ナナ達がラヴェルへ突入を開始した同時刻。
日を跨いで数時間は経ったであろう深夜だが、しかし理事長室の窓からは未だに明かりが漏れていた。
その部屋の中には、忌まわしそうに顔をしかめながら、デスクのモニターを睨みつけるヘレン・メイヤーズと、それを辟易したような表情で静観する、峰園がいた。
部屋の空気が悪いような気がして、せめて閉じきっているそのドアを開けたい気持ちを、彼女はぐっと堪えた。
「……これは一体なんの冗談ですか」
憎しみと焦燥がないまぜになった震え声で、ヘレンは呟く。
これで何回目だろうか……峰園はそう思いながら、口を一文字に結んでいた。
ヘレンが睨みつけるそのモニターには、大手のメディア企業が運営しているニュースサイトが表示されていた。
そこには、大きな見出しでこう書かれている。
『花のエンブレムをつけた戦闘機が世界各地で目撃され、反企業勢力に助力。『花飾りの英雄』との呼び名も』
そこに記載されていたのは、ここ一か月余りでニッパーとライカ、そしてフェンリル隊が支援したレジスタンスたちのインタビューであった。
曰く、それは飛ぶように空を舞い、見とれている間に、いつの間にか眼前の敵は全て排除されていた。
曰く、それは死に際に見た天使のようで、我々を救ってくれたように思えた。
曰く、それは空高く飛ばされた花嫁のブーケのようで、希望が形となったようであった。
エトセトラエトセトラ。インタビューの内容のほとんどは、助けてくれた『花飾り』に対して、好意的、あるいはそれ以上に礼賛するようなものであった。
「なんなんですか、この記事は……! 奴らは社会基盤を揺るがすテロリストなのですよ! それをこんな、賛同するような内容をッ……!」
それをひとしきり読んだヘレンは、余裕のなさそうな声でわなわなと震えた。
「この記事を書いた記者は……いえ企業は社会的制裁が必要です! こんなものを載せてる時点で奴らもテロリストの加担者! それを自覚させなければッ!」
怯えを怒りで隠すようにがなり立てるヘレンを見ながら、峰園は呆れかえるようにため息を吐いた。
それが気に障ったのだろう。ヘレンは峰園を睨みつける。
「……何か言いたげですね、ミス・峰園?」
「滅相もございません。理事長代理」
「代理ではありません、私はれっきとしたここの理事長! 責任者です!」
「あら、そうでしたわね。だからトラスニクが強奪された件で、そこまで焦っているんですものね。心労お察しいたします」
「このッ……!」
ヘレンは机にあったペンケースを峰園に投げつける。
ペンケースは峰園の額に当たり、そこから少し血が垂れた。
けれど、峰園は痛がったり額を押さえるような様子も無く、ただ先ほどと変わらず、冷たい目でヘレンを見据えていた。
ヘレンはそんな彼女に気圧されたのか、息を整え、話題を変えることにした。
「はぁ、はぁ……まあいいです。いずれやつらは処理します。まずは目下の問題を片付けなければ……ここのフェアリィへのマシン・インプラント導入の件はどうなってます?」
アジア圏第三ラヴェルのフェアリィは、今や標準装備となっている脳へのマシン・インプラント導入を行っていない。
これは前理事長である芹沢の意向によるものであり、当然公言はされていないが、ランバーによる思考変異……いわゆるランバーへの成り代わりを防止するためだ。
これはマーティネス社……ひいてはランバーに与する四大企業からすれば、不都合なことは言うまでもない。
そのため、新たに理事長となったヘレンに、インプラント導入の命令が下ったのだ。
なお、ヘレンは思考変異については知らされていない。
「そうですね、このラヴェルでは今までにない配備ですから、まだまだ時間がかかりますよ」
「なぜここまで時間がかかってるんですか! わざと伸ばしてるんじゃないでしょうね?」
「体制を大幅に変えるというのは、配ってハイ終わり、じゃないんですよ、『理事長様』」
峰園のその言葉に、しかしヘレンは歯を食いしばりながら黙るしかなかった。
ヘレンは思う。
せっかく地位を確保し、これからだというときに、この不幸続きはなんだ?
