【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
脱出は二階からだった。
階下には既に何者かの気配。
隣家の屋根から跳躍し、できるだけ静かに窓を切り裂いて二階に侵入。一週間過ごした部屋に飛び込んで、半ば浚うようにナナ子を連れ出す。
斬った窓から外に飛び出して、向かいの屋根に着地して。
だん、だん、だん。
三軒を三秒ですっ飛ばし、道路に下りて走り出したところで、ようやく腕の中から声がした。
「かげみや……!? ど、どうした、の……?」
呆気にとられた様子のナナ子。
とはいえ今は時間が惜しい。
「話は後だ、とにかく逃げるぞ!」
暴れられるのを覚悟で叫ぶ。
だが……。
「……そ、っか。零時の鐘がなったんだ。まほうは終わり、なんだね」
以外にも、ナナ子の理解は早かった。
ただ、その声があんまりにも物悲しくて、俺は思わず声を荒げる。
「終わりなもんか、こっからだ! どうせあの家には長く居られなかった、迷惑を掛け続けるわけにはいかなかった! ここで終わってラッキーなんだ、こっからが本当の始まりなんだ! だから、今は、逃げ切ることだけ考えろ……!」
……ちくしょう、なんてことだ。
声は、自分でもどうかと思うくらい震えていた。
なんて無様。
こんなにも悲しい顔を前にして、慰めすら俺は満足にできない。中学生ひとり騙せない。
自分の惨めさに泣きたくなって、そんな
住宅地の道路を、車以上の速度で疾走する中。
何となく、腕の中で放たれた
そうだ、刻限は鳴り響いた。
幸福な魔法は剥がれ落ちた。
無様な
だってホラ、あんなに綺麗だった硝子の靴は、あの家に置き去りなんだから―――。
―――だから、俺たちはもう逃げきれない。
「ぐっ―――!?」
唐突に。
轟、と全身をぶっ叩かれた。
それは行く手を阻む突風の急襲。
体を吹っ飛ばすような強烈な向かい風に全身を叩かれて、走る速度が大きく鈍る。というかとても前に進めない、その場で踏ん張るのがせいぜいだ。
なにせこんな桁違いの強風、地面から足を離した瞬間に、木の葉のように浚われてしまう……!
突風は止まない。
寧ろどんどんと勢いを増して、俺とナナ子を吹き飛ばそうと吠えている。
(っ、なんだこの風は!? 雨も降ってないのに、まるで台風が来たみたいだ……! まさか、コレは―――)
異能、なのか……!?
そうに違いないと叫ぶ本能と、有り得るハズがないと喚く理性。
だってこんなのは
自然の猛威を、その強大さを、矮小な全身が嫌というほど感じている。
だというのにこれを操るなんて、そんなのは天変地異だ。神の御業だ。
台風を思わせる強風さえ思いのままに起こせる、なんて、そんなのはテンカ姉なみの現実干渉力じゃないか……!
暴風に足止めされたことで、後ろから焦りが追い付いて来る。
前に進めない。
後ろには追手の居る医院。
弱くて風を突っ切れないのに、怖くて振り向けもしない。
どうする。どうする。どうすれば。
焦燥する意識の中―――
―――やめろ。
―――黙れ。黙ってくれ。
「―――黙れって、言ってるだろ……!」
「かげみや……?」
堪えきれず叫んで、心配そうなナナ子にさえ何も言えない自分に辟易する。
ああ、慰めさえ満足にできないのも当然だ。
だって俺のほうがまだ受け入れられていない。
あの幸福な日々が粉々に砕け散った事実から、心のどこかで目を背けている。
―――あんなに優しかったのに。
もう戻れないのだと、そんな現実は直視したくない。
けれど現実は明確だ。
既に演目は切り替わった。
放たれた矢は弓に戻らず、終わった舞台には帰れない。
それでも心を切り替えられないというならば、舞台上で無様を晒すだけ。誰かの
果たして、そのことを証明するように。
処刑人を討つ神の裁きは、雷鳴と共に現れた。
―――ばちり。
大気が焼ける音がして。
前方に、一瞬前までは居なかった、金髪の女の姿があった。
