悲しい目的のために
嵐が野を呼び起こした……
声が『谷』にたゆたい、どこからともなく吹く風と抱き合った。
薔薇の香に包まれ、魔法騎士の守護を受ける『谷』。
一つの影が、白い碑の前で踊っている。
白い肌、黒い髪。腰には杖。
魔法族の女――魔女は、見えぬ誰かと舞踏をし、歌っていた。
昼の昏さのさなかから
死の鳥の叫びが洩れた……
黄昏の光の中、魔女の姿は緋に染められている。軽やかに踊り、やがて魔女は鎮まる。
ゆっくりと歌いながら並ぶ碑――墓碑に、手を滑らせる。
まわりの丘のほとんど
灰色の時間の飛翔を示さぬ
一本の樹が低く頭を下げて
崖ぎわの草を掴もうとしている……
あぁ、と魔女は吐息を漏らす。あぁ、ああ、と。墓碑銘に指を滑らせる。
「きっとお前の犠牲など、無駄になるだろう。いいや……どうだろうか? お前は生き残るのか、死ぬのか……」
魔女の紅い唇が三日月を形作る。再び歌が紡がれる。
荒蕪はすでに
暗い谷へと逆流している……
「いいや、考えるのはよそう。どうせお前は死ぬのだろう。勇敢に。雄雄しく戦って。そうに違いない……なあ、リーン・リアイス? 既定の世界が書き換えられたとき、お前の息子はどうするのだろう? どうなるのだろう? なんとも楽しみだ」
くつりと喉を鳴らし、囁くように言の葉を舞い上げた。
苦悩と暗黒の響きが
最後の絶叫のようにほとばしる。
「――心配ですか?」
我が君、と呼ばれウィスタ・ブラック=リアイスは書類から顔を上げた。佇む従者の双眸をみやる。落ち着いた灰緑色。従者の眼には不安も懸念もないように思える。
「レグルスか?」
息を吐く。ゴドリックの谷、リアイス本家の執務室に吐息が吸い込まれた。
ウィスタは片眼を瞑り、もう片方の眼も瞑った。群青と深紅、左右異なる色彩を継いだ眼を。
――異なる血筋を継いだ虹彩を
「組み分け帽子の意図なんて、誰もわからん」
今日、息子はホグワーツへ行った。今頃組み分けの儀式を受けているだろう。祖先ゴドリックの帽子を頭に載せられ、視界は闇で覆われる。そうして、資質を探られ時に問いかけられる。どの寮に行きたいか、何が望みか、何を愛するか。
ウィスタは子ども達を思った。長子セイリオスはグリフィンドールへ入った。あとは次子と末子だけ。
「レグルスはたぶんな……グリフィンドールだろうと思う。セイリオスは危ぶんだが。いいや、危ぶむべきでもないんだが」
呟いて、気が重くなる。ホグワーツ出身者にとって組み分けは重要な意味を持つ。それだけではない、ウィスタにとっては大層な関心事でもあった。
「俺の子ども全員グリフィンドールならば、いらん噂も呼ばないだろうが」
「誰も気にしませんよ我が君。あなた方はリアイスなのですから」
「リアイスだからこそ……」
立ち上がる。窓辺へと近づく。夜の帳は落ちて、星が輝いている。
「世は俺たちのことを見る。感じる。どう動くか。何をするか」
苦いものがこみ上げる。こんなことを気にしたくなどない。だが、無視もできない。
魔力を感知し、顔を上げる。『炎』が中空に燃え上がり、紙片が落ちた。手を泳がせ、掴み取る。
――イルシオンか
書かれた内容を一読し、すぐさま燃やした。
従者が張り詰めた声を出す。
「レグルス様は」
「……グリフィンドール」
かすかな安堵を感じたが、次の瞬間には顔をしかめていた。友の息子の組み分けについても触れられていた。
「――ポッター家の次子は……スリザリン」
従者が息を呑む。なんと珍しいこともあったものです、と口にする。ウィスタは従者の表情を眺め、以前から考えていた命を告げた。
「噂を流せ」
英雄ハリー・ポッターとウィスタ・リアイスの血筋は呪われている。死の呪文を受けた代償だと。子孫に続く呪いをかけたのだと。
「密やかに」
「確実に」
俺たちの血筋には、闇の帝王の呪いがかかっているのだと。
堪えきれない笑いが漏れた。
――俺は
友人の息子すら利用する。なにが英雄か。なにが《ランパント》か。だが、何に代えても秘密を守る。
あの繋がりを穢れた血筋を明るみに出すわけにはいかないのだ。
