君のための幻想郷 作:倭人
「一通りの
頷き、手を打ち鳴らす。頭を下げていた里長たちも、しきりに背筋を正した。
この人里の現状、そして事が起こったであろう原因は突き止めた。ならば、八雲が設けていた第一段階「情報収集」は成し遂げたと言ってもいい。次の段階に入るべきだ。あまり身を重くしては、それこそ取り返しのつかないことになってしまう。
「里の周辺を見て廻ろう。相手が穢れた地主となっては、些か気になることもあるからな。前準備は入念にやっておきたい」
「ならば誰か使いの者を」
「いや、いい。あんた達の手を借りては、それこそ里が回らない。何も手立てがない段階で余計な労働を強いるわけにもいかん。それよりも、この里の近くに川は流れていないかい?」
八雲は懐にしまっていた竹簡を取り出す。、親指の腹を噛み、血をしたたらせ文字を書き連ねた。
「ああ、ありますとも。ここから午の方へ10丁程歩けば見えてきますよ」
「案外近いな」
「ええ……ただ、川より奥にある竹林にはお気をつけてください。一度迷ってしまえば人も化生も出てくることはまず無理ですので」
ぴくりと八雲の片眉が上がった。同時、竹簡に落とされていた目線が、里長へと向き直る。
「なんだそりゃ。何かまずいものでも住んでいるのかい?」
ぱっと思いついたのは結界の類だ。内と外を隔絶し、一定の領域を聖域として確立させる技術。そのような芸当ができるのは、この時代においても数少ない者だけである。おいそれと、人里(それもこのような辺鄙な場所)の近くに設置されていい物ではない。何かしら大きな意図がなければ、まずお目にかかる事はできないはずだった。
「分かりません。ただ、あそこへ竹を取りに行っ者はみな帰ってこんのです。然れば、神祇官様の身を案じたまででございます」
「まあ、分かった。忠告感謝するよ」
納得がいかない、というわけでもないが、八雲は引っ掛かりの覚える事案を心の片隅に留めた。地主と直接的な関わりがないのであれば、訪れることもないだろう。目に触れておくべきかと思議もしたが、やはり近づかない限り害が無いのならば、自然の摂理として放置しておいて良いと思えた。
とりあえず。
里長と話した内容を全て竹簡に綴り終えた八雲は、それを懐へとを仕舞い立ち上がる。
「では、話はここまで。俺は早速川に向かって、やるべきことをやるよ」
頭の中で行うべきことを反復させながら、出口へと向かう八雲。戸に手を掛けたところで、背後から呼び止める声が掛けられる。
「あ、あの。私たちは赦してもらえるのでしょうか……」
若干、躊躇するようにしながらも、里長が尋ねた。
震えた声だ。今の状況を作り上げてしまった「里長」としての責任感から出てきた震えなのか、はたまた、地主を陥れてしまったという
けれども、八雲は里長たちに振り返る。できるだけ平静な表情を装って。
「それは、あんたら次第、というところだな。元来より、神様は俺たちの仲間というわけでは無い。一種の生みの親と同じ存在だ。あんたたちはその親に、額ずかず、神事を放棄し、穢れを与えるという罪の形で裏切った」
立場上、八雲の口からは厳しい物言いしか出てこなかった。神祇官とは、あくまで神事を司る役人である。神退治を生業としているわけでもなければ、物の怪退治を生き甲斐にしているわけでもない。神を軽んじるようなことは、八雲自身が一番やってはいけないことだと認知しているし、それをした者に情けを掛けるべきではないとも思っている。
里長も八雲からの諫言に、頭を垂れ下げることしかできなかった。
「……左様。弁解の余地もございません」
まぁ、とは言え。
里長たちに全面的な非があるわけではないとも考える。彼らにとっては、神など目に触れる機会もなければ、存在を認知することなどほぼできないのが当然だ。存在しないものに、どうやって配慮ができようか。それも、自分たちが生きるか死ぬかの瀬戸際である時に。神事に深く関わらない人間に、模範的信徒であれ、という方が可哀想だ。
生きていれば誰だって罪を犯す事はあるかもしれない。時代が変わろうと、それだけは揺るがない事実である。自覚があるにしろ、ないにしろ、罪を犯した時、正しく己の咎を認め行動できるかは重要なことだ。里長たちの態度を見る限り、そこに問題点は伺えないだろう。
であれば、これ以上の諫言は不要——
