【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
夕食後。
考え事もあり―――そして多少の気まずさもあり―――自室に戻らずリビングで物思いに耽っていると、ソファの隣がぎしりと軋んだ。
見れば、隣に座ってきたのは白髪交じりの
「何やら悩んでるみたいだねぇ、エイトくん。そんなに肩を落として……ま、悩みで肩が落ちるなんて、そんなの医学的にありえないんだけどね!」
「……」
笑いながら差し出されたマグカップを反射的に受け取る。
中には湯気を立てるホットココア。
同じものを一口飲みながら、白衣を脱いだ灰色の医師は微笑みと共に切り出した。
「ナナコちゃんがどうして本を読みだしたのか、分からないのかい?」
「……まあ、はい。最近のあいつの行動は突拍子もないものが多くて、どうも」
悩みの種を半分は言い当てられて、首肯する。
異常な読書に、夕飯前の『例の行動』。
その真意が分からず俺が悩んでいたのを見かねたのか、朽無さんは相談に乗ってくれるらしい。心でも読めるのか、医者って人種は。
気配からして、夫人のほうはまだ台所。
生きていれば父親くらい……あるいはそれより一回り上の大人だ。一人で考えていても答えは出なかったし、男二人の内緒話という形もあるし、ここはその経験と厚意に甘えるとしよう。
「……そうですね。どうしてか、朽無さんは分かりますか」
尋ねれば、医師は「もちろん」と頷いて、単刀直入に。
「それはね。
「え……?」
「エイトくんは高校生。ナナコちゃんは中学生。大人と子供……彼女からすればそう見えるだろうね。だからその差を少しでも埋めようと躍起になっているのさ」
その
ナナ子の読書も、そして
「……ありえない。そんなの理由になってないでしょう」
思わず反論する。
だって、本当に理由がない。
ナナ子が俺に追いつく理由も。
その為にあれらの行為を選ぶ理由も。
どちらもないのだから、やはり『理由になっていない』。
そう首を横に振れば……朽無さんは納得したように深く頷き、そして言った。
「そうか。君には『恋』をした経験が無いんだね」
「え……?」
「君はずっと、近しい人を傷付けまいとしている。そうやって自分で自分を監視している。だから君は恋を知らない。きっと恋することもない」
「できない」と自分のことを言い切られて、俺は思わず反発した。
「……どうして、それが恋をしないことに繋がるんですか」
「当然さ。恋というのは、縺れ合って坂道を転がり落ちるようなものだからだよ。お互いを傷付ける感情の暴走が恋なのさ。分かってるんだろぅ? ナナコちゃんのは
「なっ―――」
直球でぶっこまれて、マグカップを取り落としそうになった。
―――ナナ子が、俺に恋をしている?
そんなのまるで信じられない、有り得ない話だ……
真実。
心のどこかで、「やっぱりそうだったのか」と思ってしまう自分が居て。
だから俺は、図星を突かれたときのように動揺してしまった。
だって、そうでなければあんなことは。
『―――ねえ。キス、して?』
それ以外の理由であれば、あんなことはしない、のだろう。
それくらいは俺にも察せられる。
だからこそ俺は悩んでいたのだ。
本当のことに薄々気付いていながら、でもそれ以外の
もう分かっているんだろう、知らないふりはやめたらどうだい―――と。
……本当に、心を覗かれてるみだいだ。あるいは。
「……はぁ。覗き見でもしてたんですか?」
「えぇっ? 本当に何かあったのかい? そのぅ、エイトくん、老害のようで悪いんだけど、中学生でゴニョゴニョは早すぎるんじゃないのかなぁ……」
「……怒りますよ、流石に」
畜生。カマかけというか、俺が勝手に引っかかっただけかよ。あと冗談にしても笑えませんよ、それ。
「ごめんごめん、ちょっと冗談が過ぎたねぇ。勿論僕は何も見ていないとも。
でも、何となく想像はついてしまうんだよ。中学生の
「そ、そんな、ことは……」
「あるさ。『自分はもう子供じゃないんだ』と言わんばかりに無理して、背伸びして……最後には無敵の
