ちゅんちゅん、という鳥の声が聞こえる。
カーテンの布越しに薄く差し込んでくる朝日を感じながら、「朝ちゅんは異世界でも変わらない文化なのだなぁ」などと思っていると……。
腕に、柔らかく温かな感触。
「おはよう、おじさん」
鈴の鳴るような心地の良い声には、深い親愛と情愛が感じられる。
我輩は彼女の柔らかな髪を撫でながら、挨拶を返した。
「おはよう、リーニエ君。今日も可愛いねぇ」
「ありがとう、嬉しい」
小さく顔をほころばせる彼女は、出会った3日前に比べて、だいぶ表情が豊かになって来たと思う。
穏やかで戦いのない日常を過ごす中で、自分は人間になったのだと、魔族に戻ることはないのだと、そういう安堵が生まれたおかげなのだろう。
……で、そうしてちょっとした落ち着きが生まれると、彼女の彼女らしさが出てくるわけで。
「おじさん、ベッドでイチャイチャしてよう? 今日寒いし、ベッド出たくないしさ」
「まぁ、確かにベッドは温かくて気持ち良い。我輩も出たくはないけれどね」
素のリーニエ君は、割とぐうたらな少女だった。
実のところ、元より面倒くさがりな傾向はあったけれど、以前の彼女はそれ以上に、どこか生き急ぐ……いや、死に急ぐような気配があった。
人間になれたことは嬉しくとも、それと同時、自らの罪を知ってしまったからだろう。
少しでも罪を償おうと、そのために命を懸けねばならないと、自身を擲ってしまうような危うさがあったんだ。
けれど……あるいは、リュグナーとの戦いで、何かを乗り越えたのか。
あれ以来リーニエ君は、少しだけ、自分らしさを出すようになった。
「冬は嫌い、寒いし……おじさんは温かいから好き。ね、私も温かいでしょ? 好き?」
「温かいし、好きだよ」
「じゃあ、イチャイチャしてよう? ね、いいでしょ?」
腕に体を擦り付け、こちらを見上げて子供のようにねだって来るリーニエ君に、思わず苦笑。
これが昨日か明日であれば、その堕落の誘いを受けても良かったのだが……。
残念ながらと言うかなんと言うか、今はそんな怠惰を叱ってくれる子がいるからね。
「リーニエ、おじさまが困っているでしょう」
そう言いながら部屋に入って来たのは、紫髪を綺麗に結った少女。
我輩たちの新たな仲間であり、我輩の女になった元魔族の少女、アウラ君だ。
扉を押し開けた彼女は、エプロン──現代のエプロンに比べるとだいぶ質素で、簡易な前かけという表現が正しいかもしれないけれど──を身に着け、リーニエ君に呆れたような視線を向けている。
昨日もリーニエ君と共にオラッ催眠を激しく楽しんだのだけれど、この様子だと疲れは殆ど残っていないらしい。魔族の体ってすごいね。
「アウラ君、おはよう」
ひとまず朝の挨拶を投げかけると、彼女はニコリと笑顔を浮かべた。
「おはよう、おじさま。ご飯は出来てるわ、食べてくださる?」
「うん、いただくよ。ほら、リーニエ君も」
我輩が掛け布団をめくると、リーニエ君はその綺麗な肌を身震いさせながら、気だるげに身を起こす。
「うー、寒いー……まだ眠いー……」
「リーニエったら、本当は2時間も前から起きておじさまの顔を見てたでしょうに」
「ちょっと、アウラ、それ言うのは反則でしょ」
「やめてほしいなら早く起きなさいったら。今日は予定があるってわかってるでしょう?」
「わかってるけどぉ……」
アウラ君は「まったく、仕方ない子ね」と言わんばかりの表情で、サイドテーブルからリーニエ君の服や櫛を取り上げ、彼女の身だしなみを整えだす。
うん、なんというか……「駄目駄目な姉としっかり者の妹」って感じだね。
いや、彼女たちのどちらが姉でどちらが妹かは、一考の余地ありだけれども。
* * *
魔族アウラが、どんな性格をしていたか。
これについて我輩は、あまり多くの判断基準を持っていない。
そもそも魔族は人間とは大きく異なる精神性を持っている上に、彼女と交わした言葉は手足の指の数も越えない程度なのだから。
ただ、いくつかの情報から、ある程度の察しを付けることはできる。
まず第一に、彼女が500年という長い寿命、その殆どを魔法と魔力の鍛錬に使っていた、ということ。
魔力の多さが最も大きな評価軸とされる魔族社会においては当然、と思われるかもしれないが……。
恐らく、そんなことはない。
