【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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<3> 4日目

 ―――記憶(ゆめ)を見た。

 

 いつもの地獄ではない。

 毎晩ずっと見ていた、死体の海で孤立する悪夢じゃない。

 99人の兄弟が、沢山の罪人が死んだ山を乗り越えていく地獄ではない。

 それは記憶。

 わたしの海馬に刻まれた過去の情報が、映像として再生される普通の夢。

 

 白い部屋。

 白い服の人、青い服の人。

 白い手術台。

 その上のわたし。

 白い天井。

 巨大な怪物(むし)複眼()みたいな照明(ライト)

 肌に、銀色が()()()と沈んでいく、感触。

 

  赤色には慣れている。

  それは果実から汁が垂れるのと同じだから。

  ……なのに、不思議と目に痛い。

  べっとりとへばりつくペンキの色。

  命が錆びていく匂いが鼻腔を殴りつけて、噎せ返るようだ。

 

 場面が変わる。

 

 見知った学園。

 同い年の同級生。

 下級生と上級生と先生と大人。

 その中で独りだけ白い、わたし。

 放れていく沢山の姿。

 放れろ、と体を押す皆の恐怖(こえ)

 冬の床よりずっと冷たい静寂と、硬質な硝子を思わせる、乖離。

 

  拒絶されることにも慣れている。

  それは腐った匂いに鼻を摘むのと同じだから。

  ……なのに、不思議と胸が痛い。

  わんわんと頭蓋に反響する音。

  遠巻きにこちらを警戒する視線たちは、どこか神経を刺す穂先(トゲ)に似ている。

 

 また、場面が変わる。

 

 セピア色のお家。

 顔も知らない/優しくてお調子者のお父さん。

 思い出せない/賢くて優しいお母さん。

 どこにも居ない/大好きなかげみや。

 そして、わたし/わらうわたし。

 とてもあたたかい、おいしいごはん。

 机を囲んで笑い合う、泣きたくなるくらい穏やかな団欒。

 

  『愛』。それには、慣れていない。

  そんなもの、わたしは知らない。

  ……なのに、ずっとここにイタイ。

  (むね)をぐちゃぐちゃにかき乱す、荒れ狂う波のような情動。

  イヤだ。苦しい。知らない。知りたい。こんなのは、知りたくない。

 

 だって、それは絶望だ。

―――そんな希望は、知らない。

 認めてしまえば否応なく。

―――そんな絶望は、要らない。

 わたしは、わたしで居られなくなる。

―――そんなことは、知らない。

 

 迫るように場面が変わる。

 

 どこかの路地裏。

 どこかの廃工場。

 どこかの、だれかの居るところ。

 黒い瘴気。

 白いわたし。

 汚れた壁と地面と誰か。

 に。

 ―――べっとりとへばりついた、目を刺すような、 アカイ、イロ 。

 

 ああ―――これがわたし。

 これがわたし、だったっけ?

 この、赤黒い死に濡れた手が。

 命をぐちゃりと潰した(ちから)の担い手が、わたし?

 ……無論。当然、間違いはなく。

 そうだ、これがわたしだ。

 目を背けるな。

 目を覆いたくなるようなこれが、わたしの記憶(これまで)で、人生(これから)だ。

 

 白い、醜悪な怪物(わたし)

 赤黒い廃液を頭から被って、中身は白痴(カラッポ)操り人形(ガランドウ)

 愚図で鈍間で、殺す事しか取り柄がなくて。

 誰に好かれることもない。

 誰に笑いかけられることもない。

 この胸が苦しくなくなるのは、()()のように、路傍に(ごみ)のように転がって(ゆめ)を見るその一瞬だけだと知っている。

 

 そんなのは当たり前。

 だって生きるのは苦しいことだ。

 わたしにとって生きているということは、ずっと、苦しいことだったハズだ。

 だからおかしい。

 これはおかしい。

 こんなのは―――。

 

 「ほら、口元にご飯粒が付いているよ?」

 「エイトくん、取ってあげて頂戴?」

 「……はい。ほらナナ子、今やってやるから―――」

 

 ―――こんなのは、生きているとは、言えない。

 そう、生きているとは言わないのだ。

 

 認めてしまえば簡単で。

 後は転がり落ちるだけ。

 

 ああ―――そうか。

 わたしは。

 もう、

 ずっと昔に

 

 

  ()んで

   (イタ)

    んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、体を揺すられ目を覚ました。

 何事かと目を開ければ、そこには夜を跳ね返す白い顔。

 頭から爪先まで真っ白な少女―――ベッドで眠っていたハズのナナ子が、床に布団を敷いて寝ていた俺の体に縋りついていた。

 

