君のための幻想郷   作:倭人

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第二章 迷いの竹林 (3)

 貧窮問答歌にはこのような歌がある。

 

 (かまど)には

 火気炊きたてず

 (こしき)*1には

 蜘蛛の巣かきて 

 飯炊(いいかし)ぐ 

 事も忘れて

 

 この時代、米を税として取り立てていたものの、多くの農民は白米を食べることができなかった。当たり前の話だが、現代に生きる人間の生活水準とは大きく違っている。米を銀シャリとありがたがっていた時代よりも、さらに昔の時代だ。人々は米とは別に雑穀を育て、それらを主食として食べいていた。西欧や中国でも、オーツ麦などを主に食べれていたのだから、どこでも貧富の差があるのは著明である。

 故に、人里から少し離れた慧音の家も、里長のところと変わらず、土器には蜘蛛の巣が張り、質素な生活空間が広がっていた。唯一、違うところを列挙するとすれば、慧音は山菜採りや川魚を獲ることに長けていたという点であろう。慧音は山菜汁や魚を焼くために炭を焼べ、竈を使用していた。

 

「はぁ、今日も今日とて夕食は山女の塩焼きだ。ここ最近は山菜も食べれていない」

「いいじゃないか、山女。旅をしている俺からすれば、贅沢品さ。最近は干し飯ばっかだったしな」

「ふん——どうせ宮内の役人どもは嘸かし良いものを食ってるんだろ? お前が馬鹿なだけだ」

 

 にべもなく切り捨てて、慧音は竈の火の光だけを頼りに山女の腹を開く。血合い、内臓、エラなどの腐敗が早い部分だけを取り除けば、川で汲んでおいた水で洗い流した。(時間をかけすぎると、どうしても水っぽくなってしまうため、ここではさっと洗うのが重要だ。)そうして、洗い終えた山女は山塩で味付けする。まだ醤・酢・末醤は貴重品で庶民の口には入らなかったため、塩で味をつけるのが普通だ。最後に串を突き刺し、竈に焼べた炭で焼いて放置すれば、調理は終わりである。

 

「おー、良い匂いだ」

 

 魚の油と塩の焼かれた匂いが部屋中に充満する。

 どんな時であれ、人間とは腹が空く生き物だ。

 

「魚、焼けたぞ」

「助かる。流石にこれ以上食わずに動けば死ぬところだった」

 

 表面と裏面を綺麗に焼いた魚が一尾渡される。皮にのった黄金色と少し焦げた黒色が、魚独特の照りとともに浮かび上がっていた。よく見てみれば、皮と身の間で、ぷつぷつと油が弾けるのが見える。焼かれた山塩が油によって溶け出し、香ばしい匂いが食欲をさらに駆り立てた。

 

「いただきます」

 

 一口食べ、舌の上で弾ける油と身の柔らかさに、堪らず声が出る。噛めば噛むほど、焼きたての魚はほろほろと身を崩し、皮のパリッとした食感が体内で響く。口の中から白い煙が漏れ出すほど熱いはずなのに、八雲は頬張る速度を下げようとはしなかった。

 はふはふ、うまいうまい。

 魚の油と山塩のダブルパンチが、何度も味覚を刺激する。やっぱり肉はいい。力が漲ってくる。久方ぶりに食べた川魚に感謝しながら、八雲は「ふぅ」と肩を落とした。

 

「その様子じゃ、本当にひもじい思いをしてたんだな。もう少し自分の体を労ったらどうだ」

 

 あちち、と自分用に取り出した串焼きを握りながら慧音が言った。

 

「んー、どうにも自分の管理は二の次にしてしまってな。誰か諫めてくれる者が側にいたら少しは変わるんだろうが」

「なら、なんで八雲は一人で仕事なんかしている。いつか、餓死するぞ」

「人手不足が第一の原因さね。役人の中で俺みたいな野営に長けているものは早々にいないからな。必然、一人旅になってしまう」

 

 そもそも、都にいる役人は上流階級の人間たちばかりである。暇潰しやら、趣味やらで野営をすることはあるかもしれんが、基本的に彼ら彼女らの生活は他人任せが多い。平民と豪族で二極化しているこの時代では、使われる者と使う者がはっきりとした時代だった。

 中央集権国家として歩き始めているのが大きな要因ではある。地方と都近辺では、それだけ生活環境が違っていたのだ。都からすれば、八雲のように下々の人間が行うような行為は、何ら隔てなく侮蔑の対象となり、それなくしては生きていけないはずなのに、平然と軽んじていた。

 

「なら、賎民(律令制の元設置された、身分制度における民衆より下に位置する社会的地位の者)を無理やり使えば良いだろう。役人ならば、それくらいの労働力は徴収できて然るべきだ」

