君のための幻想郷   作:倭人

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第三章 神喚ぶ祭祀 (3)

 

「お前は本当にとんでもない事をするな……」

 

 山からの帰り道。

 慧音は八雲から預かっていたお札を手で遊びながら静かに言った。

 

 思い出すのは、やはり猪の怯え切った目であろうか。見たこともないつるぴか猿に追いかけられたのだ。彼らからしたら、そんじょそこらの物の怪より、八雲のほうが何倍も怪異に見えたことだろう。

 山の中はまさに弱肉強食だ。強ければ生き、弱ければ食われる。

 あの時ばかりは、八雲が生物系の頂点に君臨してしまっていた。野生動物たちには憐憫の情を向けるほかあるまい。このような男とやり合うには、それこそ熊でも連れてくる他ないのだから。

 

「そいつはどうも。しかし褒めたって何も出んぞ?」

「調子に乗るな、褒めは少しだけだ……残りはそうだな……多分、呆れだ」

「む。まぁ馬鹿にされていないだけ良しとしよう」

 

 慧音は八雲に札を返した。代わりに注連縄を受け取る。

 

「それにしても里男は狩猟があまり上手くない……というより狩猟手法をあまりに知らなすぎる」

「是非もないさね。昨今では蝦夷を野蛮と決めつける風潮があるくらいだ。狩猟採集で食いつなぐ者も減った。しかも」

「例の帝の詔勅とやらか……?」

「然り。朝廷側からすれば、さっさと口分田を耕して欲しいというのもあるんだろう。農耕期には獣肉を食ってはいけない。自然と技術や知識は廃れていくもんだ」

 

 八雲は懐に札を押し込めながら言った。

 いくら神事を司る神祇官といえども、八雲だって政には明るい。政治の建前と本音を用意されれば察しくらいつく。だからと言って、彼が帝へ上奏できるほどの立場かと問われれば、そこは首をひねらざるを得ないのだが。

 慧音は八雲の言うおぞましい計画を鼻で笑うに留めてやった。

 

「成る程。獣肉を食べてはいけないとしたのも、それが真の狙いか……まさに人間らしいやり方だな。なんとも醜い」

「そうは言っても、仏教の教えを守りたい側面もあっただろう。厄除けや願掛け、肉食禁止にはそれらが込められていると俺は思うし、信じている。ここの里人たちと同様にな」

 

 そこで八雲は少しだけ歩調を緩めた。

 少しばかり宮内ではきな臭いことがあるらしい。

 

「だがまぁ、ここだけの話な。少し前には一部権力者の間では仏教より道教が流行したと言われている。つまるところ、朝廷の真意は俺にも分からないと言うわけさね」

「そうか。お前でも分からないことはある、か……」

 

 覇気のない声で、「そうかそうか」と頷きを返す慧音。

 ここに来て八雲は彼女の様子が可笑しいことを訝しんだ。

 

「どうした? 今日一日あまり元気では無かったが、今は一段とひどいな」 

「いやなに……お前が気にすることじゃない……少し、不安になっているだけだ」

 

 素直にそう告げられた言葉には、懐疑的といった気持ちが多分に含まれているように思う。所在なさげに彷徨わせていた目線は斜め下へと投げ出され。片手で身体を抱くようにして下唇を噛む。

 

「なぁ八雲……この祭祀、上手く行くと思うか?」

 

 立ち止まり慧音は言う。

 二人の間には、慧音の心の不安が微細な静寂を揺らし、それが言葉にならないまま、空気中に漂っているようだった。

 八雲は自分と目を合わさない慧音を見て、ふむ、と腕を組む。

 

「もちろん思う。すべて上手くいくと信じている。なんだって俺には、里人も慧音もついているからな」

 

 八雲の言葉に慧音は顔を上げた。

 ぴたっと2人の視線がかち合う。初めて出会った時のように、墨汁のような瞳と群青の瞳が互いの姿を映しこむ。恐る恐る慧音が八雲の袖を掴み、肌で体温を感じれば、心地の良い安心感のような、生暖かい春の陽射しのような穏やかさが心を埋めてくれるような気がした。

 

「そうか。確かに、そうだな」

 

