【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~   作:龍川芥/タツガワアクタ

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<15> 7日目 堕天

 ザアザアと。

 ブラウン管に砂嵐が張り付くように、延々と風が吹いている。

 

 ―――俺は、黒い嵐だった。

 怪物が唸るような音を立てて、自分の名前すら忘れて、俺は目に付く全てに噛み付いている。

 影の巨人。獣と病と死霊の群れ。(たと)えられる(すべ)てを引き連れた、夜を千々に裂く嵐という魔物(ワイルドハント)

 

 俺はそんな嵐の王であり、黒い嵐そのものであり、吹き荒れる嵐の奴隷だった。

 だってそこに『制御』なんて概念はない。

 俺の感情に呼応して嵐が荒れ狂っているのか、嵐に引っ張られるように俺も荒れ狂っているのか、もう判別なんて付いていない。

 ただ、どうにもならない怒りだけが確かで。

 

豁サ縺ュ(シネ)……!』

 

 怒りは炎。

 吐き出さなければ己が焼かれる。

 怒りは泥。

 掻き出さない限り延々と溺れる。

 怒りとは、荒れ狂う黒い嵐。

 そんなものを静かに抱えて突っ立っていられるほど、人間というのは強くない。

 

 事実、俺のそれは発狂だった。

 狂わない為に狂っていた。

 我が身可愛さで怒りを発露し、自分を守るため外に怒りを押し付けて。

 そんなのは誰も幸せにしないのに。

 ただ、耐えきれなくて暴れていた。

 

豁サ縺ュ(シネ)豁サ縺ュ(シネ)豁サ縺ュ(シネ)豁サ縺ュ(シネ)豁サ縺ュ(シネ)豁サ縺ュ(シネ)豁サ縺ュ(シネ)―――!』

 

 そんな狂気の果てに、ふと気付いた。

 ザアザアと。

 止まない風の黒い音は、魔物が泣く慟哭(こえ)に似ていることに。

 

 そんな風音に、劈くような雷鳴が混ざる。

 その度に脳髄が爆発する。

 煩わしくて、苛立たしくて、消えてしまえと叫ぶ、叫ぶ。

 

 分かっている。このままでは取り返しのつかないことになることくらい。

なんて蒙昧。そんなものはとっくに過ぎている。

 

 殺す、なんて。そんなのあいつだって望まない。培った良識が赦さない。

ふざけた話。先に殺したのはあちら側だろうに。

 

 ああ、駄目だ。どんな理屈も、もう俺を納得させられない。

 俺ですら俺を止められない。

 いいや、そもそも。

 俺はずっと、自分の痛みを無視できない、そんな弱い人間だった。

 

「死ね。死ねよ。死んでくれ。もう耐えられない。だから、死ね。全部、全部」

 

 たぶん、俺がしていることは、頭を石に打ち付けるのとあんまり変わらない。

 違うのは、被害を受けるのは俺だけじゃ済まないということくらい。

 ああ、早く雷の音を止めないと。

 聴こえる耳を引き千切らないと。

 苦しみを生み出すこの頭を、いますぐ両手で圧し潰さないと。

 

 狂う、狂う、狂い死ぬ。

 燃えて溺れて内から弾ける。

 そうやって、本当に取り返しのつかない一線を踏み越える直前で。

 

 ――――――白い星がひとつ、俺に向かって落ちて来て。

 

「―――ぁ」

 

 ちかちかと、弱弱しくも叱るような光に手が止まる。

 立ち止まって、思い(とど)まる。

 そうして、嵐に遭った船乗りが、幽かに見えた北極星を目指すように。

 俺はあたたかいその星に、必死になって手を伸ばして―――。 

 

 

「――――――」

 

 気付いた時には、黒い嵐は収まっていた。

 風音も雷鳴もない。

 ただ、周囲に見える爪痕だけが、過ぎ去った暴威を物語っている。

 

 捲れた屋根、飛んでいった瓦。

 獣が暴れ回った後みたいなアスファルト。

 揃いも揃って半ばで圧し折れた電柱と。

 ひっくり返って、雨の中ちろちろと燃える黒焦げの車。

 

 いつの間にか現実の街。

 いつの間にか壊れた街。

 そんな爆心地(グラウンドゼロ)で、俺は。

 隻腕で、()()()の襟首を掴んでいた。

 

「っ。はっ、はっ―――」

 

 俺の体は、悪夢から目覚めたばかりのように、ひどく激しく息切れしている。

 疲労なのか腕が震え、膝も笑って。

 体が重くて重くて、この雨にすら押し潰されそうだ。

 

 それでも……気絶した眼前の女よりは、俺の方が百倍は生きていた。

 

「…………」

 

 金髪の、雷に変化する女。

 ナナ子を殺した学園の追手。

 あれだけ強かった、怖かった異能者が、今は俺の腕の先でぐったりと気絶中。

 近くには黒いほうの女も倒れている。

 どちらもぴくりとも動かない。どこかで見たような光景で、なんだか頭が痛くなる。

 

 ああ、そのふたつの"虫の息”を握り潰すのは簡単だ。

 今なら確実に、容易に、一息の間に殺せるだろう。

 死ね、死ねと呪詛が漏れる。

 その言葉だけが反響する。

 そして。

 

 ずしゃり。

 女の体が、濡れた路面に落ちた。

 ……いいや。

 女の体を、俺は力なく取り落とした。

 

「―――は」

 

 今なら殺せる?