だから君に、彼女の独り相撲に付き合ってあげる義務はない……いや、むしろ同情で応えてしまうなんてことは絶対にやってはいけないことだ。うん、それならまだ気付かないふりの方がいいだろうね……その場合は、ただ、ナナコちゃんが可哀想ってだけの話なんだから」
それで、俺が悩んでいたことの全部に説明がついてしまった。
俺はどうして知らないふりを選んだのか。
どうして、本当のことに気付きたくなかったのか。
(―――そうか。俺は、ありのままのナナ子を見ていなかったんだ。)
有り体に言ってしまえば……。
俺は、ナナ子をナメていた。
その振る舞いが幼子そのものだったから……いつまでも彼女は
幼く、無垢で、何も知らない子供なのだと、そう思い込んでいた。思い込みたかった。
だが現実は違った。
ナナ子は中学一年生。
第二次性徴に伴う思春期真っ只中で、
世界が広がったせいで自分も大きくなったと錯覚していて、
今までにない知識に触れて勘違いしているけれど経験も頭脳もまだまだで、
自分が情動に振り回されていることにすら気付けないで、
けれどそんな現実に反発するように無理に大人ぶり、とうとう身の丈に合わない恋愛などに入れ込んでしまう……そんな普通の女の子だった。
どこにでも居る、恋に恋する少女だった。
そのことを―――俺は、認めたくなかったんだ。
俺のキャパシティは、命懸けの逃走劇で既にいっぱいいっぱいだったから。
そんなものを……『恋』なんて要素に割く心の
ナナ子は
それがナナ子を傷付け、躍起にさせ、あんな蛮行に走らせることになるとも知らずに。
(……そうだった、のか。くそ、最悪だな、俺は)
……頭が痛い。
だって、ようやく己の短慮に気付いて……それでもなお、俺はナナ子の『恋』に付き合ってはやれない。
それは俺の余裕のなさ、だけじゃない。
彼女がどれだけ背伸びしようとも、その身長が急に伸びたりはしないように。
子供っぽい中学生がどれだけ大人びたって、それは大人びただけの中学生で、
視座も経験も肉体も、何もかも違っている以上、そもそも絶対に噛み合わない。
言ってしまえば階級が違う。
どう足掻いても同じ土俵に立てないのだから、初めから成立のしようがないのだ。
―――俺は、ナナ子を愛してはやれるけれど。
どうあっても、ナナ子に恋することはできない。
そう偽りなく確信して……その非対称な関係性に、眩暈がした。
知らず、弱音がぽつりと漏れる。
「……俺は、卑怯なんでしょうか」
「ふむ、卑怯か。まあ、そうかもしれない。君がナナ子ちゃんに向ける愛は、ナナ子ちゃんが欲しい
君はナナ子ちゃんの為ならどんな傷も負えるんだろうけれど、その代わり、ナナ子ちゃん本人からは絶対に傷付けられることがない。あっちが一方的に傷付くだけだ。無償の愛とはそういうモノなのさ、良くも悪くもね」
人生の先達たる灰色の医者は言った。
恋すれば、相手の一挙手一投足が心に傷をつけるけれど。
愛すれば、相手のどんな行動にだって傷つくことはなくなるんだ―――と。
恋と愛。
ナナ子と俺。
敵の要塞に乗り込んで傷付く側と、安全圏から一方的に傷付ける側。
相手にしない、とはそういうことだ。
たとえナナ子の
それは……おまえがいくら勇気を振り絞ったって俺には何の意味もないよ、というのは、余りにも酷なことではないのか。
(だって、それは―――)
「うん。その非対称を『卑怯だ』という人もきっと居るだろう」
……まるで俺の心を読んだかのように朽無さんは言う。
けれど、その話には続きがあって。
「―――でも、君には彼女への『愛』があるから。彼女が傷付けば君も苦しむ。それは、ある意味では対等なんじゃないのかな?」
愛すれば、相手のどんな行動にだって傷つくことはなくなるけれど。
その代わり、相手が傷ついたとき、自分も同じ痛みを味わうんだ―――。
そう、灰色の医者は唄うように付け足した。
多くの
「――――――」
その言葉で。
本当に、霧が晴れた気分だった。
そうだ。
俺はナナ子が傷付くことに苦悩した。
俺自身が彼女を傷付けることになるだろうと知って煩悶した。
