【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
《神亡川異能育成学院 (かながわいのういくせいがくいん)》
神亡川県と旧都・東凶の県境に建設された、国防官育成を目的とした複合教育施設。訓練と研究の二本柱を掲げる災玉国防学園と違い戦闘訓練に重きを置いており、新興宗教『浄魔神教』を利用した『死をも恐れない兵士』を作り出すことで有名。軍部との関りも密接で、国防三校の中でも最も武闘派として知られる。
教師にも多くの異能者が所属しており、星五異能者の数は教師・生徒含めて5人。
歌う。
「……
揚々と唄う。口が覚えた曲を、覚えたままに謡う。
そうしながら、男は路地裏を歩いていた。
「
爆発音が遠くから聴こえる。巨大なものが倒壊する腹に響く振動が、逃げ惑う人々の悲鳴がうっすらと耳に届く。
そんな阿鼻叫喚の現場から離れながら、その金髪長身の男は軍歌じみた歌を唄い続ける。
「
災玉県は未だ瘴気渦巻く旧都と近い事もあり、それ程人気の無い場所は多数存在する。男が歩いているこの路地裏もそのひとつだ。それは偶然などではなく、男が計算してこの路地裏を『逃走経路』に選んだのだ。
そうしてその男はいつものように、誰にも見られることなく旧都の方向へと消えていく……。
筈だった。だが今日に限っては違った。
路地の狭い道を塞ぐように、男の前に黒髪の少年が現れた。学生服を纏った彼は、『初対面ではあるが顔は知っている』男に話しかける。
「白昼堂々政府施設を襲撃とは、恐れ知らずにも程があるだろ賞金首」
少年はスマートフォンの画面を男に向けている。そこにはニュース速報のライブ映像が流れていた……内容は『政府施設が爆発し多数の被害が出ている』というもの。
それを見て、男は余裕と共に言葉を返した。
「大義の為なら行動は惜しまない。それがいつか世界を変えるのだよ、少年」
それを聞き、黒髪の少年──影宮エイトはスマホを投げ捨て、黒い刀を生成し男に突き付けた。
「テロリスト、〈爆炎のユダ〉だな?」
「……そういう君は国防三校の狗か。その制服は災玉国防学園……む、星四ですらない異能者とは。蛮勇だな」
「あー、期待にお応えできず残念だが俺は足止め係でな。メインには星五の異能者が来てる。大人しく投降しろ」
瘴気の刃を突き付けられ、しかしユダは不敵に笑う。
「そう言われれば諦めるとでも?」
だが。
「……来てるのは
「!」
流石にその言葉を聞くと笑みは消えた。
「こう言えば分かるだろ。もう連絡も入れた。投降しなきゃ死ぬぞおまえ、なにせアイツは加減なんて知らないチート異能者だ」
一般的に、星五異能者の名前は異能者界隈で広く知れ渡っている。その中でも『漆門寺ナナ』の名前は別格だった。
表の世界、学園の生徒が不気味な彼女を恐れ『
裏の世界、賞金首たちが畏怖を込めて呼ぶ彼女の二つ名は『
その名は危険度星四級と設定された賞金首〈爆炎のユダ〉にとっても充分に『絶望』足りえる要素。
未だ裁かれぬ犯罪者はそれを理解し。
「成程、ならば──」
ユダは指を鳴らし、徒手のまま格闘技のように構える。その腕が纏うのは、火薬色をした禍々しい
「最速で君を殺し、離脱するまで!」
戦闘は始まった。
「ふッ──」
先手、〈爆炎のユダ〉。
彼は赤い瘴気を発する手を構えながらエイトに向かって突進する。それは歪な構えだった。通常、徒手の格闘技では『攻撃の為の構え』と『防御の為の構え』、二つの要素を取り入れた中間的な構えを取る。片手を体の前に出し敵の攻撃をいなせるようにしつつ、もう片方の手を腰辺りに保持し鋭い突きを出せるようにする、といったように。
だが突進するユダの腕はまるで抱擁の準備をするように広げられており、防御はおろか攻撃のことも考えていないように見える。更にその手は拳を握らず、逆に五指が大きく開かれており、相手を引っ掻くことを目的としているようにも見えた。
