君のための幻想郷   作:倭人

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第二章 迷いの竹林 (5)

 

 八雲が慧音を背で庇うように立てば、前方から音もなく其奴(おんな)は現れた。

 貝紫色の着流しに、日本ではまずお目にかかることはできないだろう脱色した黄金の髪。ふわりと靡く腰まで伸びた髪からは、気品だけでなくうっとりする美しさも感じさせる。正面に立たれるだけで、男ならば目を細め、鼻の下を伸ばし、一世一代の歌を詠むのだろう。

 だが生憎なことに八雲は常人と違い、女の異常さだけに心を奪われていた。容姿を気に掛ける余裕など無い。一目見た瞬間から(いや、あの神通力である妖光を見た時からやもしれぬ)、八雲は胸中で燻る悍ましさに固唾を呑んでいたのだ。

 

(よもや……ここまで)

 

 八雲は地主の強さを最高水準に設定しているつもりだった。

 だった、と言うのは、今まさにそれが上回ったことを意味している。

 神とは言え、地主はたかだか一定の地域に住み着いたナニカである。土着神とは違い、古来よりそこを守護するために存在した者ではない。どのような経緯があったにせよ、地主とは元々神でもなければ、大きな力を持った存在でも無い……はずなのだ。

 なのにどうしてか。

 目の前にいる地主は、八雲が邂逅してきた神々にも劣らぬ力を有しているように思う。人の命など虫を踏み殺すか如く、容易く詰み取ることだろう。

 地主は八雲を冷めた目で一瞬見ると、すぐさま背後で庇われている慧音に焦点を合わせた。

 

「久しいわね、賢しい半端な獣さん」

 

 ぷくりと膨れた桃色の唇から、女の扇情的な声が漏れる。

 

「私と里に関する歴史を一部弄ったようだけど、残念。この身を焼く憎悪までは食べることはできなかったようね」

 

 肩に掛かった髪を払いながら、地主は驕傲な態度で言ってのけた。

 一つ一つの所作が様になるほど、地主は完成されている。都で過ごしてきた八雲であろうと、地主のような優美な女性は見たことがない。

 まさに立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 まだこの時代には無い諺ではあるが、地主を讃える言葉としては最適である。八雲の体越しに見つめられた慧音は、目尻に溜まっていたものを拭うと、そんな地主へきっと睨み返した。

 

「あぁ……私が弄れるのは歴史のみ。個人の感情や事実までを弄ることは出来ない……ただ誤算だったのが、まさかその憎悪の感情だけで本当の歴史にたどり着く事ができたとはな……流石は神と言ったところか」

「褒めている場合か、慧音」

「自分への皮肉だ、愚か者っ」

 

 慧音が八雲の横に並び立てば、苦々しい面持ちで地主と対面した。

 

「しかし、こりゃ……大抵のことは些事と済ましてしまうってのは、あながち間違いじゃないな」

「そうだろう? 良かったなー、八雲。お前が会いたくて仕方なかった地主が、こうして態々会いに来てくれたぞ。抱擁されに行かなくていいのか?」

「残念だが、それをした瞬間、俺はこの世と別れを告げなきゃならん」

 

 肩を竦め戯けてみるも、八雲と慧音の二人から緊張感が完全に取れることはなかった。

 今や平静を装うので手一杯だ。

 あれだけ強気で発言していた両者が、どうしたものかと頭を抱えるくらい、地主は別格の力を有している。無策に飛び込んで仕舞えば、それこそ八雲の言った通り今生の別となるのは必至であった。

 

「無駄話は終わったかしら。用があるのはそこの獣だけだし、人間は人間らしく、そこで大人しく殺されるのを待ってていいわよ」

 

 とうとう痺れを切らした地主が一歩前へ出た。

 八雲と慧音は一歩後退しそうになる衝動を押し殺し、視界に地主を捉え続ける。

 少し、拍動が早くなった。

 

「はは、随分な言われようだな、八雲……」

 

 若干だが声を震わせた慧音が、指をさして笑ってくる。彼女なりに場を和ませようとしているのかもしれない。八雲からしてみれば、てんで役に立っていないが。

 

「全くだ。だが、奴さんを見て明確に分かった事がある」

「何だ、それは」

「前者だったって事さね」

「前者? ああ……そう言うことか」

 

 合点がいった。八雲がずっと懸念していた事項の一つが、地主と対面することにより明らかとなった。

 昼間に川へ行った時、八雲は禊の形跡がなかったことを訝しんでいた。神とは穢れを嫌うもの。ここで言う穢れとは「忌むべき物」、または「寿命」や「病気」などと考えられる。神は元来より寿命など持たない。病気という概念すらもない。だからこそ、それを付与させる穢れは、さぞや惨憺たるものに映るだろう。

