【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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《旧都・東凶 (きゅうと・とうきょう)》
 10年前日本を襲った瘴気災害が集中した都市であり、現在その全域は瘴気に包まれ魔塵の巣窟となっている。瘴気に包まれた範囲は神宿・渋夜付近を中心とした旧東凶二十三区のみで、それ以外は比較的被害が小さい事もあり他の県に統合された。魔塵たちは旧都・東凶内から外へと侵攻してくるため、災玉国防学園を含めた国防三校が旧都を囲むように建設され、現在も生徒である異能者たちが昼夜を問わず対応に当たっている。
 また旧都内の地下周辺には非合法異能者を中心としたスラム街が形成されており、テロリストを含む反社会組織の巣窟となっている。


<2> 九瀬ヒカリ

 旧都・東凶、旧練痲(ねりま)区と旧中乃(なかの)区の境界周辺。空を覆う瘴気が陽光を遮る薄暗い廃墟の街にて。

 ズズン、と罅割れた道路が揺れる。ビルが土煙を上げながら倒壊したことによる衝撃が街を駆け抜けたのだ。

 崩壊は止まらない。放置されていた車が、信号機が、ショウウィンドウが電柱がマンションのベランダが──()()()に触れた全てのモノが、闇に呑まれて消滅する。

 ソレは、巨大な準人型魔塵(まじん)だった。二車線道路を埋める横幅と、5階建ての雑居ビルと並ぶ体高は、山に両腕と目と口を付けた怪物のよう。

 車など簡単に包めるだろう四本指の巨大な手を振り回し、空洞の口で叫ぶその化物、廃墟の街を破壊しながら三人の異能者を追い回す魔塵の名は。

 

豐医a莠コ髢灘(ゴ オ オ ウ)──」

 

 星四級賞金首魔塵〈奈落のロスト〉。賞金首魔塵とは、人が魔塵に抗う力である筈の『異能』を持つ魔塵のことである。

 奈落のロスト、命名された異能名廃棄孔(アビス)。それはその巨大な霧の体の内側を、異能由来のもの以外全てを際限なしに吸い込み粉々にするブラックホールと化す能力。即ち触れたものを奈落へと消し去る深淵の化身。

 

 その奈落の腕が眼下の矮小な人間に向かって伸ばされ、

 

「生成──炎剣(えんけん)!」

 

 『炎の剣』を握った赤髪の少年の一撃が、奈落の腕を迎え撃った。異能である炎の剣は廃棄孔(アビス)の力に吸い込まれること無く、少年は自分よりも巨大な奈落の腕を吹き飛ばす。

 

「ぐ──まだだ、生成……ッ」

 

 腕の軋みを無視して、赤髪の少年は己の目の前に炎の塊を出現させ、それを両手で掴んで粘土をこねるように形を整える。

 数秒の早業で完成したのは、少年と同じくらいの背丈を持つ『炎の弓兵』。

 

火弓兵(かきゅうへい)!」

 

 少年が叫ぶと、彫像のようだった弓兵は燃え盛る体を動かす力を得た。弓兵は己と同じように燃える弓を構え、炎の矢を〈奈落のロスト〉へと発射する。

 災玉国防学園の改造制服を身に纏った赤髪の少年──五十嵐(いがらし)ショウマ、異能猛炎造形(ヘファイストス)。粘土のような炎を生成・成形し、完成した形に応じて炎に『斬撃属性』や『自立行動機能』を与える星四級の物質生成能力。

 

 しかし巨人の如き〈奈落のロスト〉に、小さな火の矢は効果が薄く。

 

轤守?縺?ォ後>(ウ ロ オ オ オ)──」

 

 怪物は空洞音のような叫びと共に、再び建物を道路を削り取りながら奈落の腕を伸ばし。

 

「感情弾、装填完了」

 

 少女の声。

 赤と緑の閃光が、薄暗い街の中でキラリと輝く。

 

「いい加減吹っ飛べ、憤怒と焦燥の双撃(ファイア・ウィンド・カノン)!!」

 

 放たれたのは極太の光線。(あか)(みどり)のエネルギー砲が、〈奈落のロスト〉の体に炸裂。光線に込められた凄まじい威力が巨体をよろめかせた。

 その一撃、否『双撃』を放ったのは、金髪のツインテールの少女。彼女もショウマと同じ災玉国防学園の改造制服を着ている。

 その名は双咲(そうざき)アリサ、異能は双星砲撃(ツインカノン)。感情によって威力と属性が決定するふたつのエネルギーキャノンを放ち、その威力は対戦車砲にも匹敵する。こちらも異能ランクは星四級。

