高校最後のある7月26日、俺は京都にいた。夜行バスでガチガチになった身体をほぐしながら、奈良線に乗る。行き先は伏見稲荷大社だ。
1泊2日の旅の目的は良縁を結ぶこと。つまり京都の御利益のある神社をめぐり、我が人生に一筋の光を灯すことだ。
京都駅から5分で稲荷駅まで着くと、沢山の蝉に見守れながら俺は午前6時を涼しげに歩く。駅から神社まではすぐだ。入口では大きな稲荷様が俺を出迎えてくれる。どうやら歓迎されているようだ。
そのまま境内を進んでいくと、今まで感じたことの無い威厳のある大きなお社が現れた。俺は傍により賽銭を投げながら、手を叩き祈る。
「無事に美人な彼女ができますように。」
しっかりとご縁があるように5円玉だ。縋れるものには何でも縋るべきである。
ついでに名物である千本鳥居は見て行くべきであろうと、先に進んでみる。
道中、意外と重いおもかる石を持ち上げつつ無限に続くとも思える鳥居の下をくぐり参道を歩く。この道が一体どこにつながっているのは分からないが、鳥居がある限り歩き続けようと決意した。
しかし10分、20分と歩いても先が見えない。少しづつ坂道になっている参道は鳥居と共に俺を上へ上へおしあげるのだ。
気がつけばお参りは登山に変わっていた。
呼吸が荒くなり、汗が体を包む。うるさいほどの蝉の声が脳みそを支配する。うるさいの漢字表記は、五月蝿いじゃなく七月蝉いにするべきだ。
そんな息も絶え絶えで参道を登っていくと、気がつけば蝉の声は止んでいた。呼吸も整い、汗も引いた。あたりがツンと冷たくなり、木がザワザワと揺れる。何かがおかしい。どこからか眼線を感じる気がする。立ち止まってあたりを見回してみても何も無いが、今まで感じたことの無い気配が肌について離れない。
「ねぇ、大丈夫?」
どこからが声がした。少し高く優しく響くその声は風鈴の音のように凛としていて、それと同時に現実離れした気配を漂わせていた。
後ろをふりかえっても誰もいない。
「ここだってば。」
目線を再び前に戻すと、声の主であろう麦わら帽子をかぶり朝顔柄の浴衣姿で下駄を履いた少女が岩に座りながらこちらを覗いていた。年は14才ほどに見える。この凸凹とした参道に相応しくない格好で涼しそうな少女を見ているとまるで狐につままれた気分になる。
「君、いつからそこに。」
「ずっと見てたよ。君が山に入ってきた時から。本当は出てくるつもりはなかったんだけど、あんまりにも君が辛そうにするから。」
山吹色の髪をなびかせながら少女は心配そうに言う。
「俺は至って大丈夫だ。ちなみになんだが…登りきるまであとどんくらいかかる?」
「あと30分くらいだけど…近道教えてあげるよ。着いてきて。」
少女は得意げにそう言うと、半ば強引に俺の腕を引っ張って森の中へ駆け出した。先程まで膝も震えていたのだが、まるで魔法にでもかかったかのように軽い。暑さも、疲れも感じない。今ならどんな陸上競技でも人類新記録を叩き出せるとも思えた。
「ほら、着いた。」
先程まで森にいたはずの俺達は気がつけば山頂と書かれた看板の前にいた。驚いた顔をする俺に少女は悪戯っぽく笑う。
「びっくりしたでしょ。」
「びっくりしたよ。まるでこの山で生まれ育ったみたいだ。」
山頂にはひとつの稲荷神社が佇んでいる。少女と共にお参りをすると、おもむろに突風が吹いた。
突風と共に少女の麦わら帽子が飛んでいく。必死に掴もうと2人で空に手を伸ばすがその抵抗は無駄に終わり、麦わら帽子は空へと飛び立ってしまった。
「あちゃー。こりゃ諦めるしかないな。」
そう言いながら少女の方を見ると、少女は何かを隠すように頭に手を当てていた。しかしそれは意味をなさない。手からはみ出たそれは圧倒的存在感を醸し出しながら当然のようにそこに鎮座していた。
その頭にあったのは耳である。人の耳ではなく、獣の耳。恐らく狐の耳と思われる。
しばらくお互いに硬直していたが、遂に隠しても無駄だと悟ったのだろう。その耳から手を離して少女は口を開く。
「私の名前はキコ。神様見習いの狐なの。」
「まぁ、そんな気はしてた。」
初めて会った時から浴衣に下駄を履き、山頂までひとっ走りで行くその不思議な力を見せられては人間では無いのかもと思うのも自然である。実際にそうであったことに驚きはしているものの、心はすっとそれを受け入れた。