その不気味な構えの『意味』を知っているエイトは、迷わず持っていた影の刀『
「む」
眉間に迫る鋭い切っ先を、首を動かす最小限の動きで躱すユダ。その突進の速度は緩まず、エイトとの距離は縮まる一方。
あと一歩でユダの腕がエイトの体を間合いに捉える──その直前。
「〈
エイトの手の中で影が渦巻く。顕現するは刃渡りの短い4本の刃。指の隙間で挟んだ薄いナイフを、エイトはユダの脚に向けて全力で投擲する。
「『
『
鴉の羽根にも似た4本のナイフが、標的目掛けて飛翔する。
「ちぃ」
ユダは太腿や足の甲を貫かんと迫る刃を躱したものの、そのせいでエイトへ接近していた足が止まる。
「〈
その隙を逃さず、エイトは再び能力を起動した。右手を左手の肘に付け、そしてスライドさせるように引き抜く。影色の
そして、肘から引き抜いた右手に納まっていたのは。
「『
それは、黒い拳銃。エイトが作れる限界難度、トカレフTT-99という名の銃を再現した漆黒の銃が、瘴気の弾を装填する。
「銃!」
「ふっ──」
銃の狙いは、変わらずユダの足。
タンタンタン! と、路地裏に銃声が幾重にも響いた。
果たして……ざ、とユダは大きく背後に飛び、体勢を立て直す。その体は無傷だが、エイトとの距離は寧ろ最初よりも開いていた。
彼は何も掴めなかった腕を振りながら、ぼやくように言う。
「……接近戦を嫌がる素振りに、『手から離れる武器』しか使ってこない様子。成程、私の異能は筒抜けらしい」
「そりゃ自業自得ってもんだ。結構悪名高い賞金首だしな、アンタ」
『
「(〈爆炎のユダ〉、異能は炎属性のエネルギー系で『触れたものを爆発させる』力。 直接触られたら多分死ぬ、だが離れすぎると逃げられる……こんなヤツの足止めって、今日の仕事はクソ過ぎるなまったく!)」
「(闇属性の物質生成系、接近戦を挑むには飛び道具が厄介──だが姿を晒している以上、射程距離はそこまで広く無い筈。重火器を出さない所を見ると、作れるものは拳銃が限界か?)」
先程までの戦いは、接近戦を仕掛けたいユダとそうさせたくないエイトの攻防だった。ユダの異能なら触れた瞬間人を殺せる……それ故の奇妙な構え。
逆に事前に得た情報から『触れたものを爆発させる』手に触られたくないエイトは、持ちうる数少ない遠距離攻撃手段でユダを近づかせない。頭や胸ではなく足を狙ったのもそのためだ。当たれば機動力を削げ、躱そうと思えば下がらざるを得ない攻撃により、格下であるエイトはユダを下がらせることに成功したのだ。
「(考えろ、奴の次の手はなんだ? 動き的に瘴気による身体強化のレベルも俺より上。それは先の攻防で奴も分かった筈。となると再び接近戦か? それとも逃走か? よく見ろ俺、近付いて来る動きは勿論、銃とかの飛び道具を持ってる可能性も捨てるな)」
「(身体強化では私に分があっても、あの拳銃と投げナイフは厄介だ。足に貰えば、彼に勝てても漆門寺ナナから逃げられなくなる。この距離なら確実に避けられるが、近づくとなるとリスクも上がる。まだ隠し玉があるかもしれない……よし、あの手で行くか)」
そこまでをお互いに一瞬で思考し、先に動いたのはユダ。
彼は路地裏に落ちているものを素早く物色し、偶然近くにあったレンガブロックを掴む。
「(? なんだ?)」
エイトが警戒する前で、ユダはレンガを掴みながら言う。
「設定──『2秒』」
そしてそのままユダは、軽く放るようにレンガブロックをエイトの方へ投げた。ブロックは放物線を描いて宙を舞う。
「(俺を真剣に狙っても無い……ブラフか!?)」
エイトはブロックに奪われていた目線をユダに戻す。だが、彼が接近してくるような素振りは無い。
そのとき。エイトの視界の端は、此方に落ちてくるブロックに何かが付いているのを辛うじて捉えた。
『01』と浮かぶそれは……炎の、数字──?
