君のための幻想郷 作:倭人
「つまり、八雲はこの先にある人里が抱えた厄介事を解決するために来た、というのだな?」
「どうにか出来る問題であれば、という前置きはつくがね」
目を向けて語りかけられた慧音は、不思議と八雲の話を聞き入っていた。それは一概に八雲の語りが上手いからだろう。八雲の口調はゆったりとしているものの、逆にそれが人によっては惚れ惚れする程、聴き心地の良さを感じさせた。
物的証拠が完全に周知されていない時代。というよりは、物的証拠を用意できない古代。八雲のような相手を信頼させる語りというのは非常に強い武器となった。それこそ幾つもの国を、郡を、里を*1渡り歩いていた八雲が、自然と身に付けた武器だ。
そんな防ぎようのない武器を利用して、八雲は少し警戒心を解いた慧音に、お願い事をしてみようと欲を掻く。
通りすがりの友人に声をかけるように
「そうだ。あんた俺を里へ案内してはくれないかい」
と、八雲はお願いを繰り出した。
「はぁ? なんで私がそんな面倒なことを」
「陽を見れば大体の方位は分かるのだが、具体的な山の抜け方がどうもな。ここらの土地勘を持ち合わせている、あんたがいると心強いんだが」
「そう言えばお前、遭難しているんだったな」
「いや――――まぁ、そういうことです」
一瞬否定しそうになるも、潔く認める八雲。
慧音は厚顔無恥といった態度の八雲を、じとっとした目で見ながらため息をつく。慧音はため息の似合う少女だった。
「はぁ……本当にそんな間抜けであの里へ行く気か?」
「ははは、次は間抜けか。さもありなんだな」
空笑いする八雲に、慧音は眉を寄せる。
八雲が見ても分かるくらい、納得がいかないと顔に書いてあった。
「私はあの里をどうにかしてくれるのであれば、お前みたいなのを里に連れていくのも吝かではない――ないが、間抜けを連れて行っても死体を増やすだけだ」
「そこはやってみな分からんだろう」
「やってみてからでは遅いということもあるだろう、このひょうろく玉め。第一、お前が事態の悪化をさせないという保証がどこにある」
冷えた声。
誂いを許さない強い口調である。
されど八雲はしっかりと反論の手札を抱えていた。
「逆さね。このまま放置しても好転はせん。であれば、死なば諸共といってやってみる方がいい」
「お、お前なぁ」
楽観的な男だ、と八雲の言葉に益々頭が痛くなってくるのを感じたのだろう。慧音はこめかみあたりを手で押さえながら、渋々と道案内を買って出た。
本当に、心底、嫌そうな顔をしながら。
「分かった、分かったよ。私が案内をしてやる」
「本当かい。そりゃ助かるよ」
「神祇官という役職も、お前がその役人だというのも信じてやるんだ。私には都の組織体制はあまり分からんが、あの朝廷の使者であるならばそれなりの能力があると思っていいんだな?」
慧音は確認するように八雲へ尋ねた。
が、その問いかけに、特に思案することもなく八雲は答えを返す。
「自慢では無いが、それなりの事はできるつもりだ」
「随分と淡白な答えに聞こえたぞ。まるで味のない山菜汁だな、お前は」
「やれやれ、そこまで信頼がないかい」
「別に他意はないさ。それだけ当方も切羽詰まっているということだ」
「(……切羽詰まっている、ねぇ)」
ここで初めて八雲の眉が下げられた。
――神様が物の怪に転じたやもしれない。
そう綴られていた伝令書には、発生時期も書かれていなければ、被害状況も記されていなかった。つまりは都側も仔細までは掴んでいないということだろう。それもそのはず。この時代の情報通信技術など皆無と言って等しいものだ。式神や人伝でしか情報交換は行えない。どうしても時間差はできるし、八雲まで話が回ってきた時には、もう手遅れだったなんてこともある。
今回は間に合っているといいのだが。八雲はそう思いながら、大袖に引っかかっていた枝を取った。
「今更急いでも状況は変わらんな。どうせだ、里の事を良く知っているなら、ついでに里長にも会わせてくれ」
「お前、かなり図々しいやつとは言われないか? さっきから頼み事が……いや、もういい。里長に会って何をする気だ」
「話を聞きたいのさね。そうして原因は何なのか、何を解決するべき事柄なのか、俺はどう動くべきなのかを考えたい。話を聞くなら、里で1番偉い人間に聞くのが合理的だろ」
すべての物事には順序というものがある。八雲は仕事柄、情報収集の重要性を誰よりも理解していた。
ゆえに八雲のことを半ば見下げていた慧音は、少し見直したように目を剥く。