例えばの話、我輩の前世であった2020年代の日本社会は、学歴社会と呼ばれるくらいに学歴が重視されていたが、だからと言って子供たち全員が学業に専念するかと言えば、そんなことはなかったわけで。
自分を伸ばすための鍛錬を500年もの間怠らなかったことは、アウラの特筆すべき特徴の1つだろう。
そして次に、この街への攻撃の継続だ。
これはアウラ君に聞いた話なんだけど、魔族アウラはまだ魔王が健在だった80年前からこの街を狙っていたらしい。
しかし大魔導士フランメの遺した防護結界は非常に堅固であり、七崩賢と呼ばれたアウラですらこれを突破することはできず、手をこまねいている内にやってきた勇者一行によって撃退される。
その後は、多くの傀儡兵を一瞬で突破した相性最悪の勇者ヒンメルの死亡を待ち、再びこの街への攻撃を再開した、とのこと。
この話の異常な点としては、他の結界のない街を狙うとか、街と街を行き来する商人や役人を狙うのではなく、この難攻不落の街を狙い続けたこと。
もはや愚直とすら言えるレベルの行動方針である。
そういったいくつかの材料から考察できる、魔族アウラの性格は……。
「真面目」。
この一言に尽きる。
魔力を鍛錬し続けたのは、そうすべきだと判断したから。
この街を狙い続けたのは、まだ攻略し切っていないから。
恐らく魔族アウラの行動方針は非常にシンプルで、まだできないことをコツコツと1つずつ潰していくというものだったのだろう。
ある意味で最も強靭で最も恐ろしい、同時に凄まじく地味で地道な方向性だ。
そう仮定すれば、こちらを侮ったような態度を取ったのも、あくまでその鍛錬によって培われた絶対的な自信によるものと解釈できる。
500年もの間誰よりも努力を積み上げて来たんだ、そりゃあ「負けるわけがない」というプライドが身に着くのもわかるというものだろう。ただでさえ魔族だしね。
以上より、魔族アウラは、あくまでも魔族としての価値観に基づいての話だが、極めて真面目で努力家な性質をしていた、と予想できるわけだ。
……となれば、その精神性を元にしたアウラ君がどのような性格になるかは、想像に難くないわけで。
「おじさま、味はどうかしら。料理はまだ不慣れだから、自信がないのだけれど」
アウラ君は、テーブルの上でもじもじと指を絡めながら訊いてくる。
我輩はそれに、率直な答えを返した。
「うん、良くできてるよ。……結構練習したんじゃない?」
「ふふ、少しだけね」
照れたように笑うアウラ君だが……。
500年間努力し続ける彼女のことだ、その「少しだけ」の感覚が常人とズレているのは想像に難くない。
本日の朝食は、アウラ君の手作り。
ネギや豆のスープのポタージュに、ベーコンと野菜の黒パンサンドイッチ、それからエール。
この世界では一般的な朝食であり、味も殊更に美味しいという程ではないが……。
それでも、彼女がこれを作ることができたというのは、すごいことだ。
そもそも魔族は、人間のような食事は摂らない。
アレらにとっての食事は、つまるところ人間を狩ること。
それ以外を栄養にすることもできるらしいが、何故だか魔族は本能的に人間食を強く強く志向する。
故に3日前の時点まで、リーニエ君もアウラ君も、人間の食生活というものを全くと言っていい程に知らなかった。
精々知っていたのは「人間はよく肉を焼く」「よく草を食ってる」とか、その程度である。
そんな彼女が、今はこうしてきちんとした料理を作れているんだ。
それは奇跡とすら言っていい、とんでもないことだと思う。
そしてその奇跡は、ひとえに彼女の努力によって培われた結果なのだ。
だからこそ、アウラ君は自信を持っている。
自分は頑張って良いものを作った。これなら評価されないわけがないと、そう自信を持って我輩たちに出すことができるんだ。
その自信、その気高さは、彼女の何よりの美点だね。
温かなスープをスプーンで口に運びながら、彼女に頭を下げる。
「ありがとう、アウラ君。本当に助かるよ」
我輩1人だと、どうしても食事は軽視しがちだ。
なにせ催眠種付けおじさん、三大欲求の中でどれが強いかはお察しである。
だからこそ、こうして誰かに食事を作ってもらえるのは、本当に助かるんだよね。
「気にしないで。おじさまにしてもらったことを考えれば、これくらいのお返しは当然のことよ。
