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それから数日後。
私たちは、ヴィクトリー倶楽部のボランティア活動に参加していました。
元々は私とローレルさん、バクシンオーさんが参加する予定だったんですけど、私のお願いでトレーナーさんも参加してくれる運びになりました。
急な話に二つ返事で了承してくれたお二人には、感謝しかありません。
今回もいつも通り、レースに出たことが無い子たちの練習のお手伝いでした。
バクシンオーさんは短距離の子を、ローレルさんは長距離の子を。
そして、私とトレーナーさんは、マイルと中距離の子を担当することになって。
「あ、すごいね。俺が思ってたよりいいセンいってる子たくさんいるじゃん」
並走している子たちを見ながら、トレーナーさんはそう呟いていました。
「そういえば、なんだかんだトレーナーさんが参加するのは初めてでしたよね?」
「うん。いや正直さ、民間クラブのことナメてたっていうか……まあ別になあー、くらいに思ってたんだよ。でも、そっか。チヨちゃん出したところって考えると、そりゃ優秀っていうか、伸びしろある子ばっかりなのも当然か」
「そうですよ。ちゃんと歴史のあるクラブなんですから」
それこそローレルさんやバクシンオーさんだって、すごく強いウマ娘ですし。
私だって、ダービーウマ娘です。本当はすごいんですから。
「とりあえず、いつもチヨちゃんにしてるみたいにやってけばいいのかな?」
「はい。私と同じように教えてあげれば大丈夫ですよ」
「そっか。じゃ、片っ端から声かけてこっかな……」
なんて、トレーナーさんは並走を終えた子たちの方へ歩いていきました。
レース指導の内容については、たぶん大丈夫だと思います。
あれでも現役トレーナーですから。そのあたりの信頼はちゃんとあります。
……でも、心配しているのはそこじゃないんです。
私が心配なのは、この活動の中でトレーナーさんが気づいてくれるかどうか。
今のトレーナーさんが目を向けるべきものは、いったい何なのか。
この活動を通じて、それに気づいてほしいだけなんです。
「……今見た感じだと、君の脚質は差しか追込……いや、追込の方がいいかな? 後ろの方でじっくり待って、最後に追い抜くやり方が合ってる気がするんだよね。それも一気にって感じじゃなくて、徐々に加速していて……」
「……? えっと、はい……」
「あー……そっか。ごめん、今度は分かりやすく説明するね」
そんな風に、ちょっとだけ苦戦するトレーナーさんを見送りながら。
私も、いつも通り練習をお手伝いすることにしました。
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それから、だんだん日も傾いてきて。
「今日はありがとうございました!」
「はーい、お疲れさま。これからも頑張ってね」
ボランティア活動も終わり、生徒たちもみんな解散の時間になりました。
トレーナーさんも生徒さんたちに挨拶をされながら、手を振って送っています。
その様子を、私は離れたところから見ていました。
……結局、最後までトレーナーさんが気づくことはありませんでした。
練習のお手伝いに関しては、すごくよかったと思います。
最初こそちょっとぎこちなかったですけど、すぐにいつもの調子を取り戻して、私と同じように生徒さんたちにアドバイスを送り続けていました。
生徒さんからも人気だったみたいで、現役のトレーナーが珍しいのもあってか、トレーナーさんは色んな子たちから声をかけられていました。
それだけ見れば、今回のボランティアは大成功だったんですけど。
「チヨちゃんもお疲れさま。いや、結構大変だったね」
やっぱり、トレーナーさんはいつも通り何も変わっていないみたいでした。
「トレーナーさんはどうでしたか?」
「んー……まあ、色々といい経験になったかな。あれくらいの歳の子たちなんて、指導する機会ないし。向いてるかって言われると……どうだろうね?」
困ったように笑いながら、トレーナーさんはそう言いました。
