【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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<11> 7日目 ゆめのおわり 【曇】

 どさり、と人影が地面に崩れ落ちる。

 

 『完全開放』終了直後、瘴気切れによる無防備な状態に直撃した、不我雷動(ミカヅチ)による落雷突進。

 1億V(ボルト)の電撃、その感電が生み出す熱量により、男は人型の炭と化した。

 

「…………」

 

 落雷だった少女は人に戻り、地に臥した男を無言で見下ろす。

 

 ともかく、戦いライカの勝利で終わった。

 『完全開放』が解けた以上、もうその体に瘴気は残されていまい。どのような異能であれ―――ありえないが不死身の能力であれ―――瘴気量ゼロでは発動しない。

 つまり結果だけ見れば……ライカの手心は完全に無駄だったというわけだ。

 

「―――っ」

 

 よろり、とライカは膝を落としになり、何とか気合で持ちこたえた。

 勝利を収めたとは思えないほど苦々しい屈辱に渋面を作る。

 両の内腿を裂いた傷。

 それは異能者でなければとても立っていられない程で、おまけに傷口を焼いたときた。失血で気絶しない為にはそれしかなかったとはいえ、痛みも怪我も間違いなく悪化している……果たして異能治療を以てしてもこの傷が治るのか、絶え間なく激痛が押し寄せる脳では判断しかねる。

 

 本当に、矜持(プライド)を抉られるようだ。

 

 こちらが手加減していたというなら、あちらも最後に情け(ソレ)を見せた。

 本気でやれば問題なく瞬殺できていたに違いない相手。

 だが彼が『あの魔剣』を抜いてからのやり取りは、間違いなく相手に分があった。

 どころか……ライカは一度“詰まされた”のだ。

 両腿の傷は確かに重いが、もしも刃が貫いたのが心臓ならばと考えれば、それは慮外の幸運の結果というもので―――。

 

「―――チッ」

 

 あらゆる苦汁を舌打ち一つで呑み下し、白杭ライカは気持ちを切り替えることにした。

 まだ任務は終わっていない。

 脱走者を学園に届けるまでが彼女たちの使命。

 

 そう自分に言い聞かせ、何でもないように装って後ろを振り返る。

 

「アンタにしては手際いいっていうか。()()()も終わったみたいじゃん」

 

 振り返った先には二人の異能者。

 黒と白、対照的な格好をした彼女たちは、その立場もまたハッキリ明暗が分かれていた。

 

 黒いゴシックロリータを纏った黒槌(くろつち)フウウは無傷で立ち。

 作戦目標(ターゲット)漆門寺(しちもんじ)ナナは、フウウによって地面に押さえつけられ、文字通り土を付けられている。

 その光景に題を付けるなら『蝶の標本』、だろうか。

 フウウがいつも持っている服装と同色の日傘、その先端は今や、ナナを地面に縫い留める無慈悲な()()()のようだった。

 

「っ、ぁ……!」

 

 当然、先端は貫通していない。それは肌を強く押しているだけだ。

 だがその強さ、無慈悲さは虫を穿つ針となんら変わらず。

 骨が軋むほど地面に強く押し付けられ、憐れな紋白蝶は苦悶を喘ぐことしかできない。

 

 痛みは警告。

 抵抗すれば即座に風穴を開けられるぞ、という無言の脅し。

 弱視のナナにとって、それは何より効果的な、本能に直接訴えかける拘束だった。

 

 誰が見ようと一目瞭然、先のエイトが辿り着いた以上に絶対的なチェックメイト。

 そうやってナナを制圧しておいて……けれど、フウウの表情は珍しく翳りを帯びていた。

 

「……ねえ、ライカちゃん……なんか変だったよこの子……聞いてた能力と全然違う……攻撃力皆無だし……」

 

 異能の出力勝負では七対三でナナの有利。フウウの『風』はナナの白髪を揺らすことさえできなかった。

 だが、勝負が拮抗していたのは最初だけ。

 人間への攻撃力が皆無の天獄門(ヘブン・シンズ)では、例え出力で勝ろうとフウウへの攻撃にはならず。

 それが判明した瞬間が決着だった。

 瘴気による身体強化が皆無なナナは、接近してきたフウウに対し何も出来ず、そのまま取り押さえられてしまったのだ。

 

 そんな一連は、けれど勝者(フウウ)にとっても予想外。

 漆門寺ナナの評判、『対人最強』の呼び声は彼女でさえ知っている。

 故に足止めとはいえ容易ではないと思っていたのに……蓋を開けてみればこの有様。

 

 思えば、この任務には予想外なことが多すぎる。

 そう漠然と(いぶか)しむフウウだったが、反面ライカの反応はアッサリとしたものだった。

 

