【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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<1> 2日目

 ザアザアと。

 ブラウン管に砂嵐が張り付くように、延々と風が吹いている。

 

 風は、黒い嵐だった。

 怪物が唸るような音を立てて、嵐は目に付く全てに噛み付いている。

 影の巨人。獣と病と死霊の群れ。(たと)えられる(すべ)てを引き連れた、夜を千々に裂く嵐という魔物(ワイルドハント)

 

 俺は、そんな嵐だった。

 否。俺は嵐よりも大きくて、吹き荒れる暴風は、そんな俺の中にのみ存在する(モノ)だった。

 それは、小宇宙(ミクロコスモス)に倣うような。想像もできないほど巨大な力場(モノ)が、けれど小さな人体(じぶん)に収まっているという矛盾。

 それとも、もしかしたら小さいのは嵐の方か。

 

 ……少し考えて、やめた。そんなのはどちらでもいいことだ。

 とにかく、黒い嵐は俺の(ナカ)で完結していた。

 俺という檻を喰い破ろうと吹き付ける風は、けれど百年経とうと檻を破ることは叶わないだろう―――そう確信した時、俺は気付いた。

 

 ザアザアと。

 止まない風の黒い音は、魔物が()悲鳴(こえ)に似ていることに。

 

 何となく、夢だと思った。

 微睡みの中の五感ある幻。無意識が影響を与える映写機(スクリーン)を通して、俺は黒い嵐のユメを見ている。

 延々、轟々。

 ずっと同じ映像。

 ずっと同じ感覚。

 黒い嵐は俺の中で、無色透明な血液のように、互いに干渉できないままぐるぐると回り続けている。

 なんて単調で、退屈なユメ。

 1秒前と何も変わらない平坦な繰り返し(ループ)

 

 だから意識が白みだし、現実へと覚醒するときにも、特に後ろ髪は引かれなかった。

 ―――もうここに、俺が見るべきモノはない。

 そう断じて、俺は黒い嵐に蓋をする。

 

 そんな、ありきたりで平凡な目覚めの刹那。

 それでも檻を出ようと藻掻く、生きた嵐の咆哮(こえ)を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――目が覚める。

 覚醒は白色の爆発に似て。

 意識が睡眠というゼロラインを超えるのと、俺の中の警戒レベルがマックスを叩くのは同時だった。

 知らない天井。

 慣れない匂い。

 五感が現在地を「未知」と判断した瞬間、俺は咄嗟に上体を起こして身構え―――。

 

「―――うぉわあ!?」

 

 そんな間の抜けた誰かの声に、思わず目を白黒させた。

 ばたん、と床に倒れ込む音。

 カラカラと転がるパイプ椅子。

 見れば、俺が寝ていたベッドの脇で……一秒前までパイプ椅子に座っていたらしい壮年の男が、床に手と尻を突き、こちらを見上げながら口をまん丸に開けている。

 

 白衣を着て首から聴診器を掛けた、50代くらいの白髪の多い男性。

 彼は驚いた顔をすぐ元の柔和そうな形に戻すと、尻もちをついた姿勢のまま気さくに話しかけてきた。

 

「お、お早う、少年。随分元気なんだねえ。びっくり箱みたいだったよ、今の。心臓が飛び出るかと思った……ま、そんなの医学的に有り得ないんだけどね!」

 

 おどけた台詞にも咄嗟に反応できない。

 

「、あんたは―――?」

 

 ……知らない人だ。

 それに、知らない場所だ。

 

「ここは……病室?」

 

 きし、と俺の動きで白いパイプが小さく軋む、簡素な病院用のベッド。

 潔癖なくらい真っ白な蛍光灯が、薄いカーテンを貫通する昼の陽光と混ざり合って、クリーム色の壁を照らしている。

 床は一見木目調に見えるが、光沢や継ぎ目からして恐らくビニル系のシートだろう。

 

 やはり病室だ、と確信を得る。

 だが、この部屋は俺の知るものより随分と規模が小さい。

 学園の保健室が清潔な水槽(アクアリウム)なら、こちらは庶民派の金魚鉢だろうか。どことなくミニマムだが、ちょっとした小物や棚の上のぬいぐるみなどのせいか、なんだか空気が丸みを帯びている感じ。

 

 と……周囲を見回して、気付いた。

 この病室にベッドはひとつ。

 そしてそのベッドには俺が寝かされていた。

 つまり……ナナ子が、居ない。

 

「―――ナナ子」

 

 口からそんな焦りが漏れる。

 この病室で寝る事になった経緯はまるで憶えていないが……あの約束は。

 『地獄まで付き合ってやる』という約束は、未だ鮮明に記憶している。

 