 

 だが。

 

蝣ア蠕ゥ縺励※繧?k(ル オ オ オ)──」

 

 巨大魔塵、未だ健在。肩と胸が抉れ体内の瘴気が漏れているものの、その傷もすぐに塞がり再び人間目掛けて動き出す。

 

「コイツ、まだ──」

 

 今度は両腕をそれぞれショウマとアリサに伸ばす。その腕が秘めたるは闇の暴虐。触れたものを呑み込んで二度とは返さない『奈落』の化身。

 そんな腕が、ふたりの少年少女に触れようとして──。

 闇色の死を遠ざけるように、白色の光が輝いた。

 

「が、盾光(ガード)っ!」

 

 星型の盾が、実体を持った光の塊が出現し、奈落の腕の反撃を防ぐ。

 それを行ったのはショウマとアリサのふたりよりも少し後ろに立つ少女──黒髪に天使の輪のように金髪が混ざった、改造されていない制服を着た少女。

 彼女の、名は。

 

九瀬(くぜ)さん、すまない助かった!」

 

 九瀬(くぜ)ヒカリ。とある事件により数週間前に異能者として覚醒したばかりの元・一般人の少女。

 彼女の異能に付けられた名は──光ノ加護(スターライト)。与えられた星の数は三。

 それは一切の攻撃能力を持たない代わりに、『仲間(パーティー)』への多種多様な援護を行うことが出来る謎多き力。現在は4人まで同時に『仲間(パーティー)に編成』することが可能。編成した人間は現在ショウマとアリサが薄く纏っているような白色の燐光に包まれる。

 

 九瀬ヒカリが現在『仲間(パーティー)』に対して使える選択肢(コマンド)は5種類。

 テレパシーで指示を出せる繋光(オーダー)

 仲間の正面に光の盾を出す盾光(ガード)

 仲間の傷を塞ぎ回復させる癒光(ヒール)

 仲間の速度の一時的な強化(ブースト)瞬光(アクセル)

 仲間の異能出力を強化(ブースト)する与光(チャージ)

 制約として癒光(ヒール)瞬光(アクセル)与光(チャージ)にはそれぞれ発動制限があり、複数の技を同時に使うことも出来ない。

 それ以外にもいくつか弱点はあるものの、多様な支援能力を最大4人の仲間に与えることが出来るのが九瀬ヒカリの異能 光ノ加護(スターライト)である。

 

 奈落の腕を受け止めていた光の盾が消える。攻撃力の無い盾では、その巨木より遥かに太い腕を押し返すことは出来ない。

 

遐輔¢繧(グ オ オ)!」

 

 人の言葉ではない謎の唸り声を上げ、〈奈落のロスト〉は再び腕を伸ばす。ただそれだけで必殺となる一撃が、今度は九瀬ヒカリの方へ。

 ヒカリは迫りくる四指の深淵に思わず竦み。

 その前に赤毛の少年が躍り出る。瞬間、彼女の脳内で電流が弾けた。瘴気によって活性化した思考が反射的に弾き出した最適解を、本能のままに実践する。

 

「クールタイム終了っ、五十嵐くんに瞬光(アクセル)!」

 

 瞬間、ショウマの全身を包む白の光が勢いを増し。

 

「感謝する──最大生成、巨人拳(ギガントフィスト)!!」

 

 一瞬で成形された『炎の巨人の拳』が、奈落の腕を迎え撃った。

 凄まじい衝撃が地を揺らす。

 それは紅蓮の巨人と漆黒の巨人の激突の衝撃。

 果たして──勝利したのは炎の腕。体を持たない炎の巨腕が、奈落の魔塵を押し返した。

 

 ずずん、と街が揺れる。

 体勢を崩した巨大魔塵を油断なく見つめながら、三人の異能者は全力で息を整える。

 すぐに再開するだろう死闘の空気を感じながら、五十嵐ショウマが背後のヒカリに向けて口を開いた。

 

「……君が居なければ三度は死んでいた身で言える事では無いかもしれないが、巻き込んですまないな九瀬さん」

 

 そう。ことこの戦場に在って、九瀬ヒカリは招かれざる者だった。

 