……それに、愛しい人に手作りの料理を食べてもらうのは嬉しいもの」
彼女は我輩とリーニエ君が食べる様を見ながら、薄く自慢げに笑っている。
自分の生んだ結果に自信は持てど、それを過度に誇ったりはしない。
ただ、それを当然のものとして満足し、喜ぶ。
それがアウラ君の性質だ。
捉えようによっては、リーニエ君の真逆と言えるだろう。
誰かに与えられること、構われること、一緒に何かをすることを喜ぶリーニエ君に対し……。
自分の生んだものが誰かに何かを与えること、構うこと、時には1人でコツコツ何かに取り組むことを楽しむのがアウラ君なのだ。
しかしそんな2人は、なんだかんだと互いに不快感を持っておらず、むしろかなり仲が良い。
これでいて、結構相性の良い2人なのかもしれないね。
しかし、我輩とリーニエ君が彼女の作ってくれた食事を取っている中、彼女は両手で顎を支えて我輩たちを見るばかりで、食事を取ろうとしないのが気にかかってしまう。
というかそもそも、アウラ君の前には食事が並んでいないんだよね。
「アウラ君は食べないのかい?」
「……実は、試行錯誤している中で、少し味見をしすぎてしまって」
恥ずかしそうに顔を赤らめて俯くアウラ君。これは新妻ポイント+10万点。真面目な子がちょっとした失敗を恥ずかしがる時にのみ得られる栄養素があるよね。
気を取り直すように軽く顔を振ったアウラ君は、サンドイッチを齧るリーニエ君の方を見て眉を寄せ、彼女の背後に回ってその手を握った。
「もう、リーニエ。スプーンはそんな持ち方はしないのよ。ほら、こう」
「慣れない……」
「動きを模倣はできないのかな?」
「私が真似できるのは魔力の流れで、魔力を込めてスプーンなんて握れば、握りつぶしちゃいかねないから……」
「そもそもズルをしちゃ駄目よ。ほらリーニエ、私たちはもう人間なのだから、人間社会の文化に適応しないと」
「こういう握り方する人間だっていっぱいいるよ、きっと」
たった3日でここまで新しい社会の形に溶け込んでいるアウラ君の勤勉さが群を抜いている、というのはわかるが……。
それにしても、どちらが姉かわからないとは言ったけれど、これはもはや一歩先のように感じるね。
「アウラ君、お母さんみたいだね」
「お母さん……そ、そうかしら? まぁ、おじさまの奥さんと言うのなら、悪い気はしないわね?」
顔を赤らめてそっぽを向くアウラ君を見て、リーニエ君が頬を膨らませる。
「むぅー、私もおじさんの奥さんがいい」
「はいはい。まずはスプーンの握り方を覚えて、立派な淑女になるところからね?」
「あ、おじさん、豆食べる? あげる」
「おお、そう言うのならいただこうかな」
「おじさま、リーニエを甘やかしちゃ駄目よ。嫌いなものでもちゃんと食べさせないと」
「リンゴ食べたい……」
アウラ君の存在に安心したのか、2人だった時以上に甘えん坊になってしまったリーニエ君。
そんなリーニエ君の面倒を大変そうに、しかし楽しそうに見ているアウラ君。
2人がわいわいと言い合っている光景を眺めている内に、穏やかな時間は過ぎて行った。
この3日間、我輩たちは新たな日常に慣れるため、ゆったりと毎日を過ごしていた。
我輩は1日中リーニエ君と家でダラダラしたり、アウラ君と人間社会を知るために街を歩いたり、街に住む他の女のところに行ったりしていたのだが……。
今日ばかりは、ゆっくりもしていられない。
なにせ、大事な用事があるのだ。
食事を取り終わった後、我輩たちは外出の準備を整えた。
「おじさま。そろそろ時間よ」
「そうだね……行こうか」
我輩は、魔力で編んだらしいフード付きのマントを身に着けた2人と共に家を出る。
目的地は、領主の館である。
* * *
3日前、アウラ君が眠っている間。
我輩はフリーレン氏と色々なことを話した。
まず訊かれたのは、アウラ戦を見ていて気になったのだろうか、我輩の催眠についての話だ。
「その催眠の有効射程と発動条件、コストは?」
「特にないかな。射程は催眠の種類によって違うけれど、最長のものは無制限。発動条件も同じく。コストは……まぁ、かかるものもあるけど、それは使わないからね」
「あなたが死ぬと、その催眠も解けるの?」
「いや、催眠は相手を異常な状態にするものじゃないんだ。相手の精神・思考・自我を上書きするから、我輩が死んだとしても永続するよ」