 慧音は八雲の袖を離して後ろに下がる。昨日までの不適な笑みを漏らし、また歩みを再開した。青みが掛かった銀髪が、さらさらと風に吹かれてたなびく。櫛で髪を梳いているわけでもあるまいに、なんとも美しい髪艶だ。まるで日に溶け込むかのような美麗さである。

 八雲を追い越した慧音は、思い出したように「あ」と声を漏らし振り向いた。

 

「いざとなったら、私が助けてやるぞ。お前は危なっかしいからな」

「ふっ。そいつは心強い。頼りにしているさね」

 

 八雲は微笑を溢し、軽く慧音に目を伏せたのだった。

 

「で、あとは祭祀に何が必要なんだ?」

「ふむ。あれこれ2、3日分の食は何とかなりそうだからな。食の方はもういいだろう」

「と言っても、用意できたのは山菜と川魚と僅かな塩か。猪肉は里人が食べるとして、米や酒が無いから随分質素に見える」

「農耕が上手く行っていれば、その贅沢にもありつけたがね。無い袖は振れんさ」

 

 白衣の袖を振って見せる八雲に、慧音は腕を組み顎を摩った。

 

「仕方ない、か。私も去年の悲惨さは見ていたからな。作物の実りが本当に良くなかったんだ。さらに天災も続いてしまい、どうしようもなかった」

「同情する他ないと言えばそこまでなんだがね……如何せん、そう簡単に割り切れるもんじゃない。作物が育たなければ飢え死ぬ。さらに、都からの重税だ。本当に里からすれば苦しい時だろう」

「気に病んでいるのか?」

「少しな。今まで多くの里を見てきたが、飢饉に遭遇している里を見なかったのかといえば嘘になる。だが、俺にはどうしようも無い問題だった」

「その通りだ。こればかりは、誰にもどうすることもできない。相手は自然だ。それこそ、神や私たちを作った本当の源だ。気まぐれなんかで殺す訳でも、思いつきで助ける訳でも無い。その気になれば、人も神も塵芥になる力を有した、大いなる存在だ」

 

 感心したのか、八雲は目を見開いた。

 神道の、それこそ世の真理をつくような言葉だったからだ。

 

「流石は白澤だ。全ての歴史を知っているのかい」

「歴史となっているものは、な。皇室が語り継いでいる歴史を、私は丸暗記しているだけに過ぎないよ」

 

 ふふん、と照れたような仕草をする慧音。

 すごいものにはすごい、と素直に言うことに八雲も抵抗はないため、手を打って慧音の賢さに惜しみない賞賛を送った。

 

「あいつが聞いたら興奮して、あんたの話を聞くだろうな」

「あいつ?」

 

 八雲は「あぁ、少し腐れ縁のある同僚のことだ」と返す。

 慧音はちょっとだけ、ほんのちょっとだけだが「たぶん女官だな」と思った。なんでそう思ったのかは分からないけれど、ほとんど確信めいたものを感じる。獣の勘。いや、女の勘というものだろうか。

 

「普段は物静かだが、歴史の話――それも大和創設に関する話となると目の色を変える変人でね。俺もずっと捕まってる……まぁいい舎人さね。いつか会わせてやる」

「いや……その話を聞いただけだと、別に会いたいと思わないのだが」

「そう言うな。縁を広げるのはいい事だぞ」

 

 ははは、と笑う八雲。

 厄介ごとを押し付けてくる時と、同じような顔をしていたのは言うまでもない。

 

「そろそろ、私の(元)家に着くな。さっさと木材を集めよう」

「悪いな。祭具のために利用させてもらって。少しなら間伐がてら、木を伐採してもいいんだが」

「どうせそんな時間もないだろ。使える物は使え。お前はそういう人間だ」

「本当に慧音は頼もしくて何よりだ」

 

 そうして破壊された慧音の家を見て、2人はため息をつく。

 昨晩、地主に襲われた時の名残がそのままだからだ。人より太い大木の槍。神通力の球によって弾き飛ばされた数々の家の一部。襲われた時は暗くて見えなかった細部だが、昼過ぎに来て嫌でも目の当たりにしてしまった。まさにこの辺り一帯で龍が舞でも披露したかのような荒れ具合である。

 よく生き残ったもんだ、と慧音も八雲も目が死んでいた。

 

「……とりあえず掘る手間が減ったな」

「……そうだな」

 