曇天を縦に裂く、金光。
風は嘘のように止んでいる。
なのに俺の本能は、突風など比べ物にならない危険信号を打ち鳴らし、全身を発汗させていた。
距離にして十メートルほどの道の先に立つ、制服を着崩した女子学生。
その五体から放たれる威圧感たるや、戦闘時のナナ子にすら匹敵する。
―――追手。それも掛け値なしの
情けないことに……明瞭な脅威を前にして、ようやく俺の気持ちも切り替わった。
機械のような、あるいは死のような人間性のオンオフ。
スッと頭が冷えていく。
覚悟を決める一呼吸すら惜しいと分かる。
俺は追手から目を離さず、抱えていたナナ子を下ろした。
「……俺が時間を稼ぐ。逃げろ、ナナ子」
「で、でも……っ」
「いいから行け。どの道、腕は空けとかなきゃならなかったんだ」
俺の腕は一本だけ。
だから、ナナ子を抱えたままでは戦えない。
こいつの『騎士』を全うできない。
カチリ、と脳内で何かが噛み合う。
皮肉ながら、学園では決して得られなかった“
「さあ来い、俺が相手だ……!」
ナナ子を庇うように前に出る。
だが―――。
結論から言えば、ナナ子を離したのは最悪の愚行だった。
その
つまり。
ぴかっ、と稲光が瞬いて、
空気が焼ける音がした。
大気が裂ける衝撃を感じた。
雷光の軌跡だけが、冗談のように目に焼き付いて。
それで全ては終わっていた。
「、は?」
きっと俺が反応できなかったのは当然だった。
だって『落雷』を見てから躱すなんて、この世の誰にも不可能だ。
ただ今回は、その軌道が地面と水平だっただけ。
そんな不可避の雷霆が、俺の横をすり抜け白い人影を貫いただけ。
「――――――、ぁ」
ぐらり、雷に打たれた少女の体が傾く。
悲鳴は上がらなかった。
そんな余裕すら、その雷撃は焼却していた。
網膜に焼き付いた閃光の軌跡。
ああ、電流は抵抗を流れると熱エネルギーを生み出す、のだったか。
バチバチと、電圧が少女の体を舐め尽くす様を、俺は呆然と眺めている。
余りにも呆気ない。
二日前に「守る」と誓った女は、糸が切れた人形みたいに。
どさり。
「……………………ナナ、子?」
返事はない。
動きもない。
絨毯みたいに広がった白い髪。
その白さは、どうしようもなく
「お、おい、ナナ子―――」
起きろよ、と呼びかける。
ぴくり、と指先が動いたのを見て、ほんの少しだけ安堵する。
けれど。
すぐにそれが、生命の証ですらない、死さえ冒涜する
「…………っ!?」
がくがくと。
痙攣するナナ子の体は、立ち上がろうと藻掻いているのではなく、死病の発作を起こしているのと同じだった。
まるでカエルの実験だ。
本人の意志など皆無の動作。女の子は無惨に故障中。
網膜には焼き付いた白熱の
にくが、こげたような、ニオイ。
「―――、―――」
それで。
もう、言葉を発する
ミチミチと。
俺の脳内、
呼吸が荒い。動機が早い。あたま、アタマがイタくて、吐き気がする。
あれだけ五月蠅かった俯瞰視点も今は弱い。
そんな、断裂寸前の白い糸を逆撫でするように、
先程までの前方ではない、稲妻の終着点から、声。
「ハイ終わり。何が『対人最強』だよ、誰だろうとウチに追いつけるワケないっての―――って言おうと思ったんだけどさぁ。
何なのマジ。一緒に脱走した奴が居る、なんてハナシは聞いてないんだけど? はーうざ、ウチ今超キゲン悪いってーか、あんま心に余裕ないんだけど」
キンキンと頭蓋に反響する、
みちみち、みち―――。
限界を超えてまだ伸びる。限界の痛みを堪えて後ろを振り向く。
またいつの間にかそこに居た、見知らぬ顔の金髪の女は。
倒れたナナ子に一瞥すら向けず。
ばちんと前髪に火花を散らして、心底面倒臭そうにに俺を睨んで。
「―――で。アンタはドコの誰なワケ?」
――――――ぶちん、と
それはきっと雷鳴だった。
嗚呼、雷に打たれたのは俺も同じだ。
凄烈に過ぎる
一瞬で
