勇者ヒンメルの死から二十八年後。
北側諸国、グラナト伯爵領。
その街中を二人の男女が歩いていた。
片方は巨大な斧を背負う男の戦士で、もう片方は長い紫色の髪を靡かせる女の魔法使い。どちらも、子供から大人へと変わる最中と言った風貌だった。
彼らが目指しているのは、グラナト伯爵の屋敷。街中で一騒動起こした同行者をどうにかできないか、と頭を悩ませているところである。
「無事に面会ができるとよいのですが」
そう呟いた彼女はフェルン。捕まってしまった同行者を師とする魔法使い。
「…………」
黙りこくっている彼はシュタルク。その様子は、何かに怯えているようにも見える。
いや、見えるではない。彼は真実怯えていた。
「どうしたのですか、シュタルク様」
「いや……あの魔族たちも屋敷の中にいるって思っちまってさ」
シュタルクが指している魔族とは、アウラの従える首切り役人たちのことだ。
リュグナー、リーニエ、ドラートの三人は今日、和睦の使者として街に入った。未だに続くグラナト伯爵とアウラの戦争は魔族にとっても不利益だ、という理由で。
シュタルク達の同行者はその魔族たちに杖を向け攻撃しようとしたため、伯爵の兵に捕らえられたのである。
その時に見せた魔族の様子は、フェルンもはっきりと覚えている。
「確かに、あの魔族は私たちのことなど全く見ていませんでした。
いつでも殺せると言わんばかりに……」
「男のほうじゃねえ。
いや、あの男も怖かったけどよ」
だが、フェルンとシュタルクがそれぞれ思い出した魔族は異なっていた。
魔法使いであるフェルンが覚えていたのは、リュグナー。捕まってしまった同行者だけを見て、フェルン達のことなど眼中にない様子を彼は見せた。
一方でシュタルクが覚えていたのは……リーニエだ。
「俺が怖かったのは、小さい女の魔族のほうだ。
俺が何か動いたわけでもねえのに……俺が斧を背負ってるのに気付いた途端に、じっと俺を見てた。
まるで、立ってるだけの姿ですら見逃さないって言ってるみてえに」
リーニエは、シュタルクが戦士だと気付いた瞬間に観察を始めていた。
ありとあらゆる戦士を観察し、記憶する……彼女は十年近くそれを続けている。彼女が目指す境地のために。
当然ながらシュタルクはそれが何なのかを知らないし、そもそも何のために観察しているかすらわかりようがない。
「なんで俺なんかを、そこまで見ようとするのか……それが分からないのが怖え」
わかった事は、あの魔族にはシュタルクの理解が及ばない何かがあるということだけ。
シュタルクは本能的にそれを恐怖しているのだ。
「シュタルク様、衛兵と話す際には」
「わ、わかってるよぉ、ちゃんとするって」
とはいえ、屋敷は既にもう目前である。魔族がいるから、などと怯えて逃げるわけにもいかない。同じ屋敷に同行者が捕まっているのだから。
フェルンは手近な衛兵に近付いて声をかけた。
「あの、よろしいでしょうか。
捕まってしまったエルフの魔法使いと面会したいのですが、手続きはどこで……」
フェルンとしてはただ、同行者の状況を確認したかっただけだ。
しかし衛兵が見せた反応は、フェルンにとってもシュタルクにとっても全く予想外のものであった。
「探す手間が省けたな」
「えっ?」
衛兵は二人の姿を確認するや否や、屋敷への扉を開く。
そして背を向けた上で振り向き、告げた。
「ついてこい。
伯爵がお呼びだ」
ただの面会のつもりだったはずが、なぜか伯爵から呼び出される事態にまでなっている。
全く想像もしない事態に、思わず二人は顔を見合わせてしまった。
「もしかしてやべえことになってるんじゃねえのか」
「ですが、ここでついていかなければもっと立場が悪くなるのでは……」
「早くしろ」
躊躇する二人だったが、はっきりと急かされてしまってはどうしようもない。半ば混乱しながらも後を追うしかなかった。
衛兵の先導で、二人は屋敷を進んでいく。だがその途中でフェルンは気が付いた。この屋敷を知らない彼女ですら気付くほど、衛兵は何かを迂回する道筋を選んでいることに。魔法使いである彼女はその理由を即座に察した。
――魔族と出会わないようにしている?
