君のための幻想郷   作:倭人

14 / 17
第三章 神喚ぶ祭祀 (2)

 

 山の頂上から八雲は駆け下りていた。足音を響かせ、風を全身に浴びる。鍛え上げられた大腿四頭筋は、緋袴の下からでもわかるほど膨れており、汗ばんだ白衣をばったばったと靡かせては、汗で張り付いた髪も乱れる。

 そんな八雲の目の前に猪がいた。直進のまま山腹を駆け下る獰猛な猪である。必ずや、この傍若無人な男から逃げ切ってやる、そんな覚悟を感じさせられるほど、ソイツの鼻息は荒く、また目が研ぎ澄まされていた。

 しかし、対する八雲は自信に満ちた笑みを浮かべ、猪と並走しながら追い詰めていく。八雲の動きはいやに俊敏で、野を駆る猿のような身のこなしで猪との距離を縮めていった。猪も負けじと速度を上げてみる。肺が裂けそうなほど苦しいが、蛇行も加え駆け降りる。されど距離は離せない。ばかりか、八雲は猪の一挙一動を見逃さず、それに合わせて動きを調整した。

 山腹を駆け下る激しい競争の結果――。

 

「猪狩じゃぁぁぁぁぁぁ!!」

「「何でこうなったんですかぁぁぁぁぁ!!」」

 

 予め木々で壁を作っていたところに、八雲が全力で猪を追い詰めた。

 怒声とともに男衆3人が力強く茂みより飛び出し、手にした棍棒を猪の頭に叩きつけていく。打撃音が山中に響き渡れば、猪は咆哮と共に地に臥した。

 八雲は倒れる猪に敬意を示しつつ、深い満足感と喜びから笑顔を溢す。

 

「うむ、上手く罠に嵌められたな」

「これが……」「罠っさ……?」

 

 牛海と大虫が一緒に首を捻った。彼らの知っている罠と、八雲の言う罠では、あまりに違いすぎる気がしたのだ。

 猪と並走する人間あっての追い込み猟。

 そう称したほうが納得できる。

 

「んん? なにか疑問かい? 初めて鯛を食った猫のような顔をしているが」

「いや、えっと……」

「これ言っていいのっさ……?」

 

 うまいのか下手なのか。良くわからない比喩表現を使い、八雲は不思議そうにする。

 されど罠のこと然り、そのような些事を誰が指摘できようか。少なくとも牛海と大虫には、それができない。

 ゆえに早々とこの話題は打ち切ることにした。というより、彼らは考えないことにした。目の前の野生児極まった男のことを。

 

「あー、もう! いえ、いいえ、特になにもありません! それより数も多くなってきましたし、あとどれほどやりますか!?」

「ふん? まぁ、そうさな。後1往復したら、里に帰るとしよう」

 

 蝦夷の山神がごとき走りを見せた八雲は、紅い大袖で汗を拭うと、快活に歯を見せて笑った。そこまで爽やかな笑みを浮かべられると、牛海たちは、ますます罠について突っ込むことができない。

 自然と会話が途切れてしまった。気まずいという訳ではないが、微妙な空気が場を浸していく。八雲は気にした様子もなく、汲んできていた水を飲んでいるが、平民である牛海らは何か話さなければ、何か楽しませなければ、と必死だ。

 すると助け船というにはあまりに軽い音が背後で鳴ってくれた。

 からんからん。

 今この場にいない慧音からの合図である。山を歩き慣れている彼女は、八雲や男衆とは別に、単体で猪を探す役割を担っていた。

 

「んぐんぐ、ぷはぁ……もう慧音からの合図か。獣探しの結界を渡しているとはいえ、見つける間隔が些か短いな」

「あの少女も神祇官様のように、結界とやらに精通しているのでは?」

「それは無い。俺の結界を見て驚いていたくらいだ。ただ野性的勘が鋭いのだろうよ」

 

 八雲の言う通り、慧音は結界の知識に疎かったらしく、札を渡したところで使い方を理解できていなかった。それどころか、使い方を知って感激していたくらいだ。「神道もまだまだ捨てたものじゃないな」とは彼女の言葉である。当然、神道の代表者ともいうべき八雲は、それを聞いて苦笑いを浮かべていた。

 

「さて、行ってくる」

 

 慧音とのやり取りを思い返していた八雲は、肩を鳴らし、山の頂上付近へとまた上がっていく。その姿を見た牛海と大虫は、「いってらっしゃいませ!」と頭を下げて見送った。

 