「ふぅん? 手加減してたとか? それか、性格でも変わった?」

「……なにそれ、どういうこと……?」

「え、知らねーのアンタ。偶にあるよ能力が変わること。異能って心と関係してるらしいし。ま、人生(じぶん)が変わるほどの体験なんてそうできるもんじゃないっつーか、高校生ぐらい自我がハッキリしてたら無理だと思うけどさー。

 何にせよラッキーじゃん? 情に絆されて弱くなるとか、漫画みたいでウケるけど」

 

 悪い医者に引っかかったねー、なんて軽口を装うライカ。

 その内面で未だに燻っているものがあることは、見る者が見れば明らかだ。

 彼女が場にそぐわないほど明るく軽薄に振舞うときは、内心の不機嫌を誤魔化したがっているのだということを、この場ではフウウだけが知っていた。

 ―――不機嫌を誤魔化したい。

 その対象が自分なのか周囲なのかは知らないけれど。

 たぶん前者だろう、なんてフウウが思った矢先、おもむろに矛先が向いてきた。

 

「てかフウウ。アンタさー、仲間を心配とかできないワケ? 目ついてる? ホラこれ。ウチ歩くのもキツいんですけど」

「……ええ……やられたのはライカちゃんじゃない……自業自得だよね……」

「あっそ。期待したウチがバカだったわ」

 

 しょせん軽口、本心では期待していなかったライカはあっさり引き下がる。

 だが……。

 

 ふわり、ナナの体が重力を忘れたように浮かび上がる。

 そうやって、人ひとりを浮かせるほどの風を操りながら、フウウはいつもの無表情のまま。

 

「……でも、そうね……可哀想だから、この子を運ぶくらいはしてあげる……」

「――――――うわ。どーゆー風の吹き回しよソレ。気持ち悪」

「…………」

「あーゴメン、悪かったって。そんな怖い目しないでよ」

 

 余りにもなライカの返しに、気の迷いめいた己の気紛れを後悔するフウウと、条件反射とはいえ流石に言い過ぎたとコチラも珍しく謝罪するライカ。

 とはいえそれも、フウウがこのような気紛れを起こす頻度を考えれば無理なからぬ事だろう。感覚的にはオリンピックレベル。四年に一度ということは、つまり、二年も付き合いのないライカにとっては初めての出来事ということだ。

 

「ま、色々想定外があったけど、コレで任務完了っつーか。ま、()()も使わなかったし、結果としてはマシな方でしょ」

 

 クルクルと、指先で()()を玩ぶライカ。

 電子回路を包んだプラスチック製の匣。

 単一の機能しか持たない装置は、その機能を発揮させない持ち主を責めるように無言を貫いている。

 

 

 ―――思い出すのは柔らかな声。

 

『ライカちゃん。()()を君に持っていて欲しいんだ』

『しきょーちゃん、何コレ。リモコン? ボタン一個しかついてないしさー』

『ああ、学園から“保険”として渡されたものだよ』

 

 七日前。

 彼女らに命を下した司教(おとこ)は、慈愛の微笑のまま言った。

 

『いいかい。そのリモコンはね―――』

 

 その、余りに冷たく残酷無比な真実を―――。

 

 

 顔を顰め、そのボタンを断じて押さぬままリモコンを制服のポケットに仕舞い込む。

 ……思えば、彼女の機嫌が明確に悪くなったのはあの時からだった。

 そこから様々な要因が重なり、任務開始時点でテンションは最悪。

 謎の邪魔者と交戦した辺りで氷点下にまで落ち込んだ。

 

 そう、この正体不明の邪魔者というのが、徹底的なまでにライカの神経を逆撫でする男だった。

 何の嫌がらせだ、と脚本家(くろまく)が居たらぶん殴るところだ。

 口にした言葉も。体を支える矜持も。剣筋を歪ませた逡巡も……思い出すたび、律儀に腹が立ち、頭にくる。

 例えるならそれは、真逆の像を移す鏡のような。

 光に対する影のような。

 当たり前の話……「おまえは光ることはできるけど、決して黒くなれないんだな」なんて言われ続けたら、雷だって怒るだろう。彼女がされたのはそれに近い。

 

「―――ホント、最悪」

 

 決して交わらない人間性を前に、耐えきれずそう吐き捨てる。

 抱いたのは侮蔑か憧憬か。

 それは本人にすら分からぬ事だ。

 

 ともかく、正反対の戦いは決着した。

 どんな過程があれ、最終的に立っているのは自分。

 それをせめてもの慰めとし、ライカは男のことを忘れることにして、

 

 

『―――蠕?※繧(マテヨ)

 

 

「!?」

 

 背後からの声に振り返る。

 雷速の女は、そこに在り得ざる姿を見た。

 

 落雷(ミカヅチ)の直撃は二度。

 常人であれば一度で死亡し、異能者であっても二度耐えられた者は居ない。

 当然だ。

 どれだけの超人といえど、タンパク質の塊である以上、雷に打たれれば死ぬのが道理。

 完全開放直後、瘴気で防御もできない状況でそれを受けたなら猶更である。

 だと、いうのに。

 

