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「やっほー、チヨちゃん。それとおまけのクソ野郎」
駅に着くと、先に待っていた元カノさんが手を振って迎えてくれて。
それを見たトレーナーさんは、やっぱり後悔したような顔になっていました。
「いや、まさか本当にコイツを説得できるとは思ってなかったよ。やるねアンタ」
「あはは……でも、最終的にはトレーナーさんが自分で立ち直ってくれたんです。私なんて、ちょっと背中を押しただけで、何もしてないのと一緒ですよ」
「おー、言うじゃん? 今カノ面も板についてきた感じ?」
「そ、そういう訳じゃありません!」
「あはは! まあでも、ありがとね。アンタのお陰で私も一安心だよ」
元カノさんがそう言ってくれるのは、すごく嬉しいです。
背中をばしばし叩くのは、ちょっとやめてほしいですけど。
「で? アンタはようやく覚悟決めたってワケ」
「……ああ」
「アタシが何言っても聞かなかったくせに。よっぽどこの子のこと好きなんだね」
「そうだな。お前みたいなクソ女と比べたら、百億倍いい子だよ」
「かもね。そんなクソ女と付き合ってたクソ野郎には、勿体ないくらいだよ」
バチバチです。今にもケンカが始まりそうなくらい、険悪な雰囲気です。
こういうところを見ると、この二人ってやっぱり似た者同士なんじゃ……。
「つーか、なんでお前と一緒に行かなきゃいけねーんだよ……」
「だってアンタ、途中でやっぱ止めたって逃げ出しそうなんだもん」
「ここまで来てそんなこと……」
「するでしょアンタは。チヨちゃんもそう思わない?」
「……ごめんなさい。ちょっとだけ」
「チヨちゃん?」
トレーナーさんに逃げ癖があるのは、普段の仕事ぶりを見ても明らかですし。
それに誰かが見ていないと、すぐに一人で抱え込んじゃいそうですから。
「で、でも! 今回に限っては大丈夫だと思います! ……たぶん」
「あーあ。信用ないねー、アンタ」
「チヨちゃん……」
「ま、アタシがちゃんと見とくから心配いらないよ」
けらけらと笑う元カノさんの隣で、トレーナーさんは肩を落としていました。
「じゃ、ちょっとコイツ借りてくね。大丈夫、ちゃんと綺麗なままで返すから」
「……? えっと、はい! よろしくお願いしますね!」
「あー、通じてない感じだ? え、チヨちゃん純粋だね! めっちゃかわいい~」
「お前、次チヨちゃんに変なこと吹き込もうとしたらぶっ飛ばすからな」
「うわっ! 女殴るとかサイテーじゃん!」
なんて、大げさに騒ぐ元カノさんに呆れたような視線を向けてから。
トレーナーさんは、改めて私の方に向き直って。
「行ってくるよ」
「はい。待ってますからね」
そうして二人は、一緒に改札の方へと歩いていきました。
「で? まずはどこ行くの?」
「……決めてない」
「それならさ、オーナーのところ行こうよ。アンタのこと心配してたんだよ?」
「ああ、そうだな。挨拶くらい、しとかないとな……」
なんて会話も、二人の背中が遠くなるにつれて聞こえなくなって。
「……やっぱりあの二人、お似合いですね」
それが、ちょっとだけ羨ましく思えました。
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トレーナーさんがいなくなってから、しばらくたったある日。
誰もいない音楽室で、私はエレキギターの練習をしていました。
「………………」
元々、父の趣味でアコースティックギターは少し触ったことがあるんですけど、それとは全然勝手が違うので、最初は何を揃えればいいのかすら分からなくて。
とりあえず、なけなしのお小遣いで初心者用のギターセットを買ったところで、エフェクターやらアンプやらに回す予算がそこでなくなっちゃって。
しばらくは、ギター一本で練習していたんですけど。
『アイツから聞いたんだけど、ギターの練習始めたんだって?』
ある日、急に元カノさんからそんな連絡が来て。
『困ってるなら、アタシがツテにしてる楽器屋があるから、そこ行ってみなよ』
そうして向かった楽器屋さんで、色々と機材について教えてもらって。
それどころか、エフェクターやシールドもいくつか頂けることになって。
『貰えるモンは貰っときな。ってことで、アタシからも餞別にあげる』
なんてメッセージと共に送られてきたのは、一本の動画と楽譜の写真でした。
その動画は、元カノさんと初めて会ったあの時に見せられた、トレーナーさんのギターソロの動画で。楽譜は、その演奏を譜面に手書きで写したものでした。
そんなこんなで、機材も楽譜もどういうわけか、とんとん拍子に揃っていって。
「えっと……」
最近は、こうして楽譜とにらめっこする毎日が続いていました。
トレーナーさんがいなくなってしまって、レースも休止することになったので、時間を持て余していた私にはちょうどいいんですけど。
「やっぱり難しいなあ……」
ただ、私は初心者なので、楽譜を見ても何が何やらさっぱりです。
というか難しすぎます。初心者が手を出していい難しさじゃない気がします。
……でも、諦めるわけにはいきません。
いつか、トレーナーさんと一緒に演奏するって約束したんですから。
きっとトレーナーさんも今、これからの未来のために頑張ってるはずなんです。
だから私も、頑張らないと。
「……よしっ!」
音楽室の扉が開く音がしたのは、私がそう意気込んだ直後でした。
時間的にはトレーニングも終わって、みんな帰り始める頃です。
ですから、今ここに誰かが来ることもないはずなんですけど。
……もしかして、誰か忘れ物でもしたんでしょうか?