「全ては黄金のグリフィンの名の下に」
詠唱は、懺悔の響きを孕んでいた。
『谷』から外に出るのが、レグルスは好きだった。マグルの格好をするのも面白い。それに、マグル界には自動車やらクールなスマートフォンやら、魔法界にはないものが溢れている。
マグルの格好をして、九月一日、キングズ・クロス駅から両親や妹に見送られてホグワーツ特急に乗った。幼なじみのアルバスやローズも一緒だった。兄のセイリオスは、アルバスの兄ジェームズと大騒ぎしながらどこかへ行ってしまった。
「コンパートメントは自分で探せってことよね」
ローズが言う。レグルスは肩をすくめた。
「あんまりべたべたされるのも嫌だから、いいじゃん」
「なにに巻き込まれるかわかんないもんね」
アルバスが深く頷き、三人はホグワーツ特急の通路を進み、コンパートメントを覗いていく。あちこちでハリー・ポッターやらウィスタ・リアイスやらと囁きが聞こえてきて、ああこれは大変だなあと他人事のように思った。ちらと見るとアルバスの顔はこわばっている。
――俺の図太さをわけてやりたい
レグルスはいわゆるリアイス一族の子であるし、ウィスタ・リアイスの子であることにも慣れてしまった。ただアルバスは辛いのかもしれない。
――英雄で、闇祓い局局長の父親。そして名前は二人の校長からつけられている
アルバスの親父さんは気遣いとか配慮が足りないぜ、とレグルスは思ってしまう。重たい名をつけられて、子どもは迷惑なことだろう。
「あったわ!」
ローズが跳ねる。空いているコンパートメントの戸を開けた。三人は中に入り、トランクを置き、座席に身を落ち着ける。
ほっと息を吐いた。囁きはもう聞こえない。無視しようとしてはいたが、レグルスも緊張せずにはいられなかった。
お腹が減ってきた。通路から車内販売の声も聞こえてくる。かぼちゃパイに百味ビーンズ、蛙チョコレート……。
「気持ちを集中させなきゃ」
ローズの鋭い声に、首を傾げた。なにに気持ちを集中させるのか。レグルスの頭はお菓子でいっぱいだ。気持ちははっきりとそちらに集中している。
「ホグワーツ特急で誰と出会って、誰と友達になるか……とっても大事。よーく見て選ぶのよ」
レグルスにというよりも、アルバスに言っているようだった。ロン小父さん、ハーマイオニー小母さん、あなたの娘さんはちょっとおかしいかもしれません。
「親父も友達を『選んでた』わけじゃあないあと思うけどなあ」
聞こえないように呟いて、戸を見る。小窓の前を誰かが通りすぎようとしていた。
ふ、と眼が合う。白金の髪に灰色の眼をした――。
「スコーピウス?」
自分の名を言われたのだと悟って、少年は立ち止まっている。レグルスは迷ったが立ち上がり、戸を引いた。
「……お久しぶりっていうか。覚えてる? スコーピウス」
「あ、ああ……レグルス。レグルス・ブラック=リアイス。パーティで会ったね」
「感動の再会を喜ぶのは柄じゃあないんだけど。お前一人なの? こっち来る? ていうかなんでお前一人なの」
スコーピウスは眼を白黒させ、レグルスを見ていた。
「いろいろあるんだよ」
「そりゃ奇遇だ。俺もいろいろあるよ。ほんと」
言いながら、スコーピウスを招き入れた。
ローズとアルバスがスコーピウスを見る。
――ローズはわかったな
さすがに賢い、と内心でため息を吐いて、二人にスコーピウスを紹介した。
「ローズ、アル。こいつは知り合いのスコーピウスだ」
よろしく、とスコーピウスが笑みを浮かべる。アルバスはなんとなくスコーピウスに親近感を持ったようだが、ローズは違った。
緊張している。レグルスは気づかないふりをしながら、スコーピウスが席に着くのを見守った。
「やあローズ、アル、フィフィフィズビーはいかが?」
「けっこうよ。私はお腹減ってないもの」
よくもまあここまで愛想のない声が出せるな、とレグルスは唸った。元々ハリネズミのようなところはあるが、初対面の相手に針をひっこめることも知らないらしい。いいや、しないだけか。だってローズはスコーピウスがどこの誰か知っている。