 零時は過ぎたが夜明けは遠い闇の中。

 ナナ子は薄闇の中でも分かるくらいに肩を、声を震わせて泣きじゃくる。

 

「かげみや、わたし……」

「ど、どうしたナナ子? 泣いてる、のか?」

「……わたし、しんでた、の。ずっと、ずうっとまえに。みんな、みんなしんだあのときに……わ、わたしもいっしょ、に……っ」

 

 白い髪を振り乱し、錯乱したように喚く少女。

 俺は咄嗟に起き上がって、その肩を隻腕(かたて)で摑み、至近でその顔を覗き込みながら声をかける。

 

「落ち着け、何言ってんだよ。おまえはここに居る。こうして立派に生きてるじゃないか」

 

 そうだ。それは事実だ。

 だが……ナナ子はやはり、殆ど必死で首を横に振った。

 

「……う、そ。ここは、きっと、てんごく、なの。なんにもつらくない、やさしい、あったかいだけ……そんなの、てんごくじゃなきゃ、」

 

 ありえない、と。

 そう、彼女は強迫観念のままに言い切った。

 

 つまり、ナナ子はこう言っているのだ。

 朽無(くちなし)医院での生活は、今まで味わったこともないほど優しいものだと。

 だからこそ現実感がなくて、それこそ死後に行く天国でもなければ説明がつかない、と……。

 

「―――」

 

 ぎり、と強く奥歯を噛む。

 ナナ子が何に苦しんでいるのか、俺には理解できてしまったから。

 

 それは、虐待を受けた経験が生み出す幸福の反転。

 今が幸せであるほど、過去の苦しみに何の正当性もなかったのだと悟るほど、その胸を言いようのない感情が引き裂く。

 「苦しまずとも生きていけるのなら、あの苦しみは何だったのか」。

 「意味があると思ったから耐えられたのに、あれは無意味だったのか」。

 「あの苦しみも、苦しみへの忍耐も、全ては無駄だったのか」。

 それは憎悪であり嫉妬。

 後悔であり虚無感。

 決して拭えない苦々しい感情から目を逸らすため、彼らはさかしまに、現在の幸福を認められなくなる。

 その生活に価値があるほど―――過去の環境(じぶん)を貶められた錯覚に陥り、過去も現在も直視できなくなってしまうのだ。

 

 虐待児の自己防衛。

 脱したハズの地獄が追って来る不幸の連鎖。

 そんな呪縛(くさり)が、ナナ子の心臓に絡みついている様を幻視する。

 

 幻視して―――俺は思わず、その未熟な体躯を抱き締めた。

 

「―――莫迦。どんな悪夢を見たのかは知らないが、おまえは間違いなく生きてるよ。辛いこともあれば楽しいこともあるのが人生なんだ。それが普通だ。

 だから、おまえは胸を張っていいんだ。今まで頑張ってきたんだろう? なら、やっと訪れた幸せな時間を、何も考えずに味わっていいんだよ」

 

 祈るように、強く。

 呪縛(くさり)の力に負けないように、白い体を抱き締める。

 あるいは―――俺自身が、幽霊みたいなその体を現世に引き留める(くさび)になったかのように。

 

 突然のことに最初は体を強張らせていたナナ子も、十秒もすれば緊張を解いて、俺の抱擁を受け入れてくれた。

 

 互いの体温が体に残るくらいの時間。

 それを経て、俺は抱き締めていた体を解放する。

 

「……落ち着いたか?」

 

 至近の問いに、こくり、と弱弱しくはあるが頷くナナ子。

 

「……本当に大丈夫かよ。寝れそうか?」

 

 ふるふる、と首を横に振るナナ子。

 

「そうか。なら、また本でも読もう。おまえが寝るまで付き合ってやるさ」

 

 言って部屋の明かりを点ける。

 ぱちん、と明るくなる部屋。

 ナナ子の顔にはやはり涙の跡があったが、指摘したところで何もないので見なかったことにする。

 さて、起きてしまったからには、数時間前にした寝る前の行動を繰り返そう。

 深夜番組よりはそっちの方がいいだろう、という判断だ。

 

 本。

 それは外付けの知識。不可能の経験。視座を押し上げる、人生の土台。

 そんでまあ……子供の寝かしつけにはぴったりの寝物語。

 

 特に絵本(フィクション)はいい。今の状況に合っている。

 今すべきは内側の苦しみからナナ子の目を逸らさせること……その知性を物語を理解・咀嚼するための回路に切り替えさせ、一時だけでも自分の人生から解放させることだろう。

 