 元々彼女の任務は『旧都内に放置してしまった魔鋼の回収』という星二相当の簡単なもの。そこに〈奈落のロスト〉など微塵の関係も無かった……ハズだった。

 本来、『〈奈落のロスト〉討伐』は五十嵐ショウマ・双咲アリサたちの任務。だが〈奈落のロスト〉は情報よりも数段強く、会敵した五十嵐たちは殆ど敗走に近い形で撤退を試みて……そして逃げ回った旧都の先で、本来無関係の九瀬ヒカリと鉢合わせてしまった。

 それは絶体絶命だった五十嵐たちからすればこれ以上ない反撃の糸口で──しかし彼は分かっていた。ヒカリにとって〈奈落のロスト〉は簡単な任務に乱入した最悪の敵で、自分たちはそれを引き連れ(トレインし)て来た迷惑に過ぎる客なのだと。

 

「君はまだ星三級だろう。成り行きで助力して貰ったが、君が今からでも逃げるというなら僕は命懸けで足止めする所存だが」

「え、それは──」

 

 ショウマの言葉に何かを言いかけるヒカリ。

 だがそれを遮るように、怒りに燃えるアリサが割り込む。

 

「冗談でしょ。ヒカリ、アンタが居れば〈奈落のロスト(アイツ)〉に勝てる。こっちは1人殺されてんのよ、今更引き下がれるワケないでしょ」

「それは九瀬さんが決めることだ双咲……九瀬さん、頼めるか」

 

 アリサの目は真剣だった。

 ショウマの声は優しかった。

 それを受けて、格上の魔塵を前にした九瀬ヒカリは。

 

「……分かり、ました」

 

 こくり、と首を前に倒した。

 

「本当にすまない、感謝する」

「報酬は色を付けるわ、期待しなさい」

 

 三者三様ならぬ二者二様の感謝の言葉を受け。そして死闘は再開される。

 

 君臨するは奈落の化身。見上げるほどの巨体の中に全てを呑み込む闇を秘めた、異能者殺しの大魔塵。

 

髣?↓蜻代∪繧後h(ル ロ オ オ オ)──!」

 

 それに挑むは三人の異能者。

 

憎悪と憤怒の双撃(ダーク・ファイア・カノン)!!」

「最大生成──巨人槌(トールハンマー)!」

盾光(ガード)っ!」

 

 彼女らは迫りくる奈落をすんでのところで躱し、反撃の異能を叩き込む。

 触れられたら死亡。吞み込まれたら死亡。見誤れば死亡。援護が遅れれば死亡。そんな状態で最大限神経を尖らせ、仲間のミスをカバーしながら必死にダメージを与え続ける。

 正に死の舞踏、命懸けの綱渡り。果たして、血みどろの死闘の果ては。

 

「──星が、満ちた」

 

 遂に響いたそれは、九瀬ヒカリの声だった。恐怖に震える少女が、希望を手にした声だった。

 瞬間、白い光が彼女の内から溢れる。

 

 仲間の異能出力を強化(ブースト)する与光(チャージ)

 その発動条件は──『仲間(パーティー)』メンバーが、一定以上の攻撃を敵に当てる事。

 ギリギリの戦い、諦めない心によって、その条件は果たされた。

 

条件達成(ゲージ100%)──双咲さんっ!」

 

与光(チャージ)!!

 心の中で唱えると同時、ヒカリを包んでいた輝きがそのままアリサの体を包む燐光へ移動する。

 自分の体に溢れる(オーラ)を感じ、アリサは確信した。

 

「これなら──」

 

 そしてその体の両側に、ふたつの恒星が出現する。

 ひとつは白い星。満ちる純白は悪を浄化する正義故。

 ひとつは赤い星。渦巻く紅蓮は激しい怒りの具現也。

 ツインテールを揺らす激しいエネルギー弾、それを同時に放つ技こそ──。

 

(チリ)に帰れ──正義と怒りの双撃(シャイン・ファイア・カノン)!!!」

 

 双星の極光が(ソラ)を衝く。

 (しろ)(あか)の閃光が、遂に魔塵の巨岩が如き体を貫いた。

 

鬥ャ鮖ソ縺ェ(ガ、 ア ア)……」

 

 呻きのような声と共に、〈奈落のロスト〉の巨体が崩れる。怪物はゆっくりと後ろに倒れこみ……ずん、と最後に街を揺らしたきり、その体は動かなくなった。

 傷口からは瘴気が立ち昇り、その体を構成していた闇色のソレが空気に溶けるように消えていく。

 