できるだけ魔族たちに逆探知されないように――もっとも、魔族はフェルンのことなど少しも意に介していないようだったが――魔力探知をしているフェルンは、魔族たちが屋敷のどこにいるかを察している。衛兵がその近くを通らないように気を遣っていることも。
魔族を避けるように衛兵は屋敷を歩き、とある扉の前で足を止めた。
「伯爵はこの部屋でお待ちだ。失礼のないように」
衛兵がそう告げて開けた扉は、特に大きくもなかった。そしてその扉の中から見える部屋も、特に広い訳では無い。それらの事が明確に示している。本来であれば、謁見に使うような場所ではないということを。
おそるおそる、と言った様子でフェルンとシュタルクが部屋の中に足を踏み入れると、見覚えのある人物が椅子に座っていた。二人の同行者が捕まった際、魔族と共に歩いていた貴族。間違いなく、グラナト伯爵その人。
慌てて跪こうとするフェルンとシュタルクだったが、伯爵が口を開くほうが早かった。
「時間を掛けて露見するわけにもいかんのでな。用件から入る。
お前たちは、今この屋敷にいる魔族と戦えるのか?」
――時は、少しばかり遡る。
首切り役人を屋敷に招き入れたグラナト伯爵は、彼らに一室を与えて配下の騎士たちと共に自室に戻り……そして、暗い表情で俯いた。
「……とても無理だ。隙を見出だせん」
伯爵の呟きは、騎士たちの総意でもあった。
彼らには魔族と和睦するつもりなど無い。伯爵がこの街に魔族を引き込んだ目的はただ一つ……息子の仇である魔族たち、特にリーニエを騙し討ちで葬り去るためである。
だが、リーニエはありとあらゆる戦士を観察する。そして騎士たちはもちろん、伯爵自身もまた腕に覚えがある一端の戦士だ。故にリーニエは伯爵と騎士たちの動き、その全てを観察していた。伯爵は腕に覚えがあるが故に、わかってしまった。仇が目の前にいる状況に耐えきれなかった伯爵が、思わず腕に力を込める……たったその程度の動きですら、リーニエに見抜かれていたことを。
そんな相手をどう騙し討てばよいというのか。武芸の使い手であるが故に、勝てないことを理解させられる。伯爵の心情は魔族に騙されるのではなく、魔族に屈服する形で和睦に傾きつつあった。討てないと実感した以上、民の生活を守るためには応じる以外ないのではないか、と。
重苦しい空気が彼らを包み……しかし突如、伯爵は顔を上げた。
「あの魔法使いはただの蛮勇だったのか……それとも」
伯爵が思い出したのは、フェルン達と共にいたエルフの魔法使いのことだ。魔族が街を歩いているのに気付いた瞬間、魔法を行使して魔族を攻撃するための準備を始めていた。和睦の使者に手を出そうとした咎という名目で衛兵に捕らえさせたが……実際の理由は伯爵自身が騙し討つつもりだった事を隠し通すためだ。和睦などクソ喰らえという点では、むしろあの魔法使いと同意見である。
「『首切り役人』たちを倒せると確信していたのか?」
伯爵の推測は何の確証もない、水辺に浮かぶ藁のようなものだ。
だが、今の伯爵領は魔族に対して全く勝ち目が見当たらない。物資を運び込むルートを作ってはそれが露見することの繰り返し。騙し討ちすら成功するとは思えないほどの実力差。藁にも縋りたくなると言うもの。
何より……息子の仇を討てる可能性が僅かでもあると言うのであれば、藁であっても武器にしよう。
「地下牢へ向かうぞ。
あの冒険者がどのような意図で攻撃するつもりだったのか聞き出す」
「はっ!」
フェルンとシュタルクが面会を求めてくるよりも早く。
グラナト伯爵は自ら、エルフの魔法使いと話すことを決意していた。
強く魔族を憎悪し、強く魔族に屈服したが故の悪あがきのような一手。
だがその一手は、間違いなく鬼手であった。