 違う、おまえらに恨みはないんだ。

 怒りはあるが、恨みはない。

 だって俺が憎むべきは―――「死ね」と叫んでいた相手は。

 

「…………ああ。()()()()

 

 愚かな自分自身、なんだから。

 体を起こして、倒れた二人から視線を切る。

 逃げるように背を向けて、俺はふらつく足で歩き出した。

 

「……」

 

 ざあざあくらい雨の中。

 ふらふらと、地上に落ちた白い星を探す。

 雨のカーテンを何度も捲り、向こうに見えた朧気な白色を目指して歩を進める。

 十秒の放浪。永遠の巡礼。

 誘われるように、導かれるように、遥か辿り着いたその先で。

 

 星は。

 変わらない微笑のまま、静かに、とても静かに横たわっていた。

 

「ナナ子……」

 

 ずしゃり、とその横に両膝を突く。

 握った手は糸が切れた人形のように。

 土砂降りに打たれていたせいか、彼女は雪のように冷たかった。

 悲しいほどに、冷たかった。

 

「は。いったい、俺は……」

 

 どこから間違えていたんだろう。

 そんな疑問がいまさら湧いてくる。

 もしも、に縋るためでなく。

 ただ、罪の所在を明らかにするために。

 

 最も明確な間違いは、異能者としての責任を放り出したことだった。

 魔塵に操られていたとはいえ、この手で傷つけてしまったナナ子に償うために、彼女の願いを受け入れた。受け入れて、しまった。

 それが全ての悲劇の始まりだった。

 

 ああ、本当に……どうして俺は逃げたんだ。

/それは、約束を守るために。

 どうして約束を守ろうとした。

/自分を好きになりたかった。

 ……いや、全部言い訳で。

 逃げたかったのは、俺だ。

 

 責任から逃げたかった。

/命懸けの使命を捨てたかった。

 運命から逃げたかった。

/普通の幸せを捨てきれなかった。

 だから、目の前の約束に逃げたんだ。

 それを守るためだと言い訳して、他の全てを裏切り続けた。

 

 これはつまり、その結果が追い付いてきただけだ。

 だから、憎むべきは自分自身。

 ナナ子が死んだのは―――きっと、間違いなく、俺のせいだ。

 

 強く。

 雪のように冷たい手を握る。

 

 俺におまえを守り切れる力が、覚悟があれば。

 俺がおまえの望みを否定して、共に学園に帰っていれば。

 いいや、あるいは……そもそも、最初から出逢わなければ。

 おまえはずっと死神のまま。

 折れた翼で羽搏こうなんて思いもせずに。

 いつか、もっとマシな幸福(みらい)に辿り着けたかもしれないのに―――。

 

「……ごめん。ゴメンな」

 

 ―――ナナ子。

 おまえを幸せにしてやりたかった。

 俺自身の望みを投影していたんじゃない。

 確かに、初めはそうだったかもしれないけれど。

 俺は次第に心底から、この少女を全てのしがらみから解放してやりたくなった。

 普通の女の子として、幸せになってほしかった。

 いや、死神のままでも、真っ白なままでも構わなかった。

 おまえが、歪な笑顔しか知らなかったおまえが、いつか本当に笑えたのなら。

 俺はきっと、それだけで……。

 

 でも。

 その機会は、もう永遠に訪れない。

 俺自身の愚かさが、間違いが、その可能性を摘み取った。

 浅ましい自己保身が、愚かしい自己陶酔が、おまえの幸せを踏み躙った。

 だから―――もしも、決して償えないとしても、償う意志があるのなら。

 罪を抱えていく覚悟が、

 死後におまえに顔向けできる自分で居たいという願いが、

 自分を一生赦さない怒りが、この胸の中にあるのなら。

 

 俺は―――二度と間違えてはいけない。

 幸福も、生存も、何一つ願ってはならない。

 俺は……俺の弱さの全てを捨てて。

 俺が幸福になる未来(もしも)も同様に、この瞬間に棄てていく。

 

 俺の笑顔は。

 全部、ナナ子の隣に横たえて。

 

「―――もう逃げない。俺が生んだ悲劇、その全てに決着を着ける。地獄に堕ちるのは、その後だ」

 

 決して離さぬよう、地の底の星を抱え上げる。

 本当にゴメンな、ナナ子―――再会(つぐない)は、もう少しだけ待ってくれ。

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