勇者ヒンメルの死から29年後、北側諸国キュール地方オイサースト。シュタルクは一人で魔物討伐の依頼を受けていた。
フリーレン達がオイサーストに寄った理由は、一級魔法使い試験のためだ。現在は北部高原の情勢が悪く、通行には一級魔法使いの存在が条件となっている。ならば自分たちが一級魔法使いになれば良い、という理屈である。
もうすぐ第一次試験日ということもあり、試験に備えてのフリーレンとフェルンの修行は大詰めとなっているのだが……当然ながら戦士であるシュタルクは試験に参加できないし、魔法使いの修行を手伝うのも限度があった。そのため二人を邪魔しないよう、自分の鍛錬も兼ねて魔物討伐を単独で請け負っている。
大陸魔法協会の支部が置かれたオイサーストとは言え、依頼の類は絶えない。森に潜む魔物に、街路を待ち伏せする盗賊に、農作物を荒らす獅子猪に……ひとまず魔物の討伐依頼から受けたシュタルクは、森の中に足を踏み入れたのだが。
「ぐう……」
指定された森にいたのは、魔物ではなく倒れている女性であった。
「おい、大丈夫か?」
「お腹が……」
「腹を怪我してるのか!」
見たこともない衣装と剣を身に纏う女性に、慌てて駆け寄るシュタルク。
もしや魔物にでもやられたか、と危惧する彼の声を他所に。
「お腹が……空いたわ」
女性が間の抜けた声を漏らすと同時に、腹の虫が鳴った。
脱力しかけたシュタルクだったが、即座に気を引き締める。彼女が無事であっても、根本的な問題は解決されていない。
「行き倒れかよ……
それより、魔物を見なかったか」
「魔物って……倒したら塵に変わる生き物……?」
「そうだけど……」
なに当たり前のことを言ってるんだこいつ、と思わずシュタルクは首を傾げた。女性の言葉は、まるでこの世界の魔物の存在を初めて知ったかのようだ。
魔物と出会ったことのないようなお嬢様なのか、と考えるシュタルクだったが、その予想は女性の次の言葉で否定された。
「さっき……斬ったわ…………」
「おいしい!
やっぱりご飯がおいしい世界っていいわね!」
念のため周囲を探ったシュタルクだったが、本当に魔物は見つからず。
依頼は果たした、ということで女性を伴ってオイサーストに戻り、討伐を報告……する前に、街にある出店を巡っていた。自称魔物を倒した女性の空腹を満たしてやるためだ。
言葉の通り、女性は嬉しそうに食料を頬張っている。様々な品を食べ歩く彼女の姿は品が悪いようにも見えるが、かといってそれを不快だと感じさせない。他人とは異なる独特な艶やかさを持つ、花畑から離れて一輪だけで咲く花のような女性だった。
「しかしいいの、こんなに買ってくれて?
ここで使えるお金は持ってないわよ、私」
「魔物を倒したのはお前なんだろ?
なら、報酬の分までならいいって」
「うーん、素直な子。
私がその魔物を倒したって嘘をついてる、とか思わない?」
「いや……その身のこなしで魔物を倒してない、なんてことはないだろ」
「……へぇ、空腹で倒れてた姿とご飯を食べてる姿だけで見切るか」
瞬間。
思わずシュタルクは身構えていた。
目の前の女性から突如放たれた気配――剣気。彼女は腰に剣を差してはいるが、手は食料で塞がって納刀したままだ。にも関わらず手に刃があると誤認させるほどの気は、もはや殺気の域にまで達している。
そしてそれほどの剣気を放ちながらも、顔は相変わらず笑みを保っているのが逆に恐ろしい。