そんな俺の態度にキコは不服そうな顔をする。
「私のことを感じることは出来ても見ることができる人って本当に少ないのに、なんでそんな平然とした顔をしているのさ。」
「別に平気なわけじゃないよ。凄いことになったなって驚いてる。」
「じゃあ、その凄いものに何かお願いをしてみてよ。私の気分次第で、叶えてあげれるかもよ?」
キコは笑顔で俺の顔をのぞき込む。
俺はこの旅の目的を思い出していた。この旅で俺の人生に良縁を運び込むこと。即ち美人な恋人を作るための下準備としてこの街に来ていることを思い出した。決して登山をしに来た訳では無い。
そのことをキコに伝えると、「任せて。」と言いながら頭を捻り始めた。それからしばらくしておかしいなぁなどと呟きながら申し訳なさそうに俺にこう伝えた。
「今あなたの運命の人を見ようとしてみたんだけど、なんも見えないや。ごめんね。」
俺は辛かった。占い師にこう言われるのであれば切り捨てることも出来たが、見習いとはいえ神様にまで言われてしまってはもうどうすることも出来ない。
「そ、そんな落ち込まないでよ。ここは京都だよ?いっぱい私より偉い神様仏様がいるんだから、いっぱい色んな所に行って良縁を願おう?私もついて行くからさ。」
キコは同情の目線を向けてくる。正直その目線も心にくるが、1人でこの事実を噛み締めるよりかは2人の方がいい。
「あなたの名前は?」
「小山ヒロだ。」
「わかった。よろしくね。」
こうして、俺とキコとの、奇妙な古都巡りが始まったのだ。
2人で(1人と1匹?)で奈良線に乗り東福寺駅に行く。次の行先は三十三間堂。こちらは縁結びは関係なく俺が行きたいだけだ。
「あそこは凄い。観音様がぶわぁぁっていっぱいいる。」
道中、キコがそんなことを教えてくれたが大した前情報にはならない。
拝観料を払い、ほかの観光客に混ざり床を軋ませて先に進むと、その景色はとても圧巻だった。1000体を超える観音様が所狭しと並べられ、そのどれもが顔や持ち物が違う。その空気に飲まれながらゆっくりと先に進み、ちょうど中心辺りに来ると、さらに大きい観音様が俺達を見下ろしていた。
ふと気がつくと、先程までいたはずのほかの観光客が居ない。それどころか朱印受付の坊さんすら消えていた。暑かった空間がふと冷え、とんでもない威圧感が場を支配する。
「そこのお前、其方は伏見稲荷のとこの気狐では無いか。」
威圧感が更に広がる。俺にはどこから声が聞こえてきているのかが分からなかった。しかしキコは分かっているようで、先程から存在感を放つ中心の1番大きい観音様を見上げていた。
「其方、こんなところで何をしている?其方は明日の日付が変わるまでにあと1人の願いを叶えなければ神にはなれずに終わるのではなかったか?」
キコはその威圧に少し怯えているのだろうか。やや震えているようにも見える。
「そのために今、この人に着いて彼の望みを叶えようとしているのです。」
キコがそう言うと、やや観音様の目付きが鋭くなった気がした。
「何故此奴に拘る。別に他でも良かろう。」
その質問にキコは答えなかった。観音様は呆れた様子でもう好きにするがいい。と残してもう話さなくなった。
気がつけば辺りに観光客が増え、朱印受付でも坊さんが忙しそうに筆を走らせている。
キコは何も無かったように、次に行こうと手を引いて俺に笑顔を向ける。何やらキコにも事情があるのだろう。しかし俺を気にかけてくれる事情とはなんであろうか。先程の観音様の話が気になるが今ここで話すのも野暮だろう。俺はしばらく我慢することにした。
次に向かうのは清水寺だ。2人で清水坂で買い食いをして腹ごしらえをしてから清水の舞台に登る。舞台からは青々とした木々が茂っていて眺めは良く、少し開放的な気分になる。
「この清水の舞台から飛び降りて生き残れた人は願いが叶うらしいよ?」
「いや死ぬわ。」
舞台から地面までは軽く10mは超えている。生身の人間では生還は厳しいだろう。
「ところでさっきの質問なんだけどさ。」
「さっきの質問?」
「うん、なんでそんなに俺の願いに拘ってくれるのかなって。」
有難い話ではあるが、こんな一学生の縁の話ではなくもっと他の学業だとか偉大な夢だとかを叶えてあげるのが世のためになるのでは無いかと薄々思っていた。それに観音様の話だとタイムリミットもあるようである。
