【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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感想に返信できず申し訳ない。今は何言ってもネタバレになりそうで……当然、全部読んでおりますしモチベーションを貰っております。どうぞ、今後もお気軽にご一筆頂ければ幸いです。


<6> 7日目

 ザアザアと。

 ブラウン管に砂嵐が張り付くように、延々と風が吹いている。

 

 俺は、黒い嵐だった。

 怪物が唸るような音を立てて、(おれ)は手の届く全てに噛み付いている。

 影の巨人。獣と病と死霊の群れ。(たと)えられる(すべ)てを引き連れた、夜を千々に裂く嵐という魔物(ワイルドハント)

 

 それでも……嵐は俺の体内(なか)で完結していて。周囲は愚か、俺という殻にすら傷ひとつ付けられていない。

 がたがたと窓枠を揺らすだけの/

  がりがりと鉄檻に爪を立てる犬のようだ。

 その様では、こちらから鍵を開けない限り、決して出てくることは出来ないだろう。

 ―――もうここに、俺が見るべきモノはない。

 今日も変わらずそう断じ、俺は黒い嵐に蓋をする。

 

 そんな、ありきたりで平凡な目覚めの刹那。

 藻掻くような嵐の咆哮(こえ)に、俺は訳もなく不吉を感じて―――。

 

 

 

 

 

 

 その日は、朝からあいにくの曇天だった。

 絵の具を何重にも塗りたくったような重い雲が、完全に街を覆っている。

 今にも降り出しそうな曇り空。

 風も晴れの日より勢いが強くて、窓枠がカタカタと音を立てる様子が、寒さに震えているようにも見える。

 

「……おも」

 

 目覚めて早々、呻く。

 布団を捲れば、そこには俺の胸の上で寝息を立てる真っ白な少女の姿があった。

 

「またか……」

 

 すぅ、すぅ。

 気持ちよさそうに頬擦りしてくる寝顔は、雲の上で眠る夢でも見ているかのようだ。

 まあそれは良いことなんだが……ちょっとは俺の気持ちを考えて欲しいというか。寝心地がいいベッドを譲ってるのに、毎晩のように床に敷いた布団に潜りこまれると、なんだか損をしている気分になるといいますか。

 

「おいナナ子、起きろー」

 

 ゆさゆさと白い体を揺する。

 太陽の光が分厚い雲で遮られているから分かりづらいが、いつもならとっくに起きている時間だ。

 俺もナナ子も寝すぎたらしい。

 

「ん、う……」

「起きたか。もう八時半だ、寝坊だぞ俺たち」

 

 そうナナ子へ伝えるも……彼女は瞼を閉じたまま、俺の胸板に顔を沈めた。

 

「もう、ちょっと……」

「バカ、今日は歓迎会をやってくれるって日だぞ。料理の予定もあるってのに……」

 

 肩を軽く揺するも効果はない。

 どうやらナナ子はまだ眠いようだ。

 

 起こすかどうか、少し悩む。

 今日は今までと違って予定がある。

 とはいえ、それも丸一日かかる、というレベルでもないし……。

 

「……ま、少しくらいならいいか」

 

 結局、俺は全身から力を抜いた。

 無理矢理起こしても可哀想だし、ここはナナ子が自発的に起きるのを待つか。

 なに、王子様にしか起こせない眠り姫というわけでもなし。

 お姫様のちょっとした我儘くらい許すのが、デキる騎士(ナイト)というものだろう。

 

 

 とまあ、そのようにして七日目の朝は始まった。

 いつもより随分と気の抜けた立ち上がり。

 結局、俺たちが揃って布団から出たのは、それから三十分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ばしゃん、と冷たい水で顔を洗い。

 しゃかしゃかと二人並んで歯を磨く。

 

 曇天のせいか寝過ぎたせいか、なんだか今日は頭が重い。

 いつもは窓の外から登校する小学生の声など聴こえるものだが、それもない。

 やはり起きるのが遅かったようだ。

 洗面台前での寝起きのルーティンを終え居間へ。

 居間には朽無(くちなし)夫妻がまだ残っていた。

 

