グラナト伯爵の公子を討ち取った戦いから、数日後。
リーニエは無言のままに直立していた。
先の戦いで成し遂げた二つの動きを混ぜ合わせ、重ねた斬撃。
それはまさにリーニエの「
「リーニエ」
そんな状況で、呼びかけてくる声。
振り返ると憔悴とも困惑とも取れる、なんとも言えない表情を浮かべた状態でリュグナーが立っていた。
「客だ。
お前に用がある、とのことだが」
そう告げるリュグナーは、少しばかり続きを言っていいのかどうか悩んでいるような素振りを見せていたが……結局耐えきれなくなったように、言葉を続けていく。
「お前はいったいどこであんな大魔族と縁を……?」
愚痴るように漏れたリュグナーの声には突然の、しかも想定外の大客に圧倒されてしまったことへの疲労が滲み出ていた。
状況がよくわからないまま足を向けたリーニエを待っていたのは、三人の魔族。
うち二人はよく見知っている。アウラとドラートだ。だが、残り一人の魔族は初対面だった。角を除けば人間とほぼ同じ容姿の、男の魔族……ただし背丈は明らかに巨大であり、人並み外れたという形容が似合う。
そして、客であろう巨漢の魔族が放つものは……リーニエからすればこうして相対するだけで膝を突きたくなるほどの、圧倒的な威圧感。
「ほお、お前が例の」
その威圧感とは真逆の穏やかな態度で、巨漢の魔族はリーニエに声をかけてきた。親しげ、を通り越してもはや馴れ馴れしいとすら言っていいほどだ。
「……えっと」
どう対応すればよいのか困惑するリーニエの前で、空気を和らげるように彼は手を振る。
「そう固くなるな。
レヴォルテの若造から聞いてな。奴よりも更に若輩の身でありながら、奴以上に至難な境地を目指す娘がいると。
面白そうだから足を運んだのよ」
「レ……レヴォルテが、若造……」
情けない声を漏らしたのはドラートである。
だがそれもやむを得まい。
魔族の間では名高き神技のレヴォルテ、それを若造扱いするこの魔族はどれほどの年月を重ねたというのだろうか。レヴォルテと交流があったリーニエでも、表現だけで圧倒されてしまう。
大魔族はそんなドラートを一瞥すらすることなく、自己紹介を始めた。
「俺の名前はリヴァーレ。戦士だ」
飾り気のない、必要最低限の名乗り。
だがその程度の名乗りだけでも、リーニエとドラートを驚かせるには十分だった。
「リヴァーレ……!?」
「あ、あのリヴァーレか……!!」
魔族の戦士の中でも最強と称される大魔族。それがリヴァーレである。
神技のレヴォルテですら、その名を前にしては霞む。それほどの格と力を、リヴァーレは持ち合わせている。
「……それで、血塗られた軍神サマが何の用?」
ドラートやリュグナーと違い、アウラにはリヴァーレに圧倒された様子はない。仮にも七崩賢として数えられる存在、たとえ目の前にいるのが自らを越える大魔族であろうと怯みはしない。しないが……それでも苛立ちは隠せない。グラナト伯爵領との戦いにおいて、リヴァーレの存在はあまりにも不都合だからだ。
「私が狙っている獲物を横取りするつもりなら、今すぐ帰って。
あんたが戦いに介入なんてしてきた日には、死体が首無しどころか胴無しになるわ」
リヴァーレとアウラの相性は最悪である。
魔族の戦士の中でも最強を誇るリヴァーレは、その拳を振るうだけで敵対者を肉片と化す。並の戦士では指一本でも受け止めることすら敵うまい。
更にその動きもまた俊敏極まりなく、目視どころか魔力感知が及ばぬ範囲から突撃しての一撃を加えることが可能である。
即ち、彼の介入を許せばアウラが
「言っただろう? レヴォルテの若造から聞いた、とな。
用事があるのは、そこの娘のみだ」
だがドラートどころかアウラにさえ興味を抱かず。
魔族の戦士最強である大魔族は、リーニエに向き直った。
「ふむ」
そのまま彼女の様子を、しばらくリヴァーレは眺めると。
「『模倣する魔法』とやらの行き詰まり。
ようやく突破口を見出したが、その突破口をくぐり抜ける方法がわからない。
そんなところか」
「!」
その現状を、一瞬にして言い当ててみせた。
時間にしてわずか十数秒、その程度の観察でリヴァーレはリーニエの身体能力を見て、振る舞いを見て、魔力を見た。特に考えたわけでも、特殊な魔法を使ったわけでもない。ただあるがままに見ただけで、正答にたどり着く……積み重ねた齢が決して無為なものではなく、むしろ濃厚な経験を伴っていることの証である。
「この娘、少し借りていこう」
そう告げると、リヴァーレはリーニエを伴ってその場を離れていく。
ドラートが安堵したような表情を浮かべていたのは仕方のないことだろう。
離れたところでリヴァーレはリーニエにしばらく剣を振らせ、ある程度の会話を行い……現状を整理する。
「つまり、その人間との戦いで、折れた剣から模倣とは異なる剣技を放つことに成功した。
だがその剣技の再現にも、解釈にも手こずっている……と」
「はい」
確認を終えたリヴァーレはふむ、と顎に手を当て、しばらく思案すると。