「それはね、昔私のことを助けてくれた人にとっても似てるからかな。目元も口元も話し方もそっくりだから何かお手伝いできないかなって。」
「そんなこともあるもなんだな。でも明日までに願いをひとつ叶えなきゃなんでしょ?」
「大丈夫。だってここは京都だよ?日本で1番のパワースポットがいっぱいあるし、それに俺がついてるもん。ヒロは何も心配しないで、どんと大きな縁を結べば大丈夫!」
キコは胸を大きく張り、小さな拳を天高く突き上げた。その健気でいじらしくも見えるキコを見て俺はこれ以上何かを言うつもりもない。大人しく彼女と共にこの町を歩もうとも思った。
その後は何事もなく安井金比羅宮や八坂神社、平安神宮と縁結びに御利益のある神社を巡り、また巡る度にキコに運命の人を見てもらっているのだが、一向に現れる気配は無い。一応お守りだけ買いまた次へ次へと先に進んだ。
どれだけ時間が経っただろうか。俺達は銀閣寺へと向かうべく、哲学の道を2人で歩む。街路樹は青々と茂り気休め程度の木陰を作ってくれているが、それでも京都の暑さは据え置きだ。 隣に緩やかに流れる川だけが唯一の心地良さを俺たちにくれている。
ふと、キコを見た。先程まではぴこぴこと耳を動かし俺の周りをちょろちょろと動き回っていたのだが、どうやら先程と様子が違い静かにじっと歩いている。
「なあ、大丈夫か?」
俺の呼びかけにも答えず、顔だけ向けて返事をしたつもりだろうか。その顔は夏に浮かされて蓬けていると言うにも過剰なくらい紅く、目は虚ろで口元は緩みきっている。
熱中症だ。キコも元は狐だ。神様が熱中症になるかとも思うが、現になっているのだから仕方ない。俺はなるべく日陰のベンチを探してキコを寝かし自販機まで走る。そこでスポーツドリンクと水を5本ほど買い直ぐに戻る。服も緩めた方が良いのだろうが浴衣の緩め方が分からない。とりあえず血管の集中しているところに水を置き体を冷やしながら汗を拭きスポーツドリンクを飲ませる。近所にコンビニでもあれば中に連れていった方が良いのだろうが、生憎近くに涼めるような場所は無い。最善は尽くしたはずだ。
「大丈夫か?ごめん気づかなくて。」
キコはサムズアップで答えるが、やはり力が入っていない。どうしたものかと頭を悩ませていると、また突然辺りに突風が走る。その風が熱を取り去ったかのようにあたりは肌にまとわりつく暑さは消えて、その代わりとでも言うように一匹の白い大きな大狐がいた。
その狐は大型犬ほど大きく、どこかで見たことが…思い出した。伏見稲荷大社の入口に佇んでいた大きな狐の像にそっくりだ。大狐は俺を一瞥すると、キコの首元を猫が子猫を掴むように持ち上げてそのまま大狐の背中に乗せると、大狐は俺に顔を向けて優しく口を開いた。
「この娘は少し調子が悪いようだ。すまないが、また明日の昼頃に家の前まで迎えに来てやってくれないか。」
家の前…と言うと伏見稲荷大社前のことだろうか。
「分かりました。でも少し心配なことが…。」
「何だ。」
「誰かの願い事を叶えなくては、神になれないって話なんですが。」
「その事か。そのことはもう良い。何も考えるな。貴様がそんなに縁を望むなら俺が今ここで人の子との縁を結んでやっても良い。」
「それってどういう」
「分からんか。我があの娘はもういいと言っているのだ。貴様は気にする事はない。」
大狐は俺の発言中に被せて言葉を放つ。先程より強くなった口調に言葉を返す気力は尽きてしまった。
「…分かりました。」
大狐は満足そうに頷くとロウソクの炎が消えるようにふっと消えた。残ったのは煩い蝉の声とむせかえるほどの暑さだけだった。
その後も俺は当初の目的だった銀閣寺へと足を進めた。到着して現れたその建物はとても圧巻で幽玄であったが、どこか味気なかった。
銀閣寺に訪れた後、暑さから逃れるためホテルにチェックインしてベットに横になる。
あの大狐が言っていたもういいとはどういう意味なのだろうか。俺に真意は測れない。もうこの子は目的を達成できないから、ほっといいていいという意味だったらどうしようか。俺のせいで神になれなかったらどう責任を取るべきか。俺は分からないことを考えながら、少し眠っていた。