「それは不可逆的なの?」
「そうとも言えるしそうでないとも言える。基本的には不可逆的だけど、我輩がそれを更に上書きする形で元に戻すこともできるわけだからね。どう見るかだ」
「それはあなた以外にも習得可能な技術なの?」
「どうだろう? 我輩と同じ催眠種付けおじさんなら可能だとは思うけど」
「あなたはその能力が好き?」
「好きだよ。我輩の生きる意味と言ってもいいものだからね」
フリーレン氏は我輩との一問一答を経て、ある程度催眠について理解を深めたようだった。
我輩としても、催眠の布教ができて楽しい時間を過ごせたよ。
やはり、好きなものについて語らっている時が一番楽しいよね。
それが終われば、今度はいよいよ今後の話。
フリーレン氏は、リーニエ君とアウラ君を……と言うよりは、恐らく自分の目で見た我輩の能力を信じてくれたのだろう。
我輩が催眠を無作為に使わないことを条件に、今回の騒動の後始末に協力してくれることになった。
元より我輩がオラッしたいのは悲しき孤独な悪役に限られるし、使用用途もあくまでその子を幸せにするため。
フリーレン氏が提示した条件に差し障ることは滅多にないだろう。
とにかくこれで、勇者パーティの魔法使いという社会的地位のあるフリーレン氏が味方になってくれるわけだ。
最高に社会不適合者な催眠種付けおじさんである我輩としては、非常に心強い。
そんなわけで、しばらく彼女と相談して決めたのだけれど……。
今回の事件の真相は、一部の者を除いて秘すべきだろう、という結論に至った。
リーニエは領主の賓客として、アウラは街の仇敵として、住民たちに顔を知られてしまっている。
そして、フリーレン氏の時もそうだったように、困ったことに彼女たちの精神性が人間のものであると証明する手段はない。
故に、民衆相手に馬鹿正直に「彼女たちは人間になって今までのことを反省しています!」なんて主張しても、感情理論の両面で許される道理がない。良くて魔女裁判、悪い場合は即処刑だろう。
故に、我輩たちは基本的に顔を隠し、魔族リーニエや魔族アウラとは関係のない別人として暮らさねばならない。
その上で、フリーレン氏はその偽装に協力してくれると言ってくれた。
「幸い、魔族は死んだら塵に返って、証拠は残らない。
だから、断頭台のアウラは、私たちパーティが討ち取ったことにする。
後は外套を着るなり何なりして、正体がバレないようにするんだ。君たちは今後、魔族とは関係のない一般人として生きるんだよ」
合流したリーニエ君と目を覚ましたアウラ君に、フリーレン氏は静かに語りかける。
その姿は、小柄な体格に似合わず聖母のようですらあり……。
その寛大さに、我輩は自然と頭を下げていた。
「ありがとう、フリーレン氏。この借りは、いつか返すよ」
「その子たちが元に戻ったり暴走しないようにしてくれれば、それでいいよ。
……それと、そうだな。近くに困ってる人がいたら、気が向いた時には助けてあげて」
「承った」
我輩は頷き、フリーレン氏の仲間であるシュタルク君が教会の関係者を呼んでくる前に退散しようと、歩き出したのだが……。
続いて歩き出したアウラ君は、フリーレン氏の前で立ち止まり、気まずそうに口を開いた。
「……フリーレン」
フリーレン氏はアウラ君の方を見て……恐らく、努めて感情を殺しながら、語りかける。
「アウラ。魔族であった頃のお前がこの街の近くにいると聞いた時は、必ずここで殺そうと思った。それが人類のためだったからだ。
けれど、今のお前には……君には、言うことはない。償いたいと思うのなら、その長い生涯を使って償い続けろ」
「ええ。……ありがとう、フリーレン」
アウラ君は頷き、それから小さく苦笑いを浮かべる。
「今思うと、おじさまがいてくれてよかった。あなたと戦わずに済んで、心の底から安堵しているわ。
もしも正面から戦えば、きっと私、負けていたでしょうから」
「なんでそう思うの?」
「……あれ、何故かしら。なんとなく、そう感じたのよね」
アウラ君が不思議そうに首を傾げながら言うと、フリーレン氏は一瞬だけ驚いたように眉を吊り上げた後……。
ふわりと、これまでに見たことのない、柔らかな笑顔を浮かべた。
「そう。……たまには、信じてみるのも悪くないね」