「おはようございます……」

「おはよう、二人とも。おや、昨日はあんまり寝付けなかったのかい? ゲームが楽しかったのかな……ああ、もしかしてパーティーが楽しみで眠れなかったとか?」

「いや、そんなガキじゃないですよ俺。ナナ子はどうか分かりませんが……俺のほうは、単に、陽が出てないから朝が来たのに気付けなかったってだけです」

「……うん。わたしも、そう、です」

「ええ、今日はあいにくの曇り空ですものね。それになんだか、いつもより街が静かだわ。ホラ、最近はよく、朝から工事してる音が近所から聴こえていたでしょう? あれも今日は聴こえないし。ねえあなた?」

「確かにそうだね。工事が終わってしまったのかな? あの、かーんかーんと鉄を打つ音は楽器みたいで好きなんだけどねぇ」

「それ。わたしも、好き、です」

「……俺は意識したこと無かったけど。単に騒音って言うんじゃないですか? それ」

「いやぁ、全然違うよエイトくん。あれは人間の営みの音さ。僕は素敵だと思うね……それに、音もちょっと楽器みたいだし」

 

 すっかり慣れた朝の団欒。

 既に朝食を済ませていた夫妻に見守られながら食卓に着き朝食を摂る。

 俺もナナ子も食事中は喋らないタイプだが……今日に限って、ナナ子は喋るのを我慢できないようだった。

 

「きょう。きょうは、パーティー、ですね」

「はは、そうだねぇ。今のところは夕飯時を予定しているんだけど、どうかな?」

「はい。たのしみ、ですっ」

 

 ……本当に珍しいな、ナナ子がこんなに楽しそうなのは。

 

 まあ、ナナ子の事だから、パーティーなんて初めてなんだろう。

 それについて俺が身勝手に憤ることはもうない。

 ただ、せめて今日は目一杯楽しい思い出にしてやろう、と決意するだけだ。

 

 食べ終わった食器を片付けながら、俺も会話に参加する。

 

「なら、食材は午前中に買っておいた方がいいですかね」

「あら。今日もエイトさんが買い出しに行くの?」

「……そうですね。出来るなら、そこまでやらせて欲しいです。殆ど気持ちの問題ですが、どうでしょうか」

 

 俺とナナ子だけで食事を作る、という約束。

 それはせめてもの感謝の表明であり、負担の軽減であり、誠意の結晶でもある。

 ならば、今の俺にできる手間は全て負うべきだろう。

 そう考えを述べれば、夫妻も納得してくれた。

 

 

 というわけで、食後は外出することになった。

 要するに、またもや変装タイムというわけだ。

 義手で隻腕を誤魔化し、厚着することで不自然な点を隠し、眼帯とマフラーで最低限一般人に見えるようにする。

 

「かげみや。わたしも、行く」

 

 とお姫様は仰せだったが、流石に承服はできなかった。

 

「バカ。お尋ね者本人が外出てどーすんだ。おまえの白髪はイヤでも目立つんだ。今回ばかりは我慢しろ」

「……けち」

「はいはい、ケチで結構」

「でも、かげみや。そとでうわきしたら、だめ、だから」

「……あのなぁ。バカも休み休み言いなさいねオヒメサマ。ンなこと出来るワケないだろあらゆる意味で」

 

 ()()()()()な中学生をあしらって、俺は医院の勝手口へ。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

 行ってらっしゃい、と優しい夫妻に見送られ。

 裏口からコッソリと医院から出て、塀を乗り越え向かいの道路へ。

 誰にも見られないように一連を済ませ、何食わぬ顔でアスファルトの歩道を歩き始める。

 

(人に見られてたら言い逃れできない奇行だが……大丈夫そうだな)

 

 周囲に人の気配なし。

 通勤の時間帯を過ぎた午前中ということもあり、車通りも皆無だった。

 

 第一段階はクリア、というやつか。

 医院で過ごすのは慣れてきたが、外出は未だに緊張する。

 安堵の溜息を溢し、改めて人通りのない街を往く。

 散歩中と思われる老人、営業なのか速足で道を急ぐサラリーマン、そして謎のゴスロリ女……この前はそこそこの人間とすれ違ったが、今日はまだ誰の姿も見ていない。

 

(ま、今にも降り出しそうな空模様なんだ。普通は外出したがらないモンかもな)

 

 内心呟き、歩きながら空を見上げる。

 約三日ぶりの外出だが、生憎と気持ちのいい天気ではない。

 

