魔王は、勇者ヒンメルによって倒された。
人間はお祭り騒ぎになった一方で、魔族の様子は無惨なものだ。親子関係すらまともに成立しない魔族にとって、集団行動とは力の強弱をはっきりさせる形でしか成立しない。魔王という圧倒的強者の存在によって、魔族は軍という組織を維持していたのだ。故に魔王を失った魔族は統制を失い、各個撃破されるか隠れ潜むかのどちらかとなった。
つまり、人間の想像もしないところに魔族の強者が存在するケースが急速に増えた、ということだ。
「はじめまして」
放棄され、廃墟となった砦でリーニエは丁重に礼をした。アイゼンの技を記憶してから時が経ち、少女の姿にまで成長した彼女はドレスに近い衣装を身に纏っている。その状態でのカーテシーは、貴族の娘のようにも見えなくもない……頭の角から目を背ければ、だが。
リーニエ自身は、特に礼儀作法を習っていた訳では無かった。だが魔力が、目の前の存在に従えと告げている。彼女の目の前にいるのは神技のレヴォルテ。人間の上半身に四本の腕と蛇の下半身を併せ持つ、異形の魔族だ。
「戦いを眺めるだけで何もしない魔族がいると聞いたことがある。
まるで観察でもしているようだ、と。
なるほど、それがお前だったか」
レヴォルテはことさら高圧的に振る舞おうとはしなかったが、かと言ってリーニエの態度をやめさせたり、改めさせようとすることもなかった。レヴォルテが上、リーニエが下。それは当然の関係性として両者に共有されている。
一つの魔法を極めるのが魔族の習性ではあるが、魔族には魔法使いしか存在しないわけではない。魔力による身体能力の強化……すなわち、武を重んじる魔族もいる。そういった魔族の中でも特に優れた者を、将軍と呼ぶ。レヴォルテもまた将軍として扱われる魔族の一人だ。はっきりと見える形で魔法を使うわけではないが、身体に宿す魔力は今のリーニエよりは圧倒的に上。故にこの場において、強者として振る舞うのはレヴォルテ。それが魔族のルール。
「剣技について知りたいことがある、とのことだったが」
幸いなことにレヴォルテは鷹揚な気質であり、格下の魔族との会話にも付き合う性格だ。あっさりとリーニエに口を開く機会を与えた。もっとも、ここが戦地であったら容赦なく手下を死地に向かわせるくらいのことはするのもレヴォルテだが。
許可を得たリーニエは、早速口を開いた。レヴォルテと話す機会を得る、そのためだけに結構な年月を重ねてきた。今更ためらってなどいられない。
「剣を速くする方法を知りたいんです。
同時に斬撃を放つくらい」
剣速。それは、レヴォルテの強さの根幹であるものの一つ。彼の魔法は、四本の剣を生み出すもの。四本の腕で構えるその剣は、重量を自在に変えることができる。羽の軽さと巨岩の重さ、矛盾する概念を両立させることすら可能だ。故に、レヴォルテに付けられた異名は神技のレヴォルテ。この魔法と武技によって、多くの人間を殺してきた。
そのレヴォルテでさえ、同時に斬撃を放つという言葉には首を傾げざるを得なかった。
「同時? 二刀流ということか?」
「いいえ。
実際に見せたほうが早いと思うんですけど」
「いいだろう。振るってみろ」
「……
許可を得たリーニエは己の魔法を使い、剣を生み出した。老爺と同じ剣を。そして同じ構えから放たれる、秘剣。ほぼ一瞬にして繰り出される、三連の斬撃。
それを見届けたレヴォルテは――もっとも、彼の目は隠されているが――ふむ、と頷いた。
「なかなかの剣だ」
評価者が神技のレヴォルテであることを考えると、この言葉は高評価と言ってよい。彼から見てなかなかと言える域に達する剣士がどれほどいるか。百歳にも満たぬ魔族としては素晴らしい評価を授けられたリーニエは、しかし首を振った。
「この秘剣は、不完全です。
私の魔法は『模倣する魔法』……記憶した人間の動きの再現。
けど、この秘剣を使った人間の斬撃はこうじゃなくて」
「ほう、どんな斬撃を……」
問いかけようとしたレヴォルテは、途中で理解した。同時。リーニエが言った、その単語の意味を。
「まさか、同時とはそういうことか?