「っと、ごめんごめん。さすがに一飯の恩がある相手にやっていいことじゃないわね。
強そうな相手を見るとつい」
だが、数秒後に謝る彼女の姿は気安く話しかけやすい雰囲気に戻っている。その切り替わりの速さが、むしろシュタルクには彼女が只者ではないと理解させた。
たとえどんな状況でも、戦う相手を見つけたのならばこの女は一瞬にして先程までの剣気を放つだろう、と。
「何者なんだ、あんた」
「私は武蔵――宮本武蔵。
敢えて長ったらしく言うなら、新免武蔵守藤原玄信かしら」
かくして女剣士が名乗り上げたのは、この世界とは全く異なる法則で以て名付けられた名。
宮本武蔵。最強の剣豪の一人として名を連ねる剣士。剣術を極め、数多の武芸者を討ち破り、五輪を記した英傑の名。
彼女は消えゆく世界から弾き出されて様々な世界を彷徨い泳ぐ身となった、本来の武蔵とは異なる存在であるのだが……その剣の冴え、その天眼は決して男の武蔵に劣るものではない。
「俺はシュタルク。
……それにしても、変な名前だな。本当に長いし」
しかし、この世界に宮本武蔵は存在せず。
彼女の名乗りも、シュタルクには奇妙な名としてしか届かない。
「やっぱり聞き覚えないわよねえ。
ま、ここじゃあ意味のない部分ばかりだから、武蔵でいいわ。
私は遠くから来たから、そのあたりは気にしないで」
「その服といい剣といい、本当に遠くから来たんだな。知らないことばっかりだ」
シュタルクの言葉に、武蔵の笑顔に苦いものが混ざる。
その苦笑いには誤魔化すような色を帯びていたが、シュタルクが気付くことはなかった。
「ともかく、こうして行き倒れていたところを救ってもらえたのは間違いなく恩です。
できればお返しがしたいんだけど、何か困っていることとかない?」
「困っていること、か…………
じゃあ、しばらくの間手合わせに付き合ってくれないか」
手合わせ、という言葉に再び武蔵が剣気を放つ。
だが、今度のシュタルクは揺るがなかった。身じろぎさえもしない。
「相当遠くから来たってことは、俺が見たことのないような技もいっぱい知ってるんだろ?
そもそも、持っている剣が見たこともない形をしてるし。
その技と打ち合いたくてさ」
「技を学びたいってことかしら?」
武蔵が返した問いは当然の推測ではあったが、シュタルクは首を振る。
「気に障ったら悪いんだけど、技を学ぶつもりはない。俺にはもうこの斧と師匠の技があるからな。
ただ、見たこともない技を出されても対処できる経験が欲しい」
「なるほど、確かにそういう修練も大事でしょう。
要は実戦に近い形で手合わせを重ねていきたい、ということよね?」
「言っとくけど、実戦って言っても人殺しとかそういうのはお断りだからな」
「んー、間違いなく修羅場を潜り抜けているのにこの清廉さ。懐かしくなっちゃう」
「……そりゃ、未熟者の考えに見えるかもしれねえけど」
「いいえ、褒めてます」
好戦的にも程がある剣気に反し、武蔵はシュタルクの言葉に理解を示していた。その笑みもどこか柔らかなものへと変わっている。
事実、彼女は懐かしんでいる。武芸者として相手はもちろん自らの死にさえ頓着しない武蔵ではあるが、だからと言って命を重んじるような人物を見下すわけでは決してない。漂流するような旅の中で出会った、あのマスターとの思い出が今も胸にある以上はなおさらに。
「いいでしょう、この武蔵!