「絵本はそこに積んでるので全部だが……何か希望はあるか?」

 

 昨日の内に部屋に持って来ていた本の山―――どちらかというと背の低い本の塔か―――を指さす。

 ナナ子はこくんと頷くと、その本の山から一冊の本を引き抜き、俺の下へと持ってきた。

 

「これ……」

 

 そうして、ナナ子が差し出したその本は―――。

 

「―――げ、よりにもよって『灰かぶり姫(シンデレラ)』かよ……別のにしろ、別のに」

 

 そのタイトルに思い出したくない顔を思い出して、俺は思わず口元を「へ」の字に歪める。

 読んでるとあのクソ女の顔で脳内再生してしまいそうで実に嫌だ。

 だが……。

 

「だ、め……?」

 

 ……そんな表情で迫られると弱い。

 綺麗な表紙に惹かれたのか、それとも別の理由か、ナナ子はどうしても『シンデレラ』を読みたいようだ。

 それにまあ、確かアイツは灰色の人魚姫ってコトで決着はついたんだっけ。

 なら何も問題はないじゃいか、俺。

 

「……分かった、それにしよう。ほら、おいで」

 

 ぼすん、とベッドに座り、ナナ子を隣に招く。

 そうして俺は隻腕(かたて)でベッドに置いた絵本のページを捲っていく。

 それこそ幼子相手よろしく、内容を弱視の少女に読み聞かせながら。

 

「昔々、あるところに―――」

 

 絵本は、本当に子供向けの他愛もないものだった。

 継母と義姉たちに虐げられていた灰塗れの主人公(ヒロイン)・シンデレラが、魔法のドレスと馬車で城の舞踏会に飛び込み、王子の心を射止めるも魔法が解ける0時の鐘で城を後にする……。

 そんな、特に奇抜な改変もない、普通の『シンデレラ』のストーリーをなぞっていく。

 この後に待つは、かの有名な『硝子の靴』。

 そうやって、俺はページをめくり……。

 

「あれ。ここからページが破れてる……子供の患者が破ったのかな」

 

 絵本はそこで終わっていた。

 どうやら元々あったページが破れて失われたらしい。

 まあ医院の待合スペースに置かれていた、相当に年季の入った絵本なのでそういうこともあるだろうが……こんな所で千切れていると妙に嫌がらせチックというか、これじゃあバッドエンドじゃないか、この絵本(シンデレラ)

 と、

 

「……このあとは、どうなる、の?」

 

 ほら、ここに悲しむ中一(こども)がひとり。

 しっかしナナ子おまえ、マジでシンデレラのストーリーすら知らないのな……世間知らずとかいうレベルじゃないだろそれ……。

 

 とにかく……このままで終わり、というのは少し冷たすぎる。

 仕方ない。

 絵がないと味気ないかもしれないが、言葉だけで何とか続きを語ってみよう。

 

「あー、この後は、そうだな。まず、シンデレラが逃げるときに硝子の靴を落っことす。逃げたシンデレラを諦められなかった王子さまは、その靴を手掛かりにシンデレラを探す。この靴がピッタリ会う奴がシンデレラだ、ってな。んで、紆余曲折ありながらも最後にはシンデレラを見つけて……で、二人は幸せに暮らしました、めでたしめでたし、だ」

 

 義姉たちがシンデレラを名乗るが硝子の靴に足が入らず偽物とバレるとか、あと無理矢理足を入れるために踵を切り落とす、みたいなくだりがあった気もしたが……まあ本筋とは関係ないので省略する。

 にしたって、我ながら語り口に熱がないと言うか。

 なんというか、俺にはやっぱりこういうのは向いていない……。

 

 と。

 一応のストーリーを聞き終えたハズのナナ子は……なんだか妙に不安げな顔をして、縋るように俺に尋ねてきた。

 

「え……まほう、は? まほうが、もういちど、かけ、られるんじゃなく、て?」

「魔法……? 確か、終盤に魔法使いの出番はないぞ?」

 

 記憶の通りに答えれば、ナナ子の血の気の薄い顔はいっそう青くなる。

 その視線は絵本の中のシンデレラに。

 完全に共感し同調しながら、白い少女は声を震わせる。

 

「ど、どうして、まほうがとけた、まま、なの……? きれいな、まほう。それが、ないと、だめなのに。しんでれら、が、かわい、そう」

 