我がことのように、その報われぬ恋路が悲しかった。
胸を裂くように痛かった。
それは屈折しているし、身勝手に過ぎるけれど、けれど確かに真実で。
だから。
(―――そうか。俺はちゃんと、ナナ子を愛してやれているんだ)
彼女の欲しい
それでも、俺は安全圏になんか居ない。
『互いに傷付く』。
そんな、ある意味では対等の立場に、俺とナナ子は収まっている。
それは
「どうかな、持ち直したかい? ……あれ、どころかちょっと嬉しそう、だったり?」
俺の顔を見て興味深そうに片眉を上げる朽無医師。
そうか、俺は今そんな顔をしているのか。
少しばかり面はゆいが、それも仕方ないことだろう。
「……まあ、少しは。だって、こんな俺でもナナ子の為に苦しめると分かったんですから。
それは偽らざる本音だ。
俺にもまだ
少なくとも、自分以外誰も愛せないよりはずっといい……。
「……前から思っていたけれど。エイトくん、君は自分のことが嫌いなのかい?」
「はい?」
「君は愛が己を傷付けると知ってなお、それを誇らしいと言った。それは素敵な優しさだ。だが……僕にはどうも、君が自分の痛みに無頓着なように見える。それはつまり、自分が嫌いってことだろう?」
医者はどこか心配そうに眉を顰める。
だが、俺は「そんなことはないですよ」と
「……誤解ですよ。俺は結局、他人を通して自分を愛しているだけです。
ナナ子に優しくしているときは……ああ、俺も案外良い奴なのかもなって、そう錯覚できるから。だから、きっと俺は卑怯なんです。卑怯と言われても仕方ないんです」
それは、ナナ子にも言ったこと。
近くて遠いその昔。
誰かを愛することは無駄なことだと、そう言い張った奴が居た。
でも、俺はそいつと関わることで知ったんだ。
他者への愛を通して自分を肯定できる―――そんな、ひどく当たり前のことを。
俺が愛したかったその
その答えだけは残っている。
愛することは無駄なんかじゃないし、まして損をする事でもない。
それは俺にとって嬉しいことだ。
だって、誰かを愛している自分のことなら、少しだけ好きになれるから―――。
(……結局、卑怯者なのは変わらない。どこまで行っても、俺は自分のことばかり)
実際のところ。
朽無さんの言った通り、俺に自己嫌悪や自己否定があるのは本当だ。
だからこそ他人を愛し、それを僅かでも払拭できるのが嬉しかった。
うん、我ながら滑稽なほど矛盾している。
だって、そうやって自分を肯定しておきながら……他人を愛する理由さえ自分のためというこの性格を、俺はどうにも好きになれない。
それでも……そんな理由でも、誰も愛せないよりはずっといいハズだから。
だからこれからも、掴んだモノを手放さないように歩いて行こう。
恋と愛。
その違いが、いつか致命的な破綻を生むとしても。
「……そうか」
俺の決意をどこまで感じ取ったのか。
そこに何を思ったのか。
それらを表情に乗せる前に……朽無さんは一転して、いつも通りのおどけた顔になった。
「―――なんて、野暮だったねぇ僕。五十を過ぎて若者の青春に口を挟むなんて、我ながらちょっと大きい顔をし過ぎたかな……ま、口を挟むとか顔をでっかくするとか、そんなの医学的にありえないんだけどね!」
「……。その、野暮なんてそんなことは」
「いやぁ、そんなことはあるでしょうよぅ。あと渾身のギャグにツッコんでくれよぅ。
まあいいや。お詫びと言っては何だけど……そうだねぇ。よし、それじゃあひとつだけ、何でも質問に答えようじゃないか」
それは。
何でもない発言だったのかもしれないし、やはり俺の心中を見透かしての言葉だったのかもしれない。
ともかく……それは唐突に訪れた、これ以上ない機会で。
気付けば、俺はずっと気になっていたことを訊いていた。
「―――どうして。どうして朽無さんは、俺たちを拾ってくれたんですか?」
「? いやぁ、それはもう言っただろう? 助け合いはお互い様さ」
「ええ、確かに聞きました。嘘じゃない、とも思います。でもそれは噓じゃないだけだ……そうでしょう?」
そうだ。
