■
今更ですけど、私のトレーナーさんは少し変わってると思います。
「おはよ、チヨちゃん。今日も頑張ろうね」
まずそもそも、見た目があんまりトレーナーらしくありません。
後ろで一つにした長い金髪を見たとき、最初は女の人かと思いました。
少し高い鼻に、きりっとした目元。身長も高くて、おまけにスタイルも抜群。
そういうことに疎い私でも、さすがに分かります。相当かっこいい人です。
噂ではファンクラブがあって、会員は二十名を超えるとか何とか。
……そんな噂が立つ時点で、だいぶ変わってる人だとは思いますけど。
「昨日はよく眠れた? 寝不足はお肌の天敵だから、気を付けてね」
次に、お仕事に対する姿勢が……ちょっと、だらしないところがあります。
書類仕事もすぐに投げ出しちゃうし、会議も頻繁にサボっちゃうし。
たづなさんに怒られる光景は、もう日常茶飯事と言ってもいいかもしれません。
だけど、私に対してはすっごく真面目に向き合ってくれる人です。
私が悩んでいるときは、一緒になって悩んでくれて。
私が不安なときは、優しく背中を押してくれる。
やるときは、やる人なんです。やらないときとの差が激しいだけで。
「それにしても、今日は冷えるねー……チヨちゃんは大丈夫?」
……でも、それはまだいい方なんです。
私のために自分の時間を割いてくれるのは、嬉しいことですし。
仕事をサボってしまうのも、ギリギリ何とかですけど、納得できます。
……最後に、私が思うトレーナーさんの一番変わってるところ。
それは。
「あー……やっぱチヨちゃん、すげーあったかいわ……」
すっっっごく、私との距離が近いことです。
「……トレーナーさんっ!」
「ん? どーしたの?」
「どーしたの? じゃありません! いい加減に離れてください!」
確かに、トレーナーとの距離が近いウマ娘もいます。それこそ、アルダンさんやマルゼンさんはトレーナーさんとの距離も近くて、すごく仲もいいみたいです。
でもハッキリ言って、私のトレーナーさんの距離感は異常です。
距離が近いなんて、そんなもんじゃありません。四六時中ベタベタです。
今日だって出会った瞬間、「おはよう」と同時に抱き着いてきました。
意味が分かりません。私のことをカイロか何かだと思ってるんでしょうか。
「えー、いいじゃん別に。減るもんじゃないんだしさ」
「よくないですよ! 誰かに見られたらどうするんですか!」
「……誰かに見られて、勘違いされるのはイヤ?」
「そ……っ! そういう話じゃなくてですね!」
「まあまあ、もうちょいゆっくりしようよ。その方がチヨちゃんもいいでしょ?」
「……もうっ!」
きっと、からかわれてるんだと思います。
トレーナーさんは人生経験も豊富だから、私が何を考えてるのか分かった上で、こういう風に私にくっついてきたり、頭を撫でたりしてくるんです。
私が年下だからって、面白がってるに違いありません。本当にひどい人です。
でも。
「チヨちゃん、背ぇ伸びた?」
「……少しだけ、ですけど」
「いいね。たくさん食べてもっと大きくなってよ。俺が頭撫でられないくらいに」
「……………………」
こんなトレーナーさんが嫌かと言われたら、そうじゃないんです。
むしろ、今みたいに甘やかされて嬉しく思っている自分がいるのも否めません。
どうしてこんなことになってしまったのかは、私でも分かりません。
でも、こんなトレーナーさんを好きになっちゃったのは、事実なんです。
もう取り繕ったり、誤魔化したりしません。
だって私は、トレーナーさんと違ってウソが下手ですから。
「チヨちゃんあったかいね―。今日はもうずーっとこうしてよっか?」
「さすがにそれはダメです!」
それから結局、私たちはずーっとくっついたままで。
他の子たちがコートに来てからようやく、朝のトレーニングが始まりました。
■
午前の授業が終わって、いつも通りトレーニングの時間になりました。
次の目標レースは安田記念。それに向けて、今日も頑張らないといけません。
……とはいえ、時期的にかなり時間に余裕があるのも事実です。
年が明けてすぐの今からだと、本番の安田記念までには半年の猶予があります。
だからといって手を抜くとか、そういうことをするつもりはありません。でも、やっぱり中だるみというか、ちょっとだけ退屈さを感じるところはあります。
そして、どうやらそれはトレーナーさんも同じみたいで。
「ねー、チヨちゃん。今日はもう終わりでよくない?」
私が基礎メニューを一通りこなしたあと、そんなことを言ってきました。
「まだウォームアップしただけじゃないですか! サボるには早すぎます!」
「でも年明けたばっかりだしー、もうちょいゆっくりしたっていいんじゃない?」
トレーナーさんが私のことを信頼してくれているのは、分かります。
でも、だからってサボるのはダメです。
レースで勝つために必要なのは、日々の成長の積み重ねなんですから。
おいしいニンジンは一日にしてならず、です!