 頭上をすっぽりと覆う、鉄めいて重苦しい鈍色(にびいろ)の天蓋。

 いつにも増して厳しい冬の寒さと、普段より少し強い風の音。

 風の音。

 びゅうびゅうと吹き付ける風音が妙に耳に残って、俺は思わず顔を顰めた。

 

(……寝覚めが悪かったからかな)

 

 (からだ)を叩く冬の風は、啜り泣く幽霊が襟や袖にしがみついてくるようで。

 その冷たい慟哭(こえ)も、渇いた感触も、今日に限ってひどく煩わしい。

 普段ならこうも風の音が気になるなんてありえないのに……これも、やはり()()()のせいだろうか。

 

 ―――瞼を閉じると見える気がする、例の『黒い嵐』の夢。

 朽無医院に来てから毎晩見ている謎の光景(ゆめ)は、何の猟奇性もないにも関わらず、海馬に直接へばりついたみたいに俺の頭を重くしている。

 悪夢、と言ってもいいかもしれない。

 延々と続く風の音、風の音、風の音。

 獣の唸るような幻聴を毎晩聞いているせいか、現実の風音にすら過敏になってしまっているみたいだ、俺。

 そもそも、俺にはあんな嵐を夢に見る心当たりすら無いんだけど―――。

 

「あのヘンな夢も、今日くらいは見たくなかったなぁ。楽しみに水を差された気分だ……つったって、たかが夢程度で歓迎会が潰れる訳でもないけど」

 

 ぼやき、風によれたマフラーを正す。

 周囲に人は居ないが念の為だ。首元を見られるのは避けたい。

 

「さて。恩返しの一環として、できるだけ安く具材を買いたいが……いや、安物をご馳走する方が失礼か? つったって俺の財布じゃないしなぁ……」

 

 俺とナナ子が作るメニューは、相談の末シチューに決まった。

 そう難しくないし、季節にも合っているし、万人受けもするだろうという考えだ。

 朽無家の冷蔵庫になかった、買う必要のある材料を脳内で指折り数える。

 ……うん。今はとにかく、この前見つけたスーパーに行ってみよう。

 

 目的地は定まった。

 途中で交差点に差し掛かり、赤信号で立ち止まる。

 車が来る気配はないが、俺のほうも急ぎではないし、見咎められるのは避けたいので律儀に信号を守る。

 とはいえこう車通りがないと、ちょっと損をした気分にもなるが。

 

「……」

 

 案山子のように突っ立って、ぼんやりと信号が変わるのを待つ。

 人気のない曇天の街。

 閑散と動きのない風景。

 ぱっ、と信号が青になる。

 白線が掠れた横断歩道を渡っていく。

 車も人も見当たらない。

 ああ、やっぱり、今日はやけに風音が耳障りだ―――。

 

 

「――――――あ、れ?」

 

 

 何か。

 世界がひっくり返るような悪寒がして、踏み出そうとした足が凍り付いた。

 

 ―――おかしい。

 

 交差点を渡り切った先で、殆ど忘我のまま頭を抱える。

 どくん、どくん。心臓の音がやけに大きい。

 おかしい。何かがおかしい、気がする。

 分からないが……何か恐ろしい真実(こたえ)が、俺の意識の薄皮一枚向こう側で囂々と黒くうねっている。

 

「……ちょっと、待て……」

 

 そうだ、思えば今日は、最初から何かがおかしかった。

 何がおかしいって、こんなに風音が気になるのがおかしかった。

 

 昔、誰かが言っていた言葉を思い出す。

 幽霊なんかが気になるのは、そこに生者が居ないから。

 より存在感の強いモノが消えて、初めて影の薄いモノはおのが存在を主張できる。

 だから、風の音なんてものが気になるのは……。

 

 ―――単純に、街が静かすぎる、から。

 

「……馬鹿、な。いつから、だ?」

 

 この期に及んでなんて愚問。

 弛んでいるにも程がある。

 いつからだと言うなら、今日は最初からそうだっただろう?

 

 ああ、違和感が確信に変わる。

 延髄から背骨までを引っこ抜かれて、代わりに氷柱をブチ込まれた感覚。

 

 今になってようやく気付いたけれど。

 俺は今日。

 街に出てから一度たりとも、生活(ひと)(こえ)を聞いていない―――?