 ナナ子は妙なところに拘っている。

 まあ、魔法で変身とかニチアサの御約束だし、連綿と受け継がれてきた女児のツボなのかもしれない。

 とはいえ、やはり終盤に魔法の出番はない。あるべきではない。

 何故なら。

 

「そりゃあ、魔法がかかったままじゃハッピーエンドじゃないからじゃないか? 王子様がありのままのシンデレラを愛するからハッピーエンドなんだ。魔法がかかったシンデレラじゃなきゃダメなんて、そんなのは甲斐性が無さすぎるだろう」

 

 そうだ。

 ようやくシンデレラを見つけた王子さまが、「舞踏会のときと全然違う、もう一度魔法で綺麗になってくれ」とか言いやがったら物語が台無しだ。そんな奴、俺でも顔面を殴りたくなる。

 シンデレラの正体を灰塗れの女と知ってなお王子さまが受け入れるから、この物語は無欠のハッピーエンドなのだ。

 

 だが、それでもナナ子の表情は晴れなかった。

 怯えるように己の体をかき抱いて、ぜいぜいと苦悶を喘ぐように溢す。

 

「……そう、かな。わたし、きらわれちゃうひみつは、かくし、たい。きらわれたく、ない。だって、ありのまま、なんて」

 

 ―――そんな醜い自分(わたし)に、触れてほしく、無い。

 

 まるで間近まで迫った見えない手に怯えるように。

 そう、白い少女は血を吐くように独白した。

 

「…………」

 

 何となく、極寒の地獄を想起する。

 吹雪の中で孤独に凍えるような白い体。

 その内に潜むものが何なのか、本人ならぬ俺には分からない。

 だけど……そんなナナ子の恐怖じたいは、俺にも少しだけ理解できた。

 

 ―――好意が永遠に続くなど、そんなことはありえない。

 だって、人が愛するのは虚像だ。

 自分の中で組み上げられた、情報が偏った相手の虚像。

 他者の全てを理解できない人間は、絶対に見えない部分を想像で補うことでしか、主観(じぶん)の中に他人を存在させられない。

 そして大抵、その想像とは自分好みに美化された幻想だ。

 愛した虚像と実体が大きく乖離していたとき、人はその人に抱いていた幻想を喪失し、「こんなもんか」と失望する。

 

 だから、醜い部分は隠すべきだと。

 そうしなければ愛されないと、嫌われてしまうと、白い少女は嗚咽めいて吐露した。

 

 ……ああ、確かにその理屈は分かる。理解できる。

 けれど……実のところ。その理屈に反論するのは、俺にとって、記憶を頼りに絵本を読み聞かせるよりずっと簡単なことだった。

 思い出すのは古い顔。

 らしくなく不格好に笑いながら、俺はナナ子の絶望を否定する。

 

「……昔、おまえと同じようなことを言った奴がいたよ」

「ぇ……?」

「誰かに愛される期待なんてするなと―――愛は自分で完結させるべきだとその女は言った。自分が使える愛は全部自己愛につぎ込んで、他の誰も愛さなければ……それなら、自分以外の誰からも愛されないけれど、少なくとも損をすることはないんだって。

 自分のことを一番よく知ってるのは自分なんだから、それが一番効率が良いって」

 

 それなら世界中の全員が自分を嫌いでも問題ない。

 ナナ子が恐れた、誰かからの幻滅や失望も避けられる。

 ……そんなことを、言った奴が居た。

 そうやって当時の俺を救ってくれた、女が。

 

 それでも……今の俺は、彼女(あいつ)/ナナ子の言葉には頷けない。

 

「でも、それは逆なんだよナナ子。自分が自分を裏切らないなんて、そんな保障こそどこにもない。自分のことだからって……その全部愛せるとは限らない。

 だって、自分のことを一番よく知ってるのは自分だろ。つまり、自分の嫌なところが一番よく見えちまうのも、同じ自分自身なんだから」

 

 そう―――現にナナ子が「醜いわたし」と言ったことからも分かるように。

 人間である以上、時に、自分さえ自分の敵になり得る。

 いいや、きっと誰だって理想(ユメ)と現実のギャップには苦しむもので。

 だからこそ、自分一人では限界があるんだ。

 

「結局、人は自分以外の誰かを肯定(あい)するしかなくて。そうすることで、誰かに肯定(あい)されるしかない、んだろうな。そうじゃないと、自分の嫌いな部分ってのは、一生誰にも認められないままなんだから。そんなのは寂しいし、救いがないだろ」

 