「驚いた。意外と考えているのだな。もっと鈍臭い奴と思っていた」
「酷い言われようだね、こりゃ」
「随分慣れている様子だが、やはり他にもこういった経験があるのか?」
「まあ、役柄、ここに来るまでも色々とやっていたんでね。それでも今回の事案はかなり重たい」
天を仰ぎながら、八雲はため息をつくように呟く。
「色々、ね。また面倒くさくて話さないのか?」
「いや、そういう訳ではないがね――というか、さっきのも面倒だから話さなかった訳じゃないぞ。今回も本当に目が回るほど、色んなことをしているから、そう簡単に纏めるしかなかっただけさね」
「だったらどうせだ。里までの道中少し長い。お前がやってきた事を少し聞かせろ」
頼み事の報酬だ、と暗に慧音は告げて歩き出した。
八雲は報酬の裏に隠された意図に勘付き、苦笑いを溢し、慧音のあとに続く。
「構わないが、あんた俺を品定めする気だな?」
「当然だ。お前の言葉に嘘はないように思えるが、里の利益になる人間であるのかは疑っている」
じとー、とした目で見つめられた八雲は、歯牙にも掛けない様子で「ははは」と喉を打ち鳴らす。
「仕方ない! 会ってすぐの男を信じられる方がどうかしている」
「理解できたのなら堅実に、嘘偽りなく語ることだ。お前のためでもある」
「脅しかい?」
「いいや、忠告さ」
そう言って、少女は右手を肩の位置にまであげて、肩を軽く竦める。
慧音は「忠告」と言ったが、まるで尋問のようだと八雲は思っていた。都にいた時ですら、年端も行かぬ少女から詰問されたことなどない。ましてや、される趣味なども持ち合わせていない。知り合いの娘を思い出すが、はてさて年端も行かぬ少女とは、ここまで可笑しな生物だったろうか。
八雲は意識の中で慧音の身の上を考えながらも、口では「なんの話をしたものやら」と呟き、手は懐に忍ばせていた竹簡を取り出していた。
慧音は八雲が取り出してきたそれを珍しそうに見つめる。
「なんだそれは。竹の筒か?」
「ん? あぁ、これは竹簡という書写材料さね。なにぶんやることが多い身でな、これがなかなか手放せん」
「ふーん、珍妙なものを持ってるんだな」
残念なことに、この時代の日本で竹簡を見ることはほとんどないのが実情だ。
元来、日本の古代社会では編纂というものが広汎にされていなかったものである。書写材料が開発されたのも、物事を編纂するためでなく、写経をするためだと言われているほどだ。今日まで巻物状の木簡や竹簡が出土していないのがいい証拠だろう。日本の最古の歴史書が「古事記」だと言われているくらい、この時代以前の日本人は文学文化が遅れていたのかもしれない。
そのため、慧音が見慣れない様子だったのは当たり前のことだった。
「過去の出来事を書き留めておくというのは意外と便利さ。暇があれば慧音も文字を覚え、やってみるといい。お前さんはただでさえ語彙力に富んでいるのだ。いい編纂者になると思うぞ」
「うへぇ。そんなの私の性分じゃない」
「そうかい? 似合うと思うがね」
つんと顎をそらす慧音に、八雲は楽しげに頬を綻ばせる。
慧音が文学に全く興味がわかないのも致し方ないことだった。八雲が手にしている竹簡だって、唐からの輸入品でしかない。日本ではまず見かけることが無いだろう物品に興味こそ持つが、その利用方法に慧音も心躍ることはなかった。
八雲は巻物になっている竹簡をぱらぱらと捲り、その中から数本だけ取り出す。何の話をするか決めたらしい。
「よし、狗の話なんてどうだい」
「狗が珍しいのか?」
「あぁ、こいつは人語を真似する物の怪でね。こういう山中で叫ぶと、その狗が声を真似て返してくれるのさ」
八雲はそう言って歩きながら語りを始める。
人を阻むほど深い山の中。聞こえてくるのは、木々のささめきと八雲の低い語り声ばかり。
暖かい風が木々の隙間を通り2人の頬を撫でながら、まるでその場に設けられた独壇場のように、音と靜寂が交互におとずれては溶けていく。
不思議と慧音は八雲の語り部に耳をそばだてて、一喜一憂する心情の変化を楽しんでいた。。
■ ■
「ヤッホー!」
『ヤッホー!』
まだヤッホーという呼び掛けがヘンテコで、常用されていない時代。慧音は八雲から山彦という物の怪を教えてもらい、早速存在を確かめていた。
慧音と連れ立って歩くこと四半刻ほどが経過している。現在は樹海を彷彿とさせる樹々の合間をくぐり抜け、ようやく二人は日差しの元に這い出してきたところだ。
