君のための幻想郷   作:倭人

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第二章 迷いの竹林 (6)

 

 竹から竹へと飛びながら奥へと逃げ込み、ようやく炸裂音が聞こえなくなった辺りで一息——八雲は荒い呼吸ながら、なんとか地主の猛攻から逃れることができていた。

 多くの仕事を請け負ってきた八雲であっても、上から数えたほうが早いくらい、先程の一戦は息が詰まる。それこそ、文字通り息が出来なくなってしまうか、ならないかの駆け引きだった。どこかで気持ちが緩んでいれば、今こうして安堵に胸を支配されることもなかったかもしれない。

 だからだろう。思い出せば思い出すほど、足が重かったことを自覚させられる。ここ最近、休んでいなかった疲労感が一気に吹き出した感覚だ。額に滲み出す脂汗は止まることを知らない。慧音の住処で食べた山女すら、八雲には非常に重たい物のような煩わしさがあった。

 

 はぁ、はぁ。

 

 ここで漸く己の呼吸が鮮烈に鼓膜を打った。血の味が口内で広がり、肺がばくばくと体内で蠢いている。全身を忙しなく回る血脈が火のように手足を熱し、一種の高揚感と、電気が走った時のような痺れを感じさせた。

 意識がはっきりとすれば、八雲の視界も広がるものだ。宮内に居た時も、知人らから散々「周りを見ろ」と言われていたのが懐かしい。一旦、落ち着いて竹藪の中を見れば、こんな星の輝きすら断絶する暗闇に輝いているものに気がついた。

 ——白妙菊を彷彿とさせる細い髪の毛。

 翡翠と銀色が混じったような(いや、白に近い緑と言うべきか)髪の毛が、竹藪の奥へと誘うように落ちている。見る者によっては、簡単に見落としてしまいそうなほど、か細い道標だ。こんなことを思いつき実行できる存在など、八雲には一人しか思いつかなかった。

 込み上げてきた笑いと、未だに激しく鼓動する心臓らを我慢し、八雲は腰を持ち上げる。

 あと少し。己にそう言い聞かせて歩みを進めていけば、案の定、其奴がいた。

 

八雲〜、まだかぁ〜、八雲〜

 

 まるで外敵に怯える山猫のように、声を潜めながらも必死に鳴く慧音。茂みの中に身体をすっぽり隠しているため、その醜態を見ることはできないが、闇より覗かせる双眸だけでも八雲を笑わせるには十分だった。

 

「はははっ、何をしてるんだ慧音」

 

 その笑い声にいち早く察知し、慧音は茂みから顔だけを出した。

 

「八雲!? 無事だったか! 急に投げて、走れと言われたから走ったが……当の本人であるお前があの場に留まるから何事かと思ったぞ!」

「なんだ慧音。心配してくれたのか」

「っ、心配などはしていない!」

 

 ばさ、と茂みを叩く慧音。

 ムキになって抗言しているが、顔を真っ赤にしている時点で八雲を気遣っていることが窺える。冷酷になろうにもなれない。そんな心根が優しい獣なのだ、慧音は。だからこそ、八雲も気さくに話を続けられる。

 

「だが、あんたのおかげで無事合流できたよ。慧音が自分の位置を俺だけに分かるよう、白澤の体毛を落としてくれるとはな」

 

 そう言って八雲が渡したのは、道中に落ちていた翡翠と銀色を混ぜ入れた髪の毛だった。

 慧音はそれを見て「ふん」と全力で顎を逸らす。

 

「あいつは私の白澤姿を見た事がないからな。これしか有効な道標を思いつけなかった」

「それで十分だ。妖獣の毛は夜でも目に立つ。ここは他にも兎の妖獣も多くいるから、体毛は撹乱させるためにも、いい案だったさ」

「そう言ってもらえるなら、良かったが……」

 

 手放しで賞賛したからなのか、慧音は口をまごまごとさせるだけになってしまった。

 あ”あ”! と慧音はそこで己の不甲斐なさに苛立ちを覚え、声を上げる。

 なぜ自分がこのような心情にならなければいけないのか、不思議で堪らないのだろう。「あの発情期の野兎と私は違う」、と何故か別方向で己を奮起させた。

 