 それこそ今のナナ子のように。

 誰かに嫌われないために自分を嫌いなまま生きていくのは、きっととても悲しい事だ。

 どうせ誰にも受け入れられない、と殻に籠るのは苦しい事だ。

 だって俺がそうだったから。

 だから分かる。知っている。

 知っているからこそ……ナナ子にも知って欲しい、と思う。

 その闇は、おまえが思っているよりもずっと薄く、踏み出せばすぐに消えてしまうほど浅いのだと。

 

「―――それにさ。自分が言う欠点なんて、人からすればそう悪くないモンだったりするんだぜ。

 卑屈は謙虚。臆病は深慮。短気は勇気。執着は愛情。

 人間は彫刻だってのは双咲が言ってた事だったっけな……モノは見る角度によって印象が全然違うだろ? どんなに醜い傷痕でも、いいや傷が酷いほど、それを抱えてなお走ってきた頑張りは凄いモノになる。おまえが思う醜さってのは、人によっては、けっこう簡単に美しさに反転してしまうものなんだぜ」

 

 そうだ。

 醜ければ愛されないなど、そんなのは短絡的な悲観だ。

 それこそ虚像、勝手な幻想というものだ。

 たとえ自分にとっては直視すら辛い(きず)だって、誰もが同じように「醜い」と感じてくれる訳ではないのだから。

 

 

 例えば。

 確かに、シンデレラは魔法で美しく着飾ることで王子さまの気を惹いた。

 だから彼女は、失くした硝子の靴を頼りに王子さまが自分を探し当てたとき、本当は恐怖したかもしれない。

 「おしまいだ、魔法はとっくに解けている。

  あの日の美しさは既に無く、居るのはみすぼらしい灰塗れの女。

  こんなの、失望されぬハズがない」―――と。

 だが、それは彼女の視点。

 王子さまから見れば―――継母と義姉たちに虐められながら、それでも卑屈にならず日々を全うしたその姿は、とても気高く映ったかもしれない。

 自分は魔法の美しいドレスに飾られた、ただそれだけの女に惚れたのではなく。

 積もる灰のような不遇に耐え、床を舐めるような不平を堪え……訪れたたった一夜の機会(じゆう)に最高のステップを踏んでみせた、この灰塗れの白鳥(おんな)にこそ惚れたのだ、と。

 

 

 美醜善悪など是このように。

 影があるなら光もまたあり、表があるなら裏もまたある。

 ならば必然、おまえが醜いと蔑むおまえを、他人(おれ)が愛せぬ道理も無し。

 

「別に、おまえの全部に触れさせろとは言わないよ。それはきっと、いつか誰かがやってくれる。

 でもさ……今おまえの手を引いてる者として。おまえが自分を好きになる手伝いくらいなら、俺にもさせてくれたっていいんじゃないか?」

 

 ぱたん、と絵本を閉じてナナ子を見つめる。

 その姿は既に孤独な雪山に無く、優しい朽無医院の一室に戻ってきているように思えた。

 

「ありが、とう……」

「おう、どういたしまして?」

 

 とりあえずは落ち着いたか。

 とはいえ……と、俺は俯く白い顔を覗き見る。

 

 とはいえ、その身を白く凍らせるモノは、そう簡単には消えないだろう。

 ソレは、深く根を張った病巣のような。

 切り離すことはおろか、苦しみを和らげることすら生半可なことではない。

 俺の麻酔(ことば)もいつまでもつか。

 過去という絶対に逃がれられないモノがその身の内にある限り、ナナ子は発作のように、いつまでも苦しみ続けてしまう運命なのだ。

 

 それでも……何もしないではいられなかった。

 たとえ触れた俺の手の方が冷たく凍てつくだけだとしても。

 その氷を融かしてやりたいと、そう、偽りなく思ってしまったから。

 

 そうして、ナナ子は俯いていた顔を上げ。

 ……なんかちょっとだけ頬を膨らませながら、言った。

 

「……でも。わたしのしらないおんなのひとのはなし、なんか、いやだ。もう、しないで」

「……お、おう。仰せのままに、お姫様」

 

 なんだよ。意外と余裕あるんじゃねえか、おまえ。

 

 

 とまあ、この夜はこのように。

 もうニ、三冊の絵本を読んで、それでナナ子は限界を迎え瞼を閉じた。

 その姿に安心し、俺もその肩に布団をかけてから目を閉じる。

 それが時間にして四日目の早朝(しんや)のこと。

 すやすやと眠る白い少女、その内でひっそりと芽吹き始めた感情(モノ)があることに、俺はまるで気付かずに惰眠へと落ちた。

 

 

 

 




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