 あのとき、斜陽に呑み込まれた甲板で。

 腕の中に納まった白い少女と、俺はそんな契約を交わした。

 漆門寺(しちもんじ)ナナ。

 ああ、あの華奢な体に刻まれた痛ましい傷を。

 悪夢の中で彼女を傷付けた感触を、俺は未だ苦々しく嚙み潰している。

 だからこそ決めたのだ。

 せめてもの贖罪として、この約束だけは守り通すと―――。

 

「うん。ちょっと落ち着きなさい、少年」

 

 と。

 思わず駆け出そうとした俺の暴走(からだ)を、その穏やかな一声が停止させた。

 病室に居た、白衣と聴診器が特徴的な壮年の男―――つまり『医者』。

 彼は床から立ち上がると、パイプ椅子を立てよっこいしょと座り直し、

 

「あの白い女の子なら別室で寝ているよ。目が覚めたら顔を見せてやるといい。きっと安心する」

 

 まるで心を読んだみたいに、そんなことを言うのだった。

 思わずその顔を注視する。

 

 白髪のせいで灰色っぽく見える髪を、ひと房だけ三つ編みっぽくして垂らしているのが特徴的な、50代くらいの中肉中背の男性だ。

 若い頃はわりかし美男子だった雰囲気があるが、どうにも顔立ちに覇気がなく、表情もマシュマロみたいに柔らかい。

 そんな壮年の医者は、鏡のようにこちらを見ながらニコニコと毒気なく笑っている。

 

 ……そののんびりした表情に影響されたのか、俺の胸を焦がしていた感情がやにわに勢いを失った。

 そうだ、少し落ち着こう。

 今は現状を把握するのが最優先だ。

 

 俺は敵意が無いことを証明するようにベッドの上に座りなおして、眼前のお医者さんに疑問を尋ねる。

 

「……ええと、あなたが俺たちを助けてくれたんですか。ただ、その」

「ああ、大丈夫。どこにも通報とかはしてはいないよ。なにせ昨日の君ったらそればかりだったからねぇ。……あれ、憶えてないかい?」

 

 ……その言葉を聴いて、俺はようやく思い出した。

 

 

 そうだ。

 昨日、俺たちは名も知らぬ港街の聖夜(クリスマス)に流れ着いて……ナナ子を連れて人目に付かぬよう行動していたら、しんしんと雪が降って来て。

 その寒さと傷の痛みでナナ子が限界を迎えて、俺は隻腕で彼女を抱きかかえ知らぬ街を彷徨った記憶がある。

 

 それは、雪原で遭難したような暗中模索。

 土地と縁の無い子供がふたり、道にはすれ違う者もなく、ひどく心細かったのを覚えている。

 まるで、世界全てに見捨てられたような。

 行く当てもなければ帰る場所もない、棄てられた獣たちの逃亡未満(ワンダーランズ)

 胸に抱いたナナ子の呼吸がどんどんと弱っていくのを感じて。

 けれど知らない街の夜は、人を呑み込む真っ黒な怪物みたいで。

 どこにも行けない。

 冷たい、凍り付いたみたいな雪の聖夜。

 二人、このまま消えてしまいそうだった。

 そんな恐怖に耐えられなくて……溺死寸前で藁に縋るように、目に付いた『医院』の看板に情けなくも助けを求めたのだ。

 

 

 そんな記憶を今更ながらに思い出す。

 それ以上のことは思い出せなかったが、だいたいの経緯は把握できただろう。

 と、俺の困惑を感じ取ったのか、ううむ、なんて難しそうな声がした。

 

「まあ相当の出血量だったし、記憶の混濁くらいは起きても不思議じゃないか……それはそれでちょい怖いけどねえ。点滴、打っとく?」

 

 くいっ、と注射のジェスチャーをする医者らしき男。

 なんというか、医者にあるまじき軽薄さだ。

 ワンセンテンスの間すら深刻さが持たないという意味で、実に発言に説得力がない。

 なんていい加減な医者なのだろう。

 

 いや……あるいは逆か。

 その軽薄さとは、ともすれば、患者の為を思って完成された―――。

 

 ……よそう。今はそんな考察をしているときじゃない。 

 まずはナナ子の事を訊かないと。

 

「ああ、あの女の子の話かい?」

 

 ……いや、まだ何も言ってないんだが。妙に察しがいいな、この医者(ひと)

 

「大丈夫。安心していい、彼女なら無事だ。今は妻が見ているよ。

 容体? そうだな、全身に打撲による内出血の痕はあるが、まあ命に別状はない。右腕も単純な閉鎖骨折―――要するに、何のスペシャルさもない普通の骨折だね。ギプスとかは一通り付けたし、後は完治を待つだけだ。どちらかというと、問題は君の方だよ、えっと―――」