* * *
とまぁ、そんなこんなで。
我輩たちは、その正体を他人に悟られないよう、コッソリとこの街で過ごしていた。
我輩個人としては、このまま正体を秘して生きていくのもアリだと思っていたのだけれど……。
アウラ君とリーニエ君は、それに首を縦には振ってくれなかった。
せめて1人、正体を明かすべき者がいる。
この街を攻撃し続けた魔族、あるいはその延長線上にいる人間として、きちんと謝さねばならない相手がいる、と。
その相手こそが、この街の領主である、グラナト伯爵。
何代も前からアウラと戦い、この街を守り続けた一族の末裔、今を生きる英雄だ。
フリーレン氏が話を通しておいてくれたおかげで、門番は我輩たちを見てすぐに察し、グラナト邸の中に入れてくれた。
そして、そのまま通された部屋には、近衛兵たちを傍に付けた男性がいる。
先日の戦いで傷を負ったのか、全身に包帯を巻いているが、それでも気迫は十分。
茶髪の質実剛健な男……何度か見たこともあった、この街の領主、グラナト伯爵だ。
その場で跪いた我輩たちを、伯爵は多少の興味と警戒を覗かせながら眺める。
「フリーレンに頼まれたから通したが……大柄な男、フード越しだが恐らく小柄な少女が2人。見覚えもなければ、正体もわからん。
まずはお前らが誰なのか、聞かせてもらおうか」
「発言、そして提言の許可を願います」
「いいだろう」
伯爵は権力者としてはフランクで物分かりの良い人物らしいが、念のために許可を取る。
権力者に対してうかつなことを言えば処刑されかねないのがこの世界だからね。
……まぁ、これから先に言うことがうかつではないわけがないし、処刑されるリスクは十分すぎる程に残っているのだけれど。
「恐れながら、我輩の背後にいる2者について、その顔を明かすことは非常に大きな混乱を生むと予想します。伯爵が信頼される兵を残し、他は退室されることを願いたく」
「……いいだろう。お前ら、下がれ」
伯爵がそう言って軽く手を振ると、我輩たちの背後に控えていた衛兵たちはぞろぞろと退室していく。
残ったのは伯爵と、その傍に控える者が1人。
これなら、事故は起きない……と、信じたいところだ。
覚悟を決めて、我輩は2人に声をかけた。
「感謝いたします。……2人とも、ゆっくりと、決してその場から動かず、フードを取りなさい」
我輩が言うと、背後で衣擦れの音。
そして、それと同時に……グラナト伯爵の表情が、驚愕と怒りに染まる。
「な……ッ! 儂を謀ったか!!」
傍に控えていた衛兵が、こちらに槍を向けてくる。
伯爵自身も、背後に飾られていた剣を抜き、慣れた様子でこちらに構えた。
小さくない負傷を抱えているだろうに、全くキレの落ちない動き。やはり、ただ部屋に引きこもっているだけのお偉いさんではないらしい。
一瞬即発の空気。
けれど我輩たちは、混乱する彼らを刺激しないよう、跪いたまま動くことはなかった。
そのまま、緊迫した数秒が経過し……。
少しだけ落ち着きを取り戻したと思しき伯爵が、再び口を開く。
「……目的は何だ」
まだ、2人に話をさせるのは早いかな。
「彼女たちの目的は、謝罪です」
「謝罪……だと?」
そこで、背後にいた2人が、我輩よりも1歩前に出る。
当然警戒され、槍と剣が殺気を向けてくるが、それでもこちらから敵意は返さない。
なにせ、今日ここに来たのは、戦うためではないのだから。
伯爵の前に跪いたまま、今度はアウラ君が口を開く。
「発言の許可を願います」
「……いいだろう、言ってみろ」
「まず、私たちが何者かについて。お察しの通り、私はかつて断頭台のアウラと呼ばれていた者です。横にいるのは、私の部下であったリーニエ。
私たちは魔族として、この街と敵対していましたが……3日前、おじさまの能力で、思考を人間のものへと変えていただきました。
そのおかげでようやく、自分たちがしてきたことが大きな誤りであったと、気付くことができたのです。
故に、長きにわたりこの街を害したこと、多くの人々を……手に、かけてしまったこと。それを、この街の領主たる伯爵閣下に、謝罪したく思います」
ある意味で、一方的な宣言。
それを聞いて、伯爵は……その感情を、爆発させた。
「ふっ……ふざけるな! 今更謝罪だと!? 何十年と街の者たちを殺し続けておいて、今更!!