「やった……っ」

 

 その光景に安堵したヒカリの体から力が抜けた。すとん、と体は道路に落ち、アリサたちの体を包んでいた白い光も消える。

 だから。

 

「バカ、まだ気を抜いたら──」

 

 だから、全ては遅かった。

 

驕馴?」繧後□(オ、アア)……!」

 

 崩壊する体を揺らし、〈奈落のロスト〉は最期の力で異能者たちを道連れにしようと唸りを上げ……その崩壊寸前で細く小さくなった、けれど未だ『奈落』の腕を魔塵は伸ばす。

 標的は、道路にへたり込んでしまった九瀬ヒカリ。

 

「──え」

 

 死の爪が迫る。

 回避も防御も出来ない少女をこの世から消し去ろうと、四つ指の死が迫り。

 

「九瀬さんッ!」

 

 咄嗟に彼女を庇った五十嵐ショウマの背中を、奈落の指が容赦なく削り取った。

 鮮血が、旧都の街に舞った。

 

 

 

【Tips】

《賞金首 (しょうきんくび)》

 危険な魔塵・異能者に国が賞金を懸け、積極的な討伐を促すシステム。賞金首も異能者と同様に危険度に応じた星等級が与えられる。

 魔塵の場合、例外的に『異能』を持つ特殊個体に名前が与えられ賞金首とされることが多い。その際異能の詳細が判明していれば異能自体にも命名が為される。

 人間の場合、テロリスト等反社会的な行動をする異能者がこれに認定される。本名が判明しない場合、起こした事件に関連する二つ名を与え仮称することもある。

 

 

 

 あの後。

 双咲さんのトドメにより、〈奈落のロスト〉は消滅した。

 五十嵐くんは辛うじて一命を取り留め、今は『保健室』で治療している。

 

 どうやら魔塵は死ねば等しく(チリ)に還るらしく、倒しても体が残っていれば警戒するのは『常識』らしい。つまり私に『常識』があれば、最後の一撃は問題なく光盾(ガード)で防げていたということで。

 

「九瀬さんの責任じゃない。全て僕たちの不手際だ……改めて、巻き込んですまなかった」

 

 五十嵐くんは『保健室』のベッドの上で、困ったようにそう言っていた。

 その傷は深く、どんな最新医療よりも優れた『保健室』の力をもってしても復帰できるかは五分五分だという。右の肩甲骨周りの骨と頸椎の一部が血肉ごと『奈落』に消し去られたのだ、寧ろ復帰の可能性がある方が奇跡だろう。

 

「双咲は、何か言っていたか?」

 

 ベッドから起き上がれない五十嵐のその問いに何と答えたか、正確には覚えていない。ただ、次のようなことを言った気がする。

 

 報酬を貰いました。……私を責めるようなことは、何も。

 

「だろうな。彼女はプライドが高いし僕の見舞いに来てくれないほど薄情だが、理解力も高い。認めるところはしっかり認める。今回の勝利は九瀬さんあってのものだ。その功績は些細な失敗程度で消え去るものじゃない」

 

 些細な、失敗?

 

「ああ。だからそんなに気に病まないでくれ。君が居なければ僕も双咲も死んでいたんだから」

 

 ……。

 

「改めて、ありがとう九瀬さん。僕たちを助けてくれて」

 

 それきり何も言えなくなって、私は『保健室』を後にした。

 その後は……どうしたんだっけ。

 

「入学一ヶ月で星四級の賞金首魔塵を討伐か、凄いじゃないか!」

 

 そんなことを言ったのは誰。先生? クラスメイト?

 

「星四になる日も近いかもな」

「もしかしたら星五級になっちゃうかも!」

「君、生徒会に興味はないか?」

「次の任務協力してくれよ!」

 

 ああ、頭がぐるぐるする。耳に入ってくる声すら歪むよう。

 気付けば私の体は駆け出して、誰も居ない場所を求めて走った。

 逃げるように必死に、忘我の状態で学園を彷徨う。

 誰の声も聴きたくなくて。

 誰の目にも映りたくなくて。

 荒れ狂う感情に押されるままに、ただ。

 

 そうして辿り着いた音のない場所で。

 私は──九瀬ヒカリは、()()()に出逢ったんだ。

 

 

「……あんたは」

 