一飯の恩義として、武の真髄へと導く手助けをしてみせましょう!」
「一飯の恩義にしては大きすぎない?」
かくして、シュタルクと武蔵の手合わせが始まった。
武蔵の二天一流を相手にしてなお、予想以上に食いついてきたシュタルクに武蔵が思わず手加減を誤る事故もあったが……それでもなおシュタルクは攻撃を凌いでみせた。その様を見て余計に興奮してしまう武蔵だったものの、一飯の恩義がある相手に一線は越えず、あくまで手合わせの域に留めた。
むしろ二人が一番困ったのは、手合わせの後の息抜きとして共に食べ歩く様子を一次試験を終えて帰ってきたフェルンに見られてしまい、ご機嫌取りをしなくてはならなくなった事件であった……それはさておき。
「ふぅ……さすがに初見として繰り出せる技もなくなってきたわね」
フェルンたちが三次試験に挑む……と言っても面接ではあるが、その間にシュタルクたちの手合わせも一段落となった。
見たこともない技を防ぐ、というのがこの手合わせの趣旨ではあるが……さすがに手合わせを繰り返しすぎて、シュタルクのほうが武蔵の技に慣れ始めてしまったのだ。慣れてしまっては初見とは言い難く、根本的な趣旨から外れて意味がない。
「俺としてはむしろこれだけ技を持っているほうが驚きだけどな……
一度使った技でも、前に使った型次第で妙に速くなったり固くなったりする時があるから同じ技に見えないし」
「それはどちらかというと本来の私のやり方じゃあないんだけど。
貴方のリクエストにお応えして、頑張って味を変えている努力の証ということで」
困ったように言う武蔵だったが、言葉に反してその顔は楽しげに笑っている。
期待以上の対応力を見せてくれたシュタルクの姿は、剣士としても師としても楽しめるものであったからだ。
「これからどうするか考えを整理するのも兼ねて、今までの手合わせを評価していきましょう。
まず、貴方のいいところはちゃんと次の手を考えながら戦ってるところね。
ここを防いだら私はこう動くだろうとか、ここで斧を振った時に次はどんな動きをしやすいかだとか、単に防ぐだけじゃなくて長期的な視野を持って戦ってるのがわかります。
一見互角に打ち合っているようで、その実相手を追い詰めていくような戦い方ができてる」
「そうは言っても、武蔵と戦っているとむしろ俺のほうがどんどん追い詰められてるみたいに感じるんだけどな……
狙いがわかってるのに防げない、みたいな気分になったぞ」
「いやまあ、そういうのは私の得意技だから」
得意げに笑う武蔵だったが……突如その笑みが消えた。
表情は真顔に近いものとなり、その視線はシュタルクを貫くかのように鋭さを増す。
「そして、この会話が貴方の悪いところ。
自分を低く見積もりすぎていること」
「え」
楽しげな歓談から一転、どこか叱責が混じった声色への変化にシュタルクは困惑したが、武蔵は構わずに言葉を続けていく。
これから話す内容に、冗談めかして言うような余地はないからだ。
「謙虚さは美徳だし、驕るよりはいいでしょう。
けれど、戦いの前提条件を間違えていることには変わりない。自らを高く見積もるか、低く見積もるかが違うだけ。
本来なら既に決着をつけられる段階なのに、まだ次の手が必要だと考える。
あるいは防ぐことのできる攻撃も防ごうと思わずに、必要以上に回避をする。
結果として無駄に戦いを長引かせて無用な危険を生んでしまう……
例え相手を見通すことに成功したとしても、肝心の自分を見誤っていては画竜点睛を欠くわよ?」
手加減を誤っても凌いだ一件から、武蔵はシュタルクの対応力が予想以上のものだと判断した。そこで彼女自身の攻撃に意図的な隙を用意し、シュタルクがどう突いてくるかを観察しようとしたこともあったのだが……武蔵の期待に反し、シュタルクは牽制の類はしても本格的な反撃を加えることはなかった。武蔵の攻撃を防ぐことだけに徹し続けたのである。
あくまで手合わせだからと言ってしまえばそれまでだが、実戦とは鍛錬の先にあるものだ。鍛錬で必要以上に慎重になる癖を身に着けてしまえば、実戦にも悪影響を及ぼしてしまう。
武蔵の指摘は真摯かつ的確なものであった。それはシュタルクにもわかる。ゆえに。
「ほら、そこは反骨心を抱いて奮起しないと! こなくそーみたいな感じで」
素直に認めて俯かざるを得ないのだが、だからこそ問題なのだ。
武蔵としては謙虚の度がすぎることを叱責しているのに、謙虚に受け入れられてしまっては困る。
――このままじゃ、萎縮させて終わっちゃうわね。自分の本当の限界を自覚できるような経験……全力を出したうえで無理を通すことに成功するような、そんな経験をさせてからお別れしたいんだけど。
うーん、と武蔵は頭を捻らざるを得なかった。
シュタルクはやればできる子だろう、と武蔵は見立ててはいるのだが……一対一の手合わせでやらねばならない状況に追い込む手段となると武蔵には命のやり取りくらいしか思いつかない。さすがにそれは気が引ける。
そこまで考えたところで、ふと彼女は閃いた。
「あ、そっか」
「な、なんだよ?」
いきなりの声に困惑するシュタルクをよそに、ぽん、と手を叩く武蔵。
一対一の手合わせで無理だというのであれば、前提を変えれば良いのである。