繝翫リ蟄舌r(ナナコヲ、)

 

 ゆらり、ゆらり。

 幽鬼のように、亡霊のように。

 死体を使った操り人形(マリオネット)を思わせる不自然さで立つ人影。

 その体からは、『完全開放』で使い切ったハズの瘴気が、しかし確かに立ち昇り。

 俯いて垂れた前髪の下。

 (うろ)のような眼孔(みぎめ)が、少女たちを、見る。

 

繝翫リ蟄舌r霑斐○(ナナコヲ、カエセ)―――!!』

 

 ―――獣を思わせる無秩序の咆哮。

 空気が震え、地面が罅割れ、咆える獣の輪郭が変わる。

 

 変貌は、御伽噺の狼男を思わせた。

 ざわざわと、毛のように体表を波打つ瘴気。

 溺れるように男が藻掻く。

 欠けていた右腕は、今や人間のそれより二回りは大きい異形にて復活を果たし。

 

 そうして、男はその半身を魔塵(かいぶつ)と化した。

 

 『完全開放』のときとは違う。

 右腕を越えて右半身まで。

 瘴気に呑まれたその姿は、半分とはいえ、醜悪な魔塵そのものであり―――。

 

 その異様な姿が、反射的にライカを行動させた。

 

「―――ッ、浄魔術(じょうまじゅつ)(みそぎ)!」

 

 二指を立て叫ぶ雷速の少女。

 すると、どこからともなく現れた光が魔塵(エイト)の体を包み込み。

 

『!? 縺舌?ゅ≠(ガ、ア)……ッ!?』

 

 魔塵の体が苦痛に歪む。

 

 異形の面貌、半分を魔に呑まれた知性が点滅(スパーク)する。

 それは焼かれるような痛みだった。

 硫酸をかけられたような苦しみだった。

 あるいは―――日光を浴びせられた吸血鬼とは、このように悶えるのかもしれない、とも。

 

 魔塵を()かす浄化の光。

 それは正確にはライカの異能ではない。

 

 『浄魔術』は浄魔神教(じょうましんきょう)の信者のみが使用できる“外付けの異能”。

 その中の一つである(みそぎ)は、魔塵の肉体組成を分解し、徐々にではあるが瘴気の体を崩壊させる。

 正に、魔塵の身を削ぐ“退魔の技”。

 信仰が起こす奇蹟そのもの。

 

 そんな奇蹟を、ライカはエイトとの戦闘で使わなかった。

 だがそれも当然……(みそぎ)は魔塵にしか効果がない。

 つまり。

 

(みそぎ)()()()()()()()()()()―――()()()()()……!?」

 

 自分で言っておきながら、有り得ない、と叫びそうになるライカ。

 さっきまで死闘を演じていた彼女だからこそ分かる。

 あの意志は、言葉は、知恵は……間違いなく人間のものだった。

 それがどうして、反射的に使っただけの退魔の技が通じるのか。

 そもそもの話。

 彼女は『喋る魔塵』なんて見たことも聞いたことも―――。

 

「……ライカちゃん……確かさ、似たような話があったよね……」

「ハァ!? アンタ何のんびり―――」

「……『喋る魔塵』……人型、だっけ……ほら……学園を襲撃して、生徒を殺したとか、攫ったとか……」

「―――!」

 

 確かに、そんな噂も聞いたような。

 それでライカの腹は固まった。

 

「フウウ、()()()! 人か魔塵か―――どっちにしろ、死ぬまでやればハッキリするし!」

「……はいはい……疾風神来(シナトべ)(さか)疾風(はやて)……」

 

 檄に応え、舞うは嵐。

 突如として強風が吹き荒び、こちらに迫ろうとしていた魔塵の体へと叩き付けられる。

 それは走行中の車さえ停止させる特大の逆風。

 進行を妨害する“向かい風”。

 

「……御免なさい、変わったひと……フゥはどうでもいいんだけど……ライカちゃんが怖がってるから、近付かないでくださいね……」

 

 強烈な逆風に阻まれ、進もうとしていた魔塵の足が止まる。

 反面、その体を()く浄化の光は一向に勢いが衰えない。

 ただ魔塵の肉体部分を分解されるだけでなく……瘴気で塞いでいた傷口が開き、そこから赤黒い血が溢れ出す。

 

縺舌≠縺ゅ≠縺ゅ≠(グ、アアアああア)―――!』

 

 苦悶を叫ぶ異形の怪物。

 そこに恋した男の面影を見て、思わずナナは身を乗り出していた。

 

「かげ、みやっ! や、やめ……!」

「―――フウウ」

「……はーい……」

 

 だが、そんな勝手をライカとフウウは許さない。

 

 ずん、とナナの腹を穿つ衝撃。

 めりめりと少女の肌に沈む黒い槌。

 