「(まさか──ッ)」
瞬間。炎の数字が『01』から『00』となり。
爆炎が、閃光を伴って炸裂した。
衝撃波が路地の壁を叩き、熱風が周囲を呑む。
爆炎が収まった後には……黒焦げになった路地裏と、爆心地の中心で片膝を付く影宮エイトの姿が。
「ぐ、ぅ……っ!」
苦痛の声が食いしばった歯の隙間から漏れる。辛うじて造り出した幅広の西洋剣は、しかし爆風を防ぐ盾としては不十分で、守れたのは顔と体の中心だけ。頬から首にかけて、そして剣を構えた両腕は爆炎をもろに受け、大きな火傷が皮膚を爛れさせていた。焦げ臭いにおいが周囲に広がり、エイトの脳を激痛が刺す。
そんな彼の痛ましい姿を感情の読めない目で眺めながら、下手人であるユダは淡々とした口調で語る。
「私の異能は〈
「ゲホッ……自分から異能解説とか、余裕かよクソ野郎……ッ!」
「いいや? 知らないのか少年、異能は『
言いながら、ユダは再び周囲に落ちているものを拾う。今度は右手にビールの空き瓶、左手には割れた小さい植木鉢。
赤い
「設定、『2秒』」
瞬間、空き瓶と植木鉢の表面に、『02』と書かれた炎の文字が出現した。数字はまだ動いていないが、それが意味することをエイトは瞬間的に察する。
「(触れたものを、それがゴミだろうと人体だろうと『時限爆弾』にする異能──!)」
同時、ユダは『時限爆弾』となった空き瓶と植木鉢をエイトに向かって投擲した。
『02』
「(まずい、まだ体勢が──)」
片膝を地に付けたままのエイトに、爆弾を躱すことなど出来ない。
だがどうする。再び剣で防御する? 今度は2方向からの爆発を? ──否、不可能。
無理に立ち上がろうとするも、痛む体は起き上がらない──痛み?
『01』
手を伸ばしたのは、火傷した自分の腕。
──彼の異能〈
「(〈
この痛みなら多少の無茶は効く。問題は何を作るのか。
爆炎を防ぐ盾? 命にかかわらない火傷程度の傷で、
爆弾を弾き飛ばす棒? 片方は弾き飛ばせるかもしれないが、もう片方は間に合うか?
ならば相打ち狙いで強力な銃? 最悪はそれだが、まだ死にたくはない。
刹那の思考。瘴気が脳に干渉することで起こる高速思考と火事場の走馬灯が混ざった人生最高最速の判断力。
『00』
そして捉えた。爆発の直前、その数字を。
「(! これに賭ける──『
瞬間、2本の斬撃が闇色の軌跡を空に残し。
『 00 』
キィン、と猛禽の鳴き声にも似た音が響き。
炎の数字ごと、空き瓶と植木鉢の『時限爆弾』は真っ二つに両断された。
4つになった飛来物は、アスファルトにぶつかってガシャンと割れる。
爆発は、起きなかった。
「はっ、はっ……!」
刹那の攻防を命からがら乗り越え、荒く息を吐くエイトの右手に納まった刀、『
彼の狙いは『炎の数字』を斬ること。瓶と鉢に浮かび上がったそれを破壊すれば、異能によって与えられた『時限爆弾』としての機能が消失すると考えたのだ。
その考察は当たらずとも遠からず。ユダは不発弾と化したふたつの瓦礫を見ながら眉を少し上げる。
「やるな。私の異能で作った『爆弾』は、元の
危機を切り抜けたエイトだったが、状況は好転したとは言えない。ユダは無傷かつ余裕たっぷりで、しかも今のエイトの対応を観察していた。
「だが盾を作らなかったところを見ると、その異能は防御向きではないらしい。やはり星三、能力の底が浅いな」
「(クソ、
近づけば体を『時限爆弾』に変えられ即死。
距離を取っても周囲のものを『時限爆弾』に変えて手榴弾のように投げてくる。
「(よし、これは俺じゃ無理だ。隙を見て逃げよう。ナナ子には後で土下座すればいい)」
余りにも鬼畜な状況に、エイトは半泣きで逃走を決意した。だが己よりも強力な身体強化を持つユダ相手に無策で背を向けるのは躊躇われる。確かに足止めをしているのは自分だが、異能の解説までした相手を
ゆっくりと立ち上がり、『
「(アレは……500円玉?)」
ユダの指に挟まれた500円玉には、よく見れば既に炎の数字が刻まれていた。その数は『5512』で、数字の減少速度から見て単位は秒だろう。
「(成程、アレはどんな場所に落ちてても怪しまれにくい『時限爆弾』って訳か……確かにえげつないが、アレをどう使う気だ? 5000秒もあれば到着したナナ子がおまえを殺してるぞ)」