 えっちらおっちら、と周辺に飛び散った家屋だった木材を集め出す。

 住居に使われていたほどには堅い木材だ。色々なものに転用できるだろう。

 と、そんな時。

 

「おおーーーーい!! あんたら、やっと見つけたーーーー!!」

 

 妙に慧音の感を障る声が聞こえた。

 八雲たちが振り返れば、そこには昨日出会った白兎が一匹――いや、一人いた。

 

「おう、てゐか。どうしたんだ、そんな慌てて」 

「何とぼけた顔をしちゃってるの、八雲!? 誰もあんな化け物連れて来ていいって言ってないんだけど!」

「あー、野兎。地主と遭遇したのか。それは災難だったな」

「あんたぶっ殺すわよ」

 

 八雲の時に発していた猫撫で声とは打って変わり、本気と書いてマジと読むほどに冷えた声で、慧音にてゐは返した。

 

「まぁ、そう苛々していても仕方あるまい。招いてくれたのはお前の方なのだからな」

「あんな化け物を招いた覚えはないわよ! さっさとなんとかして!」

「悪いが、てゐ。そうはしてやりたいんだが、どうにもならん状況でな」

 

 申し訳なさそうに八雲は頭を下げるが、それでもてゐの怒りは収まらない。

 

「何が、どうにもならん状況よ。そんなの私の知ったことではないわ。いくら私の好きな大黒様に似ているあんたでも、許さないことはあるのよ?」

「まあ、待て野兎。八雲の言う通り、こちらもあれと対峙するための準備中だ。ここは私たちを信じて、大人しく竹林に帰れ」

「いっちいち上から目線で苛立つわねー。あんたそんなんじゃ、誰からも好かれないわよ」

 

 てゐが挑発的に嘲ると、流石に聞き流せなかったのか慧音がびくっと肩を震わせる。

 

「なんだと?」

「やるの?」

「まぁまぁ、二人とも落ち着け。無駄な争いをしている場合じゃあないんだ」

 

  バチバチバチ。

  二匹の間で盛大な火花が散るように見える。さすがにこれは止めないとならぬ、と思った八雲が間に割って入るものの。

 

「無駄?」「ですって?」

「…………すまん、なんでもない」

 

 即座に八雲は一歩引くことにした。

 女とは時に神よりも恐ろしいもののようだ。宮内にいる時から、何かと心労が絶えない八雲だが、ここでも同じような目に遭うとは思わなかった、と遠い目をする。

 そんな八雲を見て、てゐは大きな所作で指を指す。

 

「言っとくけど、八雲が竹林にあんな化け物連れて来たから、私たち野兎は竹林にいられなくなったのよ。どうしてくれるの!」

「それは、本当に悪い事をしたと思っている」

「本当に思ってる!?」

「はい」

 

 八雲が萎縮しているのを見たからなのか、てゐは大袈裟に、それも誰でも分かるくらい肩を落とすと、はぁ、と胸から息を吐き出した。

 

「なら、いいわ。早く解決してくれれば、それで」

「本当か? そいつはたすか――」

「た、ただし! この落とし前は、また今度どこかでしてもらうから!」

 

 ちょんちょん、と胸の前あたりで指を突き合わせる、てゐ。頬は当然のごとく朱に染まっている。

 それを見た慧音は「万年発情期め」と罵るが、八雲は軽く「分かった、約束しよう」と返した。

 

「はぁ……で、結局お前は文句を言いに来ただけなのか?」

「ああん? 殺すぞ、半妖獣」

「八雲の時と性格変わり過ぎだろ」

 

 そもそも八雲と話すときは、目がきゅるきゅると程よく潤んでいるのに、慧音が話しかけると、いきなり砂漠のように目が荒むのは何故なのか。これも長年生きてきた兎の技というものなのだろうか。第一、人で態度が変わりすぎだろ。と、つっこみどころは多くある。今は言及する暇も、叱責する時間もないから、別に慧音から聞くこともしないが。

 てゐは慧音が黙るのを待って、さっと腰に両手を当てた。

 

「他にも用事があるに決まっているでしょ。と言うよりも、こっちが本題」

「何かあったのかい?」

 

 八雲が聞く。

 あまり聞きたくない内容だという予感を孕ませて。

 

「あんた達あの化け物が竹林から出るの、どれくらい掛かると思ってるのさ?」

「八雲が出した見立てでは、ざっと2、3日だったけど」

「あら、それは残念だったわね。もっと早いわよ」

 