……このまま、今日は何も気づくことなく終わってしまうんでしょうか。
「それで? 後は片づけして俺たちも解散って感じ?」
「そうですね」
「そっか。じゃ、さっさと終わらせて帰っちゃおうか」
トレーナーさんがそう言って、グラウンドに目を向けた時でした。
「あー……あの子、まだ走ってる」
みんなもう帰ったはずなのに、まだ走っている子がいました。
栗毛の小柄な子です。確か、中距離の練習をしていた子だったような。
その子を見たトレーナーさんは、ちょっとだけ呆れたように呟いていました。
「熱心なのはいいことなんだけどね。でも、やりすぎはよくないよ」
「あの子と何かあったんですか?」
「いや、別に? ただ、ちょっと見た感じそういう雰囲気があったな、ってだけ。チヨちゃんも何となく分かるでしょ? ああいう焦りながら走ってる子って」
「……はい」
分かるというか、身に覚えがあるというか。
私もトレーナーさんと出会うまでは、焦ってばっかりで、それで。
「さすがにこの時間までやってるのはダメだね。ちょっと声かけてくるよ」
「あ、じゃあ私も……」
そうして二人で近づいていくと、その栗毛の子は私たちに気づいたみたいで。
走る脚を止めてから、すぐに私たちに頭を下げてきました。
「す、すいません。もう時間ですよね?」
「うん。残念だけど今日はここまで。帰ってゆっくり休むこと。いいね?」
「はい……」
トレーナーさんが言うと、その子はしょんぼりと肩を落としてしまいました。
気持ちは分かります。走っても走っても、何か足りない気がする、って。
私だって、そういう時が何度もありましたから。
「……どうしてそこまで練習するのか、聞いてみてもいい?」
するとトレーナーさんは、少しだけ真面目な顔になってそう聞きました。
「わたし、トレセン学園に入りたいんです」
「あ、そうなの? いいね、君が来るの楽しみにしてるよ」
「ありがとうございます。だから、もっとがんばらなくちゃ、って思って……」
「今の君なら大丈夫だと思うけどね。あと勉強も頑張らないとダメだよ?」
「うっ……そ、それもがんばります」
「あはは、もしかして苦手? 大丈夫、ちゃんと宿題してればなんとかなるよ」
なんて笑いながら、トレーナーさんは続けて。
「それで、トレセン学園に入った後はどうするの?」
そんなことを、何でもないようにその子へ聞きました。
「え……?」
「三冠バでも目指してみる? それとも、グランプリ連覇とか狙ってみちゃう? あ、ダート路線もいいんじゃない? 泥んこになってもいいなら、だけど」
「……えっと」
トレーナーさんの言葉に、その子は困ったように口ごもってしまいました。
そんな様子を見て、トレーナーさんはまた、少しだけ笑って。
「ごめんごめん、ちょっとだけ意地悪だったね」
「……大丈夫です」
「正直、そこは決まってなくてもいいんだよ。そういう子、ウチにも沢山いるし。でも……逆に言えば、今の君には未来があるってこと。これからの頑張り次第で、君はいくらでも強くなれる。……俺の言いたいこと、分かるね?」
「………………はい」
「だから、今は焦らずにゆっくり休もうよ。君の未来のために」
トレーナーさんの言葉に、その子は素直に頷いてくれました。
そうしてトレーナーさんはその子と目線を合わせながら、頭を優しく撫でて。
「よし、いい子。それじゃ、気を付けて帰ってね」
手を振りながら、その子を笑顔で送り出してあげました。
そのままトレーナーさんは、溜息と共に立ち上がって。
「……説教は苦手なんだけどね」
「今の、お説教のつもりだったんですか?」
少し疲れた様子のトレーナーさんに、私は笑いながら答えました。
「まあ、一応ね。……でも、偉そうだったかな。どうだろ」
「そんなことありませんよ。トレーナーさんの気持ちはちゃんと伝わってます」
「なら、いいんだけどね」
自信の無さそうな表情で、トレーナーさんはまた小さく息を吐いています。
やっぱり、学園外の子に指導するのはまだ慣れていないみたいでした。
……でも、今のやり取りで分かりました。
トレーナーさんは、気づかなかったわけじゃなくて。
