押しかけ!チヨちゃん   作:宇宮 祐樹

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「お話というのは、チヨノオーさんのことです」

 

 駅前通りにあるファミレスで、私とバクちゃんは対面する形で座っていた。

 ドリンクバーのグラスに反射した顔は、普段と違ってどこか弱々しくて。

 たくさんの学生とスーツ姿の社会人が入り交じっている。店内は雑踏のように会話であふれていて、たった二人のウマ娘に注目する者は誰もいない。

 

「最近、チヨノオーさんに対して良からぬ噂を聞きました……恐らくは『チヨとトレーナーのラブラブ大作戦』に関する内容だと思います」

 

「うん、そうだね……私も耳にしたことがあるよ」

「やはり、ローレルさんもご存知でしたか……ッ」

 

 バクちゃんは一度目を大きく見開いて、それから納得した顔を映しだす。

 ジュースに浸かった氷が溶けてカランと音を立てた。

 

「流石はローレルさん、それなら直ぐに本題へと入れます。つまり、我々でどうすればチヨノオーさんを助けられるかです!」

 

 あの時と同じく、ビシッと指を立ててバクちゃんは言った。

 ただし今度は、ひどく神妙な顔つきで。

 それも水をかけられてキュッと引き締まるように。

 バクちゃんは学級委員長として、世の中を真っ直ぐ歩くような生き方だ。

 困っている子がいれば助けるし、泣いてる子がいれば慰める。

 暗い雰囲気があれば吹き飛ばすように駆け抜けようとする。

 だからチヨちゃんの件で動きたくなるのは、実にバクちゃんらしい。

 

「噂は噂と言っても、実際にチヨノオーさんとトレーナーさんが会わなくなったのは事実ですからね。まだ解消はしてないでしょうけど、何かしら問題があったに違いありません。チヨノオーさんもトレーニングにあまり出ていないようですし。ここは少しでも元気づけるため、事情を知る我々で何か出来ることがないか考えたほうが良いでしょう!」

 

 またビシッと指を立てて、バクちゃんは言った。

 

「───別に、何もしなくて良いと思うよ?」

 

 私はストローを口につけながら、そう返した。

 

「…………」

「……」

「………………………………ちょわわ!?」

 

 反応が追いついていないのか、たっぷりの間を空けてバクちゃんが叫んだ。

 視点がぐるぐると定まっていない。

 誰がどう見ても、動揺しているのがわかる。

 

「ろ、ろろ……ローレルさんはっ、心配じゃないのですか!?」

「勿論チヨちゃんに向けられた悪質な噂とか、デマに関しては心配だよ」

 

 でもね。

 

「練習していない事とかトレーナーさんと一緒にいない事に関しては、私達が口出しするのってルール違反だと思うの」

「ルール、違反? 何のルールでしょうか?」

 

 桜模様の、瞳を見つめた。

 

「『待つ』こと……チヨちゃんが決めた意志、かな」

 

 真冬の曇りガラスに結露が滴る。

 外を行き交う人々の口は、白い息をもやもやと吐き出した。

 かじかんだ赤い手を暖めようとする子供。

 身を固まらせながらゆっくり歩く御婦人。

 冬は全てを停滞させる。

 気持ちも身体も、状況も何もかも。

 

「私も『待つ側』だったから。何となくわかるの」

「ローレルさん……」

「今でこそ走れるし、重賞レースだって勝てるようになった。でも全く走りきれないデビュー前は、誰もこんな未来を想像できなかったと思う」

 

 ガラスの脚とまで言われて、デビューまで一年遅らせて。

 それ以降も脚と相談しながらレース回避した『冬』の時代。

 ブライアンちゃんに勝つことも。

 凱旋門賞を目指すことも。

 多くの人に信じてもらえなかったけど。

 

「私だけが想像していた───春の時代を、未来を」

「しかしながら、チヨノオーさんの件はまた違うんじゃないかと」

「ううん、チヨちゃんも同じだよ」

 

 放課後、試しに誘ったとき私は彼女の目を見てたから。

 言葉に表さなくとも、感じられるものはあったよ。

 

「何も知らない私達は、まだ暗い未来しか想像できないかもしれない。だけど、チヨちゃんは希望を見ている目をしてたから」

「目、ですか?」

「うん。あれはきっと、未来を確信してるかな」

 

