【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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<10> 7日目 身を灼く覚悟

 白杭(しらくい)ライカは迷わない。

 生涯において、一度も迷ったことがない。

 それは些細な日常の選択から、人生の方向性を決定づける決断まで。

 凡人の言う『迷い』というモノを、彼女は知らない。

 それは本人の生き方が証明している。

 

 

 東凶大瘴災で、生き延びるため瓦礫に埋もれた両親を見捨てたときも。

 当時コンビだった実の兄ごと魔塵(てき)を貫くしかなかったときも。

 かつての学友が賞金首に堕ち、自分を殺そうと襲って来たときも。

 

 

 一度だって彼女は迷わなかった。

 即座に“すべきこと”を行った。

 そうやって目の前の一を捨て、見えない大勢を救ってきた。

 

 

 

 「何故あなたは迷わないのか」。

 

 人は問う。

 その冷酷とも言える果断さの是非を。

 駆け抜ける白雷のような、鮮烈(するど)過ぎる生き方の源泉を。

 

 当然、ライカはそんな問いにも迷わず。

 彼女はいつだって即答する。

 何故ならば―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――かくて、俺は刹那のみ『雷速』を超えた。

 

(この条件、この一瞬だけなら―――俺の方が、(はや)い!)

 

 間違いなく詰ませた(チェックメイト)

 恐らく五ツ星(かくうえ)だろう難敵、その背を前に確信し。 

 勝敗を確定させるため、必殺の刃を振り抜こうとして―――。

 

 

『―――おい』

 

 

隻腕(うで)を引く、多腕(うで)

 

 時間が止まった。

 全身が凍り付いた。

 過去(うしろ)からの呼び声に、魂が肉体から引き剥がされた。

 

 俺の意識だけが振り返る。

 強引に掴まれて引き摺られる。

 果たして―――そこに、居たのは。

 

  死相、死相、死相。

  夥しい、十を超える死人の群れ。

  それは先程まで生きていた姿で。

  それは凶刃に命を奪われた姿で。

  それは血みどろの悍ましい姿で。

  生者を赦さぬように、

  生者を羨望(うらや)むように、

  光を失った腐目(くさりめ)で、恨みがましく俺を睨む。

 

 彼らが何者であるのか、その正体には一瞬で気付いた。

 寧ろ今まで忘れられていたのが異常だった。

 だって、その顔は。

 その亡者たちは。

 

(ッ、コイツらは―――()()()()()()()()()()()()()……!)

 

 東凶湾スラムにおける三大勢力の一つ、極道組織『六道會(りくどうかい)』。

 俺はその構成員十余人と、使いの若者(チンピラ)一人を、この手で殺害した過去がある。

 思えば、あのときの俺は正気ではなかったのだろう。

 ナナ子を攻撃してしまった時のように―――内側に居た魔塵(なにものか)に、操られるとまではいかずとも、影響を受けていたのだと思う。

 だけど……そんなのは所詮、死んだ彼らには全く関係のない言い訳で。

 

  血泡を吹く口が。

  だらしなく開いた口が。

  左右に割れて脳漿を含んだその口が。

  多種多様の死相たちが、口々に俺へと喚き立てる。

 

  『いてえ、いてえよ……』

  『よぐも俺だちを殺じでぐれだなぁ』

  『テメエ、テメエのせいで、俺は……』

  『ああ、母ちゃん……』

  『ゆるさねえ』

  『なあ、責任取れよお、死刑になれよお』

  『死ね、オマエも死ねッ』

  『人殺し』

  『人殺し』

  『人殺し』

 

 ギシギシと、掴まれた腕が悲鳴を上げる。

 頬に、首に、胴に、足に。

 爪を立てられて揺さぶられて、引き摺り込まれそうで眩暈がする。

 息が出来ない。息苦しい。生き、苦しい。

 頭蓋を満たす怨嗟の叫び。

 視界を圧迫(つぶ)す死体の群れ。

 死の臭いに噎せ返るようだ。

 グロテスク過ぎて直視できない。

 自分の罪を、奪ったものを、どうしても直視できない(したくない)

 

  『人殺し(ゆるさない)

  『人殺し(ユルサナイ)

  『オマエも死ね、人殺し』

 

 それは。

 脳が生み出した錯覚とは到底思えない、質量すら伴う糾弾だった。

 

 忘却の彼方より。

 追い付いてきた過去の罪が、俺を罰しようと迫ってくる。

 絶対に振り払えないモノが、俺の全身にしがみついている。

 

(―――っ!)

