君のための幻想郷 作:倭人
幾分か川を見渡してみた八雲たちだが、やはりこれといって目新しい物は見つからなかった。禊をした形跡もなければ、地主がここへ寄り付いた痕跡もない。自然と川ではやることも失せ、手持ち無沙汰となる。こうなっては、さっさと里へ戻り対策を練らねばならなかった。
直近で浮かぶ問題と言えば、やはり地主が穢れを内包したままでいること。もしやすると、地主は既に違う場所へと旅立っている可能性もあるが、それならば用意しすぎたと笑えば終わりである。ただ、慧音の様子を見るに、どうも笑い飛ばせない事態なのが、薄々伝わってきた。
そんな川を見つめる八雲と慧音の背後から、見知らぬ影が近づく。
大きさは、おおよそ四尺と少し。頭に奇怪な耳を生やしているそれは、誰に気づかれる訳でもなく、平然と二人に声を掛けた。
「ほう、これは見たことのない顔がいるね。中々の色男じゃない」
「誰だ!?」
咄嗟に距離を取ったのは慧音である。髪の毛を逆立て、眉間に縦皺を作る。対して八雲は、宮内で知り合いに話しかけられたような気軽さで振り返った。
背後から迫ってきた正体を見据えれば、なんてことはない。ちょっと癖のある黒髪に、可愛らしい着流し。まず普通の人間には生えていないであろう兎の耳が特徴的な少女が、八雲と慧音を交互に見ながら笑っていた。
「お嬢さん、そう警戒しなくて良いよ。私はただの通りすがりの野兎一匹さ」
くるくるとその場で回転してみせる自称「野兎」。ぴたっと止まれば、可愛らしく両手を丸め顔の前に出す。
不愉快極まれリと表情に顕す慧音と、驚きに包まれ他八雲とに、反応が別れた。
「これは驚いた……貴方はあの白兎の
「ん? あんた私の事が分かるの?」
「ええ、因幡国で
ここで「荒魂」「和魂」という言葉を聞き慣れている者はいないだろうため解説を挟む。
日本古来の霊魂観では、そもそも魂には四つの種類があるとされている。これは記紀*1にも登場し、体系化されていることだ。八雲の言った「荒魂」と「和魂」とは、その四魂に分類される魂の種類の名称である。荒魂は読んで字のごとく、神の荒々しい側面のこと。勇猛果敢であり、義侠強靭などの意味合いを含むため、信心深い人間などからは必勝祈願の対象とされてきた。また、その猛々しい性質からか災を引き起こす存在、としても認知されている。第十代天皇である崇神天皇の御代には、大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出していたという伝説があるくらいだ。一方で和魂は神の優しく平和的な側面のこと。仁愛、謙遜等の妙用とされていた。
このように、どちらも強い個性の表れである荒魂と和魂は、同一の神でありながら、しばしば別の神と考えられることもある。
「あー、なるほど、和魂かー。本当、兎を勝手に神格化するなんて人間の考える事は分からないよ。そのうち、あれのために社でも建てるのかね。私はそれが嫌で高草郡に大津波を起こして、ここまで住処ごと引っ張ってきたけどさ」
やれやれ、と言った様子で白兎は首を横に振った。
「それにしても、あんた
「勿論。杵築大社(後の出雲大社である)で謁見を受けたが、お元気でご活躍していましたよ」
「さっすが国津神の主宰神。兎たちの憧れだね!」
指を鳴らし大いに喜びを見せる白兎。八雲もつられて笑う。
ただ、一人と一匹の突飛な会話について来れない者もいた。わなわなと身体を震わせ、鯉のように口を開閉する……慧音だ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待った!」
耐え切れず、大きな声で会話を横切る。
「なんだ、慧音」
「お前、大国主神の拝謁を許されたのか!?」
「ああ。ある同僚の手伝いで少しな。お話を伺いにいく機会があったから、そこで、だ」
平然と答えているが、聞く人が聞けば卒倒しそうなほどに凄いことである。
