【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
白。
刹那にして永遠の純白。
全てが輪郭を失くした世界が、瞬きの間に始まって終わる。
「―――」
白かった世界が、徐々に元の色相に回帰する。
風景が色を取り戻す。
そうして―――バチバチと。
爆心地から少し外れた場所で、白杭ライカは立ち上がった。
その体は既に肉体という物質に戻っているが……凄惨たる周囲の状況は、白杭ライカという『落雷』の凄まじさを今なお鮮明に語っている。
雷撃に焼け焦げ、溶岩めいて赤熱したアスファルト。
膨大な熱エネルギーが生み出す陽炎と、バチバチと悲鳴をあげ続ける周囲の空気。
轟いた巨大な雷鳴は、未だ彼方を残響していた。
「―――サイアク。ちょっとミスったかな、加減」
自分が生み出した惨状を前に、ライカは思わず眉を顰める。
少し力み過ぎた。
これではあの男も生きてはいまい……緊急事態だったとはいえ、失敗した。
それは、白杭ライカ最大の弱点。
彼女は『取り返しのつかないこと』が嫌いだった。
虫よりも、汚物よりも、悪人よりも……どんなものより深く嫌悪し、憎んでいた。
なにせいくら雷速でも、現在から過去へ戻ることだけはできないから。
とはいえ、やってしまったものは仕方ない。
多少後味は悪いが、今は復活した漆門寺ナナの対処に向かわねば。
そうやって、ライカは爆心地に背を向けて。
―――ざり、と。
焼けたアスファルトを踏む音に、ぴたりとその足を止めた。
振り向いた先に居たのは、当然―――。
「……待て、よ」
「―――マジ? タフ過ぎない? 割と本気で
影宮エイト。
ライカからすれば名前も分からぬ謎の男は、亡霊めいて立っていた。
雷撃を無効化したわけではない。
その肌は煙が出るほど焼け爛れ、立っているのがやっとの状態なのは一目で分かる。
だが……あの雷撃を受けて立てているのがおかしいのだ。
人間である以上、雷に打たれれば死ぬ。死んでいなければおかしい。なのに。
「ぐ……なあ、アンタ。ひとつだけ、訊いていい、か」
―――本当に人間か? なんて疑問がライカの脳内に浮かぶ。
それでも、本来なら問いかけに応えることはなかっただろう。
気にせず殴りかかっていたハズだ。
だが、その底知れない耐久力が―――あるいは死すら超越する精神力が、その例外を引き寄せる。
それはライカの異能の都合。
〈
再び『雷化』が可能となるまでの僅かな間隙。
その存在を知らず、殆ど悪足掻きで問いを投げかけたエイトと……この得体の知れない敵に真実を悟られたくないライカの利害が一致する。
「質問ねぇ―――好きにすれば。気が向いたら答えたげるし」
そして訪れた、最初にして最後の
「ゲホッ……オマエら、は。ナナ子をどうする、つもりだ……!」
「? どうするって、『回収』するんだけど。
ライカは偽りなく答えた。
自分より弱い者に嘘を吐く理由はない。
雷速の言葉選びで紡がれる、ストレート一辺倒の回答。
だが……それこそ取り返しのつかない過ちに似て。
少女が無造作に踏み抜いたのは、影宮エイトの地雷だった。
「『回収』、だと……」
ゆらり。
怒りに震えていた声に、憎しみの昏い色が混ざる。
「どいつも、こいつも……!」
エイトの隻眼が『敵』を睨む。
雷撃で未だ霞む視界が映すのは、今まで自分とナナ子を苛んだ『全て』の幻像。
「ナナ子は。アイツはおまえらの奴隷でも、便利な機械でもない……ただの、普通の人間だ! 中学生の女の子だ! そんな子供が、無理矢理殺しをさせられる環境から逃げて何が悪い……!」
ずっと抑えていた、
負け犬の遠吠えと嗤わば嗤え。
噛み殺してやると言わんばかりに、異能者の少年は吠え猛る。
「おまえらは何とも思わないのか!? 異能に目覚めたからってだけで戦わされるこの仕組みに! 俺たちは何も大それたことを望んでるわけじゃない、誰も傷付けず、静かに慎ましく暮らせればそれでいいんだ! そんなことさえ、異能者は望んじゃ駄目なのかよ……!?」