もしやここが逃げるチャンスか? と半歩後ろに下がったエイトの足は、しかし次の瞬間止まることとなる。
「さて。次の一撃は本気だ。
ユダがそう言った瞬間。『5506』だった数字が一気に『2』へ変化した。
「(野郎、まさか──!)」
「御想像通り。これは
瞬間、500円玉を超濃密な赤い瘴気が包む。『
もしもユダがあの『爆弾』から手を放せば、その2秒後に自分は死ぬ。それをエイトは直感してしまう。
『不発』の条件を晒したのは、次はそれをさせない自信があるから。実際、軽く硬い硬貨を斬るのは平時でも難易度が高いのに、今は手負いだ。次の爆発は止められない。
生命の危機に大量の汗を流すエイトに対し、ユダは依然余裕のまま500円玉を掲げる。
「ここまで丁寧に解説するという『
周囲50メートルを吹き飛ばす爆弾……ユダも無事では居られない気もするが、余裕の態度から恐らく何らかの回避手段があるのだろうとは察せられた。
「(自分には効かない系の異能か、それとも……いや、今は話に乗るしかない)」
震える体を抑えながら続きを促すと、ユダはうんうんと笑って頷き……そしてエイトに手を500円玉を持つのとは反対の手を伸ばしながら言った。
「少年。私の仲間にならないか?」
1秒、2秒。時間が止まる。
「──は?」
漸く言われた意味を理解したエイトの口からそんな声が漏れた。その呆気にとられた表情を前に、ユダは演説するように派手な身振り手振りで語りだす。
「私は反政府組織『夜明けの団』に所属している。団が掲げる目標は『異能者の解放』で、加入資格は本人が異能者であることただ1点。我々は憂いているのだよ。異能者が人権を剥奪され、少年兵として酷使されているこの国の現状を!」
びしり、とユダはエイトを、その自分を見る目を指でさす。
「君は暗い目をしている。虐げられている自覚を持つ者の目だ。本当は気付いているのではないか? 異能者の置かれた境遇の理不尽さと、団結すれば国をも転覆できる異能の可能性に」
その発言に、エイトの目は確かに揺れた。心当たりがあったからだ。
国を護るという重責に泣く少女。目の前で看取ったかつての友人。
そして、軍隊と真正面から戦争できそうな星五異能者を4人。彼らがその気になれば、おそらく国家転覆など容易いだろう。
「大義を受け入れ目を覚ませ少年! 奴隷のままでは、異能者に『明るい未来』など無いのだ!」
伸ばされたそれは、苦しむ同胞への救いの手だった。
『夜明けの団』。彼らは確かに、軽視されている異能者の権利を取り戻すために戦っているのだろう。そしてそれは、九瀬のような優しい心を持つ異能者にとっては救いなのかもしれない。
「……確かにそうかもな」
「ならば!」
だが。
「でも、俺はテロリストにはならねぇよ」
『夜明けの団』を筆頭とするテロリストたち。彼らは例え抱いた目的が正しくとも、そのための手段を致命的に間違えている。
──星四賞金首〈爆炎のユダ〉。少なくとも7件の現住建造物放火罪及び内乱罪・殺人罪・異能違法使用罪で指名手配中の大罪人。
そんな人間が作る未来で、
それに。
「もしかして人殺しに『明るい未来』があるとでも? 全く、これだから自分が少数派じゃないと気が済まない、自称革命家の陰謀論オタクくんたちはさあ。テメエらの未来はただ一択、仲間と纏めて絞首台だバーカ」
ああクソ、言いたくなって言っちまった。そうエイトが笑う前で、ユダの双眸が怒りに歪む。
「~ッ、ならば良し、あの世で我らの革命を見届けよ!」
『02』
爆弾と化した500円玉が投げられる。刃の届かない上空へ。
『01』
後悔はあった。それでもエイトは笑っていた。例え己が死ぬのだとしても、彼という悪人の末路は見えた気がしたから。
『00』
今度こそカウントダウンは0を刻み、爆炎が世界を包み込む──。
瞬間。それを遮る闇が現れ。
爆発。
轟音。
荒ぶる紅蓮が世界を揺らす。熱風が地を舐め、灼炎が街を呑む。
肉を焼く炎。骨を砕く風。命を奪う破壊の嵐が刹那に咲き誇り、そして枯れていく。