「っ、あ……!?」

「……大人しくしててね……フゥ、言うこと聞けない子嫌いだからさ……」

 

 鳩尾に入った日傘の先端は、死神をして初めて味わう苦痛だった。

 衝撃に風の檻から飛び出して。落下して地面を転がり、その場に蹲って激しく嘔吐する。

 胃の中を残らず吐き出した後も、うまく呼吸が出来なくて。

 ああ、その激痛は柔い少女の奥深くまで無慈悲に食い込み。

 立ち上がるどころか、丸めた背を伸ばす事さえ許さない。

 肉体面は普通の少女でしかない―――ともすれば平均よりずっと虚弱な―――ナナには(こく)すぎる、まるで容赦のないフウウの『躾』。

 

 だが、そんな苦痛(もの)より遥かに冷たく少女の心を折ったのは。

 

「が、げぼっ……や、やめて……! かげみやが、しんじゃう……っ」

 

 何とか追手の足に縋りつき、そう必死に懇願するナナ。

 だが返ってきたのは、余りにも無慈悲な軽蔑と、突き放すような蹴りだった。

 

「あ……っ!」

「チッ、毒婦が、誰のせいでこうなってると―――いや、アンタが唆したと思ってたけど、実はあっちが元凶ってカンジ?」

 

 ライカの声は、既に陽気を装えないほど沈んでいる。

 フウウもまた転がったナナに同情などしない。

 

「人か魔塵か、魅入ったか魅入られたか。どっちにしろどーでもいいっつーか、魔塵なら後腐れないし。このまま動かなくなるまで(みそぎ)続ければ、おのずと分かるハナシでしょ!」

 

 ナナの必死の訴えを一顧だにしないライカとフウウ。

 だが。

 皮肉にも―――少女の心を折った決定打は、腹部を貫く痛みでも、追手の無慈悲さでもなくて。

 

繝翫リ蟄(ナナ、コ)……!』

 

 (みにく)く堕ち果て、死に瀕した異形の怪物の姿と。

 それでもなお(ナナ)を救おうと足掻く、彼の必死の献身だった。

 

 

 

 

 

 

 それは、知らない地獄の刑罰を思わせる光景でした。

 体の半分を魔に呑まれた彼が、その異形の体を熔かす光に焼かれている。

 その体は激しくわななき、全身から赤黒く血を流し。

 凄まじい逆風に襲われて、どれだけ足掻けども一歩だって進めなくて。

 

縺後≠縺ゅ≠(が、アアあ)……!』 

 

 苦悶の声を聴かずとも、それが()()()()()()なのは、火を見るよりも明らかで。

 なのに。

 

騾」繧後※(ツレて)陦後°縺帙k縺(イかセル、カ)菫コ縺ッ縺翫∪縺医r蟷ク縺帙↓(おれハ、オマエヲ、しあわせ、ニ)―――』

 

 苦痛に顔を歪めてなお、痛みを感じぬ狂獣のように。

 そこまでして彼が()()()()()()理由が何なのか。

 それを理解してしまって、わたしの顔は蒼褪めた。

 

『誓うよ、ナナ子。今日から俺は―――』

 

 思い出すのはあの日の記憶。

 高鳴る胸に仕舞い込んだ宝物は、今や、二人を縛る茨の呪いの源泉で。

 

(わたしが、あんな約束なんてした、から……っ!)

 

 だから、かげみやは逃げられない。

 

 かげみやが死んじゃう。

 わたしのせいで死んじゃう。

 今度こそ本当に、死んでしまう。

 

(―――そ、そんなの、いやだ。ぜったいに、だめ、だよ)

 

 死ぬことは、悲しい。

 当たり前だけど、当たり前に悲しい。

 頭がおかしくなるくらい悲しくて、寂しくて。

 だからわたしは辞めたのだ。

 あの優しい熱に抱かれたとき。

 いつかわたしは、このひとも殺してしまうのか、と。

 そう思うと怖くなった。

 恐ろしすぎて耐えられなかった。

 だから。

 彼と一緒に居るためには、わたしは今までのわたしじゃ駄目だと、そう思って。

 

縺後≠縺ゅ≠縺(ガ、アアアアアッ)

「チッ、魔塵だか人だか知らないけど、邪魔なんだよずっと! ウチらの役目は脱走者を連れ戻すことだってのに、いい加減諦めるとかできないワケ!?」

莠疲怦陟?>(ウ、ルサイ)縺昴%繧偵←縺(ソコヲ、ドケェ)ッ―――!』

「あっそ、なら望み通り死んじゃえば!?」

 

 その結果がこれ?