「とにかく、しっかり最後までトレーニングはしますから!」
「はーい……」
これではもう、どっちがトレーナーでどっちがウマ娘なのか分かりません。
ですが、別に今に始まった話じゃありませんから、この際どっちでもいいです。
このゆる~い雰囲気がトレーナーさんの個性と言えば、そうかもしれませんし。
私も私で、しっかりしなきゃ、っていう意識が自然とつくようになりました。
自分で言うのもちょっと恥ずかしいんですけど、いいコンビだと思うんです。
ただ。
「……………………」
最近のトレーナーさんは、ちょっとだけお疲れ気味みたいです。
普段からサボってるのにこれ以上何に疲れるんですか、とは言いません。
具体的に言うと、いつもよりちょっと元気がないというか、なんというか。
単にやる気がなくてダラっとしてるだけ、というわけでもないみたいです。
トレーナーさんとは長い付き合いですから、そのあたりは分かります。
ですが、その原因が何なのかは、さっぱり分かりません。
……そもそも私は、トレーナーさんについて何も知りません。
初めて会った時からそうでした。自分のことについては何も話してくれなくて、ただ私に『一目惚れ』したから担当にしてほしい、なんてお願いされました。
そんな理由で流されちゃう私も私なんですけど、そこはひとまず置いといて。
しばらく一緒に過ごして分かったことは、すごくだらしない人、ということ。
逆に言えば、それ以外のことは今でも分からないままです。
自分のことを話すのが苦手なんだろうな、というのは私の勝手な想像ですけど、実は意外と当たってるんじゃないかって密かに思っています。
私も別に、無理してトレーナーさんのことを聴きたいわけじゃありません。
あんなトレーナーさんにも、実は色々と事情があるかもしれませんし。
でも、やっぱり心配になっちゃうんです。
何か困りごとがあるなら、ダメ元でもいいから私に相談してほしいです。
少しでもいいから、私だってトレーナーさんの力になりたいんです。
……とはいえ、自分から相談するような性格じゃないことも分かってます。
そのうえ私みたいな、いち生徒に相談するとも考えにくいです。
ですが、このままトレーナーさんを放っておくなんてできません。
このまま見て見ぬフリをするなんて、そんなこと……。
……いや。
逆に考えるべきかもしれません。
むしろこれは、またとないチャンスです。
お悩み相談という名目があれば、トレーナーさんのことを色々と聞き出しても、何も怪しまれないはずです。何ならそのままトレーナーさんのお悩みも解決して、やっぱりチヨちゃんに相談してよかった、なんて言わせてみせます。
もちろん、やましい気持ちなんて一切ありません。
私はただ純粋に、トレーナーさんを助けたいだけなんです。
そうです。
三年もあって未だに進展がないのは……なんて、ぜんぜん思ってません。
今こそ勝負に出る時です。手を伸ばさなきゃ蛇口すら捻れない、です!