それとも、先生のうちの誰かが見に来たとか?
音楽室を使うは頂いているはずなので、怒られることはないはずですけど。
「――三弦のチューニング、ちょっとズレてない?」
そんなことを考えていた私にかけられた声は、とても聞き覚えのある声で。
「おかえりなさい、トレーナーさん!」
「ただいま、チヨちゃん」
振り返った先には、ギターケースを背負ったトレーナーさんが立っていました。
「久しぶりだね。だいたいひと月くらいかな? 待たせちゃってごめん」
「気にしないでください。それより……」
「うん。ちゃんと済ませてきたよ」
そうしてトレーナーさんは、背負ったギターを下ろしながら話してくれました。
「世話になった人たちに、挨拶してきたんだ。勝手にいなくなっちゃったからさ」
「どうでしたか? 皆さん、喜んでくれましたか?」
「まさか。会う人全員から怒られたよ。特にオーナーからはブン殴られた」
「あはは……大変でしたね」
「でも、みんなが俺のことを心配してくれてたってことに、ようやく気づけたよ」
苦笑いを浮かべながら、トレーナーさんは答えてくれました。
「それと墓参りも済ませてきた。俺が行かないと、誰も行かないだろうからさ」
「……お別れ、してきたんですね」
「ああ。これでようやく前を向けた。……もう、大丈夫だよ」
そうやって答えたトレーナーさんは、どこかすっきりしたような表情で。
今までに見たことがないくらい、晴れやかな笑顔を浮かべていました。
……初めて見る、トレーナーさんの顔です。
こんなに笑顔が素敵な人だなんて、今まで知りませんでした。
「あと、コイツも持ってきたんだ」
言いながら、トレーナーさんはギターケースを開いて。
その中から、一本の古びたエレキギターを取り出しました。
「それって……」
「うん。俺の現役時代の相棒」
少しだけくすんだ白のボディに、大きなピックガード。
間違いありません。動画に映っていた、トレーナーさんのギターでした。
「弦もバッテリーも交換してきた。これで、チヨちゃんと一緒に弾ける」
懐かしむように指板を撫でたあと、トレーナーさんはすぐに私の方を向いて。
「それで、俺が弾いてたソロ練習してるんだって?」
「はい。元カノさんから楽譜を貰ったので、それを見ながら」
「へー……てか、機材もちゃんと揃えたんだ。よくお金足りたね」
「初心者用のセットですけどね。あと、一応ですけどエフェクターも」
「……え? いやコレ、俺が使ってたヤツじゃん! めちゃくちゃ高くなかった? 確かコレ、今は廃盤になってるから、プレミア価格ついてるはずなんだけど」
「えっと、元カノさんがツテにしてる楽器屋さんから頂いたものなんですけど……このエフェクターって、そんなに珍しいものなんですか?」
「たぶん今だとコレ一個で二万くらいするよ」
「えっ」
「……チヨちゃんのこと相当気に入ったんだな、アイツ」
驚いて固まる私をよそに、トレーナーさんは呆れたように笑いました。
「それで、どう? 弾けるようになった?」
「まだ全然です。途中までなら、何とか弾けるようになったんですけど……」
「なら、そこまで合わせてみよっか。俺もチヨちゃんのギター、聞いてみたいし」
「いきなりですか!? ちょ、ちょっと待ってください! 一回だけ見直して……」
「大丈夫。詰まったら俺が教えるから。じゃあ行くよー」
「……は、はいっ!」
そうしてトレーナーさんの演奏に合わせて、私はギターを弾き始めました。
私の演奏はまだ拙くて、それとは逆にトレーナーさんの演奏はとっても上手で。
もしかしなくても私たちの合わせた演奏は、全然釣り合っていないものでした。
でも、これでいいんです。
だってようやく、私たちは一緒に前を向いて進めるんですから。
このぎこちない演奏は、そのための一歩なんです。
だから今は、これがいいんです。
「ああ、こっから分かんない感じ?」
「そうですね。特にここ部分の運指がいまいち分からなくて……」
「ここはちょっとムズいんだけど、中指でこう……」
少しぎこちないけれど、それでも並んで歩いていくような。
そんな音色が、二人だけの音楽室に響いていました。
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