「さて、ここから早く出るとしよう。時間を稼げたとしても、そこまで長くは保たない」

 

 慧音の豹変ぶりにわざわざ触れることもないと考えた八雲は、あえて奇行を無視し、空気を切り替えた。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものである。知らん顔をしていれば、最悪理不尽には襲われないだから。

 しかし、それに待ったを掛けたのは悶絶しているはずの慧音だった。

 

「いやいや、待て待て、ここは迷いの竹林だぞ! あの野兎もお前も言っていたじゃないか、迷はし神がいると。そう簡単に出られる訳がないだろう」

 

 想起させられるのは、数話前のてゐとの会話であろうか。

 ——大国主命が自身に幸運を分け与えた野兎のために迷はし神を施した。そのため迷いの竹林は一定の例外を除き、等しく魔境として作用する。その効果は絶大で、八十神相手でも正しく機能させるために、おいそれと抜け出せない仕様であった。

 もし仮に、この説明が十全と正しいのであれば、八雲らがここから出られる手段はない。それこそ、何処にいるかも分からない因幡の白兎を探すくらいしか、脱出の方法はないように考えられる。

 けれど抜け目ない八雲が、そのような凡俗な過ちをするわけもなく。

  

「何を言っている、俺は他にも言っただろ? 俺はその迷はし神を施した張本人様に会ったって」

 

 さも当然といった表情で、種明かしをするように、八雲は言った。抜け目のない八雲からすれば、ここから脱出する方法も織り込み済みだったのだろう。

 

「まさか、それって」

「ああ、裏口くらい知っているさ。あのてゐも、それを見越して俺を遊びに誘ったんだろう」

「何? それはどう言う意……って、ああああああ! あれはそう意味か!?」

 

 慧音は発狂の後、「あの野兎め!」と手足の動かし方も忘れて盛大に愚痴った。

 再び思い返すのは、てゐが溢した台詞である。彼女はこうも言っていた。

 

 ——何か面白い事が会ったら、いつでもみんなで竹林に来ていいよ、帰れるかどうかは保証しかねるけど、くく。

 

 今思い返してみれば、最初から見透かしての発言だったのだろう。本当に地主のことは知らなかったのだろうが、敵が強力かもしれないことは、八雲や慧音の口調から察していたに違いない。いつか、この迷いの竹林が、八雲らにとって何らかの手助けになることを示唆していた。

 八雲はそれに気付いていた。何分、あの野兎は人、物の怪違わず、揶揄うのを生き甲斐にしている節がある。ちょっとした遊び心で他人を助けようなどと、剽軽なことを考えついても全く不思議じゃない。それどころか、八雲に対して無償に手を貸すつもりでいた方が、底気味わるい。

 

「くそ、こうなる事を見込んでいたな!」

「まぁ、ちょっとした手助けのつもりだったのだろうさ。本来の意味は、困ったら里人と共に逃げ込んでもいいぞ、と言う意味だったのだろうから。しかし、これで里人たちと逃げると言う線が消えてしまった」

 

 はてさて、万策尽きてきた、と八雲は益体もなく弱音を吐く。疲れが限界に達しつつあるのも原因ではあるが、なんだか頭の中に靄が掛かりっぱなしだ。何か重大な間違いを犯しているような気さえする。

 そもそも、この事案の解決とは何を指して然るべきなのだろうか。都側からの指令は、ただ物の怪に転じた神の情報が羅列してあっただけ。これはいつものことだし、八雲だって最初から当てにはしていない。現場の判断に一任されている八雲の仕事は、最終的に朝廷側の求心力に繋がればいいのである。早い話が人助けをしろということだ。

 さて、この事案は何を持って、人助けというのか。

 あの地主を滅することができれば解決なのか。いやいや、事はそんな単純な話ではないのか。どちらにせよ、現状の八雲単体ではあの地主を殺すことはできない。

 

「そう落ち込むな、八雲。あれと対峙することになるのは変わらなかったのだ、今から臆しても仕様があるまい」

「そうは言うが、俺の力ではな」

「だったら頼ればいいだろう。お前はそう私に言ったじゃないか」

「っ」

 