 なら、わたしは間違えた。

 最初からすべて間違えていた。

 続けても辞めても結果は同じ。

 結局一緒には居られなかった。

 つまり、わたしの恋は。

 全てを捨ててでも求めた悲願(もの)は、はじめから―――。

 

「  ぁ  」

 

 

  どこかで。

  ガラスのくつが割れるおと。

 

 

 ―――最初(はじめ)から、ぜんぶ失われていた。

 叶うはずなどなかった。

 叶えようとしてはいけなかったのだ。

 この想いは誰一人幸せにしない、本当に身勝手で救いようのない、我儘な呪いだったのだから。

 

「ぁ、ああ、あ……!」

 

 それは、砂の像が指の隙間から零れていくような。

 御伽噺の魔法が解けるような。

 ああ、どうして今まで気付かなかったのだろう。

 どうして勘違いしてしまったのだろう。

 当たり前の話。

 灰塗れのシンデレラならともかく―――血塗れの人殺しが報われるなんて、そんな莫迦なお話は、この世のどこにもないのにね。

 

「ぅ、そ。うそ。やだ、やだ、やだ……!」

 

 がりがりと、黒い地面に爪を立てる。

 爪が割れて血が出るのは、たぶん割れたガラスを集めているから。

 たとえ欠片を集め切れたとて、一度崩れたものは二度と元通りにならないというのに……今はそんな簡単なことすら分からない。分かりたくない。

 

 かげみやが(コワ)されようとしているのに。

 わたしの方が先に壊れて、これ以上は、何も。

 

繝翫リ蟄(ナナコ)―――!』

『―――ナナ子』

 

 ああ、すてきなひと。

 せかいでいちばんすきなひと。

 

 わたし、どうやら……あなたの運命のひとでは、ない、みたい。

 そうであって欲しかった、のに。

 そうじゃないと駄目だったのに。

 本当は―――本当に、違うみたい、なのです。

 

 このままわたしと一緒に居ると。

 あなたは、幸せにはなれない、ようで。

 その、だから。

 

「あは、は。お、おかしい、よね。わたしは、わたしはすき、なのに。こんなに、こんなにっ、想って、いる、のに」

 

 あなたに名前を貰ったとき、初めての誕生日みたいに嬉しかったのに。

 あなたと手を握ったあの日、体中が満たされるように幸せだったのに。

 あなたの声を聴くだけで、見つめられるだけで、わたしの鼓動は高鳴ったのに。

 わたしのぜんぶ、だったのに。

 

 ぼろぼろと。

 何か、ガラスの破片みたいな雫が、わたしの頬を燃やしていく。

 

「へん、へんだよ。だって、これがうんめいじゃなかったら、なに、が」

 

 えずく。こわばる。うずくまる。

 別に、身を焦がす愚行だと知ってはいたし。

 完璧に幸福な終幕(エンディング)を迎えられるとは思っていなかったけど。

 少なくとも自分を燃やす価値はある、運命の恋だとは思っていて。

 だからもっと劇的な出来事が沢山待っているのだと。

 満足はできずとも、納得のいく終わりには辿り着けるのだと。

 そう、信じていた、のに。

 

「―――うそ。これで、おわり、なの―――?」

 

 もう、その手がわたしに触れてくれることも。

 その声がわたしを呼ぶことも。

 あるいは、二人がその先に進む機会も。

 今日を最後に、永遠に訪れることはない。

 

 どこまでも一方通行で。

 キスだってまだなのに、何もかも中途半端のまま、終わる。

 そんな運命の恋があるわけがなくて。

 だから、きっと、間違いなく。

 

 ―――運命は、わたしを選ばなかった。

 

 わたしは夢見たシンデレラじゃなくて(なにひとつおもいどおりにいかず)

 只の、叶わない恋をした人魚姫だった(さいごはあわになってきえるだけ)

 どこかで予感はしていたけれど(めでたしめでたしでおわるなんて)

 覚悟は全然足りなかったみたい(むしのいいはなしはどこにもない)

 

「 こ こんな、こと、って 」

 

 視界が砕けたように歪む。

 いいや、きっと砕けたのは舞台(せかい)のほう。

 ハッピーエンドは崩れ落ち、安物のセットは剥がれ落ち。わたしにはもう地面さえない。足元さえおぼつかない。

 落ちていく。

 幸せな天国から、ただ、堕ちる。

 手を伸ばしても戻れない。

 きっとずっと一緒なのだと、そう錯覚したあの時間には、もう。

 

 ―――ああ。

 それならいっそのこと。

 どうせ、どうせ結ばれやしないのなら。

 わたしのものになってくれないなら。

 ちょうどいいし。

 どうでもいいし。

 いっそこのまま、

 ここで、

 一緒に―――、

 

 

 ―――ずだんっ、と。

 壊れ切った舞台(ステージ)に、乗り込んでくる足音(オト)がした。

 かぎ爪の生えた魔塵の右脚で、罅割れるくらいに地面を踏んで。

 凄まじい逆風の中、血塗れのそのひとは確かに一歩。

 