 なるほど、とバクちゃんは言いながら逡巡してるようだ。

 確かに感覚的な話だし、いきなり信じるのも難しいと思う。

 

「バクちゃん覚えてる? 先月のヴィクトリー倶楽部のとき」

「例の、ボランティア活動やるときの話ですか?」

「うん、そのときの話」

 

 数々の名ウマ娘を出してきたヴィクトリー倶楽部。

 練習内容が整っているのもあるけど、定期的にOB生に声を掛けてトレーニングを活性化させてるのも一つの要因だ。

 特に中央へと通えてる私達は憧れになるらしく、チヨちゃんとバクちゃんとで、なるべく予定合わせながら手伝うようにしている。

 ただしあくまで、ボランティア活動。

 他の人を巻き込むようなことはしない、筈なのに。

 

『お願いします! 今月のボランティアに、私のトレーナーさんも連れて行かせてくださいっ!』

 

 それこそ首を落とすような勢いで、頭を下げながら。

 チヨちゃん、真剣な眼差しで言ってきてたよね。

 

「……バクちゃんには黙ってたけど、実はあの時点のチヨちゃんを見て、薄々こうなるんじゃないかなーって予感はしてたんだ」

「なんとっ! ローレルさんは分かっていたのですか?」

「あくまで予感、だけどね。でもあの時のチヨちゃん、トレーナーさんと勝負してやるぞーみたいに、強い意志は宿っていたかなあ」

 

 波乱を感じさせる───アスリートとしての直感がそう告げていた。

 あれはもう私にだって止められないよ。

 

「そう言われると確かに……つまり今のチヨノオーさんは勝負の真っ最中、というわけですか」

「ううん、違うよ。もう勝負は終わったんじゃないかな」

「んん……? それなら、一体どうして?」

「勝負は終わってる。それは間違いないと思う。だからあとは信じて『待つ』だけなんだよ、バクちゃん。トレーナーさんが戻るっていう、チヨちゃんにとっての未来をね」

「トレーナーさんを……待つ……」

「そう、チヨちゃんは待ってるんだよ」

 

 妥協するわけじゃない。

 諦めるわけでもない。

 信じて、待っているんだ。

 

「ローレルさん、それは……」

 

 バクちゃんが、鉛のように重くなった口を開く。

 

「それこそ、チヨノオーさんにとって苦しい筈じゃないですか」

「うん、そうだね。決して楽な道じゃないと思う」

 

 信じて待つ。ただそれだけなのに。

 先の見えない暗闇を歩かなきゃいけないような息苦しさと、もしかしたらと拭えない不安に付き纏われる。

 立ち止まってしまえば。

 諦めてしまえば。逃げてしまえば。

 そんな誘惑が、いつも惑わしてくる。

 見え見えの罠ほど、甘美になるのは容易いものだから。

 

「でしたらッ! やはり学級委員長である私が!」

「駄目だよバクちゃん」

 

 ここは譲れないという意志で、彼女の言葉を遮った。

 

「覚悟して待つと決めたなら、それはチヨちゃんが超えなきゃいけないの」

「では、ローレルさんは……どうするのですか⁉」

「信じるよ。チヨちゃんは強くなっているって」

「チヨノオーさんを、信じる……ッ!」

「そうだよ、バクちゃん」

 

 ヴィクトリー倶楽部からの友人で。

 とっても大切な幼馴染みで。

 憧れてたライバルの、チヨちゃんだから。

 

「私もチヨちゃんが乗り越えられるまで『待つ』ことにしたんだ」

 

 それにね、バクちゃん。

 チヨちゃんの目を見たとき、一つの確信があったの。

 熱と灯火の込められた、そんな瞳を見ちゃったから。

 

「チヨちゃんの心は、絶対に強くなってる」

 

 そうハッキリと、断言できた。

 冬は全てを停滞させる。だけど止めるわけじゃない。

 ゆっくりと、少しずつだけど進む事はできる。

 冬が訪れても、また春が来るように。

「だからバクちゃん、大丈夫だよ」

 

 まだ悩まし気な、桜の瞳を見つめて言う。

「待つことに関してはプロの私が言うんだもん。間違いないって」

 