 八雲の姿が見えなくなれば、牛海が肩の力を抜いて嘆息する。

 

「はあ、本当にめちゃくちゃな人だ。あれで役人というのは嘘なんじゃ無いのか?」

「全くっさ! 猪と並走する人間なんて見た事が無い!」

 

 声に熱を込める大虫に、牛海は苦笑いを浮かべた。 

 

「今までの役人達なんて、こんな泥臭い事、絶対にしなかったのにな」

「ははは、本当にそうっさな! 神祇官様は、どうも普通の人とは違うらしい」

 

 大虫と牛海が大口を開けて笑うが、それとは真逆の表情をした者がいる。

 里長に指名された男衆は3人。これまで一言も喋らなかった最後の男。霖夫知と呼ばれていた青年が、苦虫を噛んだように言葉を挟んだ。

 

「何を浮かれているんだ、お前ら。役人は何をしたって、役人だろ。俺たちを追い詰めている奴らと何が違うのさ」 

「霖夫知、おまえ……はぁ。さっきから全然喋らないと思っていたら、神祇官様の事を嫌っていたのか?」

 

 霖夫知に反論してみせたのは牛海だった。

 

「ふん。嫌って何が悪い。お前らは忘れた訳じゃ無いだろう。元はと言えば、俺たちが苦しいのは重い税のせいだぞ」

「それは、そうだが……今必死になって救おうとしてくださっているのも、その役人である神祇官様だぞ?」

「どうだか。里長との会話聞いただろ? 地主様を見捨てて、新しい神様を呼ぶだとよ。はっ! ふざけるのも大概にしろよ。俺は他の神様なんて絶対に認めない。お前らだって、同じ気持ちじゃないのか?」

「「……」」

 

 霖夫知の言葉に2人は沈黙で返す。きっとそれは里長も思ったことなのだろう。

 これまで神様の姿を見たという里人はほとんどいなかった。生剥という仇をなしてから、里人たちは地主の存在をきちんと認知したのだ。

 それまでは漠然とした想像で信仰し、されど豊穣の際は大きく奉る。姿形のないものを崇め、直会などで繋がりを深めていく。軽薄なようで、されど確かに築いてきたもの。それが里人たちと今の地主にはあったはずだ。

 なのに中身が擦り変わる。もっと悪言い方をするなら、神様を使い捨てるという行為に、誰もが胸を悪くしていた。

 

「くそ、もういい」

「お、おい、どこへ行くきだ!」

「休憩だ。そこの川で水を汲んでくる」

 

 霖夫知は吐き捨てるように言うと、そのまま奥の川へと消えた。

 牛海が気まずげに大虫へと目配せすれば、頭をがしがしっと掻いて肩を竦め返される。思っていることは、多分一緒なのだと思えた。

 

「あいつはやはり気に食わないんだろうな」

「仕方がないっさ。霖夫知は最後まで祠を守っていた里人の一人っさから。許せないんさ、きっと」

 

 大虫はその場で屈み、膝に腕を置き顔を半ばうずめる。

 牛海もそれを真似て、八雲から合図がくるまで腰を下ろし休憩することにした。

 

「あいつの気持ちは分からなくもないが、俺たちに、今更新しい神より地主様が良いなどという資格はない……」

「ああ……地主様をあんな風に変えてしまったのは、紛れもない俺たちっさからね……」

 

 山の中腹で男二人。過去に縋るように遠い目をして、空を見上げる。

 どんよりとした雰囲気を現すように、拝みたかった青空は、分厚い雲に覆われていた。

 

 

 

 

■ ■

 

 

 

 

 真っ昼間にも関わらず、鈍色の雲のせいで仄暗い川の畔。さらさらと流るる川をぼんやりと見つめながら、若白髪が特徴的な霖夫知は、今の天気と同様に顔を曇らせていた。

 

「くそう!」

 

 青年は溜め込んでいた鬱憤を晴らすかの如く、川の水面を蹴り上げる。ぽしゃん、と軽い音が鳴り、歪んだ面貌には水しぶきが掛けられた。

 じんわりと冷えていく脚とは違い、頭は溶けてしまいそうなくらい熱い。叫び出しそうになって、歯を食いしばり、抑えきれずまた川の水面を蹴り上げる。苛立ちと後悔と無力感。彼を追い詰めているのは、まぁそんな人の持つ劣等感と言えるものだろう。

 

(誰もあの方の徳の高さを分かっていないんだ。あの方は誰よりも優しく、誰よりも尊い! 俺を救ってくださった方なんだ!)