縺舌≧(グッ)……縺翫∪縺医i(オマエ、ラ)縺ェ縺ェ(ナナ)、子を。ナナ子を泣かせてるんじゃ、ねえ―――!』

「なっ、フウウ!?」

「……フゥ、弛めてないわ……あの人の進む勢いが強くなってるの……フゥの風でも抑えきれない、くらい……っ」

「―――なにそれ。どう見ても血塗れの死にかけの癖に、いったいどっからそんな力出してるってワケ!?」

 

 ああ、わたしは諦めたのに。

 運命ではないと分かってしまったのに。

 どうしようもない隔たりが二人を引き裂いた、のに。

 それでも。それでもあなたは、「そんなの知るか」と更に一歩。

 

蠕?▲(マッ)てろナナ子。今、縺昴▲縺(ソッチ)に―――!』

「――――――」

 

 ああ、声も出ない。

 息もできない。

 ただ胸の高鳴りだけが、どうしようもないほどわたしを唄う。

 

 その左眼(ひとみ)は出逢ったあの日のまま。

 あなたの瞳は太陽(ひざし)の瞳。

 それはきっと、目の前の傷を無視できない、あなたの優しさが放つ光。

 わたしが恋したその色が。

 あの日と同じように、わたしを真っ直ぐ見つめている。

 

 世界の全てがどうしようもなく(かげ)っても。

 はじまりの輝きは、今も変わらず、確かにそこに。

 

 

『―――おい。大丈夫か?』

「ぁ―――」

 

 

 ―――嗚呼、そうでした。

 そんな喜びもあったのでした。

 ハッピーエンドとはいかなかったけれど。

 沢山の幸福な思い出を、道の途中で、ちゃんと貰っていたのでした。

 

『今後一回だけ、おまえの「お願い」を聞いてやる』

『俺の地獄におまえを連れてく。その代わり、おまえの地獄に俺を連れてけ、ナナ子』

『俺はどこにも行かないよ。言っただろ? 「地獄の底まで一緒だ」って』

『俺の死ぬ理由も……おまえが本当の意味で幸せになるまで、全部おまえの独り占めだ』

 

 それはきっと、叶わなかったパーティーの約束と同じ。

 言葉は真実にならずとも、あの喜びは絶対に偽物なんかじゃなくて。

 なら。

 たとえ道半ばで終わるとしても……思い出ごと全部を放り出すわけにはいかないね。

 だって―――。

 

 

 世界が戻る。

 初心(わたし)が戻る。

 強く唇を噛み締めて。

 壊れたものは壊れたまま、無理矢理に継ぎ接ぎして笑顔を作る。

 

「―――ねえ、かげみや」

 

 わたし、夢を見ていたわ。

 あなたとなら何も怖くなかった。

 あなたとの離別だけが怖かった。

 それが運命なのだと、何も知らずそう信じていた。

 

 けど―――けれど。

 きっとあなたにとって、わたしは運命のひとじゃなくて。

 だからわたしたちは一緒にいちゃ駄目で。

 なのに、最初にわたしが間違えて。

 そのせいで、あなたにも間違えさせてしまった。

 

 真実はかくも残酷に。

 わたしは死神、地の底の女。

 素敵な騎士様に一目惚れした、愚かでいじわるな骨の魔女。

 騙してしまってごめんなさい、わたし、実はお姫様じゃないの。

 綺麗なお姫様に化けていただけなの。

 こんな(ユメ)はしょせん子供騙し。

 魔女の呪いはいつだって、正しい愛に敗れ去り。

 醜い本性を暴かれて、幻滅される運命で―――。

 

「―――でも、ね。それ、でも」

 

 ぎゅう、と拳を硬く握り締める。

 

 ええ。

 こんな事を言うと、きっと笑われてしまうけれど。

 わたし。どうしても、この(ゆめ)を捨てられないのです。

 痛いのが分かっていながら、割れた欠片を拾い集めてしまうのです。

 

 きっとわたしは醜悪で。

 自分よりも王子様の幸福を望んだ、気高い人魚姫のようにはなれません。

 あるいはわたしたちを匿ってくれた、優しい夫婦のようにもなれません。

 もしくは、そう―――わたしを守るために死地に残った、他ならぬあなたのようにも、きっと。

 だってわたしは怪物だから。

 自分の執着(こい)を諦められない、ズルくてみっともない悪役だから。

 

 でも。

 それでも。

 こんなみにくいわたしにも、守りたいものがひとつだけ。

 

 さあ、あの日の誓いを今一度。

 たとえ何を奪われようとも。他の全てを失おうとも。

 

 

「この恋だけは抱いたまま。

 だれにも、奪わせや、しない―――!!」

 

 

 たとえ運命でないとしても。

/砕けたガラスのくつを履いて。

 恋に恋しただけだとしても。

/燃えるように最高のダンスを。

 理屈も理由も要らないわ。

/たとえ、たった一夜の幻でも。

 

 このキラキラの恋だけが、わたしの魔法(プライド)なのだから!