ユダの異能操作能力は高い。彼は時限爆弾を作るとき、時間をかけてイメージすることで『爆風が来ない場所』を設定することが出来る。故に爆心地の近くに居ながら、ユダ本人とその後方だけは炎に呑まれなかった。
そして爆発が収まる……と、1人無傷のユダは何かに気が付いた。
「……なんだ?」
エイトが居た場所、そこに何か巨大な影が佇んでいる。全景が三階建てのオフィスビルくらい巨大なことは分かるが、正体は煙でよく見えない。
「一体、何が……」
煙が晴れる。果たして、そこに在ったのは。
──門。
高さ5メートルはあろうかという、巨大で分厚い両開きの扉。骸骨、悪魔、死神、蛇や茨……ありったけの精巧な装飾を施された重厚な門がそこにはあった。
爆発を受けても歪みひとつない漆黒の門扉は、底冷えするような闇色の瘴気を纏っている。
そんな門の後ろから、先程自分を虚仮にした少年の声がした。
「ああ、俺は何があってもテロリストにはならないだろうよ……なにせ首に賞金掛かっちまったら、
エイトを爆発から守った堅牢な門の横に立つのは、真っ白な少女。
髪も目も唇も肌もそして制服も、全てが白一色の少女は、扉の後ろで尻もちを付いた少年にたどたどしい口調で話しかける。
「か、かげみや……ぶじ?」
「
「そう。よかっ、た」
ユダはその姿を伝聞で知っていた。
白く無垢なる処刑人。返り血ひとつ浴びず罪人を裁く、無敵の対
「
戦慄する。恐怖する。
勧誘の為とは言え時間をかけ過ぎた、そんな後悔すら出てこない。ただ畏怖だけがユダの思考を心を覆っていく。
「(なんだあの、禍々しい
少女から立ち昇る邪悪な瘴気を目の当たりにした瞬間、ユダの体は金縛りにあったように動かなくなっていた。
彼女が操る門と同色の
だが、否。動けないのは恐怖故ではない。
「(恐ろしい。怖い。死の予感に足は震え、呼吸さえまともに出来なくなっている。今すぐ此処から逃げ出したい。だというのに……何故私は、あの『門』から目を離せない……!?)」
門。巨大で重厚で不気味な門。異能によって生成された瘴気の塊。
だが何故だろう。目が離せない。惹かれてしまう。
あの向こう側に、自分だけじゃない、万人が心のどこかで求めていた『ナニカ』がある。そう確信してしまい、門に背を向けることが出来ない。寧ろ全力で抵抗して尚、その禍々しい扉の方へ歩いて行きたくて仕方がない。
そんなユダを尻目に、戦場に現れた少女はエイトに話しかける。
「かげみや。え、えっと、
コード。それは漆門寺ナナが使う異能に纏わる、門の鍵。
〈
漆門寺ナナのバックアップという業務の中には、感情の機微に疎い彼女が上手く『コード』を選べるように相手のことを調べるという作業も含まれている。
「ああ、プロファイルされてた人格の通りだろうぜ。有効なのは『異端』『暴力』『裏切り』だろ。逆に『愛欲』『貪欲』辺りは効かない可能性がある」
「かげみやは、どれがいいと、おもう?」
……そんぐらい自分で決めろよ、という言葉が出かけ、抑えて己の見解を説明する。
「……〈爆炎のユダ〉について調べた時、プロファイルと異能のデータはそこそこ詳しいくせに情報の出所は隠されてた。明らかに偽名っぽいユダって名前と、奴があの悪趣味な『校歌』を口ずさんでたとこから見ても、アイツが元
〈爆炎のユダ〉に纏わる噂話とは、彼が元『学院』の生徒でありながら反政府思想に傾倒しテロリストに身を堕としたというもの。
エイトは『図書室』で調べた情報を繋ぎ合わせ、その噂が真実であると確信していた。
「3年前、『学院』では教師が1人殺されてる。時期と300以上の炭化した破片しか残ってない死体から見て、下手人は生徒時代の
「わかった。ありが、とう」
エイトの報告を聞き、ナナは改めてターゲットに向き直った。
その体を覆う漆黒の瘴気が更に圧力を増す。
「〈
「(ッ! 来る!)」
明確にナナの纏う雰囲気が変わった。たどたどしい言葉で話す幼い子供から、超然とした空気を纏う処刑人へ。その様子は、寧ろ今までの態度こそが偽装……否、彼女の奥にあった『ナニカ』に人としての意志を圧迫された影響なのかもしれないと直感させた。
膨大な暗黒の
「第七門解錠。
漆門寺ナナは、自身の右目を覆っていた眼帯を外した。
秘された瞼の下、眼球があるべきソコに在ったのは──闇。