山の中腹あたりから、かなり下山してきたはずだが、まだまだ道程は長い。ひとまず休憩がてら、座り心地の良さそうな岩を見つけ腰をかけてる。
八雲はきゃっきゃっと喜ぶ慧音を尻目に、遠くまで透き通る景色を見てみる。さっきまで暗い樹々の下にいたせいで、眩い光が目を焼いた。咄嗟に目を細め、手で日陰を作る。太陽の位置を確認すれば、日の入りまでの時間を逆算した。
「ふぅ……それにしても、八雲の話を聞いていると、役人というのは忙しそうだな。職に縛られるなど、私には理解できん」
ひとしきり山彦で遊び尽くしたのか、八雲の話を掘り返すように、慧音が振り向きながら言った。
透き通る青白い髪が、日光に照らされて銀色に輝いている。揺れる反射した光が、たまたま八雲の顔付近に当たったため、より一層目を細めることになった。
「働くというのも存外悪いことばかりではないさ。人にはそれぞれ己にしか出来ない役目というものがある」
「役目だと?」
「ああ。俺は俺にしかできない事があり、また慧音には慧音にしかできない事もあるってことさね。人はそれら仕事にしていき、社会は形成される」
「むむ、いきなり難しい話だな。そういうものなのか?」
「建前はな」
社会形成について偉ぶって力説する八雲だが、彼だってはみ出し者だ。社会の何たるかを十全に理解しているわけではない。
朝廷側が律令制を導入し、施行してからというもの、社会という言葉が日に日に重くなっている時代。都が一方的に国民を管理することで、国民は望まぬ形の社会を作り上げるしかなかった。
八雲だって役人である。彼の所在を明らかにするのであれば、間違いなく管理する側の人間と言えるだろう。だからこそ、立場上思っても人前で言えないことはある。社会の成り立ちはこうあるべきだと考えても、それが天皇への叛逆だと思えば口を慎む他ない。
全ては国が潤滑に回るために。頭では分かっていても、心が追いつかない時だってあるものだ。重税に苦しめられている国民を八雲は嫌というほど見てきた。時には逃げ出した者と一晩過ごした事だってある。
つまるところ、八雲の高説には中身が伴っていないのだ。働くのを強要されるのならば、働くことに意義を見出せと言っているに過ぎない。世知辛い世の中になったものだと、憂いずにはいられなかった。
「だが、それではやりたい事と、やらなければいけない事が食い違ったとき、人はどうすれば良い。それではあまりに残酷ではないか」
「やりたいことを仕事とは言わんよ。それはただの趣味であり、道楽であり、人生の延長だ。『やりたいこと』と『出来ること』は別さね。俺にもやりたいこと、成し遂げたいことはあるが、仕事にはなっていない」
八雲が遠い目をしていることに慧音は気がつく。自分で言っていて、何か思い当たることでもあるのだろう。瞳の中には静けさが潜んでいた。
「八雲のやりたいこととは何だ?」
慧音は話を逸らすわけでもなく、さらに一歩踏み込んで聞いてみる。
「夢や目標と言ったところだな。機会があれば話そう」
だが、うまくはぐらかされた。八雲の口から、それ以上夢や目標について述べられることはなかった。木が風を受けて、葉の揺れる音が耳に入るばかりである。
数舜して、遠くを眺めていた八雲の焦点が慧音に合う。
「どうした? 休憩はもういいのか」
「ああ、そろそろ発つとしよう。日が登り切るまでには着いておきたい。できれば今夜は茅葺の下で休みたいんだ」
太陽を一瞥し、八雲は立ち上がって一歩足を前に出した。
慧音曰く、人里まで行くには山を降りて、真っ直ぐに
そうして八雲が一際大きな木の横を通り過ぎたときだ。
「――っ!」
なんら可笑しなことはしていないはずなのに、肌の表面に細い針が刺されたような痛みが走った。悶絶するほどではない。いきなり感じた不快感に腕を払ってしまう程度の微弱な刺激。
八雲はこの感じに身に覚えがあった。
(今の感触は結界を超えたもの……それも外の者を自動的に排する類の……?)
「おい、そこ気をつけた方がいいぞ」
唐突に感じた結界について考えながら歩いていたせいだ。慧音の忠告が遅れて聞こえる。
「へ? うおっ」
間抜けな声を発しながら、八雲は盛大に躓いた。
「木の根が小さく出てたんだ。うまく引っ掛けられたな」
「……もっと早く言え」
とは言うものの、注意散漫で歩いていたのは八雲だ。文句を言える立場ではない。慧音も「足元を見ないお前が悪い」と聞き流した。
じっとりとしたような、ゆったりとした雰囲気で書きたいんですけど、かなり難しいですね
もっと話を急いで展開したほうがいいのかも悩み中です。