 

 

 世界が止まる。

 天地が入れ替わる。

 手に入れた天国の色が、もとの地獄の色に変わっていく。

 暴力的に、衝動的に染まっていく。

 当然でしょう、だって恋とはそういうもの。

 何を捨ててでも―――世界の全てを滅ぼしてでも、あなたが欲しいと叫ぶもの。

 

()()()()()()()()

 

 天国は終わり。

 わたしは再び地獄へ堕ちる。

 それはそれは美しい、刹那を駆ける流星のように。

 

 恋の代価を。

 罪には罰を。

 わたしの過ちはわたしの手で。

 汝、この門を(くぐ)る者、一切の望みを捨てよ―――。

 

 

救罪奥義 『地獄漆篇全巡礼(セブンリィ・シンズ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――それは、突如として天蓋(ソラ)に開いた大穴だった。

 

 死と苦痛と絶望を象った七つの門。

 地面と水平に浮遊するそれらが円環を成し、新たなひとつの門を形作る。

 

 曇天の空は不吉の予兆。

 風音は嘆きと破滅の調べ。

 地獄の門は禍々しく、あらゆる光景を地獄の色に凌辱する。

 

地獄全門、強制解錠

 

 それは漆門寺ナナの異能地獄門(セブン・シンズ)の究極奥義。

 本来『罪』を鍵として開く七つの門を、全瘴気の半分以上を消費して無理矢理にこじ開け、地上に地獄を()()()()()()()大破壊の技。

 黒槌フウウとの戦闘直後、足りない分は気迫(こころ)寿命(からだ)で補って。右眼の魔眼が血を噴くのも無視し、少女は矮躯にて滅亡を示す。

 

 

  さあ、天を仰げ愚昧の矮小。

  罪人であれ無辜であれ、等しく無意味に果てる刻だ。

  そも、死の運命に罪など不純。

  原罪を嘆き感涙に噎べ。

  是なるは大いなる主の代行にして、その寛大を穢す無二の冒涜。

  白痴が如き乙女の謳う、八つ目にして最大最悪の『地獄』である―――!

 

 

 曇天を穿つ獄門(おおあな)を前に、人間たちは呆然と。

 正義の味方も、半魔塵も動けない。

 数秒前まで戦っていた事実さえ、とっくの昔に濃霧の向こう。

 果たして、その禍々しい漆黒に……異教にて伝わる地獄の姿に、異なる神(みあずま)を信仰する彼女は何を見たか。

 

「―――フウウッ!」

 

 反応は正しく電光石火。

 白杭ライカの火のような叫びが、新たな空の支配者の登場に固まっていた黒槌フウウ(あいぼう)を、高圧電力めいて再起動させた。

 

「……!……疾風神来(シナトべ)風切(かざき)飛礫(つぶて)……!」

 

 漆黒のドレスが神楽(かぐら)を舞う。

 突風は黒い槌のように。

 浄魔術使用中にて本来の異能が仕えないライカに代わり、疾風迅雷の速度で『敵』を―――異能の使用者たるナナを攻撃するフウウ。

 

 風神が呼んだ轟風は、曇天の中でいっそう黒く唸りを上げた。

 黒龍めいた風の姿は、その中に固体化した術者(フウウ)の瘴気が混じっているためだ。

 原理は砂嵐や雹と同じ。あるいはウォーターカッターに研磨剤を混ぜることでダイヤモンドさえ切断するアブレシブジェットカッターか。

 細かくも鋭い飛礫(つぶて)が数多混じった強風は、ただの風にはない『削岩力』で以て、漆門寺ナナの肉体をズタズタに―――。

 

 ばちん。

 

 その虚しく弾かれる音だけが、フウウの技が齎した結果だった。

 即ち。

 

「……!?……うそ……()()()()()()()()()……!?」

「な、全身から放出するだけで壁になるとか、どういう瘴気出力!? 石ころを弾く滝かっつーの!」

 

 そう。漆門寺ナナは、その全身から立ち上る夥しい量の瘴気、その勢いだけで死の砂嵐を無力化してみせたのだ。

 一体どれほど瘴気の量に差があればそんな芸当ができるのか。

 しかも彼女と比するのは凡百の異能者ではなく、その頂点たる『五ツ星』の一角だというのに。

 あるいは―――同じ五ツの星を抱けども、彼女とライカ・フウウでは格が違う、とでも―――。

 

「……ライカちゃん……それだけじゃない、かも……」

「はぁ!? 具体的に言えし!」

「……なんか……フゥ、変……」

「―――チッ、精神汚染か!」

 