 

 穢れを与えられ死ぬ。

 それは、言い換えれば「人に否定されて死ぬ」と同義だ。

 

 物の怪と対して変わらない。目の前の地主は、もはや神などではなかった。

 

「あんた、禊を行っていないな」

 

 八雲が鋭い眼差しで地主を見る。

 だが女は対して焦った様子もなく、淡々とした声色で答えた。

 

「それがどうかしたの? 貴方に関係あるかしら」

「残念ながら、ね」

 

 八雲は本当に残念そうに言った。

 地主はそこで気付く。

 

「よく見たら見たことのない顔だけど、あなた里人じゃないわね」

「然り。当方は都から来た、しがない役人さ」

「ああ、いつも里人を虐げていた……」

「それとは少し違うんだがね、広く言うなら間違いではないか」

 

 地主相手に神祇官の説明をするのは憚れる。そもそも、八雲は目の前の女を調査するために来たようなものなのだから、話す必要もなかった。

 

「で、その役人が何をしに来たの? 税とやらでも取りに来たのかしら? 悪いけど、あの里のものは全て私のものよ、何人たりとも譲る気は無いわ」

「……」

 

 八雲の指がぴくりと動く。

 

「あの者達はあろうことか私へ呪詛を振り撒き、私の住処である祠を壊しました。次第に私の身は穢れ、今では神とやらのの側面も機能していない。あのような不届き者達を裁かなくて、何が地主でしょう?」

 

 淑やかに笑う地主を中心に空気が破裂した。乾いた音と一緒に幾つもの竹が裂ける。周辺に落ちていた朽ち葉や青葉は舞い上がり、風が逆巻くように波打った。肌を刺す威圧感。呼吸すらも忘れてしまう現象に、八雲は顔を険しくする。隣にいた慧音は、あまりの恐ろしさに仰天し八雲の体にしがみ付くほどであった。

 

「おい、八雲。ここからどうする気だ! ここまで来たら倒すしかないぞ!」

 

 ぐいぐいと八雲の体を揺らしながら慧音が叫ぶ。先程の光景を目の当たりにして、勝算があると思えるほど慧音だって馬鹿じゃない。

 ただ、()らなければ()られる。

 その恐怖心だけが彼女を突き動かしていた。

 

「倒せると思っているの? 一匹と一人で、一柱を?」

 

 地主の問いに、八雲は一度目を閉じて思案する。

 しかし。

 

「――いいや、今倒す事は出来ん」

 

 考えた末に下された結論は実に簡素な物である。

 

「神通力の強さと言い、さっきの現象といい、あんたは俺が見てきた中でも規格外だ。そんな相手に挑んでも、こちらが負けるのは目に見えている」

「何を弱気になっているんだ、お前!」

「事実なのだから、仕方あるまい」

 

 地主が現れる前まで、さもカッコよさげな態度を貫いていた八雲が、ここにきて「無理だ」と一蹴する。自陣には半人半獣と只の人間が一人。この手札だけで倒せるほど、安い札ではないことは嫌というほど理解できた。

 

「じゃあ、どうするんだー!」

 

 うわー、と更なる力で体を揺さぶられる八雲だが、固い決意を覆すことはない。

 一手でも間違えれば、詰みとなることなど最初から分かっていたはずだ。今ここで戦ったところで、勝敗に関係なく(ほぼ確実に勝てはしないけれども)徒労に終わるのは目に見えている。

 故に、八雲が導いたこの場で最適な行動……それは。

 

「逃げるか」

「はあ?」

 

 三十六計、逃げるに如かず。

 いつの世も、最終手段として用いられた逃亡であった。

 

「慧音! 振り返らずにそのまま奥へ逃げろ!」

 

 思わず地主も慧音も呆ける。それを見逃すなど愚鈍のすることだ。

 早々に縋り付いていた慧音の首根っこを掴み上げ、八雲は膂力の全てを振り絞り、竹林の奥へと投げ飛ばした。走れないのだからそうせざるを得ない。呆然としていた慧音は、いきなりの事で思考を奪われていたが、すぐさま着地による臀部からの痛みで我に返る。

「痛い!」慧音の悲痛な叫びによって、最後に地主が混乱から回復した。

 

「っ、逃がさない」

 

 地主が右手を前に出し、幾つもの()()を生み出す。中から覗くは、夥しく敷き詰められた赤色の目玉たち。全ての眸子がぎょろりと逃げようとした慧音を見た。

 振り返った慧音は、隙間を見て、正確には中にある眸子たちと目があって、己の血の気が引いていくのが分かった。時を移さず逃げ出さねば、恨言も言えず殺されてしまう。負傷している足を庇う余地などなく、這う這うの体で逃げ出した。