どれだけ目を凝らそうと何も見通せない奈落の黒、瘴気を放つ真っ暗な深淵が、眼前の相手を覗き込む。
「
是を過ぐれば永劫の悲嘆あり、
是を過ぐれば凍結の
紡がれる言葉に応えるように、漆黒の門は瘴気を放ち冥界の冷気を現世に送る。
これから起こることを薄々察していながら、門の前に立つ罪人は逃げられない。万人に与えられる平等な救いにして絶対の安寧──門の向こう側から感じる愛しき『死』の気配が、その前に立つ者を逃がさない。
「裏切りの罪は是の鍵となり、
砕かれた愛、是を
ごうん、と門が揺れた。
門を閉じていた七つの鎖、その錠前が次々に外れ、巨大な門扉が軋みながらもゆっくりと開いていく。
「主は手ずから葬送の曲を書き、
天使と悪魔は歓待に唄う。
汝、この門を
果たして、その先に在ったのは──。
ただ一つ確かなことは。
その門の前に立った者は、例外なく『地獄』を見るという事だけ。
そうして門の開き手は、此処に地獄の裁きの代行者となる。
「神罰執行──『
その言葉に従うように、扉から真紅の濁流が溢れ出た。
圧倒的な質量だった。地獄に住む罪人の血を全て抜き、集めたそれを思いきり流しているのではないかとさえ思ってしまう光景だった。
赤の津波は全てを呑み込む。路地裏を、街を、そして〈爆炎のユダ〉を。
嗚呼、地獄。
その光景こそ地獄であった。
血の池から流れ出た紅い濁流に触れた全てのモノは凍っていく。抗いようもなく凍結し、激痛を味わいながらも一歩として動けなくなる。
「漆門寺、ナナぁ……ッ!」
その血液に似た液体は冷たい訳では無かった。だというのに、それに触れたものは瞬時に凍り付いてしまう。生物なら更に神経を細い何千本もの針で刺されるような激痛を味わうだろう。
その証拠に、濁流に呑まれたユダの下半身は凍り付き、一歩も動けなくなった彼の下半身を痛みが貫く。
だが、地獄は終わらない。凍り付いた足が、濁流の勢いによって徐々に削り取られていくのだ。皮膚が破け血が滲み、凍った肉が徐々にすり減っていく。露出した血管と神経が凍り付き、また削り取られてゆく痛みは想像を絶するものだった。血達磨になる体、その様子を知れば、この赤い濁流がどうやって出来上がったものなのかを嫌でも察することが出来る。
濁流の水嵩は増し続け、既にユダの胸までを呑み込んでいた。最早彼に出来る抵抗は無く。ただ不幸中の幸いと言うべきか、その身を幾度も貫く痛みが彼の思考から恐怖を取り払っていた。
「貴様は、何故学園に与するッ! これ程の
苛烈な口調で放たれるユダの問いに、処刑人はただ一言。
「めいれい、だから」
「──浅慮、浅薄、思考放棄ィ! 機械か貴様ァ!!」
激昂しようとも、状況は何も変わらない。流体を『時限爆弾化』させられないユダの異能ではどうしようも出来ず、その腕が濁流に呑み込まれる。
「ぐ、この私が、意思、宿らぬ、力にィ……がああぁああッ」
凍る。皮膚が剥がれる。出血し神経を千本の針で刺すような痛み。その連鎖。
既にユダは肩までを濁流に呑み込まれ、余りの激痛に意識を半分失っていた。だが痛み故に完全な気絶は許されず、その口から嘆きのような苦痛の声がか細く漏れ続けている。
生きながらにして地獄の刑罰を味わう男の姿を前に、しかし少女は眉一つ動かさず。
その肩を慌ててエイトが抑える。
「おいナナ子、任務は『拘束』だぞ! 勢い余って殺すなよ!」
首上まで呑み込めば確実に死ぬ。そう思いナナを制止すれば……少女は案外あっけなく放水の勢いを抑えた。
「わ、かった。かげみやがいうなら、そう、する」
ぎぎ、と漆黒の門が閉ざされ、そのまま瘴気となって空気に溶ける。それだけで、道を覆っていた赤い液体も嘘のように掻き消えた。それに伴いナナの異質な気配も収まり、眼帯を戻した彼女は元の真っ白で俯きがちな少女に戻った。
決着にしては遅すぎた、とエイトは赤い濁流が通り過ぎた跡を見る。
「……ら、れ……い、うぅ……」
そこに居たのは、首から下の全身が凍り付き、ずたずたに削られ、それでも倒れることすら赦されず真っ赤な彫像と化した1人の人間。体の輪郭が数センチは細くなったのでは、と疑わざるを得ないその姿は、自らの血で真っ赤に染まっていた。赤の下から覗くあれは霜か、それとも骨か?