 

 霖夫知は里人の中でも、特に信仰心のあつい男だった。それは一概に彼の過去話に直結しているためであろう。

 

 十年は昔のことである。それこそまだ霖夫知が少年と言っても差支えのない年頃の話だ。少年はいつものように里の子供らと野を駆け、川を飛び、遊んでいた。その日も夕焼けが濃くなるまで遊んでいたのを覚えている。悪戯をした友達から逃げるためにと森へ入り、縦横無尽に駆け回っていたのだ。誰よりも足が速かった少年は、諌められることもなく奥へ奥へと入り込んでしまう。ふと虫と鳥のささめきが無くなったことに気が付いた少年は我に返った。後ろを見ても友達はいない。横を見ても見慣れた風景はない。それどころか、自分だけしか生物がいないのではないかと錯覚するほど、あたりは静けさに支配されていた。

 どれだけ走ろうと、どれだけ歩こうと、決して知らない場所などないと思っていた少年は、初めて自身が知らない世界に放り出されていることに気が付いたのである。段々と日が沈んでいく中、少年はくしゃくしゃに顔を歪め、大粒の涙をぼろぼろと頬に滴らせた。帰るために歩き続けるも、一向に見知った場所に出ることはない。草履は泥まみれになり、ほとんど引きずっていた。日が完全に落ち切ったあとも、少年はいつ飛び出してくるかもわからぬ獣に怯えながら、帰路を目指した。されど帰れない。まるで同じところを永遠と歩かされているかのように、少年は森を抜け出せなかった。

 そんな時である。目の前に怪しげな光を灯した少女が現れたのは。顔は見えなかった。そもそもそれが人間であるかも判然とはしない。されど少年の心は、不思議と安心感に包まれたのだ。ゆったりと気品漂う仕草で、その発光した少女は少年に手を差し伸べる。恐怖を感じなかった少年は、涙をぬぐって迷わず手を取った。するとどうだろうか。さっきまで見覚えのなかった森の中から、いきなり里の前に移動していたのだ。

 少年はあまりに不可解な出来事に、動揺を隠せず尻餅をついた。ちょうどその時、里から数人の大人が松明を片手に出てきて、少年を見て驚きの声をあげた。なんでも、少年が遭難したと知った大人たちが森へ捜索しに行こうとしているところだったらしい。その中には当然、自分の親も含まれており、見つけられて早々、熱い抱擁を交わしあったのを覚えている。

 その後、家に帰った少年は親からはさっきまでの優しさとは打って変わり、愛のある叱責を受けた。そのついでではあるが、少年は自分に起こった身の上話も話した。父親は最初、子供の虚言だろうかと小首を傾げていたが、母は信心深い人だったため、少年を助けてくれた者が、この地を守る地主様だろうと教えてくれた。それからは毎日(母と父が亡くなるまでは家族一緒に)地主様が祀られている祠へと少年は参拝した。一日の感謝を伝え、その時々に幸福を感じていた。

 

 そんな過去を持つ彼だからこそ激情を滾らせてしまう。いきなり来た神祇官と名乗る八雲を、生来の宿敵を見るような目で見てしまう。当然、八雲に従属する里人も男は許せなかった。

 

「どいつもこいつも玉無しがっ……絶対好きにはさせねぇ!」

 

 里長に倣い、友である2人と共に頭を下げた時から、男にとっては誰も彼もが敵のように思えた。

 しかし男も分かってはいるのだ。誰も望んで地主の代わりを勧請しようとは考えていないことを。さっきの友2人の反応を見るに、彼らだってまだ迷っている最中なのだろう。

 

「くそっ、冷静になれ……何か手を打たなければ、地主様を祓う新しい神とやらが招聘される……俺一人が突っ走ったところでどうなると言うんだ」

 

 なにか……なにかあの役人を出し抜ける方法はないか。

 と霖夫知は知略を巡らせる。

 目下、気にするべき相手は八雲という役人だけだ。里人たちは地主様への後ろめたさもあって、大っぴらに霖夫知を妨げようとする者はいない。現に普段の霖夫知を知っている牛海や大虫なんかも、八雲の目の前で悪態を咎めようとすらしなかった。

 

(逆にあいつらは、俺から魅力的な案を出せば乗ってくれるかもしれない)

 

