アウラの軍は、連戦連勝を繰り返していた。
戦えば戦うほど、アウラの軍勢は増していく……「
だが、連戦連勝は戦術的な部分に限ってのこと。戦略的に見た場合、アウラはまだ勝利には程遠い。「服従させる魔法」にはある意味、もっとも容易な対抗策が存在する。
「忌々しい結界だな」
グラナト伯爵領の街を眺めながら、リュグナーは吐き捨てるように言った。街の周囲には、魔法による防護結界が展開されている。かつて大魔法使いフランメが作り出したものだ。それを打ち破る手立ては、今のアウラにはない。
「服従させる魔法」への対抗策。それは、直接的な戦いを行わないこと。近づかなければ服従させる機会もない。服従させる機会がなければ戦力を増やせない。グラナト伯爵は結界を利用し、防衛に専念するようになった。
アウラはグラナト伯爵の軍を出撃させようと、あの手この手で挑発を繰り返している。例えば今日、アウラは少数の軍勢を残して撤退した様子を装い、人間たちに追撃を仕掛けさせようと誘った。実際には撤退せずに森に兵を伏せており、人間たちが出撃してくれば逆に追撃する策だったのだが……伯爵の軍が出撃してくる様子は全くなかった。
囮として人間を誘うため、首無しの軍勢以外にもリュグナーとリーニエ、それに新入りの魔族が残されている。アウラに仕える魔族が懐刀の「首切り役人」として扱われているのは伯爵も把握済み、だからこそ釣られる可能性があるという判断だ。だが期待に反して人間たちが攻撃を仕掛けて来る様子はなく、リュグナーは結界を眺めるくらいしかすることがない。
その結界にも飽きが来たリュグナーは、ちらりと横を見た。同じく暇を持て余したリーニエが、剣を創り出して素振りをしている。例の老爺の長剣だ。
まるで武芸の鍛錬だな、とリュグナーは思う。実戦なら剣以外にもいくつかの武器――特に戦士アイゼンのそれ――を使い分けるリーニエだが、研鑽を行う場合にこの剣以外を取り出すところはまず見ない。時間さえあれば剣を振っている。事情を知らないまま彼女の姿を見て、魔法の研鑽だと気付く者がいったい何人いるだろうか。
「ふと思ったのだが」
暇潰しついでに、リュグナーは話しかけた。
小さな差とはいえ格上との会話ということもあり、リーニエは素直に剣を降ろす。特に礼などはせず、自然体のままだったが。
「?」
「一応その剣は燕を斬るためのものらしいが、実際に燕で試したことはあったのか?」
「燕を斬ろうとしてみればわかるのかな、って思ったこともあったけど……別に同時じゃなくても斬れた」
「だろうな」
あまりにも当然の結果を教えられ、リュグナーは笑う気すら起きない。ただの鳥が今のリーニエの剣から逃れられるはずがない。件の人間は隕鉄鳥と燕を見間違えたのではないか、と半ば本気でリュグナーは疑っていた。
「リュグナー様。せっかくだから、魔法について質問をしてもいい?」
「ほう」
リーニエの提案に、リュグナーは思わず声を漏らした。魔法は積み重ねて研鑽していくもの、という意識が特に強い彼にとって他人に問うという行為は縁遠いものだが……理解できないわけではない。既にリーニエの魔法に関する事情は把握している。独力での研鑽に限界を感じるのも無理はないだろう。
念のためリュグナーは街を確認した。結界は揺らがず、軍が動き出す様子もない。つまり依然として暇なまま、という事だ。
「いいだろう。何を聞きたくなった?」
「私はちゃんとあの秘剣を記憶しているはずなのに、『
リュグナー様なら、どこに問題があると思う?」
ふむ、とリュグナーは考え込んだ。
リーニエの魔法をどう評するべきか、彼はじっくり考えようとして……
「記憶できているなら、再現なんて簡単じゃないですか。
剣の数を増やせば済みますよね」
いきなり横から割り込んでくる男の声が一つ。
リュグナーとリーニエは揃って声の方を向いた。そこにいたのは、片目を隠すように髪型を分けている男。最近アウラの軍に加わったばかりの魔族、ドラートである。
思考を邪魔された形となったリュグナーは、思わず呆れた。
「リーニエの魔法を分かっているのか、ドラート。
それでは模倣の意味がないだろう」
「そうは言っても、手数を増やせばどんな魔法でも強くなります。
俺は手の指全てで糸を扱う事を目指していますし、リュグナー様はより多くの血を操れるように修練しているでしょう。
そもそも俺達が仕えているのも、服従さえ済ませてしまえば何百何千と同時に動かせる方です」
「そういう話ではなくてだな……」
「…………」
リュグナーとドラートの議論を、仕掛けた張本人であるリーニエは他人事のように眺めていた。ドラートには悪いが、彼女もまたリュグナーと同じくらいに呆れている。手数を増やすなど、ずっと昔に聞いた助言だ。あの神技のレヴォルテを上回る理論をまだ若いドラートが出せるとは思えない。だからまともに聞かずに適当に聞き流している。
そう。聞き流すつもり、だったのに。
「そういう話じゃないんですか?