 それは、低く擦れた声だった。

 学園に溢れている、自信と責任感に溢れた『正義の味方』の声じゃない。疲れて草臥(くたび)れた、どこにでも居そうな男の子の声。

 そして私にとって、その声はもうひとつの重要な意味を持つ。

 

『逃げろ。なるべく瘴気を吸い込まないようにしながら学校の外に出るんだ。それで助かる』

 

 聴いた瞬間に思い出した。その声を以前何処で耳にしたのか。

 

『約束しろ。二度とその能力を使うな。何も起きなかったことにして校内に戻れ。そして、これからも普通の人間として生きろ』

 

 そして、今になって理解する。彼が言っていた言葉の意味を。その内に秘めた真意を。

 記憶の中の姿と変わらない、影のように暗い雰囲気を持つ黒髪の少年。彼はやはり、学園で出会った誰とも違う表情で此方を見ている。……期待でも信頼でもない視線を向けられる、それだけのことが随分久しぶりに感じた。

 

九瀬(くぜ)、ヒカリ……?」

 

 だからだろうか。

 私の名前を呼ぶその声に、どうしようもない安心感を覚えてしまって。

 

 ぽろり。

 気付けば涙が零れていた。

 

「あ──」

 

 それは感情のダムが決壊した瞬間だった。ずっと抑えていたものが外れ、私の目から滂沱と涙が溢れ続ける。滲む視界は、驚き目を剥いた少年が駆け寄ってくるのを辛うじて捉えたのち、朧げな輪郭だけを残して涙に沈んだ。

 

「おい、大丈夫か」

 

 近くから降る声に、私は思わず縋りつく。それ程までに私の心は限界で。

 

「う、ひぐ……っ。うぁあ……っ」

 

 名前も知らない彼はそれを察したのだろうか、黙ってその胸を貸してくれた。私が泣き止むそのときまで、ずっと。

 誰かの体温に安心を抱いたのは、多分初めての経験だった。

 

 

 どれくらいの時間が経ったのだろう。数分か、あるいは数時間? 漸く、と言える時間を掛けて泣き止んだ私は……今更ながらほぼ初対面の相手の胸に顔を(うず)めて大泣きしたという事実に頬を赤くしていた。

 

「ご、ごめんなさい……急に」

 

 階段に微妙な距離を置いて腰掛けた、制服の胸の辺りが濡れている男子にそう言うと、

 

「いやまあ、良いよ別に。知らない顔でもないし」

 

 そう素っ気なく返される。

 その言葉の内容に……『知らない顔でもないし』という部分にキョトンとした顔を晒してしまうと、彼は目ざとく私の驚きに気付いたようだった。

 

「ああ、もしかして憶えて無いか? いや、忘れてるんなら気にしなくていいが」

「あ、違くてっ。寧ろ私なんかのこと憶えてたんだ、って驚いちゃって」

 

 咄嗟に勘違いを否定する。すると彼はなんだか複雑な顔をして少し考え込み。

 

「……あー、まあね。アレだ、人を庇うなんて結構レアな経験だから、な」

 

 とだけ言った。

 どう返したものかと悩んでいるうちに気を逃し、場に暫くの沈黙が降りる。ここでようやく私は、今いる場所がどこなのかに意識が向いた。

 壁の表示、閉ざされた扉、埃っぽい空気。どうやらここはどこかの棟の屋上へ繋がる階段らしい。屋上は立ち入り禁止と聴いたから、人の気配が無い場所をひたすら求めていた私が此処に迷い込むのは自然なことだったのだろう。そんな場所に『この人』が訪れたのは幸運だったのか不幸だったのか……そこまで考えて、私はひとつ気が付いた。

 

「……名前」

 

 この人の名前を──あの時私を命懸けで助けてくれた命の恩人の名前を、私は未だ知らないのである。

 思わず漏れた単語の呟きに、しかし彼は意を酌んでくれた。

 

「ああ、そう言えば確かに名乗ってねぇな……改めて、俺は影宮(かげみや)エイト。あんたは九瀬ヒカリ、だよな」

「は、はい。影宮さん、ですね」

「別に畏まらなくて良いよ。あんたも俺と同じ高等部2年だろ」

 

 制服の色で分かる、と彼は襟元を示しながら言う。確かに彼の襟元に入った校章の色は、私のと同じの赤色。青や緑の人も学内で見た事があるから、アレは所属する学年を表すものだったのだろう。