血を吐くような叫び。
それはナナの望みであり、彼自身の望みでもある。
―――普通の暮らしがしたい。
『異能に選ばれた』というだけで、引いた覚えもない外れクジを掴んだという理由だけで命懸けの戦いを強制される……そんな世界から逃げ出す
そうやって、ずっと抱えて来た感情を吐き出して。
「―――は?」
影宮エイトは。
自分が取り返しのつかない間違いを犯したのだと、眼前の表情から理解した。
地雷を踏んだ。逆鱗に触れた。堪忍袋の緒を切った。
どんな後悔も既に遅い。
相手が何者なのかとか。
異能の弱点を悟られる危険とか。
そういう自制を、彼女は既に『雷速』にて焼き切っている。
―――ズン、と。
今までで最も重い拳が、いつの間にか、エイトの体に突き刺さって。
「ぐ、は―――!?」
鳩尾を貫かんばかりの威力で打たれ、血の混じった胃液を吐き出す少年。
その「く」の字に折れた体を見下ろしながら、白杭ライカは淡々と呟く。
「『異能者は戦わなきゃ駄目なのか』?
マジ信じらんねー。フウウよりバカが居るなんて、世界は広いってカンジだわ」
一見無感情に思える平坦な声は、限界を超えた憤怒の証。
炎の温度が高くなると、その色が
真っ白に燃え滾ったまま、ライカは少年の髪を掴んで顔を上げさせる。
「逆に訊くけどさ。アンタ、『異能者じゃないヤツは瘴気災害で死ね』って言えるワケ? 皆そう言えないから魔塵と戦ってんだって分かんない? 分かった上で逃げたのか、分からないから口走ったのか、どっちでもクソ過ぎて笑えねーけどさ。
特別に大ヒントをあげる。ねえ、ウチらの着てる服は誰が作ってる? ウチらの住む
社会は助け合いなんだよ。出来るコトやんのが当たり前なんだよ。それが嫌なのは別にいいけどさ―――自分は
バキィ!! と。
膝がその顔に突き刺さって、少年の体は宙を舞った。
舞う鮮血。引き千切れた髪。
だが、それでもライカの怒りは収まらない。
蹴り、殴り、蹴る。
あるいはボロ雑巾のような少年よりも必死に、少女はその手を握りしめる。
―――逃げたいけれど、逃げられない。
そうやって死んだ人間がどれほど居たか。
だからコイツは赦せない。
赦してはいけない醜悪だ。
そんな正義で、もう何度目かも覚えていない拳を振るう。
殆ど無抵抗の体に突き刺さる暴力。
その感触はひたすらに不快で、白杭ライカはいっそうその憤りを深めた。
―――ズドン、と降る。
「自分は
雷のように鮮烈に。
真っ白な痛みに貫かれ、俺は自分を見失った。
そんな自分を取り戻させるように、また体に突き刺さる激痛。
蹴られ、殴られ、蹴られる。
あれだけ傷付けられ、雷にまで打たれた体なのに、まだ新鮮に痛い、痛い。
いや―――痛むのはきっと心だった。
拳ではなく言葉によって。
間違いを突き付けられた心こそが、泣くように悲鳴を上げていた。
だってそれは、どちらがこの場の『正義』かを明確にするものだったから。
(―――やめろ。やめてくれよ)
ああ、なんて情けない。
一方的に殴られて、俺は何一つ言い返せない。
いや……言い返すことなんて、出来るわけがない。
(畜生。うるせえよ。分かってんだ)
またひとつ。
痛みが、抉り込むように彼我の立場を伝えてくる。
この女が誰かは知らないけれど、彼女は間違いなく『正義の味方』で。
きっと今まで「戦いたくない」と何度も思ったのだろうけれど、そんなエゴを他人の為に我慢して、その
あるいは……彼女自身はそんな弱さを持たずとも、そうやって逃げずに戦ってきた仲間の姿を知っていたのかもしれない。
だから。
責任を放り出して逃げ出した俺に、反論するだけの正義なんてあるはずがなかった。
それが今更、痛い、イタイ―――いたたまれなくて、
(ああ、そうだよ。
殴られ、蹴られ。
飽和する痛み、薄れゆく意識の中、俺は走馬灯めいて自分の半生を
俺にとって他者は、守るべき存在ではなかった。
俺を八重桐の従者だとしか思っていなかった実の父親。