優しさ。それも本当の理由なんだろうけれど……俺はその裏にもうひとつ、真実が隠れているのだと直感している。
そして……夫妻に子育ての経験があることや、誰も使っていなかったあの子供部屋が、それを示す鍵であることも。
沈黙は、探偵に追い詰められた真犯人の葛藤を思わせた。
つまり……。
「―――そうだね。白状するよ」
穏やかに。
沈黙を破り、朽無さんは真実を答えてくれた。
「君たちが使っている部屋を見れば分かる通り……実は僕たちにも、君たちと同じ境遇の息子が居てね。神亡川の学院に行ってから、一度も帰って来たことがない」
「……」
『俺たちと同じ境遇』……つまり異能発現者か。
子供が居ることまでは予想していたが、そんな細部までは予想できなかった。
つまりこの夫妻は……『学院』に息子を奪われたも同然という境遇、だったのか。
心なしか、どこか寂し気に。
ここではない遠くを見つめながら灰色の医者は続ける。
「だから、あのときの感情は本当に複雑でねぇ。
息子が帰ってきたような錯覚があった。息子が帰ってこない寂寥があった。この国の制度への反感があった。痛ましい姿への同情があった。そして何より、医者としての
妻も同じ気持ちだったんだろう……そうやって僕たちは、君たちを救ってみせる、とその場で即決した訳さ」
―――それを聞いて、俺もようやく納得がいった。
いくらお人好しとはいえ……何の理由もなしに拾うには、俺たちはリスクが高すぎる。
それは国防三校、ひいては国家権力へ反目するのと同義だからだ。
だが……
国が子供を戦わせるシステムに不満があれば、それらに一矢報いるという意味でも俺たちを匿うのは、有り得なくはないのかもしれない。
いや……この夫妻は、実際にその道を選んだのだ。
「後悔なんて一度もない。むしろ感謝しているくらいだよ。最近の食卓は二人のときより賑やかで、妻も僕も格段に笑顔が増えたと思う。
だから……治療の報酬というなら、僕たちは既に充分なくらい貰っているんだよ、エイトくん」
そう言って、朽無さんは笑った。
本当に嬉しそうな笑顔で、けれど僅かに寂しさの気配を滲ませて。
マグカップに口をつける。
―――それは、不安にさすまいとあえて語らなかった数時間前の出来事。
夕飯前。
エイトくんたちが下りてくる少し前に、その来客はやって来た。
「すみません―――」
カラン、とドアベルが鳴った。
「はい、今行きまーす」
いつも通り、妻と揃って応対に出たのを憶えている。
けれど
「……おや。『警察』の方が、
できるだけ平常を装って、僕はそう来客に尋ねた。
来客はなんと警察官だった。
当然どこも怪我なんてしていない健康体、というか仕事中。
僕からすれば若い……30代ほどの彼は、いかにも真面目な声で帽子を正して。
「はい、実はこの辺りに危険人物が潜伏している可能性がありまして。失礼ですが、こんな少女を見ませんでしたか?」
そうやって僕らへと突き出されたのは……一枚の写真。
彼の言う『危険人物』が写し出されたその写真を見せられたことで、僕はより強く、普段通りの声を意識しなければならなくなった。
「……ええと。この子、名前は?」
「はい、確か『
警官がじっと僕を、そして妻を見据える。
疑っている、というんじゃない。まだ疑ってはいないけれど、職務として僕たちの反応を……不審な点を見逃すまいとする観察の視線だ。
真剣な目は鈍色の刃のようで、素人の嘘なんて容易く切り伏せて真実を見抜くのだろうと分かる。
それを前に……僕はむしろ晴れやかに笑って、首を横に振った。
「―――いいえ。残念ながら、そんな子は知りませんね。見たことも聞いたこともない」
嘘を見抜かれる恐れなんてない。
というか、返答に嘘はない、と断言できる。
だって、僕が知っているのは『漆門寺
控えめで、可愛らしい、危険な要素なんて微塵もない女の子。
だから……彼らが探している『漆門寺ナナ』なんて危険人物は、知らない。
そう堂々と言えば、警官は「そうですか」とほんの少しだけ残念そうに頷いてくれた。どうやらその観察眼は、僕の屁理屈の奥にある真実までは見抜けなかったらしい。