「(……相変わらず
その虚ろな目は上を向き、口ははくはくと無意味に動くばかり。正気を保つことも気絶することも出来ない最悪の苦痛を、彼は未だその全身で味わっているのだろう。その果てに抱くのは罪への後悔か自我の喪失か……少なくとも悲惨さだけは、その変わり果てた姿が雄弁に伝えていた。
「お、え……ぇん、がぁ、く……」
「……。ともかく、学園に連絡するか。当分正気には戻らないだろうし、動かしただけで死んじまいそうだ。……ていうか正気に戻んのか? これ」
エイトがブレザーの裏ポケットに手を入れ、スマホを探し……その手が止まる。
「げ、そういえば戦闘前にスマホを投げて……」
思い出すのは先ほどの大爆発。ナナが門を出してくれたおかげで自分の身は助かったが……路地裏
「かげ、みや?」
「クソ、買い直しかよ……まあ今はいい。ナナ子、スマホ貸してくれ。おまえどうせ報告苦手なの治ってないんだろ。俺が代わりにやってやるから──」
と、ギリギリ涙目にならなかったエイトの耳に、その韻律の付いた音が届く。
「ずれ、ぃるが……さだめ、なら……」
それはか細く今にも死にそうな男の声だったが、意味のない苦痛への喘ぎではなく。
「まさか、その状態でまだ──」
咄嗟に振り向けば、
「死、して、見さらせ 大和、魂ぃ……」
かつての母校の校歌を口ずさむその男が、自身の異能を発動する所だった。
「設、定。『1、秒』」
爆炎のユダの異能〈
液体を『総量』で判定してしまう彼の異能は、襲い来る血の池地獄を爆弾化することは出来なかった。周囲に転がっていた爆弾にできそうだった物質も赤い濁流に流されており、例え凍った体で動けたとしても反撃は不可能……なハズだった。
だが。彼の異能で爆弾化できる、最も大きな物体は未だ残っている。
それは──痛みによって正気を取り戻した瞬間に触れた、己の体。
ユダの凍り付いて血塗れの胸の表面、心臓の上に、『01』という炎の数字が出現した。
死を前にした血みどろの男は、霞む目でエイトらを睨む。
「忘れ、るな。どちらに大義が、あったか。いつか分かる、ときが来る」
「馬鹿、止めろ!」
エイトが異能によって投げナイフを構え。
それより早く、ユダは最後の力を振り絞り強引に手を動かした。
ばきり、と凍った腕が半ばから砕け──『手のひらから離れる』という条件を達成した爆弾が起動する。
『01』
「
『00』
慈悲なき爆弾が起爆。
テロリスト〈爆炎のユダ〉の体が破裂し、内側から爆炎が炸裂する。
「ぐぅ……っ」
咄嗟にナナを庇ったエイトは熱風に顔を覆う。だが此方に向かって来た被害はそのくらい。
熱風が止み、先程までユダが立っていた場所を見れば……そこには焦げ付いたアスファルトと、その上に広がる血だまりだけが残っていた。
「……馬鹿野郎。死んだら未来もクソもねぇだろうに」
〈爆炎のユダ〉は『夜明けの団』とやらの情報を吐きたくないが故に自決を選んだのだろう。
だが、とエイトは思う。『
単純に不可能だったのか、それとも彼は本気で異能者の未来を憂いて……いや、これ以上は考えても仕方ない。
ふぅ、と溜息を吐き気分を切り替える……と、腕の中から震えた声。
「しっぱい、した」
「おまえのせいじゃねぇよナナ子。アイツの覚悟が決まり過ぎてただけだ」
俯くナナを放し立ち上がらせる。しかし彼女はしょんぼりと肩を落としたまま。
「ほうしゅう。かげみや、に、わたせなく、なった」
「は?」
「ごめん、なさい」
真っ白な少女の顔に、悲しみの色が薄く差している気がして。
