼もまた満足感を得ているということが。

 それを捨ててまで行く「仕事」とは何なのか。何故自分よりも「仕事」を選ぶのか。ああ、なんだか胸がむかむかしてきた。

 もういい。そっちがその気なら、こっちにも考えというものがある。

 

 「やだやだ」と叫ぶのをやめ、四つ足を床に付け重心を下げる。エイトは「ようやく大人しくなったか」と胸をなで下ろしているが、甘い。この胸の中はまだまだぜんぜん大暴れだし、これは「おすわり」ではなく構えだ。獲物に飛び掛かる獣の構え。

 

「それじゃ、行って来る――」

 

 がちゃり、こちらが大人しくなったと油断したエイトが扉を開ける。

 その姿が街に消えてしまう前に、獣の瞬発力をフル活用して勢いよくその背に飛びついた。がっしりと腕を脚を回し、服をぎゅうっと掴む。

 

「な……おい、カイコ!?」

「カイコもいく! エイトについてく!」

「馬鹿、何言ってんだおまえ」

「ついてくのー!」

 

 全力でしがみつきながら、叫ぶ。例え天地がひっくり返ったって離しはしないと覚悟を込めて。

 エイトもなんとか引き剥がそうとしてくるが、甘い。エイトの手は1本、こちらは2本。更に両足も使ってがっちりホールドしているので四倍だ。「さんすう」を教えてきたのが運の尽きである……!

 

「カイコ、ずっとエイトといっしょがいいのー!!」

 

 決して離れてなるものか、と必死で放った叫びが、わんわんと遠吠えのように朝の空に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

「――成程、それでそんなことになってるんだね」

「……すいません」

 

 『組合』本部のコンテナ船『いさな』、その船長室にて。

 包帯にギプスまみれの重傷の身で執務をこなす、流石に体が強すぎる我らがリーダー・銅山イサオの苦笑まじりの言葉に、俺は素直に謝罪した。ただ謝罪の原因になったやつのせいで、まともに頭も下げられやしない。なにせ。

 

「……カイコ。おまえも謝れ。あと離れろ」

「やだ!」

 

 そう……俺の頭にはカイコが、現在進行形でコアラみたいにくっついていた。俺の肩に乗り、両足で首に、両腕で頭に抱き着いている。正直滅茶苦茶邪魔である。

 カイコ。異形化限界を起こし狼の耳と爪牙を得た、10歳ほどの幼い異能者。なんやかんやあって、俺は彼女を拾い養っている。そんな彼女だが、部屋を出る際の一件から、なぜか俺にしがみついて離れなくなってしまったので、遅刻しないためには連れて来るしかなかったのだ。

 おかげで朝から大災難である。頭は重いわ、すれ違う人間に凄い目で見られるわ、組合員には笑われるわ。まあそれくらいなら構わないのだが、問題はこのままだと「仕事」ができないことだ。

 

「……カイコ、そろそろ離れてくれマジで。仕事だから」

「(ぷいっ)」

「はぁ……」

 

 それなりの時間付き合ってきたが、未だに子供(カイコ)の扱いはさっぱりである。なんというか、自分自身こんな感じじゃなかった気がするのでイマイチ気持ちが分からん。

 どうしたもんか……と唸っていると、銅山さんが苦笑しながら提案してくる。

 

「まぁほら、哨戒任務は魔塵接敵率も低いし、カイコちゃんが一緒でも良いんじゃないかな。彼女も星三級なみの身体能力があるし、何かあっても君なら守れるだろう?」

「いや、しかし――」

「僕も育児の経験は無いけど、()()()()はちょっと過保護すぎると思うよ。別に『いさな』で預かってもいいけど四六時中相手してあげられる訳じゃ無いし、カイコちゃんもエイト君が居ないと寂しいよね?」

「うん! さみしい! エイト、カイコはさみしいの!」

 

 こいつ、援護を受けたからって勢いづきやがって。おまえのせいで本名バレたんだぞこっちは……なにせ所構わず思いっきり「エイト」って呼ぶもんだから、偽名もくそもありゃしない。

 

「……はぁ」

 

 文句か何か言おうとして、結局出たのは溜息だった。

 正直、銅山さんの言う事も尤もだ。ここは東凶湾スラム、贅沢言ってられない無法の街。カイコのことは拾った俺が責任を持つのは当たり前だろう。俺自身それに納得しているのだから、これ以上の反論は無理筋だ。

 だから、まあ、結局は。

 

「(仕方ない、か)」

 

 いつも通り、俺が折れるしかないらしかった。

 

 

 

 東凶湾スラム外周部。放棄された近代的なビル群が林のように乱立する廃墟。

 ビルとビルを繋ぐように、廃材を組み合わせた簡易的なバリケードが道を横断している。そんな廃ビルのうちのひとつ、倒壊した壁から街を見下ろせる上層階にて。

 

 俺、影宮エイトは望遠鏡越しに旧都の方角を睨んでいた。『組合』の仕事、街外周の哨戒任務だ。街に侵入してきそうな魔塵が出たらトランシーバーで報告し、可能そうなら独力で、難しそうなら増援を呼んで魔塵を討滅するのが仕事内容。とはいってもまぁ、海に面したこの街には滅多に魔塵が来ないので、基本的には双眼鏡を覗き込んでいるだけでいい。正直、楽な仕事だ。

 ただ……今回に限っては、でっかい懸念材料がひとつ。即ち。

 

「エイト、これなに?」

「本。基本魔塵なんか来ないからな、暇つぶし用のものが色々持ち込まれてんだよ」

「よんで!」

 