なんせ、拝謁した相手は神であり、その中でも最上位に君臨する存在だ。何百何千と生きる妖怪であろうと妖獣であろうと、生きている間に会えることはないかもしれぬ存在である。神霊ともなれば、八百万の神が神議りにて会することもあるだろう。しかし、決して一個人の、それも人間が出会えるほど安い存在ではない。
「頭が痛くなってきた。お前という人間は一体なんなのだ……」
慧音は近場の岩場に腰を掛け、頭を抱えてからため息を一つ溢した。
別に八雲もその反応が可笑しいこととは思わない。側から見れば、己がやっていることは常識から逸脱したものだ。
けれど、自分にしかできない事柄というのも、この世には蔓延っている。此度の物の怪に転じたやもしれぬ地主然り。大国主と邂逅を果たさねばならなかった事案も然り。どれ一つ取っても、八雲にしかできないことであった。だからと言って自惚れる気もなければ、ひけらかすつもりもないが、八雲が特別な存在であるのは変えられない事実である。通常の神祇官では、このような体験をしていること自体が稀有なのだ。皆が皆、八雲のように神様と出会ったり、物の怪退治に興じたりしていないことは確かなのだから。
慧音は大きくなり続ける八雲の背中を見て、ひっそりと首筋に冷や汗を流した。八雲を見ている目が、徐々に恐怖と焦燥に変わりつつある。
「それより、白兎殿」
場を一転させるような、覇気のない声が八雲から放たれた。
「あ、別に畏った口調使わなくて良いよ。あたしゃそういうの、あんまり好きじゃ無いからさ」
「そうかい?」
なら遠慮なく、と八雲が笑みを向ける。
「あと、私の今の名前はてゐ。因幡のてゐだよ、えーと?」
「俺は八雲という。氏は忌部で、姓は宿禰と申す。まぁ、氏と姓はあまり気にせんでくれ。で、こっちで未だ頭を抱えているのが慧音だ。好きに呼んでくれてかまわんそうだ。ま、けーたんは不評だったがね……それで、てゐ。ここいらで奇妙な神霊など目撃しなかったか?」
にわかに沈黙が場を支配する。てゐも心当たりがないか頭に仕舞われた記憶の数々を引っ張り出すが、それらしいのは見当たらなかったみたいだ。
「奇妙な神霊ねー。見た事ないかなー。いくつかこの近辺に里はあるけど、私は基本顔出さないからさ。何か里に厄介な事が起きていても知らないしね」
兎は世俗に興味ないのさ、とてゐは言ってのけた。
事実、里長たちの口からはてゐや白兎のことは聞かされていない。お互いにお互いを認知していないのだろう。
「確かに、私も里でこんな野兎の顔見た事ないぞ」
「そりゃ、そうよ。私はあっちにある竹林に住んでいるんですもの」
「あー、あの里長が忠告してくれた竹林か」
川の奥からちょっとだけ見える竹林。一度入れば誰であろうと出ることを許さない魔境に、てゐは住んでいるのだと曰う。
「くくく、人間は易々と近付かない方がいいよ〜。なんせ、あそこには出られない仕組みが施されているから。自然の化身でも出られないだろうね」
くつくつと悪巧みでもするかのように笑ったてゐは、八雲と慧音の反応を楽しんでいるようだった。しかし——。
「成る程、迷はし神がいるのか。確かにありゃー厄介だ」
八雲は親指と人差し指で輪っかを作り、その穴の中から竹林を見て所感を漏らす。迷はし神とは、その名の通り道を迷わせる神様のことだ。人智を超えた存在に出口を阻まれたら、常人など抜け出すことは出来ないだろう。当然、八雲も無策で飛び込めば餌食にあう。
てゐは見事種を見抜いた八雲を、さも、つまらなさそうに見た。
「なんだ、それも分かるの八雲は。はあー、やだやだ。からかい甲斐ないわね」
「ははは、そりゃすまん。本当は大国様から聞いて知っていたんだ。大国様が幸を分け与えたあんたへ、八十神に八つ当たりされないよう密かに施してあげた結界。それが、あの迷はし神の正体なんだろ」
八十神は大国主の兄たちである。悪戯好きで嫉妬深い神様でもあり、弟である大国主を二度も殺してしまうほど、性悪な神様だと伝えられている。そんな神様たちから護るため、大国主はひっそりと因幡の白兎へ施しを与えていたのだ。
てゐはこの秘密を知っている八雲という人間に、些か興味を引かれた。同時に、慧音は迷いの竹林の秘密を知って感心する。