今振るった剣が同時に……一切の遅れもなく、文字通り時を同じくして斬撃が放たれたのか」
「はい」
レヴォルテの顔は無表情を維持していたが、その声色には驚きが混じっていた。
リーニエの肯定は、神技のレヴォルテをして驚嘆に値する。当然だろう。わざわざ両手を使って一本の剣を構え、そこから三つの斬撃を生む。それは、あまりにも。
「無駄な剣を編み出す人間がいたものだ。
それほどまでの技量があれば、もっと効率の良い剣技を生み出せただろう」
あまりにも、非効率がすぎる。そう呆れ果てたが故の驚嘆。
魔族の将軍であるレヴォルテは、老爺の考えなど全く理解できなかった。
「効率?」
「同時に斬撃を放つのなら、持つ剣の数を増やせばいい」
リーニエの目の前で、レヴォルテは己が腕……四本の腕を振った。彼にとって、三つの斬撃を生み出すことなど簡単である。生まれ持った腕を振る、ただそれだけで完結する。
レヴォルテからすれば、リーニエが言う秘剣は才能の無駄遣いによって生み出されたとしか思えない。故に、逆に興味を引いた。どのような経験をすれば、そんな無駄遣いをする気が起きるというのか。
「その剣の使い手は、いったいどんな人間だった?」
「よくわからないです。
ただ、燕を斬りたかったみたいでした」
「燕? ただの燕か?
隕鉄鳥のようなものでもなく、ごく一般的な鳥を?」
「はい」
「……ふっ」
レヴォルテは、目を隠している。そのため彼の表情は読みづらいが……それでも、リーニエとの会話で表情を変えたことはなかったと分かる程度には、レヴォルテの顔には動きというものがなかった。驚嘆や呆れを声に乗せることこそあったが、表情そのものは無表情を貫き通していたのだ。そんな彼の顔が、歪む。
「ははははははははははははは!!!」
レヴォルテは口を広げて笑った。全く彼らしくない笑い、もしかすると死ぬまでこんな笑いをすることはないかもしれない。それほどの大笑いを見て、リーニエは何も反応しなかった。確かに燕を斬るために剣筋を増やすなど、バカのすることとしか思えない。笑うことを否定できる余地はまったくない。むしろ格上の存在がこれだけ笑っているのだから、リーニエも合わせて笑うべきなのかもしれない。それでもリーニエは笑わず、レヴォルテが笑い終わるまで無反応を保った。
果たして、笑いが止まるまでどれほどの時間が掛かったか。笑いすぎて息を切らしながら、なんとかレヴォルテはリーニエに提案した。
「普通の人間にそんな習性があるとは思えん。
狂人のことなど、忘れたほうがいいだろう。
代わりに二刀流でも学んでいったらどうだ?
ここまで笑えたことの礼として、私が手ほどきしてやってもいい」
その提案は、破格であった。大魔族が若い魔族のために技術を分け与えるなど異例である。同等の相手ならまだしも、初対面の格下に教授するなど賢老クヴァールでさえ行うかどうか。そんな奇行を考える気分になってしまうくらい、レヴォルテは笑ってしまったのだ。
だが、リーニエは首を振った。
「私の魔法は、『模倣する魔法』。
模倣できない技があったら、この魔法に間違いがあることになります。
なんで模倣できないのか、どうやったら模倣できるのか……それを調べないと」
レヴォルテの口に残っていた笑みが消える。リーニエの言葉は、単なる拒否だけではなくどこか反感のようなものを含んでいた。忘れろという言葉に対する反感。仮にも格上の存在に対して、リーニエの反応は無礼とも言える。しかし、レヴォルテが笑みを消した理由は無礼に対する怒りではない。
「確かに、お前の言い分が正しいようだ」
格下であるリーニエの反論を、レヴォルテは認めた。
魔族は罪悪感を抱かない。だが、魔族にとって正しいとされる価値観そのものは存在する。その価値観が、リーニエの理屈を肯定させたのだ。
自らの魔法を極めるのが、魔族の大前提。己の魔法には誇りを持って然るべき。例えどれだけ効率の悪い剣技であろうと「模倣する魔法」の研究のために必要であるのなら、その習得について否定すべきではない。
その後、リーニエは砦に滞在したが……最終的にはレヴォルテの元を去った。参考になりそうな助言は受けた、役に立ちそうな教えもあった、しかしそれでも。
「やっぱり、戦って試していくしかないのか」
砦を眺めながら、リーニエは呟いた。
未だに再現できない秘剣の存在は、人間の言葉でいうと呪い……原理が分からない魔族の魔法のようなものだ。皮肉なことに、今回のケースでは魔族と人間の立場が逆転していたが。燕を斬る秘剣は、彼女にとっての呪いだ。それが「模倣する魔法」の中に混ざってしまった以上、必ず解析しなくてはならない。わからないままで済ませるわけにはいかない。
自分の魔法を研鑽することと、燕を斬る秘剣について研究すること。リーニエの中で、その二つは同義に近い状態となりつつあった。