鹵獲するはずだったトラスニクは逃がし、あまつさえそいつは我が物顔で世界中の空を飛んでいる。
しかも、わざわざこちらがつけた鹵獲マークを、当てつけのようにアレンジして、だ。
しかも、側近であるはずの峰園は反抗的な態度を崩さない。
芹沢も更迭して軟禁しているというのに、まるで隠居生活でもするように余裕がある。
なぜこんなことになってしまったのか。
これ以上悪くなるようなことが、ひょっとしてまた起きるんじゃないか。
ヘレンは今や、日常的にそんな不安に苛まれている状態であった。
そして、彼女のその予感は、少なくとも何か起こる、というその不安は。
本人の望む望まないに関わらず、的中することになる。
突如、警報が鳴った。
けたたましいサイレンの音。
それと同時に、遠方から、爆発音が響くのを、二人は確かに感じた。
「な、なんですか!?」
「こちら峰園です。コントロールタワー、何があったのですか?」
突然のことに慌てふためくヘレンとは対照的に、峰園は冷静に、インカムで管制塔に状況を聞いた。
「……なんですって?」
だが、その報告を聞いて、その冷静さは一時崩れる。
「ま、間違いありません! ウルフ隊です! 逃亡したウルフ隊が、UAV格納庫を攻撃しています!」
「ウルフ隊が……?」
峰園がその言葉を呟いた瞬間、ヘレンはそれに反応した。
「う、ウルフ隊……トラスニクと一緒に逃げたフェアリィが?」
「えぇ、コントロールからそう報告が」
「絶対に捕えなさい! 戦力を集結して対処! 喋れる状態であれば何をしてもよろしい!」
鬼の剣幕でヘレンはそう喚き、峰園に指示する。
峰園は一旦状況を整理しようと、コントロールに詳細を聞く。
「状況は?」
「元ウルフ隊のフェアリィ三人が、UAV格納庫を攻撃。現在はラクーン隊、フォックス隊、ディンゴ隊が対処のため急行中。明確な襲撃意図が見えたため、
「どういうこと? ハウンズとコヨーテスは?」
「それが……『まだ準備中だ』とのことで……」
「準備中?」
その報告に、峰園はいくばくかの違和感を覚えた。
基本的にこのラヴェルのフェアリィには、有事の際すぐに対処できるよう、スクランブルへの待機命令が下されている。
練度の低い隊であればともかく、ハウンズやコヨーテスのような高練度の部隊がスクランブルの準備に時間がかかることは、通常はないことだ。
「何を呑気なッ……あのセラフ章の天神ナナがいるのですよ!? 全力で対処しろと命じなさい!」
そんなヘレンの叫びが、峰園の違和感をより具体的な形にした。
峰園は逡巡する。
先ほど、コントロールは三人と言った。
……誰だ?
「コントロール、襲撃してきたウルフ隊のメンバーが誰かわかりますか?」
「え、えっと……」
「天神ナナはいるか、と聞いているんです!」
「い、いません! 襲撃メンバーの中に、天神ナナの姿はありません!」
すると、峰園の頭にひとつの予想が浮かんだ。
襲撃がメインであれば、ウルフ隊の切り札である天神ナナは必ず出張ってくるはず。
いない、ということはだ。
自分以外のメンバーで十分だと判断したか。
あるいは、彼女は別の行動をしているか。
別の目的のために。
つまり、それが意味することは――。
襲撃は、
峰園はここから避難した方が良いかもしれないと思いながら、部屋のドアのほうを見た。
開いているドアからは、暗い廊下が見えている。
……それを見て、峰園は寒気がした。
ドアから、廊下が見えている。
閉まっていたはずのドアから、暗い廊下が。
「……ヘレン理事長、あまり動かないほうが良いかもしれません」
「は、はぁ!? 急に何を――」
言い出すんだ――ヘレンはそう言いかけたが、しかしそれは声に出すことは叶わなかった。
「仰る通り。大人しくしていただきたい」
峰園でもない、ヘレンでもない。
第三者の声が、虚空から聞こえた。
その声に、ヘレンは固まり、反応できないでいた。
ただ彼女は、その声の方向にゆっくりと顔を向ける。
「光学迷彩……!?」
その場所は、少し空間が歪んでいるようで、それが徐々に大きくなっていく。
気づけば、そこにはフードを被った、小柄な女性が現れた。
潜入に特化したSUと、その性能を最大限発揮するための特殊スーツに身を包んだ彼女は、銃を――と言っても、捕獲を目的としたテーザーガンのようだが――ヘレンに向けていた。
気づけば、いつの間にか峰園の後ろにも同じような女性がいて、テーザーガンを向けていた。
二人は、ゆっくりと被っていたフードを脱いだ。
「アナタは……」
と、ヘレンは思わず呟いた。
峰園も、ヘレンも、彼女のことはよく覚えていた。
ウェーブのかかった、絹のような銀髪。
子供と見紛うような小柄な体躯からは想像もできない、切れ長の鋭い眼光。
それは、彼女自身の強さを表しているようで。
「……お久しぶりです。峰園さん」
「ごめんなさい、こんなことになっちゃって」
天神ナナ。
そして、大羽リリア。
二人は、こちらに銃を向けているとは思えないほど、寂しそうな、罪悪感に悩むような表情をしていた。
「……ヘレン・メイヤーズで間違いないわね?」
しかし、すぐにその表情を切り替え、ナナは圧力を持った眼光で、ヘレンを睨む。
そうしながら、ゆっくりと続けた。
「来てもらうわ、私たち……『イレギュラー』の下に」
ヘレンは、その言葉に逆らうような度量は、持ってはいなかった。
ちょっとソトアがFCUに攻めてきたらしいので行ってきます。