 それでライカも、遅まきながら己の異常を把握した。

 まず異能が上手く機能しない。心が乱れ、瘴気が霧散する。

 更に体も重い。走り寄って止めようにも足が動かない。

 地獄門(セブン・シンズ)の精神汚染。

 かつてナナが殺してきた罪人たちほどではないが、それがライカ・フウウ両名の体を―――あるいは影宮エイトの体さえも―――確実に蝕んでいる。

 ナナが瘴気の放出だけで攻撃を防いだのも、単純な瘴気量の差だけでなく、フウウの異能出力が精神汚染で低下していたせいだろう。

 

 半魔塵に抱いた戦慄など比にならぬ恐怖。

 どろりと赤く泣く眼孔が。

 その右目に穿たれた罪曝しの魔眼が、黒く黒く、超然と人間たちを睥睨している。

 

 漆黒の瘴気は死神の外套。

 なびく白髪は死神の大鎌。

 そして浮かぶ白貌は、月の如く、髑髏の如く。

 無表情のまま嗤うソレは、何よりも雄弁なる死の誘い。

 

 生きている限り罪を犯さぬ者などおらず。

 即ち、是こそが『対人最強』と謳われた星五異能者の真の姿。

 漆門寺ナナ。

 あらゆる罪に対して無敵を誇る、断罪の死神の威容である。

 

「“Caina(カイ―ナ), Antenora(アンテノーラ), Ptolomea(トロメーア), Judecca(ジュデッカ)―――Et Satanas(エト・サタナス).

 辺獄より煉獄へ。アケローン川より嘆きの河(コキュートス)へ。満ちたる怨嗟は地の底へ。

 さあ、終わりを此処に(パぺ・サタン)地獄を此処に(パぺ・サタン)溢れよ神罰、畏るべきものの全てを此処に(パペ・サタン・アレッペ)”!」

 

 呪文(うたごえ)は高く。

 がちん、がちん。

 音を立てて錠前が外れていく。

 鎖の拘束が緩み、漆黒の門扉が軋みを上げる。

 開いた僅かな隙間より、待ちきれず手を伸ばすはその『地獄』。

 

 渇き果てる悪霊の風。

 喰らう三頭犬の群れ。

 溺死する灼熱の血霧。

 石化させる蛇の魔眼。

 神の偉力、雷炎の雨。

 怪死を叫ぶ黒い亡者。

 そして、削り(とざ)す氷獄の血河。

 七つの地獄は混ざり合い、地上に破滅を齎す瞬間を今か今かと待ち兼ねている。

 

 ―――ああ、ここに世界は終焉を迎える。

 それ程の絶望的光景に、『神』と謳われた星五異能者でさえ戦意を忘れた。

 

 轟々と。

 逆墜つ黒滝の中心で、門の担い手は容赦なく。

 

「もう、おねがいなんて、しない。

 このまち、ごと。みんな、地獄に堕とす、から……!」

 

 間違いなく恩人を、恋した男さえをも巻き込む無差別大規模破壊。

 

 それは失恋した乙女の自棄か。

 それとも諦めぬがゆえの心中か。

 あるいは―――。

 

 見せつけるように、その細腕が天を衝く。

 生涯最高の勇気で以て、漆門寺ナナは高らかに。

 

 

「七つの罰よ、罪を抱け! 地獄漆篇(セブンリィ)―――

 

 

 全巡礼(シンズ)、と呪文が完成するその刹那。

 

 瀑布が如く迫る地獄を見上げながら、確かに動く影がひとつ。

 

 異能は使えない。

 足は動かない。

 致命的に思考が鈍っている。

 

 そんな窮地にあって、けれど。

 

『そのリモコンはね―――』

 

 ―――依然、白杭ライカは迷わない。

 その手が制服のポケットに伸びる。

 女の指が取り出したるは、司教に渡された薄い板。

 たったひとつだけボタンの付いた、電波を放出するだけの単純な装置。

 そのボタンにノータイムで指をかけて。

 咎めるように、七日前の記憶(こえ)が再生されて―――。

 

()()()()()のスイッチという話だよ』

 

 それでも。

 結局、白杭ライカは迷わなかった。

 

「―――ッ」

 

 電流(かみなり)が奔る。

 脳内(シナプス)を抜けて。

 指先(ライカ)から電子回路(リモコン)を介し。

 

 かちり。

 電波(かみなり)が、飛ぶ。

 

 それは空中(かぜ)を渡り。

 手術痕(きず)を抜けて。

 その白い左胸の中へと、一目散に飛び込んで―――。

 

 

  その刹那。

  魔に堕ちた少年は確かに見た。

  恋に恋した死神少女が、そよぐ白百合のようにはにかんだのを。

  その口が小さく、けれど確かに「だいすき」と唱えたのを。

  そして。

 

 

 ―――ぼんっ、と。

 余りにも呆気ない作動音。

 白い左胸の内側を抉る衝撃。

 それで。

 

 漆門寺ナナの心臓は、その鼓動を永遠に停止した。

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