ラヴェルに帰る……そんな言葉をロッソから聞いてから、二十四時間後。
俺は現在、いつもとは違うコクピットの内装越しに、真っ暗な海の上を飛んでいた。
海面に手が届きそうな低空飛行。
今日は風が弱く、波も少ない平和な海だ。
ここまでであれば、今日のビジネスに特別な懸念点はない。
……ここまでで、あれば。
「……ライカ、聞こえるか?」
俺は無線越しに、後部座席にいる『彼女』に話しかけた。
「かんどりょうこう」
抑揚のない舌足らずな合成音声が、返事として聞こえた。『感度良好』と言っているのだろう。
……そう、俺が今乗っている複座型の戦闘機には、火器管制官として、ホムンクルスのライカが乗っている。
ロッソが『ライカが留守番』ではなく『トラスニクが留守番』といったのは、こういう意味だったらしい。
一体なぜ、このようなややこしい状況になったのか。
俺は昨日の出来事を思い出しながら、今回の作戦について考えた。
――二十四時間前。
「ラヴェルに帰るって……どういう意味ですか?」
ロッソの発した言葉に、最初に反応したのは天神だった。
他の面々は声こそ出さないが、俺も含めて皆一様に、発言の意図がわからないといった様子だった。
「あぁ、ごめんごめん、経緯を話さないとだね」
ロッソは相変わらず軽い口調で笑いながら、頭を掻く。
「えーっと……」と彼は数秒思案してから、言葉を続けた。
「君たちの古巣……アジア圏第三ラヴェルの、今のトップは誰だい?」
と、ロッソは聞いてきた。
「え……そりゃ芹沢理事長じゃ――」
「いいや違うね。今は理事長が降ろされて、マーティネス社のなんとかってクソ女だったはずだよ」
レイの言葉に被せるように、落花はつまらなさそうに答えた。
俺が捕まっている間に、そんなことになっていたのか。
「そうそう、正確にはマーティネス・コーポレーション本社執行役員のヘレン・メイヤーズさんだね」
「なんだ知ってんじゃん。うざいなあ……」
ロッソのその答えに、落花はため息を吐いた。
そんな彼女の悪態もスルーして、ロッソは言葉を続ける。
「君たちがイレギュラーに加入して、一か月くらいになっただろう? おかげでこの活動も一気に軌道に乗ってきてね。そろそろここらで、次の段階に行きたいと思って」
「はぁ……それと、今の話に何の関係が?」
「うん。悔しいけど、今の状態は、企業にとっては小市民からの嫌がらせ程度のものに過ぎない。外からいくらちょっかいをかけたところで、連中は動じないんだ」
「……できればもったいぶった言い方は止して欲しいのですが」
眠たくて不機嫌そうな天神に対して、ロッソは人差し指を立てて、人当たりの良い教師のように言葉を続ける。
「だから、そろそろ内側から攻める人材が欲しいんだよ」
その言葉に、天神の表情が変わった。
眠たげな座った目が、見開いていた。
「……まさか、ヘレン・メイヤーズを?」
「そう、こちら側に引き込みたい」
天神に対してのロッソの答えに、彼以外の全員が眉をひそめるような表情をした。
耳を疑った、というような面持ちだった。
俺自身もそうだ。
ヘレンとか言うやつのことは、以前シズクから聞いた断片的なことしか知らないが、話を聞く限りでは、ラヴェルの運営を理事長から引き継ぐことのできる立場の人間ということだった。
マーティネス社の実質的傘下である、あの古巣を任される人間ということは、会社内でもそれなりのポストだということは、想像に難くない。
確かに味方に引き入れられるのであれば、企業スパイとしてかなりの情報をこちらが手に入れることができるだろう。
だが……。
「できるんですか、そんなことが?」
天神も同じことを思っていたのだろう。
訝し気に、彼女はロッソに聞いた。
「できる」
彼は即答して、続けた。
「あの手の人間が、どういうものに心を動かすのか、君たちよりは知ってるつもりだ。小心者で自分が大事で仕方がない人種だ。ほんの少し今後の保身を見せつければ、傾くさ」
そう話すロッソの表情は、先ほどのにこやかなものとは違っていた。
笑っているのは変わらないが、どこか嘲笑が入っているというか……むしろ、自嘲しているようにすら見えた。
「……まあその辺は、私に任せて欲しい。つまるところ君たちにしたいお願いは、ラヴェルまでヘレン・メイヤーズを迎えに行って欲しいってこと」
しかし、ロッソはまたいつもの軽い笑顔に表情を戻して、そう続けた。
「要は女を攫ってこいってことか」
「その言い方やめなよ、ヨーコ」
「で、でもどうやって……?」