「まずは、小難しいことを考えるのをやめることだ」
思案という行動とは、真逆の助言を授けた。
「状況から考えるに、その剣技を放っていたのは咄嗟のことだろう? 思考など介在していなかったはずだな。
ならば無心で放たねば再現などできまいよ」
「無心って言っても、どういう理由で起きたのか考えないと再現なんて」
「考えなど振り終わってから整理すれば良い。
……と口で言っても、実行するのは難しいか」
そう語るリヴァーレの姿勢は、くつろいでいるの一言で表現できる姿だった。木の幹に座り込んで足を組み、腕をだらりと下げている様子は、立ち上がることにもひと呼吸が必要そうな有り様だ。
最強の大魔族からの教授ということで、立ったまま身を固くしているリーニエとは真逆と言える。
「考えるより先に、身体を全霊で動かせる域まで達する……
この境地を目指すには、まずは自らの根幹を見出すことだな。
俺が老いぼれとなってもなおこうして生き延びている理由があるとすれば、戦いの中に楽しみを見出して根幹としたからだ」
「楽しみ?」
「そうだ、勝利という結果ではなく戦いの過程にな。
例えば、武器と武器がぶつかる火花。
相手の攻撃を凌いだことで生まれた火花には、どうやって切り返そうかという楽しみを。
自分の攻撃を凌がれて生まれた火花には、どうやってその守りを崩そうかという楽しみを。
戦いの一手一手に花があり、楽しみがある」
そこまで語ったところで、リヴァーレは立ち上がった。
隙だらけの姿勢からの起立とは思えないほどに早く、それでいて自然な動きだった。
「相手の攻撃を回避することには、鳥のごとき身のこなしを探求できる。
相手に攻撃を回避されることには、風を追って捉えるかのごとき武芸を追い求められる。
そんなやり取りの果てに強敵の肉を断ち、血を噴き出させる光景はよく月に映える。
苦闘にこそ楽しみを見出だせる……圧勝するくらいならばいっそ、敗北するほうが面白い。
俺はこの境地に至ることで真に全霊を以て戦いに挑み、身体を踊らせることができるようになった」
リヴァーレは目を閉じて、己にとっての花鳥風月に満ちた戦いを想起する。
彼が思い浮かべている戦いは、かつて戦士アイゼンと繰り広げたもの。
あれは紛れもなく自らの敗北だったとリヴァーレは受け止めている――もっともアイゼンからすれば別の意見があるだろう――が、長き生において積み重ねた戦いの中でも、記憶に刻むに足る輝かしき敗北であった。
「ま、俺のようになれとまでは言わんよ。
だが魔法に、武芸に、生態に……何かに興味を抱き、追い求めるのが我らだ。
探求から楽しみを失ってしまっては、生そのものがつまらなくなってしまう」
そこまで述べたところで、リヴァーレはぽん、とリーニエの頭に手を置いた。
力を入れるな、固くなるな、とその掌は語っている。
「思い出せ。お前には、魅せられた技があるのだろう?
醜いものではなく、美しいものであったはず……少なくとも、お前にとってはな。
そして美しい技である以上、探求に伴うものは苦痛や苦悶の類とは別の衝動だ。
その衝動に身を委ねろ」
軍神の言葉は具体的ではなく、曖昧なものであったが……その曖昧な表現だけで、今も思い返せる光景がリーニエにはある。
『我が秘剣――成った』
確かな宣言と共に放たれた、同時同発の三撃。
身なりは見窄らしく、声は嗄れていたはずの老爺が、どんな戦士の記憶よりも確かな像を結んでいた。
世に残した時間は一秒となかった秘剣。
されど。
その剣ならば我が身が霧として霧散しようと、鮮明に思い返す事ができるだろう。
それほどまでに、リーニエはその剣に――――
「根幹を見直したか」
投げかけられた言葉に、我に返ったリーニエははっとなった。
いつの間にか、頭に置かれた手はなく……既にリヴァーレは背を向けて、この場を立ち去ろうとしていたのだ。リーニエがかつての憧憬に囚われていたとは言えど、まるで瞬間移動しているかのような身のこなしだった。
「では励めよ、若造」
「あの……なぜ、わざわざここまで来て助言を」
リーニエの言葉は、当然の疑問と言える。
魔族最強の戦士である血塗られた軍神リヴァーレが、七崩賢やそれと同等以上の魔族でもないリーニエの元へ自ら足を運んで言葉を残しにやってくる。人間で例えれば土地を治める者が一兵士の元へと出向いて世話を焼くようなものだ。その行動の異常さは、かつてレヴォルテが見せた気まぐれをも越えている。
疑問をその背で受けたリヴァーレは足を止め、そして振り返り。
「なに。お前の目指す秘剣は、多重次元屈折現象と呼ばれる現象なのだが――
この老いぼれですら目にしたことのない秘奥でな。
その秘奥への挑戦は、俺にとってさえ注目に値する。
願わくは、完成した秘剣を一目見たいものよ」
笑いながら、そう返した。
牙を剥きだしにした、獰猛な笑みだった。
リーニエの話はこれで終わりですが、次回からシュタルク編を投稿します。