 

 そこで、ここまで察しがよかった医者は困ったように言葉を切った。

 ばつが悪そうに白髪頭を掻きながら、彼は遠慮がちに尋ねてくる。

 

「……そう言えば、まだ名前を聞いていなかったね。どうかな? 治療費の代わりに、名前(それ)くらい教えてくれると嬉しいんだけれども」

 

 底抜けに優しいハズのその言葉に、即答できない自分が居た。

 

 ……この医者の言うことが本当なら、俺たちは破格の待遇を受けていることになる。

 なにせ学園からの脱走者を治療し、(あまつさ)え匿うとなれば、それは逃亡幇助で犯罪だ。

 正直、俺たちを救うことにそれ程のリスクを負う価値があるとは到底思えない。いや、むしろ本人だからこそ「そんなものはない」と断言できる。

 つまり俺たちを受け入れるというのは、この医者夫婦の側にマイナスしかない、普通なら絶対に選ばない選択肢。

 

 それでも……医者(このひと)の話は、恐らく本当だと思う。

 なにせ危惧通り警察や国防三校に通報したのなら、俺たちを治療する理由が無い。

 寧ろ寝ている間に拘束するとか、無理にでも追い出すとかするべきだったハズだ。

 それがない以上、恐らくこの人たちは無理難題に頷いてくれた善良な―――。

 ……いや、まだ全てが嘘だという線もあるが、その可能性も二割くらいだろう。

 

 それに……どうあれ治療を受けたのは事実。

 その礼としてこちらから差し出せるものが誠意しかない以上、ここは頭を下げるべきだ。

 

「……はい。俺は影宮(かげみや)エイト。連れてた白いのは漆門寺(しちもんじ)ナナ、です。助けてくれて、ありがとうございます」

 

 そう名乗れば、医者は噛み締めるように頷いて。

 

「エイトくんに、ナナちゃんか。ありがとう……ふぅ、これで『少年』なんて気取った呼び方をしなくて済む。格好付けるのは得意じゃないんだよねぇ、どうも。歯が浮くというか……ま、そんなの医学的に有り得ないんだけどね!」

「……」

 

 たはー、と白髪頭を叩く仕草に、思わず感謝も忘れて無言になる。

 今の言い回しは二度目だが……もしかして持ちネタなのか、ソレ……?

 

 そんな風に白い目を向けられたことに気付いているのかいないのか。

 間違いなく変わり者の医者は、こほん、とわざとらしく咳払いして。

 

「――――『朽無(くちなし)医院』にようこそ、影宮エイトくん。事情はとんと知らないが、僕たちが君たちを助けよう」

 

 そう、こちらを真っ直ぐに見つめながら微笑んだ。

 たったそれだけで、俺はこの人が名医なんだと確信してしまった。

 未だ見慣れぬ医者の顔は、それくらい自負と矜持に満ちた、穏やかながら力強い大海を思わせる笑顔だった―――。

 

「というか。君達、兄妹(きょうだい)じゃなかったのかい? てっきりそうかと思ってたんだけど、苗字が違うしねぇ……そのぅ、複雑なご家庭だったり、する?」

 

 ……前言撤回。

 やっぱりなんか頼りないな、この医者(ひと)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――とくん。

 聞き慣れない、あたたかい音で目を覚ました。

 途切れていた感覚が再接続。

 左の手に、すごく愛おしい命の脈。

 開いた朧気な視界の中、黒い人影がこちらを覗き込んでいる。

 

「……ナナ子。目が覚めたか」

 

 ―――とくん。

 低い声は、じかに心臓へ響くようで。

 ああ、なんてこと。

 眠りから覚めたのに、わたし、まだ夢を見ているみたい。

 

 いいや、それは違う。

 わたしが眠るときに見るのは悪夢だけだから、幸せな夢である以上、間違いなくこれも現実なんだ。

 

「……」

 

 ぼやけた視界。

 知らない匂い。

 遠い全身の感覚と、唯一ハッキリしている聴覚(おと)

 わたしが持つ複数の感知機能は、確かに外界を捉えている。

 外界が感じられるということは、息が出来るということは、わたしは起きているのだろう。

 

 わたしにとっての睡眠は、水没であり断絶だ。

 悪夢への水没。

 世界との断絶。

 それは、スイッチを切った機械(ハコ)の中に独り取り残されるような。

 冷たくて、昏い。

 どこにも出口がない地獄の中で孤立する、酷く寂しい七時間。

 息が詰まる、

 生きていることが言いようもなく苦しくなる、時間。

 

 ……そんな睡眠の感覚は、普段より強くわたしの意識に残っている。

 眠りすぎた、のだろうか。

 窓からは夕陽が差している気がする。

 少しだけ不安になる。

 