「ああ、僕はアルバスだよ。アルじゃなくてね」
言って、アルバスは笑う。
「よかったらお菓子をもらえるかな?」
「んで、俺は腹減ってるからお菓子ほしいな。ローズの分」
レグルスが軽く言えば、ローズの燃えるような視線が突き刺さった。だってお前が悪いんじゃないかローズ。しかもこっそりアルをぶっているけれど、お前の親はしつけちゃんとしてねえのかローズ。
アルバスがローズに抵抗していて、スコーピウスもそれに気づいたようだった。
「僕のせいだね」
スコーピウスの眼がかげる。
「気にすんなこの女はいつでも暴力的だ」
返したとたんに蛙チョコの箱が飛んできて、顔面に当たった。
「レグ! あなた、この子が誰かわかってて入れたんでしょう。どういうことよ」
「どうもこうもだこの高飛車女」
スコーピウスがため息を吐く。
「君はローズ・グレンジャー=ウィーズリーだろう。そして君はアルバス・セブルス・ポッター……英雄の子どもたち」
僕は、とスコーピウスが続ける。
「マルフォイ家のスコーピウス。君たちの親と敵対した家の子だよ。だからローズがぴりぴりするのも仕方ないんだ」
ローズが唇を噛みしめる。スコーピウスが笑った。力のない笑みだった。
「ねえレグ、君も知ってるんだろう? 噂を?」
「あれか? あれならうちじゃあ噂だし……ローズも知ってるみたいだな」
アルバスが瞬く。言っていいものか、悪いものか、レグルスはためらった。
「スコーピウス・マルフォイは闇の帝王の息子だって」
早口で言う。アルバスが眼を丸くする。
「ヴォルデモートの?」
「噂だよ、噂」
ひらひらと手を振る。スコーピウスが考えながら口にした。
「僕の両親に子どもができなくて、血筋を絶やしたくなかった父と祖父は、逆転時計で母を過去に送り込んで……という」
「噂」
レグルスが後を引き取ったが、空気はどんよりと重かった。
「んなもん血筋絶やしたくないならいくらでも手はあるのにな? スリザリン系から養子もらうとかさ。だいたいどこも親戚なんだし」
くくく、とスコーピウスが笑う。
「君が一番『どこも親戚』なのに」
「これは失敬」
「噂はともかく。この子は死喰い人の息子よ」
ローズが切って捨て、アルバスの手を取る。
「ねえ行きましょう、アル、レグ。ここにいちゃいけないわ。だってあなたたちは英雄の子じゃない」
思わず鼻を鳴らした。
「勝手にいけよお嬢さん」
「ごめんね、僕はここに残るよ」
ローズの青い眼に涙の膜が張る。くっと唇を噛みしめて、トランクをひっつかみ出ていってしまった。
「……よかったの?」
「別にいいんだよ」
ローズは一族の連中にそっくりだ。特に中途半端に高飛車なところが、と思って、長く息を吐いた。
アルバスはスコーピウスから菓子をもらって機嫌がいい。いいや、気が合いそうな友達候補ができてうれしいのかもしれない。
「スイーツがあればきっと友達」
歌うようにスコーピウスが言って、レグルスは頷いた。
「名言だね」
紅の特急が静かに去り、後には家族たちが残される。ウィスタはホームにしばらく佇んでいた。
セイリオスとレグルスには休暇まで会えないのだ。ホグワーツに通うのなら当たり前なのだが。
次は冬か、いや、学校に残るかな……と独りごちて、硬い靴音と、気配を察知した。隣にいる妻に囁く。
「クイン。イリスを連れて先に帰ってくれ」
藤色の眼でウィスタを見つめ、彼女は静かに頷いた。
「……助けてあげて」
「叶うなら」
痛みの滲む言葉に、ウィスタが返せるのはその一言だけだった。
妻が娘の手を引く。一羽の鴉が飛んでついていくのを見届けて、ウィスタはようやく振り返った。
「久しぶり……でもないな」
相手へと歩を進める。白金の髪に淡青色の眼を持つ又従兄弟――ドラコ・マルフォイは頷き、ひらりと手を泳がせた。来いと言うように。ウィスタはため息を吐く。
「お前の家に直でいいか?」
「構わない……リエーフもな」
マルフォイが付け加える。ウィスタは杖を取り出し、マルフォイと従者もそれに習う。三人の魔法使いと魔女は軽やかに踊り、次の瞬間には消え失せた。