 慧音の何気ない一言に八雲ははっとした。

 あの地主の圧倒的な神通力を見せられてからというもの、八雲は一人で解決するために躍起になっていた。と言うより、あれと対峙できるものなど、己以外いないだろうと錯覚していた。

 知らず知らずのうち、自分だけがあの地主と戦うつもりでいたのである。

 それはあまりに原始的な考えだと蔑んでもいい。暴力には暴力を持って返す。知性溢れる人間が、思考という武器を捨てる愚かしさを八雲は知っているはずだった。

 

 改めて、考え、考え、考える。

 

 何が必要なのか、どのような手順を踏んでいくべきなのか。正解なんて言葉で適当に片付けてはいけない。何度もしつこく言うが、この世に確実なんて言葉はないのだから。試行と思考を繰り返しながらも、着実と最優の結果へと導くためだけに、八雲の脳が活性化した。

 そうして、応えは出る。

 

「……慧音の言う通りだ。どうやら、今回は俺だけの力ではどうにもならない。いや、俺だけでどうにかなることなど、ほんの些末な事だけであろう。ようし、こうなれば総力戦だ! 里の人間にも協力してもらおう!」

「うむ、その意気だ!」

 

 慧音がふっと脇を閉めて、両肘を折り腹のあたりで引いた。当たり前だが、この時代にガッツポーズなどない。

 

「しかし提案しておいてなんだが、協力してもらうと言ってもどうする気だ?」

「ふむ。それは簡単だ。いずれ地主と対峙するのであれば、しなければいけない事があるだろ」

「しなければいけないことか……防具、武器を揃えるとか?」

「そんな余力はあの里に無いさね」

 

 言うに及ばず、あそこまで疲弊している里である。死した馬は放置され、農耕全てを拒否している人間が半分以上いる。防具や武器を取り揃えたところで、装備して戦う人間が腐りかけている現状、大した意味もないだろう。どころか、あの地主へ火に油を注ぐようなものである。

 

「む、ならば柵や罠を作るとかか?」

「それもありだが、もっと重要な事だな」

 

 また外す。

 柵や罠を有用だと言ったのは、里人の生活水準を上げるためであって、地主を嵌めるためのものとしての機能は考えていない。

 

「むむ、ならば来るべきに備えて食べ物を備えるのか!」

「当たらずとも、遠からずだな」

「本当か? 備蓄をすると言うことは、長期戦をする気なんだな」

「いや、長期戦をするだけの物資も、それだけの気力もあの里にはない。ただ、これから行うことには食べ物がいると言うことだ」

 

 これで三回目。

 慧音の策謀が八雲に追いつかない。

 

「むむむ、話が見えてこない」

 

 慧音は降参したと両手を軽く上げた。

 八雲が慧音を見て、にぃ、と笑顔を作る。悪意はないのだろうが、慧音は本当に不愉快そうに目を細めた。男の自慢ほど、聞いててつまらないものはないと知っているからだ。だからと言って、軽い足蹴りを八雲の脛めがけて放ったりはしない。しないったらしない。

 

「慧音。無言で俺の足を蹴るのはやめてくれんか」

「ええい、鬱陶しい! 勿体ぶらず教えない貴様が悪い!」

「はぁ……」

 

 呆れてついたため息が空中で溶けて、八雲が思わせぶりな態度を取るのをやめた。

 

「簡単な話さ。落ちたと言っても、相手は地主神。神を相手するには神事が必要だろ?」

「神事? 今更じゃないのか」

「いやまぁ、今更なんだがな。でも別に今更じゃなかったりもする」

「意味が分からん。もっと詳しく……って、まさかお前!」

 

 慧音は心得た。神事にだって色々なものがある。

 吉凶を占う神事。建物の無事を祝う神事。安産を願う神事。病魔を払う神事。神道における神事とは、まさに信仰そのものを指し示す。

 故に八雲が提案した神事とは。

 

「ああ、これから行うのは――――祭祀だ」

 

 神を呼ぶための神事であった。




次話から第三章に入ります。
第三章で一気に話の展開が進みますが、
些かストックが心もとない状況です。
もしかすると、一週間ほど投稿が止まるかもしれませぬ!
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