「では、奥さんはどうでしょう?」
「いいえ、私も見覚えは……こんなに分かり易い見た目なら憶えていると思います。まだボケも来ていませんし、ねぇ?」
そして、妻は僕より面の皮が厚かったりするのである。
とはいえ……
その為に、とぼけて逆に質問してみることにした。
「しかし、こんな真っ白で……これ、モノクロの写真なんですか?」
「え? いえ、カラー写真のハズですが……そうだ、この手の超人は瘴気の影響で髪が変色したりするそうです。もしかしたら今は多少容貌が変化しているかもしれません」
「そう言われましても、もしそうならお手上げですよ。髪の色が黒や茶色だったなら、そんな女の子は珍しくないですしねぇ。この眼帯も、何か傷を隠しているのですか? それとも、ただ写真を撮ったときに
「それは……本官には分かりかねます」
「そうですか……」
「すみません……お時間を取らせました。ご協力、ありがとうございました」
ここに来るまで何も成果がなかったのだろう。
やや疲れた顔で、警官は思っていたよりも早く写真を仕舞って引き下がった。
収穫がないのに慣れてしまった切り上げの早さ、なんだろうけれど……僕等にとってはありがたい。真面目に職務をこなしている彼には悪いけれどもね。
ともかく、これにて聞き込み調査は終わり。
うん、どうやらナナコちゃんたちのことを隠し通せたようだ。
我ながら自然な演技だった、と内心ちょっと満足しながら、次の家へと向かう警官を見送る……。
「……あれ」
不意に、野外に出てこちらを振り向いた警官が声を上げた。
彼は見送りとして外まで付き添っていた僕に、指で医院の二階を―――正確には、その一室の窓を示す。
「すみません。あの部屋、さっきまで電気がついていませんでしたか? それに、奥様も今一階にいらっしゃいますよね? というか、お二人が表に出てくるときも一階からだった」
警官が指したその窓は―――ああ、やはり、エイトくんとナナ子ちゃんが使っている部屋の窓だった。
普段は点けている電気がどうしてか消えているのが、カーテン越しにでも日が暮れた薄闇でハッキリと分かる。
……まずい。
きっとこの警官は来るときに見たんだろう、あの部屋に電気がついていることを。
そして僕らがずっと一階にいたのに、去るときになって部屋の電気が消えていたということは……うん、こんなの答えはひとつしかない。
警官は先程までとは違う、明らかに猜疑を含んだ低い声で、ぼろを出した僕を問い詰めてくる。
「……近隣の住民に聞いた話では、この朽無医院は夫婦二人だけで経営しているとか。失礼ですが、今のは? この扉に『閉業中』とかけてある以上、患者さんとも思えませんが……?」
……一瞬だけ、迷う。
ここまでは『嘘は吐いていない』という自信があったから、警官からの質問にも迷わず答えられた。
けれど、今回ばかりはそうはいかない。
この答えは嘘になる。
誤魔化しのきかない故意に堕ちる。
そして下手な嘘を吐けば、警官の観察眼や警察の捜査能力によって、それが嘘であると暴かれてしまうだろう。
怪しまれてはいけない。
堂々と、何でもないように答えなければ。
考える時間もない。
だから僕は、そのとき頭に浮かんだ
「―――別に、何もおかしなことはありません。
そう、胸を張って言い切った。
僕自身、本当にそうであって欲しかったからこそ……言い切ることが、できた。
本当にそうであったのなら……もし、あの日帰って来たのが息子なら。
あるいは、エイトくんとナナコちゃんが本当の子供なら。
どれだけ嬉しかっただろう、と―――そう、大人げなくも
そうやって堂々と言い切ったのがよかったのだろう。
警官は「そうでしたか。一応息子さんにも心当たりを聞いておいてください」とだけ言って、次の家へと去っていった。
それが、見事に警官を騙し通した数時間前の話。
あるいは……この時は気付くこともできなかった、大きな
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