そんなふざけた言葉が通ると思っているのか!?」
当然の反応だろう。
彼にとって、この街にとって、断頭台のアウラは災厄。
倒すこともできず、被害を和らげることもできない、どうしようもない捕食者だった。
それが、今更に謝罪を行う。
領地の主としても、彼個人の感情的にも、これを許せるわけがない。
「じっとしていろ、その首ここで叩き斬ってやる!」
本格的に殺意と剣を突き付けられたアウラ君は……。
静かに、落ち着いた声で、言った。
「それで、構いません」
「……何?」
「この首であなたの、そしてこの領地の溜飲が下がるのならば、そうなされても構いません。
私たちは、そうされて仕方のないことをしたのですから」
そうして、アウラ君は更に深く頭を下げる。
その白磁のような首がよく見えるように……いつでも、それを狙えるように。
「魔族2匹の首で許されることではないでしょう。
ですが、せめてそれで、少しでもあなたたちの怒りが晴れるのならば……どうぞ」
アウラ君の、粛々とした、けれど重い覚悟を込めた言葉。
それに対し伯爵は、その剣を高く掲げ……。
……しかし。
それは、振り下ろされなかった。
見開かれた彼の視線は、アウラ君ではなく……。
アウラ君の右に控えるリーニエ君に、完全に吸い付けられていた。
「お前は……その髪色、うっすらとだが、覚えがあるぞ。お前、あの日リュグナーに殺されかけた儂を、何度も庇った女か」
「…………」
リーニエ君は、答えない。
だが、答えないということが、何よりもそれを事実と認めている証左だ。
我輩は、それを聞いて納得する。
「いざという時はすぐに逃げるように」と言ってもなお、彼女が手酷い重傷を負ったことに、なんとなく違和感を覚えていたんだが……。
なるほど、そこに重傷を負った伯爵がいれば、逃げ出すわけにはいくまい。
その上重傷で動けない伯爵を庇う必要があるとなれば、手傷が増えるのは当然だ。
「何故、あんなことをした」
依然剣を構える伯爵にそう訊かれて、リーニエ君はようやく口を開く。
「……人として、当然のことをしたまでです。
そこに助けられる人がいるのなら、助けたい。今はそう思えます」
祈るような、願うような、そんな真摯な呟きだった。
リーニエ君の独白は、静かに穏やかに、部屋に満ちた。
伯爵は剣を持つその手を震わせ、リーニエ君とアウラ君の間で何度も視線を動かし、数十秒に渡る懊悩の後……。
その手に持つ剣を、後ろのラックにかけ直した。
そうして、我輩の方を振り向くことなく、壁にかけた剣を見ながら、言う。
「…………お前たちの首を取ったところで、いなくなった者たちが戻るわけではない。
自分の感情やエゴイズムで首を斬れば、儂は、魔族と変わらなくなってしまう。
それは、領民たちの……この剣の持ち主の、望むところではないはずだ」
自らに言い聞かせ、諫めるような言葉が、いくつか口から流れ出る。
そうして、彼はため息を吐き、我輩たちに背を向けたまま、苦々しく呟いた。
「少なくとも儂は、角を持たず人を殺そうとしない魔族も、命懸けで人の命を守ろうとする魔族も、人を殺した過去に歯噛みし涙する魔族も、知らん。
故に、断頭台のアウラとその配下の魔族は、皆死んだのだろう。
死んでしまった者は、それ以上殺せん。この話は、これで終わりだ」
怒りが収まったわけではないだろう。
納得できない想いも、抑えられない激情も、未だ彼の中にあるのだろう。
だから、伯爵は2人を見ない。
その容貌を見て、再び憎しみを取り戻してしまわないよう、目を背けてくれている。
……伯爵が理性的な判断の出来る人で助かったな。
正直、この場で2人共々切り捨てられてもおかしくはなかったし、その覚悟はしていた。
それが、多くの人間を殺して来た魔族の体を受け継ぐ彼女たちに、その罪を共に背負うと告げた者の責任だからね。
だが……どうやら、我輩たち3人の命は繋がったらしい。
ひとえに、リーニエ君とアウラ君、その行動と態度故に。
自分の信じることのために、自分が目指すことのために……あるいは自分の信念に基づいて取った行動が、最終的に誰かの信頼を勝ち得た。
あるいはこれが、彼女たちの償いが生んだ、一番最初の生の循環なのかもしれない。
「……寛大な処置、感謝いたします。
そして、改めて、本当に……本当に、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げたアウラ君の言葉で、この話は、完全に終わりを迎えたのだった。
我輩たちが部屋を辞する際、ふと思い立ったように、伯爵の言葉がかかる。
「お前たち、これからどうするつもりだ。この街で生活するのか?」
我輩としては、当然そのつもりでいた。