 

「―――は、」

 

 そのことに気付いたとき、ざあっと音を立てて血の気が引いた。

 地面が奈落に変じた錯覚。

 きっと全部の血液を零して歩道(アスファルト)にぶちまけたんだ。そうに違いない。じゃないと、足に力が入らなくなって、よたよたとその場でよろけたりはしない。

 

 がしゃん、と藁を掴むように近くの(かべ)に縋りつく。

 公園を囲むネットフェンス。

 針金が擦れるカン高い音は、喉が干上がるくらいに、あるいは心臓を握り潰されるくらいに五月蠅かった。

 

 けれど、それに反応する者は居ない。

 柵の向こうの公園にも、反対側の道路にも、何一つとして動くものはない。

 ここは既に静寂の街。

 見咎める人も、怪しむ視線も……無視して通り過ぎる気配さえ、無い。

 

 

 だから、その静寂で。

 とっくに全ては終わっていたのだと、どうしようもなく理解してしまった。 

 

 

「っ、ナナ子―――!」

 

 弾かれたように来た道を引き返す。

 人目に付くかなど思慮の外。

 というか考える必要すらない。

 だって―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!

 

 だんッ、とひと蹴りで五メートル以上を飛び越える。

 瘴気による身体強化を全開にしての、半ば跳躍めいた疾走。

 全身が軋む程の全速力、車などゆうに追い越す速度も、今は遅すぎて眩暈がする。

 

「頼む、頼むから間に合ってくれ……!」

 

 そうして来た道を引き返す最中。

 耳元で唸る風音に、黒い咆哮(こえ)が混ざった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラン、とドアベルが鳴った。

 

「すいませーん」

 

 医院に響く、うら若き女性の声。

 本日一人目の患者さんだ。

 夫妻は「はーい」と返事をして玄関まで。

 何も変わらないいつもの日常(しごと)

 ぱたぱたと玄関に駆け寄りながら、医者・朽無メイスケは患者を迎える。

 

「本日はどうされましたか―――」

 

 そんないつもの問いかけは……けれど今日に限っては中断された。

 

 医院を訪れたのは、一般にギャルと呼ばれるだろう格好の少女。

 露出の多い派手な格好も、目が覚めるような金髪も、この街では見慣れないものだ。

 というか彼女が着る制服は近くの高校のものではない。

 だから見覚えがあってはおかしい。

 

 だが……朽無メイスケは、その顔に記憶の面影を感じた。

 全ての始まり、十年前の『東凶大瘴災』。

 日本中から医者が収集された大病院での、それこそ戦争みたいな連日医療。

 そんな、朝から晩まで大手術の連続だった日々の中で、医者は重傷の幼子を救ったことがある。

 小児外科が足りない中、成功すれば奇跡とまで言われた手術。それを「このままではどの道死ぬ」と無理を言って敢行し、結果的に1%に満たなかっただろう可能性を掴んだ奇跡の記憶。

 

 そんな記憶が医者の脳内で鮮やかに(よみがえ)る。

 確か、あのときの子供の名前は―――。

 

「……キミ。キミは、ライカちゃんかい……?」

「―――うわ。一度診た患者は忘れないってマジだったんだねドクター。でも、アレから十年経ってんですケド? いったいどうやって見分けたワケ?」

 

 その懐かしい生意気さに、メイスケは思わず口元を綻ばせる。

 昔の患者と再会することは、医者(カレ)にとっては嬉しい出来事だ。それも、あんな大手術から生還した患者がこうも元気そうだと、思わず握手のひとつでもしたくなる。

 だから彼は、笑いながら大きくなった患者に駆け寄ろうとして。

 

「……あれ。ちょっと、待った」

 

 歩み寄ろうとした足が止まる。

 再開の喜びに水を差す疑念。

 本来は容体を見抜く為の観察眼が、少女の胸元に燦然と輝く五つの星を視認する。

 

 ―――もし、彼女がかつての患者・白杭ライカだとして。

 どうして彼女は、こんな辺鄙な街の個人医院に訪れたのか。

 そもそも白杭ライカという患者には、何か忘れてはならない捕捉がなかったか―――。

 

「……ちょっと、待ってくれ。キミは、確か―――!」

 

 その口が来訪者の正体を明かす、その瞬間。

 

「ハイ、お口チャック」

 