 そう薄ぼんやりと考えていると、影宮さん……改め影宮くんが階段に掛けた腰を浮かせた。

 

「……もう大丈夫そうだな。もし何か悩みがあるんなら『保健室』に行けよ。あそこは外傷治療だけじゃなくカウンセリングもやってるし……」

 

 それは私が泣き止んだと判断しての言動だったのだろう。

 しかし彼がどこかに去ってしまうと思ったとき、私の胸を覆ったのは不安だった。

 だって私に『普通の人間として生きろ』なんて言ってくれたのは影宮くんだけだったから。この胸に燻る想いを吐き出せるのは、きっとこの学園内に彼だけだろうと直感していて。

 彼を引き留めたかったのか。気付けば私の口は、勝手に言葉を吐き出していた。

 

「──私のせいで、五十嵐くんが大怪我してしまったんです」

「……」

 

 立ち去ろうとしていた彼が、黙って階段に座り直す。その静かな優しさにまた泣きそうになりながら、私は縺れかけの舌を動かし言葉を続ける。

 

「でも私はその時思ってしまった。自分のミスでそうなったのに……『自分が死ななくて良かった』って、『五十嵐くんが庇ってくれて良かった』って……!」

 

 独白はいつしか、慟哭にも似た懺悔へと変わっていた。

 

「みんな、私に期待するんです。『強力な異能だ』って。『君の援護があれば100人力だ』って」

 

 この学園に来てから、ずっと後ろめたさがあった。

 関わる人は皆前を向いていて、異能者であることに自信を持っていて、誰かを守るために戦う努力を重ねていて。

 

「みんな、命を懸けるのは当然だって顔なんです。自分が誰かのせいで死にかけても、『些細な失敗』ですませてしまうほどに覚悟が決まってて」

 

 そんな皆の前では言えなかっただろう弱音(ほんね)は……何故だろう、この人を前にすると。

 

「でも私、命懸けの任務なんてやりたくない。だって私は覚悟も勇気も無い臆病者で……異能に目覚めたからって理由だけで、国を守るために死ぬなんて嫌……っ!」

 

 そうだ。本当はあの時。五十嵐くんと双咲さんに『一緒に命を懸けてくれるか』と問われたとき、私は『嫌だ』と言いたかった。そんなことしたくないって、どうして私がこんな目にって言って逃げ出したかった。でも期待されてしまったから、私が逃げたら2人が死ぬかもしれなかったから断れなくて。

 そう口にして、私は自分のことが凄く情けなくなった。だって、こんなかっこ悪い弱音を吐く人なんてこの学園には居ない。皆が魔塵から人を守ったりそのための訓練をしている間、私だけが膝を抱えて蹲っている。

 その事実に、再び涙が溢れそうになり。

 

「成程。あんた、俺があんとき言ったことを憶えてたワケだ」

 

 ぶっきらぼうなその声が、私の涙を遮った。

 俯いていた顔で隣を見れば、影宮くんは此方を見ないまま静かに語る。

 

「俺もそうだよ。てか『なんで一度きりの人生を大衆の平和に捧げなきゃなんねーんだ』って()()()な奴なら皆思うだろ。昨日まで普通に暮らしてたのに、瘴気災害に巻き込まれた挙句『異能に目覚めたんだから命懸けで戦え』とか……クソだって言えない方がどうかしてる」

 

 その意外な発言に、私は弾かれたように隣を見た。

 影宮くんと目が合う。その目が本音を語っていることが何故か分かった。

 そのまま、真剣そのものの表情で彼は言う。

 

「あんたの身に宿った資質は、確かにあんたの生き方を狂わせた。それはもう取り返せない過去だ。……だが、だからと言って心まで曲げる必要は無い」

 

 それは、私の弱音(ほんね)を肯定する言葉。涙を堪える必要は無いと言い、そして彼は問いかけてくる。

 

「クソ人生の先輩として訊く。九瀬ヒカリ、あんたはこれからどうしたい」

 

 その問いが、本心を偽るな、と聴こえた気がして。

 私は少し考えて……考えたことをそのまま正直に口に出した。

 

「死にたく、ないです。危ない思いなんてしたくない。だって、まだやりたいこと沢山あって。お父さんやお母さん、皆ともまた会いたいのに……っ」

 

 涙混じりの本音を、影宮くんは「そうか」と静かに受け止めてくれ。

 そして少しの沈黙の後、彼は静かに語りだす。

 