「だが、子の失態を叱責し、また許すのもその親の役割だ。あんた達の誠意が伝われば、もしかしたら、赦してもらえるかもしれん。さても、こうなってしまっては、赦しを乞うよりもするべきことがあるとは思うがね」
「なら、私たちはどうすれば……」
「己を律し、いますぐ正しく働くことだ。それが一番の近道さね」
白い歯を見せて、八雲はにかっと笑えば、目の脇に小さな皺が見えた。
これこそ嘘偽りのない本音である。神祇官としての考えからくる本意であり、八雲個人としての思いからくる真意である。
結局のところ、八雲は己を偽ることが苦手な人間だった。
里長の住居から外へと出てみれば、まだまだ日の入りまで時間がありそうである。今から里長の言っていた川に行くのも無理ではないだろう。川へ調査し終わった後、流石に夜を越すための準備をしなければいけないが、野営に慣れた八雲であれば時間もさして掛からない。
問題は地主を、八雲はまだ一度も目にしていないというところである。流石に一度も遭わず、事件の解決などできる術もない。どこかでは対峙しなければならないのは明白である。
そこまで考えると、八雲の視界の隅に、物陰に隠れた既視感のある白髪が映った。
たったっと近づいてみる。全く警戒心を抱いていない足取りだ。八雲が物陰を覗き込んでみると、やはり、家に帰ると言っていたはずの慧音が、仏頂面で腕を組み立っていた。目を細め、口を固く結んだ表情からは真意を窺い知ることができない。そもそも、真意を隠すための表情だとすれば、まさに一級品である。八雲は己の観察眼の敗北を認めるように、あえて両手を軽くあげて問う。
「何か用かい?」
問われた慧音は「ムゥ……」と唸った。さっきまで威勢の良かった睨みをやめ、明後日の方向へと顎を逸らす。なのに、目線だけは忙しなく、八雲の方を向いては別の方向へ、向いては別の方向へを繰り返していた。
そこでようやく、八雲は慧音が何をしに来たのか察することができた。
「ああ、あんたの事なら何も喋って無いぞ。安心しな」
「っ、そ、そんな事誰も聞いてないだろう!?」
「なんだ、それが聞きたくて来たわけじゃないのか」
「この男は……!」
慧音は組んでいた腕を解き、拳を震わせた。今すぐにでも八雲の顔面目掛け、弓矢のごとく引き絞った拳を放ちたい。そう思っているのだろう。
だが、残念なことに体格差的に叶わない。
慧音は深く呼吸をすること三度、ようやく気がおさまったのか踵を返した。
「お前といると疲れる! 私は帰るぞ!」
「待て待て、あんた今手持ち無沙汰なんだろう?」
「……確かに、今は業も無いけど」
嫌そうに。心底嫌そうに慧音は答えた。
だが、無神経かつ何処か抜けている八雲には、慧音が怒っている理由に皆目見当もつかない。もしかして、お腹でも痛いのだろうか、なんて失礼な憶測ばかりが頭の中で飛び交っている。当然、慧音はお腹なんて痛くない。痛くても、男から言われるのは生理的嫌悪感があるだろう。
八雲は不思議そうに小首を傾げると、大したことではないと決めつけ、慧音の目線の高さへと腰を落とした。
「じゃあ、丁度良い。この辺の地理にも詳しそうだし、また案内役を引き受けちゃくれんか。お前の力が必要なんだ」
八雲がなんの懸念もなく頼んでみる。
いつもいつも。頼み事は受けてくれると信じている純朴な目だ。慧音は逃げるように八雲の瞳から視線を外した。人から期待されることには慣れていない。
「……言っとくが、私は安くないぞ」
「報酬は任せてくれ。俺はこう見えても狩猟や採集が上手い」
「ふん、だと良いが」
こうして白髪の少女と墨色の男。妙竹林な二人組が再度結成された。
■ ■
これにて第一章は終了にございます。
地主様に出会うのはもう少し先のお話。具体的には次の章で語ることと致しましょう。
え? 最初と話が違う? 紫はどうしたのかって?
えぇ、えぇ、その意見はもっともでございます。最初に語らせていただいた記述と、些か違うところが散見したのは認めましょう。
ですが、この章は八雲なる人物を知っていただくためのもの。これは前座に過ぎません。八雲について理解を深めていただけたのであれば、この章にも意味があったというものです。
次の章に移った時、皆様にはこの物語の真相が分かることでしょう。
なればこそ、ここで多くを語るのは無粋というもの。語り部は語り部らしく、影の立場に戻ることと致します。
では、ここでお暇を。具体的には、第四章の後書きまで。