 何? と八雲が頬に冷や汗を流す。

 まさか、よもや。そのようなことがあり得て良いのだろうか。

 だとすれば、予想よりも遥かに……。

 八雲は拾っていた材木を落として、迷いの竹林がある方角へ意識を飛ばす。

 

「あれは規格外だわ。元神様と言うこともあって、物の怪界隈じゃ随一の力を持つんじゃない? 加えて、あの変な神通力」

「おい野兎――それってまさか!」

「竹林の迷はし神も、かなり壊されてるねー。あれじゃ、多分残ってもほんの少しかな。大分力落とされちゃったみたい」

 

 意識を飛ばした八雲が、竹林の中に入った瞬間だった。

 それを見た。見てしまった。

 いくつもの空間に切れ目を入れ――。

 いくつもの神を神通力で破壊し――。

 どうしようもなく荒れ果てた、その竹林の有り様を。

 そして、目が合う。意識を飛ばしているだけなので、正確には視線などあってないようなもの。なのに尚、目が合うという表現が正しく思える。

 薄らと赤みのある唇を、まるで譫言を言うかのような滑らかさで動かす地主。

 ――お・あ・い・に・く・さ・ま。

 確かにそう言っているような気がした。読唇術を身につけていない八雲には、そのようにしか思えなかった。

 

「っ――!?」

「や、八雲!? 大丈夫か!?」

 

 飛ばしていた意識を身体へと戻し、大きく八雲は息を吐く。

 膝に手をつけて、額から大粒の汗をいくつも垂れ流した。後ろでは慌てて駆け寄ってきた慧音が、優しい手つきで背中をさすってくれている。

 

「てゐ……はぁはぁ……あんたの見立てだと、あの地主が出てくるまで、どれくらい掛かる……!?」

「ざっと簡単に見積もっても、正酉(夕方6時)かな。だから……」

「あと一刻……!!!」

 

 それを聞いた八雲は、背中をさすっていた慧音を振り解き駆け出す。

 

「すまない、慧音! あとの準備を任せる! 皇室の歴史を知っているお前なら大丈夫! 半刻稼いだら、すぐに戻る!」

「なっ、愚か者! あんなものに一人で半刻も稼げる訳ないだろう!」

 

 慧音が叫び終わる前に、八雲は姿を消していた。猪と並走する走力を持つのは知っていたが、それでもあまりに早すぎる。暇も惜しんだのか、昨日通った最短の道を直線的に走り抜けていった八雲に、慧音は頭を抱えるばかりであった。

 しかし、それとは対照的な態度を示す者も、この場にはいる。

 

「さっすが、大黒様に似た人間だけあって、やることも格好いい! 私も行こーと!」

 

 両手を頬に当て、身をくねくねと捩らせる兎――てゐ。一刻でも早く、一瞬でも長く。八雲の勇姿をその目に焼き付けるため、てゐは獣の俊敏さで走り出そうとする。

 

「あ、この野兎! 何、便乗しようとしているんだ!」

「便乗も何も、あそこは私の住いだよ。私が出張らないで、誰が出張るのよ」

「うっ、それは」

 

 慧音は引き止めようとするも、余計な世話だ、とてゐに返される。

 

「それよりあんたは託されたんでしょ、八雲から。私とは違ってね。しっかりとやりなさいよ」

「…………分かった、八雲を任せるぞ」

「あんたに言われなくても、私はしっかりと守るよ」

 

 不適な笑みを浮かべ、八雲に続き走り去る、てゐ。

 あの兎あどれだけ使えるか。八雲がどれだけ地主とやり合えるのか。そんなものは分からない。慧音にできることは、必ずあの一人と一匹なら、やり遂げてくれると信じることだけである。

 

「八雲、お前は私を頼ってくれた、託してくれたんだ。裏切れる訳ないよな」

 

 こうなってしまった以上、もう腹を括るしかない。自分の過去と向き合うとかそういう話だけでなく、覚悟を決めるしかないのだ。

 慧音は材木を八雲に貰っていた注連縄でまとめ上げ、それを人とは思えない怪力でもちあげる。この日はじめて、自分だけで人里へ姿を表すことを決意した。

 




次回は久々にゆかりんだ
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