駆藤、大羽、そしてレイが、それぞれ口を開く。
先の二人の話はともかくとして、確かにレイの疑問はもっともなものだ。
ラヴェルであそこまで派手な脱走劇を繰り広げたのだから、恐らく現在の警備は、俺たちが逃げたときとは比べ物にならないだろう。
それこそ今戻ったら、ハチの巣をつついたような大騒ぎになってもおかしくはない。
しかも狙うのがただのデータや書類ではなく、生きた人間一人となると、難易度はさらに上がる。
「当然、私だってその場の思い付きで言ってるわけじゃないさ。ちゃんと準備はしてるよ」
しかしそれは想定内の質問だったようで、彼は大まかな作戦内容を話し始めた。
要約すると、こんな感じだ。
まず第一に、レーダー探知を避けるため、ラヴェル到着まではSUの起動をせず、俺が専用のステルス機に乗って、フェンリル隊を輸送する。
使う機体は、F/A-117Eナイトストリクス。
かなり古い機体だが、静音性、低被探知性が現行機の中では飛びぬけて高く、最大の特徴は、有視界、赤外線下で特に有効な、光学迷彩が可能な点だ。
特に夜間でこれを使用すれば、少なくとも目視で見つかることはないだろう。
フェンリル隊を投下後、レーダーに引っかかる前に一時撤退する。
その後は、フェンリル隊の仕事だ。
彼女らは今回、二班に大別される。
人的被害の出ない仮の目標を攻撃して気を逸らし、メイヤーズの警備を薄くするための陽動班。
そして、メイヤーズを確保するための隠密班だ。
隠密班が用いるのは通常のSUではなく、空中での性能がかなりオミットされた代わりに、リソースを水陸での活動と低被探知性に振ったステルス仕様のものを使うらしい。
陽動班は駆藤、落花、レイの三人。隠密班は天神、大羽の二人だ。
天神はてっきり陽動に回ると思っていたが、どうやら彼女は――少なくとも訓練では――精密性が求められる隠密も得意らしく、特に空間把握に秀でた大羽と合わせると、ほとんど痕跡を残さず行動できるとのことだ。
そうなると、派手に動けばいいだけの陽動に回すよりは、こちらにリソースを割いたほうが良いという判断だろう。
そしてメイヤーズを確保次第、俺が戻ってきて、フェンリル隊とパッケージを収納。再び雲隠れして、今度こそおさらば……という寸法だ。
端的にまとめると、隠れて侵入し、少し暴れてる隙に他のやつがメイヤーズを捕まえて、さっさと逃げる。
という作戦になるわけだ。
「……作戦内容は把握しました。私は異論はありません」
おおよその話を聞いた天神は、どこか気が重いようにそう告げた。
異論はないが、思うところはあるのかもしれない。無理もないだろうが。
「私もそれでいい。コソコソやるのは性に合わん」
「同じく」
「わ、私も大丈夫です!」
他の面々も異論それ自体は無いらしく、駆藤に落花、レイはそれぞれ、作戦参加を表明した。
「アナタは大丈夫、リリア? AWACSでしばらく戦闘機動から離れてたと思うけど」
「見損なわないでよ、ナナ。ちゃんと期待されてる分くらいは働く。アクロバットな飛行よりはこっちの方が得意だ」
天神の問いに対して、大羽は自信をもってそう答えた。
「ニッパー、君も作戦に異論は……と、そうだ。大事なことを伝え忘れていた」
と、ロッソが俺に言いかけたところ、何やら思い出したようだった。
なんだろうか? 何か懸念点でもあるのか、と思っていたところ、彼は続けた。
「今回使うのは複座式のステルス機なんだがね。人員がいないから、情操教育も兼ねて、後部座席に『彼女』を乗せるように」
そう言って、ロッソはある地点を指さす。
それは俺……ではなく、俺の膝に座っている、ホムンクルス……。
「……ライカを?」
俺は耳を疑った。
俺が思わず膝にいる彼女を見ると、ライカはまるで我関せずといったように、不思議そうな眼で俺の眼をじっと見つめていた。
――そして、再び現在。
俺は未だにロッソの狙いがよくわからないまま、頭を抱えたくなるような気持ちでいた。
一体やつは何を考えているのだろうか? 確かにライカは優秀なAIだから、旧式のステルス機の
だが、わざわざライカに……しかも
しかもご丁寧に、発声用のプラグインまでインストールして、だ。
なぜこんな手間をかけるのだろうか? 後部座席のコントロールが必要だというなら、それこそ操縦席側で動かせるようになるアドオンがいくらでもあるはずだ。
それこそシズクにでも頼めば、ものの十数分で見つけてくれるだろう。
……わからん。
ロッソの言う『情操教育』とはどういう意味だ?