 そうやって、悪夢の残滓に揺らぐ片目(ひとみ)を気取られたのか。

 黒い人影―――かげみやは、いつにも増して優しい声をかけてくれた。

 

「ああ、おまえは目が悪いんだった……安心しろ、ここは学園じゃない。酔狂な町医者の診療所(クリニック)だよ」

 

 言っている内容(イミ)は、よく分からない。

 けれどかげみやの声色から、きっといいことなのだろう、とだけ理解する。

 返事は出来ない。

 うまく口が動かない。

 いや……きっと動いていないのは脳のほうだ。

 泥のような眠気が、未だ全身にへばりついているのが分かる。

 夢見るような半覚醒。

 そんなわたしの手を握りながら、かげみやは半ば独り言のように言葉を続けた。

 

「まさか無策の逃避行の初手で、こんな幸運を引き当てるなんてな……神様からのクリスマスプレゼントってヤツかね。

 ……ハ、いくらいい子ちゃんで待ってても来なかったモンが、道を踏み外した途端降ってくるとは。つくづく、俺の人生ってヤツは」

 

 かげみやの声は痛々しく笑っている。

 このひとが口の端を吊り上げるのは、辛いことを誤魔化しているときだ。

 その『辛いこと』を今すぐにでもどうにかしてあげたいけれど、わたしの頭はいつにも増してぼうっとしていて、うまく言葉が出てこない。

 ただ、のろまで愚図な鸚鵡(オウム)みたいに、聞き慣れない単語をひとつ繰り返すのが精一杯。

 

「くりすます、ぷれ、ぜんと……?」

「……ああ。おまえがいい子だったから、可能性がゼロからイチになったって事だ。大丈夫、考えるのは全部俺がやる。おまえは……そうだな、今はゆっくり休んどけ。何をするにも、まずはその傷を治さなきゃな」

 

 言われて、わたしは自分の体が傷だらけのことを思い出した。

 思い出した瞬間、体の中でぱちぱちと痛みが弾ける。

 けれど意識の半分が眠気に占領されているからか、自分の体の中のことすらどこか遠い出来事のようだ。

 

 ああ、眠い。

 まだ目以外は眠っているのだろうか、指の一本だって動かせやしない。

 だから……左手の感触が離れる気配を滲ませても、わたしはそれを止められなくて。

 

 体は鉛のように重い。

 頭は錆びたように鈍い。

 軋む関節、枯れた喉。

 凍えた胸の求める儘に、わたしはそのひとに懇願する。

 

「……ぃ。いか、ないで……」

「――――――」

 

 声は、自分でもどうかと思うくらい震えていた。

 独りになるのが怖くて、子供のように怯えていた。

 

 ああ、なんて莫迦なのだろう。

 だって、わたしから差し出せるモノなんてないんだから。

 行かないで欲しい、なんて、そんなのはわたしの我儘で。かげみやのほうが賢くて。

 せめて愛想よく言えたなら違ったのかもしれないのに、わたしの声はいつにも増して髑髏(ほね)のようで、無様に震えてしまっていて。

 だから望みが叶うハズがないと、心のどこかで分かってしまって。

 けれど、なのに―――。

 

 ぎゅ、と。

 左手を包む大きな掌は、むしろ握る力を少し強めて。

 低く溶けるような鍛冶(はがね)の声が、わたしの凍てついた胸を打つ。

 

「……俺はどこにも行かないよ。言っただろ? 『地獄の底まで一緒だ』って」

 

 ―――とくん。

 あ、と声が漏れる。

 それ程に甘く温かい鼓動(おと)が、わたしの不安を溶かしていく。

 

 安心、したのだろう。

 途端に瞼が重くなった。

 眠気に抗っていた意識も限界で、わたしは再び深い眠りに沈んでいく。

 悪夢への水没。

 世界との断裂。

 そうやって閉ざされていく感覚の中……左手に伝わる(ねつ)だけが、どこまでも同じ存在感を保っていて。

 だから、まるで命綱みたいに。

 悪夢に墜ちるはずだった意識は、宙ぶらりんで微睡んで―――。

 

 

 わたしの一番近くから、とくん、とくんと優しい音。

 たんたん、ことこと。どこかから聴こえる料理の音。

 のんびりしたお父さんの声。柔らかいお母さんの声。

 遠くで車が走る音。かーん、かーんと金属(てつ)を打つ音。

 今日の世界はオーケストラ。

 鳥はうたい、風はそよぎ、水はせせらぎ、ひとはわらう。

 

 ……ああ、本当に夢を見ているようだ。

 だって、わたしとかげみやが堕ちた地獄は、こんなにも天国みたいな音がした。

 

 

 

 

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