「―――ッ、テメエこそッ、一体ナナ子に何をした―――!!」
変異臓器が励起する。
掌から肘までを走る黒い神経が、
左腕の皮膚の下より爆発めいて瘴気が生成され、細胞に充填され、体外へと排出されていく。
―――その刹那。
走馬灯めいて思い出す、父親みたいだった医者との会話。
診察室での何でもない会話を、今も鮮明に憶えている。
『エイトくん。異能ってのは、一体どうやって使うんだい?』
『はい。こう、瘴気を生み出して媒介にするんです。異能者は変異臓器という瘴気で出来た臓器を持ち、その臓器が瘴気の生成や異能の制御をしています。異能が炎なら瘴気は薪、変異臓器は木を切って火を付ける人間ってところでしょうか』
『ええと、そうじゃなくてさ……感覚的な話だよ。ほら、異能というのは本来人体にない力じゃないか。それをどうやって使っているのかなぁ、と』
『ああ、簡単なことですよ。異能や瘴気は、本人の心とリンクしています。だから異能には、引き金となる感情やイメージがあるんです……先の例えだと、火を付けるための火打ち石ですね。まあ、慣れれば手足を動かすのとそう変わりませんよ』
そうして。
記憶を借りた情報の整理が完了すると共に、刹那の回想が終了する―――。
今の俺にとって、能力発動のイメージは『研磨』だ。
一切の余分を削ぎ落とす意識の先鋭化。
恐怖や躊躇を腕の骨肉と共に砥石で削り、
そうして、あらゆる
剥き出しになったのは、影より昏い憎悪と敵意。
(コイツが誰だろうと知ったことか。斬る。斬って、ナナ子の容体を確かめて、それから二人で逃げるんだ―――)
固有の瘴気能力、その発動決定から完了までゼロコンマ二秒。
反射の域にまで叩き込んだ修練の結晶にして、生き残る為に必要だった最低速度。
踏み込みも既に完了している。
敵を斬るのにもう一瞬すら必要ない。
その、凡人の極致とも言える
―――天才は、嘲笑うように凌駕した。
ずん、と衝撃。
カウンターの要領で、俺の
視認は遅い。
回避は重い。
其は知覚能わぬ雷速の槍。
単純な
「が―――、」
めきめきめき、と体の中から異音。
ぶちぶちと血管が断裂して、めりめりと衝撃が体を折る。
吐き出される体内の全空気。
ダンプカーめいた衝撃に、俺はそのまま後ろに吹っ飛んで。
「ばッ―――!?」
何かに激突して、それをぶち破って、ガラガラと落ちてくる瓦礫に溺れた。
ごぼ、と鳩尾の激痛に咳き込む。
なんだよこれ、口から内臓が飛び出してないだろうな、畜生―――。
一撃で格付けは為された。
俺の最速は、その女の最速の足元にも及ばなかった。
民家の塀、コンクリートの壁まで殴り飛ばされた俺へ、追い打ちめいて声が降る。
「だから、『アンタは誰だ』って聞いてんだけど。耳と脳ミソ、どっちが不良品なワケ?」
あの女の声。
野良犬へと吐き捨てるようなその口調が、圧倒的な戦力差を示すその余裕が、逆に俺の心を再起させた。
「―――、っ」
ガラガラと瓦礫を押しのけて体を起こし、片膝で何とか体重を支える。
腹には余りにも重い痛み。
細い神経の管に拳大の鉄球をブチ込まれたみたいな
がは、と
実力差は歴然。
だが今の俺にとって、そんなモノは心底どうでもよかった。
―――ザアザアと、黒い嵐が吹いている。
頭の中は暴風雨。
怒りという名の怪物が、敵を殺せと轟き猛る。
俺が何者か、だと?
そんなのはもう決まっている。
名乗れというなら名乗ってやるさ。
「誰も何も、俺は
灼けた喉で無理矢理言い捨てて。
俺は改めて、
〈
瘴気の刀に乗せるは決意。
あの日の誓いを果たす為、我が身は今一度死線に立つ。
―――かくて開演の鐘は鳴り、否応なく舞台の幕は開いた。
是は正義の超人が
俺の役目はやられ役。悪者である死神の、おまけみたいな手下の騎士A。
されどコイツは
台本ナシの一発勝負。
なればこそ乾坤一擲……俺の手で正義の味方サマに、バッドエンドを踏ませてやる……!
評価、感想、諸々お待ちしております!