「例え賎民であっても、これ以上、民の生活を圧迫させるなんて俺にはできんさ。ただでさえ、日本という国号になって真新しいこの国は手探りの状態で進んでいる。唐の真似事をしたところで、それに転用するまでの期間、必ず問題事は絶えず起こる。俺たち役人が行うべきことは、民を苦しめる事にあらず。民を救うことである、とな」

「ふーん、誰かの受け売りか?」

「おいおい……いやまぁ、そうなんだが」 

 

 力無く笑った八雲であるが、それは切に願っている事柄の一つでもある。重い税で苦しみ、生活することさえ困難な世の中を憂う気持ちは八雲にもあった。

 だが同時に、大陸との外交に頭を悩ませている政権の気持ちも八雲は分かってしまうのだ。

 日本は他国に負けないよう、もっと言うのであれば唐に侵略されないようにと、大化の改新以降ずっと頑張り続けている。

 視野が広いというのも考えものだ。二つの側面から物事を見れるせいで、八雲としてもどっちにも振り切れぬ立場が出来上がってしまっている。良くないことと思いながらも、自分にできることは目の前の人たちの苦しみを、少しでも取り除いてあげることだけ。八雲は全知全能の神でもなければ、全ての苦を取り払う仏様でもない。ただの力無き人間である。苦しむ者と共に、今を精一杯生きてあげることしかできないのだ。

 

「……お前は、やはり変わった男だな」

「宮内でもかなり言われたさ。俺としては異様な考えだとは思わんのだがね。受け入れ難しと思う者は少なからずいるそうだ」

「ならば、そいつらの方が正しい。お前、どうせ宮内でも浮いているんだろう?」

「そこまで傾いてはおらんよ」

「どうだか、この外回りの仕事だって、それが原因じゃないのか? 有能であれ無能であれ、人間は煙たい存在は遠ざけたがるものだ。倭建命(やまとたけるのみこと)だって家族から疎まれ、遠征などという名目で飛ばされていた」

「これは手厳しい意見だ、全く」

 

 互いに山女の塩焼きに齧り付きながら、ははは、ふふふと笑いあう。山中で遭逢した時よりも、懇意な関係になっているのを双方が感じていた。

 だからなのか、慧音は意を決したように告げる。

 

「なあ……お前は私の正体に気付いているんだろう?」

 

 断頭台に立たされたのではないかと錯覚するほど、冷えた瞳で慧音は八雲を射抜いた。

 ずっと疑問の余地はあった。思い見なくとも、慧音という存在には違和感が纏わりつく。頭の片隅に置いていた事案に、八雲は魚の齧っていた部分を見つめ、暫くして瞼を下ろした。

 

「……大凡の事は分かっているつもりだ。だからと言って、俺から何かしようなど思ったりしない」

「私について聞かないのか?」

「聞いてどうする。逆に尋ねるが、あんたは聞いて欲しいのかい?」

「そう言う訳では無いが……」

 

 言葉が詰まる。というよりも、意図的に慧音は飲み込んだ。言い難いというよりも、言いたくないというのが正解に近い。誰にも打ち明けなくていいのなら、誰にも打ち明けずにいたい、という我儘ばかりが先行している。

 八雲はその気持ちに気付いていたため、あえてこの話題には触れてこなかった。

 

「なら、黙っていればいい。里に住み続ける手段くらい持ち合わせているのだろう?」

「ああ……ここに居続けるための手段くらいは持ち合わせている」

「であれば、それでいいじゃないか。俺から手出しすることでは無いさ」

 

 食事を続けよう、と八雲が改めて山女を喫すれば、慧音の持っている串が突拍子もなく折れた。

 

「そういう感情論ではないだろっ。私は獣だぞ? 論理的、倫理的に考えても私のあり方が間違っているとは思わないのか!?」

 

 風が吹き荒ぶ。穴を掘って作られているはずの住居に、だ。

 発生源であろう少女から目を離すこともせず、八雲が見つめていれば、なんと目の前には翡翠の髪を艶やかに垂らし、二本の山羊の角と大きな尻尾を生やした少女の物の怪が立っていた。

 

「……実際にみるのは初めだな。あんたは白澤だったのか」

「質問に答えろ。私の正体を見破った識者よ。貴様が人の味方であるならば、こんな私を滅すべきでは無いのか?」

 

 容易な、それも気の抜けた返答をしようものなら、慧音は有無を言わさず八雲に襲いかかりそうな気迫があった。目は血走り、ただならぬ圧迫感が八雲の心臓を握り潰さんと張り詰めている。

 動悸が早くなっているのを感じた。免疫がある八雲とはいえ、剣抜弩張の空気には鋭い。慧音の一挙手一投足に目を光らせながらも、あえて体は自然体のまま、呑気な面を崩そうともせず胡座をかく。

 

「何を恐れているのか知らないが、俺からすれば然程危険はないと判断できる。それは、その少女の体を含めての見識だ」

「虚誕を——」

「虚誕ではない」

 