 

 畜生、何で今更こんな時に。

 消えろ、頼むから消えてくれ。

 今だけは勘弁してほしい。

 

 ―――そう願っても感触は消えない。

    いみじくも、過去が決して消えないように。

 

(そうかよ。なら―――)

 

 もういい。

 オマエらにどれだけ腕を引かれようが、足を引っ張られようが……後で呪い殺されようが、関係ない。

 たかが一刀、全部背負ったまま、無理矢理に振り抜いてやる。

 まだ時計の針は動いていない。

 敵はこちらに気付いていない。

 この一撃は、どれだけ弱くとも絶対に当たるし、絶対切れる。

 だからとにかく、狙いだけは外さないよう、正確に……!

 

 そこまでを思って。

 それでようやく、俺は、余りにも自分が愚かだったことに気が付いた。

 

 狙い―――()()()()()

 

 止まっていた時間が更に粘度を増す。

 首を絞められるまでもなく窒息する。

 背後よりの怨嗟の声が、どこかで聞いた嘲りの声にすり替わる。

 

そうだ、どこを狙うつもりだったんだ(おまえ)は。

頸? それで見事に頭を落とす?

胸? 心臓を貫いてさようなら?

胴? 真ん中で綺麗に真っ二つ?

 

 ―――違う、殺すつもりなんてない。

 

ならどういうつもりだったんだ阿呆(オマエ)は。

ああ、殺さないよう部位を削ぐか?

腕? いいな、自分と同じ不便な体にしてあげようぜ。

脚? 悪くない、自分より酷い有様を見れば胸がすく。

目? ああ、そいつは最高にいい考えだ、気に入った!

どうせ傷物(ブサイク)にするんなら、自分の顔も見えなくしてやるのが恩情だもんな!

 

 ―――黙れ! そんなの出来るワケがないだろう!

 

は、黙るのはオマエだよ臆病野郎。

ナナ子を守るんじゃなかったのか?

なら殺せ、迷わず殺せ、今すぐ殺せ。

それが一番確実だ。

それで(オマエ)たちはシアワセだ。

 

 ―――もういい、分かったから黙ってくれ……!

 

 声の主は俺自身。

 本能に寄った合理性と暴力性。

 直視させられた己自身の醜悪は、吐き気を催す程だった。

 

(く、そ……!)

 

 それを堪えるように歯噛みするも、それでは何も進まない。

 

 進退窮まる。

 いや、無知蒙昧も極まった。

 

 嗚呼―――俺は本当に、莫迦だ。

 なんでこんな時に、だと?

 違う。こんな時だから出てきたんだ。

 だって俺は凡人なんだから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!

 

 ああ、時間が徐々に動き出す。

 眼前の女が振り向こうとしているのが嫌でも分かる。

 最早迷っている猶予はない。

 だが俺は未だに、()()を斬ればいいのか分からない。

 

(殺す、のか? 逃げ出した俺が、逃げ出さなかったこの(ひと)を?)

 

 悪夢めいた自問自答の無限螺旋(ループ)

 あるいは相手が悪人なら……かの六道會構成員やその若頭とは言わないまでも、そこに大義名分があったなら、俺は勇気を出せたかもしれない。

 だが、今俺が斬ろうとしているのは違う。

 あの時とは余りにも状況が違う。

 

 もう俺の中に、ドス黒い『俺以外の意思』はなく。

 目前の敵はヤクザという社会の屑から、ナナ子と同じ『星五異能者』に。

 

 その、数多人命を救っただろう『正義の味方』を斬り捨てて。

 もう誰も殺したくないと、そう言ったナナ子を幸せにする―――?

 

(駄目だ、殺せない……!)

 

 殺していい訳がない。

 怨霊たちの(こえ)に押し負けるように、俺の腕は僅かに硬直した。

 

 だが、斬らないワケにもいかない。

 現実は盤面(チェックメイト)を作っただけでは不十分。

 最後に(キング)を取ってこそ、ようやく勝負は決着する。

 

 殺すわけにはいかない。

 勝たないわけにもいかない。

 ならば、狙いは。

 

(『脚』! 治せる程度に斬って戦闘力を奪う、それしかない―――!)