「あの、トレーナーさん――」
携帯の着信音が鳴ったのは、私がそうやって声をかけた時でした。
「……ごめんチヨちゃん、ちょっと外してくるね」
「あ……はい。分かりました」
トレーナーさんは申し訳なさそうな顔で、どこかに行ってしまいました。
あんまりじゃないですか。いくら何でもタイミングが悪すぎます。三女神様が、「余計なことすんな」なんて言っているんでしょうか。理不尽にも程があります。
とはいえ、電話の邪魔をしてまで話をするわけにもいきません。
ここは大人しく、またチャンスが訪れるのを待つしかないみたいです。
大丈夫です。
待つことには、慣れてますから。
■
結局、その日は何も聞き出すことができませんでした。
というのも、電話から戻ってきたトレーナーさんはずっとソワソワしたままで、トレーニングが終わったあとも、またすぐにどこかへ行ってしまったからです。
変な話、何かに怯えているようにも見えました。
考えすぎなのかな。でも、あの様子だとやっぱりそうとしか言えません。
さすがに心配です。進展とか色々言ってる場合じゃなくなってきました。
ですが、原因はこれではっきりしました。あの電話が全ての発端みたいです。
となると、あの電話はいったい誰からのものだったんでしょう。
正直に聞いたところで、たぶんトレーナーさんは答えてくれませんし。
気になって仕方がありません。謎は深まるばかりです。
「……はぁ」
誰にも見られていないからなのか、ついついため息が漏れてしまいました。
今日は一人で寮まで帰ることになりました。
いつもは同室のアルダンさんと待ち合わせてから寮まで一緒に帰るんですけど、今日は定期健診だか何だかで、保養所の方に行かなきゃいけないみたいで。
別に、これが初めてというわけではありません。むしろよくあることです。
だから私も、それ自体に関しては特に何も思っていないんですけど。
できることなら、誰かに相談したかったな、という気持ちもありまして。
……今日はどうも、タイミングに恵まれない日みたいです。
「うーん……」
ネガティブになるのはよくないことですけど、こうも全てが上手く行かないと、さすがに気持ちも落ち込むというか、もやもやしてしまうのも仕方ありません。
ですから、今日はもう気分転換することに決めました。
幸い今は一人なので、ちょっと遠くへ遊びに行っても問題ありません。
前までの私だったら、そんなことは絶対に考えもしなかったと思います。
でも、今の私なら色々と考えられるようになりました。
これもトレーナーさんが、気分転換の方法を教えてくれたおかげです。
教わるというよりは、付き合わされたというのが正しいかもしれませんけど。
とにかく、教わった通りに気分転換してみます。
まずは自販機で、お金を気にせず好きな飲み物を買うところからです。
こうすることで遊ぶスイッチが入る、ってトレーナーさんは言ってました。
でも、ここからいちばん近い自販機となると……。
「確か喫煙所のそばにあったよね」
普段はあまり通らない場所なんですけど、たまには冒険です。
五分足らずで到着したそこは、人の寄らないひっそりとした場所でした。
というのも、学園には利用者がほとんどいない、というのが大きな理由です。
トレーナーさん曰く、「さすがに女子高でタバコ吸うやつはいないんじゃない? 教員としてのメンツもそうだけど、何より生徒から嫌われるもん」とのことです。
それが本当かどうか定かではありませんが、充分納得できる理由です。
なので、どうせ今日も人はいないんだろうなあ、って思ってました。
「……あれ」
でも、なぜか今日は違ったみたいです。
そもそも喫煙スぺースと自販機は、校舎の角を挟むように設置されているので、自販機の前からだと喫煙スペースの様子は当然、見ることはできません。
それでも、枯れた香りがそこから漂ってくるのは分かりました。
一人になれると思っていたのに、まさか先客がいたなんて。
どうやら今日の私は、とことんタイミングに恵まれないみたいです。
だからといって、別に引き返すほどのことではありません。
それより今は、気分転換のための飲み物です。奮発して二百円入れちゃいます。
「うーん……」
自販機に並んでいるラインナップを眺めて、思わず声が漏れてしまいました。
確かに、ここに来るまでの道のりで決めておけばよかったかもしれません。
でも、これくらいどうでもよくて小さなことを考えるのも、大事なことです。
そうして考えることが気分転換に繋がる、ってトレーナーさんは言ってました。
いつもは無難に水かお茶を選ぶところですが、せっかくなので普段は飲まない、ちょっと大人なやつに挑戦してみたい気分です。具体的にはコーヒーとか。
……トレーナーさんがよく飲んでるから、という理由もちょっとだけあります。
とにかくコーヒーです。コーヒーにします。なんだか気分的にそうなので。
もちろん甘さはブラックです。苦くても頑張って飲みます。
――携帯の着信音が聞こえてきたのは、ボタンを押す直前でした。
「……え」
その着信音には、聞き覚えがありました。
それはついお昼に聞いた、トレーナーさんの携帯のものだったからです。
ということは、つまり。そこでタバコを吸っているのは。
「……またお前かよ」
私の、トレーナーさん?