 あえて遮った。慧音の瞳に映る感情が、恐怖や焦燥感から驚嘆へと変化する。僅少に身じろいだ様からは、獣の姿をした少女の内面を、簡明直截に表しているようにさえ思えた。

 

「慧音、あんたはもう少し自分を許してやるべきだ」

「許してやる、だと……何も知らない分際で偉そうにっ」

「ああ、お前に関しては何も知らないし、きっと共感もできない。それでも、こうして友達になったわけだろう? もう、お前は独りじゃないって事だ」

「っ…………」

「苦しかったら肩を貸すくらいはできる。胸だって。耳だって貸すさ。だから、いつでも頼っていいんだ」

 

 真剣な眼差しを向けてくる八雲を、慧音はじっと見つめた。翡翠の髪から覗かせる双眸が、紅に染まった眸子が、感情の揺らぎに呼応するかの如く激しく揺蕩う。

 憤りはある。

 もちろん恐怖も。

 だがそれ以上に八雲の声は毒だった。ただの毒ではない。それこそ猛毒だ。滔滔と注がれる甘い美酒へ溺れるように。八雲から紡がれる優しい吐息から、心の隙間を浸していく。

 

(馬鹿だな、私は……こんなのを怖がって)

  

 力が抜け、ぼふっと尻から地面に落ちる。そのまま蹲り、ぎゆーーっと体を丸め、慧音は自分の顎を膝と膝の間に埋めた。

 

「……人間なんて、自分の種族のことしか考えられない、醜い畜生の類と思っていた……でも、お前はどうやら違うらしい」

「違う? 俺だって人間さね。あんたの言う、畜生の類から外れちゃいない」

「外れているさ、私が出会った中でも一際、変人に見える……本当にひょうろく玉だよ、お前は」

 

 翡翠から白藍へと姿を変容させ、頭部に生えていた角は気がつかぬ間に消失していた。張り巡らされていた緊張感も霧散している。八雲が肩の力を大袈裟に抜く所作をすれば、いつの間にかすり寄ってきた慧音に頭を胸へと埋められる。

 こうしていると年頃の娘とおんなじだ。

 

「まったく……それは褒められているのかね」

「どうだろう……褒めては、いるんだろうさ。私もどう言う意味でそう思ったのか、はっきりとは分からない。ただ、お前は少し普通の人間と違うと思っただけだ」

「そうかい。じゃあここは、素直にその言葉を受け取るとしよう」

「ああ、そうしてくれ」

 

 こうして過ごした一夜を、きっと慧音は一生忘れることはないだろうと思えた。それほどまでに、この一時は濃密で、かつ心に深く刻まれるべき体験だったのだ。それは八雲からしても変わらない。眼前に佇む半獣を、目下で泣きべそをかきかけている少女を、八雲は脳裏に刻みつけた。

 程なくして、二人は互いに離れる。頬に残る温かみを名残惜しそうにしながらも、慧音は「ふふっ」と笑った。八雲は慧音の微笑に気が付き怪訝な表情を浮かべる。しかし、すぐに他愛ないことだと切り替えた。

 

「慧音の変身は一瞬しか持たないのか?」

「満月になれば妖獣の力と、この体が完全に混ざり合うのだが、そうじゃない日は無理やり昔の姿を止めるので精一杯だ。お前の見解通り、そう長くは保たない」

「そうなのか、それは少し残念だ。見たことのない姿だったから、じっくり見させてもらいたかったんだがな。何せ牛頭馬頭とは違って、全身が変化するんだし」

 

 本当に、心底残念そうに八雲は頭を掻いた。

 いつの間にやら、懐に忍ばせていた竹簡らしき書写材料も握っている。白澤で、しかも半獣で、さらには全身変化という存在に興味津々というのは分かるのだが、慧音からすれば小っ恥ずかしいだけだった。なんせ相手は異性である。半分獣とは言え、慧音は歴とした少女だった。

 

「だ、誰がお前なんかに体を見せるか!!」

 

 それだけに、慧音はいきり立つような声を上げる。

 反して八雲は一瞬だけ目を点にし、直様口を大きく開けて笑い飛ばした。八雲からすれば、顔を真っ赤に恥じらう慧音が、面白おかしく見えて仕方がないのだ。こうして見れば、さっきまでの殺気立っていた少女が嘘のようである。まるで、狐に化かされていたかのようにさえ思えるくらいだ。

 

「ははは、それもそうだな。お前からしたら、そんな義理もないか!」

「な、笑うな! この馬鹿野郎!」

「すまん、すまん! でも、あんたの顔があまりにも真っ赤だか——」

 

 ふと、八雲が固まる。顔面の筋肉は完全に強張り、何かに驚いたような表情で固定された。

 

「っ、今すぐ伏せろ慧音!」

 

 次の瞬間だ。

 茅を()いて作られた屋根が吹き飛んだのは。

*1
米をにる器




なにかプレインエイジアで、良いアレンジ曲ないかと探し中。
幽閉サテライトさんはよく聞きますけどね
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