戦う際に再現している動きは、剣と斧ばかりで限定的に見えますよ。
一度に再現できる動きも一つずつのようですし。
多数の戦士を記憶しているのであれば、一度に再現する動きを増やすことはできないんですか?」
その意見だけは、なぜかリーニエの耳に響いた。
「同時に再現すれば、結果的に斬撃も増えます」
「動きが一つしかできないのは当たり前だろう。リーニエの腕は人間と同じ二本だぞ」
「腕が足りない分は、魔法で斬撃を作るというのは」
「模倣になるのか、それが」
相変わらず議論を続ける男二人は、全く気付かない。呆然としているリーニエの姿に。まるで雷に打たれたかのような彼女の頭の中には、まさに雷の勢いで思考が駆け巡っていた。
――模倣を同時に行うなんて、考えたこともなかった。
リーニエが記憶した動きは、もはや数え切れないほどだ。彼女の魔法は、一度記憶した動きを忘れない。幼い頃は生き残るために素人同然の動きだって記憶した。戦士アイゼンに辿り着くまでにも様々な達人を見比べた。老爺の秘剣を解明するために観察した達人たちもいる。
だが、そのいくつを実際に使っただろうか。記憶した動きの半分以上は試し切りをしたくらいで終わっている。実戦で使ったことのあるものは当然ながら半分未満。今も使っているものはせいぜい手の指で数えられるくらい。そして、一度に使える技は一つずつ。たったそれだけだ。
模倣なのだから、一つずつしか使えないのは当然かもしれない。複数の動きを混ぜるなど物理的にあり得ない。しかし……リーニエは物理的にあり得ない剣を既に知っていた。神技のレヴォルテ。羽の軽さと岩の重さを兼ね備えた剣。魔族の魔法は、矛盾するはずの存在をも成立させる。
にも関わらず、リーニエは模倣に関しての矛盾の両立を思いつきすらしなかった。仮にリーニエの記憶した動きが無限にあったとしても、実際に使う技はごく僅かになるのだろう。そして、無限のうちの一つを順番に放つことしかできない。
――無限を、使いこなせない。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。なぜそんなことを考えたのか分からない。ただ「無限」という単語が気になった。例え無限があったとしても、模倣する動きは一つずつ。それはリーニエの秘剣が同時ではない、一つずつ放たれるだけの連撃に留まっていることと何か関係があるように感じて――
「リーニエ? 聞いているのか?」
リュグナーの声で、我に返った。
「えっと」
「アウラ様から撤退のご指示が来た。今日はもう囮を置いても意味がない、と判断されたようだ」
リーニエが慌てて周りを見渡すと、既に首無しの軍勢はこの場から引き上げ始めている。ドラートは周囲を見渡し、人間達に動きがないか確かめていた。何もせずに突っ立っていたのは彼女だけだ。
「この撤退に合わせて追撃される可能性もある。警戒を怠るな」
「うん」
リーニエも一端の魔族である、すぐさま頭を切り替えて魔力探知に専念した。人間たちが動く様子はやはりないが、それでも撤退を終えるまでは注意を続けるべきだろう。
それでも。
彼女の頭のほんの片隅には、無限という言葉が染み付いて離れなかった。