「いい加減しつこいって言ってるだろ。何度も何度も……もう、やめてくれよ」
驚きました。
トレーナーさんがタバコを吸っていたから、というのはもちろんそうですけど。
……あんな風に話すトレーナーさん、今まで見たことありません。
「お前の気持ちは分かったけど……無理なんだって。勘弁してくれ……」
やつれた声のまま、トレーナーさんは何度もそんなことを口にしていました。
なんだか、断ろうにも相手が中々折れてくれない、そんな雰囲気でした。
どうやら電話の相手は、トレーナーさんの言う通り「しつこい」人みたいです。
「俺だって色々忙しいんだからさ。今そんな余裕ねーよ……」
いったい、電話の相手はどなたなんでしょう。
今のままでは手掛かりが少なすぎて、まだ何とも言えません。
ですが、トレーナーさんがその人にいい印象を抱いていないのは確かです。
トレーナーさんはだらしないけど、とても優しい人でもあります。
そんなトレーナーさんが、ここまではっきりと言うとなると、相当です。
「とにかく俺は戻らないからな。こっちでやってくって決めたんだ」
話を続けるトレーナーさんの声も、だんだんと疲れていくのが分かります。
そんなにも、電話の相手はトレーナーさんにとって嫌な人なのでしょうか。
ここまでトレーナーさんを追い詰めるような人って、いったい……。
「……そもそも、今さらヨリを戻そうなんて、何のつもりだよ」
…………………………。
えっ。
「昔みたいにはいかないだろ、お互い。俺もお前も、もう大人なんだ」
いや、あの。
「……ああ、そうだ。お前のそういう無神経なところが嫌いだったんだよ、俺は。自分をフった男に、何度も何度も連絡してきやがって。終わってるよ、お前」
ちょっと待ってください。今なんて言いました?
ヨリを戻す? 昔みたいに? お前のことが嫌いだった?
ここまできたら、私でも分かります。さすがにもう、分かっちゃいます。
きっと電話の相手は、前にお付き合いされていたお相手なんだって。
……そんな人がいたなんて、聞いてないんですけど。
いやでも、納得できる話ではあります。トレーナーさん、かっこいいですもん。逆に恋愛経験がない方がおかしいと思います。寧ろ豊富な方がそれっぽいです。
だけど……やっぱり、ショックの方が大きくって。
「この件で連絡するのは、もう終わりにしてくれよ。……正直、迷惑なんだ」
トレーナーさんはその人に向けて、そんなふうに言いました。
溜まっていたイライラとか鬱憤とかを、ぜんぶ吐き出したような言い方です。
「じゃあな」
向こうの言葉も待たずに、トレーナーさんは電話を切ってしまいました。
……これで、事の真相はハッキリしました。
最近のトレーナーさんに元気がないのは、たびたびかかってくる電話が原因で。
その電話は、以前お付き合いしていた彼女さんからで。
トレーナーさんは今、その人から復縁を持ち掛けられていて。
そして、トレーナーさんはそれを拒否し続けているみたいです。
ここまで整理してみたところで、分かったことが一つだけ。
……私は、トレーナーさんの力にはなれません。
だってもう、私にはどうしようもないじゃないですか。私とトレーナーさんは、生徒とトレーナーの関係なんです。それ以上でもそれ以下でもありません。
だから私がいくら頑張ったところで、結局はただのお遊びでしかなくって。
そもそも過去にお付き合いしていた人がいたなんて、初めて知りましたもん。
……別に、何も言わなかったことに怒っているわけじゃありません。
わざわざ話す必要はどこにもありませんからね。それこそ、こんな子供に。
ですから、どうして言ってくれなかったんですか、なんてワガママ言いません。
私は真面目ですから。トレーナーさんを困らせるようなことはしません。
でも、一つだけ。たった一言だけでいいので、私の中に留めさせてください。
……あんまりじゃないですか、こんなの。
「あれ、チヨちゃん?」
「……あ」
不意に声をかけられて、思わずそんな声を漏らしてしまって。
いつの間にか、トレーナーさんは私の前に立っていました。
「トレーナーさん……」
「今来たばっかり?」
私の言葉を遮るように、トレーナーさんはそう聞いてきました。
きっと、今の会話を聞かれていたのか、私に確認したいんだと思います。
そうでもなければ、トレーナーさんはあんな目をしません。