「……この国は異能者の脱走兵に厳しい。学園から脱走したのが発覚すれば問答無用で指名手配、人的被害を出した瞬間にテロリスト認定して生死問わず(デッドオアアライブ)の賞金首にされちまう。国側に話が行くからまずまともな暮らしは送れない。()()でも旧都内のスラム生活だろうな」

 

 それは残酷な事実だった。

 

「外出はまあ、現実的っちゃ現実的だ。長期休暇の時期に1日帰省するくらいは可能だろう……その時も色んな『契約』を異能で結ばれて、脱走や機密漏洩を出来なくされるが」

 

 けれど耳を塞がずに居られたのは、その声が突き放すものではなかったから。

 

「だがやはり異能者である以上、戦いから逃げる()()()()()()は俺が知る限りは存在しない」

 

 それは私に──何も知らない九瀬ヒカリに、選択肢を示すための声。

 

「九瀬。もう一度訊こう。おまえがこれからどうしたいか」

 

 影宮エイトは真剣な声で問う。私の本音を受け止めたうえで、そのための現実的な道を選べと。

 

「もし脱走するなら、俺が5年掛けてシュミレートした一番成功率が高い方法を教えてやる。外出権を使って帰省するってんなら生徒会の知り合いに口利きしてもいい。だが、どうしても戦うのが嫌なら──」

 

 そして、影宮エイトは。私と真正面から向き合ってこう言ったのだ。

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()。確実にやるなら目を潰すのも良いかもな。そうすりゃおまえは傷病兵扱いで、晴れて家族の元に強制送還だ」

 

 流石の『保健室』も無いものは生やせまい、と言う彼の言葉に。しかし私が抱いたのは恐怖では無かった。

 だって。

 

「その、授業で聞きました。確か非異能者・異能者問わず他人に危害を加えた生徒は無条件拘束、場合によっては死刑もあり得る重い刑罰……でしたよね」

「そこは今重要じゃない。大事なのは九瀬、おまえの意志だ」

 

 だって彼の真剣な顔は、本気で私のことを考えてくれていると直ぐに分かるものだったから。

 きっと彼は本気なのだろう。私がここで泣き喚き「もう辞めたい」と言ったのなら、本気で私の四肢の一本を奪うのだろう。結果私に恨まれようとも、何も知らない人々に罰せられるとしても……影宮エイトとはそういう人間なのだろうと、私はその真剣な表情に思わされた。

 あの時私の命を、命懸けで救おうとしてくれたひとは。今度は私の人生を、己の人生すら懸けて救おうとしてくれている。

 

 自然と返答は声に出ていた。

 

「……私、もう少しだけ頑張ってみます。ひとまずは『帰省』を目標に」

「そうか」

 

 ああ……やめて欲しい。そんな顔で笑わないで欲しい。

 だって私は弱いから。こんなに優しいあなたに、これ以上迷惑を掛けたくないと思っているのに──。

 

「だから」

 

 寄りかかってしまう。身を預けてしまう。言ってしまえば戻れないと分かっている台詞を、それでも言いたくなってしまう。

 

「責任。私を頑張らせた責任、取ってくださいね?」

 

 耐えきれずに出た酷い言葉。それでも彼は拒絶せず。

 

「……ま、生徒会への口利きくらいなら、な」

 

 そうして私、九瀬(くぜ)ヒカリと、影宮(かげみや)エイトの関係は始まった。

 友情でも、恋愛でもない歪な関係。

 彼は、私の目を焼く眩しい光を遮ってくれる日影のような、そんな存在になってくれた。

 

 嗚呼そうだ。

 影宮エイトは私の救いだった。学園で一番頼れるひとだった。

 だから、私は考えもしなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()なんて──そのときが来るまで、本当に考えもしなかったのだ。




【★★★ 九瀬ヒカリ】
▶異能
スターライト
〈光ノ加護〉
■性質:補助・非実体 ■属性:光
■ステータス
 [基本六項目]
攻撃力 :★☆☆☆☆
防御力 :★★★★☆
機動力 :★☆☆☆☆
操作性 :★★★☆☆
射程距離:★★★☆☆
効果持続:★★★☆☆
 [特殊二項目]
特殊技能:★★★★★
身体強化:★☆☆☆☆
<総合異能ランク> ★★★☆☆
■概要
『仲間』に『編成』した最大四人をサポートする異能。詳細不明につき更なる調査が必要。
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