「はぁ……オマエ、そんなこと気にしてんのか?」
「だって、しっぱいしたら、きらわれる。おかねないの、みんな、いや。もう、たすけて、くれない。かげみや、も」
そんな彼女の様子を見て、純粋に同情する胆力はエイトには無かった。
やはり、不気味。犯罪者とはいえ地獄の苦痛を与え、そいつが目の前で死んだというのに、漆門寺ナナは『俺に報酬を渡せない』ことだけを憂いている。おおよそまともな感性ではない。人ならざる怪物が人の真似事をしているような、核兵器のスイッチを握る赤子のような、そんな背筋が凍るような不気味さが彼女にはある。
だが……俯く真っ白な少女が、程度は不明なれど確かに悲しんでいることも分かっていた。
「あのなナナ子。俺、おまえ居なかったらあの激ヤバ爆弾で死んでっから。命の恩人に報酬の催促出来るほど金に飢えちゃいねぇよ俺は。寧ろ、しばらく
恐る恐るながら、その肩をぽんぽんと叩いて励ます。
「……それに任務には失敗したが、賞金首に掛かってた報酬はそのままおまえの元に転がり込む筈だ。無報酬を気に病むんならそれをちょっと分けてくれればいい」
そう言うと、彼女の眼帯に覆われていない白い左目が見開かれ。
「よかった。これ、で、おかねわたせる。きらわれ、ない」
にへ、と漆門寺ナナは下手くそに笑った。普段から笑顔を作り慣れていないのか笑顔は歪んでいて、更に濁った左目は殆ど視力を失っているからか此方と目が合わず、やはりその顔は可憐というには不気味に過ぎる。人形のような端正な顔も、色が無いのなら宝の持ち腐れだ。
「(相変わらず何考えてるか分かんねぇなコイツ……)」
やはりこの少女は不気味で怖い。学園で彼女を見た者が軒並み逃げて行くのも分かる。誰だって何を考えてるか分からない猛獣からは距離を置きたいものだ。その牙が容易く自分の首を貫くなら猶更。
だが……。
「ぜんぶ、あげる、よ。だからかげみや、またいっしょに、きて?」
「……」
何を考えてるか分からない。不気味で怖い。だが、言ってしまえばそれだけだ。
コイツは悪人ではないし、自らの趣味嗜好の為に他人を
ただ、無垢なのだ。誰にも理解できないだけの、何も知らない子供なのだ。
少なくとも、影宮エイトはそう思っている。
「……賞金って100万近いだろ。流石に全部は要らん、スマホの買い替え代が賄えればそれでいい。代わりに今度はもっと簡単な任務を持って来い。俺はおまえと違って
「わかっ、た。えへ、へ」
だから、小さくて真っ白な手に自分の腕を掴まれても、エイトは何も言わなかった。
幼い死神の白く細い手は、しかし触れ合った肌に微かな体温を伝えていた。
【☆☆☆☆☆ 漆門寺ナナ】
▶異能
セブン・シンズ
〈地獄門〉
■性質:近接・物質生成? ■属性:闇
■ステータス
[基本六項目]
攻撃力 :★★★★★★
防御力 :★★★★☆
機動力 :★☆☆☆☆
操作性 :★☆☆☆☆
射程距離:★★★☆☆
効果持続:★★★☆☆
[特殊二項目]
特殊技能:★★★★★
身体強化:★☆☆☆☆
<総合異能ランク> ★★★★★
■概要
[検閲事項] における唯一の成功例。
巨大な門を生成し、相手の持つ罪に合わせた七種類の攻撃を繰り出す。門には人間に対する強烈な精神汚染効果があり、条件は不明だが門を見ただけで行動不能になる者も存在。罪人程精神汚染の影響が大きい傾向があり、逆に罪の無い者・魔塵には効果が薄い。
対魔塵よりも対人で真価を発揮する異能であり、反社会的異能者の処理に有用。