【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
恋をされた男と、愛を貰った乙女。
最後の会話はこのように。
曇りと雨の僅かな隙間で、寒風荒ぶなか始まった。
「ナナ子。ナナ子、しっかりしろ、ナナ子!」
倒れた少女の手を握り、何度も何度も呼びかける。
既に脈はない。
だが―――瘴気の力か、何らかの奇跡か、血を吐いた少女は僅かだけ息を吹き返した。
「ぁ……かげ、みや……」
蘇生というには余りに弱弱しい仕草に、猶予が少ないことを嫌でも理解させられる。
されど脳内はぐちゃぐちゃのまま。
「ナナ子。おまえ、どうして……!」
体内の『何か』をどうして隠していたのか、と。
その問いに、少女は少し恥ずかしそうに眉尻を下げて。
「……うん。ごめん、ね。かくしごと、してた。きらわれたく、なく、て」
傷はともかく、いつ爆死するとも分からぬ女を愛する者は居ないだろう、と。
そう自嘲する少女の手を、男は叱るように、縋るように握って。
「そうじゃない……! おまえ、もしかして、
分かっていたのか、こうなることが。
抽象的ともいえるその問いに、少女は弱弱しい微笑みで答えた。
「……いい、の。わたし、どうせ、ながくはなかった、から」
その意味は傍らの男には分からない。
だが、弱弱しい口調に言葉を挟むことは躊躇われ。
息も絶え絶えの少女の声は、半ば独白のように続いた。
「……うん。ちょっと、よくばりすぎた、みたい。ばちがあたった、のかも、ね。わたし、じぶんのことばかり、だった、から」
そんなことがあるものか、と強く首を横に振る。
事実、彼女は恋に溺れていたかもしれない。
だが、それの何が罪だという。
そんなことが罰されるべき罪ならば、斃れるのはまず自分であるべきなのに、と―――。
「それ、なのに。わたしをみてくれるひとが、しぬ、なんて。そんなの、だめ、だよ」
「―――っ、おまえ、何を言って」
「……うん。やっぱり、わたしで、よかった」
やり取りは、もはや会話になってはいない。
二人は臨終ですらすれ違っている。
悲しいかな、愛と恋とはそういうもの。
自分勝手に先走る恋を、愛を以て良しとした時点で、
「おとうさん、と、おかあさん、に……ごめんって、つたえて? パーティー、いけなくて、ごめんなさい、って」
「―――」
「りょうり……たべて、もらいたかった、けど。もう、もどれない、みたいだか、ら……あと、うん。すごく、たのしかった、って」
男の脳裏に
初めは罪を償うために。
次第にその身の幸福のために。
確かに、何度も、永遠を誓ったはず、なのに。
「ばか、やろう。『約束』。しただろ、俺たちはっ……!」
「……うん。だから、ごめん、ね」
男の覚悟が積み上げた、少女の為の約束を、少女はもう要らないと手放した。
たとえ誓いは果たされずとも。
自分はとっくに救われたのだ、と、絹のように柔らかに微笑んで。
焦燥に。哀憐に。悲嘆に。無力感に。
男の息が嗚咽に歪む。
それを以て、少女は充分な贖いとした。
「……に、へ。うれしい、な。ないて、くれるんだ。かげみや、は」
「なにを、ばかなこと言ってるんだ、おまえ。なんで、笑って」
ときには自分のことで傷ついて欲しい/いつだって傷付かず生きていて欲しい。
やはり恋情と愛情は真逆で、愛情では恋情を理解できず。
その隔たりが埋まる前に、儚くも限界は訪れた。
「ね、え……かげ、みや……」
「おい、ナナ子? しっかりしろ、おい―――」
白い瞳が、急速に
絶え絶えの息は既に止まり。
最後に残った一滴の吐息で、少女は最期の望みを口にする―――。
「…………す……て……」
「……ナナ子?」
―――無情にも。
今際の声は風に攫われ、最期の言葉は聞き取れぬまま。
いくら待っても、次が来ることは、もう。
「……待て、待てよ。待ってくれ。戻ってこい、頼むから。だって、俺は。まだ、おまえに、何もしてやれていないのに…………!!」
せめて最期の願いくらいは叶えてやりたかったのに。
これじゃあ、俺は、何ひとつ……!