 頭の中で何度も考えを巡らせる。なにか閃きの材料になるものはないかと、霖夫知は思考の海に意識を鎮めていく。

 騙し、誑かし、唆す。あの役人を陥れるため、ひいては自分たちの信奉する地主様を取り戻すために。ゆっくりと今朝の会話を反芻する。

 ――昨晩あの地主様と相対したが、あれは人の力ではどうにもなりそうにない――

 ――新しき神をこの地に勧請し、その方にを守護してもらうしか無いだろうさ――

 ――新しき神を……勧請、ですか――

 ――しかり。何か問題でもあるかい?――

 瞬間、霖夫知は手で口元を抑えた。

 

「そうか……そうだ。できるか分からないが、それがあった」

 

 瞳孔が開いた目をしながら、覚束ない足で立ち上がる。咄嗟のことで筋肉が反応してくれなかったのか、一瞬だけ横によろめきかけるも、ぐっと堪えた。

 濡れていたはずの裾は、いつの間にか乾いている。あれだけ天気が悪かったのに水気が取れるとは、かなりの長考をしていた証だ。水を汲みにきただけなのに、帰りが遅いと役人に勘づかれかねない。事を構えるにしても、でき流だけ後だ。それこそ祭祀が始まる直前。変に勘ぐられて目をつけられたくはなかった。

 

「くそ、さっさと戻るか」

 

 そう言い、急いで水を木桶に入れる。水が入った事で重さが増した樽を背負い、肩に縄を通し立ち上がる。背中を揺すって樽の位置を調整してから、霖夫知は罠の仕掛けてある場所へと歩き始めた。

 川に残ったは微かなせせらぎの音と、男の歩いた草履跡だけである。

 

 

 

 罠の仕掛けた場所に霖夫知が帰ってくれば、出迎えのたのは行きと同じ牛海と大虫だけだった。

 

「お、やっと戻ったか霖夫知。遅かったじゃないか!」

「悪い。少し道に迷った」

「お前が帰ってくるまでに終わってしまったさー」

 

 大虫の言った通り、猪の死体が二つほど増えている。残り一往復と言っていた八雲が、二匹も同時に罠場と追い詰めたのだろう。

 人間業ではない。

 今に始まったことではないけれど、霖夫知はこれから出し抜こうとする相手の異常さに、頬肉を引き攣らせた。

 

「あの役人様は?」

「先に里に戻っている。俺たち以外にも、手伝わなければいけない事があるらしいからな」

「ふん、仕事熱心な事だ」

 

 嫌味の一つでも漏らしながら、水の入った木樽を置いて牛海らの元へと歩み寄る。

 牛海は近寄ってきた霖夫知に出刃包丁を渡し、くいっと顎を猪の死骸へと向けた。

 

「さっ、俺らはこの猪達の解体だ。案外量があるから、これは大変だぞ」

「張り切りすぎて、指を落とすなっさー」

「おい、あの縄に掛かっている猪はどうするんだ」

「ああ、あれは後で神祇官様達が運んでくれるそうだ。俺たちには危険だろうって」

「どうやら、俺たちのために、家畜にするんだってさ。有難いよなー!」

「ふーん。猪に吹き飛ばされなきゃいいがな」

 

 霖夫知の言葉に、些か眉間に力を込めた牛海が頭を左右に振った。

 

「嫌味を言い過ぎだ、霖夫知。猪と並走する程の人が、吹き飛ばされる訳ないだろう」

「その通りだっさ! 吹き飛ばされるではなく、吹き飛ばすの間違いであろうの!」

「チッ、楽観的な奴らだぜ」

 

 軽く舌打ちを繰り出すも、たしかに八雲の強さは並の人間ではない。普通の人間が猪と並走して、いや追い越すような勢いで山を駆け下れる筈もない。まさに、天上の人。多くの民を纏めるに即した、選ばれし人間という者なのだろう。

 だからと言って、臆するわけもないが。

 質で負けているのならば数で補う。個人で勝てぬなら、集団で袋叩きにする。弱い者は弱いなりに知恵を働かせ、群をなし、強き者を食らうことだってある。霖夫知は弱者の戦い方を心得ていた。

 

「なあ、お前ら。俺の話に乗らないか?」

「「??」」

 

 さてこの者の思惑がうまくいくのか、どうか。

 それはまだ分からない。




この話で大体、折り返しとなりまする、、、笑
次回は久しぶりに、からかい上手な兎さんが戻ってきますよ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。