 それとも。

 

「バクちゃんは私とチヨちゃんのこと、信じられない?」

 

 私が意地悪に、そう言うと。

 バクちゃんは呆れたような、観念した様子で。

 

「ローレルさん……それは、なんというかズルいです!」

「ふふっ」

 

 

 それから数日後。

 私はチヨちゃんのいる、音楽室へと入った。

 扉を開けた途端に、軽くながら突き刺さるような旋律が流れてくる。まさにこれは響くというより突かれる、と表現するのが正しいかな。

 ギターから高音を奏でているのは、チヨちゃんだった。

 恐らく指の動きからしてまだ慣れていないだろうけど、以前見かけたときより確実に上手くなっているのを感じる。

 チヨちゃんは私に気がつくと、ハッとした表情になった。

 

「ローレルさん……あれ? 何か用事ありましたっけ?」

「ううん、ただ気になって見ちゃっただけ。何弾いてるの?」

「えーっと、これなんですけど」

 

 するとチヨちゃんは、楽譜を取り出して見せてきた。

 

「……ローレルさん、ギターわかります?」

「あはは……ごめんね、わからないかな」

 

 見せられた楽譜にピアノみたいな音符があるのは分かったけど、それ以外にも英数字の指示が書かれていて、理解するには知識が足りなかった。

 そして楽譜にタイトルはない。

 更に言えば手書きで……オリジナル?

 

「実はこの曲、トレーナーさんが作曲してたんです」

 

 私が悩んでる横で、チヨちゃんが答えた。

 

「チヨちゃんのトレーナーさん、ギターやってたの?」

「と言っても、随分昔だそうです。これも当時トレーナーさんと音楽やっていた、元カノさんから貰ったデータでして……」

「あれ? 元カノさんと仲良くなったの?」

「い、色々と……本当に色んなことがありましたので」

 

 えへへ、と。口角を緩ませながら言った。

 よく見るとチヨちゃんの近くには楽譜とは別にスマホが置かれていて、何かしら再生途中の動画が映っている。

 

「これが昔のトレーナーさんです。参考ってことで動画も頂いたんですよ」

「元カノさんから?」

「はい! 元カノさんからです!」

 

 スマホの画面に目を向けると、確かにギターを抱えている若い男性からは、トレーナーさんの面影を感じさせる。

 

「ただ感覚的なものですが、楽譜通りに弾いてもなんか音が違うんです……」

「うーん……チヨちゃんは、ギター経験あるんだっけ?」

「昔に、お父さんのアコースティックギターに触れてたくらいですね。といっても今のギターとは種類が全く違いますし、演奏自体も十年振りくらいに触れたのでまだまだ初心者ですよ」

 

 でも、と。

 不意に、意を決したような目になった。

 

「私は───この曲を弾きたいんです」

 

 瞬間。

 ダービー前の、覚悟を宿したときのチヨちゃんが重なった。

 

「そっか……大切、なんだね」

「はいっ。私の人生で今だけは、この曲を弾けるようになりたいです。これが私とトレーナーさんを繋いでくれる、たった一つの曲ですから」

 

 ああ、そうなんだ。

 やっぱりチヨちゃんは、強いんだね。

 いつの間にか先へ進んでしまった幼馴染みを見て、憧れと尊敬が浮かび上がる。一緒に子供だったはずの彼女は、もう簡単には崩れない、芯のある大人へと成長していた。

 過去は振り替えらず、未来を見つめている。

 いつか訪れると信じて、未来を待つ。

 そんな、強いウマ娘に。

 

「強くなったね……本当に」

「ん? ローレルさん、何か言いました?」

「あはは……練習邪魔しちゃってごめんね、って」

「いえいえいえいえっ! そんな事ないですよっ!」

 

 それから。

 バイバイと手を振りながら、踵を返して音楽室を後にする。

 少し離れたところまで歩くと。

 また微かに、ギター音が聴こえてきた。

 シンプルで、柔らかくて、どこか体温のある曲。

 私はスマホを開くと、直ぐにバクちゃんへと連絡した。

 うん。

 やっぱり

 

『───チヨちゃんは大丈夫だよ』

 

 




2023年10月29日に開催されたプリティーステークス32Rで頒布したものです。
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