 

 言うまでもなく、足は行動の起点。足さえ潰せばこの場は逃げ切れる。

 更に太腿の内側に走る大腿動脈(だいたいどうみゃく)は、人間の持つ血管の中では、頸動脈に次いで二番目に太い。

 つまり、そこを斬られれば……引き起こされるのは、意識を失うレベルの大量出血だ。

 

 かくて時間は動き出す。

 果たして―――俺の一撃は、相手が俺を見咎めるよりも先んじた。

 

 

「影奥義―――千鳥千殺(ちどりせんさつ)!」

 

 

 八重桐流剣術奥義が漆、千鳥千殺(ちどりせんさつ)

 鳥の群れを落とす程の速度と正確さで、狙った部位のみを貫く“連続突き”。

 

 ピュウピュウ、と。

 風が吹くような、あるいは鳥が鳴くような音が響いて。

 

 一拍遅れ。

 少女の両の内腿から、鮮血が噴き出した。

 

「ち……!」

 

 舌打ちにも聞こえる、確かな苦悶。

 路面に鮮血が狂い咲く。

 両腿の負傷と失血でよろめく女。

 

 確かに『雷化』の異能を貫通し、その両脚を斬り付けた。

 神薙剣(カミナギノツルギ)影叢雲(カゲノムラクモ)の絶対切断。

 神すら斬る魔剣は、正確にその内腿のみを裂いたのだ。

 

 傍目に見ても出血量は多い。

 骨の直前で止めたが、神経と筋肉の損傷は立っていることすら辛いだろう。

 いいや、そうでないと困る。

 戦闘不能になってもらわなければ駄目なのだ。

 

(頼む、出血性ショックで気絶してくれ! ただの失血なら―――)

 

 

「―――()()()()()()で命は助けられるって? はッ、要らないんですけどそんなモン」

 

 

 ―――まるで、心を読まれたようだった。

 ハッとして目が合う。

 こちらを射抜くような、余りにも真っ直ぐな黄金の双眸を畏れるように心臓が跳ねて。

 

 バチン! と異音。

 じゅう、と何かが焼ける音。

 そして、無防備な鼻孔を蹂躙する、

 つい最近嗅いだ、

 人体(にく)が 焦げる ニオイ。

 

 蛇に睨まれた蛙のように、俺は目を合わせたまま逸らせない。

 だけど今何が起こったのか、脳に黒油(コールタール)が染み込むように、ゆっくりと理解していって。

 あるいは、そんな猶予すら与えぬと言わんばかりに、激痛を堪えて彼女は言った。

 

「ウチの異能は、体の一部だけを雷にすることもできる。つまりちょっと無理すれば、その雷で自分を焼くこともできる、ってワケ」

 

 つまり、それは。

 

(じぶん)(じぶん)の傷を焼いて止血したのか……!?)

 

 余りの事に声すら出ない。

 眼前の光景が理解できない。

 だって影宮エイトという男は、どこまで行っても凡人で。

 一瞬だって迷わないその鮮烈(まぶし)さに、驚嘆と畏怖を禁じ得ない。

 

 

  人は理解できないものを恐れる。

  白杭ライカが虚無の刃を恐れたように。

  その在り方は少年にとって、恐ろしい未知だったのだ。

 

 

 つまり、それは致命的な隙だった。

 気が緩み、間近に迫っていた限界が一秒だけ早まる。

 俺が握っていた最強の魔剣が、瘴気不足により霧散する。

 

「覚悟が半端だったか、そこまで堕ちてなかったか。ま、どっちでもいいけど」

 

 そして。

 手心を加えられたとて、その女は決して迷わない―――。

 

 ばちん、と音がして。

 それで全部は真っ暗に。

 倒れ込む最中、俺の後ろから女の声。

 

「生き方くらい生まれた時に決めとけよ、凡人。それもできないで、どうして落雷(ウチ)を追い越せると思ったワケ?」

 

 つまり、それが決定打。

 相手の正体を悟ると同時、俺の体はブレーカーが落ちるように崩れ落ちた。

 

 

 

 其は初志貫徹の体現者、原初の衝動で今なお走る雷の女(ブリズシュラーグ)

 既に放たれた矢のような、

 目に付いた高所を目指す落雷のような。

 幼少に決めた『正義』という方針(いきかた)を死ぬまで貫く、他の可能性(みち)全てを削ぎ落したが故の、誰にも追い付けぬ“最速(さいきょう)”である。




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