春風。
春に吹くおだやかな風のこと……。そんな風が、織野々鶴愛の頬を撫でた。
桜が舞い落ちる年、1990年。
まだ幼かった彼女は、とある人物の目の前に立っていた。
目の前の男は、タバコの煙を肺の奥まで吸い、その風味をしっかりと堪能してから吐き出す。
目の周りのシワを見ても、その白く伸ばされた髭を見ても、明らかに老人であることは間違いない。
そんな老人が、口を開いた。
「
「……およそ、年かと」
「まだ4年か……」
老人は、タバコの火を消して、上を向く。
桜の花びらが、彼の目の前を落ちる。それを手を広げて掴み、じっと見つめる。
鶴愛はそんな老人の奥……とある一室に気付いた。その視線を見て、老人は微笑む。
「気になるか、儂の孫が」
「……いえ、ほんとに……託されるのかな、と」
「儂も歳じゃ。それに……」
少し躊躇った後に口を重々しく開いた。
「鬼円は、儂よりも強くなる」
「……國網様、よりもでありんすか?」
老人……否、國網は頷いた。
國網は立ち上がり、部屋を歩き始め、とある刀を手に持った。
その刀は、國網に掴まれた瞬間、大きな光を放った。淡い白い光。見たものの目を焦がしてしまいそうな綺麗な光が溢れ出る。
國網はその刀を見て、目を細める。そして、その刀の柄に手を当てた。
「國網様!」
鶴愛の叫び声と同時に、國網の手から刀が弾き飛ばされる。
國網の手からは煙が上がっていた。皮膚がただれている訳でもなく、刀を持っただけで、手が焼かれたのだ。
「やはり、もう持つことは出来んか……」
國網は悔しそうに呟き、拳を作る。
煙を振り払い、刀を元の場所へと戻す。その刀は、淡い光を放って消えていく。
國網は、そうしてまた、縁側……鶴愛の目の前に座る。
「見ての通りじゃ。もう抜くことも出来ない」
「……わざわざ見せなくても、分かっておりんす。言葉でも、理解できんす」
鶴愛は言う。
鶴愛の言葉に國網は苦笑する。そこまで淡々と言われるとは思っていなかったからだ。
とはいえ、彼女の言葉は事実。
「あぁ、悔しいのぉ……1人、倒せただけとは……」
「……1人だけでも戦力を減らせたのは大きいでござりんす! それに、これからも仲間を増やせれば!」
「鶴愛」
國網のひと言で鶴愛が黙る。
國網のひと言の意味は、言わなくてもわかるからだ。
……この事を他人に話しては行けない、と。
「……奴らのやってることは、もしかしたら……世界すらも壊すかもしれないでありんすよ? それなのに、私たちだけで倒すだなんて……」
「だから、託すのじゃ」
國網の強い目の光が彼女を見つめる。
鶴愛はその言葉に再び黙り込む。
「鬼円だけでない、他の能力者達はきっと……奴らを倒してくれる」
「……ほんとう、でしょうか……」
國網でも、1人しか倒せない。
そんな強敵たちが団結して行動しているのだ。倒せるとは到底思えない。
鶴愛の中ではその考えがこびり付いて離れなかった。
「大丈夫じゃ」
たったひと言が呟かれる。
鶴愛は國網の言葉に顔を上げる。國網は優しい笑みを浮かべている。
「儂らは、負けないぞ」
その言葉に、どれほど助けられたことか。
鶴愛は、その言葉にずっと助けられてきていた。だからこそ、こう微笑むのだ。
「はい」
◇◆◇
(…………っ、気絶……してやした。今は、何時でありんすかね……? 香蔵さんにも、色々伝えねえと行けねえのに……)
鶴愛が目を覚ますと、立ち上がる。
その後、ズルっと体が落ちた。鶴愛はまだ霞む瞳で、自身の腕を見つめる。
「……あ」
小さなつぶやき。
それは、自身の
途端に、鶴愛を襲う痛み。鶴愛はズキズキと痛む頭や右腕に目を細めつつ、立ち上がる。
木に寄っかかり、息を吐く。
雨が止み、月が落ちかけている。もうそろそろ、陽射しが日本を照らすはずなのだ。
「……っ、歩け……織野々鶴愛……!」
ひたすらに、ただひたすらに1つの目的地を目指して。
鶴愛が歩き始め、目的地が見える。
……鬼円邸。そこには、鬼円だけでなく、春乃と快弦、そして……香蔵と狸吉もいた。
鶴愛を知ってる、そして鶴愛が大好きな、仲間たちがそこにいる。
「……みな、さん……っ、私……」
手を伸ばす。
そんな人達が霞のように消えていく。その姿に、鶴愛は困惑する。
なぜ、なぜ……消えていく? 目の前にあるのは、確かに鬼円邸。そこで、気付いた。
「……そっか、こんなところに……ある方が……おかしい……」
「ピンポンピンポンピンポーーンッ! 大正解〜っ!」
鶴愛は再び目を擦り、目を開ける。
そこは、森の中。そして、目の前には敵である……アクゼリュス。
鶴愛は自身の流れる血を見て気付く。
「毒で、ありんすか……」
「おおっ、そこまで気付く? まぁ分かりやすいけどね」
どんどんと変色して行く血を指先ですくって呟く。
ゴホッと咳き込めば、血が口から吐き出される。
鶴愛は遠のいていく自分の意識を抑えながら、何とか出来ないものかと考え込む。
「…ぁ……」
一言、そう声を絞りあげる。
指先を動かす。そんな鶴愛を見て、首を傾げるアクゼリュス。
「なんか思いついたのか?」
そう聞くも、黙って指先を動かす鶴愛。
そして、何かをやり終えたのか、鶴愛はふふっと笑みを浮かべる。
アクゼリュスを見つめる鶴愛の目は、死んでいなかった。むしろ、炎が宿っていた。
「私たちが、勝ちんすから」
「……あっそ」
アクゼリュスが鎌を振り上げる。
鶴愛は目を瞑る。
(あぁ、良うござりんした……生きてて、生きてこれて……)
たったそれだけ。
たったそれだけを思い浮かべて、けれども……。
(けど、香蔵さんの……花嫁姿、見たかったでありんすね…)
無慈悲な攻撃が振り落とされた。