◆
第二分家当主《ステータント》ならば、はっきりと見えるのだろうか。
――呪いが
玄関ホールに立ち、年月を重ねた館に引っ張られないように気を張る。
どこからか楽の音が聞こえてこようが遮断する。ひらりと泳ぐドレスの裾が見えたような気もするが、錯覚だ。
「我が君」
従者が呼びかける。ウィスタは眉間に力をこめて『力』を抑えた。
――過去を視ている場合ではない
「こっちだ」
マルフォイの先導に従って、竜の彫刻や飾りがあちこちに配された館を行く。奥へ奥へと。マルフォイ家の人間たちの私的な場へと。
魔法の気配がねっとりと絡み付く。善い魔法、悪い魔法で乱暴に括ってしまえば、この魔法は悪い――いわゆる呪詛だ。
「聖マンゴでもどうにもならないか」
ああ、とマルフォイが答えた。
「手紙で言った通り」
マルフォイが立ち止まる。両開きの扉前だった。彼がなにか囁くとりん、とどこからか鈴の音が響いた。
――強い魔力
古い呪詛だ。扉がゆっくり開き、マルフォイに促され室に足を踏み入れた。
静寂に満ちた室、広々とした空間に寝台が据えられている。背後に従者の気配を感じながら、ウィスタは一礼した。
「ご夫人の寝室に立ち入る無礼をお許し願いたい」
マルフォイ夫人、と呼びかけた。
柔らかい声が「いいえ」と応えた。
「ようこそおいで下さいました。ウィスタ」
近くに来てください、と声は続ける。ウィスタはそっと歩を進め、表れた椅子に腰かけた。すると、天蓋から垂れ下がっていた紗が左右へ開き、細い影がウィスタの前に現れた。
やせたな、とまず思い、ウィスタは彼女の手を取った。
「久しぶりだな、アストリア」
マルフォイ夫人――アストリア。旧姓グリーングラスは淡く微笑んだ。
「ええ、本当に。ご足労ありがとう。ウィスタ」
「構わない」
返し、アストリアの病んだ姿に眼をそらしたくなった。見た目は痩せて顔色が悪いくらいだが、呪詛にゆるゆると蝕まれているのが、触れた手を通じてわかってしまう。
父母から魔力の強さと魔法族としての濃い血を継いだせいなのだろう。血というものは厄介だ。ありとあらゆる面で。
「少なくとも数年前は『そう』じゃなかったが」
水を向ければ、アストリアが眼を伏せた。
「そう……あなたに会ったあのパーティの頃は、まだ元気だったの」
先祖の呪いなんて、とアストリアは続ける。
「……とっくの昔に消えたのだと。だってグリーングラスの血を引く者に、ここ数代呪詛なんてなかったの」
「ましてや、あなたは他家に嫁いで『マルフォイ』になった。呪詛が『家』に紐付けられているなら」
「現れるはずもない……先祖が受けた呪いは、血に潜んでいたの」
眼を瞑る。マルフォイから手紙をもらったのは数ヵ月前。腕のいい癒者や魔法薬学師にみせてもどうにもならない。なにか手立てはないか、と打診が来た。そちらに明るい一族――第七分家のヘカテに話を振り、マルフォイ家へ派遣したが匙を投げられた。あれは病ではなく呪詛だと。しかも。
――血そのものが媒介
最上級の呪詛といっても差し支えない。それほどに強いものであり、いつかは効力を無くすにしろ、それがいつになるかはわからない。そんな種類のものだ。
アストリアの片手を、己の左手で握る。もう二十余年身に付けている指輪――至宝『冬の息吹』を起こし、封じの力をアストリアへと――彼女を蝕む呪詛へと流す。
次の瞬間、ひく、とアストリアの喉が動き、悲鳴ともつかない音が漏れる。空いた手でウィスタの肩を掴んだ。生地が裂けるのではないかと思うほど、強く。
「い、ぁ、あ」
ウィスタも食い込む痛みに顔を歪めた。冷や汗がしたたり落ちて、寝台に染み込んでいく。暴れる呪詛をなんとか制し、椅子の背にもたれかかる。
荒い息が漏れ、脳がしびれた。控えているはずの従者は動かない。そして、扉のそばにいるはずのマルフォイも来ない。苦痛に身もだえしているアストリアを眺め、告げた。
「悪いが、これも一時凌ぎだ。あなたの身体も損なうかもしれない荒療治で、根本的なものじゃない」