そんな父と共に俺を他者の家に預けた実の母親。
六歳の人間を無能と折檻できる八重桐家の人達。
唯一優しかったテンカ姉すら、俺が護る必要などないほど強いヒトで。
だから、俺が戦うのは自分の為だった。
自分の為にしか戦えなかった。
守るべきモノは何一つなく。
あるのはこの平凡な五体だけ。
そんな俺だから―――孤独に冷え切った俺だからこそ、手の中に飛び込んできてくれた
それが正しいと、そう信じた。
だが……なんて、愚か。
異能者の戦いは全て
俺は、空っぽの手に飛び込んできた
知らないだけでずっと持っていたモノを―――それはとある善良な医者夫婦の暮らしのような、命を懸けて守るに値するモノを―――無意識のうちに棄てていたのだ。
目先の感謝に、分かり易い成果に目が眩んで。
絶対に棄ててはならなかったモノを、路傍に、ゴミのように。
嗚呼。
もし殴られていなければ、自分で自分を殴りつけていただろう。
なんて愚か。
なんて愚か。
本当に―――なんて、偽善。
俺は役に立ちたかっただけだ。
無価値で居たくなかっただけだ。
『誰か』の為に生きているのだと、『誰か』の為に死ぬのだと、そんな分かり易い実感が欲しかっただけだ。
『
焦がれるほど憧れていながら、それがどれほど尊いモノかなんて、ちっとも想像できなかっただけだ。
でも、その言い訳はもう使えない。
俺は知ってしまった。
『平和』という美しい硝子細工を。
『誰か』という無縁なだけの隣人を。
『普通の暮らし』という、本当に幸せな
この片刃の鋏みたいな
本当に皮肉なことに―――あの優しいだけの日々が、真綿で首を締めるように、俺の弱さを完全に
その罰のように痛みが刺さる。
まるで自分の失意に殺されているようだ。
体が冷たくなっていく。
俺が一人で逃げ出したのなら、きっとここで終わっていたと分かる。
「―――だけど」
だけど倒れない。
それでも倒れられない。
冷や水を懸けられたように冷めていく、冷静に論理を語る頭の中で、なお燃え続けている
俺が戦わなきゃいけないのは理解した。
どこまでも善良だったあの人たちみたいな、この国で平和に暮らす人たちの為に俺の命が使い潰されるなら、俺はそれで構わない。
それなら全然納得できる。
でも、けれど、だとしても―――。
「―――ナナ子は。あいつが戦うのだけは、違うだろう……っ!」
いいや違わない、と頭のどこかが冷えている。
あいつの戦果を、平和への貢献を、俺は知識として知っている。
ナナ子には力があった。
誰にもできないことをしていた。
もし彼女が戦っていなければ、死んでいた誰かも居たのだろう。
分かっている。
分かっているけれど―――そんな白々しい現実では塗り潰せない、黒い嵐のような怒りがある。
「だって、あいつは何一つ貰っていない……!」
そうだ。
俺とは状況が違う。
致命的にすれ違っている。
俺が、
嫌々ながら戦うことで、最低限、人間としての衣食住を得ていたというなら。
そんなもの―――あいつには何一つなかった。
俺と違い、最低限、
「あいつはずっと地獄に居た。平凡だった俺とは違う。誰にもできないことをしながら、誰からも愛して貰えなかった……!」
孤児が押し込められた実験場。
生きたまま解剖される手術室。
誰も彼女に笑いかけない学園。
殺し合いしか赦されない任務。
相応しい扱いなど一度もない。
戦う理由も、戦って得るものすら一つもない。
そもそもナナ子には自由意思がない。
だってそんなのがあれば、真っ先に、99人のきょうだいを殺した学園上層部を皆殺しにしているだろう。
不自然な力。
本来存在しなかった戦力。
あの白い部屋で死ぬハズだった―――あるいは、何の
それをあてにした平和など、前提からして間違えている。
「そんなのは嘘だ。そんな奴が居なきゃ成り立たない世界の為に、命を懸けられるワケがないだろ……!」
本当に
誰かを救う前に、まず、あいつ自身も救われなくちゃおかしいのに……!