「にっぱー」
そんなことを考えていると、ライカの合成音声が聞こえてきて、それが俺の名を呼んだものだと気づくのに、ほんの少しかかった。
考えてみれば、彼女にニッパーと呼ばれたのは初めてかもしれない。
「……どうした?」
「がんばろ」
「……ああ」
俺はそう答えるしかなかった。
やはり俺は、ライカの考えていることがわからない。
機械と人間なのだからそれは当たり前なのだが、どうにもこの『わからない』は、俺が今まで感じていたそれとは、また別のものな気もしてくる。
「ダーッハッハッハ! ニッパーくんがたじろいでるの、気分いいな~!」
と、そんなことを考えていると、無線越しに落花の笑い声が聞こえてきた。
輸送用のベイの中で笑っているのが目に浮かんだ。
「うわ~今のニッパーさんの顔見たかったな~」
「パイロットのモニター映像とかないのか、この機体?」
「ちゃんと録画されてるらしいよ。あとで桂木博士に確認してみよう」
すると、レイと駆藤、大羽もそれに乗って、そんなことを言いだしてきた。
「……そろそろ作戦領域に入るわ。全員気を引き締めて」
唯一、天神だけがそれを諫めた。
さすがというべきか、やはり彼女は、どんな時でも冷静だ。
「モニターの録画はこれが終わったら全員で観ましょう。今は集中して」
「おい」
どういうことだ……と言いかけたところで、天神は無線を切ってしまった。
なんだか釈然とはしないが、彼女の言う通り、今は作戦に集中するほかない。
いろいろと諦めて、レーダーを確認する。
「もくひょうちてん、しにん」
すると、ライカがそう教えてくれた。
なるほどたしかに、暗闇でわかりにくいが、視界に見える。
かつての古巣。
妖精たちの園。
彼岸の向こうでは、まだ妖精たちは眠っている。
「これより作戦領域に入る」
俺がそう報告すると、無線のノイズが走る。
そして間もなく、天神の声が聞こえた。
「時刻合わせ、0245……ハック」
彼女の指示通りに、時刻を合わせ、時計を進ませる。
「今回の必達はパッケージの回収のみ。攻撃はあくまでも陽動のものよ。向こうに人的被害を出さないようにして」
「ハウンズやコヨーテスの連中に絡まれたらどうすんの?」
天神の指示に、落花はそう聞いた。
すると天神は、どこか試すような口調で、こう言った。
「
「おぉ、言うねえ。やったろうじゃん」
天神に対して落花は、奮い立つようにそう言った。
そうこう言っているうちに、投下地点まで間もなくだ。
高度上昇。
風はなし。
探知されるまではまだ余裕がある。
「準備はいいな? 投下するぞ」
返事はない。準備ができている合図だ。
投下のカウントダウン。
3、2、1……。
「投下」
輸送ベイを開ける。
その中から、五人のフェアリィ達が飛び出す。
三人は、飛行音を起こし、発射場所を悟られないよう、大きく迂回、散開してラヴェルへ。
二人は、音も無く海面へ。
こうなれば、あと数秒でレーダー探知されるだろう。
俺は機体をバンクして、方向転換をした。
間もなく、警報が鳴る。
妖精の園は、ハチの巣をつついたような大騒ぎになるだろう。
「状況開始」
だが、そんなことは問題ではない。
まるでそう言いたいかのような、天神の静かな声が、無線に響いた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
このところずっと更新が遅くて申し訳ございません……。