怯えるような、ちょっとだけ怖くて震えているような、ふらついた目。
そんな目をしているトレーナーさんを、私はこれ以上追い詰めたくなくて。
「……はい。ちょうど今、ここに来たところですよ」
ウソをつきました。
私の人生の中で、いちばん上手につけたウソだと思います。
「そっか」
だってトレーナーさんが、いつも通り私に笑いかけてくれましたから。
だけどその笑顔は、やっぱりどこか無理をしているようにも見えました。
「それにしても、こんなとこ来ちゃってどーしたの。もう帰ってたと思ったよ」
「……えっと」
「あ、もしかして飲み物買いに来た感じ? いいよ、好きなヤツ買っちゃいなよ。お金は俺が出してあげるからさ。ほらほら、どれにすんの?」
先程までの様子がウソみたいに、トレーナーさんはいつも通り接してくれます。
顔には出してないけど分かります。トレーナーさんが、無理をしてるって。
でも、それを指摘したところで何もならない、というのも分かります。
「……コーヒーを」
「コーヒー? 珍しいね」
「なんだか、そういう気分だったので。それで、買おうと思って……」
「あ、もうお金入れちゃってたの? じゃあその分のお金もあげちゃお」
トレーナーさんがボタンを押すと、乾いた音と共に缶コーヒーが落ちてきます。
渡されたのは、その温かい缶コーヒーと、お釣りと、自分の二百円。
両手がいっぱいになっちゃいました。財布を出す時間くらい欲しかったです。
「……ありがとうございます」
「いーのいーの、気にしないで」
トレーナーさんは、普段通りの笑顔でそう言ってくれました。
「じゃ、俺はもう行くからさ。チヨちゃんも早く帰りなよ」
そうして、トレーナーさんはすぐにどこかへ行こうとしてて。
「あ、あのっ!」
気づけば、私はそんな声を上げて、トレーナーさんを引き留めていました。
どうせ何もできないくせに、いったい私はどうするつもりなんでしょう。
結局トレーナーさんの邪魔をするだけで、情けない結果に終わるだけなのに。
でも……このまま黙っている方が、もっと情けない気がします。
だから。
「……タバコ、吸ってたんですか?」
あ。
言っちゃった。
そんなことを聞いたって、何にもならないことは分かってるのに。
でも、もう後戻りはできません。後悔する時間もありません。
だったら、このまま――。
「悪い?」
返ってきたのは、そんな突き放すような言葉でした。
「……上司から貰っちゃってさ。捨てるのも勿体ないな、って思って」
「そう、だったんですか」
「大丈夫。ちゃんとこの一箱で終わらせるから」
ウソです。誰かから貰ったのも、ひと箱で終わらせるって言葉も、全部。
それくらい私でも分かります。女のカン、ってやつです。
……だけど、それ以上は何も言えませんでした。
ウソの得意なトレーナーさんが、私でも分かるくらいのウソをつく理由。
それはきっと、これ以上踏み込んでほしくないからだと思うんです。
そこを越えたら、トレーナーさんは私を嫌いになるって、そんな気がします。
「じゃあ、俺もう行くよ。チヨちゃんも早く帰りなね」
「……はい」
そんな私の返事すらも、今のトレーナーさんは耳に入れたくないみたいで。
トレーナーさんは、そのまま逃げるように私の前から消えてしまいました。
「…………………………」
やっぱり私の予想は当たってました。私じゃ何もできないんだって。
今も、トレーナーさんを黙って見送ることしかできなかったじゃないですか。
私がトレーナーさんにできることなんて、はじめから何もなかったんです。
でも、だからってここまで来て見て見ぬフリなんて、ないと思うんです。
……私一人じゃ何もできない、というのは痛いほど分かりました。
だったら、誰かの力を借りればいいんです。なんだか負けを認めているようで、悔しい気持ちもちょっとありますが、この際そんなこと言ってられません。
ちょうど明日は、ヴィクトリー俱楽部での集まりがある日です。
なので、バクシンオーさんとローレルさんに話を聞いてもらうことにします。
あの二人ならきっと、私の力になってくれるはずですから。
「……よし」
今日は色々なことがありすぎて、いつもより疲れちゃいました。
明日の集まりに遅れるわけにもいきませんから、今日はこのまま帰ります。
「……………………にが」
トレーナーさんに買ってもらったコーヒーは、ちょっとだけ苦かったです。
大人の味、ってやつなんでしょうか。
■