ここは七崩賢ですら破れない防護結界があるし、少なくとも魔族強襲による突然の死は起こり得ない。
既に我輩がモノにした女も複数住んでいるし、ここを離れる意味はないだろう。
故に我輩は「そのつもりです」と答えようとし……。
……しかし、それよりも早く。
アウラ君が、想定外の答えを口にした。
「私は、この街で平穏を享受する権利を持ちません。
故に、数日の内にこの街を出て……北へ、向かおうと思っています」
* * *
伯爵邸に行ってから、数日。
「まったく、どう思うよリーニエ君」
「酷いよね。ショックだ」
「だよね、ほんと酷いよねー。せめて我輩たちに相談の1つや2つしてほしいよねー」
「姉妹みたいなものだと思ったのに、裏切られた気分」
「我輩も、器量を疑われるようで悲しいなぁ」
ぐちぐちと話していた我輩たちの前で、アウラ君はプルプル震えている。
怒りとか悲しみとかじゃなく、純然たる羞恥からの動揺であった。
「……だ、だって。だって、2人は関係ないじゃない。
私は私の償いをしなきゃって、だから、2人とは離れたくなかったけど、それでも私のすべきことをしなきゃって、そう思って……」
「せめて相談してほしかったよねー、我輩たちの意思を軽視しすぎだよねー」
「だよねー。酷いよねアウラー」
「うぅ、もう、そんなに責めることないじゃない……」
肩を落とすアウラ君に続いて歩きながら、我輩とリーニエ君は彼女の様子に苦笑を浮かべる。
なんだかんだ彼女も反省しているし、本気で責めるつもりはない。
けれど、我輩たちの向けた信頼を信じなかったことは、きちんと反省してもらわないとね。
「アウラが行くのなら、私も行くに決まってるじゃん。一緒に償うって言ったでしょ」
「我輩だって、君たちと一緒に背負うと言ったんだ。その言葉を覆したりはしないさ」
言いながら、我輩は背後を振り返る。
そこに見えるのは、今しがたこっそりと城門を抜け出させてもらった、グラナト伯爵領。
我輩は今、2人の少女と共に、3か月間を過ごした街を出て、北を目指して旅立っていた。
アウラ君はあの3日間、平和な日々を過ごしながら考えていたのだろう。
どうすれば少しでも償えるのか。どうすれば少しでも人間の役に立てるのか、と。
真面目な彼女は、罪悪感から目を背けられなかった。
何千何万の人間を殺して来た自分が、こんな平穏を味わっていいわけがないと、そう思ってしまったんだろうな。
だからこそ、どうすればより効率良く償えるのか、どうすればより多くの人を救えるのか、考えて考えて考え続けて……。
そして、その結論は。
「各地を巡って、強い魔族を1匹でも多く、私の魔法で殺す。私が多くの罪を犯した『
……なかなかに過激なものだった。
その旅は、苛烈なものになるだろう。
アウラ君の魔法は非常に強力だが、先日の戦闘でもわかったように、無敵なわけではない。
下手を打てば敵との真っ向からの戦闘になるだろうし、最悪その中で殺されてしまうかもしれない。
だからこそアウラ君は、我輩とリーニエ君をこの街に置いて、1人で旅立つつもりだったのだ。
こんな勝手な償いに、我輩たちを巻き込むわけにはいかない、と。
まったく、ふざけた話だよ。
もっと我輩たちを信じて、頼ってほしいのだけれど……。
まぁ、彼女の生真面目さ故の暴走、と見るべきなのだろうね。
「でも、おじさま、他にも女の人がいたじゃない。彼女たちにも申し訳ないって……」
「まぁ、それはね。でも大丈夫、きちんと話し合って分かってもらったから」
1人につき6時間ほど、じっくりと腰を据えて「おはなし」をして、全員の合意はもらった。
勿論催眠に頼ることなく──流石に「一緒にいてくれないなら死ぬ」とナイフを持ち出された時は、落ち着いてもらうために使ったが──、思考誘導なしのお話をしたんだけども。
最終的には、「いつか、10年後でも20年後でもいいから、必ずこの街に戻って来ること」という条件で、全員が納得してくれた。
みんな、話が分かる子で助かるよ。
「彼女たちは、もう救われている。究極的には我輩がいなくとも、自分で幸せになれる子たちだ。
でも、君たちは違う。我輩が押し付けた過去は、今も君たちの人生に影を落としている。
だから、君たちのしたいと思ったことに協力するのは当然だよ」
そう言うと、アウラ君はもにょもにょと表情を歪ませる。
恐らくは「でもそうしないと私たちは生まれなかった」とか「悪いのはおじさまじゃなくて魔族だった私たち」とか言いたいと思ったのだろうけれど……。
そんなことを、彼女の口から言わせるわけもなく。
「いいじゃないか、アウラ君。我輩たちがいるのは嫌かい?」
「嫌なわけないじゃない! おじさまもリーニエも、私にとって大事な人よ。叶うのなら、一緒にいたいけれど……」