 カイコ。遊びたい盛りならぬ遊んで欲しい盛りでこんなとこまで付いてきた、うちの気まぐれお嬢様である。

 まるで家にいるみたいな自由気儘な彼女の様子に、俺は重めの溜息ひとつ。

 

「あのな、俺今仕事中。それにそいつは絵本じゃねえ、有名なミステリー小説だ。文字ばっかで面白くないぞ」

「じゃあこっちはー?」

「それは――(げ、誰だよグラビア雑誌置いて行った奴!) あーカイコ、そいつを決して開かず、表表紙を見ず、元あった場所に置いて来なさい。おまえには早い」

「はーい……」

 

 しゅん、と頭頂部の耳を垂らして俺の言葉に従うカイコ。なんとなく悪いことをした気にさせられるが、間違ったことを言ったとは思っていない。

 

 ここはなんだかんだ言って危険地帯、魔塵が訪れる東凶湾スラムの防波堤。そこに居る以上、8年間積み重ねた経験が俺に油断を許さない。瘴気・魔塵・異能のことは、どれだけ警戒しても警戒し過ぎることはない。1秒、1ミリ気を緩めたから致命的な異変を見逃した、なんて御免だ……気を張り続けて徒労を味わうのと、油断のせいで死ぬとなら、俺は絶対に前者の方が良い。()()()の命も懸かってるなら猶更である。

 

 まあ、当の本人は俺の気負いなど気にせず床の上でゴロゴロし始めたが。汚いからやめなさい、毛皮(かみ)に埃がくっつくぞ。

 尤も、生き死になど子供が気にすることじゃないとは思うのでそれは良い。それは保護者の、俺の役目だ。

 問題は何故それを気にせざるを得ないような場所(しごと)について来たか、である。しかも。

 

「……エイト、いつおわるー?」

 

 この、特に目的も無さそうな様子で。

 本当、子供が考えることは分からない……俺が10くらいの頃なんて、絶対旧都(せんじょう)になんか出たくなかったけどな。と、いつ終わるか、か。今がここに来て大体1時間だから。

 

「ざっと7時間後」

「それっていつ?」

「夕方」

「……ゆうがたまでずっとここにいる?」

「ずっとここに居る」

 

 そう事実を口にすれば、カイコが絶望の表情を浮かべて固まった。そんな顔してもこればっかりはしょうがない、と俺は双眼鏡を使っての監視を再開する。少し厳しいかもしれないが、これもこいつ(カイコ)のためと信じよう。

 それから暫く、その辺をうろうろ動き回ったりしていたカイコのことを、仕事を優先しぞんざいに扱っていると。

 

「エイト、ねむくなってきた……」

 

 予想通り、カイコが目を擦りながら擦り寄って来た。いつもと同じだ、一通り気まぐれに暴れ回ったら、疲れて眠くなる典型的な子供。前の釣りも寝落ちしたカイコをおぶって帰ったんだ、こうなることは目に見えていた。

 俺は腿を叩きながら言う。

 

「そうか。大人しく寝てろ」

「うん……」

 

 ここには枕なんてないから、俺は脚を枕としてカイコに差し出した。カイコは俺の膝の上で丸くなり、そのまますぐに寝息を立て始める。

 

「はぁ……」

 

 やっと寝たか……これでようやく一息つける。

 あちこちうろちょろされない方が俺にとってはやりやすい。仕事も、役目も。

 

 全く、保護者というのは大変である。「毎日が戦場」だったか、その言葉は本当だと毎日実感させられる。テンカ姉もこんな感じだったのだろうか……いや、俺はカイコほど我儘放題だった覚えはないが。

 まあ、我儘なのは悪い事じゃないと思う。子供は自分の為に、その感情と成長の為だけに生きるべきだと俺は常々思っている……俺以外に迷惑をかけない範囲でなら、それを許容するのが保護者の役目というものだ。

 

「あーあー。髪が埃だらけになっちまって」

 

 獣の毛皮にも見えるカイコの長い髪、そこに付いた埃を手櫛で梳いて掃ってやる。起こしてしまわないように、できるだけ優しく。

 ――よく眠り、よく遊び、よく育て。いずれ一人で生きて行けるように。少なくともそれまでは――あるいはより相応しい保護者が見つかるまでは、俺がその生を保障しよう。

 

「……現実的に考えて、一番良いゴールは『組合』で働けるようになるまで、だよなぁ。俺もいつまでもこの街に留まる訳にもいかねえし……ま、体の事もある。様子見がてら、数年くらいなら問題ないか」

 

 それを長期目標として、目下の問題は友達作りだろうな。カイコは俺以外の交友関係が無に等しい。だから今日のような奇行に走ったのだろう。俺が仲介するとして……この街の子供の少なさや異形化のこと、そして先々までを考えると、『組合』の年少組辺りを頼るべきか。でも俺、彼女等に怖がられてるフシがあんだよなぁ……。

 

「……全く。どっかの若頭並みに手強いな、おまえは」

 

 すやすやと寝息を立てるカイコの髪をくしゃりと撫でて、俺は双眼鏡を手に仕事に戻った。

 レンズ越しの旧都には、魔塵の一匹も見当たらない。いつも通りの退屈な時間は、今は何よりもありがたい。

 結局その日、俺の持ち場に魔塵が現れることは無かった。

 

 風は柔らかにカイコの髪を揺らし、蒼天は瘴気の色を退けるように澄み渡る。

 時は静かに、街は穏やかに。

 今は未だ、かりそめの平和が俺達を優しく覆っていた。

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