本当は気づいているのに、気づいていないフリをしているだけなんです。
「じゃあ、片づけして帰ろっか」
「はい」
それさえ分かれば、大丈夫です。
後は私が、その背中を押してあげればいいだけですから。
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夕陽の差す河川敷を歩きながら、私たちは家までの道のりを歩いていました。
「みんないい子だね。言う事聞いてくれるし」
「そうですね。ちゃんと練習に取り組んでくれますから」
「偉いよねホント。教えがいがあるし、こっちも珍しくやる気になるよ」
「いつもそうだったらいいんですけど……」
「あはは、ごめんごめん」
そんな私の呟きに、トレーナーさんはいつもみたいに笑いました。
「でも、ちょっと不安な子もいたなあ。それこそ、最後に話したあの子とか」
「……私には分かります。あの子の気持ち」
「だろうね。チヨちゃんも最初はあんな感じだったし」
「でも、私はトレーナーさんがいてくれたから変われました」
「またまた……」
「本当のことですよ」
言葉を濁らせようとするトレーナーさんの言葉を遮って、言いました。
「トレーナーさんがいてくれたから、今の私がいるんです」
「……買いかぶりすぎだよ、チヨちゃん。だって、俺なんて……」
それからの言葉は続きませんでした。
やっぱり、トレーナーさんはもう気付いてるんです。
それに気付いていないフリをして、目をそらしているだけで。
誰にも何も言われないまま、それを隠し続けてきたんですよね。
ずっと一人で抱え込んで、一生背負って生きていくんだって。
……でも、もうそんなことしなくていいんです。
「みんな、それぞれの未来へ向かって進んでいきます。あの子だってそうです。トレーナーさんが背中を押してあげたから、自分の未来へ目を向けられた」
「それは……うん。そうなってくれたら嬉しいな」
「私だってそうです。トレーナーさんが一緒にいてくれたから、ここまで来れた。私が未来へ進めるように、トレーナーさんが背中を押してくれたんです」
でも。
「トレーナーさんは?」
そこでふと、トレーナーさんは脚を止めて。
睨み付けるような視線を、私に向けてきました。
「……それ、どういう意味?」
「トレーナーさんは、自分の未来へ向かって進めていますか?」
「……………………」
答えは返ってきませんでした。
その代わりにトレーナーさんは、ただ私のことを睨み続けるだけ。
あの時と同じです。私が、あの写真を見つけた時と。
……もう、怖気付いたりなんかしません。
だって私は、トレーナーさんを助けるって決めたんです。
「ギターはもう、弾かないんですか?」
その問いかけに、トレーナーさんは目を丸く見開きました。
「誰から聞いたの、その話」
「元カノさんからです」
「……あのクソ女、余計なこと喋りやがって……」
吐き捨てるように、トレーナーさんはそう口にしました。
「全部話してくれました。妹さんのことも、どうしてトレーナーになったのかも」
「あっそ」
投げやるような態度で、トレーナーさんは私に質問を渡してきました。
「それで? チヨちゃんは俺に何が言いたいの?」
……言いたいことは、数えきれないくらいあります。
それこそ今の私の頭は、トレーナーさんに言いたいことでぐちゃぐちゃです。
今まで自分の過去を隠していたことを、隅々まで問い詰めたいですし。
その過去で傷ついているであろうトレーナーさんを、慰めてあげたいです。
もう、私にはどうするのが正解なのか、分からないんです。
……でも、その中でたった一つだけ、これだけは確かなこと。
トレーナーさんに伝えたいことだけは、はっきりと浮かんでいます。
それは。
「私はサクラチヨノオーです。……あなたの妹じゃありません」
ふらつくトレーナーさんの視線を、しっかりと見据えながら。
私はその事実を、口にしました。
「……そう」
やがてトレーナーさんは、観念したようにそう言って。
「じゃあ、謝ればいい? 勝手に知らない誰かを重ねてすいませんでした、って。そうすれば、チヨちゃんは満足してくれる?」