「ほおー、だからあの竹林はどんなものでも迷うのか」
「細かく言うのなら、私に認められた存在は例外的にあの竹林を把握できるけどね」
ふふん、とあまり無い胸をてゐは誇らしげに張る。その姿に威厳も何もありはしない。詰まっていないのだから当たり前だが。
ひとまず、思わぬ所で竹林の住人と遭遇できたため、地主がいるかもしれぬ場所が一つ抹消された。八雲は竹でできた水筒に川の水を入れ、栓を閉める。
「となれば、地主神はあの竹林に潜伏はしていないな。壊された祠にでもいるのだろうか?」
と言っても、八雲は里長から祠の場所は聞いていない。それは、地主が壊された祠にとどまっているはずがないと高を括っていたからだ。信仰の象徴でもある祠には、馬の革を剥いだものがある。穢れの温床にわざわざ留まるなど考えられないだろう。
「あんた達が何を追っているのか知らないけど、面白そうなら私も呼んでね。最近、退屈していたからさー」
「遊び気分か、この野兎め」
「遊び気分だよ。人間の事なんて妖獣が気にするような事じゃないからね」
「っ————」
二人が睨み合う。
慧音の目には並々ならぬ恐怖の感情が滲み出ていた。てゐはそれを面白がるように、口角を少しばかり吊り上げている。一触即発の空気感が全体に張り詰める中、ただ八雲だけは冷静に、なにより聡明にこの状況を理解し、即座に身体を動かした。
「あまりいじめてやらんでくれ、てゐ。こいつには、こいつの事情ってものがあるんだろうさ」
慧音とてゐの間に身体を入れ、八雲は二人の視線を強制的に切る。慧音からは八雲の背中だけが目に映り、てゐからは八雲の正面だけが目に入る構図だ。
時間にしてみれば、刹那とも呼べるほどの短い間。先に相手へ興味が失せたのはてゐであった。と言うよりも、てゐの関心が慧音への挑発から、庇い立てた八雲へと移ったのである。
「……八雲、あんたはなんか普通の人間と少し雰囲気が違うね」
「そうかい?」
「うん。どこか大黒様に似ている。きっと、竹林に遊びにきたら、兎に好まれるよ」
八雲の顔を見つめながら、てゐは不思議そうに言う。顔の作りは別に似ていない。服装だって八雲の方が何十倍も奇抜なもので彩られているし、大国主は兎から見れば、それこそ白馬の王子と言っても差し支えのない神様だ。ただ魂の在り方とでも言えばいいのだろうか。
――毛皮がないのかい? ならば、ここにがまの穂がある。これを使いなさい。
どんな異形な相手にも手を差し伸べる彼の姿に、てゐは自然と己の過去を重ね合わせてしまった。
無意識に胸の高まりを感じてしまう。この因幡の白兎、些かちょろい部分があった。
「そ、それじゃ、私はこの辺りでお暇させてもらうね! 何か面白い事が会ったら、いつでもみんなで竹林に来ていいよ、帰れるかどうかは保証しかねるけど!」
「誰がお前の所になど遊びに行くか!」
慧音の叫びなど我関せず、てゐはまさに脱兎の如く竹林へと戻っていった。立ち去る時、なぜか上気した顔が見えた気もするが見間違いだろう。慧音は、ふん、と鼻息を荒くさせると腕を組んだ。一生、アイツとは関わらない。そう固く決意しながら。
「行ってしまったな」
「まったく、嵐のような妖獣だった……それよりも八雲。これからどうする」
流し目で慧音は八雲を視界に捉えた。
どうするもこうするも、酉へ傾いている太陽を確認した八雲は、今日はもう大人しくするしかないことを悟る。
「とりあえず、壊されたと言う祠に行きたいが、あまり無策に突っ込むのもな。日が暮れる前に今夜の食材だけ集めて、さっさと拠点を築きたい」
「なら、私の家に来い。里の連中の家では泊まりにくいだろう」
「良いのかい?」
「構わん。盗られるモノは何もない」
「なら、お言葉に甘えさせてもらおう」
盗られるモノ、というのは一体全体ナニを指している言葉だったのか。
八雲が理解することは終ぞ無かった。
昨日は投稿間に合わず、、、
んー精進せねば
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