 が、慧音の初速が遅れてしまったのは事実。

 振り返り隙間を見なければ、八雲に投げ飛ばされたと同時、逃げ出せていれば、間に合っただろうに。地主が、幾十もの隙間から何かを取り出そうと腕を振った。

 

「――いーや、あの娘は逃がしてもらうさ」

「っ!」

 

 それは男の声が木霊した瞬間だった。

 何かを吐き出そうとしていた隙間たちが、悉く消し飛ばされたのは。

 何が起こったのか分からず、元地主神は隙間があった場所を見る。空中に浮かんでいたのは、朱色の文字で「妖魔退散」と書かかれたお札だった。壁もないのに、ぴったりと張り付くように空間に設置されている。

 

「これは……退魔の札?」

「俺の妹が丹精込めて作ってくれたお札だ。よく効くだろう?」

「——ええ、ええ、あなたは苛立ちを覚える男だということが分かりましたわ。お礼に美しく残酷に殺してあげる」

 

 隙間に頼らず、地主は己の脚で接近するため腰を沈める。そのまま大腿部に力を入れれば、一切の躊躇なく風を切る速さで跳んだ。

 けれども、八雲は焦る表情すら見せない。

 

「少しは冷静に周りを見た方がいいぞ」

「何ですって——?」

 

 八雲が下を指で示せば、地主は己の方向感覚が狂っていたのに気がついた。前方へと跳んだはずなのに、何故か眼前には地面が広がっている。咄嗟に顔を庇うため総身を捩るも、神にあるまじき無様さで地に手をつけた。

 

(一体何が起きたの)

 

 沸騰しかけた頭で、地主は考える。

 けれど、答えが出ることはない。何故なら、地主が思考の海へと到達するよりも早く、八雲が解答を齎したから。

 

「秘術〈二重結界〉」

 

 二重結界と呼ぶそれは、八雲が使う結界術である。

 一つは内外を隔絶させる為の札。もう一つは、内として設けた領域に、意図的な事象介入を行う札が用いられる。その名前の通り、二重の結界が作り出す奇妙奇天烈な現象は、地主の方向感覚を狂わせることに成功した。

 

(これで、少しは刻を稼げる)

 

 八雲が退魔の札を追加で配置させながら内心でそう吐露する。

 顔からは余裕が一切見られない。地主と違って相手を侮っていない証拠だ。どれだけ自分の策が上手く嵌まったとしても、常に最悪の場合を考えて手を打っておく。慢心など八雲には遠い存在だ。それは、慧音と初対面の時「この世に確実はない」と言った経緯からも、易々と察することができるだろう。

 地主は、八雲の抜け目ない性格に辟易しながらも、己の体を前後左右に揺らし持ち上げる。

 

「そう、私の平衡感覚を狂わせたの……おかげで真っ直ぐ立てないわね」

「何を言う、立てるだけで可笑しいさ」

 

 八雲は眼差しをすっと鋭く細めると、大袖から新たに追加の札を取り出して投げつける。

 より結界が強固になったのか、地主の膝が折られた。

 だが、ただでやられる程、地主だって弱くない。

 

「でも、この場を支配できなかったのが、あなたの弱さね」

 

 柔らかな唇が動いたと同時、八雲に神通力で造られた無数の妖光が向けられた。

 向けられた——という描写は些か間違いである。前も後ろも分からない今の地主が、正確に八雲を狙えるはずもない。目標など定められず、辺り一面、乱雑に、無規則に妖光が上空に散りばめられた。そう称するほうが理にかなっていた。

 満点の星空と形容してもいいかもしれないほど、美しい情景が広がる。

 隙間は空間に配置された札によって封じられたが、純粋な力の塊である妖光の球までは、八雲も未然に防ぐことはできなかった。

 よって、八雲は冷や汗をかいた。それはもう——死を直結させるほどの強い予感が、細胞の一つ一つを警鐘するかのように鳴り響いた。

 所詮、人間の体なんてものは、物の怪らと比べて脆弱にできているのだ。一発でも当たれば五体満足でいられない。

 

「自爆も恐れぬ無差別攻撃か……!」

 

 八雲は勢いよく踵を回して疾る。一瞬でも足を動かすのが遅れれば、四肢を爆散させられるなど想像に容易い。皮を焼き、肉を焦がし、骨を沸騰させる。まさに自然災害と呼べるほど、あの光は筆舌に尽くしがたい暴力を孕んでいた。

 一刻でも早く前へ。

 二重結界であの場に留められている今しか、八雲に逃げる機会は無いのだから。




ようやく、ようやく出ました
ということで、まぁ薄々感じていたでしょうが
地主というのはそゆことです
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