「うん、ありがとう。でもさ、それと同じように、我輩やリーニエ君たちにとっても、アウラ君は大事な人なんだよ」
「そっ、れは……」
「だから、一緒にいさせてくれ、アウラ君。
我輩もリーニエ君も、自分でそう望んだんだ。……そうだよね?」
「うん、おじさんとアウラと、一緒にいたい」
「2人とも……っ!」
感極まって抱き着いて来たアウラ君と、3人でハグし合う。
結局のところ、彼女が理解していなかったことは、たった1つ。
我輩はアウラ君とリーニエ君のことが好きで、2人もお互いのことを憎からず思い、また我輩を好きでいてくれる。
そして、相手のことが好きだから、一緒にいたいと思うんだ。
ならば、たとえ危険だろうが苦労しようが、旅の1つや2つ、付いて行こうというものである。
「さぁ、改めて行こう、2人とも。我輩たちの旅……名付けて、催眠種付け旅行へ!」
「おー」
「いや、催眠種付け旅行って何よ……」
* * *
そんなわけで古巣から旅立ち、歩き出した我輩たちだったが……。
そもそも、この度の最終目的を聞いていなかったことを思い出す。
「アウラ君、北に向かうとのことだったけれど、目的地なんかはあるのかい?」
「ええ、あるわ。……何はともあれ、必ず倒さなければならない魔族が、1人いる」
「それは?」
訊くと、彼女は少しだけ眉をひそめ、言った。
「黄金郷のマハト。七崩賢最強と言われた大魔族。
あの勇者パーティですら倒すことはできず、今は北部高原に封印されている男。
アレだけは殺さないと……下手をすれば、クヴァールの再来になりかねない」
クヴァールというのが何なのかはわからないが、そのマハトという男がとんでもなく強いことだけは伝わって来るね。
勇者パーティ……噂に聞くヒンメル氏やフリーレン氏ですら勝てないとなると、ちょっと現存人類で相手するのは厳しいのではないかな?
いやまぁ、我輩さえいれば、なんとかなるとは思うけれども。
なにせ我輩、知性体相手なら、最強だからね。
「そのためにも、ひとまず近場で3人で乗れる手頃な飛竜を服従させるわ。それを足にして北部高原を目指しながら、道中の村などにも立ち寄って困ってる人たちを助けていく。
……ひとまず、私が立てたプランはこんな感じ。何か問題はあるかしら」
「異議なーし」
「リーニエあなた、てきとうな……」
呆れたように眉をひそめるアウラ君に、我輩は尋ねる。
「……アウラ君としては、大丈夫かい?」
「何が?」
「こう言ってはなんだが、魔族であった頃の同僚のようなものだろう。
それを害するというのは、多少なりとも心理的に……」
しかし、それを聞いたアウラ君は……。
ふふっと、余裕ありげに笑った。
「気にかけてくれるのは嬉しいけれど、大丈夫よ。ちっとも気にならないわ」
「そう?」
「ええ、だって……。」
そうして、振り返ったアウラ君がこちらに見せてくれたのは……。
魔族であった頃は浮かべたことがなかったであろう、穏やかで満たされた、あどけない笑顔だった。
「『七崩賢のアウラ』はもういないじゃない」
この台詞書くためにここまで書いたまである。
そんなわけで、断頭台のアウラ編完結です。
魔族だった少女たちは誰かを、そしていつか自分を救うための旅に出るのでした。催眠種付けおじさんと一緒に。
うーんこれはハッピーエンドですね間違いない。
あと、想定外にたくさんの方から反応いただけたので、需要があるなら次の長編である一級試験編も書こうかな~とちょっと迷ってます。
ただ、書くとしても結構方向性が変わっちゃうと思うので、よろしければ下にある(はずの)アンケートにご協力ください。
それと、書くとしてもアニメの進行が追い付いた時なので、多分だいぶ先のことになります。エルフくらいの時間感覚で気長にお待ちくだされ。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
リーニエ君とアウラ君中心で、女魔族理解らせ要素(ほぼ)なし、だいぶシリアス寄りな一級試験編に需要はあるか否か。ない場合はバッサリカット予定。
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は? 読みたいが?
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おじさん視点に非ずんば本作に非ず♡
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理解らせがないなんて各方面に失礼だよね
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まんじりともせずコメディだけ書けッ!