 ぴたり。

 本当に瞬きの間に、メイスケの口元には、ネイルで飾られた人指し指が押し付けられていた。

 しーっ、と子供に言い含めるような声。

 それだけの行為で医者が言葉を奪われたのは……こちらを睨む少女の双眸が、雷光迸る殺気に溢れていたからだ。

 

「う、あ―――」

 

 露わになる、生物としての圧倒的性能差。

 原始の恐怖は一瞬にして医者から理知の全てを奪った。

 

 がたん、と彼の頭の後ろから音。

 殺気に当てられたか、それとも超速に驚いたか、ともかく妻がよろけたのだ……彼がそう察したときには、既に対策は為されていた。

 

「―――フウウ」

「……はいはい……動くと死ぬわよ、見知らぬおばさま……」

 

 こちらもいつから居たのか。

 医院の中に現れた黒いゴスロリ服の少女が、女医の喉元に日傘の先端を押し付けていた。

 銃口を突き付けるのと同じ即死の脅し。

 完全に沈黙した医院の中、脅す側の少女たちだけが教室に居るように気楽に喋る。

 

「ま、別に叫んでもらってもいいんだけどね。コレ、ウチがただちょっと話したかったってだけだから。

 もうここら一帯には誰もいねーし、ウチらはいつ始めてもいいんだし、アンタ誰が巻き込まれんのは自業自得だろうし? どーせ脅されたとかでもなく、善意で匿ってたんでしょ? ホント、親子揃って変人つーか」

「……何時間もかけて周辺一帯を避難させたのはフゥなんだけど……フゥ、他人の手柄を横取りする人嫌い……」

「別に横取りなんかしてない、被害妄想ウザすぎ。ま、アンタの風に声乗せる技、民間人をコッソリ逃がすときだけは便利よね」

 

 ぱ、とメイスケの口元から指が離れる。

 まだ二階にはナナコが居る。

 恐らくこの少女らはエイトくんが言っていた『追手』だ。

 狙われているのは恐らくナナコ。

 もし今叫べば、二階の彼女に危険を知らせられるかもしれない。

 

 だが、医者は叫べなかった。

 何故なら彼の脳内を支配したのは、恐怖でも焦燥でもない『疑問』だったから。

 あるいは、それは一瞬で変化した状況に対応しきれないが故の現実逃避だったのかもしれない。

 ともかく、彼は喘ぐように。

 

「ど、どうしてここが……」

 

 そう訊ねた。

 何故ここにナナコたちが居るのが分かったのか、と。

 

 対し、回答は簡潔だった。

 

「別に、単に消去法。()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 言っている意味が、分からない。

 自分たちは何か失敗してしまったのか、と灰色の医者の瞳が揺らぐ。

 

 それを。

 眼前で見咎めた少女は、チッと舌打ちして真相を明かす。

 

「ったく、モーロクしたかよドクター。

 『()()()()()()()()()』、だぁ? 下手なウソならつかない方がずっとマシだっての」

「…………!」

「まー報告上げて来た警官もその場では言いくるめられたっぽいけどさ。後から調べれば一発っつーか、異能者が学院を出入りしたら記録が残ることくらい想像つくっしょフツー。そもそも……」

 

 そうだ、異能者の帰省は記録に残る。

 だが、これはそれ以前の問題だ、と胸倉を掴んで彼女は吼える。

 何故なら。

 

「そもそも、よりにもよってアンタの息子が―――『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、国防をほっぽり出して帰省するワケねーのにさ!」

「――――――!!」

()()()がしきょーちゃんを侮辱してんじゃねーっての、マジムカつく」

 

 ばっ、と掴んだ胸倉が離される。

 そのまま、どさり、とメイスケは床に崩れ落ちた。

 己の愚行、その後悔。

 非情な現実の手触りが、彼の体から全ての気力を奪っていく。

 失意の中で考えるのは、もう顔すら分からない息子のこと。

 

(キョウメイ―――)

 

 十年前。

 東凶大瘴災が起こったのと同じ年に、息子は異能者になった。

 自分たちと同じ医者になると誇らしげに言ってくれたあの子は、あの“医療戦争”で……医学生や学生ボランティアも構わず動員された病院で患者の治療中に瘴気を吸い込み、医者としての道を断たれてしまった。