いいの、いいの、とアストリアはうつ伏せて敷布を掴んだまま、呟く。
「せめて……あの子が大きくなる、まで」
スコーピウス。星の名を持つ子。ブラック家の灰色を授かった少年。
――呪いの子
心ない噂にさらされている、ただの子ども。ウィスタは少年の影を追いやって、長い間沈黙した。アストリアをじっと見つめ、口を開いた。
「血が呪いだと言うなら……手はなくもない」
アストリアが身を起こし、顔をこちらへ向けた。眸に輝きが宿る。
「それは、どんな」
「生粋の魔法族である方々にあまりお薦めはできないが」
言葉を切る。
「血をつくる器官そのものを取り替える……マグルの治療にそういうものがある」
骨髄移植といわれるものを、ウィスタは噛み砕いて伝えた。アストリアがまじまじとウィスタを見る。
「私の血は他人のものと……なる」
言い添えた。
「おそらく、マグルのものとなるだろう」
アストリアが唇を噛む。彼女は穏健派で、息子にも純血思想を吹き込んでなどいない、とウィスタは妻から聞いていた。それでも抵抗感はあるだろう。魔法族として生まれ育ってきたのだから。しかも純血名門の娘として。
「分の悪い賭けだ。適合者が現れるかもわからない。あちこち当たって適合しなけりゃ、登録をして、それから待って……順番が回ってくるかどうかすら」
それまで生きることができるかも、と言いかけて胸の内に仕舞い込んだ。だが、アストリアの表情を見て悟ってしまった。彼女は残り時間に見当をつけている。それでも諦めていない。その昔、過去視で視た己の母親を想起させる眸。
「私は、」
生きたい、とアストリアは吐露した。なにをしてでも、と。ウィスタは頷き立ち上がった。
「恥じることじゃない。俺もなるべくのことはする」
アストリアは微笑した。
「クインの幼なじみだから?」
少しく考え込み、一番簡潔な答えを返した。
「俺も子を持つ親だからな」
◆
アストリアの室を辞して、古びた廊下を戻る。
『あぁ、我が君……』
甘く、しっとりとした声に、背筋が凍る。あの声は。我が君と呼び掛ける声は。
意識を向けるな。呑み込まれる、と声を――過去を切り捨てて、歩く。
「お前はもう死んだ」
失せろ、ベラトリックス。
レグルスはローズを探しに行くことはしなかった。傷ついたのだろうが、あれはローズが悪い。親がキャリアだとああなるのかね、とため息をつきかけて、いいや自分の親だってキャリア――ではないが、いわゆる『偉い人』ではある。リアイス本家当主《ランパント》であるし、各方面を支援し、魔法界をよくしようとしている。もっとも、父親がリアイス本家当主であることは、一部しか知らないが。けれど、レグルスはローズのように自分が偉いだとか、英雄の子であることにこだわりはない。
――グリフィンドール以外に組分けされたら、少しは驚くだろうけど
それでも、少しだ。レグルス自身はグリフィンドールだろうがどこだろうがかまわない。なんといっても、祖母がスリザリンだったのだ。怖いものなしだ。しかも、祖父はスリザリン系名門・ブラック家の出だというのにグリフィンドールときた。異例が二つも重なった血を受けているのだ。なにを今更組分けがどうこうといえるのか。
スコーピウスからもらった菓子をむさぼりながら、レグルスはホグワーツに思いを馳せた。
きっとスコーピウスはスリザリンに組分けされるだろうし、アルバスとレグルスとローズはグリフィンドールだろう。ローズは面倒だからレイブンクローにでも放り込まれないかな、とも思うが。あんなのにきゃんきゃん吠えられ続けるなんて嫌だ。
それにしても、組分けはどうするのだろう。父はなにも言ってくれなかった。
なるようになる、と思っても、スコーピウスと別の寮になるのはほんの少し残念だった。なかなかいいやつに見えるのに。
ふと、特急の窓から外を眺める。黒い鳥が優雅にはばたき、どこかへ消えた。
ひそひそと「ポッター」とか「マルフォイ」と声が追いかけてくる。老森番・ハグリッドの先導で駅から小道を下り、おんぼろの小舟に乗って、湖を渡るうちに、何度も囁きを聞いた。