「俺はもう、覚悟は決めた。自分の罪も、間違いも認めた。でも―――」
愚かにも決意を繰り返そう。
俺が戦わなきゃいけないのは理解した。
どこまでも善良だった朽無夫妻みたいな、この国で平和に暮らす人たちの為に俺の命が使い潰されるなら、俺はそれで構わない。
それなら全然納得できる。
でも、けれど、だとしても―――。
「――――――それは、
ナナ子を日常に送り届けた後に、ようやく始められる
そんなの間違っている、と叫ぶ
おまえは間違っている、と叩く
ソイツを奥歯で噛み潰して、拳で握り殺して、足で踏み砕いて大地に立つ。
今度こそ死ぬ、と肉体が叫んでいる。
それならそれでいい、と吐き捨てる。
コレは俺の間違いだ。罪への罰だ。それで俺が死ぬなら仕方ない。
だけど。
だから。
例え死んでも渡さない。
ナナ子を
だが……いくら俺が硬く決意したって、現実は全く変わらない。
ナナ子を連れ戻しにやって来たのは、遥か格上の星五異能者が二人。
「―――チッ、まだウダウダ言ってるワケ? アンタみたいなのがお涙頂戴やったって、こっちはイラつくだけなんですけど」
ああ、分かってるさ。
逃げ出した俺の言葉に価値なんてない。
ならばどうするか。
決まっている。
今こそ誓いを果たすとき。
正義も道理も構うものか。
我が最強の
「“代償強化、臨界装填。因果逆算・応報創成”―――」
ぬるり、と。
黒い蛇に呑まれるように、左腕を
肌の浸蝕。神経の拡充。変異臓器の異常活性。
ズクズクと内側から爆ぜる血管。
ミシミシと圧力に軋み歪む骨肉。
ほんとうに/喰われている/みたいだ。
限界を超えた瘴気の生成は、俺から全てを奪うように。
それでも捧げる。
自ら差し出す。
その果てに。
求めた剣が/何か 触れてはいけない モノが。
腕を包む 黒い死の
指先が虚無に 触れている。
超えてはならぬ境界の手触りに 今でさえ心筋が凍りそうだ。
引き返せ、と本能が叫ぶ。
引き返したい、と意識が喚く。
けれど―――ずぶり。
頭蓋を満たす一切を無視して、俺は、その先へと腕を突き入れた。
「――――――」
瞬間、
黒。
串刺しだった。貫かれた。真っ暗としか言えない感覚。腕から脳まで一直線。
なにか、こう。ノウミソに大きな、穴が開いた、みたいな。
暗い。昏い。
くらくら。暗々。ぐらぐらぐら。
正気じゃない。狂気しかない。瘴気じゃない。瘴気しかない。
もう、これは俺じゃない。
見誤った。何を? 失敗した。何を? 俺は。何を?
黒く沈む。
ただ、沈む……。
そうして堕ちた虚無の水底。
かつて俺の脳味噌だった、黒い大穴の中に。
暗く沈んだ海馬の死骸に。
何か、ひとつだけ、白い
『―――かげ、みや―――』
―――ちかり、瞬いて。
それで
黒い大穴が埋まっていく/ああ、そうだった。
貫かれた錯覚が消滅する/俺は、そのために。
そして隻腕に虚無の感触/この、剣を求めた。
がしり、掴んで。
そうして、俺は。
万象あり得ざる
「―――完全開放、〈
神器贋造『
「問答無用、承知した。故にここからは
悪いが、もう少しだけ付き合って貰うぞ、『正義の味方』……!」
顕現せしは虚無の刃。
視認不能、
可視光さえ断つ“切断の極致”―――。
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