 異能者としての覚醒。学院への強制入学。連絡の絶たれた情報統制。

 息子にとってそれがよかったのかどうかは分からない。

 ただ……十年間一度も顔を見られていない現実は、ゆっくりとながら確実に、両親(おや)の心を圧迫していた。

 少なくとも朽無夫婦にとって、それは悲劇だったのだ。

 

 だが……悲劇はそれだけで終わらなかった。

 悲劇に歪んだ心が、それ以上の悲劇を齎してしまった。

 

(僕は、とんでもない、間違いを……っ)

 

 その父親は、顔を歪め自問自答する。

 

『息子が帰って来ている。それだけですよ』

 

 ああ。

 あのとき、何故自分はあんな言い方をしてしまったのか。

 ―――決まっている。

 彼等に息子の姿を重ね、そうであってほしいと夢を見たからだ。

 本当は自分達と同じ……息子にとっても異能の覚醒は不幸であり、平和な日常に戻ってくる事が彼の望みだと信じたかったからだ。

 たとえ十年の断絶が、何よりも真実を暗示しているとしても。

 

 本物の息子(キョウメイ)と、ふたりの子供(エイトとナナコ)

 どちらにも不義理たる同一視の代償こそ、この欺瞞(うそ)の発覚であった。

 

「すまない。僕、は…………」

 

 床に座り込んだまま動けなくなった父親。

 その姿に己を見て、同じように過ちを悟ってしまった母親。

 

 もはや叫ぶ力も失った初老の夫婦。

 その姿に何を思ったか、日傘を構えていた黒槌フウウがライカを見やる。

 

「……ねえ、ライカちゃん……」

「待てバカフウウ。この人たちはほっといていい」

「……?……」

「この人達、『人を救うこと』しか出来ないから。腐ってもしきょーちゃんの両親(おや)っつーか、人を殴ったり足引っ張ったりは逆立ちしてもできねーってワケ。だから無視でおけ、殺す意味マジでない。

 まあ、この後のことに巻き込まれたら―――そん時も自業自得だから無視でいい」

 

 それより、とライカの視線が厳しいまま相棒の方を向く。

 

「つーかフウウ。アンタは来なくていいって言ったよね、ウチ」

 

 襲い来る、半ば威嚇のような剣呑な言葉。

 それを、フウウは気だるげに首を(かたむ)けるだけで受け流した。

 

「……二人組が任務の条件……漆門寺ナナと敵対するならそれくらいは当然……そういう命令なんだから、仕方ないでしょう……? ……はぁ、ほんと嫌になるわ……ライカちゃんだけなら周りの人を逃がすこともできなかったくせにそんな偉そうなんて、フゥ信じらんないな……」

「はっ、ウチだけならンなコトする必要もないっての。瞬殺よ瞬殺」

 

 受け流すどころか反撃してきたフウウに対し、即座に悪態(クロスカウンター)を叩き込むライカ。

 こんな時でもいつも通り、二人の空気が険悪になりかけ……ふと、フウウの方が眉間の皺を解いて、何でもないように()()を言った。

 

「……それより、そうじゃなくて……その、二階の窓から標的が逃げたけれど、追わなくていいのね……?」

「―――バッ、良いワケねーだろバカフウウッ! そういうのはもっと早く言えし!」

 

 医院に響き渡る怒りの雷鳴。

 されどまるで堪えた様子なく、フウウはいつも通りの調子で反論する。

 

「……言おうとしたわよ、ちゃんと……『ねえライカちゃん』って……それを遮ったのはライカちゃん自身だよね……」

「~ッ、ああもう、悪かったわね早とちりして! いいから場所教えろ、あと足止めもしとけバカ!」

 

 これ以上は時間の無駄だ。

 叫ぶだけ叫んで、ライカは医院の扉へと急ぐ。

 

 そんな背へ追い縋るように、弱弱しい声が投げかけられた。

 

「……ライカちゃん。君は、」

 

 失意の中にありながら、何かを告げようとする医者。

 だが。

 決して迷わないその少女は、恩人の最後の抵抗(ことば)を、振り向きすらせず切り捨てた。

 

「―――状況が変わった、我儘(ハナシ)は終わり。じゃーねドクター。1%の奇跡の恩は、今日見逃したのでチャラだから」

 

 そうして、かつて医者の起こした奇跡によって命を拾った少女は。 

 せめてもの礼儀を迅速に果たし、雷鳴と共に飛び去った。

 

 

 

 




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