なにせ『呪いの子』と『英雄の息子』だ。誰だって注目するだろう。英雄の子といえば、ポッター家の兄妹だってそうだし、ウィーズリー家もそうだし、レグルスのリアイス家だってそうだ。つまり、レグルスも注目されておかしくないのだが、皆の関心はハリー・ポッターにそっくりな子に向いているらしい。レグルスにとっては楽だけれど。
小舟に乗って進むうち、城が見えてきた。ランパント城によく似ていた。リアイスがわざわざ似せたのか、それとも城というのは似るものなのか――と首を傾げたが、湖面に映る城には眼を奪われた。
七年、ここで過ごすのか――両親や祖父母も、ここで過ごしたのか。
まじまじと見ているうちに、小舟が岸へ着いた。そうして、ハグリッドに先導され、皆城へ入っていった。
◆
四つのテーブルと、教員席。浮かぶ蝋燭。そうして、四つの砂時計。初めて入るホグワーツの大広間には、一つ変わったものがあった。上座にぼろ布がちょこんと置いてある。なんだあれはと思えば、魔法の帽子だった。しわがれた声で帽子が歌って、レグルスは『組分け』がどういうものか、やっとわかった。単にかぶればいいのだ。安心はしたが、汗やら黴やらがはびこってそうなものをかぶるのか、とげんなりした。並んで組分けを待っているうちに、グリフィンドールの席に兄のセイリオスを見つけた。涼しげな灰色の眼をレグルスに向け、帽子に向け、つと笑いかけてくる。気楽なものだ。
ABC順に姓名を呼ばれるようで、マルフォイ・スコーピウス! と校長に呼ばれたマルフォイは、かなり時間がかかってスリザリンに組分けされ、スリザリンの席からは拍手と、ひそひそ声がわいた。
それから何人か組分けされて――ポッター・アルバス。ぎくしゃくと上座の椅子に向かって進み、ぎこちなく座り、帽子を乗せられる。マルフォイの時より時間がかかって、レグルスは身じろぎした。どういうことだ? こんなに長くかかるものなのか? 視線をグリフィンドールのテーブルに向け、セイリオスが眼を細めてアルバスを見つめているのに気づいた。ジェームズの顔もこわばっている。いてもたってもいられない気持ちになる。なぜ時間がかかるんだ?
「――スリザリン!!」
帽子が叫び、レグルスは口を開けた。スリザリン? アルバスが? 拍手をしようとしていたグリフィンドールも、無関心だったスリザリンも、動きを止めた。
よろよろとアルバスが立ち上がり、スリザリンの席へ向かう頃に、あちこちから声がわいた。
「いやよ、だって、アルバスは……そんな……」
後ろからローズの叫びが響く。
――大変なことになった
ぼうっとしているうちに、レグルスの番が来た。帽子に視界が覆われ、深い声となにか見えない『手』がレグルスの中に入ってくる。
「おやおや、おかえり。ようこそ。リアイスの子」
はじめましてじゃないんだ、と思えば、考えを読んだように帽子が返す。
「リアイスの子は『おかえり』だとも。はじまりの場所へよく戻ってきたね。さてはて、君の組分けはどうしようかね。どこにでも行けるだろう。獅子の血がいささか濃いようだが」
グリフィンドールだと思っていたのだが、と首を傾げる。まるでレグルスに選択権があるようではないか。
「あるとも……少なくとも君の父君は選んだ。祖父母は……これしかないと思って入れたがね? ああ、父君には罵倒されたが。祖父母の組分けはいらない苦労を呼んだだけだとか。まったくまったく、いい度胸だ」
帽子がため息を吐く。
「うむうむ……やはり……さてはて……君は――」
グリフィンドール! と帽子が叫んだ。
※作中詩は『ゲオルゲ詩集』より引用
簡単メモ
ウィスタ…魔法騎士の一族、リアイスの本家当主。『英雄』のひとり。
セイリオス…ウィスタの長男。第一子。祖父ゆずりの灰色の眼を持つ。ジェームズと同学年。
レグルス…ウィスタの次男。第二子。父親そっくりの群青の眼を持つ。アルバスと同学年。
イリス…ウィスタの長女。末っ子。祖母によく似ている。眼は燃えるような紅。
クイン…調停者家門マグダラ出身。ウィスタの妻。