果たして、その無念が結晶となったのか。
男の頬を伝った涙が、一粒、その
刹那に終わる水滴の落下。
それは硝子の欠片のように。
美しく墜ちる流星のように。
きらり、虹色に瞬いて、純白の唇へと吸い込まれ―――。
ぽとり。
落とされた
満ち足りた
ただ、御伽噺と違うのは。
その死相には、どんな口付けも無意味でしかないということで―――。
「――――――死、んだ?」
ああ、死んだ。
現実はいつだって残酷に。
ヒトなどしょせん動く肉に過ぎず。
生命など炎のような現象に過ぎず。
そこに確かな約束などなく、善悪に報いの保障はなく、終わりは余りにも呆気ない。
そんなこと、とっくに承知していたはずの少年は。
「…………なんだよ、それ」
呆然と、ただ呆然と。
力を失くし、
約束があった。
誓いがあった。
幸せを願う、愛があった。
ただ、その全てが叶わなかっただけ。
これはきっとそれだけの話。
途中で破れた絵本のような。
ハッピーエンドに辿り着けなかった、どこにでもある現実の話―――。
冷たい風に、男は白い魂を幻視した。
逢瀬は終わり、曇天はついに雨粒を吐き出す。
ぽつぽつと始まった葬列は、涙するように悼みながらも、少女が
風が、余りに冷たかったからだろうか。
―――嵐が来るな、と。
傍らの抜け殻に話しかけるように、男は黒々と呟いた。
時は少し遡る。
どさり、と倒れた少女を前に。
リモコンを構えたまま、雷速の女は強烈な違和感に囚われた。
(まさか―――)
駆け寄る男の背を不動のまま見送って。
そして爆ぜる脳内の稲妻。
安堵と後悔の狭間にて、
「まさか―――
そう。
リモコンのボタンを押し、『緊急停止用』の何か―――恐らく心臓を破壊する爆弾―――を起動し無差別破壊を止めた今の一連。
今のは『動いた』のではなく『動かされた』のだ。
避雷針が雷を導くように、他人好みの結末に飛び込んでしまった。
そしてこの場合の“避雷針”とは、言うまでもなく―――。
「―――なにそれ。それじゃ、まるっきり逆じゃんか」
そうだ。それでは逆転している。
男は
動機はともかく、その立場だけは一目瞭然だったのに。
いいや、だからこそ、なのか。
理由は分からないが、あの男は漆門寺ナナを守ろうとしていた。
そういう理由でライカたちと敵対していた。
つまり―――漆門寺ナナさえ居なくなれば、その敵対関係も消失する、というのは道理である。
だからこそ、少女はその身を挺したのだ。
殺戮を餌に雷の槍を導き、その心臓を貫かれながらも。
これでもう
「――――――」
ぎり、と奥歯が異音を鳴らす。
彼女の見る先で、少女の
指に残る、その心臓を破壊したスイッチの感触は。
本当に、冗談のように軽かった。
人ひとりの命というのは、そんなにも。
ぽつ、ぽつ。
ぽつぽつぽつ。
さああ―――。
ああ、なんて、冷たい。
やはり微塵の迷いもなく。
白杭ライカは、傍らのフウウを置いて、雨音を蹴散らしながら二人の世界に踏み込んだ。
「…………」
じゃり。
あと一歩という所まで近づいても、何の反応も返っては来ない。
それは彫像のような、絵画のような。
白く、燃え尽きた灰にも似た少女の骸と。
影のように骸に寄り添い、手を握ったままの男の背を見る。
憎しみを推し量ることはしない。
悲しみに寄り添うこともしない。
ただ、雷の女は此度も迷わず、その在り方を貫くように。
「―――とりあえず、アンタも連行はすっから。もう戦う理由もないっしょ。大人しく付いて来て欲しいんだけど、」
赦しも請わず言い訳もしないのは、理解を求める必要のない彼女の強さの表れだ。
無礼とは実力で贖えるもの。
言葉を飾らないことは、時として美徳にもなるだろう。
内容にも欺瞞や私欲はなく、その声はいつだって正義を謳う。
だがそれも、今回ばかりは。
『
振り向いたのは豹変の凶相。
そして吹き
約束事は紙屑と散り、御伽噺は儚く溶け消え。
残されたのはただひとつ、不合理極まる『情動』だけ。
そうして最後に。
あらゆる願いを踏み躙り、黒い嵐は産声を上げた。