「……っ、私はそういうことを言いたいんじゃ……!」
「でも結局は同じことでしょ? ……負担になってたなら、そこは本当に謝るよ。そうだ。トレーナー契約もこれで終わりにしようか。俺なんかと一緒にいるのも、もう疲れたでしょ。早く言ってくれればよかったのに」
「トレーナーさん……」
「ああ、でも……そっか。チヨちゃんは優しいから言えなかったのか。ごめんね、早く気付いてあげられなくて。じゃあ、すぐ学園に戻って手続きを……」
「……トレーナーさんっ!」
違うんです。そんな言葉を聞きたかったわけじゃないんです。
だから、そんな諦めたような顔をしないでください。
お願いですから、私を……サクラチヨノオーを、見てください。
あなたのことが大好きな、一人のウマ娘のことを。
「私はただ、トレーナーさんとこれからも一緒にいたいだけなんです」
「どうして? 俺、チヨちゃんにこんな酷いことしたのに」
「……それでも、です」
吐き出した声が震えていることが、自分でも分かりました。
情けない声です。今にも泣き出してしまいそうな、子供みたいな声。
ただ、そんな風になっても、私は伝えないといけないんです。
「今のトレーナーさんに必要なのは、過去と向き合うことだと思うんです」
「……それで何が変わるっつーんだよ」
「分かりません」
「何だよそれ……」
「でも、今よりはきっと良くなると思うんです」
少なくとも、いつ崩れて無くなるかも分からない今よりも、ずっと。
トレーナーさんにとっていい未来が待ってるって、私は信じてるんです。
「君のお陰で今が楽しいんだよ。辛いことや苦しいことも、考えなくて済むんだ。だから……君の理想のトレーナーでいたい。君のためにも、俺のためにも」
「だから自分の過去も、これからの未来も見ないままでいるんですか?」
「ああ。そんなことしても辛くなるだけだろ? ……もう、辛いのは嫌なんだよ」
「前までのトレーナーさんだったら、そうだと思います」
「だったら……」
「でも、今は私がいます」
その言葉に、俯いていたトレーナーさんは顔を上げて。
「辛かったことも、苦しかったことも、これからは私が一緒に受け止めますから。もう一人で背負い込まなくても、寂しい思いをしなくてもいいんです」
もしかしたら、それはただのワガママかもしれません。
でも、それが私のできる最大限のことなんです。
誰かと一緒にいること。肩を寄せ合える人がいつでもそばにいること。
たった、それだけのことかもしれませんけど。
それだけでも、私は救われたんです。
トレーナーさんがずっとそばにいてくれたから、私はここまで来れたんです。
「……どうしてチヨちゃんは、そこまで俺のためにしてくれるんだよ」
そんなこと、トレーナーさんが一番わかってるんじゃないですか。
「あなたのことが、好きだからです」
あなたが私の背中を押してくれたみたいに。
今度は、私があなたの背中を押してあげる番なんです。
あなたの妹としてではなく、サクラチヨノオーとして。
あなたのことが大好きな、一人のウマ娘として。
「何だよ、それ。……はは」
やがてトレーナーさんは、ちょっとだけ疲れたような声になって。
「チヨちゃん、男の趣味よくないよ」
「元カノさんにも言われましたよ、それ。でも、しょうがないじゃないですか。トレーナーさんのこと、好きになっちゃったんですから」
「……そっか」
それから、トレーナーさんは私の目を見つめてから、言いました。
「話があるんだ。誰にも話せずに、ずっと内緒にしてたことが。少し長くなるし、思い出すのに時間がかかるかもしれないけど……それでも、聞いてくれる?」
「もちろんです」
どれだけ時間がかかっても、構いません。
あなたがそうすることで、この先へと進めるのなら、それで。
「帰ろっか、チヨちゃん」
「はい!」
そうして差し出された手を、私は握り返して。
並んで伸びる影を眺めながら、私たちはゆっくり歩き出しました。
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